「ご足労をおかけいたしました、お会いできて幸いに存じます。どうぞ、腰をお掛けてください」
「こちらこそ……恐れ入ります」
教室の扉を開けた撃退士達を待っていたのは、立ち上がったまま撃退士達を待っていたらしい使徒だった。
ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)は檀に一礼をし座るように促すと、使徒は軽く頭を下げて椅子に腰掛けた。
「わぁい檀さんお久しぶりー! に? 前より顔色よくなった感じ?」
「ほんとに……よかった、夏祭りの時より良い表情をしているね」
ヘルマンの背中からひょこっと顔を出したのはファラ・エルフィリア(
jb3154)。妹分のファラの言葉に同意するように頷きながらレイ・フェリウス(
jb3036)は微笑んだ。
ファラとレイが檀と顔を合わせたのは半年以上前のこと。ともすれば、風に浚われてしまいそうな程に寂しそうな背中をふたりは心配していたのだ。だからこそ、表情や行動の変化が嬉しかった。
ふたりの言葉に檀は皆さんのおかげです、なんて少し恥ずかしそうに笑って応えてみせた。
「君がお父さんに手紙を出してくれたおかげで、お父さんとお話しできたみたいだよ。といっても私は行けなかったから、結果だけしか知らないんだけど」
「……あの人が、そうですか」
少し照れながら話すレイに檀が見せた表情は強張りつつも喜びや安堵に満ちたものだった。
檀から聞かされていた父親像は決して良いとは言えない。現に父である柾も息子達に愛を向けている様子はなく、八塚や人を捨てた息子をあっさりと斬り捨てた。
けれど、柾は今更になって彼らの為に心を砕いたし檀は、父を最後に信じようとして手紙を出した。
こびり付いていた彼らの心を動かしたのは撃退士の言葉であったが、親子を繋ぐ“何か”は未だ残り続けていたのだろう。
「ああ、ちゃんと話を聞いてくれた――檀達のことも彼なりに案じていたよ。心から感謝する」
「いえ」
アンジェラ・アップルトン(
ja9940)の言葉にも檀は短く答えていた。驚きながらも言葉だけで信じたのは信頼関係の表れかもしれない。
「初めまして、莱と言います。よろしくお願いします」
「僕は桜乃。初めて此処の任務に関わるから、整理するために色々纏めさせてもらいますね」
緊張した様子で莱(
jc1067)は使徒に言った。共闘関係にあるとはいえ、元は敵同士。慎重に臨むべきと莱は警戒していた。その傍ら、ノートとペンを手にした桜乃=Y=アルセイフ(
jc0910)が軽く頭を下げた。天羽 伊都(
jb2199)も桜乃に続き挨拶をする。
「よろしくお願いします。それで、お話というのは?」
「まず、柾殿との対談に成功し彼女の身柄を久遠ヶ原に移送することになったのだが、元より悪魔の狙いは梓だ」
語り出したアンジェラに檀は頷く。
梓の身にまで危険が及ぼうとしているという事情は撃退士に聞かされ知っていた。だからこそ、彼らに手紙を託したのだ。
「けれど、移送の日は悪魔にとって彼女を奪うラストチャンスだ。警戒せねばならない」
「そーそー、多分シマイのじーじは嫌がらせしたくてたまらない困ったチャンだからさ、絶対邪魔しに来るわけだ。パンツ賭けてもいいレベルで」
アンジェラに続いたファラがさらっと凄まじいことを真顔で言い放った。
「え、あ……賭けるのですか?」
「賭けるんですか?」
「うん、パンツ賭けてもいいよ」
「気持ちは解るけれど、そんなものを賭けても皆が困るだけだから辞めようね」
檀と莱が揃って首を傾げる。ファラはあっけらかんと頷いてみたが、直ぐにレイが鋭い意見を挟んだ。二人の様子を微笑ましく眺めながらヘルマンが口を開く。
「貴方がたが大切に思われる梓殿は、私共の身命を賭して守りましょう。学園には信頼できる仲間が多くおりますれば、決して貴方がたに辛い思いをさせるようなことはなりますまい」
「はい、人類側は当日は七条さんが居る病院を警護しようと考えています」
桜乃はノートに書かれた文字を読み上げる。事前に教師から聞かされていた作戦内容だった。
「しかし、そうすると人類側も種子島の警備が手薄になる。冥魔が種子島制圧に出る可能性がある」
アンジェラの言葉に檀はそうですねと頷いた。守りが手薄になるのであれば、攻め入る最良の好機になることは考えるまでもないことだ。
「しかし、逆に悪魔が西之表市を留守にすることがあれば一気に制圧するチャンスでもある。どちらに転ぶかは未だ解らないのだが、確実に動きはあるだろう……協力して貰えるだろうか」
「勿論です」
アンジェラの問いに檀は迷う様子もなく頷く。使徒の様子にファラは朗らかに問いかける。
「もしかしたら、楓たんとあうかもしれないね。檀さん、宿題は出来てる?」
「宿題?」
「ほら、もし北に向かうことになったら。楓たんとあうかもしれないから、お話するならチャンスかなぁって思ったんだよ」
「なるほど、そうですね……」
檀は顎に手をあてて、少し考える。
「未だ、纏まっているわけではないですけれど……言わなければならないことは伝えなければならないなと考えています。それを、楓が受け入れるのかは解りませんけれど、諦めたり目を逸らしていても……きっと、変わらないでしょうから」
これで、最後になるだろうから。言外に込められた想いは憂う表情が示していた。
「うんうん、だいじょーぶだよ。頑張っているおにーちゃんには紅茶のサービスなのですよ」
「ありがとうございます。けれど、いただいてしまってよろしいのですか?」
「いーのいーの、淹れた紅茶を誰かに飲んで貰うーって嬉しいしさ。頑張ってる子にはご褒美しなくちゃ」
「何だかファラさん、お姉さんみたいです」
「だって、あたし檀さんよりずーっと年上だし」
差し出されたティーカップに驚いた様子を見せて、照れ臭そうに頭を下げた。甘やかされることに余り慣れていないのか表情が初々しい。
(もう思い詰めなくてもいいようになったら……いいんだけどなぁ)
カップの中で揺らぐ紅茶を眺める檀の姿を眺めながら、思案する。その眼差しはまるで我が子を心配する母親のようだった。
「なぁ、檀。サーバントにどの程度指示を出せるか? 例えば、エインフェリアを人質の保護に使える可能性は?」
「エインフェリア、ですか?」
アンジェラの質問に檀が首を傾げる。南種子町周辺に多数配備されているサーバントだ。檀が知らないことはない。だからこそ、アンジェラは不思議に思い訊ね返す。
「どうした?」
「いえ、すみません。エインフェリアは私には使えないのですよ」
エインフェリアという下位サーバントを量産し、それらを統括する上位のヴァルキュリアというサーバントを置くことで天使や使徒の指示が無くとも自律思考や統率行動が可能になっている。
ヴァルキュリアを倒されてしまえば、一気に命令系統が瓦解してしまうというデメリットはあるが、いちいち指示を与えずともそれなりの戦力として使える為ジャスミンドールは警備にこのサーバント群を使っていた。
逆に使徒が直接指示し使うのであれば、もっと適したサーバントは他にいる。それ故、エインフェリア達の管理権は与えられていないのだという。
「しかし、そうですね……人型のサーバントは他にも居ますからそれを使えば可能かもしれません。人型と言えど異形は異形ですから、余り一般の人達を怖がらせない範囲でどこまで出来るか解りませんが力は尽くします」
「ところであなたの主は私達をどのように評価しているのでしょうか」
其処に口を開いたのは莱だった。今の所話し合いはスムーズに行われている。このまま何事もなく事が進むに越したことはないのだが、確認だけはしておきたかった。
「あくまでも私の主観になりますが、評価は充分に高いのではないのでしょうか」
報告書の中では人類を見下すような言動が見られたのだが。莱が訊ね返す。
「利用するって言葉も……」
「私は認めているのではないかと思います。共闘を受け入れないと思いますから。私に今回の戦いの全てを任せると仰られたのも人の力を認めてなのかもしれません」
「臨機応変に行動可能な檀が対応できるのであればそれに越したことはないのだが……よく、ジャスミンドールが許したな」
「やることは決まっているのなら、一々自分に相談せずとも自分で判断し動かせばいい。報告や相談の手間や時間が勿体無いだろう、と」
「ええ、確かに合理的ではありますよね」
天使の目的はこの島の占拠なのだから。ノートにペンを走らせていた桜乃が口を挟む。
『【西之表市】悪魔が手放す為、監視が手薄に ← ≪天使側≫制圧に動く?』
ノートには今回の相談だけではなくそこから繋がる桜乃の考えも書いてあった。
目に入った文章に莱の顔が強張る、それは伊都も同じだったようで、ふたりは周囲に気づかれないように頷きあった。
「ということは、今回の戦いはあなたとサーバントということになるんですね」
「ええ、ジャスミン様は南種子町を離れられるおつもりはないようですから」
桜乃の言葉に檀は頷く。
「ずっと、考えていたことがあるんだ。冥魔は次々と新しい駒が増えている。しかし、天界は冥魔が現れても、増援が来る様子は見受けられなかった」
少し考えながら口を開いたのはアンジェラ。
「冥魔に狙われた時点で上に報告していないという事ならば、天界の利益より個の利益を優先したとされるのではないか? 恐らくジャスミンドールもそのように思われる可能性があることも考えつかなかったわけではないだろう。それでも、天界に報告しなかったということは……天に、味方が居ないのか?」
「……恐らく、皆無というわけではないのでしょうが……」
彼女の言葉に少し思考を巡らせた後、檀は言い淀む。
「元々出世欲の強い方のようでした。余り詳しくはないのですがジャスミン様のことをよく思わない一派も居たようです。彼らが降格の口添えをしたのではないか、とも。だから、余計に手柄を立てたいと願っているのでしょう」
主人がどれほどの誇りを持ち階級を大切にしていたかを檀は知っている。
それを奪われた今、どんな気持ちなのかも想像が付く。大切なものを取り返したい。そして見返してやりたい――そんな気持ちもあるのだろう。
「けれど、天界は階級主義なうえ、現場をわかっていない上層部にひっかきまわされたり、仲間内での足の引っ張り合いも多いだろう? そういうのに巻き混まれて大怪我したり命を失う人もいる……」
レイは言葉を一度区切る。
「君のご主人様には、そういう風になって欲しくないな」
レイの瞳は優しく何処か安心させるような暖かさを含んでいる。檀は少し迷った後、口を開いた。
「……私も、同感です」
絞り出すような言葉は紛れもなく彼の本心だ。
「けれど、主人は天界を大切にしています。私にジャスミン様の矜持や生き方を否定することは出来ません」
彼女が自分を必要とする限りは支えなければならない。それだけの恩があった。
「恩っていうのは、すっごく大事だと思う。傍にいてあげるのも、支えてあげるのも……でも」
ファラは一度言葉を止めて、檀の瞳を真っ直ぐに見た。
「それが他の何かを、誰かの大切な人やものを壊してしまうものであっても……檀さん、知らん顔出来るのかな? あたしにはそうは思えないんだ……」
檀は黙っていた。沈黙の肯定だ。
「もし居場所がないのなら学園へ来てしまうという手もあると思うよ。学園には人類側についた天使や悪魔が居るしね」
レイの言葉に檀は思い返す。人類側についた天魔達に何度もあっている。
彼らに手を差し伸べられて、鼓舞されて――変わることが出来た。人類に付いた天魔が充実して暮らしている様子も、心も強いことを知っている。けれど、檀は首を横に振った。
「それは、かなり難しいと思います。例えは悪いですけれど……ジャスミン様にとって人界は牧場のようなもので、人は柵の中で飼われている羊のようなものです。恐らくは多数の天魔に共通する認識なのではないでしょうか」
少なくても、檀の主はそのような考え方をしている。
「柵の中に飛び入って羊を捕まえようとする者から羊を守る優しい人達も居るのでしょうが、ジャスミン様にとっては羊は羊でしかない」
「そうですね……それに、この戦いの首謀者を何事もなく受け入れるというのは人間側としても……少し、難しいかもしれませんね」
檀の言葉に桜乃が顔をあげて呟く。使徒や撃退士の思惑はどうであれ、様々な問題を考えれば主がこの島を諦め堕天し共に歩むにはハードルが高いと言えるのだろう。
「檀殿、貴方に伝えたかったことがあります。いつか、あの方の命を奪おうとしている、私如きの言葉では胸に響かぬかもしれませんが……」
暫し訪れていた沈黙を破ったのはヘルマンの声。檀はそちらへと視線を向けた。
「貴方と楓殿は双子。偽りの生という牢獄から解き放たれた暁にはこの世でただ一つ、貴方こそがあの方の唯一無二の形見なのです。だから」
言葉を一度止めて、息を吸う。
「どうか、貴方には幸せになっていただきたいのです――出来れば、生きて幸せに」
ヘルマンの言葉に檀は一瞬、驚いたような表情を見せた。しかし、すぐに困ったような微笑みを浮かべて曖昧に首を振る。
「生きろ、だなんて随分と難しいことを仰るのですね」
行為には必ず責任が伴う。だから、使徒になった以上責任は取らねばならないと考えていた。
それに、自分の力の源が何であるかを理解して進んだ道なのだ。人はこの手で傷付けたことはないが、ずっと間接的に誰かの命を奪い続けながら生きていることには変わりはない。
「自分の為に生きられるには、もう遅い――けれど、もし誰かの為に生きられるとしたならば……そのような未来も良いかもしれませんね」
「……救うことで償う事はできるさ。全てはこれからだと私は思っている」
アンジェラの言葉に檀は笑みを返した。その奥に隠されているのは未だ、苦いものが混じっているのかもしれないけれど、初めて会った時と比べて随分と穏やかなものだった。
何処までも純粋で、真っ直ぐな青年。思い悩み翳ることはあっても、恐らく心根は昔から変わらないままなのだろう。
(成程、これは楓殿も憎しみをぶつけようにも憎しみきれなかったでしょうな……)
ヘルマンは笑みを深くした。
これが、彼が愛した兄なのだ。
●廊下
教室を出た莱の視界に一瞬だけだが、少女が見えたような気がした。
「何をしているんですか」
少女が消えた方角に莱は目をやる。その声に観念したかのように曲がり角から恐る恐るといった様子で宙が顔を覗かせた。
「……気になってしまって、その、手紙渡したの私でしたから」
「なるほど。しかし、大丈夫ですよ、作戦内容は上手く伝えられたと思います……そういえば、以前現れたサーバントのこと、使徒は何も知らない様子でした。使徒の管轄外とも」
「やはり、ですか」
莱の言葉に宙は頷き応える。以前、中種子町の外れで宙の親戚の少年がサーバントに襲われる事件に何か不穏なものを感じていたのだ。
莱も桜乃がノートに書いて打ち消した『天界側が制圧に動く?』という一文がどうにも引っかかるが、その言葉が現実にならないことを願った。
「守るために全力を尽くします……どうか今後も御協力を、よろしくお願いします」
「はいっ! 私も、一生懸命支えますから!」
互いを見つめ合う眼差しに、更なる信頼の色が籠められていた。