●e.g.白の原罪
(あかん、まだあかん。――まだ、全然足りんのよ)
それは文字通り渇望だった。飢えた心。饐えた心。
(重ねた罪にはこんな死では足りない。もっと残酷に、不幸に、――ああ、もっと私に罰を)
願いは純然たる白。秘めたる想いも白。
けれど、彼女の身体は血塗られていた。
彼女――宇田川 千鶴(
ja1613)は撤退中、その殿を務め孤立し、その生を終えた。
あっさりとしたものだ。人が死を迎えるのは、とても容易い。それが撃退士であろうと同じ事。ただ、そのキャパシティが幾分か大きいだけ。
ただただあっさりとその命を終えた彼女は――自責の念と、そして沸々と滾る怒りの中に、居た。
そこは、夢のような世界だった。白昼夢、かも知れない。走馬灯、かも知れない。
思い起こせばきりがない過去が幾つも幾つも舞い上がり、消え、朧げになっていく。
儚い泡沫のようなひとつひとつの思い出につまされながら、千鶴は唇を噛む。
アウルが顕現して、千鶴の世界は変わった。
特異な力を恐れる家族を恐れ哀しませ、喪失感を満たすという自己満足甚だしい理由から撃退士になり――結果、人であった、生き物であった、誰かの大事な存在であった”ものたち”を倒し、殺した。思い返せばきりがない。
言葉の一つも巧く伝えることが出来ず、動くだけで、行動するだけで、生きているだけで誰かの心や気持ちを傷付けてしまう、自分。
千鶴は自身が許せなかった。
千鶴は誰よりも自身が憎かった。
胸中に想いを秘める反面では自殺する勇気も無く、せめて誰かの為に――と。
そんな独善的な、それでいて非道く切ない願いを抱いていた千鶴は酷く、醜い死に方こそ相応しい――そう、思っていたのに。
「なんでこんなあっさり死んでしまうん?」
呟きに、返る声はない。
横たわる身体を見下ろす自分。
そうそう経験出来るものではないと、笑う余裕も無い。
――これでは、誰にも顔向け出来ない。
足りない、全然足りない。
気付けば眼前に金髪の男、アベルが立っていた。何所か、痛ましげに笑う顔。
「きみの望む救済は、随分と醜悪だ」
「……ええの。全部全部、救われないことが……私の望みや」
アベルの姿を直接見たことが無くとも、その名と姿は知っていた。
過去に屠った――人だったものの内のひとつの事件に、関わりを持っていた者。
「足りない、足りないんや。だから、」
千鶴は差し伸べられた手に、手を伸ばす。
受け皿が欲しかった。この身が潰えた今、新たな器が。
責めるなと言ってくれる大切な人たちが居る事を知っている。
ただ、千鶴がその言葉を受け入れられるのは遥か先に有り得たかも知れない未来にだけ。
今の彼女には理解出来ない。今の千鶴には、理解し得ない。受け入れられない。
――――彼女に与えられた名は、白襖の迷子<ロスト・ビューティ>。
迷ってしまった千鶴。道を失くしてしまった彼女。迷子の赤ずきんと同じ、いつの間にか誤って、いつの間にか見失って、いつの間にか傷だらけになって、綻んで、潰えてしまった。
アベルの手を取りディアボロ化した彼女は、ひどく脆く、けれどひどく強い。
ひたすらに再生能力に特化した存在。
それは、――自身への罰の為、何度も殺される為に得た力。
攻撃能力は無い。ただ、傷付けられ、その傷を癒し、そしてまた何度でも傷を負う。
(ごめんな……)
誰かへの――ずっと支えてくれていた恋人への謝罪を心中に抱きながら、彼女はその身に罰を刻む。
●e.g.暴食、貪欲、そして
「諦めたらあかんで、うちが護ったる。大丈夫や」
ディアボロの襲撃に遭い、降り積もった瓦礫の下。
ミセスダイナマイトボディー(
jb1529)――ミセスは、豪快に笑いながら、けれど痛みをひた隠し一般人に対して笑う。その雰囲気に圧倒されながら、一般人である子どもはこくこくと頷き、些かの安堵を見せる。
(あかんなぁ)
ミセスは思案する。
撃退士の超人的な力を以てしても跳ね除けることの出来ない瓦礫だ。ミセスは子どもをかばう際に脚を挟まれ、動けずにいる。後発隊たる撃退士が早く来なければ、何れ彼女と子ども諸共瓦礫に押し潰されてしまうかも知れない。
そんな状況でも尚、場を和ませようとミセスは笑っていた。
「おねえさん、痛そう……大丈夫?」
「大丈夫やで、気にせんでええから」
笑い飛ばす声は軽やか。
「大丈夫ですかー! 支援に参りましたー!」
漸くと響く後発隊の声。
ああ、助かる。これでもう、大丈夫。
そう考えたミセスは声を上げ、子どもにもやわらかに笑んでみせる。
「こっちやでー! ……な? 言うたやろ、大丈夫やって」
後発隊らの手によって、瓦礫が持ち上げられる。
ミセスの脚を挟んでいた重い重い瓦礫がゆっくりと持ち上がり――解放される。
けれど。
ミセスの心臓が悲鳴を上げる。突如見舞う不快感。
余りに長かった、長かったのだ。彼女が押し潰されて、既に数刻が経過。――そこで引き起こされるのは、クラッシュ症候群。
依頼前に食べていた多量の丼と、おやつの類も影響したのかも知れない。
どくん。一度大きく高鳴った胸。
そして彼女の心臓は、唐突に活動を止めた。
「……っ」
「おねえさん? おねえさんっ!」
不意に襲い来る眩暈のような感覚に項垂れるミセスに声を掛ける子どもの言葉も、もう彼女には届かない。
彼女は、死んだ。撃退士としての、ミセスは死んでしまった。
――余りに呆気無く、簡単に、彼女は死んだ。
ミセスは目蓋を開く。
夢現、走馬灯など見当たらない。
ただ、食べたかった。ただ、喰らいたかった。ただ、満たしたかった。
騙されて馴染まされたオーク因子。それが覚醒した死後のミセスは、闇の中彷徨い、一人の男を見付ける。金髪の男、ヴァニタス・アベル。
彼女はそんな男の存在すらどうだって良かった。
ただ、ただ、餓える。
眼前の男ですら、喰いたいと思った。
空腹で、満たされず、歪んだ感情は空虚感と反して増していく一方。
「あぁ、腹が減ってしもうて死にそうや」
「――それがきみの願いかい」
憐れみを孕んだ眼差しがミセスを穿つ。
「せや、早く、ディアボロにさせてくれへん?」
貪欲。獰猛な感情が彼女を支配しつつ在った。
それは、オークとしての本能。
「なる以外の選択肢がないんやろ? せやから、頼むで」
人を喰らい、やわらかな肉を食み、啜りたいという欲求。
それを制するようにアベルが手を翳すと、目蓋を伏せて笑った。
「……きみの二度目の生に、幸在らん事を」
闇の中、針の様に開いた小さな光にミセスは目を瞑る。
――――彼女に与えられた名は、貪欲なる雌騎<グリーディ・オーク>。
ディアボロと化してゆく中で、せめて、大切な人――イスル イェーガー(
jb1632)には、自身が判別出来ぬよう、ミセスは最後の理性で願う。
生前よりも一回りも二回りも巨大な体躯。弾けんばかりの肉体を揺らし、闊歩する姿。厳めしい甲冑。生前の面影は微塵も無い。
けれど、戦場で対峙したイスルには判ってしまう。
大切な存在。大切な――。
握り締めた機械剣を放さぬよう確りと攫み、イスルは唇を噛み締める。
「――……」
感情の起伏が薄い彼が、何を思ったのかは知れない。誰にも判らない。
けれど、ただひとつだけ判る事。
倒さなければならない。打ち倒し、屠ってやらなければならない。
彼は勇猛果敢に立ち向かう。彼女を、永久の餓えから救う為に。
●e.g.浮かべた笑顔は
――本当は、名声の為だった。
――本当は、母と共に見限られてしまった家族・親族を見返す為だった。
けれど、その道を進む内、共に戦う仲間、護るべき人々を救いたいという気持ちが生まれた。
一般人の救出依頼。
ディアボロに囲まれ絶体絶命、窮地に追い込まれた撃退士らは浅くない傷を負い、救うべき人々も震えながら傍らでただ脅え竦んでいる。
藤井 雪彦(
jb4731)は、それでも笑顔を振り撒き人々に言う。
「こうなったらボクの役目は決まってるネ♪」
飛び切りの笑み。だって、そこには女の子も、女性も、護るべき仲間も、人々も、全員が揃っているのだから。
そうであるなら、護らなければならない。傷をこれ以上増やさせるわけにはいかない。
「――そこまで長い時間は無理だけど……ボクが時間を稼ぐ! 退路を切り開いたら脱出するんだ!!」
独学で学んだ陰陽術。既に身に付いたと呼べるだろうそれ。
その力を駆使すれば、きっと可能だろう。
果て? ――判らない。
それじゃああなたはどうなるの、と問い掛ける一般人の女性の声に、雪彦は笑って返す。
「大丈夫、心配しないで♪ こう見えても経験(点)で言えば陰陽師で学園第三位なんだぜ? 逃げるくらい余裕余裕☆」
身を案じる女性の安堵の息を耳に、雪彦もまた表情を穏やかにする。
――こうしている間にもディアボロは迫って来ていた。
動く事の適う撃退士たちは、一般人を抱えて走る。その中には雪彦に不安の目を投げかける者も居たが、それを彼は笑って見送った。
「大丈夫だよ♪」
大丈夫、大丈夫。
繰り返す言葉はまるで言い聞かせるようで。
そして雪彦は、唯一人で、多くのディアボロを相手に一歩も退かず、正しく壁となって脱出の時間を稼ぎ切った。
けれど、その代償は、命。
余りに多過ぎた。複数の撃退士を窮地に陥れる程の数を相手に一人で対応等出来る筈も無かった。だからこそ、彼は一人で殿を務めたのだ。
(無事に逃げきってくれたらボクは満足……悔いはないよ)
ディアボロに身を食い荒らされながら、意識を散らしてゆきながら、雪彦は口許に笑みを湛える。
「――本当に、それで満足だったのかい、きみは。後悔は、何も?」
心の底からとも言える表情を目にしたアベルは憐憫を含めた眼差しで雪彦を見下ろし、呟く。
そして、正常なる意識はシャットダウン。
暗くて暗くて仕方が無い。寒くて寒くて仕方が無い。
(もっと着込んでいたら良かったね♪)
――なんて、最後までこんなノリも悪くない。
本当に悔いが無いのかと尋ねたアベルに対し、雪彦は一抹の名残を思い出す。
「きみは、ディアボロに食い殺された。それじゃあ、きみの母親は?」
アベルの言葉に見開かれた目が映す世界は、新しいもの。新しい世界。
雪彦は、ディアボロに食い殺された。母親は、――母は、誰に食い殺された?
そこで生まれるのは、母を見棄てたすべての愚かなる、憎い者たちを、食い殺したいという、意識。
――――彼に与えられた名は、笑顔の執行者<ハピネス・リベンジャー>。
幸福論も、浮かべた笑顔もかなぐり棄てて、雪彦は新しい身体を起こしてふらふらと歩く。
(そして、みんなに片付けて貰う、か……)
脳裏に過ぎるのは、学園の仲間たち。
逃げる背を見送った、友人たち。
先輩。同級生。後輩。
(ボク最低だな……でも、最後のワガママ言わせて貰っちゃおうかな)
奴らを――母を見限った人間たちを、母が許しても、雪彦自身が許す訳にはいかなかった。
笑顔を携えたリベンジャーは往く。
もう、誰にも止めることの出来ない妄執を抱いて。
●e.g.嘆きの歌を紡ぐ
「――こんな惨めな生が欲しかった訳じゃない」
リザベート・ザヴィアー(
jb5765)が生み出した――死病に侵されながら生を渇望した人間に力を与えて蘇らせた、そのヴァニタスの少年はそう言った。
ヴィクトリアン時代を彷彿とさせるドレスを着用させられた少年。
死体であるということを自覚しながら生きていく日々。
それが惨めだと、苦痛だと、ヴァニタスは訴える。
「貴女さえ私を見つけなければこんな惨めな自分にはならなかった」
それは、悔恨だ。誰にとっての? ――それは、双方にとっての。
惨めさに苦痛を抱き、苛まれ、嘆く姿を見る事はリザベートも辛かった。理解出来ない、だからこそ、辛い。
慕情を互いに抱いていた、それ故の苦痛。
ヴァニタスの少年は腫らした目で呻き、そして、手にしていたショートソードでリザベートの美しい胸を一息に貫く。
重々しい音を起てて胸を貫通したそれを眺めながら、リザベートは茫洋としていた。
ゆっくりと引き抜かれる刃は血に塗れている。溢れ出す血、唇を伝う生命の源、死が訪れるのだと理解する。理解していた。
それも構わないと思うのは、何故だろうか。それも厭わないと思うのは、何故だろうか。
リザベートは理解の出来ない感覚に苛まれながら、意識を沼へと沈めてゆく。
悪魔である彼女には、ヴァニタスの嘆きが理解出来なかった。
人間の営みを愛しながらも、悪魔と人間との間には絶対的な乖離が在った為だ。
少年から命尽きる寸前に伸ばされた手――その目に力強く輝く生への渇望に魅入られたが、病を癒す術を持たないリザベートにはヴァニタスにする他道が無かった。
その道を悔いていると嘆くのなら、その道を厭ったと嘆くのなら、一体どうして遣るのが正しかったのだろう。
どう導いてやれば、正しい営みを――正しいと呼べる情を交わすことが出来たのだろう。
今更後悔しても、もう何も無い。悔やんでも悔やんでも、戻ることは出来ないのだから。
「きみは、後悔しているのかい? ――ひとつの道が、此処には在る」
不意に聴こえた声に顔を上げると、リザベートは目を見開く。
眼前には一人の青年。リザベートは胸に大きな風穴を開けられ、尚立っている――即ちこれが走馬灯か何かであるという事は直ぐに判ったが、それでも彼女は唇を開く。
「妾も……同じように蘇れば、彼の嘆きが判るだろうか?」
「さあね」
アベルは素っ気無く、けれどはっきりと答えた。
――知りたいと、願ってしまった。
強く強く、欲に猛る想いを抱いてしまった。
生に不可欠な死という結末を奪ってしまった悔恨を僅かに胸に抱いたリザベートは、アベルの手をゆっくりと取る。
「――結末のない物語など駄作にすらなれぬ」
リザベートの呟きは、光の果てに掻き消える。
――――彼女に与えられた名は、嘆きの罪<グリーフ・デッド>。
ヴァニタスと同じく生ける屍となり、尊厳を奪われ、そうして、少しばかり、何かに気付けた、気がした。
夢から目覚めたリザベートは、自嘲気味に笑う。
胸に手を当てると、そこに風穴などは存在しない。あの頃保っていたやわらかな膨らみもまた同じく、無い。
「……夢じゃ」
そう。あの時確かに――『ヴァニタスは自身の手で殺めた』と、言うのに。
リザベートは自身がはぐれたその時のことを思い出し表情を歪め、自ら秘め抱く願望をひっそりと仕舞い込み、再び寝台に身を伏せ、目蓋を瞑った。
●e.g.幽き少女の想い
暖かい手が欲しかった。
両親に――パパとママに、逢いたかった。
幼くして両親を亡くしたエローナ・アイドリオン(
jb7176)は、静かな部屋で、知らない人に囲まれて過ごした。
沢山沢山、何度も何度もエローナは両親を呼んだ。
逢いたいと、触れたいと、抱き締められたいと、希う声。
けれど、徐々に理解していく。
(――私の世界は終わっちゃったんだ)
弱い世界の弱い自分。
そんな中で、ひとりだけ、もうひとりの自分が――”リック”と名付けられた人形が、ずっとずっと自分よりも強いリックが、傍に居てくれた。
”友達”のアウルの覚醒によって、力付けられたエローナ。
本当は、アウルに目覚めたのはエローナ自身。それを知らず、知るだけの心を持たないまま、彼女は成長してしまっていた。
『がんばれ、大丈夫だよ』
笑ってくれる。リックはいつだって笑ってくれて、傍に居てくれて、離れないで居てくれる。
――ねえリック、今までもこれからもずっと一緒だよ。
エローナにとっての唯一無二の友達。
リックさえ居たら、何だって出来る気がした。
リックさえ居れば、どんなことだって頑張れる気がした。
――だから、御終いは直ぐ。
エローナは、自分が死んだと理解するまで少しばかり時間が掛かった。
「私って死んじゃったの?」
少しだけは覚えている。大切な友達が、リックが悪い人に捕まって、――戦えと指示されても、動くことの出来ないリックとエローナ。だって、戦うのはリック。あくまで助けて貰っているのが自分自身。戦える訳など無かった。
助けて欲しいと、助けてあげてと懇願したのに、リックはとうとう助けられることも無いまま、壊されてしまった。
唯一の友達が壊されて、ひび割れた心は戻ることなく、がらんどう。
リックという友に護られていたエローナは、もう居ない。
元通り、昔のまま。庇護されることを求める、幼い心に逆戻り。
――それが終幕。
覚えて居ないのも無理は無い、と傍らのアベルは言う。そして、ゆっくりと少女の頭を撫でた。
「死んじゃってもこうやって喋っていられるなら、きっとリックにもまた逢えるよね……?」
「……」
アベルは答えない。
けれどエローナはそれだけじゃないと言う。
家にはリック以外の子も沢山居る、皆にも逢いに行かなければならない。
「でねでね、皆で、パパとママを探したいんだよ」
「――それがきみの願い、だね」
「うん、そう! 皆一緒なら怖くないんだよ!」
花が咲くような笑みを浮かべて言うエローナに、アベルは哀しげな眼差しを篭めて笑い返した。
もう、戻れない、戻らない。
全てを受け止めるには、少女は未だ幼過ぎた。
ひび割れ壊れてしまった心はそのままに、少女はディアボロと化す。
――――彼女に与えられた名は、不終の人形遊戯<エンドレス・ワルツ>。
”人形”に振り回され、”人間”を終えた。
最早その姿は人ではなく人形。ディアボロと化した姿はまるでビスクドール。
球体関節の手足を伸ばし、沢山のトモダチに囲まれ、エローナだったものは笑う。
「あのね、パパとママを探しにいくの。だから……一緒に行こ!」
伸ばした手。その先に、リックは――居ない。両親も、居ない。
それでもエローナだったものは笑う笑う、いつか出逢えると、いつか巡り逢えると信じ切って、彼女は朗らかに笑い続ける。
唯一無二のぬくもりを求めて、彼女はただひたすらに往く。
●e.g.偽りの仮面を生きる
常に偽生を生きたるファーフナー(
jb7826)が偶々受け持った依頼で、その事件は起きる。
作戦が敵側に漏れていた。重大な事件だ。内通者が居るのでは。そう――そう言われた末、冤罪の矛先を向けられたのがファーフナーだった。
けれど彼は否定も肯定もしない。ただ皮肉げに笑みを浮かべ、佇むのみ。
その姿を見て、その態度を見て、誰もが疑った。
植え付けられた先入観。無意識の差別。
それらの芽は刈り取られることなく伸びに伸び、ファーフナーに絡み付く。
それでも彼は何も言わない。
――そしてその晩、彼は拳銃を咥え、脳幹を撃ち抜いて死んだ。
遺書も何も無い。けれど、遺された者たちは口々に言う。
内通の罪を悔いた。
罪悪感から死んだ。
贖いだろう。
裏切者。
と――。
薄暗い闇の中。銃を手に立つファーフナーに、アベルは問い掛ける。
「きみには、後悔ってものは無いのかい?」
後悔。
そう呼べる感情は、彼の中には殆ど無かった。
遠い遠い昔、若き日には半端者であれ祖国を守る歯車として働けるのならばと、青臭い正義感を抱いたことも在った。
人と悪魔、体内に流れる血は半々であっても、人の世に生まれ、人として育った為、その地を祖国と思う――愛国心と言う名の感傷。国に、社会に所属したいという執着。
何者かにならなければ、生きられなかった。
――けれど、何者にも、なれなかった。
いつの日にか、心中を占めるのは苛立ちと憎しみばかり。
しかし、怒りのみが自身をこの世に繋いでいたのかも知れない、とファーフナーは思う。
強い感情が在るということは、未だ希望を諦めては居なかったのだ。
「……それで、きみは諦めてしまった」
怒りは失望に変わり、諦念へと変化した。
この生に何の意味が在るのか、何の為に苦しみ続けているのか、虚しさと、倦怠感が心身を苛んだ。
「もう終わりにしようと思った」
苦しみから逃れられる、唯一の救済策。
それが<死>。
漸く解放され、自由になれる。偽生を終え、手に入れるのは救い。
ファーフナーは、清々しく晴れやかな心持ちだった。
後に遺る者に何を言われようと関係無い。
人としての幕を閉じる。
紛い物の人生を終え、その先には――。
「最初から、諦める事が出来ていれば楽だったかも知れないのにね」
「……はっ」
アベルの言い分に、ファーフナーは皮肉を乗せて笑う。
そう。どんなに足掻こうとも人の世に居場所が無いのであれば、初めから悪魔として生きれば良かったのかも知れない。
それは実に簡単なことだった。
(しかし、どうしても捨てられなかったのだ)
人としての生を。
人であるという事実を。
役割を不敵に演じ、”何者か”になり切って、それも叶わない鬱屈と焦燥に心身を蝕まれる。
彼は社会に、焦がれていた。
――――彼に与えられた名は、紛いの役者<レプリカ・マスク>
ころころと立ち姿を変える役者のように、自身を切り払って生をまっとうした者。
ファーフナーの手は穢れている。
様々な犯罪に手を染めた。
身元を隠し、出自をひた隠し、自らで、自らを葬り続けた人生。
――果たして本当に、彼は生きていたのだろうか?
――果たして本当に、彼は”彼”だったのだろうか?
そんな彼に相応しい最期だと、アベルは言う。
二度と諦めることも、希望を持つことも、失望することも無い。
ディアボロとなってしまえばそれで御終い。
ただ、最後の最期まで仮初めの名を享受し、彼は、ディアボロとなった。
●e.g.逢いたい
――おわっちまいましたかぃ。
紫苑(
jb8416)の呟きは、声にならなかった。
依頼の戦闘の末、死亡。今まで死線をくぐらなかったと言えば、嘘になる。
死をも覚悟した依頼。予定調和にも似ている、迎えた死。
死体と化した自分自身をぼんやりとした表情で眺めながら、紫苑は考える。
帰る”約束”をしないで良かった、嘘吐きにならなくて済んだ、これから何所へ行くのだろう、良い所なんだろうか、そうだと良い――。
「きみは、後悔していないのかい?」
唐突に、掛けられた声。金髪の男、アベル。
振り向いて暫く、あんぐりと口を開けていた紫苑だったが、ゆっくりと考え出す。
「……さくら、みてみたかったでさぁ」
桜の花。一度も生で見たことの無い、桜の花。
斡旋所のお姉さんが、花見を開くと言っていた。桜の花が、見たかった。
「あした、しんはつばいのおかしがあったんでさ」
大好きなお菓子。友達と食べればきっと楽しいに違いなかった。
みんなの秘密基地でこっそりと食べるお菓子。くすくす笑いながら、豊かな時間。
「こうしゃうらのこねこもしんぱいでさぁ。えさ、だれかあげてくれやすかね」
校舎裏で見付け、こっそり餌をあげていた子猫。ちゃんと生きていけるだろうか。ひとりぼっち。
ひとりぼっちで、寂しがりで、後をついて来て。可愛かった、子猫。
「くおんれんじゃーのさいしゅうかい、きになりまさ」
見たかったのに、もう見れない。きっと、天国にも地獄にも、テレビなんてありっこない。
誰も教えてくれない。誰も、居ない。ひとりぼっちになったのは、紫苑自身だ。
ぽつり、ぽつり、零す内に少しずつ感情は高ぶり、泣き声が混じり始める。
本当は、本当は。本当は、本当は。
顔や角の所為で着れず被れずだったあの可愛い服や可愛い帽子も、本当は一度は着てみたかった。
友達みんなで行った遊園地が楽しかったからまた一緒に行きたい。
互いを想い心配し喧嘩出来る、斡旋所の二人の関係がとても好きで、羨ましかった。
義の大天使に「子どもになるか」と言われた時、本当に本当に嬉しかった。
そして。
「――おかーさんに、もういちどあいたい」
しゃくりあげる声は次第に大きくなり、わんわんと泣き喚く大声に変わる。
アベルは痛ましげにその様子を眺めながら、宥めるには無意味だと判りながらも紫苑の髪をくしゃりと撫でる。
――もう全部手に入らない。
――もう二度と逢えない。
怖い、痛い、寂しい。
辛い、苦しい、哀しい。
友達や姉貴分、大天使や母の名を呼び続け、ずっとずっと泣き続ける紫苑。
涙は枯れる事を知らない。声も嗄れる事は無い。
終わってしまった生。
終わらされてしまった生。
幼過ぎる紫苑に訪れた死は、余りに残酷過ぎた。
「……もう一度、逢う方法を教えてあげようか」
悲痛そうな眼差しで告げるアベルの言葉は、届いたか否か。
紫苑の脳裏に過ぎるのは、母親の温もり、暴力、カーテンの隙間から差し込む外の光と声、付きっ放しのテレビ。――母親の元に居た頃の、名残惜しい記憶。
どんなことをされようと、どんなことを言われようと、それでも、母が好きだった。
――――彼女に与えられた名は、後悔の海<ロンサム・ブルー>。
ずっとずっと欲しかったもの。温かな愛情。
すべてをくれるひとを、ものを求めて、紫苑は再び、ディアボロとして、歩き出す。
沢山の紫苑の花を咲かせた冠を頭に乗せて、ゆっくり、ゆっくりと。
一歩一歩の距離は短くとも、彼女は着実に前へ――求めるものの先へと歩んでいく。
欲しい、逢いたい、すべての想いを内包して、紫苑はわんわんと泣きながら進む。
●e.g.シリアスだと思った? 残念! こっから先はコメディオンリーなんだわ!
100人斬られ(フラれ)の実績は伊達じゃない。
女の子にフラれ、意気消沈して下校している途中の如月 拓海(
jb8795)。
「マジモテたい」
そう呟く足許に、バナナの皮が在るとは思うまい。寧ろ誰もが思わなかった。
バナナの皮が靴裏にジャストミート。そして、思い切り滑って転んでアスファルトと濃厚なキス(物理)を交わす後頭部。
痛い、だとか、何だとか。そういう文句を垂れるより先に死亡判定まっしぐら!
正直「嘘だろ?」と言いたいのはアベルの方である。
身長152センチ、年齢18歳のピチピチ高校三年生。
好きな食べ物はいちごで、嫌いな食べ物はきゅうり。
特技は土下座で女子にフラれた回数は100回+α。
彼女いない歴についてはお察しくださいな如月拓海。
拓海はただひたすらに女子にモテたかった。
モテてモテてモテ大王になりたかった。そんな大王が実在するならぶん殴ってでも玉座を横取りしたいくらいには。
ついでに言えばおっぱいだって触りたかった。おしりでも良い。でも太腿も捨て難――でもやっぱりおっぱいが一番以下略!
つまり拓海はモテて女の子のおっぱいをにゃんにゃんしたかった。だって男の子だもん。
「僕の人生どうすんだコレ……死因がバナナてお前……バナナ死ておま……」
勿論彼女は未だ無い。バナナの皮を握り締めながら、拓海はふるふると肩を震わせる。
その傍らには――ヴァニタス・アベル。些か困惑した面持ちで彼を見守っている。
「死ぬまでに彼女作りまくって日替わりで別々の子とイチャイチャしてたまには『なによその女! 私の方が可愛いのに!』とか女の子達が僕の取り合いとかしちゃってゲヘヘ! ってなる予定だったんだぞ!」
僕が死んだら世界中の女の子が泣いちゃうんだなぁ。モテメンだもの。拓海。
バナナの皮を握り締める手に力を籠めつつ、拓海はギッとアベルに怒りの視線を向ける。
「くそう、イケメンなお前じゃわかんねーだろーなー?」
「え」
「お前だよお前! アベルだよ!」
唐突に矛先を向けられ思わず真顔のアベルに対し、拓海はバナナの皮がべろんべろんになるまで握り締め捲くし立てる。
「金髪眼鏡とかイケメン要素ばっか詰め込みやがって! さぞおモテになるんでしょうねえー? モテまくりでお困りなんでしょうねえー?」
「いや別に俺は」
「はげろ! お前なんてはげちまえバーカバーカ!!」
弁明も聞くものか。バナナの皮、ぺちん。
頭部に綺麗に乗ったバナナの皮をそっと除けつつ、アベルは半目で拓海を見下ろす。身長差実に30センチ近く。
「あっすいません」
「……きみの望みは何だい?」
思わず反射的に土下座のポーズを取り掛けた拓海に対し、アベルは実に嫌そうな顔で絵本を開いたまま問い掛ける。滲み出るお仕事感ドMAX。中間管理職は大変だ!
「モテたい」
「……」
「もっかい生まれ変われんなら今度はイケメンになって女子のおっぱいがいっぱいの人生が良い」
「…………」
「つーわけで、アベル、しくよろ★」
てへぺろ。
そんな拓海に頭痛を覚えつつ、アベルは承諾する。承諾せざるを得なかった。
それが救済で在るのなら、義務で在るのだと自身に言い聞かせ。
――――彼に与えられた名は、秘宝を求めし王<もてもておっぱいだいおう>。
生まれ変わった拓海。彼の望みは見事叶えられた。……ただ一部を除いて。
美麗な容姿に備わる魅了の効果に誘われた者は多くいたという。
そのディアボロが放たれた場所は――ボディービルダージム。
「あれ? これ違くね? 女”子”いなくね?」
(堅い)おっぱいと(堅い)雄っぱいの猛者たちに囲まれてハッピー、良かったね、拓海くん。
ディアボロ生そんなに甘くない。
●暁の果てに
それぞれが、目を醒ます。
目蓋を開けば、見慣れた天井。指を伸ばせば、触り慣れた身体。
何の変化も無い事を確認すると、安堵の息を吐く。
――ただの悪夢。それまででしかないもの。
悪夢を悪夢で終わらせる。その為にも、彼、彼女らにとってまた新しい――健やかな一日が始まりを告げる。
それぞれは、全てがただの夢で在ったのだと、確かめるべく歩み出す。