●涙星
「あ、檀君じゃん。久しぶりー」
「よー檀。元気にしてたかー?」
軽薄な笑みを浮かべて手を振る白銀 抗(
jb8385)に、少しだけ戸惑う使徒。
ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)は檀の肩を叩いたり頬を突いてみたり、一通り絡んでみた。
「へぇ、あなたシュトラッサーなんだぁ! ボク、初めて見たよ」
驚き困惑しながらも使徒はロドルフォに反撃の様子を全く見せない。攻撃性や敵意が見られないことは、それだけで充分解る。
初めての依頼で声をかけられたのが使徒で軽く胸を高鳴らせたジャック=チサメ(
jc0765)だったけれど、その使徒の様子と直ぐに共闘関係にあったことを思い出し、ひとりこっそり落ち込む。
「初めまして〜。ボクちん、チサメちゃんちのジャックさんだよん。つい最近はぐれた悪魔さん♪ よろしくねん♪」
「悪魔さん、ですか。檀と申します。よろしくお願いします」
「マユミ……女みてぇな名前ですねぃ」
伏せがちの使徒の顔をまじまじと見つめるのは紫苑(
jb8416)だ。
「でも、めっっっさイケメンでさ!」
「いけ、めん?」
「あー、えーまぁ細かいことは気にすんな」
何だか知らない言葉が飛び出して悩み出した様子の檀の背中をロドルフォはばんっと叩く。
「紫苑でさ! 同じ植物の名前ですねぃ。で、あれ?」
「……やっと会えた」
紫苑が同行者を探し少し見渡すと、半歩後ろに葉月 琴音(
jb8471)の姿があった。
報告書の中でしか知らずとも、いつの間にか憧れていた使徒との対面にスケッチブックを抱える葉月の腕は少しだけ力が籠もる。
意を決し筆を握る。
『私は、葉月 琴音。よろしく』
「私はレベッカ。よろしくね」
琴音に続きアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)の挨拶が終わると、紫苑が檀に微笑み掛けた。
「ここは星の島なんでしょう? 今夜は幸い月もねぇ。暗くて不安ですが、その分きらきら星の真実も希望もいっぱい見える夜でさ!」
星がひとつ、流れおちた。
「探してみましょう。兄さんにとっての“きらきら星”を!」
●碧落
「そうだ、ジャスミンドールはどうだ。変わりねえか?」
「相変わらずです」
ロドルフォに応えた檀は思い出す。
「以前、抗さんに頂いたカメラの花火の映像もジャスミン様にお見せしたのですが『今はいい』と」
「へぇ、残念」
抗と檀の会話を遠巻きにロドルフォが思い出すのは東北での出来事。
他人の使徒をあっさりと切り伏せた天使を見てからどうにも不安になってしまう。
急に黙したロドルフォを、檀は心配そうに眺めている。
「ああ……いや。ジャスミンドールはここで何をするつもりなんだろうな」
或いは、もう此処しか残されていない? ふと、脳裏に浮かんだ疑問をロドルフォは飲み込んだ。
「あ、そうだ。君から見たジャスミンがどんな娘か聞いてみたいな。性格とか、趣味嗜好とか、そういう他愛の無いとこね」
「趣味思考、ですか?」
抗の言葉に檀は訊ね返す。
「ほら、何が好きかーとかだよ。僕もあの娘気になっててねー。今度会いに行く時手土産でも持っていこうかと思って」
「よく……解らないのです。お役に立てず申し訳ありません」
「使徒って主人のことだったら何でも知ってるモノだと思ってたよ」
「主から見れば自律思考の出来る駒の一つにしか過ぎませんよ」
彼らの会話に割り込んできたジャックの呟きに真面目に答える檀。その言葉を聞いて抗は内心溜息を吐いた。
(ジャスミンの気持ちには気付いてないっぽいね。さて、どうするかな……)
戦えないことに落胆はしたけれど、それでも使徒に対する興味は尽きない。自分が従者を持ったことがないから、気になっていたことをジャックはぶつける。
「そーだ。人間をやめる迷いはなかったのかなぁ? ボク、気になってたんだよねん」
「……迷い、ですか」
ジャックの問いに檀は少しだけ考える。
「あの時は、考える余裕も無かったというのが本音です」
何か
「救いたかった。それもありましたけれど……本当は、何があったのか確かめたかったのかもしれない」
あの事件の真相を。自分が知っていた弟は不器用だけれど誰よりも優しい青年だったから、どうしても納得出来なくて。
「戦うことは怖くはないのかい?」
「自分の命は別に惜しくなんてなかったです。それよりも、誰かを傷付けてしまうことの方がずっと怖かったです。こんなこと言ってしまっては使徒失格なのかもしれませんけれど」
今までは人の世界と関わらずに居られたけれど、これからは――。
「辛いと思ってもそれは代償ですから」
「へぇ、使徒って進んで志願するらしーから戦う事が好きなモノだと思ってたよ」
ジャックの言葉に軽く返しながらも、変わらず浮かない顔をしている檀。
「……何か悩み事でもあるの?」
「いえ、悩みという程では……ただの、勘に過ぎませんし」
レベッカの問いに檀は顔を伏せる。ぎゅっと握られた彼の手は強張っていた。しかし、レベッカは微笑みかけて彼の瞳を見つめ返した。
「予感ってのは大事ですぜ。自分の第六感はお友達ですから」
続けて声をかけたのは紫苑。
「ま、全部信頼すんにはちーと心元ねぇ友達ですがねぃ――耳傾けて、参考にすんのは悪くねぇでさ!」
悩み事相談ならこの鬼っ子紫苑ちゃんにお任せあれ!と胸を張る紫苑が何だか微笑ましくて琴音はくすりと笑いを浮かべる。
ようやく会えた使徒。嬉しく思いつつも、少しだけ緊張していた琴音。
「ちゃんと、貴方のことを知ってるわけじゃない。
少しだけ辿々しくても、声で想いを紡ぐ。琴音の茶色の瞳は、真っ直ぐ檀の青い瞳を捉える。
「それでも、檀さんのことを知りたい、力になりたいから……まずは、お友達になって欲しいな」
差し出された琴音の手を戸惑いながら見つめる使徒。でもその様子は拒絶や困惑というよりはただ驚いているだけのように見えた。
「友達、ですか?」
「まさか、今更『あなた達に迷惑はかけられない』とか『私は人じゃないのに』とか、そーんな寂しいことは言わねーよなあ?」
ロドルフォの言葉は図星だったのか、檀は様子を伺うような視線を向けてきた。
琴音はいいよと優しい視線を返し、ふたりは握手を交わした――繋いだ手は、驚く程に優しく暖かい。
「さて、君の勘とやらを聞かせて貰いたいな。気になることを突き詰めるのも悪くないんじゃない?」
抗の言葉に誘われ、檀は暫しどう切り出そうか迷い口を開いた。
「……その、何か最近嫌な予感がするのです」
「不安になっているのは、楓君? シマイ? ジャスミン? それとも……梓ちゃん?」
抗の言葉に檀は動揺を見せた。
「図星、かー……んー、一応君には話しておくべきなのかな。少し前に楓君からこっちに連絡があったんだよ。シマイの企みについて、ね」
抗がかい摘まみながら事情を説明する。
悪魔が意識の無い一般人を操るディアボロを投入してきたこと。既にその一般人を撃退士と戦わせてきたこと。そして、梓を利用しようとしている可能性が考えられたこと。
「要するに、今のシマイは梓ちゃんも巻き混もうとしてるってこと。あの性悪悪魔のやることだし、ある意味納得だよね。可能性は充分高いよ。君なら解ってるんじゃない?」
驚きの余り言葉を失う檀。しかし、拳はきつく握りしめられていた。楓だけではなく梓まで巻き混もうとしていることに憤りを覚えているのだろう。
「一応、僕らの方で保護しようと働きかけているのだけれど難航しているみたいだねぇ」
「どうして……」
「八塚がどうやら妨害をかけてきているみたいなんだ」
疑問の言葉を口にした檀に、苦々しく呟き答えたのはロドルフォ。
「私も楓も故人なのだから、梓が天魔に狙われる理由などない等と言っているのでしょう」
「お前……」
だが納得した様子を見せた檀の顔をロドルフォは眺める。その憂いがちの表情を飾るのは諦めや哀しみが混じる笑み。
「解ってしまいますよ、嫌でも――しかし、それが私の親なんです」
悔しくても、それが現実だった。
「生まれなんざ関係ねえ――そう言える奴は恵まれてるよな。天界じゃ生まれが全てで一生ついて回る。お前の家も……」
そういうものだったのか? そんな想いは瞳に込める。
「なぁ、けどお前が一番八塚に詳しいんだ。知恵を貸してくれ」
「知恵をお貸ししたいのは山々ですが、使徒になってから一度も故郷や八塚に関わっていませんから……」
ロドルフォの問いかけに檀が返したのは苦々しい笑み。
「それに、私には何も出来ませんよ」
「けれど、檀さんはそれでいいの?」
「え?」
諦めて顔を伏せようとした檀。だけれど、それまで黙って話を聞いていた琴音が口を開く。
「私は報告書と、今の話の中でしか貴方を知らない。だから、ちゃんと理解してるとは言えない……けどね」
報告書の中だけでも解った彼の人物像。弟思いな寂しげな青年。優しいからこそ迷って、そうして弱い一面を持っていることも何となく感じていた。
だからこそ、敵と知りながらも憧れて――そんな彼に、琴音は精一杯の想いを伝える。
「やらない後悔より、やった後悔の方が私はいいと思うな」
「俺ぁ、この島の情勢とか兄さん達の情報とかもよく解らねえでさ! けど、諦めたらそこで希望も終わっちまうだけでさ!」
琴音に続き口を開いたのは紫苑。
「時には当たって砕ける精神も必要でさ! それとも今檀兄さんが何かしたら誰か傷付くんですかぃ? それとも、黙って見てるだけで状況が変わるんですかぃ?」
ふたりの言葉に何かに気付いた様子を見せ檀は顔をあげた。
「琴音さん、申し訳ありませんが紙を一枚と、ペンを貸して頂けませんか?」
首を傾げながら琴音は檀にスケッチブックとペンを差し出した。軽く頭を下げた檀は、紙にペンを走らせる。
「あの、これを……役に立つかどうかは解りませんけれど」
「これは、なにかしら?」
撃退士達に差し出された紙を見て、きょとりとレベッカが首を傾げた。
「紹介状のようなものです。大したことではありませんが八塚内部の人間にしか解らない情報も書いておきました。多分目を通せば無視は出来ないでしょう」
「おやおや、さっきは渋ってたのにえらく前向きだねん♪」
「諦めていたって何も変わらない。何も出来なかった後悔を知っているのに、また此処で諦めるだなんておかしいですよね」
ジャックの言葉に檀は応える。
「楓の心を動かした貴方達ならば私に出来なかった何かを成し遂げられるのだって希望を託したいのです」
「そっか、檀。お前変わったな」
バンっと背中を叩いてきたロドルフォに檀は困ったように笑った。
「皆さんのせいですよ……どうかよろしくお願いします」
「勿論よ。撃退士に任せておくと良いわ」
顔をあげた彼の視線を受け止めて、得意げに微笑んだレベッカは彼の手をとった。
「そうだ、ちょっと付いてきてくれないかしら?」
「おーおー熱々デートかなぁ?」
少し離れた岩場へと向かう2人の背を見送るジャックがぽつり。抗もぽつりと呟いてみる。
「……けど、彼、男性だよ?」
レベッカと檀。ふたりの足音以外には波の音しか聞こえない。
「貴方の使徒になった理由は、本当に純粋なのね。私の場合はね」
半生の記憶が欠落している自分にとっては何か生きる標が欲しかった。
戦うことで生きていることを実感出来ていれば自分の居場所だって出来るのかもしれない。
「そして……誰かに必要とされる存在になりたかった。似ているのかも知れないわね」
檀が応えを返すよりも早くレベッカは檀に抱き着く。彼は驚きの余り声も出ないようだった。
「知ってる? 人間ってね、30秒のハグでストレスの3分の1が解消されるらしいのよ」
実際はどうなのか解らないけれど。
「これで足りないならいくらでも手を握るし、ハグもするわ」
だから。レベッカは顔をあげて、使徒の瞳を見据える。
「笑ってね。記憶に残るものならば、暗い顔より笑顔がいいわ」
私も、彼も、きっとみんなも――笑って過ごせる世界がいい。
絵空事だとしても、今はただ。
何をしたのかと聞いても戻ってきたレベッカにはぐらかされた。
「もしもの話だよ。ジャスミンドール、楓君、梓ちゃん、誰か一人しか選べないとしたら……君は誰を選ぶ?」
「……解りません」
弟を護る為に使徒になった。彼のことは全てを投げ打っても良いと思っていた程に大切な存在だった。けれど。
「大切なものに順位を付けるだなんて考えたこともありませんでした」
「人間というのは、所詮そういうものだよ。君が求める幸せなんてものを追い求めることも、欲張ることも僕は悪いとは思ってないけれど」
氷のような瞳を細め抗は呟く。
「……こればっかは、ね」
この使徒には選ばなければいけない時が、きっと、来る。
●流星
「人間界の星は100年以上前から変わらずキレイだねん。チサメのジャックちゃんは狂ってるって言われるケドさ。そんなボクでもキレイに見えるよ」
「私もこの星を綺麗だと感じられるままでいたいと思います」
ジャックの言葉に応えた檀。感情を捨ててしまえば苦しみから抜け出せるのだろうけれど――人を止めても、人で居たいと願うのは我が侭だろうか。
「兄さんにとっての“きらきら星”は見つかりそうですかぃ?」
「まだ、解りません。真砂のように数ある星の中から見つけるのは難しいですけれど……」
それでも、きっと貴方達となら見つけられる気がする。紫苑に答えながら夜風に靡く髪を抑えて、檀は夜空を見上げた。
「星も見ようと思わなきゃ、ただ天にあるだけ物。見ようと思うから綺麗に見えるんでさ! 兄さんにとっての天使さんもそういうもんじゃねぇですかぃ?」
ニカッと笑う紫苑に続き、口を開いたのはロドルフォ。
「もしジャスミンドールから力を貰えなくなって、それでも成し遂げたい事ができたら俺も協力するぜ」
そんな約束が杞憂に終わればいい。ロドルフォは内心願いながら、言葉の先を続ける。
「こう見えても天使だ。力を分ける位できるし、足りねえってんなら学園にも掛け合ってやる」
「うん。まぁそれは最後の手段。まずはちゃんと、向き合うべきだよ――彼女の為にも、ね」
抗は薄く笑みを浮かべながら言う。恋する乙女へと少しだけお節介。そうしたら、今度会った時は茶でも出してくれるかな。
「これあげますぜっ!」
紫苑が差し出したのは金平糖が入った小瓶。
「金平糖持って、星が綺麗ですねって話すも良し、あなたの話が聴きたい、知りたいって言うのもよし、別に他愛のないことで構わねぇんでさ! 話せばきっと、やんわり見えてきやすよ」
『力に、なる。だから、頑張ってね』
琴音の言葉に檀は軽く頭を下げて踵を返す。
「また、いつか!」
南種子町へと帰る彼の背中に元気よく手を振り見送る紫苑。立ち去る使徒は振り返り、小さく手を振り返した。
この一夜が、幸いに転じることを祈り――星は願いを乗せて流れ落ちていった。