●願いを映す七色の雫
雨上がりの風は微かな雨の香りと湿った空気を漂わせて時を流す。先程まで雫を落としていた空は泣き止んでふわりと笑ったかのように快い晴れを湛えていた。
泣き止んだ空。なんだか、いつもより少しだけ世界が優しく見える。
嵯峨野 楓(
ja8257)も、そんな世界みたいに優しく素直になれるかなと願うけれど――。
俯いて待ち焦がれるように。しゃがみ込んだ楓が鈴蘭に軽く触れれば、君影草に滴る雨露が弾けて落ちる。
待っているだけじゃ、俯いているだけじゃ駄目。そう解っていてもやはり心は踏み出せなくて。思い出すのはいつかの公園でのこと。
「鈴蘭、綺麗に咲いてるねー。雫が伝って、まるで泣いてるみたい」
「そうだね……雫も綺麗だ。けど嬉し泣きのようにも見えるな」
桜木 真里(
ja5827)もしゃがみ、そして楓の頭を撫でた。
泣いてるように見えた楓の心は何を思ってるのかな。鈴蘭を眺めて優しく微笑む真里は何を思っているんだろう。
「あ、そうだ。薄桃色の鈴蘭、折角だから探してみようか?」
見つけられるといいねと真里は頷く。言い伝えはあまり興味は無いけれど、君と歩く道がきっと素敵になるから。
「ねぇ真里は雨、好き?」
「好きだよ、雨には雨の良さがあると思うからね。楓は好きなのかな」
「うん……私も、好きだよ」
晴れには晴れは良さがあり、雨の日にはまた其れがある。雨音はまるで色々な物を洗い流してくれる。そんな気がして。
駆けだした楓は水溜まりに片足で飛び込む。こうするのは小学生振りかな。そういえば大人になるにつれて、見えなくなっていたことも沢山あった。
「よ、っと……お。ねぇねぇ、虹!」
飛び跳ねた水沫が光に反射して、七色に輝く。空を指差した楓が振り返れば眩しそうに彼女を微笑む真里の姿。
見上げて、隣同士小指を絡め合い寄り添う。
「一緒に来られてよかったよ――真里」
今はただ、それだけで幸せだよって内心思うけれど。楽しいことも哀しいことも、人はやがて全て忘れてしまう。
けれど、幸せだけは。こんな何気ない日常も君が居れば特別な物になる。
だから、これからもずっと一緒にいよう。そんな願いは雫とともに空へと還そう。だって、何度も何度も幸せは訪れるものなんだから。
●雨と祈り歩く
「雨あがったね」
雨宮 祈羅(
ja7600)の声は雨上がりの澄んだ空気に静かに溶けた。
祈羅と彼女にひかれるように手を繋ぐ雨宮 歩(
ja3810)は、雨の中散歩していたらいつの間にかこの公園へと辿り着いた。思い出すのは級友に聞いた噂。
「ねぇ、折角やし薄桃色の鈴蘭探しに行かん?」
いいよぉと頷く彼の姿は先の戦いで負った傷が痛々しく残っている。
(はぁ……このバカ探偵は……いつも無茶をして)
ため息をつく祈羅。けれど、今日だけはお説教しないであげよう。
「困った姉さんだねぇ、ホント。しょうがないから、喜んで付き合ってあげるよぉ」
そうして、ふたりは公園を歩き出す。傍から見れば自由奔放な祈羅に苦笑しながらやれやれと付き合ってひっぱられている歩の形。とても愉しくてソフトクリームに、猫に……出会う全ての物がきらきらと輝く。
「あ、虹だねぇ」
ふと見上げた空。七色の橋が架かっていた。
「むかーし、父ちゃんが言ってたおとぎ話だけど、虹を見ると幸せになるんだって」
綺麗だからかな。写真を撮ってから祈羅は虹の端から端を指でなぞり、ふと気付く。虹の端にひっそりと咲く薄桃色の花。
思わず漏れる小さな歓声。荒らさないように注意して携帯でその姿を写真に収める祈羅。
「写真だけ……少しだけ、しあわせお裾分けして貰お。うちらは、もう充分幸せ――やもんね」
祈羅が微笑みながら振り返る。その瞬間を狙い歩が構えた携帯でシャッターを切った。
「うん……鈴蘭よりも素敵なものが手に入ったよ、姉さん」
画面の中には薄桃色の鈴蘭と、七色に輝く虹。そして、大切な人の笑顔。
――何よりも、素敵な一枚の宝物。
●そんな貴方だから
森田直也(
jb0002)と雪風 霙(
ja9981)は指を絡ませ手を繋ぎゆっくりと歩く。
「言い伝えが本当かどうかは知らんが、ロマンはありそうだな」
表面上は平然とする彼の心の中は、まるで宝探しのようと胸が高鳴っている。
それが解ったのか否かどうか。くすり、と霙が笑う。
「昨日、頑張って、普通にお弁当作ったの」
「ちゃんと食べれるものを作ってきたんだよな……」
歩き疲れれば、既にお昼時。そろそろ何か食べようと彼は誘う。
近場のベンチに腰を掛けた霙が用意した弁当を広げると若干不安を覚える直也。その表情を察したのか霙は些か不満そうな顔。
「……多分普通にできたと思うの」
大丈夫、辛くはしていない、けど。
(中の真っ赤な液体、直也さん倒れそうだから飲ませられないのが残念なの……)
水筒を眺めて、しょんぼりとする霙。
直也は恐る恐る箸を伸ばし、卵焼きを運ぶ。口の中で広がる優しい甘さに思わず笑みを浮かべる。
うまいとぼそりと呟いた彼をニコニコと見つめる霙。調子にのってがっついていたら、ご飯が喉に詰まってしまった。
「流石としか言い様が無いの……」
苦笑しながら背中をスクロールでとんとんと叩いた霙は、直也の頬にご飯粒がついていることに気がつく。それを人差し指で掬って自分の口へと運んだ。
食事後再びソフトクリームを片手に散歩。それも食べ終わり、ふたりは木陰へと。
「風と、木漏れ日が気持ちいいの」
風が木々を揺らし、葉が擦れ合う涼しい音が耳に心地良い。
木の幹にもたれ掛かるように座った直也の体へ寄りかかる霙は目を閉じ、木々の歌に耳を澄ましている。
あまりに、優しい時間。平和な日常。それが、何よりも愛おしいから。
「ま、改めていう事もねえが……愛してるぜ。霙」
「私も直也さんのこと、好きなの」
静かな直也の声。返す霙の声は暖かく。
大人なのに、子どもっぽい彼のことが好き。だからこそ、好きになれた。
そっと唇同士が触れ合う。伝わったのはソフトクリームの優しく甘い味と、確かな愛の形。
●想い空
颯(
jb2675)とのお出かけだからと、終始ご機嫌なのは鴉女 絢(
jb2708)。
売店を巡り歩き買ったワッフルを颯にも渡すが、けれど颯は食べようとせずじっと見つめている。
「あれ? 颯くん、食べないの?」
楽しくないのかな、不安そうな絢に颯は見抜かれてしまったかと曖昧に笑みを浮かべる。
思い浮かべていたのは、少し前に出会った人のこと。それから心の曇りが取れない。
それをどうにかして気付かれないようにしていたのだけれど、どうやら絢には気付かれてしまったよう。黙っていたら、絢に抱きつかれた。
「何か辛いことあったら私に話してね?私なんでもするよ?」
「ごめん、ありがとう」
ぎゅっと颯を包み込むように抱きしめる絢。服越しに伝わる優しいぬくもり。けれど、今は上手く言葉に出来ないから静かに囁くような声で告げる。
「じゃ、さ。飛ぼうよ。 売店って気分じゃ無くなっちゃったし、飛んで、幸せ見つけにいこ?」
暫くそうしていたらすっかりとしんみりしてしまって、だから絢は人気の無い場所へ颯を誘い込み翼を広げる。
一緒に飛んだ空から眺めた鈴蘭は風に吹かれて揺れる。波打つような白の大地――鈴蘭の花々はなんだかとても綺麗。思わず小さな歓声が漏れた。
スマートフォンを取り出した颯はその光景を収める。眺めてきた絢の視線に気がつきふと目を向ける。
「ん……? どうしたの?」
「私も携帯買ってみようかなぁ……勿論付き添ってもらわなきゃ何にも解んないけど」
苦笑を浮かべる絢。けれどきっと2人ならそれも楽しいと思ってみたりして。
そんな楽しい時間はあっと言う間に過ぎて、気付けば空は茜色。
名残惜しくもふたりは地上に降り立ち歩く。結局見つけられなかったけれど一緒に過ごせただけで楽しかった。
「この前のお返し!」
去り際に振り返った絢の唇が颯のそれへと触れる。思わずぽかんと呆けた表情を浮かべる颯。
けれど、忘れていた。
(りょ、寮……一緒だったんだ)
なんだかもう、恥ずかしくて颯の顔を直視出来ない
眼前に伸びたふたつの長い影。夕陽を背に歩く絢のその表情はきっと茜色に照らされて、赤味を増していた。
●色彩
雫に濡れた傘を畳んだ。仰ぐメフィス・ロットハール(
ja7041)の瞳に映る蒼空と虹に思わず笑みが浮かぶ。
畳んだ傘から滴り落ちる雨粒を少しはらってから手に掛ける。そういえば彼女と初めてデートをしたのもこんな季節だった――アスハ・ロットハール(
ja8432)は静かに過去のことを思い出す。
「確か、お化け屋敷……だった、な」
怖がるアスハを見てみたいとメフィスから誘っておきながら彼女の方が驚いていた。未だに忘れられない思い出だ。勿論、その時から彼女は可愛くて。
「もう……」
彼女は光だった。
「けど、楽しかったよね。海で花火を見たり、試験期間にゲームをしたり……」
「依頼でともに戦ったこともあった、な……」
「あの時は本当に心配したんだからね」
あっと言う間に時が過ぎた一年。
売店で買ったソフトクリームを手にゆっくりと公園内を歩き、ふとアスハは空を見る。
「あ、虹が出てる……な」
「え? ほんと?」
「うん……甘い、な」
指された方角を眺めるメフィスの頬についたアイスを舐め取るアスハ。顔が赤くなったメフィスが突きつける拳。見通していた彼は受け止めて笑う。
「全くもう……あの、さ。噂で聞いたんだけど、薄桃色したのを見つけると幸せになれるんだって。探してみましょ?」
これから何度も季節が巡って、様々な花が咲いて、いつか繋いだこの手がしわくちゃになる時まで一緒に居られたら――そんなささやかな願い事。これから何を見て、どんな物と出会うのだろう。自分はどう変わっていくのだろう。
「じゃ、さ……ちょっとは危ないことやめないとね?」色々な出来事があった。早足で過ぎる日々は掛け替えのない物を連れて自分自身も変えてゆく。
メフィスの赤い髪が揺れて笑う。鈴蘭の白に映えてアスハの瞳に色彩を残す。
「やっぱり、キミには花が良く似合う、よな。 帰りに鈴蘭、買って帰ろう、か?」
そんなアスハの提案で寄った花屋で鈴蘭を一輪手に取るメフィス。
「ふたりなら、普通でも幸せになれるってことかしらね?」
覗き込んだアスハの視線に鈴蘭は夕焼けに映されたから――それとも、ふたりの色彩を取り入れたからか、ほんのりと桃色に染まった鈴蘭が手のひらで揺れていた。
●言葉の代わりに
珍しく何もすることが無い日だからと誘ったはいいけれど生憎の空模様。久遠 仁刀(
ja2464)の差した雨傘は彼と桐原 雅(
ja1822)を包む。濡れないようにと、肩を寄せ合い歩くふたりの足音は雨音の掻き消えて聞こえない。
彼から誘ってくれたのが――ともに居られるのが嬉しくて、空模様に反して雅の表情は幸せそう。
「ちょ、濡れるって……!」
そのままぎゅうっと甘えるように彼の腕へと抱きつく雅。傘を差す仁刀の手が揺れて水沫が撥ねる。
「いいよ。だって、濡れても先輩が暖めてくれるから」
ちょっと恥ずかしいけれど、仁刀もやがて小さく笑みを浮かべて進む。
やがて雨は止み、雲間から覗く陽光が水溜まりに反射してきらきらと輝く。
「ようやく晴れてきたし傘はいいか。なぁ、雅……」
このままだと傘畳めないのだけど。ちょっと困ったような仁刀の表情で雅は名残惜しそうに離れる。傘を閉じると再び抱きつかれた。
「もう濡れる心配もないし離れても……いや、まあいいか」
畳んだ傘を腕に掛けると、もう片方の手で雨にしっとりと濡れた雅の髪を梳く撫でる。
「そういや、さっきすれ違ったふたりが薄桃色の鈴蘭を見つけたらとかどうのこうの言ってたな。目的もなくぶらつくよりはいいし、どうせなら探してみないか?」
「うん、先輩にお任せするよ。だって、先輩と一緒なら何しても楽しいから」
そんなのはただ口実で、手を繋いで歩き出す。少し前までは、触れるのにも緊張していたのに随分慣れた。
(この幸せが長く続いて欲しい。だから、むしろ見付からない方が……)
その内心は雅も仁刀も同じ。一緒に歩けるこの道が、隣にいる大切な人が愛おしくて、何よりもしあわせで。
薄桃色の鈴蘭を探し歩き回れば気がつけば空は夕焼け色。
「結局、見付からなかったな……」
「うん、けど、いいんだ」
だって。
「何かに永遠を保証してもらわなくても 、仁刀先輩とずっと一緒にいたいって想いは変わらないから……」
――大好きだよ。
言葉の代わりに、想いを込めた接吻を。
●それでも、誰かを好きになる
――鈴蘭は誰が為に鳴るというのでしょうね。
獅堂 遥(
ja0190)の呟きは誰に問うわけでなく誰が応えるわけでもなく、雨上がりの澄んだ空気へと静かに溶ける。
ひとり歩く彼女の視界に少女の髪を梳くように撫でる少年の姿が映った。それは、破れた恋情を呼び覚ます光景。
かつて、思い描いた幸せの形。叶わなかった願いの残骸。だから、砕けた想いの破片は硝子のように心へと突き刺さり血を流しては悲鳴をあげる。
痛い、想いが。痛い、記憶が。張り裂けそうになる。耐えきれなかった。
目を背け逃げだそうと振り返った刹那、クライシュ・アラフマン(
ja0515)の姿を見つけて思わずその胸に飛び付く。抱きつかれたクライシュも戸惑うが、すぐに彼女の頭を撫でる。
暫くそうして、なんとか我を取り戻した遥は薄桃色の鈴蘭と提案しふたりは歩きだした。けれど、夕方になっても見付からなかった。
――いつもそうだ。
何か理由がなければ駄目だった。ただ、一緒に居たいだけなのに今日もこうして時が過ぎていく。
(鈴蘭なんか見つけられなくったっていい。私はただ貴方の――クライシュの傍に居たい。だから……)
ずっと逃げてた。切欠を言い訳にして、大切なものを逃していた。
(逃げてちゃ、ダメなんだ)
吹き抜けた風が鈴蘭を揺らす。
もう、下は向かない。俯かない。夕陽が遥の決意を映し出す。顔を逸らさず告げた遥の言葉には真剣な色が宿し、振り絞った勇気。
「私を貴方の恋人にしていただけますか?」
「いいのか? 俺は既に人の道を踏み外した男だ、お前に関係のない災厄が降りかかるかも知れんぞ?」
返した彼の言葉は遥の未来を警告する物、幸せなんて保障は出来ないと。けれど、遥は首を振る。
いつか、絶望の淵に沈んだ自分を救い上げてくれた貴方が好き。大好き。それだけで充分だ、それだけで充分に幸せなんだ。
恋なんて、きっとそんなものだから。
「貴方と共にいれるならば私は鈴蘭の毒であろうとも呷ることが出来ます……だから」
誓える。貴方の為に、命の意味を探していけると。
――どうか、一緒にいてください
その言葉に、応えは無かった。
けれど、ただ夕陽に映し出されたふたつの長い影は重なり混じり合い、新たな愛と絆を確かめるようにその唇が触れ合った。