プロローグノベル 
――８月。日本の夏だ。
夏といえば水着。
プールに海水浴、花火大会に縁日。
あるいは冷房の効いた部屋でアイスを食べながらのグータラ生活。
しかし。
2014年、久遠ヶ原学園の夏は熱かった。
「運動会ですって」
曰く、新聞同好会会長・中山寧々美(jz0020)。
チリンチリンと気休め程度に鳴り響く風鈴の音と、彼女に向けられた扇風機のまわる音。
うろんげな目を向ける弟には目もくれず、他の新聞同好会部員へと矛先を向ける。
「……反応薄くない？」
静まり返る部室に、寧々美の声だけが響く。
無理もない。
酷暑のさなか、冷房と呼べる設備は、寧々美が独り占めしている扇風機だけなのだ。
「運動会よ？ 久遠ヶ原学園史上、はじめての」
あったのかもしれない。我々が知らないだけで。
あと球技大会はあった。
しかし、このように大々的に運動会が告知されるのは初めてのような気がする。
ゆえに寧々美は燃えていた。無駄に。
「もっと熱くなってちょうだいよ！ 我が新聞同好会は、その運動会のプログラムを入手したのよ？
このスペシャルな情報をいち早く学園全体に届けなきゃならないと思わないの！？」
その場に居合わせた同好会メンバーの数名が思ったことは言うまでもない。
情報より扇風機まわせよ、と。
しかし彼らの心の声は、悲しいかな部長には届かないのである。
「加えてもう一つ、提案があるんだけど――巻頭に水着グラビア載せない？」
週刊紙か。
「袋とじがあると部数が跳ねるっていうじゃない」
第一、誰が脱ぐのか。お前か。誰得だよ。
その場の全員が思っただろう。しかし口には出さない。口にだすのも面倒くさい。
「とはいえタレント呼ぶのも何か違うし――よし決めた！ 学園の有名人の水着姿、必ずゲットしてちょうだい！」
あっはい
●
「――働きたくない」
棒アイスをモグモグしながら、サーバルームのヌシこと月摘 紫蝶(jz0043)は独りごちた。
幾ら撃退士であり、この程度の暑さで倒れるようなことはないとはいえ、暑いものは暑い。
敢えて不快指数の高い夏場に、よりにもよって運動会だなんて……。
（水泳ならまだしも、見る限りほぼ普通の運動会だしな。真夏に運動なんてネトゲだけで充分だろうに）
学園長からの突然のお達しにより、開催が決まった運動会。
直々に手書きのメモを渡され、放送機材の用意とともに
大会プログラムの印刷通販発注というご用命を仕ったわけだが……。
ちら、と予定プログラムのメモに視線を向ける。
借り物競争
大玉転がし
綱引き
玉入れ
ヴァニタス討伐（実技）
リレー
……と、ラインナップはどうにもこうにも暑苦しい陸上競技ばかり。（※当然です）
他の教師に監督役を頼む前提であれば、正直どうでもいい話ではある。
しかし学園長の口ぶりからして、どうにも監督役のお鉢が回ってきかねない予感がするのだ。
ならば先手を打ってしまおう、と考えるのが効率的にズボラ生活を送る為の最適解ではなかろうか。
「ふふ……これでよし、と。我ながら名案だな」
紫蝶は大玉転がしの文字の前にそっと『水上』『縁日』の文字を書き足す。
ついでに監督者の欄に自分の名前を加えて。
陸上よりは海。昼よりは夜。
どうせ巻き込まれるなら先手を打って楽な方に配置されてしまえ、という魂胆。
――策士策に溺れる？ いえ、知らないことわざですね。
●
『夏の思い出に、彼氏彼女と浴衣で一枚。久遠ヶ原写真館』
『浜辺や縁日にヴァニタス目撃情報あり、警戒怠るな』
学園の構内。
至る所に貼られたビラの前で、２人組の学生が談笑していた。
「あ、そうそう。運動会さーうちら同じ赤組じゃん？ よろしくー！」
「よろしく〜。なんかさー、学生番号(PCID)で分けるって初めてだよねー？」
「他に奇数の友達いないかなーって思ったんだけど、うち、夏休みで帰省してるエイコしか知らなくてー」
「エイコちゃん？ うーん……いっそ連絡してみたらどうかな〜？ 何だかんだ、組の人数多い方が有利っしょ」
「だよねー。１日早く戻ってこれないか、メールだけでもしてみよっかな」
「うん、ダメ元で声かけてみても良いかもね〜」
勝つと学園から報酬があるらしい、という噂は、少なからず少女達の心を動かしているようｄ
「つか報酬とかどうでもいいけどね、先生のジャージ姿が見られれば」
「あーほんとそれね……マジだったら死んでも捕まえて写メ撮らしてもらうわ私」
「エイコにも教えたほうが良いよね。エイコも先生ファンだし」
「そうね……あーもう先生マジかっこよすぎて意味分かんない……生きるのが辛い……」
「なんでこんなに暑いのに先生はああも涼しげなのか……マジ意味分かんない……生きててよかった……」
報酬は飾りという人も世の中にはいるようです。
度を超えたイケメンって罪作りですね。
とまれ、じきに始まる運動会。
初等部生から大学院生、果ては教師まで。
大人げなくてもいい。
バカと言われてもいい。
こんなに騒げる機会はそうそうないはず――だから最大限、楽しんじゃってください、ね。
エピローグノベル
「次はハチマキらしいぞ！ 持ってる奴は交換所に走れー！」
「ハチマキ！？ 必勝と全力どっちだ！？」
「……えっ」
「……えっ？」
手探りだらけの借り物競争。
一説には、一人で五百ものアイテムを借りた猛者がいたとかいないとか。
また久遠ヶ原学園付近のビーチでは、水着やジャージの姿で学生が大玉を転がす事案が発生。
「ゴロゴロゴロゴロ」
「どこまで行く気だー！ 沖に出ずにトラックを回れって言っただろー！？」
水分補給の為のお茶やお菓子を配る学生の姿も見られるなど、
勝負ながらに和気あいあいとした空気で進行していたという。
綱引きの会場においては、迷子紐のごとく綱を括りつけられた先生達（＋α）の姿が目撃されたとか。
「……ふう、青春とは素晴らしいものだ……ね……」
長く伸びた４本の綱のたもとを握る緑スーツのナイスミドルが、ものすごい汗をかきつつも、
やりきったと言わんばかりにイイ笑顔を浮かべていたことは、一部の学園生だけが知る情報であった。
――教師にものを投げてはいけません。
そう言われても、日頃の鬱憤を晴らしたい気持ちは誰にだってあった。
「……やれやれ、酷いとばっちり、だ」
小さな声でぼやいた白衣の教師は、血気の多い学生から逃れるかのように科学室に篭もっていた。
普通の玉でやればいいものが、何故、所謂くず鉄にすり替わってしまったのか……。
それは学園長と一部の人間のみが知る、あれ、なんだ、その、大人の事情。みたいな。
プログラムは順調に進行し、夕暮れに始まった大玉転がし2nd。
久遠ヶ原神社の境内には、学園商店街の協賛による縁日が登場し、
学生たちを楽しませ――ると思っていた時期が我々にもありました。
蓋を開けてみれば、人混みの中なかば無理やりに大玉を転がし行く大乱闘。
赤組白組、双方が追い抜き追い抜かれの接戦を繰り広げていたという話で、
阿鼻叫喚の縁日の中を全力で駆け抜けていく撃退士達の姿を、縁日の出店者たちはポカンと見つめていたそうな。
その頃。縁日、そしてビーチという玉転がし現場では別の事件も起こっていた。
期間中に突如として登場したヴァニタス（）――。
玉を転がす傍らで、それらの討伐にあたった撃退士も少なくなかったという。
「リア充爆発しろ！」
「正直モテたい！」
あれっヴァニタス討伐……あれ？
――閑話休題。
運動会といえば応援合戦。むろん、応援席での応援も白熱した。
「大玉勝利ぃ！ みんなぁカッコイイぞぉ！」
「腹が減っては戦はできぬ〜というわけでお弁当とお飲み物をならべておくのだよ〜」
「最後まで頑張っていきましょう♪」
白組の応援、そして差し入れ。
「Ｒｅａｄｙ ＯＫ ？」
「フレーッ！フレーッ！ あ！か！ぐ！み！ フレーッフレーッ！赤組！ フレーッフレーッ！赤組！」
「がんばれーまけんなーちからのかぎりいきてやれー」
赤組の応援にはチアガール達の姿などもあり。
にぎわいを見せた応援席では、相手チームへのエール交換も含め、様々な交流も生まれた様子を見せる。
そしてその団結は、最終競技のタスキリレーへと――文字通り、襷を繋ぐ。
最終競技、タスキリレー。
数多の思いを乗せた紅白の襷は、撃退士達の絆そのものだったといえよう。
多くの人の手に渡った襷は、掛けられた想いとともに。
学園の歴史に――そして学園生の心に、刻まれることになるのである。
●
――運動会、終了。
熱気冷めやらぬ学園の中、新聞同好会会長・中山寧々美(jz0020)は額の汗を拭った。
「……さて、と」
羽織るジャージを脱ぎ捨てて、彼女は机上のデジタルカメラを手に取り呟く。
「こういう事があるから、『日常を守りたい』って思えるのよね」
彼女にも、かつて、楽しむことを忘れた時があった。
この学園に籍を置く者の中にも、辛い過去、癒やしきれない心の傷を持つ人間は多く存在する。
けれど。
悲しみだけを胸に生きることは、正しいことではないのではないか、と。
教えてくれた人がいた。
教えてくれる、人がいる。
――この学園にも、沢山。
（帰ってくるべき日常、待ってくれる人たち。それがあると思えば、今後の戦いも頑張れるハズよね）
寧々美は大きく息を吸い込むと、己の頬を両手で包み込み、パン、と打つ。
「よーし、気合入れ直していきましょ！ 早速、仙台に向かわなくっちゃ」
手にはデジカメと愛用のペンケース。
時に剣よりも強いと言われるそれらを、大切な仲間の為に活かすため。
彼女は今日も、走り続ける――
【夏の大運動会 了】
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