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「あのさ、ちょっといいか?」
宗方 露姫(
jb3641)は、学校へ行く途中、鵜飼ヒカリに声をかけた。
(角、生えてる)
ヒカリは彼女の姿を見て、思う。角だけでなく、翼は尻尾も生やしたその姿は、どことなく竜を思わせる。
悪魔の人だろう。ヒカリはそう考えつつ、僅かに身を硬くする。ヒリュウ程じゃないが、思い出すのだ。
「偶然お前が召喚獣呼ばないで戦ってるの見てさ、気になってたんだ」
宗方はそう語ってから、自分の名を名乗る。
「何で召還獣を呼ばないのか? 理由があるのか?」
宗方は彼女に優しい口調で語りかけた。ヒカリは少し躊躇う。初対面の相手だ。あまり深く話す気にはなれない。
「……苦手なの。前にちょっと……あって」
だからヒカリは、少しだけぼかして答えた。宗方は「そっか」と呟くと、「んっとさ、ヒカリはそーいうのじゃねぇかもしれないんだけど……」と、歩きながら話を始めた。
「俺もホントは、人間と一緒にいるのがちょっと怖いんだ」
宗方は、一年程前、敵と勘違いされ撃退士に殺されそうになったことを話す。
「その時は、まさか自分が撃退士の側に立って、人間と一緒に戦う事になるなんて思ってなかった」
ヒカリは宗方の隣を歩きながら、『当然だ』と思う。もし自分がその立場だったら、同じ事は出来ない。
「だけど、強くなりたかったんだ。だから今こうして此処にいる今よりももっと人間の事知って、皆と一緒に強くなりたいからさ」
「……強く?」
「ヒカリは何の為に撃退士になったんだ? 今以上に強くなりたいんじゃないのか?」
言われて、ヒカリは思う。あの日のこと。あんなこと、もう二度と起こしたくない。だから撃退士になったんだ。
「その為には、まず自分自身と戦わなきゃ駄目じゃないかな」
「自分、自身……」
彼女は反復するように呟く。けれど、頷く事は出来なかった。「考えとく」とだけ言って、ヒカリは校門へ駆けて行った。
「楓、手伝って貰えるかな?」
紅織 史(
jb5575)が親友の里条 楓奈(
jb4066)にある打診をしたのは、この数日前。
「ん、断る理由なぞない。当然協力させてもらうさ」
里条は彼女の提案を快く承諾した。そうして、今日である。
「初見だな、私は里条楓奈と云う者だ、鵜飼と同じくテイマーをしている」
「私は紅織史。楓とは中学からの付き合いだ」
里条と紅織は、廊下で鵜飼を見つけると、自分達の素性を明かし、声をかける。
(同じテイマー……ってことは)
ヒカリは何となく事情を察し始めていた。多分あのお節介な友人の所為だろうと。
「ちょっとついて来てもらえるか」と、二人は彼女を連れて歩き出した。
「話はきいている。鵜飼の心情、解らんくもない」
道中、里条はそう話し始める。
やっぱり、とヒカリは内心溜め息を吐く。予想が当たっていたからだ。
「私も『アレ』の姿をした召喚獣がいたならば、同様な反応だろうしな……」
「あれ?」
里条の呟きに、ヒカリは首を傾げる。「まぁ、それはそれとして、だ」彼女はそれを流して、話を続ける。
「お主に召喚されたヒリュウの事、少しは考えて貰えぬか? 今日から、共に心通わせて戦える相棒と会えると思ったら、いきなりの拒絶……仮に鵜飼が逆の立場なら、そのショックが理解できよう?」
「それは……はい……」
突然の指摘に、ヒカリは縮こまる。気にした事が無いわけでもなかった。テイマーの扱う召喚獣は、それぞれ別個で、いつでも同じ個体が現われるのだという。
だからこそ、テイマーと召喚獣の関係は特別だ。無二の相棒とも言える。
(それを私は……拒絶した)
「鵜飼さんは緑茶、紅茶、ウーロン茶どれがいいかい? それとも他のドリンクの方が好き?」
と、硬くなったヒカリに、紅織が気さくに話しかける。
「ええと……紅茶ですかね。というか、何処へ向かってるんです?」
行き先は、視聴覚室。二人はそこで映像を見せたいのだと言う。
紅織に紅茶を渡されたヒカリは、大人しくそれを視聴することにする。
それは、里条と彼女のヒリュウが一緒に写っている映像だった。映像の中の里条は、召喚したヒリュウに軽いキスをする。「信頼と絆の証だ」と彼女自身が補足を加えた。
その映像は、彼女とヒリュウが楽しそう過ごしているものだった。実物が苦手ならまず映像から、という紅織の案だ。
だが、映像でもヒカリはトラウマを思い出すらしい。表情は硬く、手も強く握られている。我慢しているは、傍目からも明らかだ。
「今後戦場に出るのなら、このままという訳にいかんだろう」
里条はそんな彼女に、語りかける。
「テイマーとして実力が発揮できぬと云う事は、仲間の命を危機に晒す可能性を大いに孕んでいる事になる。もしあの時……と、後悔はしたくなかろう?」
「わかってます、それは……」
つい、突っぱねてしまうヒカリ。分かってるけど、それが出来ないから辛い、と。
「私はさ。最悪、君がヒリュウと関係を改善できなくても良いと思ってるんだ」
紅織は、里条と反対のことを言った。ヒカリが驚いた表情を見せる。
自分でも分かってることを言われるのは、辛い事もある。そう考えての発言だった。
どうしたいか、という答えは、既に彼女の中にあるはずだ。
「君はどうなりたいんだい? 君はなりたい自分になれるはずだよ。君が望めばね」
決断の一押しを出来ればと、紅織はそう付け足した。
「なりたい、自分……」
ヒカリは最終的に、その映像から目を背けなかった。額には汗が滲んでいたが。握り締めた手には爪痕がくっきり残っていたが。それでも、目を背けてはいなかった。
「高等部2年、千葉だ。宜しく頼むぜ!」
「大学部2年、漆原だ……」
次に彼女と接触したのは、千葉 真一(
ja0070)と漆原 大家(
jb4895)。
「ちょっと話を聞かせて貰いたくてな。召喚の件で」
ヒカリは素直に頷いた。彼らも友人に頼まれたのだろうと思って。
「適正があって薦められたってのは聞いてるが、今のジョブを選んで後悔はしてないか?」
まず、千葉がヒカリにそう問うた。彼女は答えに、若干惑う。
「他の学科なら……こんな風に迷ったりはしなかったかな、とは思います」
絞り出した答えは、YESでもNOでもない。「なるほど」と千葉は相槌を打ち、「なら召喚スキルを一通り習得してるのに使おうとしない理由は?」と更に聞く。
「それは……」
口を噤んで答えない。
「いやなに、使える力を半分封じたまま戦って行けるほど、神魔も甘い相手じゃないだろ?」
このままだと間違いなく後悔する事になりそうだ。下手をすれば仲間の命も左右する事態だし、放ってはおけない。千葉はそう考えていた。
「今のままで良いと思ってないなら、一歩踏み出してみるのも悪くないと思うんだがな」
彼女の気持ち次第、という所はあるが。
「私は、無理に竜を呼べと言うつもりは無い……」
漆原は二人に茶を渡し、自分でもずずずと飲む。
「私は……いわゆる先端恐怖症でな……」
落ち着いた口調で、彼はそう切り出す。「大の大人が情けない話だが……自分で呼んだ竜の爪や牙にすら、軽い恐怖を覚える程だ……」
「爪や、牙……」
それはヒカリも苦手なものだった。やはり、あの日の竜を想起させるものは受け付けない。
「君の気持ちも、全く解らんと言う訳では無いつもりだ……本当に無理なのであれば、竜を呼ばぬのも選択の内かとは思う……」
漆原は、そこで言葉を切ると、「だが」とヒカリに向き直る。「個人的には、呼んで見るべきだと思っている……恐怖を放置したまま戦場に立つのは……危険だ……。例えば、依頼で同行した仲間が竜を呼んだ時……今の君は冷静でいられるか……?」
「それは……」
言葉に詰まる。今までは騙し騙しやってきていた。誰かが召喚を行っても、出来るだけ視界に入れないようにしたり。
「君の動揺が隙となり、仲間を危険にさらす可能性も、ゼロではない……」
そんな状況で、自分が『落ち着いていた』とは、とてもじゃないが言えない。ただ敵に集中して、誤摩化していただけだ。
「君が戦場に向かおうと言うのなら、まず最初の敵となるのは、自身の恐怖なのではないだろうか……?」
否定出来ない。ヒカリは未だに、かつての恐怖を乗り越えられていない。他の多くの撃退士が乗り越えて来た、恐怖を。
「恐怖を消せとは……私には言えない……。だが人は……恐怖を無視しては生きられない様に思う……。だからこそ、その恐怖は克服するか……そうでなくとも、認めなければ、前に進めない……戦え無い……」
ヒカリは頷いて、貰った茶をゴクリと飲み干す。
「自分の相棒達に一歩歩み寄ってみないか?」
千葉が改めて提案する。自分の力を使いこなせないのは、勿体ない事だ。
「君が、なぜ戦うのかまでは聞くまい……だが、君がより強く在りたいと願うなら……竜に慣れ、竜を使役し、竜と共に戦うべきだろう……彼らは君に力を貸してくれる……信頼できる、強い力を……」
ヒカリはそれから暫く黙っていた。
そして、二人に「ありがとうございました」と頭を下げる。
石動 雷蔵(
jb1198)とフェイン・ティアラ(
jb3994)も、彼女に声をかけた。
「お前の友人からの頼みだ。少し話を聞いてくれないか?」
石動が言うので、ヒカリはこくりと頷く。彼は何か大きな袋を持っていて、それがとても目を引いた。
「ヒリュウに酷似した天魔がトラウマの原因とは聞いている。が、姿形だけでも駄目なのか?」
「ヒリュウも皆もすごくいい子達だよー」
フェインの無邪気な言葉に、ヒカリは「そうらしいね」と小さく答える。「……姿形だけでも、というか……姿形が駄目なんです」
紅織と里条が見せてくれた映像で、ヒリュウに害意が無いのはある程度伝わっていた。問題はヒカリ自身がアレと関連づけてしまうことなのだろう。
「それなら……これだな」
石動は呟いて、手にした袋から何やら取り出した。
「すごいー! 雷蔵器用だねー」
それは、ヒリュウの等身大編みぐるみだった。可愛らしい外観ながら、かなり実物に近い。しかもそれは石動の手作りだ。夜なべして作ったのか、顔に少し疲れが見て取れる。
ヒカリはその技術に感心しつつ、編みぐるみを複雑な思いで眺めた。大丈夫なような、駄目なような。少なくとも、これを『怖い』と思う事はないけど。
「……俺も以前、家族を天魔に奪われている」
石動は、ぽつりと零す。「だから、学園がはぐれ悪魔や堕天使を受け入れると聞いたときには拒絶したい気分になった」
彼の言葉に、フェインは少し複雑な表情を見せる。彼も天使の一人だったからだ。
「が、実際に付きあってみて、彼らと「あの天魔」は違うんだと知った……だから、まずは触れ合ってみるといい」
続く言葉に、フェインは安心したように頷く。そして彼は突然ヒカリ達から距離を取った。
「……?」
不思議そうにそれを眺めるヒカリ。すると、フェインの隣に桜色の竜が出現した。朱桜という、彼の召喚獣。
「あんまり動かないようにしてねー。ヒカリが驚いちゃうからねー」
フェインは朱桜を腕に抱き、優しく言い聞かせる。朱桜は若干うずうずと動きたそうにしていたが、すぐ言う事を聞いて大人しくなる。
ヒカリは、突然の本物登場に言葉が出なかったが、彼が楽しそうに微笑みながらヒリュウと戯れているのを見て、僅かに緊張が和らぐ。
紅織と里条が見せてくれた映像と、それはよく似ていた。本当に、ヒリュウと人は仲良くなれるんだ。
「ボクの隣に召喚してみてー!」
と、フェインが遠くから手を振って大声で促す。「え」とヒカリは狼狽える。
助けを求めるようにちらと石動を見ると、彼もこくっと頷いた。
(まずは触れ合ってみるといい)
さっきの言葉を、また思い出す。或いは、今日言われたたくさんの言葉を。
「……」
ヒカリは、すぅと息を吸う。それからはぁぁとゆっくり吐いた。
「……ごめん……出て来て」
掠れた声で、絞り出す。
フェインの隣に、小さな竜が姿を現した。ヒカリはそれを確認すると、すぐ眼を逸らす。僅かだが、手が震えていた。
「君もヒカリと仲良くしたいよね……、うん、きっとわかってくれるよー」
彼は、ヒリュウをよしよしと撫で、優しく声をかける。
「ヒリュウも悲しんでるよー。この子自身のことを見てあげてー!」
声をかけるが、彼女はヒリュウの方を向こうとしない。
「この子はヒカリの力になりたいと思ってるんだよー!」
フェインの隣で、ヒリュウが同意するようにぱたぱたと羽根を鳴らす。
「ヒリュウは友達、怖くないよー!」
彼は朱桜の召喚を解除すると、ヒリュウの前に一歩進む。「大丈夫、この子はヒカリを傷つけることなんてないよー」
ただ、彼女にはそれが限界だったようだ。結局近づく事は無いまま、ヒリュウは姿を消す。
「大丈夫、少しずつでもいいから、この子達と頑張っていければいいんだよー」
「友人さんに聞きました、悩んでるんだって?」
雁鉄 静寂(
jb3365)は、廊下をとぼとぼ歩く彼女に声をかけ、ジュースを差し出した。
ヒカリはそれを受け取って、「はい」と小さく返答。「ありがとうございます」と礼を言って、一口飲む。
「悩んでるというか……苦手なものがあって。あぁでも、悩んでるのかな」
同時に雁鉄も一口。それから「わたしなんか家事が苦手です」と、苦笑気味に呟いた。
「で、何に悩んでいるの?」
「今日、色んな人が私の苦手なものを克服しようとしてくれて……」
彼女はそれから、今日あったことを一つずつ話す。「うん、うんそうなんだね」と、雁鉄肯定しながら静かに聞く。
「それで召喚は出来たけど結局近づけなくて……ヒリュウとは視覚共有してるから、そんな自分がよく見えて……私、何してるんだろって、もうよくわかんなくなって」
「そっか。……ちょっと頭の隅に入れて考えてみてください」
ヒカリが息を継ぐようにジュースを飲んだタイミングで、雁鉄もまたそれに口を付ける。
「鵜飼さんは、もう充分前に進んでます。何してるんだろって疑問を抱けるってことは、ヒリュウとその竜が違うと分かってる証拠なんじゃないでしょうか」
雁鉄は、それだけ言って立ち去る。「今日は騒がしくてごめんね」と、最後に謝罪を述べて。
校門には、宗方がそわそわと立ち尽くしていた。
彼女は出て来たヒカリを見ると、駆け寄り、言う。
「あ……あのさ、迷惑じゃなかったら俺とダチになってくれない、かな?」
ヒカリは突然の申し出に一瞬きょとんとするが、「いいよ」と笑って答えた。
二人での下校中、彼女は宗方にぽつりと零す。
「私、戦ってみる。自分と。ヒリュウとも……仲良くなりたいから」
「ん、そっか」
「龍型の宗方さんとも、仲良くなれるもんね」
「おぅ! 頑張れよ!」
宗方の応援に、彼女は笑顔で頷いた。
それから極稀に、彼女は召喚獣を扱うようになったそうだ。
まだ若干、距離は遠いらしいのだが。