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●平穏! 嵐の前の静けさ
 良く晴れ渡った夏の午後。
 釣り人たちを乗せたカヤックが一斉に出発したのは、今から30分前。
 ちょうど正午を回った頃だった。
 沖に浮かぶカヤックの中にパンダを乗せたものがある。
 パンダは精巧な着ぐるみで、中身は下妻笹緒(ja0544)だ。
 彼のカヤックには、マグロ用の頑丈なロッドが積み込まれていた。
 宝箱を飲み込んだという中禅寺湖のヌシはかなり巨大で、そのうえ悪食に違いない。
 ロッドには、ジャイアントパンダをモチーフにした、異様なほどでかいルアーが取り付けられている。
「この流離の釣り師、パンダちゃんの出番なのは間違いないな」
 パンダの中でほくそ笑む下妻。
「見せてみよ中禅寺湖の王よ、その力の全てを!」
 下妻は、巨大なルアーをオーバーヘッドキャストで全投した。

 黒井 明斗(jb0525)は、のんびりと釣り糸を垂らしていた。
 湖面にさざなみを立てるそよ風が気持ちいい。
 宝にはあまり興味がない。だけど、万が一のためにルアーは大物釣り用のものを用意している。
 ふと、隣で釣りをしている鷺谷 明(ja0776)と目が合った。
「やぁ、良い釣り日和ですね」
 黒井がいうと、鷺谷は小さく会釈をかえす。
 鷺谷は、平和な時間をたっぷり堪能するつもりだった。
 釣りをする時は誰にも邪魔をされず、自由でなければいけない。
 そう、これこそが魂の救済、心のリフレッシュなのだ。
 だから、彼が釣り針に餌を付け忘れていることなんて、些細な問題にすぎない。
 離れた場所で立ち上がった水柱は、素潜り組みだろうか。
 風の音も水の音も全てが心地良い。
 鷺谷は感慨に浸りながら、このまったりとした時間を過ごした。
 藤村 蓮(jb2813)もまた、無心で釣りをしている一人だ。
 釣りの要領は良く分からないので、まごまごしながら針に生餌を取り付けた。
 でも、それが良い。
 余計なことを考える必要がないからだ。
 ただ、この無心でいられる貴重な時間を大切にしたい藤村だった。
 空を見上げると、楯清十郎(ja2990)が飛び込みポイントを探して飛行中だった。
「流石にサングラスがないと、反射する光で中が見難そうですね」
 キラキラと陽光を反射する湖面をみて、楯がつぶやく。
 それを見越してサングラスを用意してきたのは、正解だったかもしれない。
「宝箱を飲み込むほど大きいヌシですからね。どれだけ大きいか興味深いです」
 場所に凡その見当をつけた楯は、湖面に向けて急降下を開始した。
 神凪 宗(ja0435)は、水上を歩いていた。
「この辺りか」
 事前の調査では、この近辺に情報が集中していた。
 とはいえ、はっきりとした目撃情報はなく、うごめく巨大な影をみたとか、とてつもない巨大な力で釣竿を持っていかれたという曖昧なものばかりだ。
 あとは実際にこの目で確かめるしかないだろう。
 神凪は気合を入れなおし、ゆっくりと入水していった。
 木村良大(jz0019)と並んで潜水していくのは、赤いビキニ姿の草摩 京(jb9670)。
 湖底は広く、手分けして探す必要がありそうだ。
 この時点で一番深くまで潜っているのは、影野 恭弥(ja0018)だった。
 夜目を活性化しているので、視界確保には不自由していない。
 索敵を使って周囲を見渡すが、今のところヌシらしき存在は確認できないようだ。

 場面は戻って湖面に浮かぶカヤックたち。
 その中に二人乗りのカヤックにのって釣りに勤しむ恋人たちがいた。
 犬乃 さんぽ(ja1272)と高峰真奈(jz0051)だ。
 濡れても良いようにという理由から、ふたりは水着姿だった。
「ヌシがいるなんて、凄いよね!」
 日本の神秘だと声を弾ませる犬乃。
 ただ、彼の場合はヌシ釣りに心を弾ませているというよりは、高峰との共同作業という部分で浮かれている。
 高峰は、犬乃がヌシ釣りという無難な選択をしてくれて、心底ホッとしていた。
 もし、遠野杯スワンボートレースという言葉に地雷しか感じていなかったからだ。
 そういう意味で、犬乃は正しい選択をしていたといえる。
 水中には、犬乃が召喚した忍龍。視界共有で釣りポイントを探している。
「真奈ちゃん、あそこに魚群があるよ」
 指差す犬乃。高峰につりの手ほどきをしようと試みるが、かりにも彼女は漁師の娘。釣りなんてお手の物だった。
 内心がっかりしながら針に生餌をつけていると、真奈が投げた大きなルアーが勢い良く飛んでいった。
「……あれ? あんな大きなルアー、用意していたっけ?」
 そういって、高峰を見た犬乃は顔を真っ赤にした。
「まっ、真奈ちゃん、水着、水着!」
「え……きゃあ!!」
 竿を放り投げて胸元を隠す高峰。
 どうやら、ビキニトップの結び目に針が引っ掛かり、キャストの拍子に紐がほどけ、水着と一緒に飛んでいってしまったらしい。
 水着は、高峰が驚いて放り投げてしまった竿と共に湖底へと沈んでいく。
「えーん、どうしよう……」
「ぼ、ボクが何とかするからっ! 泣かないで!」
 とりあえず、胸を隠すために麦藁帽子を高峰にわたし、忍龍を使って竿の回収を試みる犬乃だった。

 遠くのほうでファンファーレが鳴っている。
 どうやら、遠野杯スワンボートレースが始まるようだ。


●生き残れ! スワンポートレース
「……宝探しと聞いたのだが」
 リョウ(ja0563)がそうつぶやくのも無理は無い。
 レース会場は、異様なほどの熱気に包まれていた。
「何故、皆こんなに闘志漲っているのだ……」
 レースの景品? いや、遠野に限ってまともな景品を用意しているとは思えない。
 そもそも、こいつらは本当にレースへ参加するためボートに乗っているのか!?
 周りを見れば見るほど、その疑問が色濃くなる。
「平和には終わらない、のか?」
 すこしばかり辟易しながら、リョウは小さなため息をついた。
 不敵な笑みを浮かべてボートに揺られているのは、森田良助(ja9460)だった。
 なぜ、レースに参加したのか。スワンが俺を呼んだから。
 決して、友人や相棒を誘って遊ぼうと思ったら、どういうわけかぼっちになってしまったからなんかじゃない。
 俺は孤独なんかじゃない。
 遠野先生が用意したという素敵な景品目指して、全力を尽くすつもりだ。
 宝? なにそれ知らん、どうでもいい!

「レースといえばレースクイーンよね!」
 スワンの屋根の上、アルベルト・レベッカ・ベッカー(jb9518)は高らかに声をあげた。
 すらりとした長身をツーピースのミニスカートが覆う。
 湖面に映るアルベルトの姿は、まるで湖に現れた天女の如し。
「私が鬼ごっこを華々しく飾ってあげようじゃないの」
 そういって、素早くボートに乗り込んだ。
「で……なんでここにいる?」
 ジト目を投げかけるアスハ・ロットハール(ja8432)。
 さも当然のように隣に座るアルベルトに納得がいかない様子。
「このレベッカさんを傍に置いておけるのよ。むしろ感謝してほしいくらいだわ」
「……待て、色々おかしい」
 アスハの突っ込みは、どうやら耳にアルベルトの耳には届いていないようだ。

「盛り上がったところで、そろそろスタートするぞ!」
 スターティングピストルを構えて遠野冴草(jz0030)。
「ルールは簡単。ここから対岸へ向かい、またここへ戻ってくる。一番最初に戻ってきた者が勝者だ!」
 遠野の説明を何人が聞いていただろう。
「それじゃあ、いくぞ! よーい……」
 空砲の乾いた音が響きわたる。各スワン、一斉にスタート――するかに見えたが、合図と同時に進み出したのは数艘で、ほとんどがスタートラインに残ったままだ。
 月居 愁也(ja6837)、夜来野 遥久(ja6843)のペアとメリー(jb3287)がゆっくりと進み出る。
「何が起こってるのだ」
 状況が飲み込めないリョウ。
 一心不乱にこぎ続ける森田。
 ふたりは、競技とは別の何かが起こりつつある後方を尻目に、ただひたすらにゴールを目指すのだった。


 一方、月居ら3人は途中でUターンをして、後続のボートと対峙する。
 彼らの役回りは『鬼』。スタート地点に残る者たちは、全員が『子』だ。
 これから始まるのは、スワンボートレースという名の壮大な鬼ごっこなのだ。
 子は鬼に触れるか湖に落ちると鬼になる。
 全員を鬼化させられれば鬼の勝ち。誰かひとりでも無事にゴールできれば子の勝ち。
 ボートへの攻撃、参加者への攻撃スキル、水上歩行に飛行。これら全てが禁止事項。
 他の参加者に迷惑を掛けないというルールも存在しているのだが、『迷惑を掛けない』と『他の参加者が脅威に感じない』は決してイコールではない。
 ――そんな血なまぐさい未来しか見えないゲームを、このレース上でやろうとしているのだ。
 解説はレースに戻る。

 他人を犠牲にしてでも自分は生き残ろうと考えるマキナ(ja7016)。
 鬼に狙われにくい安全なコースはないか見渡した。
「今回こそは生き残ってみ――」
 そして、妹のメリーと視線が合う。彼女は満面の笑みをうかべてマキナを見ていた。
 鬼の準備が整うと、子を乗せたボートが一斉に動きだした。
 それに合わせて、鬼も行動を開始する。
「お兄ちゃん! メリー頑張って作ってきたの! 食べて!」
 無邪気な笑顔でサンドイッチを投擲するメリー。
 ひそかにタウントを使ってマキナの注意をひこうとしているあたりが恐ろしい。
「サンドイッチは運動が終わってからだな」
 マキナの穏やかな口調だが表情は必死。最大戦速で逃げている。次々と投げつけられたサンドイッチは、全てキャッチしてハンカチにくるんで保存する。
 妹が丹精込めて作ってきたサンドイッチを無駄にしないために。せっかくなので、あとで皆にも振舞おうじゃないか。
 例えそのサンドイッチが、紫や黒といった常軌を逸した物体であっても。

 月居と夜来野の狙いは、加倉 一臣(ja5823)と小野友真(ja6901)のペア。
 加倉は最後まで狙われないと油断しているはず。
 だから、裏をかいて真っ先に狙おうという月居の戦略だった。
「以前は最後のひとりにされ、さんざん弄ばれたが――」
 前回の記憶が加倉の脳裏をよぎる。
「ちっ、今回は……っ!」
 狙われていることを悟った加倉は、必死にペダルをこいだ。
「これが精神的命がけのレースな事にお気づきだろうか――!?」
 隣で解説を始める小野。
「俺たちの為すべきことは何だ!?」
 加倉は額に汗を浮かべ、真剣な表情を浮かべる。
「そう、生きてゴールすることだ!」
「勝利目指してふぁいっおー!」
「って、漕ぎ手担当が俺ひとりじゃないですかー、やだー!」
 二人乗りで2馬力かと思いきや、小野は全く漕ぐ気がなさそうだ。これでは余計な重量があるぶん、かえって不利でしかない。
 月居たちのボートとの距離は、少しずつ縮まりつつある。
「うぉおお! 白鳥ボートに! 俺は! なる!」
 良く分からない気合の入れ方をする月居。
 その隣で箱乗りしている夜来野。発煙手榴弾を投げつける。
 湖面で手榴弾が炸裂し、水柱があがる。
 波に揺られつつ、怯まない加倉。小野は月居の様子に違和感を感じたが、加倉には伝えないでおくことにした。
 迫る夜来野。
「今回もデートだと思ったか? 甘いな!」
「弄ばれてたまるか!」
 加倉は巧みな操舵で接舷をかわす。
 その瞬間、湖底から姿をあらわした月居が加倉の体にワイヤーをひっかけた。
「!?」
 良く見ると、夜来野の隣に乗っているのは、月居のダミーだ。
「しまっ――」
 バランスを崩した加倉の手を小野がしっかり握る。
「ファイトー!」
「いっ――」
 加倉が返そうとしたとき、彼の手が着水してしまう。
 それを見るや、小野は手をあっさり放した。
 哀れ、加倉は恋人に裏切られ、セリフの続きは水の中。
「後は任せろー!!」
 小野は、もの凄いスピードで離脱していった。
 というか、最初からふたりで漕いでいれば捕まらなかったんじゃなかろうか。

「皆さん捕まってくださいなのですー!」
 なかなか兄を捕まえられないメリーは、周囲の子に向かってサンドイッチを無差別投擲する。
 きっと、最近良く目にする『飯テロ』とは、こういう行為をさして言うに違いない。
 それを律儀に回収してまわるマキナ。
 妹の真心は、あとで必ず全員に押し付ける。
 幸い、しっかりとラップに包まれているので、中身に異常は見当たらない。
「お兄ちゃん、捕まえた!」
 笑顔で飛びついてくるメリー。
「捕まってしまったか。さあ……一緒に鬼になろうじゃないか」
 セリフとは裏腹に、マキナの笑顔はひきつっている。
「お兄ちゃんと力を合わせていっぱい捕まえるのです!」
 えへへと笑いながら金属バットを取り出すメリー。
「究極奥義お兄ちゃんロケットなのです!」
「いや、そんなもん――――っ!!」
 メリーが放ったフルスイングバッティングは、マキナに抵抗する余裕すら与えずに彼を彼方へと凪ぎ飛ばした。

「俺はイケメン……イケメンは捕まらない……」
 念仏のように唱えながら、必死に漕ぐのは赤坂白秋(ja7030)だ。
 自らの中に眠るイケメンをフルバーストさせ、この中禅寺湖に赤坂白秋という名の宇宙を刻む。
 そのためにも、迫り来る鬼をかわし、レースに優勝する必要がある。
 優勝したらモテるかと遠野に質問したところ、もちろんだと返答をもらった。
「この死線を潜り抜けて――俺はモテる!」
 彼が必死になればなるほど、イケメンが迷子になっていくのは何故だろう。
 そんな赤坂にちょんまげがまるで鮫の背びれのようにゆっくりと近づいてきた。夜来野だ。
 夜来野は、赤坂を発見するなり水面に飛びだした。
 八艘飛びの要領でボートの屋根を渡り、赤坂のボートへ迫る。
 水面に向けて弾幕をはり、水飛沫で応戦する赤坂。しかし、夜来野は怯むことなく赤坂のボートへ飛び乗った。
「ご覚悟を」
「――!?」
 夜来野に腕を掴まれたと思った瞬間、赤坂の体はボートを飛び出し宙を舞った。
 だが、そこで諦める赤坂ではない。諦めたらそこでゲームオーバー。非モテ確定だ。
 赤坂の背後に銀色の美女が現れ、彼を優しく抱擁する。銀のそれは赤坂の髪で出来た幻影。自らに束縛をかけてボートに留まろうという狙いらしい。
「悪かったな聖女ちゃん……もう君の元を離れ――」
 赤坂が言い終わるより早く、右方から飛んできたマキナに轢かれ、ふたり仲良く湖に落ちた。
 赤坂の非モテは確定した。

「これだけの人数差があるなら負ける要素がない!」
 金鞍 馬頭鬼(ja2735)は、周囲を見渡していった。
 鬼の数が増えつつあるが、まだ子のほうが圧倒的に多い。
「俺達は必ず生きて帰るんだッ!」
 金鞍は、鬼と子が入り乱れる水域から距離をとるように大きく迂回し、体力を温存させながらゴールを目指した。
 後方から艦砲射撃を続けるアスハ。
 戦場をライバルたちを翻弄させるのが目的だ。
 漕ぎ手はアルベルトが担当している。
 彼らの正面に突如として現れる渦。
「やん、速度が出ない」
 泣き言を口にするアルベルト。
「男だったら黙って漕げ。きたぞ!」
 アスハは、右舷から接近する月居のボートに気付いた。
 しかし、そこに乗っているのはウサギの着ぐるみ。
「ダミーか!?」
 そう気付いたとき、左舷で大波が起きる。
 月居がフライパンで盛大に湖面を叩いたのだ。
 飛沫に乗じて接近を試みる月居。狙うはアスハ。
 アルベルトは回避射撃のあと、ボートを急旋回させた。その際、アスハを蹴落として。
「は……?」
 状況を理解できないまま湖に放り出されたアスハ。そのまま月居のワイヤーに引っ掛かり着水した。
 アスハを犠牲にしてまで生き残ったアルベルト。しかし、それも長続きはしなかった。
「あっ、レースクイーンの水着が……!」
「なに!?」
 加倉がアルベルトを指差し叫ぶ。それに赤坂が反応した。
 女性にしか見えないが、アルベルトは男だ。しかも、素顔はかなりのイケメンだ。
 水着のレースクイーンがしとどに濡れたお色気シーン……を期待して振り向いた彼に与えられた絶望は推して知るべし。
 その時赤坂の中で何かが弾けた。
「そうか……」
 どうせモテないなら、全員を非モテにしてしまえ。
 きっと、加倉はそれを伝えたかったに違いない。
「お前らも道連れじゃああああああっ!」
 脳内で謎理論を悪人面で展開したあと、鬼気迫る表情でアルベルトを追う赤坂。
 アルベルトが彼の毒牙にかかるのは、時間の問題だろう。
 加倉を見捨てて逃げ切った小野は、優れたHEROは、情報分析にも秀でていなければならないと鋭敏感覚で鬼の分析を試みた。
 辺りには、まるで鬼の怨念のような気迫が渦巻いている。
「…………」
 怖いという事だけは理解できた。

 一方、櫟 諏訪(ja1215)、藤咲千尋(ja8564)のラブラブペアは。もう、かなり鬼が増えた中で奮闘していた。
「すわくん、次は左にいるよ! 次、右!」
「千尋ちゃん、掴まっててくださいねー?」
「上、上、下、下、左、右、左、右、B、A!」
「任せてください!」
 櫟は後方の水中にスレイプニルを召喚した。
 一気に大波がおこる。
 大波は加倉のボートを飲み込み転覆させた。
「すわくん、わかってて出したよね、スレイプニルさん……」
 沈みゆく加倉に向かって手を合わせる藤咲。
「千尋ちゃんがコマンド入力したからですよー?」
 櫟が召喚したスレイプニルは、彼らのボートを後ろから押している。
 この時点で残っている子は櫟、藤咲ペア、小野、金鞍のみ。
 子にとって、かなり不利な状況だ。
 櫟、藤咲ペアのボートに月居、夜来野ペアのボートが追いすがる。
 このままでは折り返し地点でUターンする際につかまってしまう。
 藤咲が何か決意したように頷いた。
「すわくん。勝ってね」
「千尋ちゃん?」
 櫟が振り向いたとき、藤咲の儚げな微笑が水の中に消えるところだった。
「千尋ちゃーん!!」
「すわくんの邪魔はさせないー!」
 鬼となった藤咲は、子を狙うのではなく、恋人を狙う鬼の妨害に徹した。

 小野と金鞍が折り返し地点へ近づくと、先に折り返してきたリョウと森田と遭遇した。
 鬼ごっこ参加者は、普通にレースをする者を妨害するべからず。
 事前に取り決めたルールであるが、そんなものは鬼ごっこに参加していない彼らが知るよしもなかった。
「――っ! やらせるか、これでも喰らえ!!」
「ちょ、ちょい待ち――」
 リョウが放ったフォースは、小野のボートの目の前で炸裂した。
 立ち上がった大波は、小野をボートもろとも湖の中へ引きずり込んだ。
「お前の犠牲は無駄にしない!」
 リョウに針路を譲りつつ、金鞍は沈みゆく小野に向かっていった。
「俺は絶対に逃げ切ってゴールするぜー!!」
 後ろは振り返らない。彼の双肩には『勝利』という二文字がのしかかっている。
 残る子は、金鞍と櫟。どちらかがゴールすれば子の勝利なのだから。
 森田は、両足が千切れんばかりの全力でペダルを漕いでいた。
 カオス地帯を迂回するコースを取っているため、漕がなきゃならない距離も長い。
 そのハンデを少しでも埋めるため、用意した長い棒もオール代わりに必死でボートをはしらせる。
 後方では、馬マスクがお兄ちゃんロケットでボートから撃ち落されるところだ。
 何あれ、やだ怖い。
 森田は、まるで逃げるようにラストスパートをかけた。
 先頭はリョウ。少し遅れて森田。鬼ごっこ組みで無事なのは恋人のサポートを得られた櫟で、レースの順位は3番手。
「急がば回れ、ではあるが……」
 終盤で森田同様危険地帯を迂回したリョウは、余計な体力を使ってしまい、もはや気力のみでペダルを漕いでいた。
「これは、スタミナ的にきついな……」
 徐々にペースが落ち、ついには森田にリードを許してしまう。
「千尋ちゃんのためにも、絶対に勝ちますよー!」
 召喚獣のブースト効果もあり、怒涛の追い上げを見せる櫟。
 ついにはリョウも抜き去り、残るライバルは森田のみ。
「景品はぁあ、僕のものだぁあ!!」
「譲れない戦いがあるんですよー!!」
 森田と櫟の激しいデッドヒート。しかし、勝負は召喚獣ブーストがある櫟に軍配があがった。
 森田を抜いて1位に躍り出た櫟。このままゴールかと思われたその時、後方よりお兄ちゃんロケットが飛来し、櫟はマキナと共に湖の藻屑と化した。
 結局、ゴール手前5mで最後の子が沈没し、鬼ごっこは鬼の勝利となった。
「ボートレースとはなんだったのか。……空はこんなに青いのに」
 リョウのつぶやきは、中禅寺湖の空に虚しくきえた。
 

●死闘! 中善寺湖のヌシ
 レースが森田の勝利で終わったころ、ヌシ釣りにも大きな動きがあった。
 最初にそれと遭遇したのは、影野だった。
 湖底でゆらめく大きな影。
 悠然と泳ぐ姿は、中禅寺湖のヌシにふさわしい貫禄があった。
 影野はその影へ急いで泳ぎ向かう。
「!?」
 数メートル潜り進んだところで、ある違和感に気付いた。
 周囲の景色と比較して、あきらかに尺度がおかしい。
 スナイパーライフルで驚かせてみることにした。
 ライフルから発射されたアウルの弾は、渦を引きながらヌシをかすめる。
 一瞬、驚いた素振りを見せたヌシは、影野を視界にとらえると、その巨体からは想像も出来ない速さで迫ってきた。
 影野の視界は、みるみるうちにヌシの姿に占有されていった。
 その大きさは、体長5mほどだろうか。ミニバン並みの大きさがある。
 さすがにひとりでは手があまると判断した影野は、急いで仲間たちがいるポイントへヌシの誘導をはじめた。
 楯はヌシの姿を見て唖然とした。
 大きいのは予想していた。でも、これは予想を遥かに超えるサイズだ。
 だが、そんなことを言っている場合ではない。楯は、大逃走(泳ぎ)でヌシを追った。
 神凪は、自分のほうへと全速力で泳いでくる影野の姿に気付いた。
 その後方から迫るのは、人間の数倍はあろうかという巨大魚。
 いかに撃退士が超人的とはいえ、水中ではヌシに分があるようで、大口を開けたヌシは、今まさに影野をくわえ込まんとするところだった。
 水中に差し込む光を反射し、巨大魚の口の奥で何かが微かに光る。
 が、今はそれどころではない。影縛の術を放つ神凪。間一髪でヌシの動きが鈍り、影野はかろうじて飲み込まれずに済んだ。
 ヌシに追いついた楯は、忍法「髪芝居」をつかう。
 楯の全身から伸びた体毛は、ヌシの体をからめとる。
 その姿は、いささかホラーである。
 動きが鈍ったヌシの下へ潜りこんだ草摩は、小天使の翼を使ってヌシを湖面へと押しあげた。
 急速浮上したヌシは、巨大な水柱を立てながら湖面へ飛びだし、鷺谷をカヤックごとぶっ飛ばす。
「ふははは! 勝負だ、ヌシよ!」
 ヌシが着水したポイントにむけてルアーを投げる下妻。
 想像以上に手ごわそうな相手だが、ここで引いたら流離の釣り師の名がすたる。
 水中に垂らされる大物用の針。
 だが、いくらなんでも下妻の竿だけでは釣り上げは不可能だろう。
 しかし、大物用の竿を用意していたのは、下妻だけではない。黒井もまた、大物用ルアーを用意していたひとりだ。
 湖中の4人は、それぞれハンドサインを送りながら作戦をたてる。
 もう、キャッチ&リリースとか言っている場合ではない。
 4人は協力し合いながらヌシを再び湖面近くまで追いやり、下妻と黒井のもとへ誘導した。
 ヌシはふたりのルアーをまとめて飲みこむ。
 楯が髪芝居と神凪の影縛の術が再びヌシの動きを鈍らせ、影野はヌシの体をスナイパーライフルで直接狙う。
 弱ったところを草摩は再び小天使の翼で押しあげた。
 そして、下妻と黒井が力を合わせて一気に引き上げる。
 激しく暴れていたヌシの勢いは次第に衰え、やがて、観念したかのように大人しくなった。


 レース参加者、ヌシ釣り参加者の全員が中禅寺湖の浜辺に集まっている。
 マキナは妹特製のサンドイッチを「皆さん……食べないってことはありませんよね」と笑顔でいいながら、手当たりしだいに配りまくっていた。
 これを食べたらどうなるのかは、読者の想像にお任せしよう。

 遠野が陸に引き上げられたヌシの口を力技で開いてみると、中から一斗缶ほどもある箱が出てきた。
「これが宝ですか……」
 ごくりと生唾を飲む草摩。
 遠野は頷き、ニカッと笑みをかえす。
「これを開ける前にレースの表彰をしようじゃないか」
 手書きのレジメをポケットから取り出した遠野は、森田へと向きなおって再び笑う。
 遠野が賞品内容を告げようとしたとき、高峰が彼のとなりにやってきて、なにやら耳打ちをした。
「うむ。それも一理あるな」
 そして、今度は鬼ごっこ参加メンバーへと向きなおった。
「お前たちは、レースを盛り上げてくれた。だから、この賞はお前たち全員にやろう」
 鬼ごっこに参加した面々の頭の上に巨大なクエッションマークが浮かぶ。
「アスハ。お前が代表で受け取れ」
「あ、はい……」
 アスハは、無造作に渡されたレジメを受けとり、中を開いて確認した。
『遠野's☆ブートキャンプ 強制収容チケット』
 レジメには、そう書かれていた。
「…………」
 嫌な汗が全員の額を伝う。
 森田は、心の底からホッとした。
 あんなに頑張って賞品がこれとか、残念にもほどがある。

「さて、宝だな!」
 手刀の構えをとる遠野。彼の手刀は、宝箱の上部を鮮やかに斬りさいた。
 全員が宝箱の中を覗き込むと、そこには――



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【湖B】中禅寺湖  担当マスター:マメ柴ヤマトMS








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