その日の朝。
部屋を出たミハイル・エッカート(
jb0544)は、チラシをくわえた妙な猫を見た。
「食べ物じゃないぞ、それは」
ミハイルが声を掛けると、猫はどういうつもりか「にゃあ」と答えて走り去る。
その拍子に口から落ちた紙きれが、ひゅう、と風に乗って、ミハイルの足元に飛んできた。
「スタンプラリーか。丁度いい」
今日は仕事も入っていない。
確か娘も今日は空いていた筈だな。そう考えながら、彼は行動を開始した。
久遠ヶ原では既に多くの生徒がスタンプ探しを始めていた。
「よーし、あたいも全部見つけられるように頑張るぞ!」
雪室 チルル(
ja0220)もその中の一人だ。
やるからには全力投球。コンプリートを目指して前進あるのみ!
「まずは学園からね!」
きっと多くのスタンプがあるはず!
雪室は確信を持って走り出した。
「うみゅ、あっちこっちにスタンプ台があるのならとりあえず歩いてようーっと」
一方で、焦らずマイペースに進むのはユリア・スズノミヤ(
ja9826)。
兎にも角にも、学園を巡っていればどこかにスタンプ台はあるのだ。
一歩一歩、確実に探してゆくべきなのだ。
そう思いながら、まずは前進、一歩、二歩、三歩。
「……時々、二歩下がって見渡してみようかにゃ?」
色んな所を視界に入れて、思い出を巡ってみよう。そう考えるユリアだった。
「あ、忍さん!」
学園を走り回っていた炎條忍(jz0008)は、不知火あけび(
jc1857)に呼び止められる。
「そんなに走って、何か用だったんですか? ……あ、もしかしてスタンプラリー?」
「あー、まぁそんな所だぜ!」
一瞬たじろいだように見えたが、気のせいだろうか?
あけびは考えて、良ければ一緒に回りませんかと彼を誘う。
「俺はOKだぜ、だが……」
「ああ、俺からも頼む」
炎條に視線を向けられ、答えるのは不知火藤忠(
jc2194)。
「いつも妹分か世話になっているな」
「Oh! 不知火の……」
叔父だ、と挨拶する彼に炎條も自己紹介を返した所で、「よーし!」と元気な声が入る。
「それじゃあ、目指せコンプだよ!」
「Yeah!」
あけびと炎條の会話を聞いて、ふむ、と藤忠は考える。
「しかしこのイベント、誰が主催なんだろうな?」
「分からないぜ! NoDetaだからな!」
きっぱり答える炎條だが、その口調は明らかにチラシのそれで。
とは、いえ。
(楽しければそれで良いか)
無闇に暴き立てる必要も無し。明かされないなら黙っていよう。
そう決めた藤忠。ふっと二人に意識を戻すと……
二人とも既に走り出していた。
(あけびはともかく忍もか……!)
これが類友というヤツなのだろうか。
今日は一日二人のストッパーにならねばなるまい……そう心に決めつつ、二人を追いかける藤忠であった。
●
「賞品はないのかしら……食べ物の」
台紙を手に商店地区を駆けまわるのは、蓮城 真緋呂(
jb6120)。
いつもの通り食い気が先に出ているものの、彼女もまた完全制覇を目指す参加者だ。
「あ、もしかしてあなたもラリーやってるの?」
途中、同じ紙を持つ生徒を見かけると、蓮城は片手を上げてハイタッチ。
「向こうのラーメン屋にもスタンプ台があったわ」
豚骨の美味しいお店よ、と説明しつつ、「そっちはどう?」と蓮城は生徒に尋ねる。
「ありましたよ、あっちの角の――」
「あの和菓子屋ね? ありがと」
生徒が頷くのを見て、蓮城は礼を言いつつその店へ向かう。
団子の美味しいお店だ。台を発見した彼女は、折角だからと団子を二つ購入し、口にする。
柔らかい口当たりと餡子の甘み加減が絶妙だ。もう一つ買っておこうか……と悩みつつ、スマホを取り出す。
(和菓子屋でスタンプ発見、と)
学園では既に、スタンプ場所の情報共有が行われていた。
彼女の場所から一番近い台は、どうやら肉屋にあるらしい。
ここのメンチカツもまた絶品なのだ。……考えたら、食べたくなってきてしまった。
「よし、食べに……じゃない、スタンプ押しに行こう」
ご馳走様、と和菓子屋に言い残し、蓮城はカツへ向けて駆け出す。
(私にとってのこの場所、かぁ……)
そして彼女は駆けながら、スタンプの質問について思いを巡らした。
無くてはならない場所、かな?
(美味しいもの食べると、悩み事も忘れられる)
幸せでやめられなくて、多くの店のメニューを制覇していった。
(品切れの原因になったのは、ごめんなさいだけど)
彼女の来店によってその日の営業が終わった店もある。
それは少し反省すべきだけど、美味しいモノはたくさん食べたいし……
「メンチカツ三つください」
考えている内に、次の店……もとい、スタンプ台に辿り着く蓮城。
商業地区の飲食店は全て、彼女にとって必要不可欠なものだった。
●
さて、その頃。
無骨な手甲を身に付けたメイドは、台紙を手に立ち尽くしていた。
「ルクーナじゃないか。どうしてここにいるんだ?」
「あら、ゼノ」
そんな彼女に声を掛けたのは、Zenobia Ackerson(
jb6752)。
「NINJAというヒトに連絡されて。ゼノはどうして?」
「ここは学園だからね……。ここを通ったのは偶然だけど」
「そう。そうだと思ったわ」
驚くZenobiaに対して、ルクーナは相変わらずの淡々とした様子である。
変わらないな、と微笑みつつ、Zenobiaは彼女が手にする紙に気が付いた。
確か、今開催してるイベントの……
「よし、なら一緒に行こうか」
スタンプラリーをやるんだろ、と言いながら、Zenobiaは手を差し出す。
「……ええ。そうさせてもらうわ」
こくり。頷いて、ルクーナも当然のようにその手を取った。
●
ドアを開け、今は人気の無い喫茶店へ足を踏み入れたのは黄昏ひりょ(
jb3452)だった。
(俺の学園生活は、ここから始まった)
営業時間はまだ先だ。
この場所に一人で立っているのは、少し不思議な気分だった。
最初は、客として訪れた喫茶店だ。
それからしばらくして、今度はバイトとして何度もこの店に足を運んだ。
「貴方にとってこの場所は……か」
スタンプ台は店の前にあり、押すとそんな質問が黄昏を出迎えた。
改めて、店を見回す。
此処に立ち寄った時、顔を合わせた仲間たちの事が、頭に浮かんでくる。
その中には、この五年間、時には喧嘩し、時には笑い合いながら共に歩んできた、大事な縁もある。
「俺にとって……本当に大切な場所だよ」
願わくば、またこれからもこの場所で、仲間と笑っていたい。
●
「ヒントも少ないですし、適当に見て周りますか」
雫(
ja1894)はラリーのチラシを手に、商店地区を歩いていた。
誰の企画だか分かる気がする。
そう思いながら辺りを見ていると、何処かで見た看板が目に入ってくる。
「何時だったか、夏の新メニューを依頼されたお店ですね……」
上手いのか下手なのかいまいちわからない字で書かれた店名は、『ぶれいかぁ』。
「もしかしたら、此処にもスタンプがあるかも知れませんね」
がらり、とドアを開けると、「いらっしゃい」という元気な声が飛んでくる。
「おや、アンタは」
「お久しぶりです」
小さく会釈をして、店内を軽く見渡す。
スタンプ台は、レジの横に置いてあった。
「ああそれ、前に忍者みたいな子がね」
「忍者……?」
忍軍の生徒なら珍しくないが、やはりこのイベントは……
(チラシの時点で察してはいましたが)
ほぼ確実にあのNINJAだろう、と理解する雫であった。
「おばちゃん、元気〜?」
と、そこへもう一人の来客者。
「おお、アンタも来てくれたのかい。嬉しいねぇ」
「うん。折角だから食べて行っても良いかな〜?」
訪れたのは星杜 焔(
ja5378)。彼も以前、依頼でこの定食屋に関わった事がある。
「あいよ! 注文は――」
カレーで良いかい、というおばちゃんに、星杜は嬉しそうに頷いた。
それが彼にとって思い出のメニューだと覚えていてくれたのだ。
「こんにちはー」
更にそこへ、更なる来客。
「あ〜、研磨くん、流水くん、久しぶり〜」
「ああ、お久しぶりです」
それは、かつて星杜が依頼で出会った二人の少年だった。
三人は同じ卓に座りおばちゃんの料理を食べながら、あれからの事を話した。
他愛のない近況報告の中で、そういえば、と星杜はあの戦いの日の事を思い返す。
「あの日……君達の傍にも懐かしい光が来たかい?」
少年たちは、顔を見合わせてから、頷く。
願いは一つ。二人で生きれる世界を。
●
「よく一緒に買い物をしたな」
商店地区を歩きながら、ミハイルは娘に言った。
スタンプへの答えだ。娘のクリス・クリス(
ja2083)はそうだねと言って、その場で立ち止まり手を合わせる。
「いつもお世話になってます」
日々の生活は勿論のこと、他にも様々。
「酒屋さんに、ツケでパパにお酒売らないように頼みに行ったのもいい思い出だねー」
「……そんなこともあったな」
それは忘れてもいい思い出じゃないのか、とミハイルは言うが、クリスにとっては楽しい思い出の一つだ。
「そういえば……あの工務店もこの辺りか」
以前、アパートの改修工事を値切る為に、販促ポスターで脱ぐ羽目になった事を思い出す。
「もしかしたらまだそのポスター、あるかもね」
クリスは悪戯っぽく笑う。勘弁してくれとミハイルは辺りを見回すが、今の所は見当たらない。
(見つけたら剥がすか……?)
内心そんなことを検討する彼であった。
●
商店地区のスタンプをあらかた押し終えた蓮城は、次に校舎へ向かった。
早速、校門前にスタンプ台が一つ。
(この場所は……学園で1番最初に通った場所)
入学当初の事を思い出す。
あの頃は、家族や故郷を奪った冥魔が憎くて……通る時もきっと険しい顔をしていんだろうな、と苦笑する。
だが、出会った多くの人々や天魔が、彼女を気持ちを少しずつ変えていった。
全ての冥魔が悪いのではない。共に歩める冥魔もいるのだ、と。
(今は晴れやかな気持ちでここを通れるわ)
暗い気持ちはもう、そこには無い。
スタンプを押した彼女は、次を探そうと辺りを見回し……
(あれ、あの子……)
チラシを手に何処か不安そうな顔で周囲を見回す、1人の男の子を見つけた。
新入生だろうか? だとしたら……
「ねぇ、あなた」
「えっ、はい」
「もしこっちに来たばかりなんだったら……一緒に行こうか?」
道が分からないなら、共に歩いて行ける。
彼女の誘いに、男の子はぱぁっと嬉しそうに顔を輝かせ、お願いしますと頭を下げた。
きっと安心したんだろう。蓮城は微笑んで、それじゃあと彼を連れて校舎へと赴く。
男の子の背には、黒い翼がある。
だが彼だって共に歩める存在なのだと、今の彼女には思えた。
●
「ここのスタンプもゲット! あたい絶好調ね!」
校舎内のスタンプを爆速で集める青い風、雪室。
今ので中等部の建物は大体巡っただろうか?
「それにしても、どのスタンプにも質問があるのね」
ダンッ、と押したスタンプから現れた質問に、雪室はしばし考える。
「あたいにとってのこの場所は……」
初めて撃退士になった時、お世話になったのがこの校舎だ。
まだ駆け出しだった自分に、勉強や戦いの事を色々教えてもらった。
勉強の方はそれほど得意でないにしろ……
「あの頃と比べれば、あたいの戦い方も変わった……かな」
昔はとにかく全力全開! な戦い方だった。
今でもそれは変わっていない。力の限り行動することが性に合っている。
だがその行動の中には、以前にはない思慮がある。
……少なくとも、自分ではそう感じている。
「よーし! 次のスタンプは、っと……!」
雪室は中等部のスタンプ情報を掲示板に送信し、代わりに集まった情報を確認する。
中等部は制覇出来たみたいだから……次は高等部かな?
●
「おー、ここにもスタンプ発見!」
高等部の保健室前にて、ユリアはスタンプ台を発見する。
「えーとここの質問は……うみゅ?」
スタンプ台に、誰かが張り紙で質問をくわえている。
曰く、「この保健室の主は?」
「裸白衣の人でーす」
即答しながら、ユリアはスタンプを押す。
仕方が無いのだ。あの人爆弾級のインパクトの持ち主だから。
あなたにとってこの場所とは、とか聞かれても、まず頭に浮かんじゃうよね。
「みゅ、クールビズだねん」
何かを納得して頷くユリア。
あまりにもクール過ぎてはいないだろうか?
「さて、次行ってみよー」
楽し気に歩いていくユリア。印象的な教師の事も、学園の思い出と言えるだろう。
●
黄昏は世話になった寮の前で足を止めた。
ちょうどそこにも、スタンプ台。
(バイト先の縁から下宿させてもらう事になったんだよな)
とん、と新たなスタンプを押しながら、思い返すのはここに来た当初のこと。
(寮が出来て早々は本当に毎日がお祭り騒ぎで……本当にドタバタだったな……)
今では色んな事が落ち着いた気がする。
そうなると、あの頃の騒ぎが懐かしく思えてくるものだ。
黄昏は、無意識に笑みを浮かべていた自分に気が付いた。
●
「高等部も多分これで制覇ね!」
あれからずっと駆けまわっていた雪室は、早くも中高の校舎スタンプを揃えていた。
「あたい、ここでずっと腕を磨いてきたのね」
手に入れたスタンプを眺め、雪室はしみじみと思う。
駆け出しの中学生時代を終え、三年間。
(思えばずーっと戦って戦って戦い抜いた学園生活だったなぁ)
力の限りを尽くし、強敵と見えてきた。
そんな中で、数多くの友とも出会えた。
充実した高校生活だったと、振り返って思う。順当に行けば、今年からは大学生だ。
「あ、でも」
一つだけ、心残りがあった。
「結局、ツチノコは見つからなかったわね……」
学園内を探せばいるんじゃないか、って思ってたけど。
……いや、まだだ。これから発見出来る可能性だって残されてる。
「スタンプを回ってたら見つかるかもしれない!」
だから残りも頑張るぞ!
雪室は奮起して、再び走り出した。
●
「あー。懐かしいー」
がらがらと扉を開けて教室に入っていくクリス。
「ちょい強面なお兄さんに悪戯するつもりが、油断して添い寝?になったんだよね」
「……ああ。ただの空き教室だと思って寝ていたんだが……」
気付けばこの少女が、自分の上でにグーグー眠っていた。
それが、クリスとミハイルの最初の出会いである。
今では懐かしい思い出だが、なぜに俺をベッド代わりにしたのか……と、ミハイルは苦笑する。
「でもここにはスタンプないね、パパ」
「そうだな。廊下の方にはあるかもしれないぞ。……どうした?」
答えつつ、自分を見上げる娘の様子に気が付くミハイル。
「ううん。じゃあ、探しに行こうか」
クリスは首を振ると、ミハイルの手を取って、教室を出る。
(悪戯の延長のパパ呼びも、今じゃ板に付いたかしら?)
ミハイルには言わなかったが、心の中では、そんなことを考えていた。
少なくとも……今、他の生徒たちから見れば、彼女達は本当の親子のように見えるだろう。
それは、彼女達が共に歩んできた時間がそうさせている……のかも、しれない。
●
「あ! スタンプ台発見!」
再びユリアの声が響いたのは、学園内の食堂だ。
「美味しそうな香りに釣られて来たかいがあったげふんげふん」
じゃなくてじゃなくて。きっとここにあると思っていたのだ。本当に。
自分を誤魔化しながらスタンプをぺたりと押すユリア。
「質問は、『思い出深い食べ物は?』かぁ… 」
見てみるとスタンプの中身は他と少し違う内容だ。
食堂なんだし、ここのメニューの事でもいいけれど……
「親友と一緒に行った、飴市の金平糖と琥珀糖は甘くて美味しかったなぁ……」
思い出すのは、かつて出掛けたお祭りでのこと。
金平糖は星屑のようにきらきらしていたし、琥珀糖も負けない輝きを持っていた。
不思議な見た目と、意外な味に、触感。
親友と味わったその時間は、今ではそれ自体が宝石のようにきらきらと輝いて思える。
「うみゅ、食べ物だけでも色んな思い出があるなぁ……」
三人娘で遊んだ型抜きも楽しかったし、あと梅のおにぎりとかふきのとうとか……
思い出すと止まらない。
思い出すと、今でも楽しい。
全部が全部、順番の付けられない大切な思い出なのだ。
●
「ここにもあるかな〜?」
星杜が訪れたのは、とある調理室。
今日は使われていないのだろう。しんとして、誰もいない。
(あの時から、俺の料理も変わったかな〜)
自分と似ている、と思った子どもがいた。
その子の為に作ったスープは、確かに美味しく作れたけれど……
(大切なのは、気持ちだった)
真心を込めて作る事。それが一番大事な事なのだと、その時に学んだ。
(あの子も、料理上手になったかな)
今は、どうしているのかな。
●
「刀って良いですよね! 浪漫があります!」
「ああ! 古の輝きとCoolさだな!」
不知火と炎條の忍者二人は、その機動力で町を駆けまわっていた。
特にあけびは壁走りでの高所確認や、通行人への聞き込みを欠かさない。
「諜報活動ならお手の物! でも刀での真向勝負も捨てがたい……!」
ジレンマである。SAMURAIでもあるからね!
「あけび、侍と忍者の良い所取りをしてるな?」
その様子を見ながら思う藤忠の額には、汗。
あけびが収集した情報を基に地図へ記入していくが……
「But、走りながらだと刀が出せないな!」
「では後でゆっくり現物を見ながら語り合いますか!」
刀談義を続けながら走る二人が、やたら速い。
「猪突猛進の二乗か……!?」
あけびは普段通り突っ走っているが、炎條が対抗して更にヒートアップしているようだ。
一方藤忠は二人同時に見ていないといけないので、これはもう、収拾がつかない。
「次のスタンプに行ったら少し休むぞ……!」
どうにか声を掛け、見失わないよう必死に走る藤忠。
もう少しこう、こっちの事情も考えて落ち着いて欲しいのだが……!
●
「おや、また会いましたね」
「うん〜。ここにもスタンプがあるみたいだね〜」
とある校舎の屋上で、雫と星杜が再び顔を合わせる。
「……今考えても、なんでこんな所で勉強会をしたんでしょうね?」
思い出すのは、ある都市の試験帰還。
炎天下で行われた、合同勉強会。
「なんでかな〜。俺は結構楽しかったけど〜」
炊き出しのカレーを作ったり、恋人と勉強を教え合ったり。
「ある意味では学生らしいとも言えますが……」
思わず天を見上げる。……あの日は、暑かった。
それに、彼女にとってあの時の勉強は……
「……長くいると苦手な英語の事を思い出しますから、さっさとスタンプ台を探しましょう」
出来ればもう二度とやりたくない。
今年も試験があるらしいとか、考えたくもない。
(……あ、あの校舎……)
一方で星杜は、翼を広げ高くから周囲を見渡していた。
双眼鏡に映るプールに、また懐かしい想いが込み上げる。
皆で遊んだプールに、不良グループと相対し『教育的指導』を施した場所。
屋上という限定された場所でも、色々な思い出があるものだ。
それだけこの学園で過ごした時間が濃密だった……と言えるかもしれない。
「あ、スタンプあったよ〜」
間もなく星杜は台を発見し、スタンプを押す。
もうかなりの数が集まって来た。掲示板の分も合わせれば、九十を超えた頃だろうか。
「一体、いくつ用意してあるんでしょうね」
よくやりますね、あの人。と雫は誰かに向けて呟いた。
●
「そう。向こうにあるのね」
通りすがりの女子生徒に声を掛けたルクーナは、返答を貰って頷いた。
「どうだい、次のスタンプは見つかったか?」
「ええ。簡単なことよ」
行きましょう、とルクーナに促され、Zenobiaは小さく笑ってその後について行く。
ルクーナに分からぬようちらりと端末で情報を確認した。どうやら部室棟の片隅らしい。
「しかし、二人で学園デート出来る日が来るとはな」
「あら。こうして会うのは、初めてではないわ」
「それもそうなんだが」
学園で、という所が大事だった。
「一応敵ってことになってたからな。……何度も戦ったし」
あの三連戦の事は、きっと一生忘れないだろう。
「ええ。楽しかった」
それは彼女にとっても同じことだ。
心が躍った。全力を出しても良いと思えた。
「一緒に戦うのも楽しかったけれど」
やはりやり合う方が良い、という彼女に、相変わらずだなと笑う。
彼女にとって、拳を交えることが一番価値のある事なのだろう。
でも、だったら猶更……か。
「俺、もうすぐ旅に出るつもりなんだ」
今、伝えておこう。
Zenobiaの言葉に、ルクーナは足を止めて、振り返る。
「どこへ?」
「今より強くなれそうな所、かな」
相棒の理想の為に、俺にはまだやる事がたくさんある。
だからきっと、会える機会は少ないだろう。Zenobiaはそう続けた。
「……そう」
答えるルクーナの表情は変わらない。けれど声音が、目の向きが、一抹の寂しさを伝えてくる。
「そうだ。あの時計は受け取ってくれたかな」
ある祭りで、伝言と共に預けた時計。
ルクーナは頷いて、胸元からそれを取り出した。
「言葉も。ゼノは、叶えたわね」
こうして二人で、並んで。
Zenobiaは微笑んで、「それ、俺のとお揃いなんだ」と自分の時計を見せる。
「今度も、その時計に誓うよ。またデートしよう」
そっと、彼女の懐中時計に指で触れる。
「ゼノは、時計の約束を破らなかったから」
信じるわ、と彼女は頷く。けれど。
「その時は、今よりもっと強くなっていて」
「ああ。約束する」
Zenobiaが言うと、ルクーナはしばらく彼女の顔をじっと眺め……
くるり。踵を返して、スタンプ台の元へと足早に歩いていく。
(気のせい、か?)
その瞬間、ルクーナの口がほんの少しだけ、微笑んでいるように見えた。
●
「ふむ……主催者はあの人でしょうから、関係するここにもありそうですね」
そう考える雫が訪れたのは、『金城天魔警備』。の、久遠ヶ原支部だ。
スタンプ台があるとすればロビーだろう。
彼女は中へ入ろうと踏み出すが……足が、止まる。
「……試練の手伝いとは言え……警備の人を叩きのめしたりガラスケースを破壊しましたけど……」
変に恨みを買ったりはしていないだろうか?
ふっと、そんなことが頭を過ぎるのである。
「あの後でCM作成の手伝いもしましたし、大丈夫……かな?」
そういう事にしておこう。うん。
雫はそう決めて、中へ。……案の定、スタンプ台が一つ。
(ですが、もしあの時叩きのめした人に会ったりすると気まずいですし、早く行きましょう)
だん、とスタンプを押して、足早に去る。
思い出と言ってもまぁ、全てが美しいわけではないのだ。
●
その部室は、今は誰にも使われていないらしかった。
うっすらと埃の溜まった部屋に黄昏は一人やってきて、明かりをつける。
よく見れば、まだ残った荷物もあるようで。黄昏は、この部屋で過ごした時間を思い出す。
そう、ここは彼がかつて部を立ち上げた場所であった。
(あの時には、理由があったけど……)
部を開いたその理由は、結局の所、果たされることなく終わってしまった。
そういう意味では、無念の残る場所、と言ってしまう事も出来るが……
(ここで皆でクリスマスパーティーをしたりしたな……)
彼の心に浮かぶのは、むしろ楽しい思い出の方だった。
思い出の全てが綺麗な幕引きを迎えるわけではない。
けれど皆で楽しんだあの時間は、今だって輝きを失う事のない、大切な時間なのだ。
黄昏は部屋を後にする。
恐らく、彼がこの場所に訪れる事は、もう無いだろう。
それは悲しいことではない。思い出は彼の心にある。だからこれからは……前を見て、進むのだ。
●
「園芸部の手伝いは大惨事だったな〜……」
星杜が訪れたのは、部室棟の外。
花壇の隣に置かれたスタンプを手に入れた星杜は、質問を受けるまでもなく思い出していた。
「自白剤花粉、今日は飛んでこないだろうな……」
それはなんというかまぁ……凄まじい思い出である。久遠ヶ原らしいと言えばらしいのだろうか。
本当に無茶苦茶な出来事も、この学園ではたくさん起こった。
星杜はそのスタンプ台を報告すると、さて中のスタンプをと、部室棟に足を踏み入れたのだった。
●
「ここで一旦休憩しましょうか」
ふぅ、と息を吐きながら、あけびは見知った部室へと足を踏み入れる。
「邪魔するぜ!」
「待っていろ、今茶を淹れる」
藤忠は炎條にソファを勧め、そそくさと茶の用意をしに行く。
あけびも炎條の隣に腰を下ろした所で、「そういえば」と先程の話を思い出した。
ここでなら、刀を出して話が出来るだろう。そう言ってヒヒイロカネを取り出すあけび。
中には、彼女の四振りの愛刀が収められている。
「……でも、最初は購買で買った無銘以外手に入らなくて焦ってたっけ」
だが初めに思い出すのは、これらを手にしていなかった頃。
「無銘もGoodな刀ではあるんだがな……」
「戦闘面では……不安で」
天魔と命を懸けて戦うのだ。もっと手に馴染む刀が、切れ味の良い刀が欲しかった。
「だからせめて強く鍛え上げよう、と思ったんですけど、失敗も怖くて」
運が悪ければどんな名刀でも壊れてしまう。そうなっては元も子もない。
今は違うんだな、と問われ、彼女は頷く。
「悩んでた時、丁度この場所で友達から刀を貰ったんです」
その時を思い出しながら、彼女は桜紋軍刀を活性化する。
「鍔のSAKURAがGoodだな!」
「軍刀、って所もまた良いですよね!」
見た目の美しさは勿論、内に秘められた時代性から滲み出る浪漫。
「それに、この刀を握ると思い出すんです」
悩んでいた自分に、刀をくれた友人。
いつも冷静な彼の顔が、戦いの時も私を落ち着かせてくれる。
「あと、誕生日祝いに貰ったこの刀も」
雷電改。機械的な装飾のこの刀は、元は機械の身体を持つ友人の物だった。
「近未来的でCoolな刀だぜ。何より刀身のThunderだ!」
「この刀も、握ると友人の顔が浮かぶんですよ」
彼女の顔を思い出せば、どんな戦いでだって心が折れることは無いだろう。
「そういえば、雷って言えばこれも」
次に取り出したのは雷切。
物理的な力は持たないが、雷の刃は魔法的な力を帯びる。
見た目だけでなく、雷の如き速さをもたらすその刀に、炎條も唸る。
「そして最後の愛刀が、これです」
鬼神大王。
長身の大刀は、彼女の切り札だった。
刀身は静謐で、水面を思わせる美しい刀身。けれど鍔の宝玉を光に照らせば……
「私はサムライを目指してますけど、忍者の一族です」
刀の持つ二面性に己の血を感じながら、彼女は言う。
友達がいるから、私は侍で在れるのだ、と。
「俺の薙刀と抜刀も友人からの贈り物だ」
二人の前に茶を置きながら、藤忠も武具について思いを馳せる。
「この二つがその武具だ」
龍姫の薙刀と抜刀・星乱を炎條の前に並べる藤忠。
物理においては薙刀を。魔法においては抜刀を使い分け戦えるのは、やはりそれを譲ってくれた友がいるからだ。
「入学して得た沢山の縁が何よりの宝物だね」
あけびは思う。武具も大事だが、それを運んでくれた縁が、一番大切なものであると。
その言葉を聞いて、炎條も嬉しそうに笑みを浮かべた。
「忍は学園を卒業したらどうするんだ?」
そんな彼の顔を見て、藤忠はふと、そんなことが気に掛かる。
「あけびは大学卒業後、一族の当主になるつもりだ」
藤忠の言葉に、あけびは頷く。
「俺はあけびの補佐になりたいと思っている」
大事な妹分の力になり続けたい、と願って。
「俺も同じだぜ。炎條家の当主になる」
その為の試練なら、既に乗り越えた。
「なら、卒業後も仲良くしてやってくれ」
同じ忍者一族を纏める者として。
同じ学園で学んだ近い立場の友人ならば、きっとあけびの支えになってくれる。
藤忠の願いに、こちらこそ、と炎條は笑って頷いた。
「お、来ていたのか」
話を終えた頃に、部室にミハイルとクリスがやってくる。
「ミハイル達もラリーか?」
「時間があったからな」
「もう結構見つけましたわ」
クリスは炎條に自己紹介をし、ミハイルは慣れた様子で腰を下ろす。
「っていうかここ、整理整頓なってないよ」
お客様も来てるんだから、とクリスはそそくさと邪魔なモノを端に退けていく。
別に気にしなくていいぜ、と炎條は言うが、どうもクリスは前々から気になっていたようだ。
(所属してた園芸部が廃部になってから、移籍したこの中年部をお花で満たすのが野望だったけど……)
この現状では、花を置く所ではない。
「うん。大学出るまでには達成しよう」
ぐっと拳を握って決意を新たにするクリス。道程は長い。
「さっきまで何を話してたんだ?」
「卒業後の進路の事だ」
「ああ。忍たちはそういう時期か」
藤忠の答えに、ミハイルは自分が若い頃はどう考えていただろうか、と思い返す。
今の彼も今後について考える事はあるが、それは学生の悩む進路と毛色が違う。
「しかしお前たちが卒業していくということは……この部に中年は増えないんだな」
今更のように、思う。
不良中年部。その名に反し、最初に入部したのは小学生のクリスだった。
その後もメンバーは増えたが、結局中年と呼べる年なのは片手で数えるほどだ。
それもそうだ、と藤忠は笑いながら、抜刀と薙刀をしまい、茶を淹れに行く。
(……あの日ミハイルに、この部に誘われて良かった)
賑やかに談笑するあけびたちの声を聞きながら、藤忠はそんな風に思った。
●
「これでスタンプは全部かな」
「はい。……あの、ありがとうございます」
男の子に礼を言われて、いいよ、と蓮城は笑う。
もう行くね、と手を振って、蓮城は男子と別れ、一人帰路についた。
少し疲れて、お腹も満足。
(食べて、生きて、今がある)
少しずつ、この先の未来も考えていけそう。
暮れていく空を見ながら、蓮城は未来を想って、歩く。