落日。
引き裂くように鮮烈な紅が世界を血の色に染めている。
「檀!」
ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)の呼び掛けに、返されたのは言葉ではなく鋭い光珠の一閃。
すんでの所で攻撃を躱したロドルフォは、目の前の“使徒”を睨み付けながら、悔しさを耐えるように拳を強く握りしめた。
「一体、何が起こってやがる……」
「解りません。けれど……」
斃れ臥す母親と泣きさけぶ子どもの姿を見て、水無瀬 雫(
jb9544)は瞳を伏せた。
燃えるように鮮やかな斜陽の色彩。アスファルトに流れ出た血の色と混ざり合っている。一面の破壊の紅。
此の惨劇を引き起こしたのは残念ながら火を見るよりも明らかだった。
彼を送り出したのは、ほんの数時間前のことなのだ。使徒が中種子高校を出る直前、廊下ですれ違った時、彼の瞳は力強い光で満ちていた。
それなのに。
「俺は、檀を信じる」
「私も、信じます」
ロード・グングニル(
jb5282)の言葉に同意するようにアンジェラ・アップルトン(
ja9940)。
アンジェラは真剣な表情で真っ直ぐに目の前の使徒を見据えていた。目に入るのは血のように真っ赤な瞳と、血に染まった姿。
「檀が楓との約束無にするなどありえない。私は『人を殺した檀』が檀ではないと信じる……いえ、確信しています」
あの兄弟が交わした約束。鮮明に思い出せるのは楓が最期に遺した言葉の一つだったからだろうか。
同じ顔をし、同じく天魔に身を堕とした片割れ。
だけれど、人を殺したこともなければ死んでもいない兄に楓が託したのはただ『生きていて欲しい』という願い。
きっと、だから檀は南種子町に行くことを決めたのだ。
止まっていた時の先――未来へ進む為。
もう、誰かを、自分を、犠牲にするようなものではなく、本当の幸いを見つけるために。
「以前、楓に似たディアボロを使用していたことを思い出します。天界にも似たようなサーバントが居てもおかしくはありませんね」
「僕も妙だと思うんだよねえ……確かに主が強制力を使う可能性はあるけどさ、ジャスミンドールがこの局面でこんな意味わかんないおつかいを頼むとは思えないもの。だからさ、僕もそういった類いだと思ってる。けどさ……」
ふとディアボロの存在を思い出したアンジェラに、頷きながら応えた白銀 抗(
jb8385)は、顔を至って真面目にしかめて。
「僕苦手なんだよねえ、蛇。やだなあ……」
「いやでも、もっとグロいサーバントやディアボロが居るし……」
今ひとつ緊張感が見られない抗にロードが反応すると、表情はそのままに抗は。
「だって、ニョロニョロ気持ち悪いじゃん、舌なんかもチョロチョロ出してさあ。あのサーバント作った蛇遣…じゃなくて、天使のセンスを疑うよ。しかも、モロに何か飲み込んでるじゃんアレ」
「あの腹の膨らみはどう見ても蛇というよりツチノコ……いや、何かが変だな。大人くらいは飲み込んでそうな大きさだ」
ロードの言葉通り、明らかに人を飲み込んでいるように見える。
「確か……別の戦域の情報で開閉する腹に人を収容しているサーバントが居た、と聞いています。もし、あの使徒が偽物で本物が蛇の中に居たとしたら……」
「預かった連絡先が使えるかもしれないな。もしあの使徒が本物だとしても、判断材料に使えるな」
アンジェラの言葉にロードが僅かに表情を明るくさせて答えた。
しかし。
「奪って偽物に仕込めばそれで終い、というわけだ。あまりアテには出来ないな」
ようやく見えてきた希望の糸口に挟んだのはフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)だった。ロードは頷きつつ。
「確かにな…だが、やってみるだけの価値もあるんじゃないか?」
「何もやるなと言っているわけではない、論じる暇などないのだ。有用だと思う手立てなら試してみればいいが、ただ過信はするなと言いたいだけだ。まぁアレが本物かどうかなど、この場を納めれば自ずとわかることだがな」
フィオナの言う通り、確かに悩んでいる余裕はない。
「ともあれ、アレの相手は請け負おう」
「イエッサー……敵は…殲滅…ヨーソロ―…」
顔色を変えないまま戦闘の構えを取ったベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)はふと、仲間達の表情を眺めた。
(使徒には…特別なカンジョーは…なし……敵は敵…味方は味方…よく区別できないのは…考える…ジャスティス…)
天界に身を置く使徒は元々敵であるはずなのにどうして信じるやらそのような言葉が出てくるのかは少し理解が出来ない。
(……やることはいつだって、同じ)
淡々と武器を構えたのは、紅香 忍(
jb7811)。
「……余計なことは……無用……」
これは依頼。殺して金を貰う。いつであろうと、何処であろうとそのことだけは不変。
依頼対象や事情には興味はない。
「…殺す……だけ……」
今はただ、自分の目的を――役割を果たすだけだ。忍は獲物を握り、眼前の敵に射貫くような強い視線を向けた。
●
「まずは子どもを助けなきゃな……行ってくる」
「わかりました。お願いします」
アンジェラは堕天使に聖なる刻印を刻んだ。
「取り敢えず……ガンバルゾー…」
ベアトリーチェは、召喚獣フェンリルを召喚する。
駆けながら一方の狼の注意を威嚇で引きつけて、もう一方の狼のもとへと向かう。
「……ん……いける……」
使徒が本物であれ、偽物であれ忍には余り興味がないことだった。
依頼を遂行して、報酬を貰う。失敗して、報酬が貰えないようなことがなければ、それ以外はどうでもいい。
「……それよりも、蛇……」
どうするのか。殺してもいいのか。銃を構えながら、傍らに居たアンジェラに忍は訪ねる。
「今、かけます」
忍に指示を仰がれ、アンジェラは携帯電話を操作した。
発信。緊迫した状況に似合わない脳天気な電子音が発信から僅かに遅れて蛇の腹から微かに聞こえた。
「やはり……! 蛇のサーバントから着信音が聞こえます。腹部への攻撃は控えてください」
「……了解…」
全速力で忍が駆け抜けたのは蛇型ではなく使徒の傍だった。
同時に蛇が使徒を庇おうと動き始める。しかし、その動きは忍の読み通り。蛇が銃の射程内に入ったのを確認し、素早く狙いを使徒から蛇に向き変えた。
「……止ま、れ」
夕陽に照らされた蛇の長い影を縫い止めて、蛇の動きを止めた。
「邪魔をする者は居なくなったか」
狼が端に寄り、蛇は動きを封じられた。
道が開けたのを確認すると、フィオナは不適な微笑みを浮かべ、一気に使徒のもとまで駆け抜ける。
「来い、殺さぬ程度に遊んでやる」
差し向けられた光珠を直感で回避し、そのまま剣で反撃を食らわせた。明らかにダメージを受けているにも関わらず、使徒の表情は虚ろなまま。
一方、抗は陰影の翼を広げて蛇に程近い場所に移動すると、盾を構えて声をあげる。
「はいはーい、檀君っぽいキミとその仲間達はこっち向いてくれるー?」
軽い口調で抗が挑発をすると、フィオナに向けられていた赤い瞳がソロリと抗に向けられる。
ついでに視線を感じてそちら側をふと見てみると、蛇と目があってしまった。
「……あ、蛇は来なくていいや、うん」
「まだ、そんなことを……」
抗より少し遅れて到着したロードが放つ戦神の刃が蝶を纏めて薙ぎ払う。
刃で傷付いていく蝶を確認し、ロードは息を漏らすように呟いた。
「……とりあえず、今は戦闘に集中しねぇとな」
とにかく、この場の収束を。
あの使徒には、まだ言ってやらないといけない言葉だってあるのだから。
「それにしても、何故……サーバントの中に使徒を入れるようなことをしたのでしょうか?」
鳥を相手にしていた雫はふと疑問を漏らす。
あの中に使徒が居るのだとしたら、何故、態々サーバントに仕込むなどということをするのだろうか。
中に使徒がいることに気付かなかった撃退士が倒す可能性だってある。
「……それが…敵の目的だったりする……理由はわからない……」
ポツリと呟いたのは忍。銃口を蛇に向けたまま抑えにまわっている。
この状況に意味や事情は解らない。忍にとっては、どうでもよかった。やることはいつもと同じ、依頼をこなすことだけだ。
「……なら…今はただ……役目を果たすだけ……」
「そうですね。皆さんが今まで築きあげてきたものを壊させるわけにはいきませんから」
雫は決意を新たに前を向く。
「水無瀬として全力で守るだけです」
狼2体を相手取っていたベアトリーチェは数の不利にも余裕そうな様子を見せている。
「……ドーン……」
ベアトリーチェのフェンリルが狼を薙ぎ払い、後退させる。
弾き飛ばされた狼。衝撃でアスファルトが抉れる。立ちこめる砂煙。一際大きなアスファルトの破片が子どもに向けて飛んでいく。
しかし、咄嗟に飛び込んだロドルフォが子どもを抱え込み、破片から子どもを守った。ベアトリーチェもそれがわかっていたから、手を抜かずに攻撃したのだ。
「もう怖くねえからな。しっかり捕まってろよ」
「やだ、おかあさぁぁぁん!」
いよいよ抱きかかえられたその時、母親の亡骸にしがみついて子どもは泣きじゃくり子どもながらに全力で抵抗している。
使徒の注意は抗に向かっており、常にフィオナが張り付いている。範囲攻撃や攻撃の対象になるとは思えないが今のように戦闘の余波に巻き込まれるとも限らない。
もう、息が絶えている。此処で安全地帯へ避難させようと結果は変わらない。子どもだって無理矢理母親から引き離して避難させることも可能だろうが、出来れば母親も戦闘に巻き込みたくないというのが心情で。
「解った。一緒につれていこう」
「……ほんと?」
子どもだけを運ぶよりも手間が掛かるが、仕方がない。子どもと一緒に女性も抱え上げ、近くに居たフィオナに。
「すまん、ちょっと時間掛かりそうだ。その間、頼む」
「我を誰だと思っている?」
「それもそうだったな」
フィオナの言葉に軽く笑う。そのまま女性と子どもを抱えて戦線離脱する。
「暫くここに隠れてな、おにーちゃんはあっちの怖いのを片付けてくる」
元は住宅街。隠れられる場所はいくらでもあった。
損傷を免れた納屋に子どもと母親を下ろして。
「その間にこっちへ何か怖いのがきたら声を上げて呼べ、すぐ駆け付けてやっからよ」
「……うん」
元気なく子どもはロドルフォに応える。子どもの手は母親の冷たくなった手を握ったままだった。
ロドルフォが無事子どもを保護したのを見届けた抗は構えていた盾を小太刀に持ち替えて、影のもとへと向かった。
少女型の影。
「君、随分と“彼女”に似ているみたいだけれど、狙ってるのかなー? これ」
だからといって、容赦をするわけではないけれど。小太刀で切りつける。
「さて、一緒に踊ってよ。少しは楽しませて貰わないとね」
蛇を抑え、子どもを救い、敵の陣形を崩してしまえば流れは撃退士に利があった。
8体のサーバント。数こそ多けれど、それぞれの強さはたいしたことはない。
次々と落としてゆき、残りは影と蛇と、使徒のみだった。
「……これで、終わり……」
影縛りで身動きが取れない蛇。忍は頭部に銃口を押し当てて、トドメを刺した。
蛇が倒れたのを確認し、アンジェラは慎重に腹を開く。
「……やはり」
蛇の腹から出てきた檀は、傍目から見ても酷い傷を負い顔色も悪い。ぐったりとアスファルトに横たわっていた。
もしかして――嫌な想像が一同の脳裏に一瞬浮かぶ。
「おい、弟との約束を果たすのに、眠りに就くには未だ早過ぎるぞ」
ロードが横たわる檀に近づき、手首に親指をあて脈を測る。脈は正常。呼吸も問題はない。とりあえず、生きているとわかり、胸をなで下ろす。
「……何かの術を掛けられているんでしょうか?」
ならば、アンジェラは檀に聖なる刻印を付与すると少しずつ顔色を良くしていく。そして。
「……動い、た?」
その少し掠れた声は檀のものだった。驚いたように呆然と瞳を見開いている。
「いいから、弟と同じ顔でぼさっとしてないで為すべき事を為せ八塚檀!」
「……す、すみません」
ロドルフォの少々きつい檄。咄嗟に謝った檀にロドルフォは少し呆れたように笑う。
「起きられますか?」
「は、はい……」
雫に応えて、檀は体を起こそうとしたが、上手く力が入らず倒れかけてしまう。傍にいた雫に支えられて檀はようやく立ち上がる。
「共に戦っていただけたのならばありがたいですが……その様子だと…」
「……いえ、問題ありません。状況もずっと聞こえていましたから、大体解っています」
雫に支えられて立った檀は光珠を召喚する。表情を少し苦しげにゆがめた。
使徒の光珠は自らの命を削って召喚するもの。これ以上の行使を出来る余裕などなさそうに見えた。
「私の力も、必要ないかもしれませんが……精々一撃くらいは見舞わせてください。私も、さすがに頭に来ています」
「何か事情があるようですね。後で聞かせてくださいね――支えますから」
雫は彼を庇えるよう傍に立った。
召喚されたばかりの檀の光珠は使徒に命中し、ダメージを与えると同時、動きを鈍化させる。
「そうか、見つかったか――ならば、これは生かしておく理由はないな」
一連の様子を眺めていたフィオナはフッと微笑みを浮かべる。
そして、振るわれる剣が偽物の使徒を容赦無く叩き斬る。蓄積されていた傷。とどめとなるには充分だった。
「中々愉快だったぞ。しかし、我を殺したいのならば、どこぞの権天使以上の一撃を以て臨むのだな」
サーバントの残骸を見下ろし、不敵に笑った。
檀の無事を確認したロードは直ぐに影のもとへ駆けつけ、符を投げ援護に入った。
「……なるほど、これは厄介だな」
符が命中したのを確認し、ロードが呟く。
残るのは少女の姿をした影のみ。影の攻撃力こそは偽使徒に劣るようだが、状態異常で相手の行動を阻害することに長けているようだ。
「……近づくと…周囲に……花粉みたいなの……ばらまいてくる……」
「そうなんだよねー。戦いづらくってさー」
影と戦っていたのはベアトリーチェと抗。
撒き散らされる阻害の花粉は致命的なものではないようだが、地味に広い範囲が厄介だった。
射程に気を付けながら、撃退士達は攻撃を与えていく。
影も負けじとフィオナに縛鎖の茨を飛ばすが、フィオナは茨を叩き斬ることで回避し、そのまま急接近、一撃をたたき込んだ。
影の注意がフィオナに向けられている。
その時、高速で影の側面へと向かってきていたのは忍だった。
「……死ね」
そのまま影の懐に飛び込んだ忍が銃口をサーバントに押し当て、引き金を弾いた。
●
12の羊。
13番目は“裏切り者”。
●
日が暮れて、夜が訪れた。
夜道を照らす月さえも、いつの間にか空を覆い始めた厚い雲に遮られている。
不気味なほど静かな世界を破ったのは、子どもの泣き声だった。
「怖かったな、もう大丈夫だからな」
ロドルフォは泣きじゃくる子どもを抱え上げあやすが、戦いが終わり、今まで押し殺していたものが一気に溢れたのか泣き止む気配は見られない。
「ごめんなさい、おかーさん……ごめんなさい……」
子どもは、泣きながら必死に謝り続けていた。
他にも何か言っているが、嗚咽混じりではその内容まで聞き取れなかった。
一方、戦いが終わっても何かを気にする様子であちらこちらを見渡していた抗に忍が。
「……何を……?」
「……いやさ、もう巻き込んでくださいとばかりに、蛇のお腹に檀君いたわけじゃん? もし、それが敵さんの思惑だったら、何か手がかりとかあるんじゃないかなーって思って。彼女も同じみたい」
そういって抗が指したのはフェンリルを出したままでいたベアトリーチェ。
「ドーカン……警戒を怠らない…えいえいおー…」
「……確かに……嫌な風が、する」
忍は、空を見上げた。
「あのさ、檀。今回お前は巻き込まれて、下手したら死んでいたかもしれないんだ。だから…」
口を開いたのはロドルフォだった。
「こんな事がまたあるかも知れないなら、いっそ死んだ事にして久遠ヶ原に来ちゃどうだ? 果たしていない約束だってあるだろ?」
「そうですが……」
檀の返答は今ひとつ煮え切らないものだった。
とある撃退士と結んだ酒を酌み交わす約束。楓と交わした生きるという約束。未だ、果たしていない。
「お前には自分の身と心を守れる場所に来てほしいんだ。お前自身が弟の形見なんだから大切にしなきゃな」
続くロドルフォは自分を案じる言葉なのだろう。痛い程に解る。だからこそ、迷いながら口を開いた。
「私も、約束は果たしたいと思っています。ですが、私はやはりジャスミン様のことを放ってはおけません」
「お前、まだそんなことを言っているのか? 今回のゲートの件だって、お前は何も知らされておらず欺かれた形だったんだ。こんな危険な目にもあって、まだ主人を信じると?」
「ああーそれなんだけど、僕は彼女の仕業じゃないと思うんだよねー」
ロードの言葉に返したのは抗だった。探しものをしながら聞き耳を立てていたらしい。
「ジャスミンがこんな局面でこんな意味わかんないお使いを頼むとは思えないしさ。 そうでしょ、檀くん」
――その時だった。
「……何か、いる……フェンリル、ゴー……」
抗と同じく周囲の警戒にあたっていたベアトリーチェが呟くと同時、従わせていたフェンリルを物陰に突進させた。
しかし、影は素早く回避し上空に飛び上がった。
耳障りな声が響く。
「ンフンフンフ♪ 見つかったなら仕方ないザマスネェェ?」
のっぺりとした顔。ひょろりとした体。奇抜な服装。背中からはえた羽が、天使という存在の証明をしていたが、異質な容姿に一同の表情がこわばる。
「家畜の分際で、なァンて生意気なんでしょ!」
「何あれ……」
開口早々に飛び出た天使の言葉に、ベアトリーチェは不快そうに僅かに顔をしかめ髑髏を抱きしめた。
「……あんまり…エキセントリックな性格の人は……好き…じゃない……」
「ファウルネス様、何故こんなことを……!」
檀が声を荒げるも、天使の耳には届いていない様子。
「ま。映像はばっちり撮れたのでいいザマァス♪ 遠目には本物と区別がつかないザマァスからねェェ」
その言葉に抗が反応した。天使が手にしているカメラには、見覚えがある。。
あれは、昨年の花火大会の時に檀を通じてジャスミンドールに渡したデジタルカメラだ。
「てか、それ僕がジャスミンちゃんにあげたカメラだよね? 何勝手に人のものパクっちゃってるのさ?」
「ンン〜? 家畜が何か言ってるザマスかねェェ? 今すぐにでもハラワタぶん千切りたいところザマスけど、それよりもこれをジャスミンちゃんに見せる方が先決ザマァァス♪ どんな可愛い顔を見せてくれるザマァァァスかネェェ?」
「待てっ!」
瞬間、天使は高く飛び上がる。気付けば姿は見えなかった。
日が暮れて、夜が訪れた。
夜道を照らす月さえも、いつの間にか空を覆い始めた厚い雲に遮られてただ只管に暗闇が広がっている。
「……新しい敵の情報…吐け……」
忍は戦闘後の糖分補給の意味合いを込めてココア味の棒ラムネを口に咥え、使徒を見下ろす。
「ファウルネス様という、確か元は四国で開発方面の仕事をされてた方で、ジャスミン様とは古い関係にあると聞いています。私も何度か顔を合わせたことはありますが、ただそれだけで詳しいことは……」
「……それだけか? 本当に?」
忍の言葉に檀は頷く。しばらくして、ロードが口を開いた。
「……俺はその言葉、信じる」
檀の様子に偽りの様子は見られない。今までだって、嘘をついたことはないのだからと。
対するフィオナは、少し引いた目線で見ていた。
(良くも悪くも、信じすぎる連中が多いゆえなぁ……)
檀本人がなんと言おうと、彼がこの島にゲートを張った天使の使徒であることに変わりはない。もちろん信じると言う仲間を否定するつもりはないが、信用し過ぎないのも時には必要だ。
この空間でそれができるのは、あまり深く関わりない自分だからこそとも。
「南種子町へと戻ろうとした所をいきなり襲われて、気を失いました。後は皆さんがご存じの通りです。何故、彼が此処にいるのかは……解りません」
「しかし、シマイとは違い島の情報を嗅ぎ付け横取りをしに密航してきた……というわけではないようだな。少なくてもジャスミンドールとは何か繋りがあるのではないか」
フィオナの言葉に、抗も同意する。
「うん、それは間違いない。彼が持っていたデジカメ、僕がジャスミンにあげたものだもん。捨てられてたの勝手に拾って使ったって可能性も低いでしょ。普通にアレ動いてたみたいだし」
ジャスミンドールが1年も人間からの贈り物を取っておく――少なくても、嫌われているわけではないようだ。
檀はしばし考え込んでいたが、躊躇いがちに。
「……ファウルネス様は、私さえ居なければジャスミン様は思い通りだ、と」
「やっぱり、僕らに倒されるとこ見せてジャスミンちゃんの激おこスイッチ押すつもりだったのかなー。まぁ怒りとか憎しみってのは一番シンプルな感情だからねー」
まぁ、僕らと一緒にサーバントを倒す場面を見られてもヤバいかもだけど。言葉の先は声にはしなかったが皆が同じように感じ。
「しくじったな……あのデジカメの中の記録をジャスミンドールに見せられたら……」
「いいえ、案外一番良い判断だったのかも知れません」
悔しそうに呟いたロードに返したのは雫だった。
「一番避けたかったのは、檀さんを私達が手にかけてしまうこと。間違いなく悪い事態を迎えることになるでしょう――どうやら、ジャスミンドールさんは檀さんのことを殊更に可愛がっていらっしゃるようですし、ね……」
「オカエリー…しなきゃ裏切ったと……ハンダンする…多分……だから、キョートーしたって…しなくたって……おんなじ」
雫に続きベアトリーチェも言葉を続ける。此方側につかせるのは結局同じ結果を招く。ならば。
「それだったら、檀を南種子町に返せば――あ、いや……それじゃ、いけない」
「ええ、恐らく檀さんが無事にジャスミンドールさんの元に帰ることは出来ないでしょうね……私達に手を掛けさせることには失敗しても、あの天使自ら……という手がありますから。檀さんは結果的に帰ることが出来ずジャスミンドールさんも裏切ったと思うはずです」
勿論殺してしまうことはいけない。救出した後、帰しても天使に殺される。
残る道は撃退士側で保護することだが、それでも連絡が取れずしかも『物証』まであったとしたならジャスミンドールもきっと信じてしまう。
つまりは、どんな結果になってもあの天使の思惑通りに事が進んでしまう。
「ジャスミンドールが利用されているかも知れないという推察はまぁ我にとってはどちらでもいい――それよりも使徒よ」
口を開いたのはフィオナ。呼び掛けられた檀が首を傾げる。
「先程貴様はあの天使が四国の兵器開発に携わっていた天使だと言っていたな」
「ええ」
フィオナの言葉に檀は頷く。
詳しいことは知らないが、それだけは主に聞かされていた。それに、昔会った時も確か研究関係の施設だったからよく覚えて居る。
「我は四国の事情にもそれなりに精通しているゆえな。仮説に過ぎぬが……もし、ジャスミンドールがファウルネスとやらに何らかの兵器か何かを作らせる為呼び寄せていたとしたらどうする? 兵器の開発など一朝一夕で出来るものではないだろう。もし、その何かを作る為に時間を稼いでいたのだとしたら」
フィオナの言葉にハッと気付いたロードが顔色を変えて呟く。
「確かに考えてみれば妙だった。今まで天界に動きが無かったのは『冥魔が片付くまで』機会をうかがっていたものだと思っていたが……」
左遷されて後が無いのであれば、もっと焦っていたはず。
なのにこの2年間沈黙を保っていたのは、恐らく動きたくても動けなかったから。
アンジェラも頷く。
「ええ、ジャスミンドールは階級を剥奪されていると聞いています。人や冥魔を相手取るための戦力を保持するのにも、かなりの苦労があったはずです」
手勢が少なければ、仮に一時的に島を制圧したとしてもすぐに奪い返されてしまう。ジャスミンドールもそれがわかっていたからこそ、協力者を待っていたのだとしたら。
「確かにそう考えれば、まるで檀君を遠ざけるようにしていたのも説明がつくね。そんな凄い兵器を作ろうとして情報も直前まで隠しておくつもりだったら、味方にも隠しておいた方が確実だもん」
ましてや人になびき始めた檀相手なら尚更だと、抗も続けて言う。
「天界というのも一枚岩とは言えんしなぁ…一部が暴走してもおかしくはなかろうよ」
フィオナは瞳を閉じて呟いた。
「まあ、全ては勝手な推測に過ぎぬがな。しかし、この種子島という地は他とは違う性質を持った厄介な土地らしいしな」
「うん……地脈エネルギー……兵器の…力…・利用…出来れば……軍事利用…したら…恐ろしいパワー」
「……止めないと、大変なことになる…」
ベアトリーチェに続きぼつりと呟いたのは忍。
「でも、やることは同じ……殺す、だけ」
忍の言葉に檀はうつむく。
その様子を察知して雫は口を開いた。
「この島の事件の発端はジャスミンドールさんです」
雫が依頼で種子島に訪れたのはこれが二度目。他の面子に比べて、縁は強くはない。
しかし、報告書は読み皆の気持ちは知っていた。
亡くなったヴァニタス・楓に代わり、兄である檀は生きて人界に戻ってきて欲しい。そして、彼と共に主人であるジャスミンドールの生存も出来れば願われていること。
言葉を続けながら、雫は携帯電話を取り出した。
「この戦闘や遣り取りの一部始終を携帯電話で録画していました。"本物の使徒"と"偽物の使徒"が居て本物の使徒は無関係だったという充分な証拠になります。私達の証言もあれば学園や九重先生に信じて貰うことも可能でしょう」
これで、使徒の疑いは晴れると見て間違いない。九重誉は感情論に流されるような人間ではない。だからこそ、物証を見せれば信じるしかなくなる。
ファウルネスの発言もあれば、ジャスミンドールが利用されているかもしれないという仮説を裏付ける証拠にもなる。
「ジャスミンドールさんには人界と共闘したという実績がありますし、かつもしファウルネスさんに利用されていただけなのだとしたら、情状酌量の余地は充分あるかと思います」
勿論、学園に居る他の堕天使のように円満にとは行かないだろうけれど。
「これだけの事件を起こして、犠牲者まで出てしまった。人類側の説得は一筋縄では行かないでしょう。けれど、私達は頑張ってみます。だから、後は……」
「……ジャスミン様の意思次第、ということですね」
雫の言葉の先を察知した檀が呟く。
「人は羊。天使にとって家畜のようなものでしかない――多分、ジャスミン様は今もそのように考えています」
人のことなんて恐らく眼中にすらない。主人を止める為、南種子町へ向かっていたが、人と共存させるまで説得出来るとは思えなかった。
そんな主人を果たして説得出来るのだろうか。
「お前だって、最初は俺達と禄に話さなかったじゃねぇか。で、今はこういう風に普通に話してる。それに俺ら楓と檀っていう問題児を二人も矯正したんだぜ? 俺らの力なめんなよ?」
「ええ……彼女を救いたいと思うのなら、一人で抱え込まないでください」
思考を始めた檀。少し冗談めかしたようなロドルフォが笑い、アンジェラが生真面目に微笑んでいた。
抗もニヤリと笑って。
「そうだよー。僕だって、ジャスミンちゃんにまだお茶出して貰ってないんだから。もういい加減待たせすぎだよねー。饅頭も催促しちゃおうかな?」
「……前も思っていたんだが、茶って何のことだ?」
抗の呟きに、ロードがぽつりと疑問を漏らしてみる。以前、冥魔戦の時にも何やら漏らしていたが、意味はよくわからなかった。
「たいしたことじゃないよ。ただ、約束みたいな感じ?」
「そ、そうか……まぁさ、あれだ。今までずっとジャスミンドールの言うことを何ひとつ、文句言わずに付き合ってきたんだろ? そんな従順な使徒が初めて自分に意見してきたなら、逆にインパクトがあると思う。やる前から諦めちゃダメだ」
抗の言葉を何となく理解することにして、ロードは告げた。
「……ありがとうございます」
次々と投げかけられる言葉。少しの沈黙後、檀がようやく口にしたのはたった一言だった。
もう既に返しきれない程の恩がある。これ以上彼らに甘えてしまっていいのかどうか、後ろめたさもあった。
だけれど、自分がなんと言おうといつでも彼らは手を差し伸べてくれたし、そんな彼らだったからこそ、もう一度生きる道を選ぼうと思えたのだ。
「もう、色々と今更だろ? 今まで付き合ってきたついでにお前の天と人どっちも助けたいっていう初めての我が侭も聞いてやるよ。大きな貸しにしておくから覚悟しておけよ」
「私に、返しきれる借りだといいんですけれど」
困ったように笑った檀の肩をぽむりと叩いたロドルフォはにっと笑った。
「大丈夫。そんな難しいことじゃねえよ」
「……話、纏まった? それじゃあ…戻る。ホーレンソーと…戦準備…ジャスティス」
黙って皆の話を聞いていたベアトリーチェ。
同じ天魔。そこに何故たすけるとかやっつけるの違いが生まれるのか少し不思議だと思いつつ。
中種子町への帰路。
立ち止まったフィオナに気付いた忍も足を止める。
振り向く見やるは南の空。敵の本拠地。
「再び、この道を辿るその時は――」
間違いなく、決戦の刻。
フィオナの口元が愉悦の彩を浮かべる。
「ふふ……楽しみだ」
フィオナの言葉に忍は頷いた。
興味があるのは新しい天使が殺し甲斐あるか、その報酬がどうか。
ふたりの視線の先。巨大な光の柱が夜空を貫いていた。