どれほど声を張り上げ叫んだって、夜の闇は微塵にも揺らぐことはない。
小さな人の声で、想いを叫んだとしても大きな力の前には。世界はいつだってそんな理不尽で出来ている。
「一般人を操るディアボロ、ですか。話を聞く限り、操っている一般人を盾にするようですが……」
「確かに、効率はいいのかもしれない……少なくても僕は、その手段を許さない」
仁良井 叶伊(
ja0618)の呟きに応えたジョシュア・レオハルト(
jb5747)は蒼色のマフラーに顔を埋めた。
射貫くように真っ直ぐに現場を見つめる視線。天宮 葉月(
jb7258)も憤りを隠せない。
「……意識のない人を操るディアボロなんてっ」
「作った奴の性格の悪さが伺い知れる。だから、そんな下種の思い通りにさせはしない」
強く言い放つ黒羽 拓海(
jb7256)。葉月は恋人の瞳を見つめ返して頷く。
「男の子と女の子を助けないと!」
「ええ……兎に角、助けなくては……」
イーファ(
jb8014)は胸できゅっと拳を握り士気を高める。皆頷かずとも、想いは同じだった。
「少年、深夜徘徊は補導モノだよ」
「何だよ、お前ら!」
突然現れた砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)を始めとした撃退士達に少年は警戒するような様子を見せている。
けれど、ジェンティアンはその笑みを崩さないまま、指を指したのは汐里の足元だった。
「それに今は赤い靴のディアボロが出てるから……ほら、それ」
「ディアボロ……? は、あれが? てか、だったら汐里――」
訝しげに赤い靴を眺める少年。しかし、言葉を遮るようにジェンティアンは口を開く。
「彼女の名前、汐里ちゃんって言うんだね。きみの知り合い? だったら、呼び戻すの手伝ってよ」
訝しげな顔をした少年が口を開こうとした――その時、近付いてきた汐里が手をあげる。
「やら、せるかっ!」
しかし、割り込んだのはタクミ。その拳を受け流し、押し返す。
「……どうやら、都合よく待っては頂けないようですね。天魔ですし、仕方無いですか」
加勢する叶伊。軽く振り返りったジェンティアンは、余裕めいた笑みを浮かべて。
「全く空気の読めない天魔さんはダメだね。後、よろしく頼める? その間、僕らがなんとかするからさ」
「うん。今の状況を簡単に説明します」
ジェンティアンに頷いて、代わって口を開いたのはジョシュア。
「まず、僕達は撃退士。この近くでディアボロが出たから対処しに来たんだけど、その途中で君達のことを見かけて――」
「あのディアボロはね、普通の人達を操って私達撃退士と同じような強さにしちゃうの。汐里さんは今……」
「じゃあ、汐里は! ディアボロに寄生されたか――」
「いいえ、私達は解決する為に来ただけであって、彼女を倒したくはないのです。その為には貴方の協力が必要なのです」
イーファの言葉にタクミは首を傾げた。
「……俺の?」
「そういえば、まだ貴方のお名前を伺っていませんでしたね。私はイーファ。貴方は?」
「……拓海。開拓の拓に海でタクミ」
名前を訊いて、少しだけ驚いたのは葉月。
「え? 拓海君? 漢字も一緒……うーん、紛らわしいなあ」
「え? 何が?」
「あ、うーん。こっちの話。あっちは昔の呼び方にしよう」
自己解決する葉月。首を傾げるタクミに気にしないでと断って、葉月は言葉を続けた。
「助ける方法があるの。あの子の意識を何らかの方法で取り戻せればいい――勿論、実力行使で足のディアボロだけ倒しちゃうって方法もあるけど。なるべく傷付けない方法を選びたいの」
「ええ。言葉掛け他人の私達より、見知った方の言葉で何か反応して頂けるやもしれませんから」
「けれど、俺に何が……」
イーファと葉月。2人に促されても、それでも迷いを見せるタクミ。いざとなったらタクミを庇える位置に陣取っていたロドルフォが振り返り訊ねる。
「あの子はお前の何だ?」
「いや、幼馴染みだけど……」
ロドルフォの問いに素直に答えた。だけれど、ロドルフォは少しだけ呆れたように溜息をついて。
「そうじゃねぇだろ。それだけじゃないはずだ」
それだけだったら、ここまでテコでも動かないなんてのはないはずだから。
其程強い想いを抱いているのに、伝えられない臆病な気持ちはロドルフォにも痛い程に身に覚えのあるものだったから、余計に放っておけなかったのかもしれない。
「ちっとは自分と向き合ってみろ。そして、出た応え答えを俺に聞かせる必要はない。ただ、あの子にちゃんと言ってやらなきゃ可哀想じゃねえか? あの子以上に、お前のその気持ちがな」
「……俺の気持ちが? んなもん」
言い返そうとして、けれど、俯く。言われた通りだ。けれど。
傍らについたイーファが、落ち着かせるように背中を撫でる。
「思うままでいいのです……お願いします」
「ほんとに……そんな、気取ったことなんか言えないけど」
それでもいいのだろうか。俯き気味のタクミは膝の上できゅうっと拳を握った。
「それでいいんだ。気取るなんて必要ない」
そんな拓海の言葉に勇気付けられるように顔を上げた。
「やれるだけ、やってみる。だから、お願いだ――汐里を……」
「大丈夫だ。護ってやる。お前も、彼女も――色々、無理があるけれど……」
ロード・グングニル(
jb5282)の声は呟くように小さく。
「でも、やってやるさ」
「うん……そんな現実なんて、僕も嫌だからね」
ロードは、耳に当てていたヘッドフォンを首に掛けてジョシュアとともに向かうのは汐里のもと。
揺れているのは水面の月だけ?
違う。人の心も揺れていた。
「汐里!」
名前を呼ぶ。何度も、懸命に。色々な言葉を尽くしても、尽くしたら――届くのだろうか。
「レディが足癖悪いのはどうかなぁ」
頬には微かな痛み。ジェンティアンは振り上げられた汐里の足を掴み、動きを奪う。しかし、激しく抵抗した
なるべく、彼女を傷付けないように配慮しながら、動き回るディアボロだけを狙うのは難しい。
「必ず、無事に助け出しますよ」
「んなこと解ってる」
叶伊の言葉に応えたロードの声は少し、荒々しげで。
(――言われなくても!)
戦闘は圧倒的に撃退士側の有利だった。力を持たされているとはいえ、汐里は然程強くはなかったのだ。
何度か取り押さえはするものの、肝心のタクミからの言葉はなく隙を突いて逃げられる。
そんなことを、先程から何度も繰り返している。
「絶対に、君に彼を殺させないっ」
向かってくる汐里を眼前に。心配そうに様子を眺めているタクミを背中に。ジョシュアは叫ぶ。
目覚めた時、当たり前の日常がなかったら。その日常を自ら壊してしまったと知ったら――。
そんなの、絶対に悲しすぎる。だから。
「そんな現実、僕は否定する!」
鋭い言葉と共に放たれる布槍は汐里の脚へと絡みつき、そのバランスを崩した。
「さて、お話を聞いて頂きましょうか」
一瞬の隙。叶伊は立ち上がろうとする汐里を両腕と脚を使い羽交い締めにする。自由を奪った。
「汐里!」
「いけません……!」
撃退士は汐里を傷付けないと約束してくれた。しかし、やはり心配で仕方が無かった。
思わず立ち上がり駆け出そうとしたタクミの腕を止めようとイーファは握る。しかし、首を振ったのは拓海だった。
「好きな女の為に体を張るのも強がるのも男の性みたいなものだ。やり遂げさせてやれ」
「たっくん……」
自分を見つめる葉月の視線に拓海はそっと視線で返して。
タクミ達を庇うように前方に立っていた拓海はそっとどき、道を開けた。
「……後悔はしたくないんだ。汐里の居ない世界なんて、そんなん嫌だから」
踏み出すタクミの瞳には、迷いの光はない。
(では、僕は応援歌を)
雰囲気を察知したジェンティアンは歌を口ずさんだ。
――冬 高い空星を探し 二人の吐息白く重なり、澄んだ夜空へ溶けていった
「大バカ野郎! お前、俺が居ねぇと何も出来ないくせに!」
(――思い出してごらん、ふたりの記憶を)
四季とともに記憶を巡る歌。ジェンティアンの柔らかな歌声が、見守る中。
絞り出すように、懸命に叫んだ。
精一杯の、愛の言葉。
「俺だって、お前が居ないと何にも出来ねえんだよ! 汐里!」
だから、私の名前を呼んで。
あと、我が侭言っていいなら好きって言ってほしいです。
「バカだ。こんなことになるまで言えねえなんて――好き……なんだ」
へらへらと笑っていても、その笑顔は太陽よりずっと暖かくて、優しい気持ちをいつだってくれる。
心安らげる大好きな《場所(ひと)》。
「……だから、お願いだからこれからも、好きで居させてくれ」
「……ぁ……」
「だから起きてくれよ。バカ! 起きろ、バカ! バカ!」
それからは、ほぼ無我夢中。汐里が意識を取り戻したことにも気付かずタクミは叫んでいた。
そんな彼の様子を苦笑いしながら、汐里はふわりと笑った。
「バカって3回も言った。バカって言う方がバカなんだよ。たくちゃんのバカ!」
「うるさい! バカだ! 大バカだ! どれだけ、しんぱ――」
ふと、とんでもないことを口走りそうになったタクミは慌てて口を閉じる。てか、今?
「え、何? ……というか、なんでたくちゃん、泣いてるの? 泣いちゃ悲しいんだよ?」
「……何でもない」
ぷいと、顔を逸らすタクミ。きょとりと汐里は首を傾げながらも指でタクミの涙を拭い、いつものように笑う。
「あらあら、折角言えたのに別に隠されなくても」
イーファが困ったように笑う。
「――どうやら、汐里さんが意識を取り戻したことで赤靴も効果を失ったようですね」
叶伊の言葉通りに、ぽろりと零れるように落ちたディアボロ。注視していた叶伊はディアボロが動き出さないうちに蛇頭の武器で地面に縫い止めた。
「人の恋路を邪魔する者はなんとやら――消し去っちゃおうか」
大きな切り傷を剔るようにジェンティアンが放つのは雷の槍。鋭い悲鳴のような光を撒き散らして、赤い靴を焦がす。
葉月は恋人と目配せし、頷く。
「こんなものの思い通りにさせるのは不愉快極まりないからな」
「よーっし、こんなの斬っちゃおうか」
拓海との連携攻撃。
こうして、戦闘は終わり島はかつての静けさを取り戻した。
「改めて……許せないね」
浸食思考の悪魔。この光景さえも何処かで愉しんで眺めているのだろうか。ジョシュアは瞳を閉じて少し悔しそうに呟く。
「これは、遊戯でも何でもないのに――」
「しかし、それが俺達の敵っつーことだな」
夜空を仰ぐロドルフォの髪が潮の香りを含んだ夜風に揺らぐ。
宵の帳の中で輝く星達。ただ美しいと想ったこの島の星々も、今は不安げに輝くばかり。
●夜が明ける
「本当に、ありがとうございました……痛っ」
「危ないです!」
撃退士に立ち上がり礼を言おうとした汐里。しかし、直ぐにバランスを崩し、倒れ込んだ。
「……足、挫いちゃったみたいです」
慌てて受け止めたイーファの腕の中で汐里はへにゃりと笑う。
ぶっきらぼうにロードは自分の鞄から救急箱を取り出して、イーファに突きつけるように差し出す。
「救急セット、持ってきてるから」
「あ、ロードさん。有難う御座います。お借りしますね」
「あう……ありがとうございます。すみません」
申し訳無さそうにしている汐里に気にするなとだけロードは告げて、視線を空へと向けた。
イーファに肩を貸して貰い、流木に腰掛ける。イーファはロードから受け取った救急セットから湿布と包帯を取り出して、処置を始めた。
「いいえ、お気になさらないでください。怪我がこれだけで済んだのは不幸中の幸いでしょう。一応応急手当はしましたが、捻挫は捻挫ですからお医者さんに見て頂かないと、ですね」
「大丈夫、なのか?」
恐る恐る訊ねるタクミ。イーファは安心させるように微笑んで。
「はい。足を挫いただけで後遺症なども無いと思いますよ……ところで、このディアボロに遭遇してしまった時のことを覚えていらっしゃったりしますか?」
汐里はふるふると首を振った。
「よく、覚えてないの。学校帰りに何かあった気はするんだけど……お役に立てなくて、ごめんなさい」
「いいんですよ。とにかく、無事で良かったです」
「ね、ところで汐里ちゃん」
イーファの微笑み。ひょいっとポニーテールを揺らし割り込んできたのは葉月だった。ちらりと自分の恋人の姿を眺めてみる。
「男の子は割と鈍かったり流されやすかったりするから、欲しいなら自分から好きって伝えるの大事だよ」
「えっ」
葉月の耳打ち。驚き振り返った汐里に葉月は悪戯っぽく微笑む。
「ね、たっくん」
そして、恋人に微笑みかけてみたが、少し離れた場所でタクミを見おろす彼は気付いていない様子だった。
きらきらとした話題に花を咲かせるの一方、男性一同は真面目そうな雰囲気だ。
「僕は部外者だから、あんまり説得力はないかもしれないけれど……」
其処で言葉を止めたジョシュアの顔をタクミはマジマジと見つめる。
「今の汐里さんを支えてあげられるのは、タクミさんだけだと思います」
「俺が……?」
問いただしたタクミ。後ろから彼の肩にぽむりと手をのせたのは拓海。
「まあアレだ。あまり意地を張るな。そういう気持ちは素直に伝えた方がいい。格好悪いことじゃない」
「む……」
タクミは俯き考えた。浮かぶのは、自分達をからかってきた同級生達の姿。
恥ずかしい。だけれど、そんなことで本当の気持ちを言えないのもバカらしいのではないか。思考迷宮。堂々巡り。
「たくちゃん!」
けれど、そんなタクミの思考を割ったのは汐里の自分を呼ぶ声。
「ほら、呼んでんじゃねえか。行ってやれよ」
その声のした方向へと顔を向けると其処にあったのはロドルフォのニィっとした笑顔。
「つまりは皆言ってる通りだ。もう、迷う必要なんてねぇだろ――とっとと、名前呼んでやれっての!」
ロドルフォは、軽く彼の背中を押す。タクミは少し蹌踉けつつも、なんとかバランスを取り転ぶのを踏ん張れば、自然と汐里の前に居た。
「その……」
なんて切り出そう。少しだけ悩んで。きゅうっと眉間に皺を寄せて――ああ、もう勢いに任せてしまえ!
「……ごめん。一緒に居てやれなかったから、きっとこんなことになっちゃったんだよな……だから」
俺が、これからはずっと一緒にいるから。
周りになんて言われようとお前のことを護るから。
――そんな、タクミの言葉の先は汐里にしか聞こえない程に小さく。
「ほら、肩貸せ。その足じゃ歩けねーだろ」
そんな言葉に、汐里は嬉しそうに頷いた。
「どっちだ。家」
「え?」
気付けばヘッドフォンをかけたロードが後ろに居た。
「送ってってやる。夜中に中学生ふたり歩かせられねぇし」
「……ありがとう」
告げたタクミは、やや照れながらも素直に笑っていた。
世界はどうしようもない理不尽で出来ている。
でも世界はそんな理不尽達と、それから、その理不尽さえ打ち消してしまう想いで出来ていた。
●どこかで見ていた悪魔
「……ふうん。彼女がいなくてもこのタイプなら使えるかと思ったけど」
やはり、眠りを持続させるには術者が必要と言う事なのだろう。
そんなに甘くなかったかな、と残念そうにも愉快そうにも聞こえる声で独りごちた後。
魔は人知れず、嗤う。
「全く、人間ってのは本当にやっかいで――」
面白いよねえ。
特別な人の言葉で、目を覚ませちゃうんだから。