●その十五秒までに
「はーい質問。「携帯機器の使用を禁ずる」ですが、アラーム機能のみ使用の目的で持って行っちゃ駄目か?」
礼野 智美(
ja3600)は手を上げて質問した。
三十分は長丁場だ。時間を確認する手段をしっかり持っておきたい。
「その目的ならOKだ! 勿論、終了時には俺からも合図を出すぜ!」
炎條忍(jz0008)が答えると、複数の生徒がケータイやスマホを操作しアラームをセット。
「もう一つ質問いいかな? 鉢巻の事だけど」
鉢巻を頭に巻きつつ、日下部 司(
jb5638)も炎條に問う。
「ジャンプで上に移動するのでも大丈夫?」
走り続けなければならない、というのならその場で跳ぶのはどうなのか。これに対しても炎條の答えは「OK」だった。
「但し、地面についていなくても鉢巻が完全に止まったらOutだから気を付けろよ!」
「分かった。ありがとね」
鉢巻を巻き終え、日下部はその場でとんとんと跳ねてみる。軽く跳んだ程度では鉢巻は浮き上がらないが、全力跳躍なら問題ないだろう。
そして学園生達は走り出す。
「Battle Start!!!!」
●鬼を避けよ
(さて、あの辺りが良いかな……)
鴉乃宮 歌音(
ja0427)は初期位置から離れつつ辺りを観察。キャンプ場にはいくつか木々の多いエリアがある。そこに逃げ込む算段だった。
(ふむ、速さはこのくらいがいいだろう)
落ち着いたテンポを保ちながら、彼はちらと背後を確認する。
ここはまだ鬼の視界の中だ。何人か、彼の背中を見つめる生徒がいた。……狙っているのだろう。
(なら、隠れるまでだ)
ゆらり。彼の周囲の空気が、陽炎の様に揺れた。
「……あれ」
彼を注視していた学園生の一人が首を傾げる。「あの人、どこ行った?」
(一人、二人……三人か。少し多いな)
日下部は追ってくる生徒の数を確認。周囲をちらと見て、少し速度を上げる。
鬼たちとは素の速さが違うらしく、差は少しずつ開いていった。だが。
「待てぇぇぇ!」
鬼の一人がグッと加速した。全力移動だろう。全身全霊で地を蹴り、日下部を抜かす。
「来い!
「行くわけないだろ」
日下部は苦笑して方向転換。が、その先にもう一人の鬼が全力移動で走りこんでくる。
「よし、囲んだ!」
最後にもう一人が穴を埋めるような位置に駆け込み、叫ぶ。
「しまった!」
日下部は驚愕の顔で立ち止まる。鬼たちはすかさず彼を捕えんと飛び込んだ。
「――なんて、ね」
にや、と日下部は笑った。そして彼は地を蹴り、高く跳び上がる。
「なっ……!」
「ジャンプも移動だ。忍も言ってただろ?」
彼は鬼たちに告げながら、木の枝へ飛び移る。……先程鬼たちの数を確認した際、木の場所も見ていたのだ。
勿論、焦っていたのも演技である。
「じゃあね」
そして日下部は地面に降り、全力移動でその場を退避。鬼が追ってくるのを確認すると、ちらりと足元を見てから振り返る。
「避けろよ?」
「えっ」
瞬間、白と黒の波動が地を這い、辺り一面に砂埃が舞い散った。
「封砲じゃねぇか!」
「攻撃目的じゃないからね。当たらなかったでしょ?」
あくまでルールの範囲内、である。そういうルールなのだ、実は。
埃の向こうで痛みを訴える者もいなかったので、日下部はそのまま逃走した。
一方その頃。
「伊都とあろうものが捕まる訳無いよね! 鬼さんこちら、手のなるほうへーだ」
「なにぃ!」
「アイツ舐めてんぞ! やっちまえ!」
計五人もの鬼に追われている男がいた。天羽 伊都(
jb2199)である。
「ちょ、ちょっと多くないかなっ!?」
大体自業自得である。……とはいえしかし、彼だって何の考えも無しに挑発した訳ではない。少しは足に自信があるし、いざとなれば避ける手段も用意している。
「よぅし回り込んだぞ!」
「良くやった! 囲んで叩け!」
「えぇっ!?」
……やはり滅多なことは言うものではないかもしれない。回り込まれてタッチの危機だ。
が、鬼が彼の身に触れようとしたその瞬間、その鬼の視界は白い靄によって防がれた。
「うわ見えねっ」
「残念でした!」
鬼が狼狽える隙に、その横をすり抜ける。ドレスミストで回避したのだ。
「何人でかかろうと同じ事! ボクには誰も追い付けない!」
そしてそのまま磁場形成でスピードアップ、あっという間に逃走だ。残された鬼たちは地団太を踏んで悔しがる。
「アイツ絶対捕まえるぞ!」
「絶対逃げ切るよ〜!」
ただ、追う方も追われる方も何処か楽しげで。
青春とはとこういうものなのだろう。見る者にそう思わせるものがあった。
「鉢巻を地面に付けずに走れ、か。忍者の修行と言えば、やっぱりこれだよね」
うんうんと頷きながら何処か楽しげに走るのは、桐原 雅(
ja1822)。
小気味いい足音のリズムは、彼女が余裕を持って走っていることの表れでもある。
ただ彼女、それでもかなり早い。
「駄目だ追い付けねぇ!」
そんな声が聞こえて、背後の足音が消える。
諦めちゃったのかな、と少し残念がっていると、急に目の前に息を切らして鬼が走りこんできた。
「よっし、回り込み成功!」
無理をしたのだろう、汗がだらだらだ。
「無理するとすぐ疲れちゃうよ」
桐原は忠告し、そのまま正面に駆ける。鬼も好機とみてそのまま正面へ。
たっ、たっ、たっ。ざっざっざっ。リズムの違う二つの足音が少しづつ近づき、
「タッチ!」
鬼がぶんっと腕を振るう……ものの、その腕は見事に空を切った。
「走るのって、ほんと楽しいよね」
それもそのはず、桐原雅は木の幹を蹴り、彼の頭の上ぎりぎりをすり抜けたのだから。
手の届かないレベルではない。或は彼に余裕があれば対応出来たのかもしれないが……その自由な走りに、肩で息する生徒が反応出来ようはずもなく。
(もうしばらくしたら鬼に切り替わろう)
内心そんな算段を立てながら桐原は縦横無尽に走り去ってゆく。
「30分全力疾走の鬼ごっこかぁ……耐久力の勝負といった所かな?」
礼野は走りながら考える。一部の生徒は余裕があるものの、多くの学園生にとっては全力疾走を強いられるルール。過酷そのものだろう。
(木に登って上から見たりとかは鬼道忍軍じゃないと無理だなぁ……ジョブ変更は合宿所じゃ無理だし)
であれば、と礼野は周囲を見回す。既に鬼が自分のことを追っていた。
出来るだけ彼らを目視することが肝要だ。知らない間に囲まれては不利である。
心を決めて、ひたすら走る。
(山での訓練か、懐かしいな)
Zenobia Ackerson(
jb6752)は時折水を口にしながら、周囲に警戒しゆったりと走る。
(鬼は……今は他の人で忙しいみたいだな)
途中追ってきた鬼もいたが、撒けた。ただその為に随分端っこまで来てしまったが……
(……ん?)
と、Zenobiaは木の上に乗ってキャンプ場を眺める一人の少女を発見した。
メイド服に、銀の篭手。奇妙な組み合わせだ。
「キミ、遅刻者か? それとも迷子か?」
「っ!?」
メイドはびくっと身体を振るわせ、しかし無表情にZenobiaを見つめる。
「……貴方は人間、かしら。久遠ヶ原の生徒?」
「あぁ。俺はZenobiaだ、言い難かったらゼノでいいぞ」
「そう。やはり学園生。私の眼は誤魔化せないわ」
メイドはふんっと鼻を鳴らしてから、くるりと一回転しながら地上に降りる。何処となく会話の噛み合ってない気配を感じつつ、Zenobiaは予備の鉢巻を取り出した。
「ま、折角だしキミも参加してみるか?」
「参加? 学園生の訓練に?」
「あぁ。ルールが分からないのなら俺が説明しよう。走りながらになるけど」
Zenobiaは告げ、走り出す。一か所に留まっているのはあまり賢明とは言えない。「まずは鉢巻を頭に巻いて、付いてきてくれ」
「……そう、挑戦というわけ」
ぽつり、メイドは呟いて、赤の鉢巻を頭に巻いた。とんとんとん、だん。数回その場でジャンプしてから、飛び出す。Zenobiaの隣に並ぶのは一瞬だった。
(速いな……。……ん? そういえばメイドっていえば……ま、いいか)
最近報告される一部の事件を思い浮かべるが、気にしないことにした。
●鬼とNINJAとメイドと人と
「ボクには追い付けないだろう!」
天羽達はまだやっていた。
磁場形成でスピードを上げた天羽が、鬼たちとの距離を開き満面のドヤ顔を披露。
「畜生、ほんとに捕まえられないのが辛い!」
「おーまだやってんのか」
既に諦めた生徒はヒトになっていたが、諦めていないのがまだ三人。
激戦だった。
「諦めてもいいんだよっ!?」
天羽も正直疲れているが、かといって捕まるのも癪である。
「それにボクは美味しいお肉が食べたいんだ!」
武器は握れるが正直モップは握りたくない。雑巾なんて論外だ。
それより肉が食べたい! 肉大好き!
「だから今の内にお腹減らしておかないとね!」
腹いっぱい食べる為、天羽は走る。走る。走っていると……
「そう、褒美があると頑張れるの。単純ね」
正面にはメイドがいた。
「……っ!?」
慌てて方向を転換するが、メイドはとんっと一跳びし天羽へ接近。
「いや待って待って! メイドさん速いねっ!?」
慌ててドレスミストを発動するが、メイドの勢いは止まらず……
……とんっ。天羽は肩を叩かれた。
「ええと、これで交代ね。私がヒト、の役、だったかしら?」
「そうだよ……」
がっくり肩を落として天羽は鉢巻を変える。その様子を少し眺めてから、メイドも自分の鉢巻を交換した。
「さ、て……気を取り直して」
天羽は周囲を見渡す。さっき鬼に話しかけていた生徒がまだ近くにいた。
「僕の瞬時のタッチを見せてやるぜ!」
「うぉやっべ!」
磁場形成で上昇したスピードのまま、生徒に迫る。無論走って逃げられるものでもない。
シュン、と伸ばした神速の手が、哀れな人の背を叩いた。
ひらりひらりと赤の鉢巻が規則的に揺れていた。
(やっぱりずば抜けて面白いのは鬼道の走りね)
桐原はヒトの背を追いながら思う。多彩なスキルの御蔭か、次に何処へ方向転換するのか読みにくい。
(でもそろそろ……)
たん、たん、たんたんたん。速度を上げて急接近。
「速っ……」
驚き方向転換しようとするが、桐原には何となくどちらへ行くか分かっている。
つま先の向きが変わるのだと、少し前に気が付いた。
たんたんたん、更に近づき、あと一歩の距離まで迫り……
「ごめんね、狙いはあなたなの」
ぐんっと方向を変える。手を伸ばす。
伸ばした手の先にいるのは、青い髪のメイド服少女。
「途中から見かけてたけど、走り方が全然違うね。跳ねてるみたい」
「!」
だがメイドはだんっと両足で着地し、しゃがみ込む。桐原の手は宙を裂き、次の瞬間にはメイドは木を蹴り彼女の後ろへ逃げていく。
「貴方、速い。でも私はもっと凄いの」
無表情に、しかし何処か得意げに、メイドは言い残す。
(追いかけようかな)
少し考えて、止める。そろそろヒトに戻っておきたかったからだ。
「もうしばらくで終わりね」
長い鬼ごっこ。けどいざ始まると短いな、と桐原は残念に思うのだった。
「さて、狙われないというのも少し寂しいものだが……」
鴉乃宮は人気のない森の中を走っていた。
初手で足音を消し隠密の効果を得ていた彼は、鬼の追跡の眼から逃れていたのだ。
「Hello! 楽しんでるか?」
突如として彼の目の前に現れたのは、にやりと口角を上げた炎條忍!
気配も足音も無かったが、彼もスキルでそれらを消していたのだろう。
「やはり来たね。ここも想定内だったのだろう?」
唐突な出現ではあったが鴉乃宮は慌てない。誰かしら来るだろうとは考えていたからだ。
「Yes! 他の鬼は目先の人間に忙しいがな!」
「君は違うというわけだ」
「俺はNINJAだぜ!? ……だがお前は誰だ?」
炎條は彼の背後にいる人物に声を掛ける。
ざっ。更にもう一人分、土を蹴る足音を耳が掴んだ。
「天魔かね」
足音の主……メイドに振り向き、鴉乃宮は呟いた。
「バレているというの……!」
メイドはぐっと両手を握るが、「構えなくていい」と鴉乃宮は諭す。
「そちらが何もしないならこちらも何もしないさ。そうだろう?」
「……あぁ。今は忙しいからな!」
「忙しい。この訓練のことね」
「そう。鬼ごっこという」
あっさりと鴉乃宮は言い放った。勿論、隠す意味のないことだ。
「鬼ごっこ。それがこの訓練の名……」
「……本来は遊戯なのだがね」
頷く。つまらない情報にもう少し落胆するかと思っていたが……
「なんだ、メイドさんそこにいたのか。……って、鬼もいるのか」
Zenobiaが走り込んでくる。その後ろには数人の生徒。逃げ込んできたのだろう。
三人に、戦う気配がないことを確認すると「逃げるぞ!」とメイドに言い放ち走ってゆく。
「……行くと良い。僕も逃げる」
鴉乃宮は左足に体重を掛けると、後方の鬼達は彼女の左側に向きを修正した。
「Feintだな!」
「そうだとも」
鴉乃宮は事もなげに答え、右側へと逃げて行った。
「そろそろ捕まえねーとまずいぞ!」
鬼に囲まれた礼野だったが、前後から来る手の位置を見切り、避ける。
「近づいても触れなければな」
ゆらりと立ち上る気配は、彼女の闘争心。彼女はすかさず縮地を用い、敵の包囲から抜ける。
ぴりり、とアラームが鳴った。
「そろそろ終わりか……」
もうあまり時間は無い。このまま逃げ切るのは容易だが……
ちら、と辺りを見回す。焦った顔でヒトを探す小さな女子生徒の姿が目に入った。
「もし良かったら、交代しようか?」
近付き、優しく声を掛ける。女子は驚いた顔で彼女を見つめ返し、「いいんですか?」と問うた。
「俺は掃除、苦じゃないから。肉も結構食べてるしな」
逃げ切るのが目的で走っていたわけでもない。男に掛ける情けはないが、女の子を押しのけてヒトでいる気も無い。
「特訓自体は真面目にやったんだ。炎條さんだって怒りはしないだろ」
そういって、彼女は女の子の前に手の平を差し出す。
ちょこん。小さな手がその上に被さった。
木々の間から、ヒトの一人は草原に飛び出した。
……否、誘い込まれた。
「はい、タッチ」
日下部に誘導されたのだ。
時間一杯場の情報を収集していた彼は、追いながら自然と森エリアを抜ける道に誘導を行っていた。
足の速さで勝っているなら、障害物が無い方が有利だからだ。
「これで大丈夫そうかな」
日下部が鉢巻を白に交換し終えた、その瞬間。
「Time UP!!!!!!!」
炎條忍の大きな声、そして一つの花火が、軽快に響き渡った。
●戦いのあとは
「差し入れだ、食べると良い」
鴉乃宮の用意したレモンのハチミツ漬けはすぐになくなった。
それほど、この鬼ごっこは体力を消耗したのだ。
「でもこの後は美味しい肉が待ってるんだ!」
天羽を始めとした勝利者たちは叫ぶ。
訓練は終われど、合宿はまだ終わらない。
彼らの学園生活も、だ。
「そういえば、あの天魔の名は?」
鴉乃宮はZenobiaに問う。
「あぁ、『ルクーナ』……だってさ」