箱根、芦ノ湖──。
光をはじく青い水面を、黄昏ひりょ(jb3452)はぼんやり見つめていた。
「あれ? ひりょくんだ!」
背後から覚えのある明るい声が彼を呼ぶ。振り返ると、春苑 佳澄(jz0098)が手を振り近づいてきた。
「やあ。春苑さんも遊覧船に乗るの?」
「うん、こんなに大きな船、そうそう運転できないもんね!」
「う、運転するんだ‥‥」
普段より若干テンション高めに見える彼女を、ひりょはちょっと不安そうに見た。もちろん、ばれないように。
「あと、そちらは‥‥?」
もう一人、透き通るような銀の髪の少女もそこにいた。
「マロウ・フォン・ルルツ(jb5296)よ。よろしく」
三人は連れ立って、桟橋に横付けされた遊覧船へと向かっていった。
●
一方、捜索場所として指定されたのは、畔にある水族館だった。
Erie Schwagerin(ja9642)は燃えるような赤い髪をかきあげ、妖艶な笑みを浮かべる。
「せっかくの水族館だしぃ、いろいろ見て回らないとぉ」
「こーゆーところってあんまりこないからきっと物珍しいものが沢山いるよね」
傍らではキイ・ローランド(jb5908)がにこにこと朗かな様子でいる。Erieは「それに‥‥」と彼に笑みを向けた。
「久しぶりのデートだものぉ」
体を寄せて腕を絡ませる。キイは驚くでもなく彼女の行為を受け入れた。
「それじゃ行こうか。まずは海水館からかな?」
捜索の雰囲気は微塵も感じさせないまま、二人仲良く入り口へ向かっていった。
鳳 静矢(ja3856)と鳳 蒼姫(ja3762)は彼らに先んじて入場していた。
「む‥‥」
静矢があくびをかみ殺すような仕草をする。
開園一番乗りを果たすべく前日から待機──しようとしたらスタッフに丁重にお断りされた二人。ついでにいうと目当てのコーナーは午後からだった。
おかげで睡眠がちょっと不規則なのだった。
「静矢さん眠いのですか!?」
蒼姫はそんな静矢の様子に荷物を探る。取り出したるは、洗濯ばさみ。
「目覚めにゃ一番!」
CMのキャッチコピーみたいな気合いとともに、蒼姫は洗濯ばさみで静矢の頬を、ぎうううう。
ついでに自分の頬も、ぎうううう。
「どうですかぁ?」
「うむ‥‥結構痛いな」
洗濯ばさみが外れると、くっきり跡がついた。
「きゃっきゃうふふの為なのですよぅ!」
「ああ、急ぐとしようか」
眠気を振り払う代償に、ほっぺを赤くした二人は水族館を奥へと進んでいった。
「久しぶりだな、リトルレディ達。元気にしてっか?」
鐘田将太郎(ja0114)が、駆け寄ってくる二人に声をかける。お揃いの服を着た荻嶺 沙羅(jz0082)と荻嶺 綺羅(jz0083)はそろって花が咲いたみたいに笑顔を広げた。
「しょーたろー、こんにちわだよ! しろーも!」
「久しぶり、なの」
若菜 白兎(ja2109)も嬉しそうに、沙羅の手を取る。
「ほむらととーかもこんにちわ!」
二人の少し後ろにいた星杜 焔(ja5378)と星杜 藤花(ja0292)に向けて、綺羅がぶんぶんと手を振った。
「こんにちわだよ〜」
焔がにこやかに返事をする。
「二人とも、相変わらず仲良さそうで何よりです。‥‥あら?」
藤花が綺羅のそばに屈み込んだ。
双子は服装も含めてよく似ているが、細部はちょっとずつ違う──たとえばブレスレットは沙羅が蒼のトルコ石。綺羅は紫のチャロアイト。藤花が以前に二人へ贈ったものだった。
「つけてくれてるんですね」
「うん! おきにいりなんだよ!」
綺羅は口と目を横いっぱいに細めて、ブレスレットを見せびらかした。
「今日は、沢山遊ぶの」
「ペンギンって癒されますよね。すごく楽しみなんです」
白兎と藤花がそんなことを言っている間にも、綺羅は駆けだしていきそうな勢いだ。
「早くいこーよ!」
将太郎の手を引っ張ると、彼はつと顔を歪めた。
「ってて‥‥」
「しょーたろー、おけがしてるの?」沙羅が聞いた。
「ああ‥‥依頼でちょっとな。だから無理できねえが、ふたりは思いっきり楽しんでくれ」
軽い口調の将太郎。双子は顔を見合わせる──と、沙羅がぱんと手を打った。
「そーだ、沙羅がなおしてあげる!」
「あ、いや‥‥」
「ふふん、ヒールできるようになったんだよっ」
実はスキルでどうこうできるレベルの怪我ではないのだが‥‥将太郎が口を開くのを遮るように光纏すると、沙羅は彼へとアウルの光を当てた。
「どう? いたくなくなった?」
そんな目で見つめられたら、頷く他はない。
「‥‥ああ、ありがとうな」
沙羅はそれを聞くと、ぴっかり輝く笑顔になった。
「もう三年生だもんね! おねーさんだよ!」
将太郎の手をぶんぶん振り回しながら、白兎と綺羅と先へ進んでいく。藤花と焔はそんな姿を微笑ましく見守りながら後に続くのだった。
●
【静御前】の面々が通路を連れ立って歩いていた。といってもツアーの様に統率がとれているわけではなく、思い思いに見たい水槽で足を止めつつ、といった体である。
「あ、タツノオトシゴさんご無沙汰してます」
水槽の中をたゆたう生物に楼蜃 竜気 (jb9312)が頭を下げて、丁寧にご挨拶。
「親戚なんだから恥ずかしいことなんて‥‥夏藍くん! なんだよその目ー!」
「いやあ、礼儀正しいなあと思ったまでだよ」
なま暖かい目線を送っていた尼ケ辻 夏藍(jb4509)はふわりと笑顔。でもハグしようときた竜気のことは頭を掴んで全力阻止。
「蜃ちゃん、蜃ちゃん」
竜気と夏藍が笑顔のまま押し合いをしていると、竜気と手を繋いでいる末摘 篝(jb9951)が彼を呼んだ。
「たつのおとしごは、しんせきじゃないのよ? 蜃ちゃんのしんせきは、かがりといっしょなの」
と言って、小首を傾げる。
篝の言う親戚は『蛤』である。蜃こと竜気も同様にこの二枚貝と縁がある──その一方で、蜃は竜の一種とも言われている。
竜気自身がどちらであるのかは、本人のみぞ知るところだが‥‥篝の大きな双眸に見つめられて、
「ああ、あとで蛤さんにもご挨拶に行こうな」
と答えるのだった。
「お前らはしゃぐんじゃねぇよ。今更水族館でお楽しみ‥‥って歳でもねぇだろうが」
夏藍と竜気のやり合いに、八鳥 羽釦(jb8767)が苦い声を出した。
「いくつになってもわくわくするものですよ。水中には行きませんのでね」
「あ、や‥‥あいつらはすぐ騒ぐもんで」
宵真(jb8674)からの思わぬ反論に羽釦はいささかたじろいだが、館の長は無邪気な笑みを浮かべるばかりだった。
しばらく行くと、トンネルの様に頭上まで水に覆われた一角にでる。宵真の手を引き先導する九十九折 七夜(jb8703)は、その光景をうっとりと見上げた。
「きれいな蒼に満たされて、海の中のよう‥‥ほら、長様、見てください」
そこでは大きなエイが腹面をこちらに見せつつ、優雅にヒレをなびかせていた。
「まるでお空を飛んでるみたいです‥‥」
「本当ですねえ。あの群れているのは何でしょう?」
「えっと‥‥」
小さな銀の魚たちが隊列を組んで、自分たちを飛び越えていく。
「あれはイワシだね」
答えたのは夏藍。「私は海育ちだからね、わかる魚は教えるよ」
「川の魚だったら、わたくしが詳しいですわよ!」
錣羽 瑠雨(jb9134)がはいっと手を挙げた。
「鮎に、イワナに‥‥」
が、どうも食用の魚ばかり浮かんできたようで、瑠雨は大慌てで頭を振った。「美味しそ‥‥って、ダメですの!」
しかし彼女が必死で我に返ったその横で。
「どれも調理すると美味しいのでしょうか?」
「あー‥‥じゃあ今日の晩飯は、魚にします、か」
「あれくれぇでかいと食い出がありそうですねぇ」
宵真たちに百目鬼 揺籠(jb8361)も加わって、今夜のおかず談義が繰り広げられていた。
水槽のエリアを抜けた。フェンスの向こうに、大きなプールがある。
「あ、ラッコだ」
「どこ? どこ?」
背の低い篝はフェンスの先がよく見えないらしい。
「ほら、どうぞ」
「わーい! 蜃ちゃんありがとーなの!」
篝を肩車して、フェンスの上から覗けるようにしてやる。
「ラッコの顔、みえるかー?」
「みえたの! はまぐり!」
「見るとこ違うな蛤はいつも見てるな」
竜気が言っても、篝はラッコがお腹に乗っけた貝ばかり見てはしゃいでいた。
「ハマグリと貝遊びの姫は仲睦まじいことよな」
そんな二人のことを、鳥居ヶ島 壇十郎(jb8830)が遠くから。
「迷子にならぬよう見張らねば‥‥」
などと言いつつ、端末を構えてバシバシ写真を撮っていた。
壇十郎の後ろを、Erieとキイが通り抜けていく。
「カッコいい海の生き物がいっぱいだねー。でも一番はペンギンさんをみたいな」
「ペンギンなら、今日は触れ合いコーナーがあるって聞いたわよぉ」
「本当? じゃあ行ってみようよ」
「ぺんぎんを、触れるじゃと‥‥!?」
壇十郎は、わなわな震えた。
「ああ、今日は特別にそんな企画があると、確かに言っていたねぇ」
「それを早く言わぬか! ええいこうしてはおれん!」
徳重 八雲(jb9580)が今思い出したとばかりに言うと、壇十郎はキイたちが先に消えた方へ駆け去っていく。
「やれやれ、大人げないねぇ‥‥」
八雲はそれを見て呆れたように顎先を掻いた。
●
「「ペンギンだー!」」
直立して岩場をぺたぺた歩いている水鳥たちに、綺羅沙羅が白兎を引き連れて突撃する。
さして変わらない背丈のペンギンの真っ白いお腹へ向けて、綺羅はためらい無く抱きついた。
「もふもふしてる?」
沙羅が目をきらきらさせて聞く。お腹から顔をはがした綺羅は、ちょっと真顔。
「‥‥かたい」
「かたいの!?」
「ペンギンさんの羽毛は固いって、本に書いてあったの」
白兎はそっと手を伸ばし、お腹を撫でる。「つるつるしてるの」
「そーなんだ!」
「ほんとだ! かたいね!」
沙羅もお腹を触って大喜び。
さらに白兎がペンギンの見分け方について知識を披露すると、双子は手をぱちぱち叩いた。
「しろー、ものしりだね!」
「‥‥ちょっと勉強してきたの」
白兎は照れながら満更でもなさそうに頬を染めた。
「触りすぎて怒らせるなよー」
将太郎はそんな小学生たちを眺めている。
一緒に混ざってはしゃぎたい気持ちもあるが‥‥。
(さすがに、恥ずかしいよな‥‥)
「ペンギンさん、可愛いの。歩く姿とか、真似しちゃいたくなるくらい素敵なの」
ほゃゃんとペンギンを見ていた白兎。やがて我慢できなくなったのか、ペンギンの後ろにくっついて一緒に行進を始めた。
「綺羅もやる!」
すかさず綺羅が後に続き、当然その後には沙羅が。
「しょーたろーもやろうよ!」
「うえっ!?」
ここで将太郎に無茶振りが飛んできた。
年齢差もあるが、身長差もすさまじい。傍目にシュールな絵面になることは間違い無いが‥‥。
「はやく! ここだよ!」
「やれやれ、リトルレディにはかなわねぇな‥‥」
なおも自分の背を示す沙羅に観念し、将太郎は頭を掻きつつ腰を上げたのだった。
「ふふ‥‥可愛らしいですね」
「本当だねえ」
焔とともにベンチに腰掛けている藤花は、ペンギンと彼らが戯れる光景に目を細めた。
「ペンギンのよちよち歩きを見ていると‥‥あの子を思い出します」
今日は預けてきた養い子のことが、どうしても気になる藤花。だがそれは焔も同じだったようだ。
「ペンギンみたいな子供服作ったら可愛いだろうな〜」
「わ、それは間違いないです‥‥!」
焔は双子やペンギンに目をやりつつも、「宝箱ないかな〜」と周囲に目を配っていた。
「あっちにはアザラシもいるみたいだよ〜」
岩場の向こうに横たわっている姿が見て取れる。綺羅がぱたぱたやってきて、二人の手を取った。
「次は、ほむらととーかもいっしょにあそぼう!」
「ええ‥‥焔さん、行きましょう」
いつか、息子ともこんな風に遊んでほしいな、と思いつつ、藤花は綺羅に引かれていくのだった。
蒼姫と静矢の前では、数頭のアザラシがひなたぼっこしていた。
海獣であるアザラシも普段はもっとべっとりつるつるしているもの‥‥なのだが、どうやら今はちょうど換毛期というやつで、真新しい白い毛が全身を覆っていた。
「触っていいのです‥‥?」
──好きなだけもふるがよい‥‥
と言ったかどうかは知らないが、蒼姫に向けアザラシはでろーんと仰向けに寝っ転がった。
「では早速‥‥」
両手をお腹のあたりに沈み込ませると、ふんわりと手が沈み込んで、ほわほわの毛がそれを包み込んだ。
「もっふもふー☆」
蒼姫は上機嫌でアザラシのお腹を撫で回す。静矢も隣に屈んで、手を伸ばした。
「うむ、見事なもふもふ具合だ」
アザラシは目を細めてされるがままになっていた。静矢はそこをのぞき込んで声をかけてみる。
「なぁ、お前さん達‥‥宝箱を見なかったか?」
「知らないですかぁ?」
二人の呼びかけに、アザラシはそのつぶらな瞳を一度大きく開き‥‥まただらりと腹を見せた。
──もっともふるがよい‥‥
「と、言ったかどうかはわからんが‥‥もう少し撫でてやったら教えてもらえるだろうか」
「なら、もっともふもふするのですよぅ☆」
結局アザラシは単に眠かっただけなのか、その後も有益な情報は得られず‥‥二人にはもふもふの思い出が残された。
●
「ふぅ、照明が抑えめな場所が多くて‥‥鳥目にゃつらいねぇ」
八雲がベンチで休んでいると、どたどた騒々しい足音を響いてきた。
「何事だい?」
みれば、壇十郎が両手で茶色のふわふわ羽毛に包まれた何かを抱えている。
「ペンギンの雛じゃ! 特別に抱かせてもらったんじゃ!」
雛の羽毛は成鳥とは違ってふわもこだ。
「どうじゃ、愛らしかろう? 御主とて幼子の頃は此奴程とまではいわずとも、ふわもこの雛鳥であったのかのぉ♪」
それを聞くと、八雲は露骨に気色ばんだ。
「おまいさん、あたしに喧嘩売ろうってのかい」
「誉めておるのではないかぁ。おお可愛らしのぅ」
「このあたしがふわもこなんざ‥‥冗談じゃあねぇ」
すっかりデレデレの壇十郎だが、やがて彼の来た方から数人のスタッフが追いかけてきた。
「なっ、返せじゃと? そこを何とかしてくれんかっ!?」
「ガキみたいな駄々こねんじゃないよ! ったく‥‥」
「いやじゃー! もう此奴を手放しとうはないのじゃー! もふもふー!」
イヤイヤする壇十郎。八雲が強引に雛鳥を奪いとって、雛は無事親鳥の元へ帰れたのでした。めでたしめでたし。
と、そんな騒動が遠くに聞こえてくるここは、深海魚を集めた一角。
「こんな場所もあるんですのね‥‥目が慣れないと暗いですのー」
目を瞬かせて、暗さに慣れようとしているのは瑠雨。その彼女の背後でガツン、と音がした。
「おや、ここは壁でしたか」
「揺籠さま!?」
額を抑えていたのは揺籠だった。彼はめげずに方向転換すると、またゴチンとぶつかる。
「こっちには柱が‥‥」
「揺籠さま、危ないですわ!」
「いやあ、俺は鳥目が深刻なもんで‥‥いつものことですよ」
笑う揺籠。放って置けず、瑠雨は彼の手を取った。
「ああ瑠雨サンありがとうございます」
水槽を照らす仄かな明かりと、瑠雨の手に導かれて進む。
「‥‥でも道順、こっちで合ってますかい?」
「こっちは行き止まりだよ」
「きゃっ」
不意に声がして、よく見ると隅っこに夏藍が佇んでいた。
「尼サンはこんなとこでまで引き篭もっちまったんですかぃ?」
「この暗さは本当に魅力的だからね‥‥」
揺籠に答え、水槽に右手を差し出す。「ちょっと入ってみようかな」
水中とこちらを隔てる透明な板を手がすり抜けようと──。
「夏藍さま、夏藍さま、濡れてしまいますわ‥‥!」
「何やってんだてめぇは」
瑠雨が慌てる中、羽釦がやってきて、夏藍の首根っこをむんずと掴んだ。
「水も透過すれば濡れないよ? ちょっと充電期間を思い出して懐かしくなってね」
「魚に迷惑かけてんじゃねぇよ」
「いやいや、こういう所にこそ宝が隠れていそうじゃないかい?」
「ったく‥‥いいから行くぞ」
悪びれない夏藍を羽釦は呆れ顔で引きずって行き、瑠雨が揺籠の手を引いてそれに続いた。
「長様‥‥足下お気をつけくださいですよ」
「や、これはどうも」
薄暗いエリアを宵真は手を引かれるまま、七夜の導きに従っている。
「‥‥ふふっ」
「楽しそうですね、七夜」
水槽を覗き込んで笑った少女が、宵真の声に振り返る。
「いつもは長様が七夜達を護って下さってますけど‥‥今日は七夜が長様のお役に立てるのが、嬉しいのです」
先導のために繋いでいた手に、少し力を込める。
「久しぶりに沢山一緒にいられることは、もっと嬉しい」
「ふふ、それはこちらも同じですよ」
娘同然に可愛がっている七夜の言葉に、宵真もまた心からの微笑みで答えるのだった。
●
桜井明(jb5937)は、一人でこの水族館に来ていた。
「こういうのはわが子と来たかったよねえ。まったくあの子はノリが悪い」
やはり久遠ヶ原にいるらしい息子を思ってぼやくが、いないものは仕方がない。宝探しに専念することにして、水槽を一つ一つ丹念に調べて歩いていたのだった。
水槽のエリアをいったん抜ける。触れ合いコーナーの岩場が見えた。
べろんと寝っ転がったアザラシが、明にむけてつぶらな目線を送ってきた。
──もふるがよい‥‥
と言ったかどうかは知らないが、何となく構って欲しそうにも見える。
だが、明は首を振った。
「‥‥ああいうのは若い子に任せよう」
もふもふときゃっきゃうふふする齢でもない。明はアザラシから目をはずすと、岩場を突っ切って次のエリアへと向かっていった。
アザラシは寂しそうに寝返りを打った。
──我をもっともふっても、いいのよ‥‥?
「どうしたんですか、鈴さん? 急にアザラシの方を見て‥‥」
ペンギンと戯れながら、【常葉荘】の北條 茉祐子(jb9584)が神龍寺 鈴歌(jb9935)を呼んだ。
「アザラシさんに呼ばれたみたいな‥‥? でも、そんなわけないですよねぇ〜?」
鈴歌はしばらく首を傾げていたが、正面をペンギンが横切っていくと、またそれに引っ張られるように視線を戻した。
神谷春樹(jb7335)は、夢中になってペンギンを構っている二人を微笑ましく眺めていた。
「撮りますよ」
端末を向けて声をかけると、茉祐子がこちらを向いて手を振った。パシャリ、シャッター音が響く。
「神谷先輩、どうですか?」
「ん、上手く撮れましたよ」
茉祐子がやってきたので、春樹は端末の画面にプレビューを映して見せた。
「ふふ、鈴さん夢中ですね」
鈴歌は春樹が端末を向けたことも気づいていないようだ。
「北條さんもかなり、はしゃいでましたけどね」
「え、そ、そうでしたか?」
春樹の言葉に、茉祐子はぱっと口に手を当てて驚いた顔をした。
鈴歌はちょっと腰を落とし気味にして、大人のペンギンと向き合っていた。
「ペンギンさん♪ 最近変わったもの見てないですぅ〜?」
すると、ペンギンは一度羽をくわっと広げて、何かのアピール。
そしてふいと横を向くと、体を左右に振りながら岩場の端に向かって歩いていく。
「もしかして、何か知ってるんですかぁ〜?」
鈴歌がついて行くと、ペンギンは端の端まで歩いていって、ようやく止まった。
導かれた先の暗い通路を鈴歌は吸い込まれるようにして、見た。
「お宝は見つからないですね。一応、気にしてはいるんですが」
春樹は岩場を見渡すが、ここには宝箱のようなものはない。
「そうですね‥‥でも、私ペンギンの宝物ならわかります」
「ペンギンの?」
「たぶん、あそこに」
茉祐子は岩陰に隠れているようにしている一匹のペンギンを示した。その一匹だけはずっとそこにいて、動かない。
「卵、産んだって書いてあったんです。‥‥ペンギンの宝物ですよね?」
じっと動かない、抱卵中のペンギンを、二人はしばらく並んで眺めていた。
「あれ、ところで‥‥鈴ちゃんは?」
「え、さっきまでそこに‥‥あれ、鈴さん? 鈴さん!?」
●
アヴニール(jb8821)も水族館を純粋に楽しんでいる一人だった。
「おお、これはまた美しい魚じゃのう」
今は熱帯魚が集められた一角で、鮮やかな色彩に見惚れているところだ。
「この綺麗な魚たちも、十分お宝じゃのう♪」
お宝も気にはなるのだが、その辺は他に探す人が見つけてくれるだろうとどこか楽観的である。
「そう言えば、ここにはイルカはおるのじゃろうか?」
案内板を見ようと、一度水槽から離れる。通路の向こうから自分より頭一つ小さな女の子が、周囲をきょろきょろ見回しながらやってくるのが見えた。
ペンギンの指し示した? 方へと進む鈴歌は、春樹や茉祐子がいる岩場からだいぶ離れてしまったことに、全く気づいていなかった。
「何か、ありそうな気がするのですよぉ〜♪」
代わりに、お宝の気配だけは存分に感じている。
水槽やら物陰やらを覗き込みながら進んでいると、服のポケットが鳴動した。
「メールですぅ〜?」
確認すると、春樹からだった。
『今どこにいますか?』
「‥‥どこでしょぉ〜?」
現在地が分からない。
「あららぁ〜? 私迷子ですぅ〜‥‥」
「どうしたのじゃ?」
立ち尽くす鈴歌を見かねて、アヴニールが声をかけた。
仲間とはぐれてしまったことを知ると、周囲を見渡す‥‥が、この辺りには水槽しかない。
「少し行けば案内があったはずじゃ。そこまで付き添おう」
「ありがとうございますぅ〜」
二人は歩き出した。
「この先にお宝があるような気がして、探しているうちにはぐれてしまったんですぅ〜」
「お宝か‥‥いったいなんじゃろうな?」
アヴニールは首を捻る。
「今日のように皆と楽しく過ごせる事が、お宝でもあるとは思うのじゃが。
キチンと形あるモノである可能性を否定したくはないの」
「素敵なものだといいですねぇ〜」
話しながら歩いていると、やがて少し開けた所にでた。中央には円筒形の水槽が柱のようにそびえている。
「年取るとこういうのが癒されて良いよね〜」
明は水槽をゆらゆら漂うクラゲに見入っていた。
ただ流れに身を任せているその姿は、日常に疲れた心をきれいに洗い流してくれる。
宝探しを中断してでも、見る価値があるというものだ。
「すまぬが、すこし良いじゃろうか?」
「ペンギンさんの場所は、どっちですかぁ〜?」
揺らめきの先に横に広がった人の影。アヴニールと鈴歌だ。
「触れ合いコーナーだったら、さっき通ってきたな」
見たところ小・中学生のようだし、迷子かな、と明は考える。「案内してあげようか?」
「おお、それは助かるのじゃ。よかったのう、鈴歌‥‥」
しかし、そう呼びかけるアヴニールの声が聞こえていないかのように、鈴歌は一点先を見ている。
「あれは、何でしょぉ〜‥‥?」
ペンギンの示した道の終着点を、明とアヴニールは一緒になって見た。
「やっぱり、館内放送をお願いした方が‥‥」
茉祐子と春樹は岩場で鈴歌が戻るのを待っている。が、茉祐子はそわそわと落ち着かない様子だ。
合流するという返信はあったものの、待てども戻ってくる気配はない。
「うーん、もう一度連絡してみましょうか」
春樹が端末を取り出すと、まさにそのタイミングで着信があった。
『クラゲさんのところに来てくださいですぅ〜』
「‥‥クラゲ?」
二人は顔を見合わせた。
●
入り口近くのお土産ショップでは、水族館を満喫した【静御前】の面々が集まっていた。
「留守番の奴らに何か見繕ってくか」
「百目鬼君が買ってくれるそうだよ? 太っ腹だねぇ」
小物を物色する羽釦に、夏藍が言った。
「欲しい子は一人一個ですからね! ‥‥って、尼サンは『子』って齢じゃねぇでしょうが!」
彼らが和気藹々と盛り上がっている横で、Erieもキイと一緒にそこにいた。
(とっても楽しかったけどぉ‥‥もう一つ、進展しないのよねぇ)
Erieは内心溜息をつく。スキンシップも抵抗なくできる間柄ではあるのだが‥‥。
後一歩、踏み出せずにいる自分がもどかしい。
「えりーちゃん、はい」
キイの声がして顔を上げると、ぽんと何か手渡された。
見れば、触れ合いコーナーにいたのとそっくりな、ふわふわな赤ちゃんペンギンの小さなぬいぐるみだ。
「ふふ、お揃いだよー」
同じぬいぐるみを掲げて、キイは無邪気に笑い、手を伸ばす。繋がれた手の先から、じんわりと幸福が伝わってくる。
「また一緒にデートしようね。次はどこがいいかなー」
「ふふ、そうねぇ‥‥」
もどかしさはいつの間にか、どこかへ消えていた。
藤花も同行した面々とショップで、ぬいぐるみを手にしていた。
「ここに宝が紛れてたり、なんてあるでしょうか?」
と、お店の外がなんだか騒がしい。
「お宝かな?」「かな!?」
綺羅沙羅がはしゃいだ声を上げた。
●
湖は夕焼けに照らされて、すっかり色を変えていた。
遊覧船の面々は、船の操縦と外の景色をすっかり満喫したようだ。
「春苑さん、感心したよ。たいしたもんだ」
今舵を握っている佳澄に向けて、ひりょが賛辞を送る。意外にも、この中で一番無難な運転をするのが佳澄だった。
「えへへ、そ、そうかな!」
ただし、まだだいぶ肩に力が入っているのだが。
「舟遊びは貴族の遊び、なんて父様が言っていたかしら」
マロウが言った。
「もっとも、私はボートくらいしか乗ったことはないけれど。懐かしいわ」
表情を変えず、口調も淡々としている──が、進む先を見通しているその様子はどことなく楽しそうである様に、佳澄には見えた。
「どうやら、杞憂だったみたいだ」
「え、き──何?」
聞こえなかったなら幸いだ。ひりょは「すこし風に当たってくるね」と言い残して、その場を後にした。
外にでると、風が心地よく体を撫でた。景色は緩やかに移ろい、水面はきらきらと黄金の光をはじく。
波を切る音が耳に響く──静かだ。
ひりょは懐から、一枚の写真を取りだした。思いがけず自室で見つけたその写真には、大切な──とても大切なものが、写っている。
危うく涙がこみ上げそうになって、奥歯をぎゅっと噛みしめた。
「これからも、精一杯頑張っていくから──見守っていてくれよ?」
写真に呼びかけると、応えるようにして、ボーッと汽笛が鳴った。
ひりょが出て行ってすぐ‥‥佳澄の携帯が音を鳴らした。
「わ、電話だ‥‥マロウちゃん、お願い!」
佳澄は舵をマロウに譲り、奥へ下がった。
「いきなり舵をきったりしちゃ駄目だからね?」と言い残して。
マロウも別に運転が下手というわけではない。ちょっと冒険的で、行き当たりばったりで、適当なだけである。
しかも常通りの無表情でそれをやる。
「大丈夫よ、もう慣れたから‥‥何とかなるわ」
そう言うと、汽笛を鳴らした。
佳澄が通話を終えた頃、ひりょも戻ってきた。
「あっ、ひりょくん‥‥あのね、水族館で、お宝らしきものが見つかったんだって!」
相手は双子のどちらかだったようだ。
それによると、見つかったのは大きな櫃のような箱であるらしい。
「これから開けるから、確かめにおいでって」
「なら、遊覧船のクルージングもこれまでか‥‥」
ほんのすこし名残惜しそうな様子で、ひりょ。
「戻る‥‥では、今こそあの台詞をいうべきね」
舵を握るマロウは、ここぞとばかりに胸を張った。
「面舵、一杯!」
そして、舵をめいっぱい左に回した。
「マロウちゃん、面舵は逆、逆!」
「あら? では、こっちね」
今度は、めいっぱい右に回す。
エキセントリックな軌跡を描いて、遊覧船は岸へと戻っていったのだった。
<
続>
【湖A】芦ノ湖 担当マスター:嶋本圭太郎