●六花の中に
雪は、ただ虚無感を誘い舞い散っていた。頬に触れ、溶けても冷たいと感じることはなかった。
本来はあるはずの冷たささえ喪失しているように、全ての雪は全ての色彩を拭い消し去るようにひたすらに降り積もっていた。
視界を奪う程ではない六花達の中で、急に踏み込み訪れた撃退士達を天使は驚愕の瞳で眺めていた。
「あなたが、リュクスですか……」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は目の前の天使を見つめる。
ゴライアスの義娘であり双従士の片割れである従士エル・デュ・クラージュ。
マキナの脳裏に浮かぶのは以前、その少女と邂逅した時のこと。
その彼女が護りたいと言っていた少年。
(――その相手とこうして退治するのも、何かの縁……ということなのでしょうかね)
「退くなら今のうちだと言っておいてやろう。屈辱を味わいたくないのならな」
「その言葉は、そのまま返させて頂きます。手荒なことはしたくありません、退いてくださると助かるのですが」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)の言葉に、凛とした声で応えを返した従士。翡翠の瞳同士がぶつかり交錯し、火花を散らす。
双方ともに、一歩足りとて退くつもりが無いということを示していた。
「我らに飽くまでも刃向かい抗うというか。良い――その愚かな選択を後悔させてやろう」
「なめないでください。僕だって、騎士団の一員です」
そうして、呼び出されたサーバント達は全部で11体。
「従士っつゥより、まるで…大事な家族守るみてェな布陣だな、ありゃ」
「守る守るって言いつつ随分手厚く守られてるなあ忠犬さん!」
マクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)は出てきたリュクス達の布陣を見やり、呟く。煽り立てるようにケイ・フレイザー(
jb6707)の言葉にリュクスは少しだけ嫌悪感が滲み出る表情で返す。
「僕が守られているわけではありませんから」
「へぇ、じゃあ愉しませてくれないとなァ? 弱い人間をひとりくらい落とすのなんて余裕だろ? 忠犬さん」
ケイは面白そうに口元を歪めてマクシミオの背後へと身を移す。
「玄武も、少年も双方装甲がかなり固いようだからね」
「あの回避特化のお嬢さんの従士は防御型ってか……解りやすいね」
以前もこの従士と相対したことのある狩野 峰雪(
ja0345)に桝本 侑吾(
ja8758)は応えた。
この従士の主である騎士リネリアとは以前、侑吾も刀を交わしたことがあった。主と従士、双方の姿を見たことになる侑吾は納得したように呟く。
「何がかな?」
「――彼らの護りたい形」
問いかけた峰雪にひとことだけ返した侑吾は、大剣を構えて前を見据えた。
「この連中、貴様を捕まえる気らしいので、な。気を付けておけ、リュクス」
「どうして、それを僕に知らせるのですか。貴方は敵でしょう?」
アスハ・A・R(
ja8432)の言葉にリュクスは訊ね返すが、アスハはその理由には応えず武器を構える。
戦いが、始まった。
●矜持
(まずは、双方ともに装甲がかなり固そうだから、何とかしておこうか)
目にもとまらないような素早さで行動を開始する雷狐達。しかし、それよりも更に早く動いた影は銃を構えた峰雪のものだった。
「まずは、その装甲削ぎ落とさせて貰うよ」
銃から放たれたのは装甲を溶かす特殊な弾丸。それは玄武の甲羅へと命中し。しかし、雷狐もただ見ているだけではない。
直ぐに動き出した彼らは峰雪とフィオナに強い突進を食らわせて意識を刈り取った。
「――参ります」
音もなく、速やかにリュクスへと接近したマキナは魔具を巻き付けた拳を振るう。
それに気付いた天使は回避行動をせずすぐに盾を召喚し、マキナの攻撃を受け止めた。
賺さず神速の勢いで前衛へと踊り出た暮居 凪(
ja0503)はそのままディバインランスで刺突した。
天使に語りかける口調は何処か機械的で振るわれる槍も倣うように緻密。軌道は顔面を逸れて、肩へと命中した。
「……貴女は?」
「今は、撃退士のひとりとでも名乗っておくわ。機会があれば――千計に伝えなさい」
天使の翡翠色の瞳を黒曜の瞳で真っ直ぐに見つめて、凪は唇を開く。
「天界の力で始末を着けるというなら、期待していると――機会があれば」
「ええ、解りました機会があれば……しかし、其れはどのような意味なのですか?」
問い返すリュクス。しかし、天使の問いかけに応えず、凪は槍を握り直す。
「事情が変わったの。先ずは刃にて話しましょう」
「前線宜しくなマクシ。オレはか弱い人間だからさあ……お前なら大丈夫だって信じてるぜ」
「……任せとけ、俺を誰だと思ってる?」
一方、ケイの言葉にニィっと後方に居る彼に笑みを向けたマクシミオ。ケイもまた鋭い笑みを返す。
信じてる、なんて――そんな言葉を待っていたなんて恥ずかしいことは口には出せなかったけれど、視線は確かにそう、物語っていた。
「畜生の分際で、我に仇為そうとは――」
意識を取り戻したフィオナは怯むことなく直ぐに武器を構え、吐き捨てるように呟く。
「生憎貴様らに用は無い。用があるのはそこな天使だ」
踏み込みをかけたフィオナは瞬間、自分に向かってきていた狐を容赦無く叩き斬った。
「リスクは高い、が……賭けどころ、だ」
一方前衛に注目が向かっている間に密かに後方へと回り込んでいたのはアスハだ。
彼は蒼月の刃を召喚し鳥達に放った。急襲に驚愕の囀りを全て巻き込めずとも、シングバードを3体地に墜とす。
「俺達が居るのに余所見して貰っちゃ困るぜ――もっと、遊んでくれなきゃなッ」
一瞬、アスハへと気を取られたリュクス。その隙を逃さず天使と玄武の間に割って入ったケイは雷雨の名を持つ剣を構えて、獰猛な笑みを浮かべ、挑発するように問いかける。
「こいつと引き離されてもコアくらい守り通せるよなあ?」
その言葉とともにケイは荒ぶる風でマクシミオもろとも玄武を吹き飛ばした。しかし、その行為はマクシミオも承知の上。
そのままふたりは玄武をリュクスから引き離し、髪芝居で繋ぎ止めた。
「その防御、如何程の物か試させて貰いましょうか――」
マキナは渇望を込めた攻撃で、リュクスの防御を穿つ。
これはかつて、仲間とともにゴライアスの防御を突破し、リネリアを退けた一撃。先程よりも確かな手応えを感じる。
リュクスから玄武を分断したことで、玄武の力で強くなっていた分の防御力が失われている。
しかし、分断はそれだけのリスクもある。例えば、少人数で天使を相手取ることになる。反撃にと繰り出される斬撃も撃退士の身体を苛んでいく――食い止め抑える彼らの額に汗が滲む。
交わしあわされる剣閃。刻まれる疵痕。
狐や鳥を粗方片付けた頃には、少し時間が経過していた。
仲間達に敵を任せたフィオナは直ぐにコアへと向かっていた。
「長引かせるつもりはない――さっさと、片を付けるぞ」
フィオナは刀を振りかぶり、勢いよくコアを叩き付けるが脆いと言われていたはずが、傷ひとつ付かず其処に在った。
「壊れない、だと……!」
「ぐ……っ」
驚きの声をあげるフィオナと、苦悶に顔を歪めるリュクス。ケイは呟く。
「そうか、障壁か」
枝門主である天魔が命を落とさぬ限り、コアを守る障壁は取れることがない。そして、枝門という名の此のゲートは存在自体で主門を護る。
文字通り己が命を賭けて、己が矜持に誓って――仲間を守る為に。
「行かせないと、言ったでしょう……僕が生きている限りは枝門を落とさせません」
「だが……コアの障壁に与えたダメージの何割かは主人に行くということ、だ」
気が付くとフィオナの隣に居たのはアスハだった。魔具をコアに向けて振りかざす。見据える瞳は鋭く細められている。
「……試してみる価値はある」
「させません!」
「行かせねぇっての!」
いくら、防御力が高くとも、無力に等しいコアから来るダメージは防ぎようがない。
コアを守ろうと翼を広げ向かおうとしたリュクスよりも早く侑吾は彼とコアとの間に回り込み、大剣を振るう。
放たれた衝撃波は天使と雷狐の姿を飲み込み、その意識を奪おうと向かいくる。サーバントが衝撃波に弾き飛ばされ倒れて行く中、天使は意識を手放してしまいそうになるのを何とか耐える。
「此処で……倒れるわけには行かないんです! 今が、命を使う時、 貴方達を一歩も進ませない……必ず、食いとめてみせます!」
「けれど、私達も先に進まねばなりません――あなたを越えなければ、いけない」
峰雪は独り言のように呟きながら、銃口を少年天使へと向ける。引き金を引く指に迷いはない。
「――悲しいね。互いの絶対相容れることは出来ないのだから」
放たれた攻撃を受け止めるも、峰雪の弾丸に込められた力が天使の装甲を少しずつ溶かして、身を苛む。息を荒げながらもリュクスは退く様子を見せなかった。
だが、それは撃退士にも同じことが言えた。
幾千の人々の命の為、或いは誰か大切な人の為に。自分達が退けないことをこの天使だって、解ってはいるはずなのだ。
「互いに退くことが出来ないことを、あなただって解っているはずでしょう?」
「……けれど、それが戦争なんです」
互いが譲れない何かの為に戦う。
守るべき何かの為、掲げる矜持の為。戦火が大地を燃やし尽くし、全てが灰燼と化すまで留まることを知らない。
互いが正義を掲げて戦うのだ。当然、ぶつかりあう正義と呼ばれた何かは矛盾しあう。だから――。
「本当に正しい正義など無いのかもしれませんね……所詮、正義などと言うものは勝った者が称するものでしか過ぎないのかもしれません……」
それでも――マキナは、エルの様子を思い出す。
やがて、玄武も倒れリュクスひとりきりになった。
コアに向かう者を除き、残る天使を取り囲む。
しかし取り囲まれても、退くことなくリュクスは剣を振るう。神速で振り薙がれた双剣は衝撃波を生む。荒れ狂うような風の刃が周囲に甚大な被害をもたらす。
マクシミオや侑吾、味方の背に庇われていたケイも例外ではなく、深い傷を負う。
まるで、最後の力を放つようだった。リュクスは肩を上下させている。賺さず、マキナが一撃を叩き込む。
「――貴方の譲れないものは解りました。しかし……」
けれど、それ以上は――峰雪はそんな思いを言外に込める。
サーバントは斃れ、玄武も立ち上がれない状態。
従士自身の外傷は一見、大したことのないように見えるがコアからのリターンダメージが相当深く天使の生命を苛んでいることは想像するに容易い。
撃退士側にも何名かの重体者が出ているとはいえ、勝負は見えていた。
けれど、天使は退く様子を見せなかった。
気合いだけで剣を執り続けている。
●命の価値
「先日、紅蓮さんという方が、あること無いことおっしゃってましたけど……実際は、どういう関係で?」
ふと開かれた峰雪の言葉に、リュクスの目が見開かれる。
誰と、だなんて名前は出していないがその言葉だけで何のことを言われているのかが解ってしまったのだろうか。リュクスの切っ先が僅かにぶれた。
「どうして……ただの、主と従士。それだけです。貴方たちも何故共に戦っているのかと問われれば、久遠ヶ原の撃退士だからと答えるでしょう? それと同じことです」
「本当にそれだけで? あ、あなたが教えてくれなければ、今度リネリアさんにお会いした際に、紅蓮さんから聞いたことを確認する予定なので」
話を逸らそうと双剣を握り直したリュクスに追い打ちを掛けるように峰雪は言葉を続ける。
何らかの関連があること。
それだけしか紅蓮から聞いておらず端的に言うとはったりをかけただけに過ぎなかった。しかし、秘密が存在しているという事実を知られていたこと自体動揺を招いたのだろう。
やがて、観念したように口を開いた。
「リネリア様は……僕の、姉です」
擦れるように絞り出された応えは、撃退士達の間に驚きをもたらすと同時、何処か納得させる。
「そういえば、君の髪と瞳の色……あのお嬢さんと同じだものね」
侑吾は納得した様子で頷いて見せた。
他の撃退士達もあの兄妹に更に弟が居たなどということには驚きつつも、同時に家族を守るような布陣だった理由が解り納得した雰囲気を見せている。
「へぇ……ということは、あのエクセリオの?」
ケイは鋭い笑みを浮かべながら確認するように聞くと、リュクスは硬い表情で頷く。
「ガンベルグ家を追われ、処分されそうになった僕を拾い上げてくれたのはリネリア姉さんだけでした……どうせ、一度死にかけた命を此処で使えるのならば、僕はこれ以上に望むことはありません」
優秀な兄姉と比較し、秀でた才能を持っていなかったことで家に見捨てられ、蔑まれ、家の恥は消してしまえと冷たく振り下ろされた刃。それを身を挺し庇ったのはリネリアだった。
騎士団に匿われてからは驚きの毎日。リネリアは勿論、隠しているつもりなのだろうが彼女と恋仲であったバルシークも自分をまるで弟のように可愛がってくれたことを思い出す。彼のような大きな大人の手で頭を撫でられたのは初めてだった。
幼馴染みと同期達。気付けば、騎士として仲間が出来ていた。自分にそんなにも暖かな手を差し伸べてくれる場所があるだなんて。
彼らに必要とされたくて。血の滲むような思いで、力を磨いてきた。
「――だから、僕はこの命を騎士団の為に使います! 舐めないでください、役立たずの僕にだって貴方達と刺し違えることくらいは出来ます!」
「貴様にも守りたいものが――待っているものがいるのだろう! リュクス!」
「だから、僕は守るものの為にこの命を使います。其れが、この命の使い方でしょう」
口調こそ落ち着き握る双剣は戦意に満ちているが、既に天使の身を苛むダメージはとっくに意識どころか命を落としていてもおかしくない程の重篤なものだった。
それでもなお、戦おうとする天使に叫びをぶつけたのはアスハだった。
「なぁ……待っている者はどうなる。コアを守り抜こうとした結果貴様が死んで、誰が喜ぶ? 誰が認める?」
「認められなくても構いません、僕は称賛などが欲しくて戦っているわけではありません」
「それでも、命懸けで護った結果に大事な存在の誇りは護れても、多分あのお嬢さんは先ず君が傷つく事を哀しむだろ」
アスハに続き侑吾も諭すように言葉を続けた。あのお嬢さんが誰のことを指しているのかは、解ってしまった。
「考えても見ろよ……てめェが守りてえのは、てめェが怪我して死んでも幸せでいてくれるよォな奴らか? 違ェだろ。テメェの仲間達は、そんなに冷たか無ェハズだ」
「あのお嬢さんも、君にそんな命の使い方をして欲しくて助けたわけじゃないだろ」
恐らくエクセリオとは互いに割りきった関係を続けているのだろう。ガンベルグ家の恥として一度処分され掛かった末弟を別人として生かし続けるのは利用価値を見いだしたから。リュクスも承知の上。
しかし、リネリアが影の存在となった弟を傍に置き続けているのは決して兄とは違う理由のはず。
「俺はあのお嬢さんに会ったことがある。けれど、そんなこと望むような人物じゃないと思ってる」
「僕は……ただ、救われたのならばその使い方を……」
例えば、肉親に向ける本当の愛情なのだとしたら――其れに気付いてしまえば、甘えてしまいたくなる。
だから、気付かないふりをした。もう、本当の名を名乗る資格も失った《不完全(リュクス)》なのだから。
そうやって、いつも私情を殺そうとしてきた。もう、何度も自らに個人的な感情は抱いてはダメなのだと言い聞かせて。
「それに、大切に想っていない相手を『守りたい』などとは言えないと私は思いますが……そのエルの言葉さえも、貴方は偽りにするのですか?」
マキナの続けざまの言葉に、思い出したのは幼馴染みのふたりの姿。
頭を過ぎったのは帰れといった親友の姿と、寂しそうな瞳で幾度となく自分を見つめてきた幼馴染みの姿。また自分は、彼らを置いていくのか。
罪悪感と、寂しさと。そんな、複雑な気持ちが織り混ざったようなもので重く胸にのし掛かり、上手く笑って返せるはずもなく――
「必ず帰る、なんて……笑って返せるわけないじゃないですか」
マクシミオの言葉に、リュクスは強く拳を握る。
「それでも……」
必要とされていたかった。
見捨てられることは怖かった。大切な人に要らないと告げられるなら死んだ方がいい。
「お前が欲しかったのは、居場所だろォが。もう、直ぐ傍に在るってンのに自ら捨ててどォすんだよ」
マクシミオの言葉は力を持っていた。
だって、居場所を求め星空へ飛び立ち命を落とした夜の鷹のように、そんなたったひとつを掴み取る為に己の命さえ投げ出してもいいと願ったのだから。
それは――
「……俺だって、同じだった」
地を見おろすこともなく、自らを案じるもの達のことを振り向かず、気付かないようにして――それは、マクシミオも同じだったから。
だから、自分の命なんて惜しくない。でも、何かを捨てなくてもきっと受け入れてくれる人達なのだ。
「その思いは大事にしてやれ。俺は、大事に出来なかったからな。分かるモンだぜ?」
大事に出来なかった。失ってからの後悔では遅いのだ。マクシミオの言葉は、事情の分からないものでも重みを感じるものだった。
「命を賭けるな、とは言わん……だが、賭けどころを間違えるな」
アスハの強い口調は決して従士の生き方を否定するものではない。
同じ戦う者として、命を賭けて戦うべき時があることを知っている。互いに其程の矜持や、覚悟をぶつけあうからこそ、交わしあう《力(ことば)》は、意味を持つ。
だけれど、同時に無駄に捨ててもいい命や覚悟などないと思うのだ。リュクスに向けられるのは睨み付けているようにも見えるくらいに強い視線だった。
「死ぬ覚悟があるのなら……その覚悟で、這ってでも生き抜いてみせろ」
その視線には強い激励が込められていた。
死ぬことより、生きる方がずっと難しくて、苦しくて――けれど、尊いものだから。
リュクスの双剣を握る手に更に力が籠もる。
「……生きろ、ですか……」
けれど、それはまるで泣くことを堪えている子どものような姿だと、峰雪の瞳には映る。
その瞬間、コアを守っていた障壁が消えたことをこの場にいた全員が気付いた。
リンクが切れたのだ。
「砕けろ――!」
フィオナは武器を握り直し、勢いよく振りかぶる。
先程まで傷一つ付く様子がなかったコアは、雪雲が割れて、冬の青空が少しだけ顔を覗かせる。
雲間から覗く青空は、場違いな程に澄んでいるように見えた。
「何か、来るようね……?」
コアを破壊したと同時だった。何者かの気配を感じ、凪が呟いた。
ピリピリと肌を刺すような強い気配。恐らくこれは、少なくとも天使級の大物――。
他の仲間も気配を察知したのか、場の空気が張り詰める。
反射的にランスを構え、凪もまた其方へと意識を奪われる。
防御力に長けた凪とて、無傷で従士との戦闘を終えたわけではない。
だから。
せめて、時間を稼げればいい。そう、仲間が目的を達するまでの時間を。
「あと……」
マクシミオはリュクスに歩み寄り、手で彼の口元をぐいっと押し上げる。
「上手く笑えねえなンざ、その年で言うんじゃねえぞ、良いな」
「ありがと、ございます……でいいのでしょ…うか? けれど……多分、僕の方が、年上です」
不服そうにされるがままの天使は訴えかけるが返したマクシミオの言葉は凛としたものだった。
「実年齢はそうかもしれないがよ、俺にとってテメェは充分"子ども"だ。混血舐めて貰っちゃ困るぜ」
互いに満身創痍の姿だ。それは互いに傷付け合った痕。しかし、何処か憎しみではない柔らかな空気が流れている。
「待っている方がいらっしゃるのでしょう?」
確かに戦いは終わりを告げて、互いに退こうとした空気を纏わせている。
峰雪の言葉にリュクスは頷く。
「行かせるものか――!」
しかし、その中で魔具を構えたまま警戒の様子を緩めなかったのはフィオナだ。
「趨勢は決した。貴様に話を聞きたい……我と来い」
足音を高らかに鳴らして、フィオナはリュクスに歩み寄る。自信満々なその様子には、まるで自らの意志でついてこいと言っているようなものだった。
「断り……ますっ!」
フィオナは黄金縛鎖をリュクスに放つ。だが、リュクスは己が剣を振るい自らの躰に絡み付こうとする其れを薙ぎ払う。
柔らかな表情を見せながらも、何処かでアスハの最初の言葉が引っかかっていたリュクスは、念のため双剣を鞘へは仕舞っていなかったらしい。
その光景をマキナは手出しをせず、見守っていた。仲間が戦闘を終えた後に従士を捕縛しようとしていることは事前に知っていた。
エルの手前、乗り気ではない。でも、同時に話してみたいと願う心もまた事実。一歩退いた場所で手出しをせず見ていた。
「王の我に刃向かうとは――その行為がどのような結果を招くか解って居るのであろうな」
闘神の巻き布に切り替えたフィオナの拳がリュクスへと向かう。
しかし、その拳を阻むようにフィオナの足元に放たれたのは弾葬の炎だった。一同が其方へと目を向けると同じく魔具を構えたままのアスハが立っていた。
「え……」
「行け、リュクス……付き合う必要はない」
着弾地点をフィオナから逸れた、威嚇射撃。一同が唖然となる中、アスハに救われた形となったリュクスさえも呆気に取られている。
「貴様! 何故……」
後一歩で捕縛出来るところで妨害され、叫ぶフィオナ。黙るアスハの代わりに口を開いたのは侑吾だった。
「撃退士が騎士の背中を狙うもんじゃないだろ」
情報収集を目的とし、目標を捕縛することを狙うことは、戦場におけるひとつの正解であっただろう。
寧ろ、それが定石とも言える場面のほうが多いのかもしれない。
だが今回は――異なる方法によって、戦況が変わった。
侑吾はリュクスを見やり、傷だらけの顔で穏やかに笑った。
「不測の事態には先ず報告、だろ? あのお嬢さんによろしくな」
その言葉にリュクスは驚いたような表情を見せるが直ぐに頷き、深く頭を下げた。
「……必ず」
気が付くとエルは直ぐ傍まで来ていた。何とか擦り抜けてきたらしい。
「リュクス……」
その声に、振り返ると幼馴染みの姿があった。心配そうな、同時に怒っていそうな複雑な表情を浮かべている。
「エル……」
一歩進めることに力が抜けていくようだった。
最早、歩けることすら奇跡のような状態で幼馴染みに寄りかかるように倒れ込む従士は開口一番に告げる。
「ごめん……僕じゃ、護れなかった」
「……バカ」
ごめんって言って欲しいのは、そういうことじゃないのに。バカ。バカ。バカ。
エルはリュクスを抱えて飛び上がり、撃退士達を見おろした。
「あんた達、このバカを止めてくれたことだけは……感謝はするわ」
「エル」
言葉を掛けようとするマキナの声に、エルは反応を返さない。
そして、僅か一瞬、別方向を見る瞳に宿ったのは冷ややかな殺意。
「けど――同時に、あんた達がしようとした『事』、忘れない」
●報告書
以下は、今回の戦いを纏めた報告書の一部抜粋である。
南枝門の攻略は完了。瀕死状態の南枝門主リュクスの撤退と同時、ゲートコアの破壊も確認。
目的は達成し、依頼は成功した。
しかし、その成功は一筋縄ではいかなかった。
大抵の場合、重体状態になれば枝門主はコアのリンクを切り撤退する。
今回もそうであると判断する者は多かっただろう。
敵の心の内になど、興味を持つべきではないのかもしれない。
それらは時として判断を鈍らせるものだから。
……だが、それによって戦局が有利に導かれることも、あるのかもしれない。
大方の予想を裏切り、従士リュクスは退かなかった。
その従士の戦い方を変えリンクを切らせたのは、結果として、撃退士の説得であった。
――這ってでも生き抜いてみせろ
撃退士の一人が放った決めての一言は、死ぬまで戦い続けようとしていた従士の考え方を変えた。
引き出された情報により従士リュクスが騎士エクセリオ及び騎士リネリアの末弟という事実が発覚し、伝えられた我々の間にも衝撃が走った。
同時に、従士が何故あのようにも必死に戦っていたのかと納得行く面もあった。
それにより、一歩も退こうとしなかったことも充分頷ける。しかし、その言葉で従士リュクスは武器を仕舞う決意をしたのだ。
生きることを決意した従士リュクスは、ゲートコアのリンクを切って撤退を決めた。
従士リュクスの考え方を変えることが出来なければ彼は双剣を握る手を緩めることは無かっただろう。
以前、紅蓮と名乗る使徒が言い放っていたという言葉通り現世への執着を捨て襲い掛かってくる剣は純粋に厄介の一言に尽きる。
もし、そのような事態になってしまったのなら被害は更に広がり達成は難しかったかもしれない。
リンクを切らせ被害を防ぎ従士リュクスの生き方を変えた撃退士の言葉は評価に値すると思う。
また、情報によると従士エル・デュ・クラージュとは幼馴染みのような関係にあるらしい。
従士エルの目の届く場所で従士リュクスに刃を向けた事が、今回エルが武器を取った遠因のひとつなのかもしれない。
本日も四国は木を枯らし凍てつくような風が駆け巡っている。
無情な程に冷たいその風は、まるで叩き付けるようだ。