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マスター:相沢
シナリオ形態:シリーズ
難易度:難しい
形態:
参加人数:8人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2015/03/21


みんなの思い出



オープニング

●エンディングまでどれ位?
 ほうら、もう少し。

●×××
 兄は哄笑を続けていた。響く笑い声。怒声は勝手に口を吐いて出たが、会話にはならなかったし、そもそも何を話していたのか記憶にすらない。
 ぴくりとも動かない彼女が、既に亡くなってしまっているのだと、認識するまで少しばかり時間が掛かった。思考回路が麻痺して、理解することを脳が拒絶しているかのようだった。
「どうして」
「俺じゃ嫌だって言ったんだよ、この女。じゃあ仕方無いだろ?」
「何言って、」
 答えは本当は得られていた。無いものだとばかり思い込んで、思考を停止させて逃げ出していた。
 そうだ。そんな無茶苦茶な理由で彼女は。
 殴り掛かろうとしたら、叩き付けられる衝動。壁に弾き飛ばされて、痛みに息が詰まる。口から溢れ出す鮮血は、彼女が流したものと同じ色。空いた風穴、彼女の生命はただただ溢れ出していく。

 ――結局、最後に生き残ったのは俺一人。兄は、俺を一頻り痛め付けた後、どこかへ消えた。生かしたのは温情でも何でもない、ただ面倒臭かっただけだろう。

 死んではいない。けれど彼女を喪い生きてもいない俺を、見付けて捕まえたのはひとりの女だった。
「きみも寂しいんだね、アベル」
 笑う、笑う、笑う。俺の名前じゃあない。女は痛ましそうに笑って俺を見て、俺の首に手を掛ける。ああ殺されるのかとか、弟殺しのカインとその弟アベルなんて、冥魔のセンスにしろとんだお笑い草だとか、色々な考えが錯綜する中、視界は真っ白になった。

「――もういいよ」
 彼女の声がする。
「――まだ駄目さ」
 兄の声がする。

 いつまで経っても歯車は止まらない。欠けたパーツは戻らない。
 彼女がよくよく描いていた絵本。売れ行きの程は知らないけれど、それなりに名の知られた童話作家だった彼女。それを手に――俺は、人を殺める。
 ああ、なんて傲慢。なんて愚行。俺がしてきたことは、俺がしていることは果たして、”救い”になっているのか、彼らに求める行為は”救い”に繋がっているのか、徐々に減っている頁を前にすると、不明瞭になっていく。
 救えなかった。だから、救いたいと願った。

 ――救われたいとは、最初から、願わない。

●ヴァニタスの招待状
「異例も異例、何かもう頭抱えたくなる状況になりました、と」
 キョウコ(jz0239)が言葉通り頭を抱えながらデスクに書類を広げると、それを見ていた数名は納得したように目を細めた。
 ――ヴァニタス・アベル(jz0254)からの招待状。
 否、少々趣向が違うか。アベルから、ルクワート(jz0277)を誘うよう促す招待状。
 概略はこうだ。ルクワートを学園で保護して欲しい、ただそれだけ。
 余りにも突拍子もない内容に、数名は驚きに目を丸くする。キョウコはこめかみに指先を宛てがいつつ、深いため息を漏らす。
「意味判んないよね。それにルクワートは確かに交戦履歴に近いものこそあっても実際に人を殺したり、敵対行動を取ったことはない。でも、それは撃退士相手にだけだよ。この間の事件――スズちゃんの時には、躊躇いなくあの子を殺そうとしたって言うじゃん」
「そう、ですね」
 キョウコの言い分は尤もだった。ルクワートは表立った危険因子では無いにせよ、不確定要素が多過ぎる。そも、ヴァニタスが主たる悪魔の保護を訴えるなんて前代未聞だ。
 どうやらアベルからの手紙によれば、彼は彼自身の『保護』は望んでおらず、寧ろ敵対を望んでいるようにも受け取れる。
「どうするの?」
 撃退士の尋ねる言葉に、キョウコは唸りながら頭を掻き、一度唇を引き結ぶと表情を崩し、更に深々と嘆息を吐いた。
「……まあ、アプローチを掛けるのは構わない、と思うよ。アベルの手紙が正しいなら、ルクワートは学園生に好意を持ってるし、言うことは良く聞くみたい。――ただ、ルクワートを引き込むからって言ってアベルも一緒に、っていうのはだめだ、有り得ない。あいつはどんな理由があれ、人を殺し過ぎてるんだよ」
 苦々しい表情でキョウコは言い、それから視線を伏せる。今にも泣き出してしまいそうな表情で言った彼女は、撃退士らの視線に気付くと不器用な笑みを作って顔を上げた。
「肝心なのは、ルクワートに”してはいけないこと”を教えること。そうして、撃退士側は”アベルを討伐することになるけれど、それを納得する理由を伝える”こと。前者もそうだけど、後者は特別大変だよ。あの子はアベルを溺愛してるみたいだし、だからこそ反発は凄いと思う。いかにして言い包めてルクワートを懐柔し、今後アベルを倒すか――そんな所かな」
 言い切ったキョウコは、どこか憔悴した表情をしていた。
 結局の所、彼女にとってアベルは敵であり、けれど同じ意志――ひとを救いたいということ、を持つ同志でもあるのだ。遣り方は違えど、彼女はアベルの行為が完全に間違いだと否定は出来ない。
 生きてさえいれば幸福だなんて、口に出すことすら残酷な人間もいる。それなら、生きることを諦めるなら、彼の行う『救済』に添って、撃退士らが本来の意味での『救済』――死者を取り巻く環境へ一矢報い、次なる犠牲者を出さないよう努めることも必要なのではないか。
 そう考えると、今のキョウコには答えが出ない。
「……もしもルクワートがこっちの味方についた場合、アベル側の戦力が大きく削がれるんだ。そうしたら、アベルを倒すことが少しでも楽になると思う。だから、今回の作戦は成功が必須と言ってもいい。アベルがどんな思惑で私達にこの手紙を寄越したのかは知らないけど、罠や何かを仕掛ける奴ではない、と思ってる」
 そこまでキョウコは言うと、苦く笑って書類をデスクに置いた。
「頑張って。これ以上、犠牲を増やさない為にも。それから、過去の犠牲を無駄にしない為にも、ね」
 言葉は重い。けれど、進むしかない。それは純然たる事実だった。

●ゆめのはじまりはいつだって
「アベルアベル、もう少しで絵本の頁が埋まるんだねっ。楽しみ!」
 銀髪の女性――ルクワートの言う通り、アベルの持っている絵本の白い頁はそろそろ埋まろうとしていた。
「そうだね」
「それじゃあ、ずっとずっと遊んでくれるんだね。もうちょっとで!」
 無垢な表情で言うルクワートを尻目に、アベルは優しく笑った。
 憎めない。憎もうと思えば理由は幾らでもある。自身を殺した相手。悪魔。それなのに憎めないのはきっと、彼女が余りに無知で、無垢で、真白の雪路のような心を持っているからに違いない。
 だからこそ彼は、学園に彼女を託す。

 そうして、――――最期の最後まで、救済を、望むのだ。

 救えなかった。得られなかった。だから、代替品のように彼は死者を生かす。死した生者をも、別の形で生かす。そうすることで得られるものは魂の安寧。撃退士たちによって”真の救済”を得られればきっと、報われない生を歩んだ憐れな人間たちが救われると、信じて。

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リプレイ本文



 冥魔から冥魔の保護を託された、という事実。
 それをキョウコから聴かされた一同は、三者三様に反応を示した。
 皆口数は少なく、物思いに耽る者も多い。
 安瀬地 治翠(jb5992)もその中の一人だ。
(保護ですか……らしいとも言いますか)
 表には出さずとも、胸中では苦笑い。かのヴァニタスが言い出しそうなことではある。
 自ら手は下さず、他者へ――撃退士に頼る。最近の彼には顕著な行動だった。
(アベル、どこまで自分本位な……それだけ自分のことで精一杯なのかも知れないが)
 久遠 仁刀(ja2464)は目を細めつつ思案する。報告書にざっと目を通しはしたが、最近のアベル(jz0254)の行動はどこかがおかしい。何かの焦りさえ感じさせると思えば、人を助けるといった、冥魔らしからぬ、けれど彼らしい行動を取っている。
 結局の所、真意は不明。それを確かめるべく、彼らはその冥魔の主の元へと向かうのだ。
 彼の望む結末は果たして。



 それなりに繁盛している喫茶店。事前に予約で、角の方、人が多く座ることの出来る席を選んだ。着席して待つ撃退士らが口数も少なく冥魔の訪れを待っている最中――、不意に背後からはしゃいだ声がした。
「だーれだっ!」
「わっ、……ルクワートでしょ! 久し振りー!」
 席に腰を据えるアリーチェ・ハーグリーヴス(jb3240)の目許を掌で隠し、嬉しそうな表情で笑い掛けるのは、ルクワート(jz0277)。長い銀髪を靡かせ、はしゃいだ様子で手を外して振り向いたアリーチェに笑顔を振り撒く。
「よう、ルクワート嬢ちゃん。元気だったか?」
「おじさま! 元気だったよ、最近は楽しいことが沢山あったの!」
 グィド・ラーメ(jb8434)の言葉に応じるルクワートはやわらかく頬を綻ばせ、招かれるままその空いた隣に腰を下ろす。
 ――楽しいこと。
 彼女の言うそれに心当たりのあった治翠は僅か眉を顰めるものの、直ぐに隠し、用意して置いた一輪の花をアウルで精製した氷に閉じ込め手渡す。
「先日振りです、ルクワートさん。どうぞ」
「わっ。お花が氷の中に入ってる! かわいい!」
 きらきらと眸を輝かせそれを見詰めるルクワートは、まるで極普通の人間、それも幼い少女のようだ。とてもじゃないが、人を容易く殺めようとした冥魔には見えない。けれど、彼女は冥魔なのだ。
「久し振りじゃな、ルクワート。招きへの応じ感謝じゃ」
「こちらこそ。友達に誘って貰うなんて初めてだから、嬉しくて!」
 鍔崎 美薙(ja0028)の言葉に対しはにかみ笑う冥魔は、周りから勧められるがままに紅茶と菓子を注文する。頼んだのはショートケーキ、一粒だけ、宝石のようないちごが乗った可愛らしいそれ。
「や、ルクワート。また逢えて嬉しいよ。先日は話せず仕舞いだったが……元気なようで何よりだ」
 アルドラ=ヴァルキリー(jb7894)もまた、先日の事件――とある少女がディアボロを使役して街を破壊した際に関わった撃退士のひとりだ。その際彼女は意識を失っていたが、ルクワートが現れたということ、彼女が少女を殺そうとしたこと、については耳に入っている。
 そも、それについては皆同じだ。ある程度の外殻は攫めている。しかしながら、彼女がどういった理由でアベルを慕っているのか、彼女がどういった理念を持って行動しているのか、については未だ攫めてはいない。
「お久しぶり、ね。ルクワート。また逢えて嬉しい、わ」
 微笑みつつ、やわらかく、けれどぶれない芯を湛えた矢野 胡桃(ja2617)は言った。
 挨拶と雑談を交わす面々を尻目に、軽い返事を返すのみで留めた時入 雪人(jb5998)はつぶさに彼女の様子を観察していた。
(皆がどう動き、彼女がどう反応するか。それを客観的に見極めることが出来るのは、――最も彼女や彼を理解していないやも知れない俺だ)
 雪人はアベルやルクワートと接した機会が少ない。だからこそ、出来ること。深入りし過ぎず、感情移入し過ぎず、冷静に判断する。
 そうすることで、親友であるハル――治翠の背中を押す手伝いが出来るかも知れない。
 いつも彼の後ろに隠れているからこそ、その後押しをするのはきっと、簡単だ。
 当主としてではなく、一人の親友として。
(俺は君の翼になるよ、ハル)
 雪人の真意を知ってか知らずか、ふと目が合うと治翠は僅かに笑った。頼れる友に、背中を託すかのように。

 ――他愛無い雑談を経て、カップの中身が半分程減った頃だろうか。

 先ず、判ったことがある。
「アベルの坊主は最近どうだ?」
「それがね、最近なんだか元気が無いみたい。折角絵本がそろそろ埋まるのに、嬉しくないのかな」
 絵本の頁が埋まる。以前から幾度も繰り返し言われていることだ。
 グィドの問い掛けに対しどこか寂しげに言うルクワートに、アリーチェはさも不思議であると言ったていで小首を傾げて問い掛ける。
「っていうかさ。ルクワートにとって、撃退士は友達だけど、アベルはトクベツな存在なんだよね? なんでアベルだけが、そんなにトクベツなのかな?」
 トクベツ。その言葉に目を丸くしたルクワートは、そんなことは考え付かなかったという表情で黙り込んでいる。
 ――魂を分け与えたヴァニタスだから?
 ――アベルの性格が好ましいから?
 ――アベルがルクワートと一緒にいてくれるから?
 投げ掛けられる質問、最後の最後で小さく頷いたルクワート。
「アベルは結局の所、何を望んでいるんじゃろうか? ――あやつはあたし達に何かをして欲しいと望んでいる。それは、救済に関わることじゃ。だが、救済と一口に言っても色々、それを考えることが最近は特に多いでな、原点を聴かせては貰えぬか」
 一歩踏み出して切り出したのは、美薙。
 撃退士達が知りたいのはルクワートの真意だけではない。アベルの真意も同じだ。
 アベルの真意を知れば、何故ルクワートの保護を望むのか、何故救済と呼ぶ行為をするのか、その全てに繋がる糸口が見えるやも知れない。
「……アベルはねえ。助けられなかったひとがいるの。大事で、大切で、大好きだったひと。そのひとが殺されて、自分だけ生き残っちゃった。そのとき――悔しくて、哀しくて、辛くて、寂しくて、泣いてる声が聴こえたから、わたしはアベルを見付けたの」
 彼には兄がいて、兄は彼の最も大切なものを奪ったという。
 カインとアベルという物語の一節がある。兄と弟。
 ――それをいびつになぞらえたのがルクワートだ。
 兄であるカインは弟であるアベルが神に捧げた供物――愛を受け取ったことを嫉み、自身の誘い、蛇の甘言を受け入れなかった神に対し憤りを覚えた。だから、カインはアベルではなく神、――弟にとって、世界で一番大切な存在を、殺めた。それがアベルを最も傷付けられる行為だと知っていたから。そもそも別段、兄は神を愛してなどもいなかった。唯の、興味本位、唯の自分本位。それ故理不尽で、傲慢。
 それが、”アベル”というヴァニタスの名の根本であり、アベルという存在の根本。飽くなき執念で救済を叶え続ける、アベルの原点。
「アベルはねえ、可哀想な子なの。わたしとおんなじ、ひとりぼっちで寂しくて、だからわたしが助けてあげたの。……あの子はずうっと、誰かを助けることに夢中だけど」
 そこまで聞けば、敏い治翠は先読みが効かずとも判る。仁刀とて同じだ。彼女の性格をある程度知ることが出来ているグィドも、そう。
 特に仁刀は、彼女の本質を十二分に把握していた。それも、ごく短期間で、自然に。見抜く慧眼は、随一のもの。
 ――彼女は、『誰か』に愛されたいだけ。アベルは都合の良い相手であっただけで、本当の所は誰だって良かった。
 恐らくそれが事実であり、その結果がこれだ。
 ルクワートはきっと、アベルのことを愛している。愛してはいる。いびつながらも情は掛け値なく注ぎ、余りにも拙いものではあるが、それは恋慕と呼んでも良いだろう。
「ねぇ。ルクワートは、好きな人の事が。アベルの事が大切?」
 不意に尋ねた胡桃に、ルクワートは目を瞬かせる。
 胡桃は、好きな相手が、愛している相手が大切だ。きっと、その気持ちはルクワートとて同じだろうと思う。
「私はね、思うのよ。好きな人の幸せを願うのも、大事だって」
「アベルの、しあわせ?」
「そだね。絵本が完成したあとは、今と何が変わるのかな? 前は何だっけ、――”アベルの物語はおしまい、もう怖がることも、哀しむことも、何にもなくなる。”とか言ってたけど、自我がなくなるってことかな?」
 ――それは、アベルにとって”も”幸せなこと?
 そう胡桃に追従するよう尋ねたアリーチェに、又もルクワートは黙り込む。
 絵本の頁が一杯になったらアベルと遊ぶ、そう言っていた彼女。
 その先にあるものが本当に自我の喪失であるのだとしたら、それは、幸せとは程遠い。
 美薙は問い掛けようとした唇を閉ざし、一瞬彷徨わせた視線を真っ直ぐルクワートへと据えた。返される言葉を真摯に受け止め、同じく言葉を返す為だ。
 そしてアリーチェもまた、続けようとした言葉を止める。
 ――何にも感じなくなったアベルは、人形と変わらなくない? 人形とずっと一緒にいて、ルクワートも楽しい?
 先日までの受け答えを聴くに、ルクワートであるなら二つ返事で嬉しげに頷いてしまうだろう、そう感じ取った為だ。
「君の知るアベルと、俺達の知るアベル。そこにズレがあるから、きっと色んな祖語が生じるんだよ。彼の本心は、そこにあるのかも知れないね」
 雪人は考えを巡らせながら、ルクワートを落ち着かせるように言う。
 まるで何かをひた隠すように、撃退士にも主たる冥魔にも真意や真実を告げないアベル。
 今回撃退士らが考える命題のひとつ、アベルの救済。――それを望む者が、相談の結果多かった。けれど、その内容はそれぞれだ。アベルと同じく死を以て救済とする者もいれば、生きることを救済だとする者もいる。
 目の前にいるルクワートは恐らくアベルを最も知る人物であり、ゆえに彼女の記憶と知識を借りなければならない。
(彼の物語は、もう直ぐ完結するのかな? ――俺達からも、ルクワートからも、作者の手を離れ、自らの答えを導き描く、そんな物語)
 雪人がルクワートを導くそのバトンを引き継ぎ、治翠はゆっくりと口を開いた。
「どうしてアベルは貴女に私達と会うように言ったのでしょうか……」
 あくまで穏やかに、あくまで静かに。
 治翠の言葉に、ルクワートは眉を顰めて困った表情を浮かべる。
 けれど、それは治翠の作戦の成功を意味している。
 ――彼女に”思考”させること。
 言わば彼女はいつだって思考停止。何も考えることなく、ただひたすらに思うがままに行動し、口を開き、まるで幼子のように振る舞うルクワート。
「アベルが何を考えての行動か、近くにいる貴女の中にあるのでは。一人で考えるのではなく一緒に考えましょう」
「……アベルが、お友達と仲良くするよう手伝ってくれたのかと思った」
 単純な思考だ。けれど、それは答えではない、そう彼女は理解した。
 ルクワートは無垢で、幼い。だが、それだけで他の冥魔から排除されるかと言えば否だ。冥魔は数多くおり、性格も千差万別、別段彼女が一際変わっているというわけでもない。
「アベルから何か、言われたことは無いのか? ――例えば、冥界での環境や、ルクワート自身に対して」
 仁刀の質問には意図があった。
 何故ルクワートの保護が必要であるのか、理解に苦しむとまでは言わずとも、巧くくみ取ることが出来なかった。危ういまでの幼さは確かに危険視出来るが、それは撃退士側の価値観であって、冥魔側からの観点ではない。
 そも、ルクワートの話が事実であるなら、アベルはルクワートに無理矢理ヴァニタスにされたということであり、憎んでいてもおかしくはない。それなのに、どうしてアベルは彼女の保護を望むのか。
「言われたこと、ある、な。……きみは成長した方がいい、って。ひとりになっても、生きていけるよう。寂しくないよう。アベルがいなくなっても、って――……そんなこと出来っこないって、わたしは泣いちゃったけど」
 不安げな眼差しを下ろして食べ掛けのケーキを見詰めるルクワートは、今にも泣き出しそうな面持ちで唇を噛み締める。握り締めた拳は、自身の膝の上で震えている。そんな彼女の手を握り、宥めかすよう包んでやるのは隣に座っているグィドだ。
「なあ、ルクワート。……これは私からの友人としての誘いなんだが……学園へ、来てみる気はなかろうか?」
「え?」
 アルドラの誘いに、ルクワートは顔を上げた。動揺と、困惑。それら二つが雑じり合った表情でアルドラを見詰め、彼女は口籠る。
「アベルは、いっしょに……」
「彼は彼なりにやることがあって、そこに大切な者を危険な目に遭わせたくはないのだろう。それはここに来ない、つまりは何かを抱えているのかも知れんことから予想がつく話だ。……それを私は、私達は解決したい。だが、我々だけでは恐らく難しいかろう」
 大切な者。恐らくそれも間違いでは無いのだろう、邪険に扱いつつも、ルクワートを完全に拒絶はしていないアベル。そのことから容易に想像がつく。だからこそ複雑な心境を抱えつつ、アルドラははっきりとした口調で続けた。
「そこで、貴女の力を借りたい」
「そう。話を、しましょう。ルクワート。貴女と……そして、アベルの為に」
 繋げた胡桃の穏やかな台詞。ルクワートはきょとんとした顔で彼女らを見詰め、それから隣にいるグィドに対し小首を傾げた。
 グィドは僅かに苦笑して、それから握った掌に軽く力を篭めて落ち着かせるよう努めてやる。
「人間を殺したこと、死んだ人間でディアボロを作ったことなんかに関しては悪いことだ。……だけどな、救済を行っていたアベルが全面的に悪いとは言い切れねぇ」
 生と死、二つは相容れないものだ。
 けれど、生き続けることの出来ない者から乞われて叶えたアベル。それを完全なる悪と断じることは、出来ない。善であるとも言えない。
 それは安楽死を是とするか否かという問題と似ている。
「アベルの坊主やルクワート嬢ちゃんを知っている、少なくとも俺達はそう思う。……俺とルクワート嬢ちゃん、背中を預けあった仲、だろ?」
「うん、……」
 ディアボロを造ることは悪いこと。救済をすることは悪いこととは言い切れない。
 その言葉を噛み締めるようにして聴くルクワートを見て、雪人は少しばかり安堵した想いだった。
 考えることをやめているように見えた彼女。それが、思考し、思案し、迷っている。
 それは大きな進歩と呼べるだろう。
「俺達は撃退士だが、ルクワート嬢ちゃんやアベルの坊主を積極的に倒したいとは思わない」
「……やっぱり、みんなはアベルやわたしを本当は倒さなくちゃならないの?」
 グィドとルクワートの会話を聴きながら、治翠もまた、複雑な思いで場に佇んでいた。
 アベルを討伐した上で、ルクワートが一人で生きてゆける道を模索すべきとも、彼は考えているのだ。――だが、より良い道があればそれも良い。そう、仲間たちの意見を見詰め直し、尊重することも大切であると思った。
 ルクワートと目線を合わせ、グィドは真摯に続ける。
「いんや。ルクワート嬢ちゃんが協力してくれれば、俺達はアベルの坊主を倒さなくても良くなるかもしれない。――俺達と一緒に、アベルの坊主自身を救済する道を探っちゃくれねぇか?」
 その言葉に、ルクワートが瞬きをやめた。それからゆっくりと目を細め、唇を小さく噛む。
「アベルが大切なら、アベルが行う救済の意味を、俺達も含めて互いに考えなければならないと思う。俺達もアベルの”救済”の奥底や意味を知りたいし、あいつとどう向かい合うべきか考えている」
 継いだ仁刀の言葉にルクワートは握り締めたグィドの手に力を篭める。心細そうに唇を結ぶその表情に、グィドは落ち着かせるようぬくもりを返した。
 伏せられた目蓋、その眦からつうと滴が伝う。
「…………それが判れば、アベルと、いつまでも一緒に居られるの? ”救済”を終えても――絵本の頁が埋まっても、わたしが繋ぎ止めなくても、アベルはわたしと一緒に居てくれるかも知れないの?」
 それは未来の傀儡をやめる、という意思表示。
 ルクワートは、無理矢理にでもアベルを繋ぎ止めて傀儡としてまでも、ただの人形にしてまでも傍に置きたかったと口にする。
 唯のままごと、唯の偽り事。
 彼女の感情の吐露を聴き終えた美薙は、空になった彼女のカップに紅茶を注ぎつつ、目を細めて穏やかに言った。
「アベル一人で救うからこそ、手段がディアボロにするしか無いのかもしれない。その結果、アベル自身が苦しむいう事はないじゃろうか?」
 ルクワートには、心当たりがあった。哀しげなアベル。物憂い気な彼。ディアボロを造ることがどうしてそんなに悲しいの――そう聴いたことだってあった。
「他者が死ぬ事を望むから、殺す。だが、それは本当に相手の為になるのじゃろうか? 一年後あの時死ななくて良かったと言える可能性を潰す事にはならぬか。――死なずに済む救いの路を探す事も出来よう、先日の姫のようにの」
「それは……」
 それは、違う。そう言い掛けた唇を、ルクワートは閉ざした。
 何故ならば、美薙の眼差しは凛として、芯を確り持っていたからだ。
 きっと、彼女なりの意思があり、意志があり、だからこそこうして言ったのだろう。
 幾度も幾度も行われて来た救済を傍目から見ていたルクワートは、アベルの救済の意図が、少しだけ判る。
 何故乞われるまま殺し、ディアボロ化させるのか。何故死んだ人間をディアボロ化させるのか。
 判ったところで、彼の全てを知り得ることにはならない。だから、ルクワートは敢えて黙り、曖昧に頷いた。
「ねえ。ルクワートは友達がもっとほしい、と思ったことは、ない?」
 不意に、胡桃が声を掛ける。ルクワートは眦から落ちる涙を払い、顔を上げた。
「学園なら、沢山友達が出来る、わ」
「ともだち」
 茶会に訪れた撃退士を友達だと信じ、そう考えているルクワート。
 彼女はアベルに対し特別執着を抱いているが、それはあくまで執着であり、恋慕や情とは限りなく近いが、やや異なるのやも知れない。一切無いとは言わない、だが、根本的な所が違う。
 そう感じていた仁刀は、真っ直ぐルクワートを見詰める。
「そうだ。アベルを”全部自分のものにする”のは、友達とは違う。恋人とも違う。意地悪な言い方だが……無理矢理に手中に収め、傀儡にするのは良くないんじゃないだろうか、と俺は思う」
 根本を理解している――けれどまだ自身の中で推察の域を出ていない仁刀は、言った。
 ルクワートはその言葉を反芻し、それから静かに目線を落とす。食べかけのケーキ。転がったいちご。手に入れたかった理由。問い質されると、全てが曖昧になってくる。
「そ。”自分のものにする”っていうのは独占欲。”ずっと一緒にいる”っていうのは依存。それって一方通行なんじゃないかな。アベルは本当は、望んでないのかも? ――ほら、アベルってマゾいから、苦しみ続けたそうじゃん」
 最後は冗談めかして、アリーチェは笑う。ルクワートを傍から見てみれば、独占欲も依存も変わらない。それ自体を理解させることが本題で、アベルが望んでいるかいないかはまた別問題。
(ドマゾいアベルと、頭のネジがぶっ飛んだルクワート。案外この先愉しくなってくるんじゃない?)
 アリーチェからすれば救済なんて興味も無ければ関係もない、それが本音。けれど表に出さなければ問題は無いだろう。
 その場の愉しみ、悦びが全て。ルクワートと同じく冥魔である彼女にとってはそんなものだ。
 ――そうして、当惑しながらも必死に考える白の冥魔を前に、美薙は薄く笑って問い掛ける。
 立てて差し示すは一本指。
「のう、ルクワート。おぬしは例えば、十年後、あるいは百年後どうしていたいじゃろう? ……なに、難しい事じゃなくて良いのじゃ」
「うん?」
「今よりも強くなりたい、友と気軽に茶会をしたい、誰かの隣に居たい。どうじゃろう? あたしか? あたしは、十年後、今のあたしに少しでも誇れるようになりたいぞ」
 立てられた指をじっと見詰めて聴いていたルクワートは、唇を引き結ぶと意を決し、手を伸ばし、その指先を握る。
「……わたしは、ひとりぼっちでいたくない。誰かと、……誰かに、傍に居て欲しい」
 絞り出した声は、決意の言葉。

 ――ルクワートが、漸くと一歩前に踏み出した証であった。



 学園に入ることとなる場合においての、ルクワートが守るべき約束。
 それは幾つかあった。彼女にとって普通であっても、人間にとっては普通でないこと。

 人を殺してはいけない。
 ――誰かの大事な人を殺めてしまっては哀しいから。

 ディアボロを造ってはいけない。
 ――誰かが死んだ後の哀しみの果て、また誰かが死ぬ可能性があるから。

 グィドは用意していたイラストをルクワートの前に置き、指を差しながら仲間の説明の補佐をする。
「哀しいのはお好きですか? 否なら、つまり誰かにとってもそういうことです。誰かと友達になる為に、誰かの哀しい事をしないようにするということ」
 治翠の説明に、ルクワートは眉根を寄せつつも必死に頷く。
「大丈夫です。わからない時は私達が教えますから」
 彼のやわらいだ表情を前に、ルクワートは強張っていた表情を崩し破顔する。
 息抜きと、グィドが紅茶を勧めるとルクワートはその優しさに涙ぐみながら紅茶のカップを手に取った。
 どれ程長い間彼女が冥界で孤独を噛み締めていたのか、撃退士たちは未だ理解することが出来ない。唯、計り知れない程の寂寥が彼女を支配していたということだけは、痛い程判った。
「楽しく遊ぶ為に、守って貰わなければならんことは多い。だが、それを守ることによって貴女は我々の仲間になることが出来るのだ。迎え入れる為にも、覚えておいて欲しい」
「うん、……みんな、それを守ってるんだね」
 アルドラのフォローを聴きながら図解された様を見詰め、ルクワートはほうと息を吐く。
 それがルール、それが約束。そう示されれば、守ることは別段厭う様子は無いようだった。
 根本的な所で無垢過ぎて、幼過ぎる。そんな彼女ゆえに、何故してはいけないのか。した結果、どうなるのか。その点を教え込むことが非常に大切だった為、彼らの説得は有効と言えた。
「皆、大事な人がいるんだ。君にアベルが居るように、俺達にも大事な人が居る。その人たちを護る為にも、このルールは遵守しなければならない」
 雪人の静かな物言いに、ルクワートは紅茶に口を付けながら小さく頷く。
 たいせつなひと。だいじなひと。うしないたくないひと。
 今まで彼女の中に、アベルしか存在していなかったもの。
 その中に、今は――”友達”が加わっている。
 別に、相手からそう思われているか否かは彼女にとって問題では無い。ルクワートにとって大切であるか否か。それが、第一のポイント。
 だからこそ、更なる斬り込みが必要だった。
「人の叫びを聞くのと、こうしてお茶を飲んで笑い声を聞くこと。君の白い心には、どっちの『色』の方が染みわたるのかな?」
 問い掛ける雪人に、ルクワートは視線を巡らせ思案した。
 カップを手にしたまま、暫し考え――それから、出した答えはひとつ。
「――こうしてみんなで笑えたら、一番楽しいね」
 いつか見た夢のように。ルクワートは微かに笑って言うと、「アベルにも居て欲しいけれど」と寂しげに呟く。
 元が執着、依存の類とはいえ、深く思い入れがあるのは事実。そう簡単に切り離せるものではない。撃退士がアベルを有無を言わさず討伐すると言えば、ルクワートは決して首を縦には振らないだろう。それどころか、和解も無に帰し、敵に回りかねない。
 んー、とアリーチェが口許に指先を宛てがいつつ言う。
「ルクワートはそうは思ってないかもしんないけど、悪魔とヴァニタスって、結局は主従関係じゃん。ニンゲンって、本音と建前があるから、力関係が介在すると、本心って言えないんだよね」
 そうね、と返すのは胡桃。実の所、かのヴァニタスの幸福を願う胡桃にとって、そこは譲れない場所でもある。アベルの真の意味での救済、束縛からの解放。
「オトコとオンナの仲が拗れた時は、いったん距離を置くのがいいんだって。ずっと近くに居すぎるより、ちょっと離れてみたほうが、うまくいくこともあるんだってさ」
 敢えて意図して話題を外して、アリーチェは笑う。悪戯っぽく、冗談めかして。
「学園にはその道のタツジンがいっぱいいるし、ちょっと試しに来てみなよ!」
 この先どうなるか、それが彼女にとっての興味の対象。だからこそ、ルクワートが学園に来て、アベルとの関係がどう変化していくか。それは正しく見ものだった。
 ルクワートは目を丸くしていたが、その勢いに圧倒されたのか、おずおずと頷き、カップをソーサーに置く。
「ねえ」
 胡桃の声にルクワートが顔を上げると、彼女はひどく切なげな表情で笑んでいた。
 その手には絵本、タイトルは――幸福の王子。
「アベルは何を望んでいると思う? このまま救済を続けていくのは、彼の信念かもしれない。でも……」
 他者の幸福を願い、自身の身をすり減らしていった幸福の王子。
 その絵本の頁を広げ見せながら、胡桃はゆっくりとルクワートへと語り掛ける。
「その先にはきっと、アベル自身の『救済』はない、んじゃないかしら……」
「……そうなの、かな」
「アベルは、沢山の人の願いを叶えてきた、わ。けれど、それはきっと、彼自身の何かを、犠牲にして来た、んじゃないかしら」
 哀しげな面差し、時折泣き出してしまいそうな顔をして、胸を痛めていたアベル。
 覚えがあったルクワートは、同じく今にも泣き出してしまいそうな顔になる。
 アベルに幸せになって欲しい、そう、ルクワートは初めて願った。
 隣で心から笑って欲しい、そう、ルクワートは初めて願った。
「なら――」
 するべきことは、アベルの”救済”を、止めること。
 そうでなければ、彼が撃退士の討伐対象から外れることは無いだろう。
「罪を犯した奴が絶対悪い、白か黒かみたいな二択だけで判断できる綺麗な世の中じゃねぇよ。善悪なんて当人の意識でどんな色にでも変わるもんだ」
 そう言ったグィドも、過去には様々なことに手を染めて来た。だからこそ言える台詞。

 こうして、ルクワートの指標は決まった。

 学園へはぐれとなる話は受け容れるが、一度保留として、再度また茶会の機会を設けたいと言う。今後どう動くにせよ、彼女が照らされた新たな道へ進むことを決意したということには変わりない。
 そうして、撃退士の目指す終着地点は――――。



 気付けばグラスに入れていた氷は溶け、中から閉じ込められていた花が顔を覘かせ始めていた。
 ――時間が経てば氷は溶ける。閉じ込め直しても再び溶け、繰り返してもいつか終わりは訪れる。いつまでも閉じ込めていることなど、出来やしないのだ。
 それは、冥魔も、そのしもべたるヴァニタスも。

「ルクワートさん、貴女はどうしたいですか?」

 治翠の問い掛けに、ルクワートは目を細めた。
 頬は乾きかけた涙で濡れている。流した滴の分だけ、彼女は前に進んだ。
 大きな一歩、大きな成長。この茶会の中で彼女が遂げた進歩は、大きい。

 ――救済を謳うヴァニタス、アベル。

 彼を戒め動きを止めさせていた歯車は、静かに音を起てて動き始めている。



『続』


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: 撃退士・久遠 仁刀(ja2464)
 華悦主義・アリーチェ・ハーグリーヴス(jb3240)
 豪快系ガキメン:79点・グィド・ラーメ(jb8434)
重体: −
面白かった!:8人

命掬びし巫女・
鍔崎 美薙(ja0028)

大学部4年7組 女 アストラルヴァンガード
撃退士・
久遠 仁刀(ja2464)

卒業 男 ルインズブレイド
ヴェズルフェルニルの姫君・
矢野 胡桃(ja2617)

卒業 女 ダアト
華悦主義・
アリーチェ・ハーグリーヴス(jb3240)

大学部1年5組 女 ダアト
花咲ませし翠・
安瀬地 治翠(jb5992)

大学部7年183組 男 アカシックレコーダー:タイプA
撃退士・
時入 雪人(jb5998)

大学部4年50組 男 アカシックレコーダー:タイプB
天使を堕とす救いの魔・
アルドラ=ヴァルキリー(jb7894)

卒業 女 ナイトウォーカー
豪快系ガキメン:79点・
グィド・ラーメ(jb8434)

大学部5年134組 男 ダアト