●君影草の散る辺
蒼く澄み渡った初夏の美空に純白の君影草が揺れている。
平和な光景。だけれど、視線を移せば其処には無残に荒らされ踏みにじられた花壇と恐慌状態の人々の姿。
慌てふためく人々を背にたったひとりで剣を手に取り、戦っている撃退士が居た。
「時間を稼げれば、きっと学園からの応援が来てくれる……それまで、なんとしても食い止めるんだ、今此処でどうにか出来るのは僕しか出来ないんだから!」
灰色の獣の鉤爪を剣で受け止めようとするが勢いに推され留まりきれない。攻撃をする余裕も無く防戦を強いられ無数の傷を作る。誰の目から見ても劣勢だ。
普通であればとっくに倒れていても不思議では無い傷。けれど、まだ立ち上がり剣を構えるのは一重に皆を護る意思と応援にきてくれるであろう撃退士達を信じて。
ただひとえに、それだけを思って拓海は戦っていた。
「いっけー!スレイプニル君!」
蒼井 御子(
jb0655)の放った召喚獣が人狼に体当たり。弾き出す。人狼を取り囲むように陣形を組む撃退士達。
「力無き身でありながら見事な意思、見事な行動よ――少年、よく持ちこたえた。後は任せるがいい」
「は、はい! すみません……よろしくお願いします!」
インレ(
jb3056)が掛けた言葉と、現れた頼もしい仲間達。
地元であるこの地のみならず人々を護るのが撃退士の仕事だと拓海は思っていた。出来ればインレ達と戦線に加わりたいと思えど、体は既に限界を超えているのが解る。
撃退士達に頭を下げて拓海は離脱する。
「それにしても、こんなとこに現れるなんてねー。とりあえず……」
「躾がなっていないのは頂けないよね」
「うん! ボク達がお仕置きしなくちゃだねー」
「さ、仕事ーっと」
嵯峨野 楓(
ja8257)が阻霊符を展開しながらさり気なく吐いた言葉に、笑顔のままにのっかる御子。
「………」
無言で見定めるのはViena・S・Tola(
jb2720)。
人工的とはいえ自然のある場所で、鈴蘭が見事に咲いている。その花はヴィエナにとっては唯一気に入った国の花。
(その花の咲く場を散らすことは許したくはない……そう思っているのでしょう)
自分のことでさえ、他人事のように捉えるヴィエナの視線は凍えるように冷たく灰色の獣を射貫いていた。
「出てきたと思ったらすぐ帰っていったって、使徒も暇つぶしするわけ?」
百夜(
jb5409)は素直な疑問。全く理解出来ない。
「花を愛でたいだけならサーバントなんて物騒なものを連れてきて、しかもおいていくことも無いでしょうに。これだから天界の連中っていうのは風情が無くてだめねぇ……」
「ああ、同感だ。けど、人の感情を奪おうが命を踏みにじろうが何も感じ無いのが天界に属している連中だ。そんな奴らに風情だなんのその概念すら無いだろうさ」
百夜のその言葉に忌々しげに吐き捨てるように蘇芳 楸(jz0190)が言う。
「こんな時間に公園の真ん中でサーバントって、それすごくまずいよね……」
「はい。人はいないけど、もし取り逃がしちゃうようなことがあれば公園だけではなく、この街に大きな被害が出てしまうかもしれません」
その一方、古庄 実月(
jb2989)は隣に居た地領院 夢(
jb0762)にひそひそと小さな声で話しかけていた。
辺りを見渡した夢。拓海達の尽力のお陰で視界内に人の姿はない。
「戦い慣れてないけど急ぎみたいだし、手伝おうかなって思ってきた……けど、戦闘はやっぱり怖いなあ」
「同感です。お姉ちゃんはよく戦闘依頼受けているみたいだけれど、わたしはどちらかと言うと苦手で……」
「……あのさ、ところで、そこのふたりは大丈夫なのか?」
ひそひそと会話を続ける味方女子撃退士ふたりに視線を移す楸。
「や、やれます! 大丈夫です!」
「せっかく、綺麗に咲いてるんですもん。壊しちゃ可哀相ですよ。ね、古庄さん」
「う、うん! 出来る限りのことはしよう」
怖いけれど。実月のワイヤーを持つ手も力が篭もった。
「みんな、準備はいいかな? これ以上、サーバントの好きにはさせないよ。 行こう」
桜木 真里(
ja5827)の声が戦いの始まりを告げた。
●真昼のカデンツァ
なるべく花壇に被害を出したくないという思いから花壇から離れた場所へと誘導しサーバントを取り囲んだ撃退士達。
その中でも耐性には自信あるからと、不可視の風と無数の紅葉を纏い人狼の前に踊り出たのは楓。
「猫派なんだけど今日は特別ね――おいで、犬っころ」
サーバントに楓の挑発文句を解す知能は無い。けれど、その戦意とは感じて低い唸り声をあげて飛びかかる。
斡旋所で伝えられた情報の通りその動きは素早く誰にも止められず風の障壁さえも打ち破り、その爪は楓の身を深く剔る。楓の防御や生命力の低さもあるが一撃でほぼ体力を持っていかれてしまった。
「……結構、ガツンと来たね」
「大丈夫? 楓」
「これくらいで倒れる程、わたしは柔じゃないよ」
それでもなんとか踏ん張る楓に、大切な人を傷付けられて人狼を睨み付ける真里。
人狼から少し遅れたタイミングで動いていた夢。構えた魔法書から打ち出されるアウルの弾丸が人狼の足を撃ち抜けば、その動きを多いに削る。
「うろちょろされるのダルいし、止まってくれない?」
素早く印を結び呼び出す透明な糸が人狼を絡め取り地に縛り付け、真里の攻撃が続く。
「──狼が兎に勝てるとでも思ったのか?」
「ほらおいで、ご主人様に代わって調教してあげるわ」
腹部を狙うように薙ぎ払われるインレの大剣と削ぎ落とそうと同時に穿つ白夜の緋剣。2人の連携で深く人狼を傷付けれど動きを止めるまでには敵わず、続くように楸も槍を大きく振り薙ぐが有効な打撃を与えられない。
「え、えぇっと……動いちゃ、ダメ、です!」
辿々しい手つきでワイヤーを操る実月。今にも自分に絡めてしまいそうだが、それでもなんとかその手に巻き付けたワイヤーで人狼の足を狙う。覚束ない手付きだったけれど、それが逆に余計絡まり行動を鈍らせる。
「なーいっす! いっけー! スレイプニル君、どかーんとごー! ついでに弱みでも掴んじゃえっ!」
鈍った隙をついて召喚獣に指令を言い放つ笑顔で御子。力を込めたスレイプニルの体当たりが人狼の体を弾き飛ばして、向かい側に居たヴィエナが迎え討つ。それが気を引き深い爪が彼女を襲う。
その隙に移動した楓と真里がアイコンタクトを交わせば、火と蝶が舞い人狼の命を刈り取る。
「んー……たいした情報は無し、か」
人狼が息絶える直前、ダッシュで駆け付けてその額に触れ読み取れたのは人界に来て破壊活動をした、ということのみ。楓は深く息を吐いた。
●鈴蘭の音が告げる、新たな始まり
「折角の休日だったのにね……」
真里は周囲を見渡す。戦闘が終わった場は散々足る有様だった。
出来るだけ花は傷付けまいと心掛けていた甲斐有り予想よりは被害は少なく済んだ。それでも彼らが駆け付ける前に刻まれた傷跡は消えたりしない。
撃退士達が荒らされた公園を修復し出すと周囲に居た人々も自発的にそれに続く。
少しずつだけれど直されていく公園。いつのまにか小さな力と力が繋がり積み上がって、天魔に怯えた人々にも少しずつ笑顔が戻っていく。
救急が立てたテントから包帯姿の拓海が出てきた。負った怪我は決して軽いものではない。それでも、じっとはしていられないと出てきた拓海と彼を支える友人達を出迎えたのはインレ。
「耐久力だけには自信ありましたが……」
ご覧の有り様ですと、恥ずかしそうに頭を掻く拓海。ぽふり、まるで幼子を褒めるかのようにインレは拓海の頭に手を置く。
「よくやった少年よ。少年と友人らの英断と勇気が無ければ、あれらの笑顔も無かったであろう」
「有難う御座います。……けれど本当に、皆さんのお陰で被害もこれだけで済んだんですよ」
「……それは良いが、無理をしては行けないだろう。その怪我は」
案じるようなインレの言葉に、自信満々に返す拓海。
「大丈夫です。それに、此処は子どもの頃よく遊んだ公園ですからじっとなんかしていられません」
「拓海は昔っから頑固なとこあって、こうなったらテコでも動かねーよ。まあ、悪化しても自業自得ってことでいいんじゃねーの?」
そう友人らが茶化せば拓海が怒るけれど、何処か和やかな空気が流れた。そんな談笑を終えた一同もさっさと花壇の修復の作業に混じる。
先に居たヴィエナが背を向けたまま、口を開く。
「嗚呼……インレ様……。もしも走ることをやめる際には……その前に一言声をかけてください……。代わりを見繕わなくてはなりませんので……」
鈴蘭をなぞる指先。聞こてくる筈のない鈴の音が響き渡るかのように。
人の縁程見つけ出すのが難しいものはない。空白になることが事前に解ればそれを埋める代わりの雫を見つければいい。
かつて、その空白が出来た。愛しく思った雫も落ちて空へ還る。その、決して聞こえない君影草の音色は彼女自身も気づくこともないヴィエナの心の叫びにも似ていた。
「走る事を止める、か。無茶を言う」
そう、苦笑するインレ。走ることを止める――即ち、死。
死と隣り合わせの日々。人も天使も悪魔も、いずれは死ぬ。それは皆平等に遥か変わらないこと。こうやって話している現在も死に向かっている。
かつて、この花を請うて祈った少女の幸せそうな笑顔が泡沫のように浮かんでは、消えた。
「約束は出来ん。だが、そうならんよう努力はするさ、おぬしと話せなくなるのも寂しいからな」
ヴィエナよ――そう語りかけた彼は、どんな表情をしていたのだろう。
その傍ら、規則正しく並んでいたであろう鈴蘭を手に取った白夜は小さくため息を吐く。
「それにしても、こういう風に作った自然っていうのは好きじゃないんだけど……それでも植えられた花に罪はなし、か」
「うん、作った自然だけれどお花が綺麗なことには変わりないもんね。けど……」
「……どうしたの?」
言葉を止めた夢を気にした実月が竹箒で散らかった土を掃く手を休めて訊ねる。
「こんなに綺麗なお花なのに、どうしてシュトラッサーの人こんなことしたのかなって、聞いてみたかったんだけど……」
「……やっぱり、居なかったんだね。 わたしも何か手がかりになる物が落ちていないかって探してみたけれど紙くずひとつ落ちて無かったよ」
戦闘後、夢と実月はそれぞれ使徒の姿と残留物を探したけれど見つからなかった。念のため周囲の人にも何かを見ていない。行方に繋がる情報は出てこない。
「ところで、そのシュトラッサーが何していたか解るかしら?」
「あ、それボクも気になる! 妙なとこに現れたもんだよねぇ」
ぽふぽふと、土を盛る御子も首を傾げる。自分も聞こうとしていた内容だ。何故こんなところに現れたのか。その意図が全く解らない。
「んー……、僕らはサーバントが出現するまでは目立った動きが無くて存在すら気付きませんでした……皆は?」
白夜の問いにそう答えた拓海は友人達に質問を投げかけるけど、皆同様に首を横に振るだけ。
そんな中、口を開いたのは荒れた鈴蘭を労るように優しく撫でていた女性。
「あたし、そのシュトラッサーの近くに居たの……なんというか、ちょっと冷たい印象だったけど化け物を呼び出すまでは本当に普通の女の子だったというか、むしろ荒事は好きじゃないとか言ってた気がするし……」
「うん。僕もそんな印象を受けたよ。丁度、君くらいの年の頃で、真っ白で長い髪の女の子だった」
御子を指差した男性は丁度鈴蘭の花言葉について話していた時に通り過ぎたから花と同じその白い髪が印象に残っていると続ける。
その話を横から聞いていた夢は、ふと気になって言葉を挟む。
「花言葉、ですか?」
「うん、幸福の訪れと幸い。フランスの大切な人の幸せを願う行事から来ているそうなの」
「素敵な花言葉ですね。お姉ちゃんとお姉ちゃんに買っていこう」
「折角ならこの花を貰っていったらどうだ?」
女性が花言葉に感動した夢の呟きに、瓦礫の整理を手伝っていた楸が言う。救えなかったこの花々はの運命は既に決まっている。
「だから最後のその時まで看取ってあげられるのなら……花達も本望じゃねえかな」
言葉下手な楸は、それだけ言うとさっさと去ってしまった。残された夢は辺りを見渡して。
「え、えっと……いいんでしょうか?」
確認するように言うけれど。勿論、誰も反対する人なんて居なかった。
「よかったですね、夢さん」
実月の声に、大切そうに花を抱え上げた夢が笑う。大切な人への感謝と、これからの幸せを祈って。
「さ、作業に戻りましょ。私がやる気を出すのは珍しいんだからありがたく思いなさいよ?」
少しだけ顔を緩ませた白夜がそう誘えば、再び作業に戻る。初夏の風に鈴蘭が揺れた。
一同とは少し離れた場所で真里と楓も修復活動をしていた。
「確か鈴蘭の別名は君影草だったかな……」
真里は以前調べた知識を思い出す。
(頭を下げて愛しい人を待つ姿からって言われてるみたいだけど、そういう考え方って何だか好きだな)
その視線の先にあるのは、手の中で静かに揺れる小さな白い花。
「相手を思う心は至極純真……だから、君影草って呼ばれるのかな」
返す楓の言葉は、確かめるように。純粋と言う言葉を持つ可憐なこの花には毒がある。
毒花で相手の幸せを願うというのも愉快だと想う。それでも、その心は純粋な少女のよう。だからこの花が好き。
ふと視線を真里に向ける。例えば、横顔の彼は今何を考えているのだろう。
隣に居て、彼を見てきた。ふとした仕草も、表情の移り変わりも様々な彼を知っている。けれど、解らないことの方が多くて、もどかしくも思う。
もっと知りたい。もっと知られたい。尽きない恋愛の欲求。
「どうしたの?」
そんな楓の視線を感じた真里が手を止めて振り向く。
「何でも無いよ。ねぇ、真里?」
けれど、全ては知らない方がいい。知られない方がいい。そんな自分は鈴蘭の異名の通り臆病なのかもしれない。
今はせめて優しい君の笑顔を祈ろう。幸せを願おう。
先が見えない世界でも、今を一歩ずつ。その横顔に、唇が触れた。
シュトラッサーが何を想い、何を成そうとしているのか。それは今は解らない。
それこそ、直接相対する機会があれば別だろうけれど――今はただ、目の前のことを、道を探して往こう。
さすればいつか答えは見つかると。今日も変わらない初夏の風が吹き抜けた。