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「視界不良の霧雨に行方不明者ねえ……厄介だなオイ」
炎條の残して行った資料を確認しながら、月居 愁也(
ja6837)は口元を歪めた。
「霧の中にディアボロですか。ただの天魔退治だと思うんですけど、炎條先輩は何が心配なんでしょう?」
同じように依頼を反復する神林 智(
ja0459)は首を捻る。気になる事があるといって炎條は行ってしまったが、これくらいの事件ならさほど珍しくもないだろう。
「また人界で面倒ごとを……これだから同族やディアボロは。別に、行方不明の人達が心配なわけじゃ、わけじゃないんだからなっ」
蒸姫 ギア(
jb4049)は溜め息混じりに愚痴ると、ふいっと顔を背ける。
「……こんな視界が悪いのに取り残されてる人がいる……きっと怯えてるわ……絶対助けなきゃ……!」
「えぇ。頑張りましょう。クマさんと行方不明者とのかくれんぼね」
リーゼロッテ 御剣(
jb6732)が、決意に満ちた表情で呟くと、その隣で満月 美華(
jb6831)も頷く。
「この霧じゃ、行方不明者に何かあったら大変だ、急がないと……って、人数把握しておかないとって、そう思っただけなんだからなっ」
さっき『心配なわけじゃない』なんて言っていた蒸姫だが、本心は二人と同じなのだろう。
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「しかし……本当に霧がすごいですね……」
山へ来た紅葉 公(
ja2931)は、半ば呆然と呟く。集まった仲間の顔さえ、僅かにぼやけてみえるのだ。少し先に何があるのかもわからない。
そんな彼女の腕には、オレンジ色の光が淡く輝いている。状況が状況なので、撃退士達はある用意をしていたのだ。
黄色や橙色に光る、サイリウム。
「じゃあ、この光を目印にするってことで! ……って、蒸姫さん?」
月居が皆に確認を取っていると、サイリウムを珍しそう観察する蒸姫に気がつく。
蒸姫はサイリウムをひとしきり眺めると、手に持って楽しそうに振ってみる。
「……っ! こっこれは、別に」
皆がいた事を思い出し、一人赤くなる蒸姫。「サイリウム、初めて見るんだ?」と月居に聞かれても、「そんなことないんだからなっ」と意地を張り続けた。
山を進む撃退士達は、やがて少し開けた地形に出る。距離としては神社からもそう離れてはいないだろうが、霧の所為ではっきりしない。
「ここらへんが丁度いいんじゃないでしょうか?」
饗(
jb2588)が丁寧な言葉遣いで提案すると、数人が頷き、辺りの木に鳴子を設置し始める。以前の東北の戦いに学んだ作戦だ。
「えぇ。今山の中に天魔がいるんです、外に誰も出さないでくださいね」
その間に、神林は神社へ連絡を入れ、警戒を促した。
「どうじゃった?」
電話が終わるなり、白蛇(
jb0889)は彼女へ状況を問う。何かあればすぐに向かうためだ。
「今の所、神社には現われていないようです。体調不良を訴える人がいるくらいで」
何となく体が重い人が多い様だ。無理に避難しようとしてもこの霧だし、下手に避難させない方が良いだろう。
「よし、これで最後っと……」
やがて、敵を迎える準備は整う。
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霧に包まれた山に、力強い咆哮が響く。
木々は僅かに振動し、かさかさと小さな動物達が蠢く気配がする。
「…………………………」
撃退士達は気配を消し、ただ待つ。耳を澄まし、感覚を研ぎすませ、『それら』が現われるのを。
――からっ。
――からからっ。
付近の鳴子が数個、音を鳴らす。遠い。数は多い。がさがさと草を分ける音も、大きい。
「さーて、来やがったか」
月居はすぅっと息を吐くと……吼えた。
『――――ッッッ!!!』
轟ッ。音が辺りを包み、揺らす。鳥は慌てて飛び出し、小動物達が駆けて行く感覚も伝わった。
だが逆に、いくつかの気配は近づいて来る。
『グォォォッ!』
霧の中、巨大な影が腕を上げる。2m以上はある。こいつらは。
「熊か……久方ぶりだな」
中津 謳華(
ja4212)が、落ち着いた様子で呟く。そう、熊だ。熊のディアボロ。
瞬間、阻霊符を発動した撃退士達は、僅かに見えた熊の顔面めがけ日本酒をぶっかける!
『グォっ!?』
狼狽える熊に、中津は肘で一撃を加える。ゴンッ! 鈍い音が霧の中に消えた。
「……屠る!」
「さて、とっとと倒してしまいましょうかねえ」
饗は妖幻・舞空で宙を舞い、低空から熊の脳天にPDWを撃ち込む。少し離れた所為で、敵の姿は影としてしか確認出来ない。が、サイリウムを付けてないならそれは敵だ。分かりやすい。
「万能たる蒸気の式よ、今我らの下で形を無し、速く駆ける機輪となれ!」
蒸姫は韋駄天を発動し、動き回って仲間の支援を行う。熊の腕を切り抜け、木々をなんとか避け、敵を引きつける。
「……獣臭いな……数だけは多いようだ……だが……!」
リーゼロッテは瞳を紅く染め、閃破を握る。バシュン! 抜刀した瞬間、アウルの刃が目の前の熊を斬りつける。カチャリ、再び納刀した彼女は、霧の影を注意深く観察する。ぼんやり明るい光を持った影が、何も持たない巨大な影と戦う。
「これはどう?」
満月は両手に構えた拳銃を連続で撃ち出す。熊は一歩後ずさると、逆にがばっと彼女に突進。
「それは予測済みよ」
だが彼女は木の上に跳躍し、それを回避。
『グォ?』
熊はきょろきょろと辺りを見回す。酒を掛けられているから、満月がどこにいるのか分からない。
『グゥゥ……』
熊は他の人影を見つけると、そこへ向かおうとする。
「待ちなさいっ!」
満月は木の上から飛び出しながら、フレイムクレイモアを活性化。その背に上からスマッシュを叩き込む!
ドスン、音を立てて熊が一体倒れた。その風圧で一瞬霧が動き、リーゼロッテと目が合う。
「ありがとう」
「いいえ、当然です」
満月は答えながら、彼女の雰囲気の違いを感じ取る。
「どうかした?」
リーゼロッテは自覚が無い様だ。その口調や表情に宿った冷気に。だがそれも全て、人を守る為。
「喰らうがよい!」
白蛇は千里翔翼に騎乗しながら、破魔弓を射る。
だがいくら開けた場所とはいえ山中。召喚獣に乗って戦うのは少しやりにくかった。
「うぅむ、呼び代えた方がよさそうじゃの」
白蛇は代わりに眼の司を呼び出しつつ、木の上に退避。彼の視界を借り、遠距離からの攻撃を行うのだ。
無論、普段程遠くにはやれない。彼我距離を把握出来る範囲……サイリウムと影が分かる範囲内でだ。それでも、情報の多さはこの戦闘では大きなアドバンテージである。
「可能なら、傷の深い敵をの」
弓で狙いを定めながら、白蛇は彼にそう命じた。
薄紫色の光の矢が、霧の中を走る。紅葉の放ったエナジーアローである。
影を狙いながら、距離を詰められない様出来るだけ遠いうちに放つ。
「……っ! 弾切れっ!」
エナジーアローを撃ち切った彼女は、掌に魔法力を溜め、炸裂掌の用意をする。
が、その僅かな隙に近づかれた。熊が巨大な爪で紅葉に襲いかかる。
「危なっ……」
紅葉は緊急障壁を展開し、ダメージを軽減。しかし腕に傷が出来てしまった。
「お返しですっ!」
イオフィエルを振るい、紅葉は熊へカウンターを仕掛ける。ザシュンと肉を切り裂き、その腕を落とした。
そして熊の横へ周り、噛み付こうとする熊の攻撃を避け、もう一撃。熊を倒す。
「この霧、厄介ですね……」
改めて思い、呟く紅葉だった。
純白に輝く刃が、熊を捕らえた。
「いきます!」
滅光の力を宿した村雨だ。神林は熊の胴を切り裂き、倒す。
倒れた熊の背には、いくつかの銃痕。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。次はあの影でしょうかね?」
礼を言われた饗は、神林に方向を伝える。そちらには、数体の影と思われるものが蠢いていた。
「石縛の粒子を孕み、かの者を石と成せ、蒸気の式!」
そこでは、蒸姫が歯車の札を扱い、八卦石縛風を放っていた。先程集めていた敵だろう。
「あの量なら……援護します! 離れて!」
神林が叫ぶと、蒸姫は熊から離れる。
「一気に殲滅させてもらいます……!」
先程まで白い光に満ちていた刃が、今度は黒い煌めきを身に宿す。
彼女は村雨を高く振り上げ、集まった熊の軍団に向け、真っ直ぐに――振り下ろした。
瞬間、黒い光の衝撃波が霧を裂く。熊達がその衝撃波に飲み込まれ、ゴォンと激しい音を鳴らす。
『グォォァアッ』
断末魔の叫びが響いた。数体の熊が、一気に殲滅される。
「喰らえッ!」
闘気解放を発動した月居は、ネイリングで熊に薙ぎ払いを仕掛ける。
熊はぐら、とふらついた。その瞬間を狙い、リーザロッテが背後から迫る
「……その魂よ……せめて……安らかに逝くがいい……!」
リーザロッテは熊にスマッシュを叩き込む。熊は二、三歩ふらふらとあるいた後、バタリと倒れた。
『グオォォ!』
だが次の熊がその場に現われ、二人を襲おうとする。
瞬間、しかし熊の頭に、二発の弾丸が撃ち込まれた。
「残念、上よ」
満月による援護射撃だ。月居はそのタイミングで水鉄砲を構え、熊の鼻先へ撃つ。中身は日本酒だ。
鼻を奪われた熊は、一瞬混乱した様子を見せる。すかさず徹しを打ち込んで、月居は危なげなくそいつを撃破した。
熊は噛み付こうとした瞬間、顎を砕かれた。薙打爪葬……中津の『爪』による攻撃である。
狼狽え一歩後ずさった熊に対し、今度はその懐に潜り込み、膝蹴り。穿葬之型。『牙』の一撃。
『格闘』という一面において、武術を知らぬ熊のディアボロは、完全に中津に負けていた。なんとか爪で反撃をしようと試みるが、その双腕に防がれる。
「相手にならん……再び死んで出直せ!」
中津は叫び、すぅと息を吸い込むと、熊の身に肘鉄をぶち込む。【中津荒神流】御魂穿……明確に弱点を突かれた熊は、がくっと力を失い、その場に倒れた。
「……敵の『匂い』が……なくなったな……」
そして中津は、辺りを見回して呟く。匂い。作戦に使った日本酒のことではない。雰囲気、状態、感情。そういった様々な状態を総じ、彼は匂いと呼ぶ。
それが、消えた。
月居は何度か咆哮を放ったが、それ以上熊がやって来る事は無かった。
「おかしいですね……ディアボロが足りません」
紅葉が不思議そうに呟く。確認出来た熊のディアボロは、九体。総数には三体足りない。
「この場合、行方不明者の捜索を優先した方がいいんじゃないでしょうか?」
すっかり元の雰囲気に戻ったリーゼロッテが提案する。理由は分からないが、そちらも急がねばならない状態だ。
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そして、行方不明者の捜索に移る。月居は縮地で急ぎ神社へ向かい、皆もそこを集合地点とする。
神社に参拝に来ていた人達は建物の中に移っていて、神主達によって不明者の確認がなされていた。
「わかりました。じゃあ伝えときますね」
月居は皆にその情報を伝達し、共有。行方不明者の数は、そう多くは無かった。
韋駄天で山を駆け回る蒸姫は、風景に違和感を覚える。
「木に、穴が空いてる……?」
野生動物の仕業だろうか。……それより、救助を急がないと。
「別に、生きてるか心配なわけじゃないからなっ……」
「どなたかいらっしゃいませんかー!」
神林は斜面や小さな崖など、どこかに隠れているのではないかと探す。
「……あれ」
その際、奇妙なものを発見した。
矢の突き刺さった、ディアボロの死骸。自分達が倒したものでは、ない。
「後少しですから、我慢して下さい」
饗は舞空を使い、怪我人を神社へ運ぶ。
「あ、あの」
怪我人は、饗に話しかける。「さっきも多分助けてもらったので……ありがとうございます」
「さっき?」
「熊に襲われそうになった時……矢が飛んで来て、そいつを倒してくれたんです。撃退士の方でしょう?」
自分達が戦っていたとき、彼らはいたのか。……饗が彼らを発見したのは、戦闘場所の裏側と言って良い場所だったが。
「誰かいたら返事してくださーい!」
紅葉は大きな声を出しながら、捜索を続ける。
ふっとその視界の端に、何かの影が動いた気がした。……子どもだ。
「良かった。はぐれちゃったんですか? 一緒に神社まで戻りましょう?」
「〜♪」
リーゼロッテは満月と発見した一般人を神社まで送る。
霧や戦闘音で怯えていたので、リーザロッテは歌で気をまぎらわせようとする。彼らは、歩くのもやっとというくらいに疲れて見えた。無理も無いだろう。
そして皆が神社へ戻った頃、一人の青年が境内に立っていた。
細身ではあるが、どこか洗練された鋭さを持った、青年。
「……失礼。行方不明者を捜索に来たのですが、貴方もそうですか?」
「……こんな霧の中、一人歩きは危険だぜ?」
饗と月居が問うが、青年は目線をこちらに向けるだけで、返答しない。
まるで、何かを見極めているかのような目線。
「あ、申し遅れました。私は久遠ヶ原の撃退士の神林 智と申します。既にあらかた倒しましたが、今ここには天魔がいて危険なんです」
神林は訝しみながら、一応そう伝える。だが彼女の頭の中にあったのは、山中で見つけた見知らぬ死骸の事。
(もしかして、この人が……)
この時点で、理由は無い。強いて言うなら、中津の言う所の『匂い』だろうか。神林達は、青年に確かにそういうものを感じていた。
「撃退士……か」
青年は僅かに口を開く。それから、軽く顎で後方を示す。
霧でよく見えないが、そこには何かの物体が置かれていた。
「話には聞いていたが……人間というのも、侮れないものだな」
青年は言う。口調に、僅かな悔しさのようなものを滲ませ。
『人間というのも』。その表現に、撃退士達は警戒を強めた。それは、己が人でないといっているということで……
「『焔劫の騎士団』が一角……『己渇射手』、ハントレイ。それが俺の名だ」
青年……ハントレイは名乗りを上げると、霧の中に姿を消した。
撃退士達が見てみれば、彼の後ろにあったのは、間違いなく確認出来なかった三体のディアボロ。
「また会う事になるだろう……お前達が、渇望するなら」
声だけが、辺りに響いていた。