○
七人の撃退士が刑務所の門をくぐると、そこには地獄が待っていた。
「こいつは……ただごとじゃねぇな」
最初に突入した獅堂 武(
jb0906)は、眼前の光景を見て絶句した。門の先に広がる広場のあちこちで、看守や囚人が血を流して倒れていたからだ。
広場にある西・北・東の三方の出入り口からは、暴徒と化した囚人達が途切れることなく押し寄せてきていた。彼らの狙いはただ一つ、脱獄だ。所内の看守達をあらかた殺しつくした彼らは、新たな獲物を求めていた。
そんな囚人達を阻止すべく、生き残った看守達はV兵器の銃を手に涙ぐましい抵抗を行っていた。彼らの顔には、一様に恐怖が浮かんでいる。そんな看守のひとりに、刀を手にした囚人が背後から襲いかかった、まさにその時――
「待たせたな、加勢するぜ!」
麻生 遊夜(
ja1838)が、囚人の刀を撃ち落とした。
「みんな、もう大丈夫だよー」
「(こくり)」
続いて現れた来崎 麻夜(
jb0905)とヒビキ・ユーヤ(
jb9420)も、脚甲と鉄球の旋風で囚人達を次々と蹴散らし始める。
「脱走は犯罪です……あ、犯罪者だった?」
佐藤 としお(
ja2489)も負けじとばかり、囚人達の鎮圧に動く。佐藤の銃で撃たれた囚人達は次々と悶絶してその場に倒れた。急所を外されたとはいえダメージは相当なものらしく、立つ事もままならないようだ。
撃退士達の初動の手際の良さもあり、広場内の囚人は鎮圧された。だが、敵は所内の囚人全員なのだ。すぐさま第二波、第三波がやってくるだろう。
「諦めないで! もうすぐ応援が来ますよ!」
若松 匁(
jb7995)の励ましの声を聞いて、看守達の顔に希望の色が浮かび上がった。
だが……
「ほ、本日は晴天なり!」
「ダルマさんが転んだ!」
「お荷物のお届けです!」
彼らの口から返って来たのは、脈絡のない支離滅裂な言葉だった。看守達のセリフと声色のギャップが異様さを一層際立たせている。
(何これ。まるでホラーだねぇ……映画じゃあるまいし……)
一体この刑務所で、何があったというのだろう。およそ理解を絶する状況を前にして、若松は背筋に寒いものを感じた。
(考えてても仕方ない。まずは情報収集から!)
気を取り直した若松は、シンパシーで看守から情報を得る事にした。
「ええ、いいお天気ですね。大丈夫、しゃべらないで……少し、記憶を借りますね」
言葉が通じなくとも、記憶は残っているはず。今は情報を得るのが先決だ。
「よ、よいではないか!」
別の看守が、撃退士達の頭上を指差した。
彼の示す指先――広場の中央、掲揚台の真上に、黒いドレスの女悪魔がいた。
「ようこそ、撃退士さん達」
女の悪魔が、芝居がかった仕草で一礼した。
「わたしの名前はザンスカル。この地獄の音頭をとる、黒い可憐な一羽の蝶……なんてね」
「あいつが……」
シンパシーを使い終え、看守の額から手を放した若松の頬に汗が一筋伝う。
狂っている。囚人も、看守も、いや、この刑務所そのものが狂ったカオスと化している。
そして、それを創りだしたのは……あの、赤い舌を見せて巫山戯た笑みを浮かべる、女悪魔ザンスカルなのだ!
「皆さん、気をつけて下さい!」
若松が言った。
「おいつの腰のラジオ! あれが騒ぎの原因です!」
「ウエヘヒヒー! その通り!」
奇天烈な笑い声と共に、ザンスカルがラジオのボリュームを最大に上げる。
「さあ、みんな仲良く踊ろうね! ちょうど相手も来たみたいだよ!」
バーン! 撃退士達の目の前で、派手な音と共に西のドアが破られ、三人の囚人がエントリーした。
「いらっしゃいませ!」
「おあと生二丁!」
「ポテトはいかがですか!」
血に濡れたV兵器を手にした囚人達の雄叫びが所内に響いた。
「あの悪魔は、状態異常を使うはずです。注意して下さい!」
廣幡 庚(
jb7208)が広場の片隅に転がる石化した囚人を指差して言った。
「急いで所定の場所に! 看守さん達は三人一組になって、私達の指示に従って下さい!」
その場にいた撃退士と看守達が頷き、走り出した。戦闘開始だ。
○
西の囚人を相手に、先陣を切ったのは来崎だった。
「さぁ、悪い子はオシオキの時間だよー」
妖艶な笑みを浮かべて放たれる回し蹴りが、斧を振り上げた囚人の鳩尾にめり込んだ。
「いらっ!」
前かがみになった囚人の手に、二撃目の蹴りが飛ぶ!
「しゃいっ!」
懐に飛び込み、とどめに放った蹴り上げが囚人の顎に命中!
「マセエェェェーッ!」
「よーし、次っ! ……うわっと」
囚人を吹き飛ばしバク転で後退した直後、今まで来崎の立っていた場所に剣と槍が突き刺さった。
「おあと生二丁ッ!」
「ポテトは! ポテトはいかがですか!?」
「もー。慌てちゃダメだよ? みーんな、蹴って蹴って蹴りまくってあげるから♪」
挑発するようにとんぼ返りを舞いながら、囚人達に向かって手を扇ぐ来崎。
ラジオから流れる声によって完全に理性をなくしているのか、残った二人の囚人はすぐに襲いかかって来た。
「やらせません!」
無防備になった囚人の側面から、廣幡が魔具Clavier P1を展開。宙に浮かぶ鍵盤を叩いて衝撃波を発生させる。
「ポ……ポテトは……いかがですかああァァァ―ッ!」
囚人の一人が絶叫と共に剣を落とし、泡を吹いて気絶する。
「看守さん!」
「よいではないか!」「お世話になっております!」「白線の内側にお下がりください!」
「生! ふた、ちょ……」
廣幡の言葉と同時に看守達の集中砲火が浴びせられ、最後の囚人も倒れた。
「んー、ちょっと足りないかな?」
倒れた囚人をドアの前に転がすと、来崎は人指し指を額に当てながら悩んだ。倒れた囚人をバリケードに使えればと思っていたのだが、ドアの幅が想定よりも広かったのだ。
「入口の傍に転がしておこうかな。足止めくらいにはなりそうだし。……廣幡さん、次の敵は平気かな?」
「こちらはまだ、平気です。……北に三人、来ました」
生命探知を発動した廣幡が答える。
「了解。蝶々さんが来た時に備えて、スキルは温存かな」
来崎は、ふうと息を吐いた。
そのころ、北では獅堂が氷晶霊符で応戦していた。
「面倒くせぇことしてくれんじゃねぇよ!?」
距離をおいて囚人の手足を狙う獅堂。四神結界の支援を受けた看守達がそれに続き、彼の援護射撃を行う。
「逃がさないですよ……っと!」
砲火を浴びて弱った囚人の武器を、佐藤の弾丸が確実に撃ち落としていく。だが、そんな事などお構いなしに、三人の囚人が同時に獅堂へと飛びかかって来た。獅堂は慌てる気配もなく、流れるような仕草で刀印を切る。
「戦神招来。闘刃武舞!」
獅堂の周囲に次々と戦神の剣が現れ、彼を取り囲む囚人達を切り刻んだ。
「よろしくお願い……します!?」
「3.141592―っ!」
「いっ……いいお天気ですねーッ!!」
剣が消えると同時に、囚人達は糸の切れた人形のように倒れた。
「よし。一丁あがりだな!」
「急いで囚人を運ぼう。第二波が来る前に」
敵の手足を手錠で拘束すると、撃退士と看守達は、担いだ囚人をドアの前に転がし始めた。
○
刑務所内は完全なる混沌の様相を呈していた。
「あなた達は選ばれたのです」「ご機嫌いかがですかーッ!?」「『声』に立ち向かいます!」「白線の内側にお下がりください!!」「光冠を戴く三稜の地、健やかに伸びゆく」「スターショットは使わないで。おかしなスキルで返されます!」
ラジオの「声」。囚人の罵声。廣幡がClavierで奏でる学園の校歌。発砲する看守。シンパシーの情報を伝える若松の声。あらゆる音と声が渦を巻き、刑務所内に渾沌の狂想曲を奏でた。
そんな様相を、地獄の亡者達を見つめる仏のごとき表情で、ザンスカルは空から眺めていた。
「ふふ……ウフフ……ウエヘヒヒ。ちょっと面白くないなあ」
もう少し見物を続けたかったが、「声」がかき消された以上、留まる理由はない。手の内を知られたとなれば尚更だ。
「蜘蛛の糸は垂らせない。なぜならわたしは蝶だから。ウエヘ!」
弓を手にしたザンスカルが、蝶の羽を広げた。
○
一方、東では。
「……目に付く敵は、全部、潰す」
持ち主よりも巨大なギガントチェーンを振り回しながら、ヒビキは目の前の囚人のひとりを薙ぎ倒した。囚人はふらついて立ち上がるも、若松の白銀のロザリオから放たれた刃が手足に突き刺さり、倒れる。もう一人の囚人も、看守三人の集中砲火の前にあえなく沈んだ。
「ポコペン! ポコペーンッ!」
そこへ最後の一人が、破れかぶれとばかりにナックルでヒビキに襲いかかってきた。
(撃ちもらし……シールドで、受ける)
そう思い、ヒビキが受けの体勢を取った時――
「ポコペーンッ!?」
背後からのクイックショットで、囚人の手足が撃ち抜かれた。
「フリーズ、ってな。……俺の索敵から逃げれると思うなよ?」
「ユーヤ!」
ヒビキが目を輝かせて振り返った先には、銃を手にした麻生が立っていた。
「うちの娘には指一本触れさせないぜ。覚えとけ」
囚人は看守に武器を取り上げられ、手足を錠で拘束された。
「油断するなよ」
「ん。……ありがと」
こくりと頷くヒビキの傍では、看守から得た情報を若松が大声で伝えていた。
「光る蝶には気をつけて! 死ぬと爆発して状態異常を撒き散らします! 鱗粉は吸い込むと会話が出来なく――」
「ウエヘヒヒー! その通り!」
突如、女の声が割って入った。ザンスカルだ。
「さあ、皆も踊ろうね!」
ぶるっと身を震わせたザンスカルの羽から、鱗粉が舞う。
言語中枢に干渉し、コミュニケーション能力を奪うザンスカルの特殊スキル――
喋々叭止である!
○
「いただきます!」
張本人のお出ましか! そう言ったはずの麻生の言葉が全く別のものに変わっていた。
(食らっちまったか。だが、問題ない!)
麻生のクイックショットを、ザンスカルは避けた。返す刃で放たれるザンスカルの矢が麻生の肩に突き刺さる。
「いい狙いだね。わたしの次くらいに! ウエヘ!」
「やらせませんって!」
指の股に挟んだ二本目の矢を、即座に発射するザンスカル。だがそれを、廣幡の聖なる刻印を受けた佐藤が回避射撃で撃ち落とした。
「やるねぇ。おっと!」
「落ちなさい!」
「オホホー! 残念!」
廣幡の星の鎖を避け、間髪入れず放たれた麻生のロングレンジショットも回避するザンスカル。右に上に、下に左にと、空気抵抗を完全に無視したその軌道で、ザンスカルは撃退士達を翻弄する。
「たった三人? そんな人数で落とそうっていうの?」
嬌笑と共に、再び矢を放つザンスカル。撃ち落とす佐藤。獅堂の韋駄天の加護で、彼の身のこなしは機敏だ。
「せめて倍は集まらなくちゃ! 踊るなら多い方が楽しいしね!」
「ふざけるな!」
怒りに燃える目で、佐藤が言う。
「人は弱い生き物だ。でもそれを補って強くなろうとする生き物だ。そんな心を利用して殺し合わせて……」
イカロスバレットで敵の落下を狙う佐藤。ザンスカルは回避。
「あんまり人間をなめんじゃねぇぞ。かならず追い詰めてやる……!」
「ふふふ、いいねぇ。わたし、君みたいな目をした人間は大好き。そんな人間をいたぶるのは、もっと好き!」
周囲に三羽の光る蝶を生成しながらザンスカルが笑う。
右端の一羽を撃ち落としながら、麻生は敵のスキルについて考えを巡らせた。若松が話した、スターショットを反射したというスキルだ。
(奴はさっきから、攻撃を避けている。反射の条件は、カオスレート+で間違いなさそうだな。さて……通常、−、どれが効くかだが)
まともな攻撃では絶対に命中しない。先ほどの攻撃で、麻生はそれを身に沁みて理解していた。ならば<闇穿つ者>か<天騙る者>で応戦したいところだが、敵はほぼ確実にカオスレート攻撃への対抗スキルを隠し持っている。
(被弾覚悟で敵のカードを暴くか。仲間と一緒にラジオを狙うか。どっちだ……?)
西の方角では、来崎と看守が囚人達をくい止めていた。Howling Night birdで脳を揺さぶられた囚人達に、看守の銃撃と追撃のSelfish Judgmentが飛ぶ。
「判決……牢破りにより磔に処す」
妖艶な笑いと共に、傷を負った体で囚人を次々となぎ倒す来崎。
北では、獅堂がドーマンセーマンで敵を足止めし、廣幡がスナイパーライフルで援護射撃を行って食い止めていた。こちらも加勢は望めそうにない。
東でも、ヒビキと看守達が苦戦を強いられていた。若松は光る蝶の対応に追われている。
来崎とヒビキは、度重なる戦闘で少なくないダメージを負っていた。来崎はSoul Eaterで、ヒビキは魂喰らいでそれぞれ傷を癒していたが、スキルの回数が尽きれば、一気に不利に追い込まれるだろう。
(奴の対応に動けるのは、俺と佐藤さんだけだ。もし遊撃の俺達が倒れたら、前線が崩れた時に対応できない……!)
一瞬の逡巡の後、麻生は勝負に出た。
(よし。ラジオを狙う!)
○
「いただきます!」
喋々叭止の影響を受けた麻生に、言葉で意思を伝えることは出来ない。だが、宙に浮く豆撒機関銃を見た佐藤は、すぐに彼の意図を察した。
「了解です。任せて下さい、麻生さん!」
「隙あり! ウエヘ!」
ザンスカルの放った矢を脇腹に受けつつ、麻生が敵の後ろに回りこむ。10時の方角だ。
韋駄天で走る佐藤も、2時の方角に回りこむ。彼の周囲にも、色取り取りの銃砲が浮かんでいた。
射線上、オールクリア。佐藤と麻生のバレットパレード一斉射撃だ。
気配を察したザンスカルが振り返り、首を左右に振る。
「おや? おやおや??」
(避けれるもんなら避けてみな!)
ザンスカルに向けられた銃口が、同時に火を噴いた。
銃弾の嵐が止み、発砲音の木霊が消えると、弾幕が晴れて視界が見えてきた。
だがそこに、ザンスカルの姿はない!
(いない!?)
銃を手に、上空を探る佐藤。その時――
「佐藤さん! 後ろだ!!」
喋々叭止の解けた麻生の声と同時に、ザンスカルの矢が佐藤の背中に刺さった。
「ぐっ!」
「三人の倍は必要だ、そう言ったのにねえ」
右手で矢を弄びながら、ザンスカルが笑う。
「そろそろお開きにしようか。君達のお仲間も来たみたいだし」
ザンスカルが矢で示した方角から、撃退署のサイレンが幾重にも重なって聞こえてきた。
「じゃあね皆! ウエヘ!」
無傷のラジオをぶら下げたまま、ザンスカルは光る蝶の群れを置き土産に、刑務所の外へと飛び去った。
○
程なくして、駆け付けた応援によって暴動は鎮圧された。
「すまん。逃した」
「気にしない。今度は勝とう?」
「……ん」
麻生の背中を、来崎とヒビキがそっと撫でた。
看守達の援護があったとはいえ、囚人達をひとりで食い止めた彼女達の体も傷だらけだ。
「次は仕留めましょう。必ず」
ザンスカルが去った西の方角を見て、佐藤が呟く。
地平線に足をつけた夕日の真ん中に、ゴマ粒のようなザンスカルの後姿が映っていた。