「人間様の庇に居座って母屋を獲った気でいる奴がなんだって?」
「口の利き方も乱れているようですね。嘆かわしい」
霧中から姿を現した使徒はケイ・フレイザー(
jb6707)の言葉を受けても表情を微塵にも変えることなく薄ら笑いを浮かべている。
阻霊符を使用しながら龍崎海(
ja0565)は淡々と口を開いた。
「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうが……ああ、いや、よそ様の家に入り込んで勝手に自分の家だって名乗る人の所はマナー自体が違うのかな」
「ふざけやがって……」
比較的冷静なふたりに比べて嫌悪感をあらわにしているのは地領院 恋(
ja8071)。
「すでに人間を止めて、戻ってくるつもりも無ぇ癖に人を語るんじゃねえよ、使徒が!」
握りしめた拳を振るわせ今にも殴りかかりそうな勢いの恋の肩を軽い調子で叩き諫めたのはフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)だった。
「皆よ、そこな狗の言葉に腹も立つであろうが…見逃してやれ。狗としてしか生きられぬ運命なのであろう」
「何……」
フィオナの言葉に、ピクリと使徒の眉が動く。そんな彼の様子をいとも可笑しく嘲笑うように王を名乗るフィオナは高笑いをしながら堂々と言い放つ。
「むしろ哀れんでやろうではないか」
「ああ、本当に頭が悪くて可哀想だな、勘違い野郎」
フィオナの声にキイ・ローランド(
jb5908)が同調の言葉を重ね、使徒を射貫くような冷たい視線を向けた。
「さてはて、使徒が妨害に来るっていうことは、向こうで天使が作業中なのかな、困ったねぇ」
「おや、貴方がたもそれが解っていたからこの場に訪れたのでしょう。撃退士とは中々やり手の集団と聞いておりますがねぇ……其処な初老の紳士殿は冗談がお上手なようです」
「おや、それは私達を認めてくれているということで?」
「さて? どうでしょうねぇ」
狩野 峰雪(
ja0345)の言葉を交わし彼に微笑み返す使徒。応える峰雪の瞳も、如何にもとぼけた様子だ。
「挨拶を忘れるとは、これは申し訳ない。狩野峰雪、久遠ヶ原学園大学部3年8組です。元人間というあなたは……?」
「おや、私としたことが名乗ることを忘れていましたねぇ。紅蓮とお呼びください」
ロード・グングニル(
jb5282)の瞳には峰雪も紅蓮も、どちらも底の知れない笑みを浮かべているように見えて、軽く背筋が凍る。
「グレンとは紅に蓮と書いて紅蓮ですかな? 名は体を現すと言いますが貴方にその名はぴったりのようですね」
峰雪はチラリと炎を放つ刀を眺めながら呟いてみた。何も知らない振りをしてさり気なく情報を聞き出す峰雪の思惑通り、紅蓮はある程度口を開いている。
しかし、名乗られてもキイは冷たい眼差しを一寸も変えず武器を構えた。
「戦闘が始まりそうだ」
その傍ら通信機越しに語りかけていたのは。その向こう側には一同と行動を別にする狗猫 魅依(
jb6919)が居る。
『うん、こっちはいつでも準備できてるよ!』
「合図はする。後はよろしく頼む」
『ロード、きんちょーしてない?』
「余計な感情なんて、置いていく。それだけのことだ」
『そっかー。じゃあ、頑張ろーね!」
魅依の声は明るく、場違いのようにも思えたがそれが今は不思議と力になる。
ロードは前を向き、ヘッドフォンに軽く手をあてた。
余計な感情は戦場に持ち合わせたりしない。帰る場所に置いて行く。
「ただ……頑張るぜ」
其れだけだ。
○
「改めて言おうか。我は貴様を憐れんでやる。そのようにしか生きられぬのだろう? 狗が」
少女の風貌に似合わぬ威厳を漂わせてフィオナは嘲りを込めた高笑い浮かべていたが、フッと笑うことを止めた。
「その上で……我を怒らせた罪を後悔して死ね」
まるで光のような素早さで紅蓮の目前に飛び出したフィオナは出来うる限りの力を込めて叩き着けるように使徒を薙ぐ。
「直ぐ頭に血が昇るというのは如何なものかと思いますがねぇ。健康に悪いですよ?」
フィオナの猛攻を受けながらも使徒は刀を向けて、素早さには似合わぬ重さを込めた一撃でフィオナは斬り返した。
元より本調子とは言えなかった彼女の体力は一撃で倒れてしまいそうな程に弱り、意識も遠ざかる。
「いかん!」
恋が生命の樹をフィオナに張り巡らせ彼女の傷を癒すが、元よりフィオナの体力が高い故か全快には遠く及ばない。恋の額に僅かに汗が滲んだ。
そのような状況だというのに逆に燃え上がるようなフィオナの口元には笑みが浮かんでいる。
「随分と舐めた真似してくれるではないか、狗よ」
「舐めませんよ。私にそのような趣味はありません。どちらかというと舐めさせる方が好みですねぇ」
「そっちの意味じゃない……」
四神結界を展開しながら呆れたように呟いたロードは、ボソリとツッコミを入れてみたが何処吹く風といった様子の使徒。
ロードの背後でケイはニィと口角を釣り上げて、黒豹のような笑み。
「ああ、其処だけはアンタと共感出来そうだけどなっ!」
勢いよく駆け出したケイが振るった氷の鞭は使徒を縛り付けようと彼目掛けて飛んだ。使徒の剣に振り薙がれてしまったが、紅蓮の動きを僅かに鈍らせた。
「今の隙に逃れないように囲む」
「ああッ!」
海の言葉に恋は頷き、前衛達で使徒の四方を取り囲む。
相変わらず不明瞭である視界だが撃退士達は互いの情報交換を密に交わしたり、身につけた灯りで位置を知らせたりと連携で補っている。
人数差を埋めるように使徒の動作は素早く一撃は重たかった。しかし、使徒の剣撃が襲おうと傷は恋が癒し、意識を手放そうとしても海の生命の芽が仲間の意識を繋ぎ止める。
少しずつ互いの身に傷をつけながらも、両者ともに退く様子は見せなかった。
「いくら使徒になったからとはいえ、人間だった頃の癖は抜けないはずだ」
海が頭部を狙い、槍を構えるとすかさず飛んできたのは峰雪の援護射撃だった。アシッドショットは使徒の装甲を少しずつ腐敗させてゆく。使徒が仰け反ったところを、海の一撃が顔周辺を目掛け放たれた。直撃は何とか避けられたのだが、衝撃で眼鏡が落ちる。
視力は使徒化で克服しているものだとはいえ、長年身につけてきた眼鏡を落とされたことで生まれてしまった大きな隙を逃さずケイの雷の剣が振り薙がれ、彼の動きを止めさせる。
軽く海が峰雪へと視線を向けると霧の隙間に見えた彼は、深い笑みを浮かべていた。どうやら、考えていたことは同じだったらしい。
「狗猫!」
「うん! みんにゃちょっと離れて!」
ロードのかけ声に潜行を解いた魅依は応え、彼女のかけ声に頷いた皆は後退する。自分には向かないことは味方に任せ、ただ己の出来ることをするのみ。
一同から離れた位置を取る魅依の表情は真剣そのものだ。
「ぶっとべぇ!」
極限と呼べるまで天とは真逆の悪魔の力を己の術に込めた。
魅依が放った無数の三日月型の、天の力を受けている使徒の身を深く苛み彼の表情を苦悶の其れへと変える。
紅蓮が飛んできた方向を見やると、其処には既に魅依の姿はない。再び彼女は使徒に位置を悟られぬように潜行していた。
「交戦中に余所見とは随分と余裕があるようだな。愚か者め!」
強い言葉とともにフィオナが突撃し使徒に強打を咥える。同時に放たれた黄金の鎖は使徒の意識を絡め取った。
「最初に威勢のいいことを言っていたが、この程度か。主の程度が知れるってものだな」
冷たい言葉を吐き出しながら一気に距離を詰めて勢いを乗せたキイの一撃が脇腹を剔った。
素早く仲間達もそれに続き、一気に追い込んでいく。想定していたよりも早く意識を取り戻した紅蓮は連撃を受けて蹈鞴を踏みながらも刃を握り返し、フィオナを叩き斬った。
その一撃を受けて耐えかねて、フィオナが意識を手放した。
「改めて言うが、使徒一人で俺達を相手にするつもりなのか?」
目を醒ました使徒に向けて海は言葉を投げかける。フッと目を細めて挑発するように静かな言葉を投げかける。
「これまで騎士や従士を相手に戦い抜いてきた俺達をなめすぎじゃないか?」
「そうかも知れませんねぇ。いやはや、人も中々やるようです」
「いい加減認めたらどうだ?」
「何?」
続けて口を開いたのはケイ。顔を上げた使徒は傷を負いながらも余裕の笑みを浮かべるケイの表情を見た。
「これがお前が捨てた人間ってヤツだ。そのエネルギーを欲して、地上から略奪しにきたんだろ? いい加減認めろよ。お前らは自分達の力だけじゃ悪魔に勝てないその程度の種族。そして、愚かにもその奴隷になったのがアンタ」
用意周到に魔術の霧を張り巡らせ、姿を隠し登場した彼のように。
「ああ……そうやって己の姿も弱さも全部見ない振りしていれば、奴隷なのにふんぞり返ってる滑稽さも感じないか」
「人だって同じではありませんか。今も昔も本当に変わらず、醜い」
瞬間、炎が蓮の花のように使徒を中心に沸き上がった。地獄の業火にに前線に立っていた者達が巻き混まれるが、炎の災厄が彼らを苛むことが無かったのはロードが呼び出していた鳳凰の加護のお陰だった。
しかし、元より防御の薄かったケイは蓄積したダメージに耐えきれず、倒れ込む。緩まぬ眼力で使徒を睨み付ける。
「見栄や権力……自分の利益。そのようなくだらないものの為に、人は人を殺す。人はそんな愚かな生き物です。己の欲や戦の火で幾つの命が灼き尽くされたのでしょうね?」
「戯れ言を言ってんじゃねーよ! てめえらが攻めてこなきゃ人間界でこんな被害も出なかっただろうがっ! 話を逸らすな!」
倒れたケイを横目で見ながら、荒々しい口調で恋が言い返す。
「けれど、人が殺すのもまた事実。人が人を殺すことは昔より行われてきたことです。それが天使や悪魔に変わっただけで貴方達はそう責め立てるのですね。異種族だから? 自分達では無いモノは責めやすいでしょうね」
笑う使徒の瞳の奥には凍り付いたような空虚がある。キイが不快そうに顔をしかめた。
「どうだっていい。お前が天使に媚び諂ってる理由も理念も理想も興味ない。ただ何も出来ずに死ね」
炎を盾で防ぎ賺さず立ち上がったキイはありったけの力を込めて殴りつけた。使徒の脇腹を剔り、深くダメージを与える。
「死んでますよ――私は人間に殺されましたから」
言葉とは裏腹に、その口調には怒りや憎しみなどはなく唯の空虚が使徒の感情を支配している。表情を微塵にも変えず淡々と告げる紅蓮はまるで他人事のようで。
己と少し重ね合わせてみたが、ロードは直ぐに自分とは違うことに気付く。
「戦いに余計な感情は要らない。振り回されて剣筋が迷ったら意味が無い……でも、俺とお前は何か違うな。感情というより色んなことに興味がない……そんな顔だ」
「さぁ、どうでしょうねぇ?」
ロードの問いかけにすっとぼけた様子で答えた紅蓮は刀を鞘に仕舞う。
「さて、私はそろそろ失礼します。これ以上戦う理由も無いでしょう」
「逃げる気か? 勝ち目がないから?」
「其方も余裕が無いのは同じでしょう? 私も同じです、正直人間が此処までやるとは思ってませんでしたよ。言うなればジェネレーションギャップでしょうかね」
海が挑発気味に言い引き留めようとするが使徒は軽く言葉を返した。双方ともに傷は深い。
「ああ、言っときましょうか。この先に居るのは私の主ではありませんよ」
「じゃあ、貴方は何故此処に?」
峰雪が問いかけに。
「私はただシスコ――失礼しました。騎士エクセリオに言われ派遣されただけですよ。この先に居る少年は彼が最も大切に想う彼女が、慈しみ護った存在です」
彼女とは恐らく騎士リネリアのことだろうか。峰雪は更に問いかけを続ける。
「その彼女と少年はどういう関係で?」
「本人に聞いたらどうですか? 彼は隠してるつもりらしいですから言うかは別ですが。まぁ、双剣士の従士は捨て身の勢いで貴方達の相手にすることは確かです。吹っ切れた者程怖いものはありませんよ」
「忠告のつもりか?」
キイの言葉に紅蓮は霧中に消えながら肩を竦めて答えてみせる。
「さぁ? ただの老いぼれの戯言かもしれませんねぇ。いやはや、歳は取りたくはないものですよ」
「ねぇ、みんにゃ大丈夫ー?」
「心配は無用だ。しかし、癪に障る輩だったな。次彼奴の顔を見ることがあればどのような刑に処そうか。今から楽しみだ」
フィオナは身を起こし、口元に愉悦を浮かべた。カンテラの明かりを頼りに仲間の元を訪れた魅依は懐から絆創膏を取り出してぺたぺたとそんなフィオナの傷に張った。
「絆創膏では心元無いよ。医術の心得はあるから応急手当はしよう」
「おお! お医者さんかー! すごいねー」
海は持っていた救急箱を開き、手早く怪我人の治療にあたる。応急手当に過ぎないが、行わないことと比べればずっとマシだと思われた。
「あ、そーだ! カイが言ってたリューモン?みたいにゃの、グルグルと皆の周辺回ってる時見つけたんだよ!」
「方向を教えてください。それを消せばこの霧も緩和されるはずだ」
「そしたら、ずーっと戦いやすくにゃるよね! こっちこっちー!」
海は魅依に連れられて見つけたという場所へと向かった。
「双剣士の従士ね……」
「君も、やはり心当たりはあるのだね」
ケイと峰雪は互いに顔を見合わせる。以前相対した少年天使を思い出させた。ふたりの様子に、納得した様子でロードも頷く。
「……アイツの守りたいものって結局何なんだろうな」
結局以前は言い淀んで答えを聞けなかったけれど。微笑みながらも哀しげに揺れていた翡翠色の瞳が脳裏を過ぎる。
「戯言に耳を貸すつもりはねぇが……仮にも天使が相手だ。油断は出来ねぇだろうな」
「うん、なんだろうとこっちが諦める理由にはならないよ。行こうか」
恋に頷いたキイは使徒が立ち去った方角を見据え呟く。眼前に依然と広がる白霧中の世界が、此れからの行く先を示しているようだった。
○
「さて、充分に時間は稼いできましたよ。老人を働かせたのです。その分貴方には頑張って頂きませんとねぇ」
「老人って……貴方は未だ百数年程度でしょう」
未だと言える程リュクス自身も歳を重ねているわけではないが、天使から見てみればそのような時間は短い。
「ですが、元人間としては長すぎる時ですよ。労って欲しいものですねぇ」
若人の恋事情など眺めながら隠居でもしたい気分ですが。目を細めながら使徒は笑う。自分の言葉に困った表情を見せる天使を眺め紅蓮は思う。
(彼のように誰かを想い、想われて居るのはいいですね)
自分にも心を通わせていた女性が居た。未だ胸に残る仄かな慕情と、突き刺す罪悪感。思い出す度に薄れゆきそうな程遥か昔のことだけれど。
(彼を騎士リネリアが救ったのは別に気紛れではありません。願わくば、救われた命を彼が無駄遣いしないことですがねぇ)
それだけ、想ってくれる誰かを哀しませることになるのだから。いつか彼は、気付けるのだろうか?