●7月12日 朝・自宅
ちゅんちゅん。
朝の爽やかな空気はほんの少しの蒸し暑さを含んでおり、今日もとても茹だるような暑さを連れてくるだろうと予感づけるそんな朝。
「お兄ちゃん、起きて! 朝だよっ」
ドバッとタオルケットをひっぺかされ、烈斗は思わず体を丸める。
睡魔に勝てるはずもなく。
「……むしろ、大魔王睡魔様に逆らおうとする方が烏滸がましいと思うんだ。人間、欲に溺れたもん勝ちだよ。ということでおやすみ」
再び惰眠を貪ろうと心に決めて、ひったくられたタオルケットを奪い返そうと行動を始めるが。
「そぉれっ☆」
何かが烈斗の男性として大切な場所スレスレに飛ばされた。
「おい、今何飛ばした……」
「わぁ、お兄ちゃんやっと起きた! んー、ないしょ?」
可愛らしくきょとりと首を傾げて唇に人差し指を当てる義妹の羽村カイリ(本名:飯島 カイリ(
ja3746))。あざとい。
ご存じ無いのですか?! 彼女こそが全国の妹萌えの同志が羨むHSS(ハイ・スペック・シスター)カイリちゃんなんですよ!
うん、自分で書いてて虚しくなってきた。そんな感じで、家事洗濯を完璧に熟し愛想も完璧な全国の妹萌え同志が羨む中学生の義妹。
カイリは持っていたメモ帳をエプロンのポケットに仕舞い部屋を出ようと扉に向かう。
「そういえば、いつもそのメモ帳に何書いてんだ?」
「それも内緒だよ! ささ、お味噌汁が冷めちゃう! 早く着替えてね!」
このノートには朝の爽やかな空気とは対照的に腐海が広がってるという事実。この時彼は知りもしなかった。
人間、一番幸せなのは何も知らないことなのかもしれない。
デュフフポイント(以下DFP)を801点獲得したぞ!
●7月12日 朝・校門前
「あ、あの……お――」
「よーっす、おっはよ」
歩いているといきなりヘッドロックを喰らった。
こんなことするのは勿論――。
「またお前かよ千隼。そんなんだから彼氏出来ねーんじゃ無いのか?」
「なーにーをー」
ぐりぐり。一学年上の悪友・碓氷 千隼(
jb2108)の攻撃をギブギブと笑いながら藻掻くハムレット。
足掻きながら佇む黒髪の少女の姿に気付き、声を掛ける。
「っと、桜子もおはよ!」
「おはようであr……じゃなく。おはようございます、烈斗君」
気付いて貰えて余程嬉しかったのか満面の笑みを浮かべたのは幼馴染みの王 桜子(エドヴァルド・王(
jb4655))。
日中ハーフの幼馴染み。昔から病弱で気も弱くハムレットに守られてきたという設定で、何処かハムレットを王子様視している……らしい。
桜子ことエドヴァルドは、実は『萌えって、どうやりやがればいいんですかね?』とか言っていた。
だけれど、儚く微笑むその姿は何処からどう見ても純情可憐な幼馴染み。なんというか、完璧だ。
それは、千隼の『都合のいい女の子になってキャーキャー言えばいいんだよ』という身も蓋もないアドバイス故なのかもしれない。
身も蓋もないが、大体あってる。
「まぁ、可愛い後輩の手前。そろそろ勘弁してやりますか」
ハムレットを解放し、手をパンパンと払う千隼。
可愛い後輩と称された桜子は何だか状況が飲み込めていないように礼を言う。
「俺も後輩なんだけどさ、朝っぱらからヘッドロックかまして来るのはやめねぇか?!」
「あんたは別」
きぱっ。あまりにも鋭すぎる否定。まるでナイフのようだ。
だが、それがいい。
「だー! 前々から思ってたんだが――!」
そんな犬も食わないような喧嘩を遮るように目の前を黒塗りの某高級車が走り抜ける。
「ん? あれ……なんだろな」
「なんでしょう」
「というか、あれってかなり高そうな車じゃない? そんな車で登校してくるような生徒って、うちの学校に居たっけ?」
その疑問はほんの数十分後に明らかになることになる。
●7月12日 午前・教室
我はできる天使ゆえ『もえ』も『ぎゃるげー』も心得ているというラカン・シュトラウス(
jb2603)。何か違う気もするがあえて何も言うまい。
美術教師の桐咲ヤツカ(八握・H・リップマン(
jb5069))に誘われ、ラカンは銀色の髪を靡かせて黒板前に立つ。
「我はラフィール=シュトラウスと申す。皆の者よろしく頼むぞ」
「シュトラウスの席はあそこの空いてる席だ。 その隣の席の羽村君は優秀な生徒だから何かと教えて貰うといいだろう」
うほっ!クール系きたこれ?!とデュフりかけるハムレット。しかし我慢だ我慢。クールに行こう。おーけー?
俺はイケメン・ハムレット。悩めるイケメン。出来るイケメンなのだ。クールに。KOOLに。
「俺は羽村 烈斗……まぁ、よろしく」
「ハムラと申すのかよろしく頼むのである」
「そういや、朝の黒塗りのやったら高そうな車……あれお前のか?」
「やたら高そうなと言っても、父上が使っているものに比べたら対したこと無いのである」
「けど、どう見ても高い車だろう!? ……もしかしてお前の家って金持ちだったり?」
「世間一般ではそういうらしいのであるな。両親は会社の役員をしておるぞ」
なんか、凄いことをさらりというラフィール。言い換えよう。金持ちじゃない、超金持ちだ。
尚且つ超お嬢様ということだよな。うん。なんというか住んでる世界が違います。
教卓に出席簿を叩き付け、注意を引き寄せるヤツカ。
「皆、静かにしてくれ。今日は物理の佐藤先生が体調を崩されて休まれている為、私が代理をすることになった。ついてはこの小テストだな、朝から面倒かもしれんが頑張ってくれ」
えー、と当然巻き起こるざわめき。問答無用と無慈悲に小テストが配られ、なんだかんだで皆解き始める。
その時につんつん。ハムレットの背中をシャープペンシルで突っついたのはクリスティーナ アップルトン(
ja9941)。
「ねぇ、ハムレット。問2の答えを教えるのですわ」
こっそりバレないように振り向くと、可愛くおねだりのポーズを取った金髪少女の姿。
「ここで答えを教えれば、私の好感度が一気に急上昇ですわよ」
なんというメタ発言。いや、ここはリア充王の世界。リアルの世界。メタ発言とかへったくれもないが。
「拒否」
でも此処は敢えて嫌われそうな選択肢を選んだハムレット。
けれど、小テスト後。
「私のためを思って、答えを教えなかったのですわね。なんて男らしい!」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「いいのですわよ。ごめんなさい、ハムレット」
はぁと、と擬音が付きそうなその言葉とともに、ぎゅうっと抱きつくクリスティーナ。制服越しに伝わる暖かな感触に、無意識に顔がにやける羽村くん。
将来の魔法使い候補であるハムレットにとって、スキンシップ作戦は大成功だったようです。
ギャルゲーって、男性キャラが女の子をくどくのですわよね? 羽村は私のことはくどいてくださらないのかしら?
またもや、メタ炸裂な発言に――。
DFPを煩悩を持て余すくらい獲得した!
●7月12日 昼・教室
昼を告げる鐘が鳴れば、伝説のパンを求める勇者達で購買は溢れかえる。
それはそれは熾烈な戦い。
流血騒ぎも珍しいことではなくメディック隊と称される保健委員まで待機しているとか。
その中でも目玉商品であるらしいトンデモネーカレーパンDXは 毎日売られているはずなのだが、その姿も手に入れた勇者の話も不思議と聞かない。
けれど、そんな戦いはハムレットには関係ない。何故なら。
「お兄ちゃん、またお弁当忘れてるよっ?」
「おお、悪い。いつもすまないな」
HSSである義妹・カイリが笑顔でお弁当を宅配してくれるからだ。
これが楽しみでわざとお弁当を忘れているなどとは口が裂けても言えない。まぁ、妹にはバレているかもしれないが。
「あれ? お兄ちゃん、そのお弁当は?」
「ああ、うちの委員長が一緒に食べないかって置いてった。今、手を洗いに行ってる」
「じゃあ、これどうしよう?」
置こうとした机に既に弁当箱があり、戸惑った様子でカイリは訊ねるけれど。
「丁度腹減ってたし2つとも頂くよ」
「なるほどっ! じゃあ、はいっ!」
弁当を手渡したカイリは自分の教室へと戻っていく。
「(今日も、渡せませんでした……)」
そんな姿を扉越しに見ていた桜子は、項垂れながら自分の教室へ戻っていった。
さて、視点を戻してこちらは――。
「このねこさんウインナー、力作なんだよー。食べてみる?」
あーん、とウインナーを差し出しつつ、顔が引きつらないように必死に堪えているのは朱史 春夏(
ja9611)。
猫好きのクラス委員長という設定らしい。
フラグを立てろという幼馴染みの言葉も、絶対無理。本当に意味が解らない。絶望した。
「あ、明日の放課後、一緒に夏祭り行かない……かなって」
「ああ、そういや、明日だっけ? 特に予定無いし、いいぞ」
「やった、約束だよ?」
無邪気に微笑んでみせる。嗚呼、目は死んでいないだろうか。
「ハムラ、この学校を案内してくれないであるか?」
なんというか、誰でもいいから助けにきてくれ――その想いが天に届いたのか、現れたのは転校生のラフィール。
「いいけど……なんで俺?」
「キリサキ先生がハムラを頼るといいと言っていたのであるからな……委員長もいいであろうか?」
「いいよ、行ってあげなよ。私も先生の仕事、手伝ってこなくちゃ」
春夏の言葉に背を押されるように2人は教室を出た
此処は保健室。此処は職員室と、当然のことを淡々と紹介するハムレット。
見た目が変わっても中身は同じなので、実際に自分の行動で女子をエスコートするのは苦手らしい。
「特別に呼ぶことを許してやるのである我のことはラフィと呼ぶが良い」
べ 別にそなたに好意を寄せているというわけではないのである、とぷいっと顔を背けたラフィールの表情は真っ赤に染められていた。
クールではなく、ツンデレキャラだった。
●7月12日 夕方・教室
黄昏に染まる閑散とした教室。
本来の住人である生徒達が居ないだけでも随分と雰囲気が変わるもので、何処か不気味さすら伴う静けさ。
言葉もないままに、ふたりきりでプリントの整理をしていた。
紙を捲る音だけが教室にこだまする。
その静寂を打ち破ったのはハムレット。
「前から気になってたんですけど、なんで俺にだけ敬語なんですか」
「違います……そんなことありません」
保っていた教師としてのポーカーフェイスも崩れて、立ち上がるヤツカ。
「そんなこと、無いでしょう? 何で俺にだけなんですか?」
じり、じりとハムレットが近づこうとする度にヤツカが後退し、遂に壁まで追い詰める。
所謂、壁ドンの態勢。
じっと見つめるハムレットの表情に観念するように、ぽそりと。
「ごめん、なさい……。好き、です」
言い逃げるように、ヤツカは腕をくぐり抜け走り去っていった。
追いかけるわけにも行かず呆然と見送った後、とりあえず自分も教室を出る。
烈斗が扉を出たところで遭遇したのはラフィール。
「そ、その……レツトはキリサキ先生と付き合うのか?」
「いや、そういうんじゃなくて、えぇっと……」
正直、戸惑っているとハムレットは言う。何しろ相手は教師だ。
「べ、別に気にしてなどいないのであるだがこ、恋人がどうしても欲しいというのであれば…わ、わ、我はどうであろう」
今にも蒸気が出そうな程顔を真っ赤にして言うラフィールの頭に手をぽふっと置く。
「じゃあ、まずはツインテールだな」
●7月13日 昼・屋上
昼休みを告げる鐘が学園に鳴り響いた。きゅうっとお弁当を握った桜子は意を決してハムレットの教室へと足を踏み入れる。
「あ、あの、お弁当作ってきたんです。一緒に食べてくれませんか?」
「ああ、いいけど……桜子、料理作れたんだ? まぁ、屋上行こうぜ」
実は毎日作ってきていたけれど渡せなかっただけ、とは言えない。
ハムレットの言葉に誘われるように屋上へ移動。
早速青空の下、お弁当を広げる。
桜子のお弁当は春夏のように可愛らしいというわけではないが、ひとつひとつ丁寧に愛情が込められていて、口に入れた瞬間素朴な味わいが広がる。
「うん、おいしいぞ。いつの間に覚えたんだよ、こんなの」
「……烈斗くんに、食べて欲しくて頑張ったんです」
やや俯いて、はにかんで微笑む桜子。
和やかに、幸せな時間が流れていき昼食を終えて屋上を後にすると偶然悪友の千隼と遭遇した。
「へー……良かったじゃん」
何が?というより早くハムレットを強く締め上げる千隼。
そのまま、バシンと背を叩き去って行った。
「なんだよ、あいつ……」
それは嫉妬という感情なのだけれど。
●7月13日 午後・プール
「いかがかしら、ハムレット。私の水着姿は!」
プールは光を反射してきらきらと輝いている。
その光を浴びながらスクール水着に着替えたクリスティーナはハムレットの前で色々なポーズを取ってみせる。
ぼいん、ばいん、どーん。
スクール水着らしからぬ謎の色気に、ハムレットくん。たじたじです。
顔を赤らめてただ頷いているハムレットの手を取りプールの中へと向かう。
「ねぇ、ハムレット。私に泳ぎ方を教えてほしいですわ」
勿論、それはスキンシップ作戦のうちのひとつなのだけれど、気付く欠片もないハムレットは調子に乗った。
「ぜったい手を離しちゃダメですわよ。ぜったいですわよ!」
まるで、自転車の練習をしている小学生のように懇願するクリスティーナに悪戯心を刺激され、15m程進んだ地点でパっと手を放す。
其処から更に5mほど進んだ地点で漸く気付き、ばしゃばしゃと水飛沫を立てて溺れ始めるクリスティーナを慌てて支える。
「うわぁん、離さないでって言いましたのにぃ」
「でも、ちゃんと泳げてたじゃないか。大丈夫、大丈夫」
『もう』と喚きながら水を掛けられる。
そして、ふと見学者席を見ると体操着姿の桜子と目が合ったけれど、桜子はすぐ恥ずかしそうに視線を落とした。
●7月13日 夜・花火会場
橙色の華やかな浴衣に身を包んだ春夏と共に花火の時間まで夜店を巡る。
金魚を掬ったり、射的をしたり、どれも上手くいかず、あざとくならないように落ち込んで見せる春夏。大丈夫、顔は今のとこ死んでない。
「はぁ…はぁ…や、やっと、烈斗君…見つけ…た」
甚平の裾を引っ張られる感覚、慌てて振り向くと其処には胸を押さえて倒れそうになる桜子の姿。
腕で抱き支えるハムレット。
「桜子?!」
「迷惑…かけて、ごめん、なさい…。でも、烈斗君と…一緒に…いたくて……。暫く休めば、大丈夫だから……」
「ったく、仕方ねえな」
ほら、と背中に桜子を背負うハムレット。遠慮がちに掴まり身を任せる。
春夏はそれに対して頬を膨らませ、嫉妬を演出してみる。
やがて上がる花火に歓声がわき出て――。
「来年も……一緒に見ようね」
上目遣いで静かに呟いた春夏の声は夏の音に掻き消されていった。
DFPがMAXになった!
ドォン! 花火の音とともに、世界がグニャりと歪む。