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「涼しくなってきたし、屋上ってのも悪くないかな」
龍崎海(
ja0565)は炎條の話を聞いて、のんびりとそう思った。
重体の身で、大人しく勉強してようと学校に来た矢先のことだ。早速参加の意を告げ、屋上に机や椅子を運び込む。
「すまねぇな! 助かるぜ!」
炎條は彼に礼を言いつつ、会場の設営を進める。
外は日が当たってそれなりの気温だったが、雨が降る気配もない。絶好の勉強日和といえる。
「屋上で勉強とは、また良い気持ちね――」
暮居 凪(
ja0503)やグレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)を始めとして、参加者の生徒達も続々とやってきた。
「皆、日射病とかには気を付けるんだよ」
龍崎はアンブレラで日を避けながら、医学生として忠告をしておく。
「そうだな! まだまだhotな季節だ!」
「皆さん、これをどうぞ」
牧野 穂鳥(
ja2029)は大きめの水筒にスポーツドリンクを入れ、皆に配り始めた。
熱から逃げるのは勿論、水分補給も必要な対策だ。
「みんな今日はよろしくね! これ食べながら勉強しよ? 糖分は必要だし」
鬼灯丸(
jb6304)も飴を取り出して、皆が取れる場所に置く。「一つ貰うぞ!」と、炎條が早速一つ持って行った。
「腹が減っては戦はできぬというので炊き出しにきたよ〜 」
少し離れた所では、星杜 焔(
ja5378)が雪成 藤花(
ja0292)と共にカレーを配っている。
「カレーは頭を活性化するってどっかで聞いたかもしれないし聞いてないかもしれない〜」
星杜は酷く曖昧な言い方をするが、多分スパイスで脳に刺激があるのだろう。
「しっかり栄養とって勉強頑張るのだよ〜」
「皆で食べればきっと良い結果がでます」
星杜が皆を応援し、こくりと雪成が頷きつつ、それに同意した。
さて、そんなこんなで勉強も始まるのだが……
「またこの季節がやってきちゃったんだよ……」
新崎 ふゆみ(
ja8965)は肩を落とし気味。試験が近づいて嬉しい人もそう多くは無いだろう。
「ううっ、今年こそだーりんに迷惑かけないように、自分でがんばんなきゃ( ;∀;)」
意を決する新崎だが、涙目である。
「─学生って色々大変なんですねぇ……」
と、ここにも涙目の女性が一人。緋月(
jb6091)である。彼女は会場を不安気にきょろきょろと見回し、小田切ルビィ(
ja0841)の姿を探す。
「お、小田切さん……っ! 進級試験は恐ろしいって本当ですか……!?」
天使の彼女は、進級試験というものを知らなかったらしい。どこでどういう聞き方をしたのか。
「ま、確かに恐ろしいかもしれねぇな」
小田切は答えながら、ドーナツ型の座布団に座る。先日の依頼で尻に重傷を負ったらしい。なんというか、御愁傷様である。
「小田切さん……教えて欲しい所が……っ。あ。タダで。とは言いませんよ?! お礼、何でもしますから!」
緋月はちょっと慌て気味に、小田切に頼み込む。「いいぜ」と小田切はそれを引き受け、何処が苦手なのかを聞き出す。
「フーン。緋月は文系が苦手なのか……。んじゃ、まずはコレから始めっか?」
小田切は参考書や歴史年表を広げる。そして、過去問から試験に出そうな箇所を絞り、アンダーラインを引いて行く。
「試験まで時間も無ぇーし。丸暗記で凌げる箇所に的を絞るぜ」
「は、はいっ」
まずは確実に稼げる場所から。点数ゲットに特化した、割とスパルタな勉強法であった。
「助かるのですが、なぜに屋上なのでしょうか?」
燦々と輝く太陽の下、雫(
ja1894)は疑問を抱く。
「roofはfeelingがgoodだからな!」
炎條は、どうやらそんな気持ちでここにしたらしい。
「……で、お前は何してるんだ!?」
炎條が振り向くと、炎條の声に耳を澄ませている男子生徒の姿が目に入る。和泉早記(
ja8918)だ。
「すみません……俺、英語が苦手で」
英語が分からないので、彼の会話を聞いて勉強になれば……と思ったらしい。
「英語は私も苦手ですね……。……日本人ですから」
「そうか! なら今日はそのweak pointを無くさないとな!」
炎條は軽く言ってのける。その為の勉強会なのだ。
「英・仏・独は母国語ですからね。私にまーかせてほしいのです!」
とはいえ、それが得意な人間が多いのも久遠ヶ原。Rehni Nam(
ja5283)は胸を張って彼らへの教師役を買って出る。
「というわけで、わからないことがあればじゃんじゃん訊いて下さいね」
三角眼鏡を付けたRehni。全身包帯まみれなのは、先日大怪我を負ったから。
「私は何処が分からないか、判りません」
雫は、なんというか教え甲斐のありそうな状態。
「えっと、いんぐりっしゅのてぃーちをぷりーず……」
和泉、どうしてか英語で頑張ってみようと試みているが、発音が怪しい。
「こいつはなかなかhardそうだが、頑張ってくれ! 俺も一回りしたらすぐreturnするからな!」
炎條も教えに回ろうかと思ったが、ひとまずは会場の様子を確認しておきたい。なのでそう言い残すと、他のグループを見に行った。
英語を勉強している場所は、他にもあった。
「文法のコツを教えてくれませんか?」
「もっちろん! 代わりにこっちも教えてくれ!」
黒井 明斗(
jb0525)と海城 恵神(
jb2536)である。
「Is that Tom? No, this is a refrigerator.」
「疑問系はbe動詞の位置が変わるんでしたね」
「お、おぅ……」
海城は場を和まそうとふざけて見るが、黒井は真面目に反応する。冷蔵庫とトムは間違えないだろう。
「ねーねー、ここってどの公式使う系ー?」
逆に海城は黒井に数学を教わっていた。参考書とノートに交互に目を動かす彼女に対して、黒井はどっさりと問題集を追加し、「数学は公式の暗記と、繰り返し問題を解く反復練習あるのみです」と告げた。
「ここはこの公式ですね。これを自分の血肉にするまで問題を解き続けるのが肝心です」
勿論丁寧に公式を説明する。その後はしかし、ひたすら問題を解いて覚えさせる方式らしい。
効率無視の根性勉強法。とはいえ、力が付くのも事実。
問題は、海城がその勉強法に耐えられるか……だったが。
「おねーちゃん! 酸化還元電位ってなーに?」
こちらでは、姉弟で勉強を教えあっていた。
「酸化還元電位はある酸化還元反応系における電子のやり取りの際に発生する電位のことだが……水晶、これ授業でやったのか?」
水竹 水晶(
jb3248)の質問に、さらさらと答える水竹 水簾(
jb3042)。だけど水晶の所属は小等部2年の筈だ。単語帳に目を通しながら教えていた水簾は、思わず目を離して聞き返してしまう。
「すいそに……へりうむ……」
水晶がやっているのは、どう見ても化学の勉強だった。小学生の範囲じゃないだろうと、水簾は思う。
とはいえ、集中してやっているようだ。水簾は自分の単語帳に目を戻す。
そして、小さな声で悪態をついた。
「自分は日本人だぞ? なぜ英語なんて……」
英語の苦手な生徒はここにもいたようだ。
「日本人は日本語が出来れば良いのです!」
「そうだ。英語なんて爆発してしまえばいい」
無茶苦茶を言っているとは分かっていても、苦手な教科には愚痴も出てしまうものだ。
……と、水簾はふっと気がついて顔を上げる。今叫んだのは誰だろう?
「……英語の勉強を続けますか」
叫んだのは雫であった。直前まで真面目に勉強していた彼女だったが、急に不満が爆発したらしい。すぐに我に返って、勉強を再開した。
「俺も英語苦手だよ!」
と、それに反応したのは鬼灯丸。
「テスト範囲全部解らないんだけど、教えてもらって良いかな?」
彼もRehniに英語を教えてもらうことにしたらしい。
「もちろんです! ではまず何処から始めましょうか……」
Rehniもそれを快く引き受けた。
「すみません、私も教えてもらっていいですか……?」
チョコを片手に持った唯月 錫子(
jb6338)も、彼らと合流する。
(流石にこのご時勢、日本人だから英語ができなくても問題ないといっている場合ではないですよね……)
国際社会を生き抜く為には、英語の一つも出来なくてはいけないだろう。
「日本人なのに、どうしてこんな風に英語頑張らなきゃいけないのかな……」
肩を落としながら、ルーネ(
ja3012)もそこへ参加する。
「皆さんもチョコレートどうぞ 」
大袋のチョコを置いて、ルーネは皆に勧める。
「私もご一緒してよろしいでしょうか?」
知楽 琉命(
jb5410)は日除けのパラソルを持参。皆の為に日陰を作っていた。
とはいえ大所帯だ。それぞれ出来具合も違う生徒を、Rehniだけで教えるのは難しいだろう。
「英語なら教えられるわよ〜」
そこへ、雀原 麦子(
ja1553)がビールを片手にやってきた。ノンアルコールである。
「よくこんな暑い屋上で勉強とかする気になるわね〜」
そしてノンアルコールのそれをぐいっと飲みながら、炎條に話しかけた。
「前から変と思ってたけど、やっぱり変ね、忍ちゃん」
「そうか?」
炎條自身はそんなつもりもないようだが。何人かが頷いたので、そういう認識は広まっているのかもしれない。
まぁ兎も角そんなわけで、英語組は一気に大増量を果たしたのだった。
英語以外の勉強をしている所も、勿論ある。
「……ギア、ちゃんと人界のこと分かってるんだからなっ、でも念のために復習するだけなんだぞっ」
蒸姫 ギア(
jb4049)は社会と歴史の成績があまり良くないようだ。蒸気機関を始めとした理系分野は得意なのだが……
「実戦に出る為に、この方面は去年より疎かにしているからなぁ。とはいえ、追試を受けない程度には勉強しないと」
理数メインで勉強をしていた龍崎も、文系分野はさほど良くないらしい。
逆にその分野に強かったのが、普通に真面目な鈴代 征治(
ja1305)。
「それなら教えられますから、一緒に頑張りましょう」
代わりに鈴代は数学を教えてもらうようだ。
「あの、私も理数系が苦手なので、教えていただけますか?」
理数系をメインにしている人はそう多くない。彼女は科学が特に苦手であった。
「良ければ、私も教えましょうか? 座学系の科目ならそれなりにこなせるわ」
暮居もそこへ合流。進級に問題は無い成績なので、教える事に専念出来る。
そこへ、新崎も顔を見せる。クッキーを持参して来ている様だ。
「ふゆみが作ったんだよ。いっぱい食べてー、……で、よ、よかったらふゆみにいろいろ教えてほしいんだよっ☆ミ」
自分が教えられる部分が無いので、代わりに……ということらしい。勉強は苦手でも、こういう面でなら自信があるのだ。
鈴代達はそのクッキーを戴くと、口々に「美味しい」と褒める。
「ふゆみのこの料理の才能だけでシンキューさせてくれないかなあ…(;´Д`)」
「家庭科は今回の試験に含まれませんからね……」
家庭科のテストがあれば、彼女も相当点数を稼げると思うのだが。
「……家庭科? り、理論だけなら……」
勿論、そうなれば暮居のように家庭科が苦手な生徒が苦しむことになる。新崎とは対照的に、料理が苦手なのだ。
「あいどんとらいく……じゃぱにーずすとーりー……」
「こら水晶、寝るな、起きろ」
さて、水竹姉弟。水簾は真面目に勉強をこなしていたのだが、どうやら先程から水晶が眠くて仕方なくなってしまったらしい。
「でも眠いよぉ……」
「チョコやるからもう少し頑張ろう? な?」
水簾はチョコを出しながら、なんとか水晶を起こそうと努力する。
「チョコー♪」
水晶はチョコに飛びつき、ひとまずは起きた。そしてもぐもぐとそれを食べながら、「おねーちゃん、どうやったら眠くならないでお話読めるの?」と姉に問う。
化学は好きだが、どうも物語は眠くなってしまうらしかった。「そうだな……」と水簾は考え込む。
「カレーを食べれば……スパイスで目が覚めるかもしれない」
そして、星杜達の炊き出しを見ながらそう答えた。
「カレー?! 食べる食べる!」
水晶はそう言うと、彼らの元へ走って行く。「カレー頂戴!」
「はい、どうぞ〜」
古典の勉強をしていた星杜は、嬉しそうにカレーを盛りつける。
「あー、それ望遠鏡?」
と、水晶が傍らにあるものを発見し、問うた。
「はい。理科室から借りて来たんです」
星杜の隣に居た雪成が、その質問に答える。
「でも今昼だよー?」
「昼間では星は見えないですが……昼の月を見るとか、タイミングが良ければ人工衛星とかも見えるかもしれませんから」
「そっかぁ」
こくり、水晶は頷いたタイミングで、カレーの盛りつけが完了する。
「ありがとう!」
水晶はお礼が言って受け取ろうとすると、ぱさりと絵を描いた紙を落としてしまう。
「あら、大丈夫ですか? 上手ですね。犬の絵ですか」
雪成がそれを拾い、水晶に手渡す。
「この絵ー? クロだよー!」
クロとは、彼の飼っている犬の事らしかった。
「それじゃあこのカレー食べて、頑張って来るねー!」
水晶はそう言って、水簾の元へ戻って行く。
「ぐ……勉強しにきたのだし流石に場を荒らすわけにもいかんか……」
勉強会の中、一際暗いオーラを纏っていたのは、虎綱・ガーフィールド(
ja3547)。
どうも、カップルに呪詛を送りたいらしい。反リア充の者だろうか。
とはいえそんな彼も、きちんと勉強はしていた。近代の世界史だ。
「どの範囲をstudyしてるんだ!?」
と、炎條が彼の勉強を覗き込み、問う。
「1985年の集団失踪から、久遠ヶ原設立までの期間を見直しているで御座るよ」
虎綱は答える。目的は、自分なりの天魔の行動に関する知識の充実。
「勉強と言うより依頼の対策をしている感じで御座るな」
勉強会の趣旨とはズレている、のかもしれない。が、敵を知ることは大事である。その上で対策を立てられることもある。
「成る程な! 俺も最近strangeな噂を聞くからな! countermeasureが必要だ!」
炎條も何か思う所があるらしく、こくこくと頷いた。
「ま、モチベーションが上がるのであればよいか」
虎綱もそう思い、勉強を続ける。時間が余ればそれ以前の時代……第一次世界大戦頃まで遡り、失踪事件を調べてみよう。彼は内心目算を立てた。
……それだけなら、本当に真面目な様子なのに……
「だが、カップルに恨み言は送っておこう」
そのカップルに対する感情は何故なのだろう。
……ちなみに、この会場にカップルはさほど多くない。
「ギア、ちゃんと覚えた……鳴かぬなら、殺してしまえ平安京。いい国作ろう、僕の船」
「それはちょっと違うわ……色々混じってしまっているわね」
暮居に暗記間違いを指摘され、蒸姫は赤くなりながら「ちゃっ、ちゃんと知ってたんだからなっ」と意地を張る。最後のはもう歴史のですらない気がするけれど。
「なら、一問一答の単語帳を一杯作ってみたらどうですか?」
鈴代は蒸姫に提案する。「暇があればそれを見るようにして下さい。そして単語に慣れてきたら、時代ごとに大雑把に流れを追うこと」
文字を追うだけでは頭に入らない。きちんと流れを理解するのが必要なのだ。
「そう、ここはその順番で計算していくんだよ」
龍崎は年長者として、下の学年の新崎に勉強を教えていた。
「えっと、じゃあこうして……答えはこれ?」
「見せてみて。……ここの計算を間違えちゃってるかな。でも、やり方は合ってる」
不得意ながらも、一生懸命勉強する新崎。拙いながらも、確実に力はついて来ている。
「ちょっとくらくらするから、一休みするよ」
慣れない勉強をしているからだろうか。彼女はそう言って、空を眺める。
「終わったら、だーりんとでーとしまくるんだからっ( ;∀;)!」
そして、決意を新たにする新崎であった。
「この変化って、どうなるんでしたっけ?」
「あぁ、ここはね……」
牧野の質問に、暮居はすらすらと答える。こちらも難しげだが、牧野は蛍光ペン等を使って自分なりに良くまとめている。これなら、勉強会が終わった後でも大丈夫だろう。
「頭から煙出そう……」
ひたすら英単語の暗記を行っていたルーネは、遂に泣き言を言ってぐたっと倒れる。
教科書の文章の和訳など、色んな方法で単語の勉強をしていた彼女だったが、それ故に疲労するのも早かったのかもしれない。
「大丈夫ですか? でもテストまでは後少しですし、それまで頑張りましょう!」
唯月は彼女を激励してやる気を起こそうとしたが、そう言う唯月も、結構集中力が切れて来たところだ。
「そろそろ休憩にしてもいいかもしれませんね。ずっとやり続けていても、効率が落ちてしまいます」
知楽が提案すると、「そうですね」とRehni達が同意する。
「フルーツの盛り合わせを持って来たので、皆さん良かったら」
知楽はどどんとしまっていたフルーツを取り出した。皆で食べても十分な量である。
「ありがとうございます」
和泉が礼を言って、バナナを一本貰う。
「皮、私が剥きましょうか」
雫がそう名乗り出て、林檎や梨の皮を剥き始める。刃物とりあえず持っているものを使った。
「忍ちゃん、忍ちゃん」
雀原が炎條を呼ぶ。「どうした!」と炎條が来ると、彼女は炎條に気分転換の相手を頼む。
「無音侵入訓練やらない? 皆の邪魔にならないように。お互い無音で相手の無力化をするの」
「成る程な! 無音はNINJAの得意技だ!」
テンションが高いので若干うるさい炎條だが、その気になれば気配も消せる。NINJAだもの。
「決まりねっ。それじゃあ早速始めましょう?」
休憩、といえば。
この勉強会の中、一際異彩を放つ生徒が居た。
下妻笹緒(
ja0544)である。
ジャイアントパンダの着ぐるみを身に纏った彼は、屋上の端っこでただタイヤと戯れていた。
その様は、一瞬本物のパンダがそこで遊んでいるかのようである。
『他の皆のようにstudyしないのか?』と、炎條も彼には聞いていた。それに対する彼の答えは、確固たるものであった。
「主席を争うようなステージに至った場合、今更の復習なぞ、もはや不要」と。
素人目には、可愛らしいパンダがごろごろもふもふと遊んでいるようにしか見えないだろう。だがそれは違う。
彼のように日頃の勉学を欠かさないものにとって、大切なのは目先の復習ではない。
試験を目前に控えた今、重要になってくるのはただ己の集中力を高めること。自分の脳を整理し、万全のコンディションで試験に挑むことが、彼にとってただ一つやり残した事なのである。
なればこそ、タイヤの上に乗ったり、時にはその穴の中をくぐってみたり。
緩やかに、自身のコンセントレーションを高めてゆく必要があったのだ。
もう一度、繰り返す。これは単なるパンダちゃんのお遊戯ではない。
「学園トップを目指すために必要不可欠な最後の儀式なのだ」……彼のその言葉を聞いた炎條は、正直よく分からないまでも、邪魔をしてはいけないことは理解した。
『most goodなresultが出るのを祈っている』。それだけ告げて、炎條は彼を見守ることとしたのだ。
次元の違う戦いが、そこにある。
「俺も集中して勉強せねば〜」
古典の勉強をしていた星杜は、改めて思う。
外国語なら、母親が話していたので聞くだけなら出来る。ただ、他が良くない。
というのも、今回みたいによく料理を作って振る舞う関係で、費用を賄うためバイトを掛け持ちしているのだ。それでは勉強する暇もない。
雪成は古典もある程度分わかるので、星杜への講師役は彼女だった。
彼女の実家は書道家の家系。旧家故か、日本史や古典の知識は幼い頃から持っていたのだ。
「なので、ここはここの掛詞になってるんです」
「そっか〜」
信頼しあった関係での勉強だ。頭にも入りやすいだろう。充実したカップルである。
「蟹光線……簡単だよ、イブセマスジ」
「何を読んだのよ……蟹工船。小林多喜二よ」
蒸姫の謎の誤解に、暮居は淡々とツッコミを入れた。
井伏鱒二はまた別の作品を書いた方だ。蟹光線は非実在光線だ。
「蒸姫さんは全く知識がないわけじゃないけど、どこかずれてるのよね……」
そのずれを治せば、それなりの点数は取れるのだろうけど……。
「うう、古典はどうして日本語なのにこんなに難しいのかなあ……」
新崎は、今度は古典に悩んでいるらしい。
「まずは適当に、物語を古語と現代文両方読み込んで下さい」
鈴代はそんな彼女に、自分なりの勉強法を教える。ひたすら、暗記するくらいに読み込めと。
「するとなんとなく、話の流れてここはこんな事言ってんだなって雰囲気が掴めて来るはずです」
「ええっとー……あ、本当だ☆ミ」
短文でそれを実践してみる新崎。基本は同じ日本語なのだから、英語と比べて文法の違いはそこまで大きくないのだ。
「雰囲気を感じられるようになったら、活用や熟語を単語帳で何度も復習してくださいね」
そうすれば、ある程度安定した点数は取れる筈だ。
あくまで基礎は同じ言葉。その点、ハードルは低いんじゃないだろうか。
「そういえば、去年はどんな問題が出たんですか?」
と、牧野が気になっていた質問を飛ばす。
「そうね、範囲がやたら広いから今年はどうなるかわからないけど……基礎的な部分は毎年多く出ている筈よ」
暮居は答え、その基礎中心として牧野に教えて行く。割合として、基礎を固める方が得だろう。
「古典って意外と面白いですね」
歴史の勉強をしていた緋月だが、今度は古典の勉強に手を伸ばしている。
小田切はそちらの成績も良く、教え方が上手い御蔭か、緋月は古典が少し楽しくなっていた。
「それに、小田切さんは頭がいいんですね。試験も心配ないんでしょうか」
「あぁ。今年はちゃんと大学部に上がるぜ?」
この小田切、去年は留年していた。しかしそれもわざとやったことらしい。
実際成績が良いので、きっと言葉の通り今年は進級するのだろう。
「それにしても疲れましたね……皆さん一旦休憩してますし、私達もどうですか?」
緋月は小田切に休憩を提案。
「そうだな。10分くらい休むか」
小田切はそう答え、一度座り直す。そういえば臀部が重傷だった。
緋月は用意していた水筒を出して、麦茶を入れる。それから、おやつとして饅頭も。
「小田切さんもどうですか?」
「いいのか? なら貰うぜ」
「はい、どうぞっ」
小田切に饅頭を渡し、麦茶を飲んでほっと一息つく緋月。
一本の水筒は、これから二人によって空になることになる。
「今日だけで大分分かるようになった気がするよ」
知楽の用意したオレンジを食べながら、鬼灯丸はぱらぱらとノートを捲る。
最初は『テスト範囲全部分からない』と言っていた彼だが、これならある程度点数も取れるかもしれない。……かも、しれない。
他の教科も苦手だが、一番苦手な英語が伸びたことは、きっと彼にとって点数以上の希望をもたらすだろう。
「そうですね、何とかなったという感じです」
Rehniも笑ってそれに答える。実際、彼女は随分苦労しただろう。分からない部分が分かっていればすぐにそれを教えられたが、彼女はまずそれを探す所からやっていたのだから。
「チョコ、食べ切っちゃいましたね」
唯月は空になったチョコの袋を見て、ルーネに笑いかけた。
「でも、御蔭で最後まで集中出来ました」
「どういたしまして! 知楽さんの持って来てくれたフルーツも美味しかったー」
ルーネは答えると、鬼灯丸を見てふっと呟く。
「……ふと思ったんだけど、天魔って言語どうなってるの……?」
日本語は出来ても、英語その他が出来ない鬼灯丸。ちょっと不思議である。
ちなみに、雀原と炎條の無音侵入戦闘訓練。
これは苛烈を極めていた。つまり、なかなか決着がつかないのである。
お互いが刀をメイン武器とした前衛でのスタイルであるから、接触は多い。だがこれという決め手の無いままに、相手の無力化も出来ないでいたのだ。
「決着はつかねぇが、そろそろendにしねぇか!?」
と、炎條が提案する。訓練としてはもう十分だろう。
「そうね〜。私も喉乾いちゃったっ」
雀原は答えると、またノンアルビールを飲み出す。
「暑くて気分転換したくなったのに、もっと暑くなっちゃった」
それなりの運動だったのだ。代わりに飲み物が美味い。
「そうだな!」と炎條も答えて、牧野が配っていたドリンクをごくごくと飲み干した。
段々と日が傾いて来た。勉強する彼らの顔に、オレンジ色の夕陽が眩しく照る。
「もう暗くなるね〜」
星杜が、空を見ながら言う。
「そうなったら勉強会も終わりか〜」
屋上勉強会は、日が落ちるまで。暗くなったら、それぞれ帰って勉強することになるだろう。
「そうですね」と、雪成が若干寂しげに答える。そして彼女も、望遠鏡で空を見た。
「終わったーっ!」
海城が叫ぶ。「私、何て出来る系Angel!」
彼女は、黒井がどんと出した問題集をある程度こなしたのだ。
「これぐらいやれば流石に十分じゃないかな!」
元々、苦手といってもそこまでじゃなかった海城。無理矢理こなして今では一番得意と言いたいくらいである。事実は兎も角。
「僕も疑問が解消されました。ありがとうございます、海城さん」
黒井は海城に礼を言う。彼も彼で、文法の苦手が克服されたようだ。
他の生徒達も、それぞれに。
自分の得意なものを活かし、他人の苦手を補っていく。それは、勉強にだけ限った話ではない。撃退士として生きる彼らには、とても大事な連携だ。
「goodなatmosphereだ!」
炎條は、そんな彼らを見て満足げである。勉強会を開催した甲斐もあったというものだろう。
「見えました!」
と、雪成の声が屋上に響く。なんだなんだと、皆がそちらの方を見た。
「人工衛星です! ほら、あそこの空!」
彼女が指さす先には、白く輝く星。
「折角だ、皆でstarをobservationするぞ!」
炎條が思いついて、皆に提案した。屋上で星を見るのはいつぶりだったろうか。
生徒達は、順番に望遠鏡に目を通す。
そこから見る星は、まるで一日頑張ったご褒美のようで……普段より、とても綺麗に見える気がした。
試験は辛い。帰ってからも勉強する人だって大勢いるだろう。その時、彼らの中ではまだ何も終わってはいなかった。
それでも、今は。
日が暮れて、太陽に照らされたこの星が隠れてしまうまでは。
そんなことなど忘れて、空を見よう。
屋上勉強会、無事終了。