最も迅く地面を蹴ったのは、ルクーナであった。
ダンッ! ダンッ! 走るというより跳ぶように、彼女は目の前の敵陣へ向かう。
「やる事は変わらん、全力を持って叩き潰すのみ」
そんな彼女の闘志を真正面から受けて、けれど獅童 絃也(
ja0694)は一欠片の戸惑いも見せない。
呼吸を、整え。鋭い眼光で敵の動きを見定める。
「貴方の拳は、とても重かったわ」
一度目の会戦を脳裏に浮かべ、ルクーナはそう、獅童へ告げた。
「そうか」
短い返答。直後、獅童の胴に黄金の拳が叩きつけられる。
「ッ……!」
肺から空気が絞り出される。衝撃と痛みを全身に感じつつ、獅童は駆け、彼女から身を離す。
一つ所に留まる理由は無い。
入れ替わりに、一本の矢がルクーナへと飛んだ。
「ッ!!」
ギンっ。身を捻り拳を回転させ、ルクーナはその矢を弾く。
「向こうも本気か、ならこちらも相応の力で答えるのが礼儀だろう」
矢を放ったのは、天風 静流(
ja0373)。その一撃を目の前にし、彼女は後退しつつ呟いた。
(何がしかの力で形成して拳を作っているようだが……)
同時に、思う。ルクーナの拳は、銀の篭手から一度水銀の様に液状化し、それから形態を拳に変えている。
その形態変化を起こす力は、何処にある?
(もし事前に溜め込んでいるとすれば……)
推測する。どうすれば、彼女の拳を止められるか。
天風が考える最中も、ルクーナは別方向からの射撃を拳で弾いていた。
「そりゃあ、アンタとは初対面だけどさ、強いのはわかってる、だから本気出すのは抑えて欲しいんだけどな、仕事がハードどころじゃ無くなるんだよな。」
放たれた散弾は、カイン=A=アルタイル(
ja8514)のアウル。
(メイド服?)
カインは相手の服装に小さな疑問を抱くが、まあいいやとすぐに投げ捨てる。
どっちにしろ戦うしかない。帰れといって聞く相手でもないだろう。
「本気は出すわ。だって、その方が楽しいもの」
対するルクーナは、平然と呑気な答えを口にした。
見ているモノが違うのだ。カインにとってと、ルクーナにとって。二つの『戦い』の意味は、あまりにかけ離れている。
「仕事だからやるけどさ、今度から学園に撃退士の報酬前金制にして貰いたいわこれ」
カインはぼやく。死んだら報酬は使えない。タダ同然だ。……ボランティアでやるには、少々内容がキツすぎる。
次の瞬間には、また別の弾丸がルクーナを襲う。
拳で弾き、べたりと張り付くその感覚に、彼女は不快気に眉を顰めた。
「やっぱり、苦手なんですね」
「……えぇ。じわじわ染み込んで来て、本当に厭」
神谷春樹(
jb7335)のアシッドショットだ。
これまでの二戦、神谷達銃撃手は少し離れた場所からルクーナを観察してきた。その中で、一番顕著に表れていた反応が、これ。
「僕は君からしたら大した脅威じゃない、『その他大勢』かもしれない。けど」
けど、こんな風に君の弱点を狙うことは出来る。
「その他大勢も、馬鹿に出来ないでしょ?」
「そうね。……でも貴方は、少し――」
神谷の言葉に何か返答しかけて、しかしルクーナの視線は真横に逸れる。
瞬間、黒色の駿馬が彼女の傍で高く、大きく、その鳴き声を轟かせた。
「殴り合わないと分かり合えない……男性の世界ではよく聞く現象ですが」
召喚獣の主、竜見彩華(
jb4626)は、咆哮の残響の中で呟いた。
男同士、全力で殴り合って互いの理解を深める。女の自分には、あまり縁がないものだと思っていたけれど。
「悪魔と人間ですし。お掃除できないメイドさんもいらっしゃるようですし。文化が違っていて女性同士でもそういう手段を取るのかも知れません」
そんな固定概念に囚われていたら、彼女とは通じ合えないのだろう。竜見は頷き、そして決める。
「ならば全力で「コミュニケーション」しましょう!」
「そう。やる気?」
ルクーナは無表情に、けれど何処か浮ついた声で、竜見に問う。
「勿論ですっ!」
竜見彩華はもう一度、先程よりも大きく頷いた。
スレイプニルもまた、鋭い眼光でルクーナを一睨み。強く蹄を打ち付けて、素早く彼女と距離を置く。
「お友達になるため必要な事なら頑張っちゃいます!」
ゆらりとした立ち上がりの時間は終わり。
最後の激闘が、幕を上げた。
●
ダンッ!
獅童が強く足を踏み込み、ブンと音を立ててルクーナへと肘の一撃を狙う。
だがルクーナは後方に軽いステップ、身体を捻ることで裏拳を放ち、この攻撃を相殺する。
「……」
獅童は動じず、ちらと右を見た。釣られ、僅かにルクーナの意識が逸れた、瞬間。
「そこだっ!」
「……っ!」
反対方向からの、銃声。そして二対の弾丸が、ルクーナの足と拳を狙う。
「ゼノっ……!」
苦しげに、けれど俊敏に、ルクーナはもう一度地面を蹴ると、今度は二つの弾丸を上から叩き落とす。
「やっぱり良い反応だな」
Zenobia Ackerson(
jb6752)は苦笑する。全ての速度が落ちた彼女の視界の中、最適な状況で弾を撃ったつもりだったが。
ルクーナの反射神経は撃退士のそれより上だ。自分の周囲の状況に、素早くリアクションを起こせる。けれど。
ギャイン! また別の弾丸が、金色の拳に突き刺さる。
「これ、は……!」
「……天界の魔力なら、相殺出来るかと思いましたが……」
バッとこちらを確認する彼女を、神谷はじっと観察する。拳に変化は無い。彼女自身の動きにも。
「……そう。貴方なの」
呟くルクーナ。アウルに傷つけられた拳をちらと見て、しかしまた、別の方向へと跳びかかる。
「愚策だけど、拳法使い相手だとやっぱりこうするしか無いんだよな、どうせ俺の実力じゃ、勝てないんだここに居る仲間のためにも少しでも壊してやる。」
遠距離から、ルクーナの顔面へショットガンを放つカイン。
ルクーナはそれを、火の粉を振り払うような動作で無理やり弾いてしまう。
「そこです!」
その僅かな間にスレイプニルが突撃し、ルクーナの頭部を潰そうと蹄を振り下ろした。
「少し、邪魔ね」
上を見上げ、ルクーナはその場で体を横に『倒す』。そして、スレイプニルの蹄を殴りつけ、狙いを逸らす。
ガンッ! スレイプニルの蹄が床を抉り、小石の破片が飛び散った。
『……』
召喚獣はルクーナを睨み付けつつ、足を抜いて距離を置く。……が。
「降りて」
ダンッ! ルクーナが地面を蹴って跳び上がり。スレイプニルを上から床に叩き落とす。鎧を纏った巨体が石材を破壊し、破壊音が鳴り響いた。
「ッッ――!!」
苦痛と衝撃に、竜見の顔は引き攣る。けれど、まだ、意識は、ある。
「まだですわっ!」
「……っ!!」
攻撃の反動か、まだ宙に留まるルクーナを、黒色のエネルギー波が包んだ。
ロジー・ビィ(
jb6232)の放つ、封砲。ルクーナは直前でこれに反応を見せたが、しかし、拳を振るう前に攻撃は彼女の身体を貫いた。
「これならっ……!」
「……えぇ、直撃、ね」
攻撃の余波から、ルクーナはけろりとした表情で現れる。
(ルクーナ……何度戦っても強い相手……)
今回も勝てる、とは限らない。けれど。
「メイドさんはメイドさんらしく、今回こそはして頂きましてよ!」
「また、それ……」
ロジーの言葉に、ルクーナは若干戸惑ったように目を背ける。
あまり得意ではないのだろう。でも彼女だってメイドなのだ。だったら。
「此方が勝ったら、お茶の一つ位、出して下さいませね?」
微笑するロジーの言葉に、ルクーナはピクリと反応する。
「……勝てたら、でしょう?」
挑戦的な、その言葉。
了承だと、ロジーは受け取る。
(……なんだろうな、あの動き)
カインは彼女の動きを見て思う。
とことん野性的、というか。
「次は、貴方」
考えていると、ルクーナはカインへと接近してくる。
武器を愛用の銃から布へと変えて、カインは右腕を前に出した。独特の、得意な構え。
ルクーナは跳ねるようにカインの目の前へ迫ると、黄金の拳を叩き付ける。
「ッッ……!」
例えるなら、トラックにでも衝突されたような重みだ。
ふらつく意識を抑え込んで、カインは彼女の右斜め前に入り込んだ。
足に、力を込める。地面に強く自分の身体を立たせ、右手で彼女の眼を狙う。
「っ」
軽く首を引いて、避けられた。が、元より牽制だ。
(スカートだから膝が狙いづらいな)
考えつつ、左の膝を踏みつけるように蹴りつけようとする。
「牽制、ね」
ルクーナもしかし、二撃目は想定していたらしい。ぴょんと小さく後ろに跳んで、拳で軽く勢いをいなす。
「そこッ!」
ルクーナが着地した瞬間、横から獅童の蹴りが彼女の脛を狙う。
「……ッ!」
辛くも、直前で攻撃を叩き付けるルクーナ。しかしその為、彼女の意識は下へ向いた。
刹那。
「ぶっっとべぇ!!」
背後から、狗猫 魅依(
jb6919)の一声と共に小さな爆発が起こる。
「どこからっ……!!」
その攻撃を諸に受けるルクーナ。爆炎の中から、狗猫を見つけじぃと睨み付ける。
狗猫はその目線に一瞬怯む、が、気圧されはしない。
直撃を与えた。今まで見つかっていなかった。
通用しない相手じゃ、ない……!
●
戦いの流れは、撃退士の方に傾いていた。
複数方向からの連撃は、彼女に対して有効な手段である。着実に、少なくない量のダメージを蓄積させている筈。
けれどそれは、撃退士の側とて同じことであった。
「何度叩き潰されようが立ち上がってみせるよ」
地面に叩き付けられたZenobiaは口元の血を拭い、不敵に微笑んだ。
内心に、『死活の効果中は』という一言を隠して。
「さて、とっておきだ……!」
すぅ。大きく息を吸い、双剣を握りしめる。
――今回の戦いの為だけに、習得した技。それがまだ、残ってる。
(こういう技は、好みじゃないんだけどな……)
だけど、ここで負けるよりは。
石の床を駆ける。ゆったりと景色が過ぎる中、彼女はルクーナにだけ全ての意識を注ぎ込む。
一撃目。足元を狙い、切り払うように右の剣を。
金色の刃はしかし、金色の拳に防がれる。
二撃目。本命。腹部を貫くように、真っ直ぐ突き出す。
「ゼノ。貴方たちが全力で向かってきてくれるから、私はとても、楽しい」
ルクーナは身を引くと、もう片方の拳を引き、その切っ先に、叩き込む。
ギィィン!
金属音が鳴り響き、止む。剣は拳の表面に小さく突き刺さっていた。
「けどそろそろ、倒れて」
過去の二戦で、彼女は死活というスキルの事を何となく理解していた。
「何かの力で立っているなら……こうすればいい、だけね」
拳のメイドが、高く跳ぶ。
「っ……! これちょっと洒落にならないなっ……!?」
その予備動作にZenobiaはピンときて、素早く後ろに跳ぼうとする。が、先程の一撃に集中しすぎて、身体が、動かない。
衝撃を感じたと同時に、音がした。
黄金の拳が床を叩き割り、風船が弾けたような爆音と共に熱さえ帯びた魔力の奔流が撃退士を襲う。
身体が、動かなくなった。
骨の髄まで伝わった拳の威力が、神経を全て吹き飛ばしてしまったような……そんな錯覚さえ感じる。
ばたり。
包囲網が、崩れた。
●
「にゃんて威力……!」
ルクーナの爆発的な火力を目にし、狗猫は小さく震える。
「けれど、ダメージはかなり溜まっている筈ですわ!」
ロジーはしかし、そんな彼女に声を掛け、励ます。
狗猫は頷き、大きく息を吸い、翼を奮わせる。
現時点で、残る仲間は少ない。
狗猫とロジーは立ち回りの為か、未だ一撃も受けていない。だがそれ以外には――。
「次は、貴方」
「くっ……!」
天風の矢を殴り払うと、ルクーナは彼女へと跳ぶ。
(逃げ……切るのは難しいか……っ!)
咄嗟に、弓を鉄球へと持ち、変える。
「扱いづらいが、威力は折り紙付きだ……!」
彼我の距離を見定める。近い。一瞬でここまで、距離を詰められるのか。
(鎖は、振れない。なら……!)
鎖を短く持ち、身体を少し曲げ、鉄球を振る。
ぐん、ぐん、ぐんぐんぐん! 彼女の身体を中心として、鉄球は僅かずつ速く、速く。
「……!」
警戒し、ルクーナの足が緩まる。身を低くし、攻撃に備える。だが。
「喰らえッ!」
諸共に。
勢いを付けた鉄球を、その威力を殺さぬように軌道を逸らし、彼女の胴体へと叩き付ける。
ガィン! ルクーナは拳でそれを受ける、が、消しきれない重みの為、ずざざと押し退けられてしまう。
「……前もそう、だったけど。貴方、強いわ」
ルクーナは鉄球を受けながら、楽しそうにそう言った。
「けど、やっぱり、私の方が!」
ルクーナは叫ぶと、鉄球を弾いてもう一歩、彼女へと迫る。
「……!」
一撃。
黄金の拳が、天風の鳩尾を抉る。
そして彼女は吹き飛ばされ、壁へと叩き付けられる。
「私の方が、強いわ」
「今度こそ、ぶっっとべぇ!!」
だがルクーナが天風を下した瞬間、狗猫は彼女の斜め上からクレセントサイスを放つ。
鋭い刃が、ルクーナのメイド服に傷をつけた。
「やった!」
「……服が……」
ルクーナはぽつりと呟いて、狗猫の方向いた。
――その瞬間の事である。三つの弾丸が、ルクーナの背中を貫いた。
「……!?」
「……上手く……いきました、ね……!」
弾丸を放ったのは、倒れていた神谷だ。
一度は気絶寸前に追い込まれた彼だが、どうにか回復して今まで息を潜めていた。
「……やっぱり」
小さく、ルクーナは頷く。
それから、地面を蹴って地面に付す彼の目の前へ。
「……貴方は自分をその他大勢と言ったけれど。……貴方たちの弾が無かったら、私はもう少しやりやすかったと思うわ」
ルクーナは神谷にそういうと、全霊の力を持って、叩き潰す。
「……もう、しばらく動かない?」
気を失った神谷だが、ルクーナは少し不安げに彼を見る。
「……! 今です!」
その、小さな揺らぎにロジーは飛んだ。
上空から急降下しつつ、弓を斧へと持ち変える。
斧の刃に、薄い光が宿る。
ガドン!
重たい斧の刃が、ルクーナの黄金の拳に、突き刺さった。
(防がれたっ……!)
内心、焦りを覚えるロジー。
ルクーナはもう片方の拳を引き、
「……ロジー」
殴り、つける、寸前で。
ぴたりと、その拳は動きを止めた。ごぅっと風がロジーの髪を靡かせる。
ふぅ、と息を吐いて。
清々しい声で、ルクーナは宣言した。
「……残念ね。貴方たちの、勝ち」
●それから
「ルクーナ」
「ゼノ。約束、したからには守るつもりよ」
Zenobiaが何か言うより早く、ルクーナは喋る。
「……でも」
「でも、なんですか?」
竜見が問う。ルクーナは彼女の眼をじっと見つめて、いつになるか分からないと続けた。
「ん、そうか。……なら」
Zenobiaはポケットから、一つの懐中時計を取り出す。
そしてそれをルクーナに握らせ、「預けるよ」と言った。
「……これは?」
「次に会う時に返してくれ」
約束だ。
Zenobiaの言葉に、ルクーナは一瞬きょとんとしてから、頷く。
「分かった。必ず」