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月明かりのみが、地上を照らす真夜中。プギーモンキーたちの不気味な声が、山岳一帯に響いている。
――最近つくづくエテ公と縁があるな。
「まぁ、どの道やることは変わらんが」
プギーモンキーたちがいる場所、その少し南に下ったところの岩陰で、向坂 玲治(
ja6214)は身を潜め、待ち構えていた。
すぐ近くの岩陰に隠れているのは、蓮城 真緋呂(
jb6120)と黒神 未来(
jb9907)。南側に潜むのはこの三人である。
彼らの目的は、北側にいる子供救出班の援護。作戦が開始すると同時に敵の注意を牽きつけ、北側の撃退士たちが子供を救出しやすくする事が目的だ。
「こちら、元 海峰」
全員が持っている無線機から元 海峰(
ja9628)の声が聞こえてくる。
北側の崖。そこの頂上ギリギリの凸面で、海峰は潜行している。事前に近づいて、北側の他の面々に周囲状況を報告し、突入の合図を促す。崖伝いに移動し、遁甲の術で身を潜める事のできる彼ならでは役目だ。
海峰自身、鬼道忍軍の腕の見せ所と心中で張り切っている。だが、決してそれを表に出すことはない。
海峰は光纏時にのみ視力が回復する。とは言っても周囲がぼやけて見える程度だが。しかし、ぼやけた視界でも、崖にロープのような物で吊るされている子供たちの姿はわかる。子供たちは一人ずつ少し離れた位置に吊るされている。崖沿いには見張り猿が一体。今はボス猿の姿は見えないが、何度か頭頂部らしきものが覗けた。恐らくは北の崖側にいるのだろう。海峰は現在状況を無線で周知する。
「やれやれ、やりたい放題のお猿さんがいるねぇ」
崖上を見上げながら、土古井 正一(
jc0586)は呟く。
その隣で、同じように崖下で身を潜めているのは戒 龍雲(
jb6175)だ。彼らの目的は、作戦決行と共に飛翔し、子供たちの救出を行うことだ。
龍雲の表情は一見冷静そうに見える。だがその心の内は強い怒りで満ち溢れていた。
子供たちは、慕っていた存在を奪われ、そればかりか、その奪った者たちに捕えられている。
「……必ず助けるさ」
龍雲は拳を強く握りしめた。
「こちら、橘 優希。配置に付きました。いつでも大丈夫です」
北の崖をずっと沿った先に橘 優希(
jb0497)はいた。
飛行能力のある、正一や龍雲、壁走りを使える海峰など他の北側の面々と違って、優希は崖を自力でロッククライミングしなければならない。それでも子供たちの救出が最重要、と心構えている優希にはそうする覚悟があった。
しかし、正一が作戦の円滑な進行を促すため、事前に救助後の退避ルートを確認していた際、北の崖を東にずっと沿っていくと、まだ急斜面ではあるが優希の身体能力なら、充分昇降可能なルートがあることがわかったので、遠回りにはなるが、こちらから子供を救出することにしたのだ。
音を立てないように、敵に気づかれないように。優希は慎重に身を潜めている。
全員が配置につき、準備は整った。後は合図を待つのみ。
一つ、肌寒い風が辺りを鳴らした。
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見張りの猿が崖から離れた。
「今だ!」
無線機に声が響き、作戦が始まる。南側の三人は一斉に飛び出した。プギーモンキーたちは声を上げ驚き、撃退士たちに注視する。
最初に行動を起こしたのは未来だ。未来の左目が赤く輝き始める。髪をかき上げ近くにいたプギーモンキーを睨み付ける。その目を直視してしまったプギーモンキーは、ひしゃげた声を上げ、その場に凍り付く。
「おいたが過ぎたようやな。そこでじっとしとくんやな!」
その光景を見ていたもう一体が、北側に逃げようとする。しかし、
「こそこそ動いても、うちには見えてるんやで?」
未来は不敵に笑う。事前に察していたからだ。
その一体も未来と視線を合わせてしまい、その場に縫いとめられることとなった。
未来の邪眼によって、プギーモンキーの動きを止めるのに成功した。その一方で、玲治も岩陰から出るや否や、助走をつけて飛び上がり、手にした獲物を勢いよくプギーモンキーに振り下ろす。プギーモンキーは避ける間も無く、頭を叩き割られて地面に伏した。
そのまま玲治は近くにいるもう一体に向かって、指で手招きする。
「エテ公ども、人間様の恐ろしさを教えてやる」
プギーモンキーはけたたましい声を上げ、玲治に飛びかかる。玲治は身を横に反らせてそれを躱した。
「そいつらはお願い」
周りのプギーモンキーと対峙している二人の間を、真緋呂が通り抜ける。その表情は冷徹なまでに無表情だ。自身の足の裏と地面に磁場を形成することで、急速にボス猿の方へと向かう。
そんな状況だったが、ボス猿は不敵に笑っていた。そして、笑顔を張り付けたまま、崖に近づいて、子供たちを人質に取ろうとする。距離的に、真緋呂がたどり着くのは間に合わないと踏んだのだろう。
背後に迫る影には、最後まで気づかなかった。
「幼子を人質にするとは、敵ながら卑怯な手段だな」
「ギギッ!?」
不意に、背中に痛みが入りボス猿は叫んだ。それから反撃をしようとしていたが体の自由が利かず、ただ喚き始める。
「終わるまで大人しくしてもらおうか」
海峰の影縛の術。その力によってボス猿は身を動かすことができない。
子供たちが救出できるまで何が何でも動きを封じる。その事を改めて頭の中に思い描き、海峰は全身に気合を込めた。
一方で、子供救助班は子供たちの元に向かっていた。
月明かりの中長い髪が、夜風になびく。優希は崖沿いを全力で駆け抜けていた。
何が何としても、子供達だけは助け出す……っ!
優希の気持ちはその一点にのみ注がれているのだ。
優希は一番東側に吊るされている子供のところに辿り着き、ロープを引っ張り上げる。そして、束縛しているロープを切り、子供を抱きかかえた。
腕の中の子供はぐったりとしている。
もしかしたら、もう……。
そう不安を感じたとき、
「……う、うん…」
子供が薄らと目を開けた。
視点は定まっていない。呼吸も微かだ。けれどちゃんと生きている。優希は小さく安堵の息をもらした。
「大丈夫だよ。お兄さんが守ってあげるからね?」
優希は子供の手を強く握りしめ、慈しむように微笑む。それから子供を背負い、攻撃が子供に当たらないように、周囲に黒く輝く霧を纏わせた。
そして、優希は子供を安全な場所に連れていくため、再び駆けだし始める。
崖の凸面によって身を潜めていた、正一と龍雲も、翼による跳躍で子供たちの近くまで辿り着いていた。
しかしその付近にはプギーモンキーが一体。恐らくは崖の見張り番だろう。西側に吊るされている子供の方に向かっていた。爪を立てていきり立っている様子からして、危害を加えようとしているように見える。
「やらせるかっ!」
咄嗟に身を挺して子供を庇ったのは龍雲だ。見張り猿の攻撃を体で受け止める。肩を爪で抉られる、が傷は浅い。龍雲は飛び跳ねまわる見張り猿を睨み付ける。
龍雲の鋭い眼光に見張り猿は怯み、距離を置く。がすぐに奇声を上げて攻撃してこようとする。
「おっと、これ以上は何もやらせないよぉ?」
龍雲を庇うように正一が前に出て、見張り猿の攻撃を盾で受け止めた。
「さあ、今の内だ」
正一が促す。龍雲は頷いて、子供を吊るしているロープを切る。
見張り猿単体はそれほど強いわけではないだろう。しかし、素早さだけは侮れない。がむしゃらに攻撃していたら、それをすり抜けて子供たちの方に向かってしまう危険性がある。子供たちの危険を最低限にするために、子供たちが救出されるまで、正一は敢えて攻撃を受けて相手をひきつけることを専念しているのだ。
龍雲が子供を抱え上げる。優希が東側の子供を抱えているから、後は中央の子供だけだ。しかし、中央付近にはボス猿が近くにいる。
ボス猿の束縛が解かれた。すると一心不乱とも言える狂態で子供の方に向かい出す。海峰は再び、ボス猿を縫い止めようとする。
「ブオオオンッ!」
雄叫びを上げながら、ボス猿は拳を振り、身を捻る。今度は弾かれてしまった。
「くっ……」
ならば、強引に抑え込んででも。海峰が行動を阻止しようとしたとき、
「避けて」
聞こえた言葉に咄嗟に反応し、海峰はボス猿から離れる。とそのとき、細い鞭のようなものが伸びてきて、ボス猿の全身をからみ取った。植物の蔦だ。その先には南側から走って来た真緋呂がいる。
「子供達には手出しさせないわ。――あなたの相手は私達、余所見しては駄目よ?」
真緋呂はボス猿の動きを食い止めながら視線で龍雲に指示する。意を汲み取った龍雲は即座に最後に残った子供の元へと向かう。
南側の猿は玲治と未来。見張りの猿は正一。ボス猿は海峰と真緋呂が食い止めてくれている。
他の撃退士たちがここまで、やってくれているのだ。やれないわけがない。
龍雲は自らを叱咤し、子供の元へ駆けつける。拘束しているロープを切るや否や、二人の子供を抱きかかえ、崖に向かって飛び立った。
それを見た、正一は対峙していた見張りの猿を弾き飛ばし、子供の護衛を務めるため龍雲と共に、飛翔し戦線を離脱する。
「キーッ、キーッ」
北の崖を滑空する、二人に向かって見張り猿は、石を投げつけた。正一は子供を抱えている龍雲の盾となり、石を弾く。
「まったく、しつこいねぇ」
しかし、見張り猿のやっている事は最早ただの悪あがきだ。二人は難なく戦線を離脱することができた。
その一方で南側の戦いにもケリがつこうとしていた。
未来の上段回し蹴りがプギーモンキーの一体の胴に突き刺さる。宙に吹き飛ばされた猿はそのまま潰れるように地面に落ちた。未来は続けざま、踊るような足捌きを持って、近くにいるもう一体に急接近する。
プギーモンキーは逃げようとするが、未来の方が早かった。
「これで終わりや!」
低くした腰を持ち上げるとともに、すくい上げるように蹴り飛ばす。プギーモンキーはボロ雑巾のようになって岩肌を転げ落ちていった。
「おらっ!」
未来のすぐ近くで玲治の声が響く。それと共に殴打がプギーモンキーのこめかみに直撃する。くぐもった声を上げ、プギーモンキーは横たわった。
「ったく、ちょこまかと手こずらせやがって」
玲治は悪態をついて周囲を見渡す。南側に残っていた敵は全て倒すことができた。
後は、北側に残っているボス猿と見張り猿だけだ。
「子供達の救出は無事に成功したみたいね。……なら、後は」
「ブオオオンッ!」
ボス猿は自身を束縛していた蔦を引きちぎる。だが、もう問題はない。目的は達成したのだから。真緋呂は全長二百センチ程度の大剣を構える。
ボス猿が大きく手を振り上げて、真緋呂に飛びかかる。真緋呂はそれを大剣で受け止めた。
「ブオッ! ブオッ! ブオッ!」
ボス猿は何度も何度も、狂ったように殴打し、真緋呂は後ろへとじりじりと押されていく。
埒が明かず苛立ったボス猿は、右手を大きく引いて渾身の一撃を放とうとした。
「子供達が味わった恐怖、お前達にも味あわせてやる。覚悟しろ」
ふいにボス猿の右腕が吹き飛んだ。背後から海峰が小太刀で斬り上げたのだ。
ボス猿は残った左腕を大きく振り回す。海峰は腕でガードし致命傷を避けるが、横に大きく吹き飛ばされてしまう。
怒り狂ったボス猿はそのまま、海峰に追撃をかけようとする。
海峰が表情を綻ばせた意味をボス猿は理解できなかった。
――ボス猿はその瞬間、海峰に気を取られて真緋呂の事を失念していたのだ。
幾多もの経験を重ねた撃退士がこのような決定的な隙、逃すはずがない。
真緋呂が素早くボス猿の懐に入る。剥き出しになった胴を目がけて、大剣を薙いだ。
足の付け根から脇にかけて、深く貫通する。振り切った剣の先から、血が弾けた。
ボス猿は身を痙攣させ、よろめく。斬られた傷から噴水のように血が飛び、更に後ろへとたたらを踏む。
その先は崖だった。
「ブオオオンッ!?」
ボス猿は足を踏み外し悲鳴を上げる。そして、そのまま奈落へと落ちて行った。
「ウキッ?」
見張りの猿が、不思議そうに周囲を見渡す。そして、残りは自分だけだと気づいて慌て始めた。なんとか逃げようともがく。しかし、
「もう、手遅れや」
背後から、未来がかかと落としをお見舞いする。見張り猿はその場で崩れ落ちた。
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敵の殲滅完了。無線からその言葉が流れて、救出班の撃退士たちはほっと胸を撫で下ろした。
山岳地帯を離れ、麓の町近くのなだらかな道。そこで子供たちと、子供たちを救出した三人の撃退士たちはいた。
現在、事前に手配していた最寄りの救急病院から救急車がこちらに向かっている。直接撃退士たちが、送ることも可能ではあるけれど、最寄りでもそれなりに時間がかかる。だから、先に簡単な手当てをすることにしたのだ。
撃退士たちの素早い判断が幸運し、子供たちは衰弱している様子はあるものの、目立った外傷はなく、命に別状はないようだった。
心配なのは精神面だ。冷え込んだ子供に体を毛布に包まらせて、簡単な食事と飲み物を取らせながら、正一が柔和な笑みを見せながらマインドケアを行っている。
「もう大丈夫だ。心配はいらないよぉ」
「怖かったのに、よく頑張ったね」
優希も、子供を抱きしめ、優しく労わる。
それから、数分後、救急車はやってきた。
「子供たちをよろしくお願いします」
「任せてください。撃退士のみなさんもお疲れ様でした」
救急隊員は撃退士たちをねぎらう言葉をかけてから、子供たちを救急車の中へと入れる。
「……お兄ちゃんたち…」
別れ際ふいに、子供の一人が呟く。
「あり、がとう……」
小さな声だったけれどそれは確かに撃退士たちの胸の内に届いたのだった。
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猿に連れ去られていた三人の子供は、病院で正式な検査を受けた結果、少しの期間療養すれば回復すると伝えられた。
「子供たちは、無事助け出すことができましたよ」
後日、龍雲と正一は子供たちの無事を伝えるため、亡くなった保育士の位牌の前にいた。
周りには、他にもいくつかの花や供え物が置いてある。親しかった人間か、他の撃退士の誰かか。きっと何人もの人が訪れたのだろうことだろう。
「……だから、安心して眠ってください」
花を添えて、龍雲はそう伝えた。それから二人は静かに黙祷する。
「……そろそろいこうかねぇ」
二人は立ち上がった。今度は亡くなった園長のところへ、子供たちの無事を伝えに行くのだ。
不意に、部屋に飾られた写真が視界に入る。保育士と園長、そして子供達の集合写真だ。
その中の人びとは、皆笑顔で溢れかえっていた。
――子供たちにとって今は辛い瞬間だろう。けれど、彼らは生きている。いつの日かきっと、写真の中のように笑える日が来る。
その事を信じて、二人の撃退士たちはその場を去った。