●その日の夜明け
「美味しい賄いのためにッ!」
朝一、目を覚ました七種 戒(
ja1267)は『爆裂元気エリュシオンZ』と書かれた栄養剤を一気飲みして気合いを入れる。
「早く、行かないと……」
ダッシュ・アナザー(
jb3147)はそんな彼女の様子を見ながら、静かに急かした。
七種が朝起きれるか心配していたので、ダッシュはわざわざ起こしに来ていたのだ。
太陽はまだ低い。が、ゆっくりしている時間は無かった。
●仕込み
『ぶれいかぁ』の朝は早い。
六時からの営業に間に合わせる為だ。
「日頃はどのくらいの人が食べに来るんですか?」
楊 玲花(
ja0249)がおばちゃんに尋ねる。仕込みの量を割り出す為だ。
「そうだねぇ……一日に何回か来てくれる子もいるけど……」
少し熱っぽい顔で、おばちゃんは宙を仰いで指折り数えだす。「……四百とか、そんくらいかねぇ……」
普段使う食材は、前もっておばちゃんが注文していたらしく、早朝からトラックが配達に来た。
「……卵が足りませんね。あと、豆腐も足りません」
届いた食材を確認しながら、倉敷 織枝(
jb3583)が呟く。
「買って来ようか〜?」
それを聞いた星杜 焔(
ja5378)が、自ら買い出しをかって出る。
「それじゃあ、お願いします」
冷蔵庫にお見舞いの果物を突っ込んだ七種は、店の掃除や調味料の補充等を行った。
楊や、買い出しから戻った星杜の手により、仕込みは着々と進行していく。
開店準備は、万端だ。
「……あの……」
と、ダッシュが何かを持って、皆を呼び止めた。
「これ……」
それは、白と黒のTシャツだった。
白のシャツには黒で、黒のシャツには赤の糸で、『定食屋ぶれいかぁ』と刺繍がしてある。
しかもきっちり、全員分。皆で着よう、ということだろう。
各々がそのTシャツを着、エプロンや割烹着を着用した頃、
営業が、始まる。
●その、直前。
「おはよう、おばちゃん」
ロベル・ラシュルー(
ja4646)が、挨拶がてらおばちゃんの様子を見に来る。
「あぁ、おはようだ。すまないね、手伝ってもらって」
おばちゃんは顔こそ熱っぽいものの、言動はしっかりしている。
「構わないよ。大した事はなさそうだが、良い機会と思ってゆっくりしてくれ」
何事も体が資本だ、とロベルはおばちゃんに語る。
彼女の寝床の脇には、汗拭きタオルやスポーツドリンク、ゼリー飲料が置いてあった。
「……あぁ、それね、少し寝てる間に置いてあったんだ。誰だかは知らないけど、きっとアンタ達の誰かだろう? ありがとうって、言っといてくれ」
そう言うおばちゃんは、どこか嬉しそうだ。
「おはよう」
盆の上に何かを乗せ、蒸姫 ギア(
jb4049)もおばちゃんの所へやって来る。
その顔は、どことなく悩んでいるように見えた。
「あら、アンタも手伝ってくれる子? ……どうかした?」
おばちゃんは、その様子を敏感に察知して、問う。
「……ギア、悪魔だから……」
おばちゃんの子は、天魔に殺された。
それを聞いた時、ギアは困っているおばちゃんを助けたいと思う反面、果たして自分が来ても良いものか、と考えていた。
「……あぁ、そういうことかい」
その一言で、おばちゃんは全て察したようだった。ふぅと息を吐いて、おばちゃんは言う。
「ウチのお客の中には、悪魔の子も天使の子もいるよ。確かに、あの子を奪った天魔は憎いけど……アンタ達は、そんなアタシ達の味方なんだろう?」
おばちゃんは、微笑んでギアに問いかける。ギアはこくりと頷いた。
「それにね、アタシのこと心配してくれる子を、悪く思うわけないじゃないか」
「……別に心配してるわけじゃっ……」
ギアはつんつんとした態度を見せるが、おばちゃんは笑うだけだ。
「じゃあ、それはなんだい?」
と、おばちゃんは盆の上を見ながら言った。そこには、一杯のお椀と、薬、それから水が乗っている。ギアはこれを運びに来たのだ。
「保健室で、分けて貰ってきたから……それと、朝ご飯に卵雑炊」
答えるギアの口調は、どことなく言い訳っぽい。
「……ここに置いておく。早く良くなるんだからなっ」
言い残して、ギアはそそくさとその場を立ち去った。
●朝の営業
「ふふふ主殿とお揃い……」
自分の割烹着姿を見ながら、七種が小さく呟く。そのポケットには、注文をメモする為の文具セットとノート。
準備は、万端だ。
「いらっしゃいませ……ご注文は」
ダッシュはゆったりした口調で、お客を出迎えた。
「んー……あ、今日の日替わりメニューってなに?」
ダッシュが注文を聞くと、男子学生と思しき客が尋ねる。
「今朝は、日替わりAでカレー……Bは野菜炒めです」
「じゃあー……野菜炒め!」
「野菜炒め……ですね、かしこまりました」
「いらっしゃいませーェ!」
ダッシュと対照的に、しっかりと声を張るのは七種。ノートとペンを持ちながら、しっかりと注文を取りに行く。
「えーと、じゃあトンカツ定食!」
朝からトンカツを食べる客もいる。
七種はノートに『トンカツ』と書き込むと、厨房へ。
「野菜炒め、入りました……」
「と、トンカツ定食ね」
注文を受け、厨房でも料理が始まった。
とはいえ、事前の仕込みが足りているうちは、そう焦ることも無い。
「こうしていると実家で料理人さん達の賄いを作っていた時を思い出すますね」
フライパンを振るいながら、楊は少し前の事を思い出す。
楊の実家は中華料理店だった。学園に来る前は、よくその手伝いをしていた。
なので、楊はおばちゃんに強く共感していたし、その手際も素早かった。
お客さんの為に。
美味しい料理を振る舞おうという気持ちに、国境は無い。
倉敷はトンカツを揚げ、ご飯や、わかめと豆腐のみそ汁の盛りつけを素早くこなす。
食器や調理器具の確認をしっかり行っていたからこその対応だ。
「出来ました!」
楊の作った料理も合わせ、倉敷が野菜炒めとトンカツ定食をドンとカウンターに置く。
ダッシュと七種は、他の客からの注文を受けてから、それを取りに来る。
「カレー、入りました……」
「あと生姜焼き定食!」
受け取り際に次の注文を伝えて、二人は料理を運んで行く。
「ヘイお待ちーィ!」
「こちら野菜炒めに、なります……ごゆっくり、どうぞ」
●昼前
そして日は昇り、一部のシフトも交代する。
「おはようございます」
氷嚢を持った雪成 藤花(
ja0292)が、おばちゃんの様子を見に二階へ上がった。
おばちゃんの傍らには、空になったお椀と、薬の小袋。
食欲はしっかり出ている様だ。そして、今は寝ている。
「ゆっくり休んで下さいね」
雪成は小さく呟くと、スポーツドリンクを置いて降りて行った。
「それが定食屋の正装なんだ……じゃあ、ギアも」
降りて来た雪成の格好を見て、ギアはゴシックスーツの上からふりふりのエプロンを付ける。
ミスマッチというか、アンバランスな格好になった。
「それはちょっと変かもね〜」
「……っ! べ、別に、わかっててやったんだからなっ」
星杜に指摘され、ギアは真っ赤になって突っ張る。
最終的に、ギアもダッシュの用意したTシャツを着、その上にエプロンを付ける事となった。
●昼の営業
「いらっしゃいませっ」
元気な声で、雪成が笑顔を振りまく。
「オムライスですね? かしこまりました。量はどうしますか?」
昼の日替わりメニュー、オムライスは、大盛りや特盛りを選択することが出来た。
「じゃあ特盛り!」
「俺も!」
二人組の男子学生客は、二人とも特盛りを注文する。
「いらっしゃいませ。注文は、なんだ?」
一方、ギアの給仕は少し素っ気ない。
「焼き魚定食!」
「焼き魚。わかった。ありがとう」
ギアはキチンとメモを取って、厨房へ向かう。
「焼き魚定食、一つ」
「オムライスの特盛りが二つです」
給仕が取って来た注文を受け、昼の調理も開始される。
ロベルが魚をグリルへ入れ、星杜は大量のチキンライスを用意する。その腕さばきには、迷いが無い。
星杜も実家が料亭だった。亡き父の味を求めて磨いたその能力を、いかんなく発揮している。
ただ、星杜には思う所もあった。
技術面にばかり気を取られてはいけない……と。
(おばちゃんの味は……)
バイトに入る前、星杜はおばちゃんの料理の味を確かめていた。幾ら上手く作れても、おばちゃんの料理とかけ離れていては仕方がない。
そうして実際、前評判通り、おばちゃんの味は良くも悪くも『普通の家庭の味』だった。むしろ星杜の方が、美味しいものを作れるかもしれない。
けれど、大事なのはそういうことじゃないと、星杜は気付いている。
「カレー入りました!」
厨房に、雪成の声が響く。星杜はちらとカレーの鍋を横目で見る。
(あの味を、俺はずっと忘れない。忘れられない)
両親が最後に作ってくれたカレー。
ここに来る客は、『そんな味』を求めて来るのだ。
星杜は卵を割り、溶いて、フライパンに広げる。
(愛情こめて……)
大切な人が思い出させてくれた愛情を、料理に。
●夕方前
「ほむたんいつもので!」
夕方の仕事が始まる前、七種が星杜にオムライスの賄いを要求する。
貰ったオムライスに、七種は嬉々としてケチャップで名前を書いた。『さいぐさ かい』
それから嬉しそうに頬張ると、「美味い!」と一言。
その隣では、ダッシュがすやすやと寝息を立てている。これからの仕事に向けて、仮眠を取っているのだ。
「調子の方はどうだね?」
ロベルが、再びおばちゃんの所に顔を出す。
「あぁ……悪くないよ」
おばちゃんは軽く笑って答える。実際、顔色はいい。
「良かった」と言いながら、ロベルは韮と卵の粥を渡す。
「焔が作ったんだ。食ってくれ」
「ん、有り難くいただくよ」
おばちゃんは素直にそれを受け取ると、一口。
体に優しく、味は薄めだ。逆に、栄養は豊富。おばちゃんへの気遣いが感じ取れる一杯だった。
「美味しい。……優しい味だね」
おばちゃんは、一言小さく呟いた。
●夜の営業・1
夕方の始まりは、学校帰りの学生によって始まる。
これまでの時間と比べて、圧倒的な団体客の多さ。
「腹減ったー!」
口々に喋りながら入店してくる客達。店内は、たちまち喧騒に包まれる。
これは凄い事になるか? と、バイト達は覚悟を迫られた。
「いらっしゃいませ! ご注文は?」
オムライスを食べて気合いを入れた七種が、率先して注文を取りに行く。
「んー……あ、日替わり唐揚げなんだな。じゃあそれと……カレー!」
「俺はカレーとトンカツ! というかカツカレーに出来る?」
「唐揚げ、カレー、カツカレー……」
七種は慌ただしくメモを取りながら、一瞬言葉に詰まる。
客の食欲は旺盛だ。ボリュームを求めた結果として、当然の帰着だろう。
本来メニューとしてカツカレーは無いのだが、おばちゃんならどうしたろうか。
「……かしこまりました!」
僅かに考えた後、七種はカツカレーと書き込んで、元気な返事。
おばちゃんにとって譲れないモノは何か。そう考えたら、そうするのが自然だった。
何も七種は、賄いの為だけにバイトへ来たのではない。どうしても譲れないモノの為に力を貸そうと、そう思って来たのだ。
「唐揚げ定食と、カレー、それからカツカレー!」
七種は厨房へ注文を伝える。
「いらっしゃいませ……ご注文は」
お冷ややおしぼりを手に、ダッシュも夜の仕事を開始する。
「唐揚げ!」
ダッシュは厨房へ「唐揚げ一つ」と伝える。
やがて完成した唐揚げを席へ運ぶと「こちら、唐揚げになります……」
「ごゆっくり、どうぞ」
薄く微笑んだダッシュに、お客さんも思わず「ありがとう」と言ってしまう。
客達が話す声は、厨房にも届いていた。
「賑やかですね」
料理を作りながら、倉敷が言う。
この声は、殆どが撃退士達の声だ。ここでの食事が、天魔と戦う彼らの力となるのだろう。
そうして、倉敷は思う。
いつか戦いが終わり、おばちゃんの料理に育んでもらった恩を返せる日が、来ればいいのに、と。
「‥‥そういえば、学園に来てから実家の手伝いはできないですし、ここでこうして女将さんのお手伝いをするのも親孝行の一環なのかもしれませんね」
そんな倉敷の想いを察したのか、楊もそう語りながら鍋を振るう。
一つの料理が完成すれば、すぐに次の料理を。
忙しさは、朝や昼の日ではなかった。
●夜の営業・2
「ねぇ、今日おばちゃんはどうしたの?」
と、お客さんの一人が、そんな質問を投げて来た。
「あ、それ俺も思ってた。いつもおばちゃん一人だもんなー」
「だな。おばちゃん、何かあったの?」
それをキッカケに、数人の客も口々に問う。
常連客なのだろう。その声には、どことなく心配するような雰囲気が滲んでいる。
「おばちゃん、風邪気味なんだ」
ギアがその質問に答える。
「だからギア達が働いてる。別に、おばさんの為ってわけじゃ、無いんだからなっ」
「今日は大事を取ってるんです。明日には元気になっていますよ」
それから、雪成がそうフォローして微笑んだ。
「そっかー。早く元気になって欲しいなー……」
「そうですね」
客の言葉を聞いて、雪成は心が温まるような感覚を持つ。
おばちゃんは、久遠ヶ原の学生を子のように思っている。けれど同時に、ここの常連さん達も、おばちゃんのことを親のように思っている。それを感じる事が出来たから。
笑顔の絶えない定食屋であって欲しい。そう思って、雪成は最後のもう一踏ん張りをした。
●それから
『ぶれいかぁ』、店じまい。
「終わったね〜」
星杜が、疲れを滲ませて息を吐く。
これからまだ、後片付けや掃除等も残っている。けれど、一日の営業は無事終了した。
「あ、ほむたん」
七種が、持ち込んだタッパーを開けながら星杜に賄いを要求した。
星杜は笑いながら残った料理をそこに詰めて寄越す。
「終わったよ、おばちゃん」
ロベルが、おばちゃんの元へ最後の顔出しに出た。
「明日用の仕込みとか、雑用とか、あればやっとくから言ってくれ」
「あぁ、ありがとうね。でも大丈夫だよ。あんまり休んでたら鈍っちまう」
おばちゃんはそういうと、ぶんぶんと肩を回す。
「ま、これに懲りて無理はし過ぎないようにな」
ロベルは、そう釘を刺す。
「ぶっ倒れたら、それこそもう店も出来ない訳だし、今度は客として来たいしね」
「……そうだね」
ロベルの言葉に、おばちゃんは苦笑気味に答えた。
「少し焦りすぎてた所も、あるのかもしれないね……それでもアタシは、これしか生き甲斐はないんだけど」
溜め息混じりにそう言うと、おばちゃんは空の器を差し出した。
「倉敷ちゃんって子が持って来てくれた。ミルクリゾット、美味しかったって伝えてくれ」
おばちゃんは、立ち上がる。
「さ、て。さっきはあぁ言ったけど、やっぱり少し手伝ってもらおうかね」
おばちゃんは、そう言って一階へ降りて行った。
定食屋、『ぶれいかぁ』
それからも元気に営業中。