●絆01
強羅 龍仁(
ja8161)と若里美咲が、肩を並べて窓の外を臨むある一室。
二人の相貌は、親としてのそれだ。真似事で出来るものではない。偽り事で出来るものではない。唯、親として真実の愛を以て接する――その心を持っているからこそ叶う、表情。
やや憔悴したような表情をした美咲は僅かに笑って言った。
「すみません、親子共々お世話になりまして」
「いや。子を持つ者同士だ、そう気は遣わなくて良い」
その穏やかな言葉に、美咲は表情を和らげる。
先程まで龍仁は美咲と暫し会話をしていた。その内容は主に美咲の独白、それに唯々耳を傾けてくれる龍仁に、彼女は随分と心を開いていた。同じ親としての目線で、同じ親としての心で話をすることが出来る相手。美咲は芯も根も強かったものだから、そうして心を開ける相手がこれまで余り居なかったのだ。
そうして、耳を傾ける一方だった龍仁が口を開く。
「偶には自分の感情や思いを子供にぶつけるのも必要だぞ」
「え?」
「子育ては親が子を育てるのでは無く、子供に親が育てて貰うんだ」
それは美咲にとって、目から鱗が落ちるようなことばだった。
親は初めから”親”として生きているわけではない。それは当然だ、未経験であるなら尚のこと。子を持ち、共に成長し、そうして漸くと親になるのだと。
「俺も息子に良く『お父さんは我慢し過ぎ』だなんて怒られてるがな……」
頬を掻きつつ視線を落とす龍仁に、ふふと美咲が小さく笑う。
花綻ぶような優しい笑み。愛しい娘に向けるそれには届かなくとも、確かな、心からのそれ。
「ちゃんと、美咲の気持ちを鈴に伝えるんだ」
「……そう、ですね。あの子が私と逢ってくれるのなら、ですが」
「何、そう心配は要らない」
美咲の不安げな声にかぶりを振った龍仁は、目を細めて笑う。
「俺達に一先ずは任せて欲しい。大丈夫、道を示せるよう努めよう」
龍仁とて、若里鈴がこの先進む道が茨に包まれているということは理解している。理解しているからこそ、その心が折れぬよう、道を示したいと思った。子を持つ親として、撃退士として、そうして、子を護る『大人』として。
●絆02
チョコーレ・イトゥ(
jb2736)と安瀬地 治翠(
jb5992)は、共に連れ立って――というより、あくまで事務的に同伴して、鈴の部屋の元を訪ねた。
元来一人で向かう予定だったチョコーレだが、部屋に佇む撃退士二人組が居ては話し辛いだろうと治翠が判断した為、こうした組み合わせとなった。
「失礼するぞ」
「お邪魔します」
響くノック。それを合図に出て来る撃退士二人と入れ替わるようにしてチョコーレと治翠は入室し、鈴の背中と対面した。ベッドの上で膝を抱えて丸くなる少女は振り向かず、無言のまま窓の外を眺めている。
「俺はチョコーレ・イトゥ。先日、お前が起こした騒動の現場にいた者だ」
チョコーレのその言葉に、鈴は顔を上げ、それから勢い良く振り向いた。
――その顔に浮かぶのは、安堵と不安の綯い交ぜになった表情。
恐らくは、ずっと不安だったのだろう。見知らぬ撃退士に囲まれ、母と会うことを択べもせず、一人きりでぽつねんと過ごす毎日。元より彼女もまた友達は少なく、心を開ける相手と言えば皆無だった。
プライドが高く、それでいて脆い。そんな思春期の少女には些か辛い現状。
その折に、自身を知る者――そうして、事件の際に、あの惨状を以てして尚彼女を救おうと動いてくれた者達が訪れた。
それは鈴にとって、喜ばしいと同時に不安を煽るもの。
「私は安瀬地治翠と申します」
鈴は見覚えのある二人の顔を比べ見て、それから不安の色を薄く滲ませた。
責められるのではないか、詰られるのではないか、そんな鈴の胸中を知ってか知らずか、二人は鈴の眼前に立つ。
特にチョコーレは自由な態度はそのままで、少女は若干脅えてすらいる。
「お前にちょっと話があってな、邪魔するぞ」
チョコーレの不愛想な物言いには、警戒する少女。
その感情を先読みすると、治翠は手に携えていた花束を鈴へと差し出した。
「…………なに?」
「お見舞いです」
お見舞い。そう穏やかに言われてしまえば無碍に断れない。鈴はそういう性格だった。
彼女の機微をある程度は理解している治翠は、空いていた花瓶に花を挿してゆく。
そんな様子を傍目で眺めながら、チョコーレもまた、懐から取り出した”それ”を鈴に差し出した。
学園で発売されているうまいチョコと、レモン風味の炭酸飲料。
「知っているかもしれんが、コレはちょこれぇとと言う。とても甘くてうまい」
「……知ってるけど」
「そうか。そして、コッチはそぉだだ。しゅわしゅわするのがイイ」
「……。……」
手渡されたというより、半ば押し付けられたような形で受け取ったそれとチョコーレの顔を見比べ、鈴は怪訝な顔をして、問う。
「あなた、甘党なの?」
「そうだ」
堂々と答えるチョコーレに、思わず鈴は小さく吹き出した。
そんな顔で言うことじゃない――などとぼやきながら、チョコの封を見詰める。その表情は年相応で、肩の力が僅かながらも抜けたように見える。
「どちらも俺のお気に入りだ。遠慮なく食べると良い」
促しに対し目を細めて笑いつつチョコの封を切った鈴は、ぱくりと一口齧りついた。広がる甘い風味、とても、美味しい。暫く入院食の味気無さに浸かっていたものだから、特別その味は格別に感じられた。
「椅子、使って」
初見時より随分気を抜いたらしい少女はそう言って、二人に椅子へ腰掛けるよう促す。
その言葉に従い椅子を引いたチョコーレと治翠は、暫し他愛の無いお喋りに興じた。
学園での専攻。学園に来た理由。彼の名前の理由――等々、話題は何かと尽きない。
それまで敢えて先日の事件についての話題には触れずにいたが、そこで、チョコーレが口を開いた。
「お前はアレだな。バハムートテイマーに向いているかもしれないな」
ディアボロを操る姿を見てそう思ったと、チョコーレは言う。それに対し一瞬口籠った鈴だったが、「そうかな」と小さく呟いた。
「まさかこのまま終わるつもりも無いのだろう?」
「……判んないけど」
「まぁ、あせることもない。気が向いたら申し出てみるといいさ」
鈴の改心――と言うより、悪夢が醒めただろうということは、目に見えて明らかだった。そうであるのならば、後は道を示し、背中を押すだけ。
そう読んだチョコーレは、言葉は選ばなかった。
「もう一度、撃退士に――ってな」
鈴は目を細め、それから唇を噛むと、僅かに俯いて黙り込んだ。
治翠は何も言わずその会話を聴いていたが、ふと思いついたかのように言う。
「外へ出掛けませんか? 皆で昼食なんて如何でしょう」
皆。それは、彼女を救おうと躍起になって手を伸ばしてくれた、学園の、仲間。
●絆03
病室に残ると言ったチョコーレ以外の面子は、既に学園内の広い中庭にいた。
桜のつぼみは随分膨らみ、今にも咲き綻びそうだ。既に咲いているものもちらほらと見受けられ、風が吹けば、やわらかな春の匂いがする。
そこで、文字通り滅茶苦茶悩む男、法水 写楽(
ja0581)。
(――戦闘じゃなく会話で心を開かせるとかどんだけ難易度高いんだこれ!)
拳と拳で語り合う。それが彼にとっての対話。それが今回は必要でなく、――会話、言葉と言葉のコミュニケーションが必要だ、という現実。
元来竹を割ったように素直で陽気な性格ではある写楽だが、心を開くまでには相応の時間を要するタイプである。とどのつまり、若干の人見知りのケ、あり。
「ま、まぁ……悩んで居ても仕方ねぇ」
ぴしり、決め顔を引き締める。二枚目と三枚目を行ったり来たり、それも又御愛嬌。
かの少女には普通の学園生活らしい一時を過ごして貰って、その中で自身らと打ち解けて貰う。――それを目的として、写楽は普段の”素”のままの自分で動くことを決めた。
「無事戻って来れてなお心を閉ざす、か……。どれ、手を貸そうかね」
仕方の無い話だ、とアルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)はひとりごちる。
奥深く、感情豊かで面白い。それが人間、彼女はそう理解しているからこそ、少女の進む新たなる道を示す為の導になろうと考えるのだ。
その手には御手製のお弁当、勿論人数分。
気合を入れて特別丁寧に作ったそれは、味とて間違いないだろう。
購買でパン争奪戦に挑まんとしていた写楽を呼び止めて、麗らかな気候の元でビニールシートを敷いて鈴の到着を待つ。
「食べることは生きること。食事を共にすると、打ち解けやすくなるかもね」
丁度桜の季節。景観は良好、天気も申し分無し。
Camille(
jb3612)は柔和な表情で言い、遠くから治翠と龍仁と共に歩いて来る鈴を見遣った。
「……道を示すなんて偉そうなことは言えないが」
天宮 佳槻(
jb1989)は、思う所があった。否、皆思うところがあるのは同じだろう。
けれどその中でも特別、彼には思慮するものがあった。家族。それは、彼にとって――。
アルドラの弁当を広げて手招いたアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)の優しげな笑みに誘われて、鈴はおずおずとシートに靴を脱いで上がった。
久方振りの外に気分が昂揚しているのか、辺りを見渡せば広がる春の情景に少女は僅かにほほを染めた。
「よ、元気そうじゃん」
「あ……」
シートの上で皆それぞれ腰を下ろした所。軽い調子で挨拶をして来た写楽に対し、鈴は若干蒼褪める。それもその筈、彼女が直接では無いにしろ、深手を負わせた相手だ。忘れるわけがない。
「あの時は、ごめんなさ……」
「イイ男は回復するのも早いんだって。気にすんなよな、そんなちいせぇこと」
「……良い男?」
「待て、イイ男に対するツッコミは却下だ!!」
しおらしく謝罪をし掛けた鈴に対し、有無を言わさぬ調子で軽口を織り交ぜる写楽に少女は思わず笑う。
「ま、俺は法水写楽ッつうんだけど」
当然ではあるが、それぞれ自己紹介も未だだった。
皆が皆口々に名を言い、鈴もまたそれに頷き、話を終えた合間。
「確りと言っておくとだな……戦場での怪我なんだから、あれは全く気にしてねぇぞ?」
写楽のさり気無い、けれどはっきりとしたフォローに、鈴が瞬く。
それから、些かの不安を残していた表情を和らげ、小さく鼻をすすって頷いた。
「……ありがと」
「泣くなら旨い飯食ってからにしろって、ホラ。この卵焼き、かなりの上物だぜ?」
言いながら写楽が差し出したのは、アルドラが作った弁当の一品。
それを口に運んだ鈴は、「おいしい」と呟き、アルドラにもまた謝罪を篭めて頭を下げる。
「ほんとうに、あの時はごめんなさい」
「いや、構わんよ。人間迷うことなんて幾らでもある、君のように若ければ尚更だ」
撃退士たちは、ひたすらに優しかった。
人々に傷を負わせたのは鈴だが、それと同時に深い傷を負ったのも鈴だ。
人ひとりでディアボロを操ることが出来るわけがないのだ。裏には当然悪魔や――もしかしたら何者かの甘言が関わっている可能性もゼロではない。
彼ないし彼女らが話を交わす間、龍仁は鈴の状態をつぶさに観察していた。
性格は良好。プライドは高いが、謝ることの出来ない人間ではない。恐らくは幼さゆえの暴走、そうして親から満足に愛情を得られていないと勘違いをしたことからの寂しさ。心理状況は穏やかでは無いが、こうして知己とも呼べる間柄の人間と和気藹々と対話が出来る程度には落ち着いてきている。
――それでは、美咲に対してはどうだ。
一切当人の口からは出ない、美咲の話。敢えて避けているようにも見える少女を見詰めながら、龍仁はまるで本物の父親のように優しく接する。
「甘いものはお好きなようですから」
先程のチョコーレとのやり取りを見ていた治翠は、対話をすれば喉が渇くだろう、ということで飲み物を並べる。その中で鈴が選んだのは幼い少女らしくコーラで、礼を述べ缶の封を開けると口をちびちびと付け始める。
「所で、少し振りだな。もう傷は大丈夫なのか?」
アルドラの問いに、大丈夫、と鈴は言う。事実、身体は十分に回復したらしい。
けれどアルドラが問うたのは、身体の傷のみではない。心の傷も含めてだ。
だからこそ態々手製の弁当を用意し、適当な話を交わしつつ、本筋を追うことにした。
かくして、それは正解だった。鈴の心は少しずつ開き、撃退士らに対しぎこちないながらも笑顔を見せるようになっていく。
他愛無い話。誰が何をした、こんなことがあった、最近は物騒だ、――諸々。
物騒な団体が騒いでいる。その噂は、鈴の耳にも入っていた。だからこそ穏やかだった表情が崩れ、唇を噛む。
「……何を悩んでいるんだ? そんな顔をされると私も悲しくなるな」
少女の抱く悩みは明白だった。けれど、アルドラは尋ねる。
そうすることで、鈴の心を開かせられれば。そう、考えたのだ。
彼女のペースで構わない、出来ることから始めれば良い。
もしも自ら口を開くことが出来ないのであれば、促すことも大事。
アルドラは思う。
きっと、鈴は何をすれば良いか自分自身ではっきりと判っている筈。
(余計な口出しは無粋だ。したいようにすればいい)
人間観察を主な目的としていた悪魔とは思えない、優しげな眼差しでアルドラは少女を見詰めていた。抱くは慈愛、抱くは博愛。
依頼の中で沢山見せ付けられて来た人間の負の面もまた、尊いものなのだ。尊重されて然るもの。一口に斬り棄てられて良いものではない。様々な面を持つからこそ、人間は面白いのだから。
「死ぬのって……怖いなって、思って」
ぽつり、鈴が口を開いた。
最近よくよく耳にする、組織による惨殺の話。
「それで。私は、その怖いことを。ひどいことを、人にしちゃったんだって」
鈴が行ったことは、ありていに言えば罪だ。彼女は罪人だ。
情状酌量、温情を預かり、こうしてある程度は自由に振る舞うことを赦されている現状。
彼女はそれをよくよく理解し、考え、だからこそ自ら外に出ようとはしなかった、出来なかった。自身のしたことを深刻に受け止め、考え、そうして悩む。少女は愚かだったが賢く、考える為の知恵を持っている。
「死ぬのも怖いけど、さ。罪を償って生きていくのも、茨の道」
「……」
カミーユの言葉に、静かに鈴は頷く。
「亡くなった人の命は戻らない。その罪の本当の重さを実感するのは、もっと後になってからかもしれない。……大切な人ができたら、とか」
カミーユの物言いには含みがあった。
気付いた鈴は、胸に浮かんだひとりの人物に思いを馳せる。
それは、義母たる女性、若里美咲。
「人はいくつになっても過ちを犯す。こういうと怒るかも知れないけど、鈴はまだ未熟な子どもだから間違いをするのは当然だと思う」
「……それはっ、……まあ、…………そう」
一瞬反論をしようと口を開きかけたが、それ以上鈴は何も言わなかった。
カミーユはそんな鈴の表情を見てとると薄く笑って、それから芽吹き始めた桜の樹を見上げた。
「何より成長途中だし。簡単に討伐してオシマイ、は違うと思ったんだ」
鈴が撃退士らの手によって生かされた理由。
少女は龍仁を見た。あの時――悪魔に殺されかけた時、身を挺して護ってくれた、人。そうして、今もまるで父のように優しい眼差しで鈴を見詰める人。
それから、写楽を見る。鈴が傷付けた初めての人。それなのに笑って、冗句で笑い飛ばして、簡単に許してくれた。
それから全員を見渡す。この場にいないチョコーレもそうだ。
彼らははなから鈴を殺そうとはせず、止めようとしてくれた。そうして今、こうやって話をする機会を設け、鈴を諭してくれる。
大人だ。子どもである鈴とは比べ物にならない程大人で、そうして強い。
彼らはその脚で様々な壁を乗り越えて来たのだろうと、肌で判った。
「やってしまったことは小さなことではないし、償うのも簡単なことじゃない」
「うん……」
「俺たち撃退士は、ある意味、無責任な立場でもある」
討伐より生かすことを択んだのは、間違い無く撃退士である彼ら。
けれど、実際に背負って生きていくのは鈴本人だ。
ずっとずっと、これから先――長い間、少女は背負い続けなければならない。
それを支えてあげられるのは、恐らく今は、ひとりしかいない。
カミーユの言わんとすることは、鈴にもはっきり判った。
「でもさ。彼女がいるからこそ、鈴は大丈夫って思った部分もあるよ」
「……」
「鈴は認めたくないかもしれないけど、ね」
唇を引き結び俯く鈴に、龍仁が声を掛けた。
鈴。そう呼ばれた優しくも強い意志を持って響いた声に、少女は顔を上げた。
「お前はあの時実際なら死んでいた。――なら、今までの若里鈴はあの時死んで、これからは新たな若里鈴として生きる、そんな道を選んでみないか?」
「新しい、私……?」
犯した罪が消える訳では無い。けれど、罪の全てを背負うには未だ幼過ぎる。
母と共に成長し、大人になって、そこで改めて、背負う罪と真っ向から向き合えば良い。そう、龍仁は思うのだ。
子を、子どもを何より大切に想う”父”だからこそ、そう考える。
幼過ぎる少女の背負う荷を、少しでも軽くして遣りたい。それは甘やかす訳ではない、真実を見詰めさせる為でもあり、理解させる為でもある。潰れさせてしまうより先に、生かす為の道を。
「私、あの人に……わかって、欲しかった。私をわかって欲しかったし、何を言いたいのかとか、どう思ってるのかとか、全部わかって欲しかった。ほんとの親ならそれくらい出来るでしょって、甘えてた。……義理だからわかんないんだって、思ってた」
あの人。それが誰を指しているのかは、一目瞭然だった。
そこで、それまで口を閉ざしていた佳槻が声を上げた。
「わかって欲しければ言わなければ駄目なんだ」
鈴が無言で頷き、それを確認した佳槻はゆっくりと続ける。
「『家族』に言われた……それは本当のことだ。でも、僕は――いいや、僕も。結局わかって貰えるまで言い続けることが出来ずに、半ば諦めるようにして疎遠になってる」
「……あなたもなの」
問い掛ける鈴に、佳槻は頷いてみせる。
わかったような顔で、諦めた振りをして、近付けない距離感を確かめては足踏みをする。
それは、少女も彼も同じだ。
「僕に元々肉親はいない。『家族』は血の繋がりも生活の繋がりも無く、まだこれといって思い出も無い。唯の口約束だったと言われればそれまで」
「……そうなの」
興味深く聴く鈴の目は、どこか潤んでいた。
共感。それは少女にとって、大きな響き。ただ、決定的に違うのは――時間だ。
鈴が美咲と過ごした日々と、佳槻が『家族』と過ごした日々には、圧倒的な差がある。
「……君が羨ましかったのかもな」
ぽつり、呟いた佳槻の声は自嘲めいていた。
「時を共有してきて感情をぶつける相手がいて、その相手が君の事で必死になっていた。何もかも僕が欲しくて諦め掛けているものだから」
鈴は黙して佳槻の言葉に耳を傾けていた。
欲しい、けれど手を伸ばす勇気が出ない。踏み出せず、諦めんとしている今。
それを聴いて、自身と似た境遇を感じ、鈴は小さく言う。
「……諦めちゃだめだよ」
「え?」
「諦めないで、ちゃんと向き合って、伝えなきゃ。でなきゃ、伝わらないし、聴こえないよ。私には届いた、あなたの言葉。だから、あなたの『家族』にも伝えられる、……きっと」
言葉は幼く拙いものだったが、佳槻の耳に確りと入った。
今にも泣き出しそうな顔をした少女から告げられたそれに、彼は苦笑する。
「偉そうな事を言えた義理じゃ無かった、ごめんなさい。……僕は自分が本当はどうしたいのか今もわからないけど、君は、どうやら目の前を見て考える気になったみたいだね」
佳槻の穏やかな問い掛けに鈴は目を細め、それからゆっくりと頷いた。
「まだ、直接伝えることは出来ないけど……あのね、私、あの人のことを……”お母さん”を……大事だって、大切だって、思うよ。だから、謝りたいし、……ありがとう、って伝えたい」
胸元を押さえ、深呼吸をひとつ。それから告げた鈴の言葉は、やわらかで、穏やかで、子を想う母、美咲のものと同じく――母を想う子のそれだった。
「鈴は本当に美咲の事が好きなんだな。……お互いに愛し方と愛され方がわからなかっただけなんだ」
先に美咲と話をしていた龍仁は、美咲の気持ちも、鈴の気持ちも良く判った。勿論、完全に判るなんて暴論はない。ただ、ある程度。彼女らの互いに伝えたい想いを、掬い上げることが出来る程度には、判った。
「反発するだけで無く、ちゃんと甘えれば良い。今――こんな時だからこそ甘えるんだ。親に甘えられるのは子どもだけだ、そして、子どもに甘えられるのも親だけなんだ」
親である龍仁。彼はそう言い切ると、鈴の頭を軽くくしゃりと撫でた。
――やわらかな仕種、やさしくおおきな手。
今は亡き父を思い出し鈴は少しだけ涙を滲ませて、それから朗らかな笑顔を浮かべて今度は大きく頷いた。
意固地になり過ぎて伝えたいことを口にせず、後悔しても遅いのだ。
言わずに後悔する位なら、言って後悔した方が良い。
彼女たちは未だ間に合う。――何故なら、親子であるのだから。
涙を拭って、そんな自分を恥じる鈴を写楽が茶化してみせて、場を和ませて。
誰かに相談をすることが大事だと、アルドラは言った。
相談する友達がいないと言う鈴に対し、カミーユは連絡先を渡す。
「俺達、家族にはなれないけど、友達にはなれると思うんだ」
悩みや愚痴を聴いたり、過ちを起こす前に留めることが出来たり、きっと、可能性は広がる。
それに、こうして息抜きに出掛けることだって出来る。
「亡くなった人への金銭的な補償もあるけど。将来は、悩む人の力になってあげるカウンセラーとか……勉強もしていかないとね」
そういうのもアリなんじゃない? そう言って笑い掛けるカミーユに、鈴はうん、と素直に頷いた。未だ彼女は道を定めてはいないが、それもまた、選択肢のひとつに入れることとなるだろう。
「……ときに、少々気になる事もあってな。初めて逢った時にも感じたが、どうにも裏で何かが動いている気がしてならん」
不意なアルドラの言葉に、鈴は首を傾げて彼女を見た。
「思い出せと言うのは酷だろうが、何故ルクワートたち……つまり冥魔の力を借りるに至ったかを聞かせて貰いたい。無理をさせるつもりは元より無い、話せる範囲で教えて欲しい」
「そうだね。……唆したのは、彼女じゃあない気がする」
アルドラとカミーユの言葉で、力を借りた冥魔の名を思い出した鈴は、表情を僅か曇らせながらも小さく頷いた。
金髪、蒼い目。それ以外はぼんやりとしていて、余り覚えていないと言う。
もしかしたら何かしら、術の類を使われていたのかも知れない。その可能性は十分に在った。
「……ルクワートさんと共にいた青年――アベルと、似ていませんでしたか?」
治翠の言葉に、鈴ははっとした。それから、はっきり「うん」と頷く。
そこで佳槻は確信する。以前出逢った、アベルの兄を自称するカインと言う名の男。
上辺は異なれど、少しだけ似た匂いがしたのだ、鈴と、カインは。
「ごめんなさい。出逢ったことはあるし、アベルって人と似ていたのは覚えているけど、靄がかかったみたいによく思い出せないの。唯、……あの人が”力をくれるヴァニタスのことを教えてやる”って言って、それで、ルクワートやアベルと出逢った。それから、アベルは私を止めて……ルクワートが私にディアボロを与えてくれた。その先は――」
鈴を唆した男が彼女に告げた言葉は、正に蛇の甘言。
――人間じゃあなくなってしまった。
――もう戻れない。
――悪魔にも人間にもなれない、死ぬしかない。
それならば壊せと、男は言ったらしい。
破砕こそが全てだと、少女に告げた男。恐らくそれはカインで間違いないだろうと、事前に別件の依頼書を読んでいた者には判った。
鈴を唆した男の思惑が何だったのかは判らない。だが、少女が助かったことは事実。それだけは確かなもので、変わらないもの。
一先ずは、と安堵した撃退士らは、デザートにさくら餅を頬張りながらまた、他愛無い話に興じる。
治翠は春の訪れに揺れる木々を眺めながら、鈴に語り掛ける。
「ところで、私は絵を描くのが好きでして」
「あ、私も好き。たまに、賞とか貰ったりしてたんだよ。凄いでしょ」
凄いですねと素直に褒めると、鈴は胸を張って喜ぶ。年相応、素直な面も見れれば可愛らしいものだ。
今すぐ何かを決めることも、完全に諦めるにも彼女はまだ若い。
だから。
「では、先ずは自分の好きなことからやっていくのは如何でしょう」
それは、治翠が提案する最初の一歩の切欠。
誰かと一緒でも良い。治翠自身が共に付き合うのも良いだろう。趣味が同じなら尚更だ。
好きなことから――そう言ったことには、理由がある。
あの事件は享楽からのものではないと認識しているからこその、提案。
だからこそ苦しみ、だからこそ嘆き、猛省した。
過ちは確かに過ち、けれど、受け容れた上で彼女のやりたい道を閉ざさぬよう、明かりを灯そう。
それが、少女の為に出来る最良のことだと願って。
●絆04
最終的に。
鈴は、学園に残ると決めた。
撃退士らからの報告と証言を得て、彼女の罪は幾分か軽くなるだろう。
けれど、罪は罪。贖わなければならないものだ。
だからこそ彼女は撃退士としての命を全うすることを決め、二度と過ちを犯さないと誓った。
そう語った鈴を部屋まで送り届けた撃退士らを、待っていたのはチョコーレ。否、待っていたのは撃退士をではなく、鈴を、だが。
部屋は八人全員が入るには些か狭い。それに、鈴はもう護衛など無くとも大丈夫だろう。そう判断した七人は部屋の外に出て、チョコーレと鈴の話を待つ。
仲間からの話を聴き受け、彼は思案する。
唆した者についての情報は出揃った。では、必要なのは何か?
そこで、早々にチョコーレは切り出した。
「お願いがある」
「お願い?」
「実の娘のように思っている奴の事が心配で心配で、最近元気がない女がいる。ソイツを元気づけるために、お前に一筆書いてほしい」
差し出したのは、スケッチブックと色鉛筆。
それを見て目を丸くしていた鈴だったが、暫くすると表情を崩し、眦から涙をぼろぼろと溢し出す。
流石の悪魔も目の前で子どもに泣かれては内心戸惑うものの、隠し持っていた秘蔵のチョコをもう一本握らせると宥めにかかる。
「一言でも良い。直接話すのは無理でも、文字であれば伝えられることもあるだろう?」
「うん、……うん、……ね、チョコレート、さん」
「チョコーレだ」
そこは訂正。そんな彼に泣き声の中僅かに笑いを含ませながら、鈴は言う。
「――ありがとう、チョコーレさん。みんなにもありがとうって、私、ちゃんと伝えるね」
心から向けられた真っ直ぐな感謝の気持ち。
悪い気はしない。そうして、鈴はしゃくり上げながらもスケッチブックに色鉛筆を奔らせていく。
出来上がっていくのは、一枚の絵。
「ほう。文字じゃないのか」
「文字も後から書くよ」
それは見事な絵だった。賞を取ると言うのも理解出来る、幼いながらにして基本の出来た絵。聞けば、彼女は撃退士の才能に目覚める前は画家を目指していた時期もあったらしい。
そうして描かれた絵は、――母親、美咲の肖像。
隅に小さく、『ごめんなさい、それからありがとう。お母さんへ』、そう書かれた、スケッチブックの一枚。
代わりに渡そうかと尋ねたチョコーレに、鈴は首を縦に振る。
「お願いします」
「よし、それじゃあ俺が責任を持って伝えておこう」
預かったスケッチブックに描かれた肖像は、やわらかくあたたかな色遣いで、母への想い――愛がはっきりと感じられた。
(もう、大丈夫だろう)
それは、チョコーレだけではない。他の者も皆、はっきりと判った。
新たな道を進む若里鈴は、緩やかな一歩ずつではあるが、確実に歩き出した。
決して速いペースではなくとも、母と共に進めば同じ間違いは起こらないだろう。
それに、撃退士らの後押しもある。
確かな標で、確かな縁。
――掬ばれた『絆』は、強く、あたたかい。
彼らは、少女の進む道を示したのみではない。
確かな明かりを灯し、その迷える背中を押したのだ。
●絆05
鈴が学園に残ると決めてから数日。
ある日、学園に一通の書簡が届いた。
それはとある冥魔、若里鈴にディアボロを貸与し、彼女を殺害しようとした、ルクワート(jz0277)からのものであった。
内容は、冥魔を見知った者、見知らぬ者、含めて全員が目を瞠るもの。
――――――――――――――――――――――
あんなことをしてごめんなさい。
誰かにとっての大切なひとを奪ってしまう所でした。
これからはあなたも、大切なひとを大事にしてね。
――――――――――――――――――――――
別の箇所、別の場所で、改めて掬ばれた『絆』によって繋がった縁。
それは貴く煌めき、やわらかな光を放つ。希望や期待、まやかしとは異なる確かな未来。
家族の『絆』と、友の『絆』。
様々な糸と意図が織り紡がれて、人生は築き上げられている。
生命の灯火が華やかに咲く今。
――救済を謳うヴァニタスは、芽吹く春を見詰めながら穏やかに笑った。
『了』