●すいーと・たいむ
依頼の話を聞いた時、思い浮かんだのは互いの顔だった。
友達だった相手を思い浮かべたことや、そのことに嬉しくなってしまったことの意味が、未だはっきりとよく解らないけれど、高くなる心の音だけは確かだった。
「こういうのはちょっと恥ずかしいけどALくんとなら、ね♪」
「はい、宮子様。元々『自然に』とのことです。あまり意識はせず、いつも通りで過ごしましょう」
猫野・宮子(
ja0024)とAL(
jb4583)は頷き合った。ほわりと、微笑みの花が咲く。
放課後のチャイムが鳴り、待ち合わせていた校門前へと向かい合流する。
「さて、参りましょうか。宮子様」
「うん!」
向かうのは学園内にある商店街だ。放課後のこの時間、立ち並ぶお店も擦れ違う人々も皆活気に満ちている。
思ったより人が多くて、油断したらはぐれてしまいそうだ。
「迷われませんように」
その言葉とともに差し出されたALの手を握った宮子は頷く。
「迷子になっちゃったら大変だもんね」
「ですが、もしはぐれてしまったとしても宮子様のことでしたら直ぐに探しだせる気がします」
さらりと言われたひとこと。
とても、甘くて優しい言葉で。
「……それって」
「い、いえ! なんでもありません……」
自分で言ってしまったことに気付き、ALは逆に照れてしまった。顔も赤くなってしまって、みっともないかもしれない。そんな照れを隠すようにALは手を繋いだまま少し先を歩いた。
顔の色彩を隠そうと少し前を歩くALが無意識のうちに人混みから宮子を守ろうとエスコートをしていたことは、宮子はちゃんと気付いていた。
お店をいくつか見て回りながら、ふたりが選び入ったのは、製菓材料も置いている雑貨屋だった。
歩きながら他愛もない世間話をしているうちに部室でお菓子作りをしようということに決まったのだ。
若い女性をターゲットにした店内はいつも豊富な材料が置いてある。更にいまは時期柄、いつもより製菓材料の品数も増えているようで、立ち並ぶ品々とにらめっこをしながら、何を作ろうかと思い悩む。
「んー、お菓子作るにしても何がいいかな。この季節だとやっぱりあれ、かな?」
「ええ……あれ、ですね」
やはり、時期柄チョコレート菓子だろう。
――バレンタイン。
そんな文字に、ALはまた頬の温度が上がるのを感じた。見繕った材料を購入し店を出たところで、今度は宮子から手を繋いできた。
「材料も買ったし部室で一緒に作ろうか♪」
魔法少女部の部室は一見落ち着いたただの和室に見える。
しかし、ところどころに散らばるファンシーな服やアイテムがこの部室を使うメンバー達のことをしっかりと教えてくれていた。
「チョコレートケーキだけじゃ材料余っちゃうから、クッキーも作っちゃおう♪」
「ならば、お手伝いしましょう」
「いいの?」
きょとりと首を傾げる宮子にALは優しく微笑み。
「ええ、僕のものはすぐ出来ますから」
ハニートーストを作るつもりだった。余り、バレンタインを意識するものだと今はとても平常心を保てそうになかったから。
宮子のお菓子を手伝った後、ALは手早く自分のものを作った。チョコペンで『アリガトウ』と描いたら、ALのお菓子は完成した。
「完成ー♪ ん、それじゃあティータイムなんだよ♪」
「美味しい紅茶を淹れますので、少々御待ちを」
いつもはちゃぶ台も今はこたつに姿を変えている。
程良く暖まったその中に足を入れた宮子は手際よく淹れられる紅茶を眺めつつ訊ねる。
「今日はなんのお茶なのかな?」
「はい、ディンブラにしました。シンプルな味わいなので、チョコレートを引き立てるかな、と思いまして」
「ALくんの紅茶はいつもどれも美味しいよ……いただきまーす」
早速口をつけて啜ると、何処か優しい味わいが口いっぱいに広がった。
「はい、宮子様。お口をお開けください」
「ふぇ!? あ、ALくん!?」
大胆な誘いをしておきながらALの顔も赤い。不意打ちでそんなことをされてしまえば、宮子だって焦ってしまう。
心の準備なんか、勿論出来ていなくて。
「え、ええと……ええとー…………あ、あーん」
「……え、僕も、ですか?」
差し出されたスプーンにきょとりと首を傾げる。宮子は真剣そうに自分の瞳をじっと見ていたから、ALは遠慮がちに口を開いた。
夕食のような量になってしまうかなとも思ったけれど、食べきれる量に調節して作り他愛のない話題で花を咲かせていればその殆ど全てが無くなっていた。
「ALくん、顔にチョコがついてるよー。とってあげるから動かないでね? ん……ぺろっ」
宮子はALが何かを返す前に身を彼に近付けて、彼の頬についていたチョコクリームを舐めとった。
「宮子様……?!」
「あは、さっきのお返しなんだよー。さっき、不意打ちされたから」
無邪気に笑う宮子に、ALはますます早くなる鼓動を感じていた。
●最愛とともに
――バレンタイン。
その言葉に浮かれたつ人々から、深森夫妻は少しだけ浮いていた。
学生達は初々しく雑誌を広げたり、放課後に机をくっつけて恋の話題に花を咲かせていたり、随分と賑やかだ。
「バレンタインに、デート……か」
「女の子にとっては一大イベントだと思うんだけど、あやかは興味無いのかい?」
周囲の人々を少し興味深そうな視線で眺める美森 あやか(
jb1451)に美森 仁也(
jb2552)は訊ねてみる。
「はっきり言って、経験ないから皆がバレンタインだからって浮かれる気持ちも経験したことないのかも……」
第一、恋人同士だった期間が短かった。保護者として一緒に同居していたし改めて何かの記念日だからと理由をつけてデートなんて態々しなかった。
口には出せなかったが、仁也の身だって自由とは言えない。様々な要因が重なって今までバレンタインデートというものをしたことがなかった。
「けれど、折角の依頼なんだし何かやってみたいな」
「あやかと過ごせればそれでいいよ」
「……と、言うと思った。ねぇ、今回はあたしが考えてみてもいいかな?」
「勿論」
仁也のその声を聞いてあやかは嬉しそうな表情を見せる。
(俺としてはあやかが傍に居ればそれでいいし……結婚している今は、家の方が色々都合もいいんだけど)
バレンタインだからといって殊更何かを騒ぎ立てるつもりもなかった。だけど。
(それじゃあ、紙面映えはしないかな)
だから、改めて依頼でバレンタインデーとをしてください――なんて、言われても余り思い浮かばなかったのかもしれない。
あやかが考えてくれるのならば、その方がずっと良い。
改めてあやかを見て見ると早速、頬に人差し指をあてて、何かを考えている様子だった。
「おや、早速考え事かい?」
「わ……ごめん、話してる最中に」
「良いんだよ。それだけ真剣に考えてくるのなら、俺も嬉しいから」
あやかの頭を軽く一撫でして仁也は微笑んだ。
当日、昼休みにあやかに連れてこられたのはいつもの部室だった。
けれど、今日はいつもと違って何だかとても静かだ。仁也が扉を開けてみるとやはり実際中には誰も居なかった。
「あれ、珍しく誰もいないんだね。今日は俺だけ?」
「あ、はい。皆さんが場所を貸してくれたの」
仁也に疑問に答えながらあやかは数日前のやり取りを思い出した。
『依頼じゃ、仕方ないよねー』『じゃあ、適当に屋上で食べるかー』
「ありがとうございます」
快く場所を貸してくれた部員達にあやかはぺこりと一礼をする。顔を上げると部長がイタズラっぽい笑みを浮かべてこう言い放った。
『あー……でも、仮眠室は使わないでね』
「え、あ……えっ!? あ、あの……他人要るんですし学校ですから……」
少しだけ慌てるあやかに冗談だよと部長は笑って去っていった。
「……というわけで」
「まぁ、確かにこれは『学園で出来るバレンタインデート』になるわけだね」
暫く台所に立っているあやかに仁也は話し掛ける。
「部室でふたりっきりで……というのも、特別だと思うから。いつもはみんなでお弁当だったり、おでんや煮込みうどんや素麺とかが多いでしょ」
答えながらあやかは手早く料理を仕上げていく。前日に下準備は終えている為、其程手間も時間も掛からない。
普通は、手の掛かる料理だって其程時間を掛けずに出来たのは下準備だけではなく部室にある多彩な調理器具のお陰だ。精米器もホームベーカリーも、オーブンレンジだって何だって用意してあるのは料理好きの部長の影響だった。
普通は運動部の部室にこのようなものはないよな、なんて思いながらあやかが鍋を見てみるとコロッケが丁度良い色に姿を変えていた。
揚げ終えたクリームコロッケを丁寧に油を切って、盛りつけお盆にのせて仁也が待つテーブルへと運ぶ。
「出来たよ」
ちらりとあやかは仁也の表情を伺い見てみる。反応は上々のようだ。
彼はいただきますと手をあわせて、料理に箸を伸ばす。オニオンスープや付け合わせのサラダも美味しそうに食べてくれた。
「おいしかったよ」
「そう? よかった」
無事完食して仁也がごちそうさまと手を合わせると、あやかは台所に戻り、冷蔵庫を開けて再び戻ってきた。
「チョコケーキはあたしだけで作ったの。当然、みんなにもあげるけど……やっぱり旦那様に一番に食べてもらいたかったから」
そんなことを言いながらあやかが持ってきたのはお皿にちょこんと乗ったチョコケーキ。
チョコがたっぷりと練り込まれているようで、
「チョコレートボンボンは作れないし、お酒は出せないけれど……」
「大丈夫、雰囲気だけで充分酔えるよ」
仁也の言葉はチョコレートケーキよりもよっぽど甘い。だから、あやかも負けじと提案してみた。
「……あの、折角だからあーんってしてもいい?」
ちょっとだけ照れながら上目遣いで仁也を伺うようにあやかはきょとりと首を傾げた。
●何よりも甘いひとときを
バレンタインという特別な日に心が浮かれてしまうのは、人間だって天魔だって変わらない。種族なんて関係無い。
大切な人と過ごせるというだけで、やっぱり日常だって特別なんだけどやっぱり特別な日ってされてる日はもっと特別。
スピネル・クリムゾン(
jb7168)はしきりに服を抱えて鏡とにらめっこ。暫く悩んだ結果、白を基調としたちょっとだけ大人っぽいワンピースコーディネイトにした。
次はニットキャップ。これは、とっておき。どんな被り方が一番可愛いかな?とか考えながらスピネルは何度も試行錯誤して、ようやくお気に入りの被り方を見つけてご満悦。
小さなポーチには勿論、頑張って作った手作りのチョコレートが入っている。
(準備万端だよ!)
スピネルはくるりと鏡の前で回ってから、思い切り笑顔で頷いた。
雲が暢気に空を泳いでいる。彼女を待たせまいとウィル・アッシュフィールド(
jb3048)が待ち合わせ時間に着いたのは待ち合わせの時間より、時計の長針が丁度半周くらいする前だった。
(流石に、少し早く着すぎたか……)
2月の風はまだ冷たい。けれど、このまま此処で待っていようとウィルは暫く流れゆく人々を眺めていた。
スピネルが待ち合わせの場所に着いたのは約束の時間よりちょっと前。ちょっとくすんだシルバーの時計柱の上で鳩が暢気にひなたぼっこに惚けている。
「あ、ウィルちゃーーん!!」
「スピネル」
声の掛かった方向にウィルが顔を向けてみる。スピネルは無邪気な笑顔でこちらに向けて。その頭にちょこんと乗せられるように被られたニットキャップに目が言ってしまい、胸が熱くなるのを確かに感じた。あれは、自分がかつてあげたものだったから。
大切にしていてくれたことが嬉しくて。特別な日に選んできてくれたことに確かな喜びを感じる。
「待ったかな?」
「いや……行こうか」
スピネルの問いにウィルは短く答えて、少し先を歩いた。
「今日は……通りに人が多いな……それも、男女の二人組ばかり」
「そうだね……お休みの日だからかな?」
確かに街はカップルで溢れ返っている。行く人来る人皆が幸せそうな微笑みを浮かべている。
他愛のない周囲の話題を持ち出したのは、こうでもしないと互いに胸のドキドキが止まらなさそうだったから。
繋ぎたいな、繋いでみたいななんて思っていても手は空回り。ドキドキでどうにかなってしまいそうだけど、それでもやっぱりぎゅうっとしてみたいなぁ。でも、なんて言えばいいんだろう。
隣を歩くウィルの顔をちらりちらりと時折伺いながら考えてみるスピネル。いっぱい考えても、まだちょっと答えは出ない。
「……流石に少し冷える、な?」
「うんっ! とっても寒いんだよぅっ!」
そんな言葉とともにさり気なく差し出されたウィルの腕。
良いよの合図。スピネルは直ぐに意図を察し、ウィルの腕に抱き着いてぎゅうっとしっかりとくっついた。
「ねぇ、ちょっと疲れちゃったから休憩しよー」
「ああ、丁度陽も出ていて、暖かいしな」
時計を見ると二時を少し過ぎたところだった。通り掛かった公園の芝生に腰掛けた。
冬の陽射しが柔らかく降り注いている。確かに、お日さまは暖かい。向かい合うように座ったウィルの顔を見る度に、それよりも顔が熱くなりそうだ。
「ウィルちゃん、あのね? あのね? ……今度は一人でしたから簡単なのだけど……もらって、くれる……?」
ぎゅうっとマフラーに顔を埋めて伺うようにスピネルは訊ねてみたけれど、いくらマフラーに顔を埋めたって顔の赤さは隠せない。折角差し出したチョコレートも彼を伺うように不安げに揺れている。
疲れたからなんて言ったのはただの口実に過ぎない。歩いている間もずっと其程重くはないはずのポシェットの重みが気になっていた。
それはウィルも同じ。内心での期待を抑えきれない自分にちょっとだけ気恥ずかしさも感じながら、でも実際に受け取ってみると、何よりもずっと、嬉しかった。
「勿論だ、受け取ろう」
スピネルから差し出された小さな手作りのチョコレートをウィルは大切そうに受け取った。
「……こういう時、もっと多くの言葉を重ねられたらと思うんだが……」
ウィルは思考を巡らせる。映画や本の世界ではもっと気の利いたことを言っていたのに。
「……本当に嬉しい、スピネル……ありがとう」
かすかにウィルは表情を緩めた。他人には解らないであろう小さな仕草だったけれど、スピネルには確かに彼の本当の気持ちを感じることが出来た。
彼も、スピネルも確かに微笑みあっている。
甘いチョコと一緒に大好きの気持ちも届きますように。
今この瞬間が、とっても幸せな気持ちになれますように。
種族の差とか、時間の流れの違いとか――そんなの今は関係ない。
一緒にいられるこの瞬間がとっても愛おしくて、大切なんだから。
二月の風はまだ冷たい。だけれど、想いや絆は確かに暖かくふたりの心を包み込んでいた。