ジャスミンドールがつれられたのは、中種子高校だった。
確か、以前にも訪れたことがある。人間達が本拠地にしていた場所だ。やはり『良いこと』なんて起きる気配はない。
「初めまして、だな。先に言っておく。『俺は』慣れ合うつもりはない」
昇降口の下駄箱に身を隠すようにしていた薄氷 帝(
jc1947)が姿を表した。
その雰囲気は剣呑なものでジャスミンドールは自らの直感が間違っていないことに気付く。
「……やっぱり茶会なんて嘘やろ。何のつもりなん?」
「こっちだ。案内する」
「参りましょう。ジャスミン様……大丈夫ですよ」
檀に促されて何とか付いてくるジャスミンドールは相変わらず警戒を解かない。
(俺も随分丸くなったな。学園に来る前なら話し合いなど……)
刺々しいジャスミンドールの警戒を背に感じたまま、帝は独りごちり、先に進む。
「いらっしゃいませ。ゆっくりとお茶会をお楽しみくださいね」
「……なん、なん? これ。茶会って……ほんまに?」
呆気にとられるジャスミンドールを迎えたのは、翡翠色のドレスに身を包んだ木嶋香里(
jb7748)だった。
帝に案内された部屋の扉を開けると、そこには柔らかく飾り付けられた茶会部屋。先程の帝の雰囲気と全く真逆だったこともあり、余計に驚いている。
「ふふ、頑張って準備したんですよ。楽しんで頂けると嬉しいです」
香里はそういって微笑んだ。
「ジャスミンドールさん……いやミンたん、久しぶりだね!」
戸惑うジャスミンドールをとびっきりの笑顔で出迎えたのは私市 琥珀(
jb5268)。しっかりとカマキリの格好で出迎えている。
「けったいな格好……あの時の」
「うん、そうだよー?」
以前会ったことがある。覚えがあった。差し出されたカマをジャスミンドールは手にとって、ぷいと顔を逸らしながら。
「ま、まぁ……握手くらいならええけど? これが人間のレーギなんやろ?」
「改めてよろしくね!」
「まぁ、まずは座れ」
「…解った」
帝に促され、変わらず少し固い表情で椅子に腰掛ける。
すると、けたたましく鳴り響いたのは笑い声。驚いたジャスミンドールはまるでうさぎか何かのように飛び上がる。
「な、なんなんこれ?! 喋りよった……」
椅子にのせられた笑い袋を見つけた後周囲を見渡すと、口元に手をあてて肩を小刻みに震わせている白銀 抗(
jb8385)の姿に気付いた。
どうやら、実行犯は彼のようだ。
「いやー、肩の力抜けるんじゃないかなーってさー善意だよ善意」
「許さん。何が善意や、悪意しか感じられへん!」
天使の言葉に抗は更に笑みを深くする。本心はただ反応が見たかっただけなんて口が裂けても言えない。態度からバレているが。
「でも肩の力は抜けたんじゃないの? 感謝して欲しいなぁ。ほら、褒めてくれたっていいんだよ?」
「確かに……って違う!」
「まあ、ふたりともその辺りにしておいたらどうだ? 賑やかなのは大いに結構なことだが」
顔を真っ赤にして反論を続けようとするジャスミンドールを諫めたのは調理服姿の鳳 静矢(
ja3856)。その手には焼きたてのクッキーやアップルタルトがのせられた皿がある。
教師と交渉の末、調理室を使わせて貰えることになった。
暖かいものであれば、心も温まるのだろうか。
「そうだな、紅茶が冷める前に始めよう」
ロード・グングニル(
jb5282)の言葉。焼き菓子をテーブルに置いた静矢はジャスミンドールの椅子をひき、座るように促した。
●
「あの枝は……」
「気付かれましたか?」
檀の視線に気付き、香里がにこりと微笑んだ。
窓際の机に置かれたフラワーアレンジメント。ジャスミンの造花と檀と楓の枝をメインにして数種類の花で飾り付けてある。
「お茶もジャスミンティーを用意してみたんですよ」
「これが、ジャスミン、ティー……」
香里はジャスミンドールの前に茶を置く。はじっと目の前に置かれたお茶を眺める。
「ジャスミンのお茶ではなく、緑茶にジャスミンの花の香りを移したものなんです。ジャスミンさんと同じ、とても良い花の香りがするんですよ」
「ねーねー見て見てー! これは再会を祝した踊り!」
投げかけられた声に、視線をそちらへと向けるとカマキリ姿の琥珀が何やら奇妙に動き回っていた。
「次はね、次はね! お茶が美味しくなる踊り!」
くるくると一回転した後、ぱっと両腕を広げポーズを取った。
「何か解らんけど、おかしいわ」
「でも楽しいしおいしくなるよ? お茶会は賑やかし! 大事!」
そういって再び不思議な踊りを繰り出す。
「じゃあ俺も何かを奏でようか」
賑やかしになればと持ってきたハーモニカがある。ロードはハーモニカを構えると軽快な旋律を奏で始めた。
和やかな茶会は続く。
天使は勧めれば食べ、話しかけられれば応えるが浮かない雰囲気を漂わせている。
「俺は昔、天魔の争いに巻き込まれ大切なモノを奪われた」
唐突に口を開いたのは帝。和やかになりかけた場に急に冷水を掛けるような発言だ。
天使だけではなく、一同の視線が彼に向けられる。
「勿論、お前達に奪われたわけではないことは理解している。が、感情はそうはいかない。そんな連中が居るのは理解しているな?」
「……勿論、解ってる」
帝の言葉に、返された天使の言葉は意外と素直なものだった。
「奪う、って言うのはそういうことや。失うことはとても辛いから、奪った側を許せるはずもない。解ってる、そんなこと」
「しかし、使徒に無理矢理連れてこられたとしても逃げずにここに留まり続けている。こうして糾弾されることも覚悟して――ならば」
その瞬間、帝の纏っていた雰囲気がフッと柔らかくなる。
「俺もその覚悟に応えねば、な――俺のことは話した。次はお前の番だ」
「……解らん。本当に、解らん。どうして、そんなにうちに関わろうとするん?」
「お前のことが別に嫌いなわけではないからだ」
ジャスミンドールに応えたのはロードだった。ハーモニカをおろし。
「けど、好きになられるはずがないやろ?」
こんな自分だから。だが、ロードはそんなジャスミンドールの目を見据える。
「俺は檀と戦友の関係でありたいのさ。けど、檀にはお前が居る。お前を切り捨てることなんて出来ない――ならば、嫌う理由なんて無いだろう」
それに、とロードは一拍おいて。
「俺の知り合いならこう言うだろうな――罪を憎んで、人を憎まず。過ぎたことは水に流して笑いあいましょう。その方が楽しいから、と」
この島を心から愛する少女だ。この島の平和を脅かした天魔に思うところが無いわけではない。
けれど、それでも出来るだけ皆が幸せであれる道を探そうとするのだ。それが、敵であった天魔だとしても手を差し伸べられることが恐らく彼女の強さだろう。
嫌いではないという自分の思いと、例え敵同士だったとしても互いに幸せになりたい彼女の願い。そんな人間がいることもジャスミンドールに伝えたかった。
「だからこそ、うちに関わらんで欲しい」
「なんで? ミンたんと仲良くなれると思ったのに僕悲しいよ?」
琥珀がきょとんと首を傾げる。
ジャスミンドールは苦々しい顔をする。
「だからや。うちは、傷付けることしか出来んから! 誰かに嫌われるようなことしか出来んし、あんなことしてもうたし」
「別にいいじゃん、嫌われても」
「別にいいって……」
抗の言葉は少しムッとする。何だか、少し無責任だ。
「全ての人に受け入れて貰うなんて不可能なんだから、諦めも必要。だから、自分にとって大切な人達を大事にする、自分を大事にしてくれる人達を大切にする――それで、結構なんとかなるよ?」
少なくても僕達はそれくらいで嫌ったりしない。抗に続いて再び口を開くのはロード。
「起こってしまったことはもう変えられない。ならば、これから変えていけばいい。未来も自分も」
「変わるって……」
「あのね、ミンたん」
声を掛けてきたのは琥珀だった。
「僕の故郷はね、学園に来たのと同じくらいに天魔の襲撃を受けて無くなっちゃったんだよ」
それは琥珀の過去。悩んで、長く引き籠もっていた時期もあった。だけれど。
「それじゃ何にも変わらないって気付いたんだ。だからちょっとずつ前向きに考えて小さなことからやって行くと決めたんだ。だから、大丈夫、ミンたんもきっと変われるよ!」
「そうですね。後悔から反省して再出発するなら、私達もお手伝いさせていただきますよ」
琥珀に続き香里が穏やかに微笑んだ。
「そうだな……どれ、設備と材料もまだあるし、一緒にクッキーでも作ってみないか?」
「な、何を言ってるん? 作れるわけないやん」
静矢の言葉にジャスミンドールはすぐに言い返し、何となく助けを求めるように周囲を見渡す。
だけれど。
「いいと思うよ! ミンたんの作ったクッキー食べたい!」
「大丈夫です。私達もフォローさせて頂きますので」
琥珀と香里の言葉。他の面々の表情も、似たようなものだ。
逃げ道はない。天使は小さく頷く。
※※※
静矢の指導もあったし見た目はまぁ、何とかなっているのではないか。
焼き上がりを見たジャスミンドールは一先ず安堵した。
「きちんと作れたし美味しく焼けているはずだが……どうだろう?」
教室に戻った静矢は早速、誉と檀に食べるように促す。
ジャスミンドールは少し自信がないのか静矢の背に隠れるように様子を伺っている。
「悪くはない」
「……とてもそうとは思えない顔しとるんやけど」
真顔の誉に対して、ぶすっとした表情でジャスミンドールが言い返す。
「元々だ」
ちなみに、檀はにこりと微笑んでいる。感想を言うまでもないらしい。
「普通に美味しいと思うぞ」
「うん、ミンたんお菓子作り上手だね! おかわり!」
続いて、ロードと琥珀が気に入った様子で感想を述べる。けれど。
「さっき出されたクッキーと全然違う……固いし、ぱさぱさしてるし、あんまり美味しくない」
皿から自らが作ったクッキーをつまんで口に運んだジャスミンドールは顔をしかめた。
先程静矢が作ったものと比べるのも馬鹿らしい程に出来が悪い。
「うん、美味しいです。きっと、ジャスミンドールさんが皆さんを思って作ったものだからですね」
「思って作る?」
悩むジャスミンドールに声をかけたのは、クッキーをつまみ口に運んだ香里。
思う。作る。香里の言葉をなぞってジャスミンドールは尋ね返した。
「素人が作る物より、お店で買ったものの方が出来がいいのは当然のことです。初めて作るジャスミンドールさんよりも手慣れている鳳さんの方が出来がよくて当然です」
香里の言葉にジャスミンドールは黙って同意をする。
「でも、まずくなれと思って作りましたか?」
「そんなこと思ってなんかない。ただ、精一杯で……」
「だからこそ、ですよ。頑張って作ってくれたものですから、その気持ちがありがたくて、余計に美味しく感じるんです。自分の為に頑張ってくれたその努力が嬉しくないわけがありませんから。おもてなしってきっと、そういう心遣いからですよね」
「……嬉しい?」
「誰かの為に何かするなんて、大仰な事でなくてもこんな事でも良いのだよ」
代わりに口を開いたのは静矢だった。
「君が焼いたクッキーを食べて美味しいと喜ぶ人が居る、そんな些細な事でも喜ばせられる――君の立場は難しい立場だと思う、心情的にも人と接するのが気苦しい事もあるだろう」
語り聞かせるような言葉をジャスミンは黙って聞いている。
「けれど、小さなことでも何かを始めれば見てくれる人や解ってくれる人も居る。このクッキーを焼いたみたいな事でも良い…他人の為を思って何かをすれば、それは必ず……時間が掛かっても相手に伝わるはずだよ」
「……伝わる、かぁ。出来るんかな」
「ま、焦らず頑張りなよ。応援はしているから」
抗はそういうとぽむりと。わしわしと天使の髪を撫でて、かき乱した。
●
「ところで、お前達はこれからどうするんだ?」
ロードの言葉にジャスミンドールは暫く考えて、結局黙りこんだ。
人の世界で、前向きに生きていく覚悟は出来た。けれど、具体的にどうするかまでは考えていなかったのだろう。
「八塚檀。久遠ヶ原の教員を目指してみたらどうだ?」
「え? 教員を、ですか?」
黙るジャスミンドールを見守っていた檀にそんな言葉を投げかけたのは、それまで黙って聞きに徹していた誉だ。
「非常に優秀な学生だったそうじゃないか。能力的には問題ないと思う」
「ですが……」
檀は迷う。
成績は本当に良かっただけだ。八塚の継嗣という立場がそうさせただけで、誇れることではない。
そんな自分に、本当に教えられることなんてあるのだろうか。
『兄さん、貴方は生きてください』
その時、不意に弟の声が蘇った。
楓は自分のことを己の生きた証だといった。彼の存在を伝えていけるのは誰?
梓は今も眠り続けている。彼女の目覚めを待ち続けられるのは誰?
二人のことを――そして、ジャスミンドールを守っていけるのは、自分以外に誰がいる?
「……自分で踏み出さないといけませんね」
今は信じてくれる人も居るのだから。檀は意を決して顔をあげる。
「未熟ですが、精一杯頑張りたいと思います」
「解った。まずは非常勤という形で自習などを任せたいと思う。正規教員までの道のりは短くはないだろうが、八塚ならば乗り越えられると私は思っている」
「ありがとうございます」
頷いた檀は主人に顔を向けて。
「よろしいでしょうか? ジャスミン様」
「う、うちは別に……檀が行きたいって言うんなら、ええよ?」
モゴモゴと口澱ませるジャスミンドール。琥珀の表情がぱぁっと明るくなる。
「じゃあ、ジャスミンちゃんも久遠ヶ原に来るんだね! 大丈夫! これからのことはゆっくりゆーっくり変わっていけばいいんだよ! そして、変わった暁にはミンたんもレッツカマキリ!」
「……虫はいいわ! それにうちは檀についていくだけやもん!」
でも琥珀が差し出すカマキリ着ぐるみカタログはなんとなく受け取ってしまっている。虫はあまり好きではないはず。
檀についていくだけという言葉も、照れ隠しで咄嗟に出た言葉なのだろう。その証拠に顔を赤くして、視線をあわせようとしない。
「……なんか、友人がみたいやな」
「え? とっくに友達だと思ってたんだけどなあ」
しんみりと呟いた天使に、相変わらず軽い口調の抗。
ただ、友達、と当たり前のように言われた言葉がとても嬉しくて。
「今後の第一歩としていい思い出になりましたか?」
「相変わらず、お節介やわ……あんたらは」
香里の言葉にジャスミンドールは皆から視線を逸らすようにそっぽを向く。
そんなジャスミンの手に帝は誓いの組紐を握らせて。
「一曲どうだ?」
「……解った。一曲だけな」
その言葉とともにジャスミンドールは頬を赤らめながら、小さく微笑む。
それはきっと、真の表情で。
その日、初めてトゲに覆われた向こうにある真の心に触れられた――そんな、気がしたのだ。