うだるような暑さを降りしきる蝉時雨がこれでもかという程に彩っている。
「さて、お祭りといえばやっぱ浴衣だよねぇ」
「はい。気合いをいれて選んだんです」
嵯峨野 楓(
ja8257)と地領院 夢(
jb0762)が自慢げに差し出した腕の中には色違いの浴衣があった。
城地の浴衣と淡い黄色浴衣。紅い琉金と黒い出目金が涼しげな顔で泳いでいた。
「おや、可愛らしいね」
Camille(
jb3612)の言葉に夢は嬉しそうに微笑んだ。
「嵯峨野さんと一緒に選んだからお揃いなんですよ」
「ねー。あ、そーだ。レーヴェさんも今日はこっちの浴衣でどうですか?」
楓が紙袋から差し出されたのは深い桔梗色の浴衣だった。墨で描かれた蛍が飛び交う柄。
すぐに瞳を輝かせて、
「美しい色であるな! 我も気に入ったのであるぞ」
「えへへ、私が選んだんです」
答えた夢は少しだけ照れくさそうに笑っている。
「ああ、私が後で着付けておこう」
「じゃあ、私、髪纏めておきますよー」
姫路 眞央(
ja8399)の提案に続けて楓が言う。
「む……礼を言うぞ。カエデ。あのカンザシとやらは、我にはうまく使いこなせなくてな。どうやって使うのであるか?」
美しい形ではあったのだが。ひどく残念そうにしょんぼりとした表情を見せたレーヴェ。
あのという言葉に楓は記憶を巡らせてみた。そして浮かんだのは去年の冬に初めてこの悪魔と会った時俯く彼の髪に刺したかんざしが思い当たる。
「え、もしかして、あの時のあれ取ってたんですか」
「勿論であるぞ。初めての人の子からのオクリモノであったゆえな、嬉しかったのである」
こくこくと頷くレーヴェ。自信満々に腕なんぞを組んでいる。
「せっかく、ちゃんと着ていくのだ。あれを付けてかぬわけにはいかぬであろう」
「そっか。いいですよ、持ってきたらあれを付けましょう」
レーヴェを見つめる楓の瞳は、少し複雑そうでレーヴェも少し気にかかったがそれよりも先に声が降り掛かった。
「祭にいる間は悪魔である事は隠しておけ。それとロリコン発言も禁止だ」
「何故であるかー?」
ファウスト(
jb8866)の訓告にレーヴェは首を傾げた。ついでにランベルセ(
jb3553)も同じように首を傾げる。
「そういえば教師が言ってたな、ロリコンって何だ?」
「ロリコンとはな、真に年若き少女を愛した者のみが名乗ること――」
「いや、だから前々から言おうと思っていたのだが、ロリコンというのはだな」
レーヴェの言葉を遮り、間違えを訂正しようとしたファウスト。しかし、何やら視線を感じる。
ちらりとそちらにファウストは視線を向けて、固まる。楓さんは、それはもう素晴らしい笑みを浮かべていた。教えたら、薄い本にするぞと笑っていない瞳が告げていた。
「……ロリコンの意味は地球で暮らす以上、いずれ自然に知るだろう」
もう放置でいいや。諦められることも、一種の強さだと思うのです。
●
「皆で屋台を見てまわりたいなって、ずっとドキドキしてました!」
「夢ちゃん、だいぶ張り切ってるねー」
「えへへ、ちょっと早めの夕食もちゃっかり兼ねるつもりです」
夢はきらきらとした視線で周囲を見渡している。
下界の祭りは初めてであるファウストと馴染み薄いランベルセも興味深く周囲を見渡している。
「いよーしっ! 屋台があるなら楽しまなきゃでしょ!」
「うむであるー」
楓の言葉にレーヴェは頷き駆け出そうとした手を掴み引き留めたのはカミーユ。
「うんうん、楽しみなのは解るけど、走ってはいけないよ」
「む、はいなのであるー」
「そうそう、ゆっくり落ち着いて静かにね。人が多いから、自分勝手に動くと周りの人に迷惑をかけてしまうよ」
まるで、保護者のようなその態度。父兄役も中々板に付いてきた印象だった。
立ち並ぶ出店をファウストはひとつひとつ興味深く眺めていた。
「随分、商品が高値なんだな……」
「お祭り、ってそういうものだよね。もしかして、あまり祭りに馴染みがないの?」
答えたカミーユにファウストは頷く。
「我輩は日本に来てすぐ久遠ヶ原に入ったからな、このような場は初めてだ。しかし、彼らがはしゃぎたくなる気持ちが理解出来る気もする」
「そっか」
そう話すカミーユとファウストの視線の先にはフルーツ飴の屋台の前でウキウキで飴を選ぶ楓の姿があった。
「カキゴーリがあるぞ! 我は暫くカキゴーリのイチゴ味が何であったのか考えていたのである。しかし、結局解らなかったのである」
「ああいうのは気分じゃないかな……」
大まじめにまたくだらないことを告げるレーヴェに眞央は思わず脱力しかける。でも、いつものことだったとすぐに調子を取り戻す眞央に続けて声を掛けたのはファウストだった。
「ああ、我輩も気になっていたのだ。気分か……ブルーハワイ味とは何かと思って実際に食べてみてもよく解らなかった」
「君が訊くなんて珍しいね。確か、元々はカクテルの名前とかだったような気がするけれど」
微かな記憶を引っ張り出すように思い出しながら、眞央は答えた。
「ブルーなハワイ味か……うむ、ハワイって、何であるか?」
真顔のレーヴェさん。其処からですか。
「金魚すくいやるー! 私、結構上手いんだよ」
「金魚すくい……? どうするんだ? 取って食うのか? いらないぞ」
「いや、何言ってんのこの人。ていうか、そうだ君電波だったね」
楓の呟きに返したランベルセ。そんな彼を楓は否定しながら微笑む。その視線は何処かだいぶ生暖かい。
「違うのである。金魚すくいというからには金魚を救うのであろう?」
「いや、それも違いますから。あ、そーだ。レーヴェさんもやりませんか?」
にぱりと満面の笑みで楓はレーヴェにポイを差し出す。ピンクの縁取りがされたポイを受け取ったレーヴェはきょとりと首を傾げた。
「ふむ……やったことないのであるが、大丈夫であろうか?」
「大丈夫です。こう、ポイ全体を濡らして縁にひっかけるように……そして、撃退士の反射神経と運動能力を活かしてこう――シュバッと!」
「なるほど。ふむ、真顔で無心になることが大切なのであるな。このような出店にこんなにも奥深い意味があったとは……流石ジャパニーズ。ニンジャの国である。このようにしてニンジャの育成を日々しているのであるな」
楓の解説を斜め上理解して、レーヴェはうんうんと頷く。
言われたように。デカい図体の指先だけに全神経を集中させて、
「む、破れたのであるー……すまぬ、魚の子よ。我はお前を救うことは出来ないのであるよ。無力な我を許してくれ……」
悲痛の面差しを浮かべるレーヴェ。わりと深刻な表情だ。楓はポンポンと背中を叩きながら、自らが持っていたお椀を差し出す。
「ほら、レーヴェさん。私の金魚あげますから」
「なんと! もう2匹も救ったのか! カエデ、救世主であるな……」
「ま、朝飯前ですよー。名前は『ロリ』と『ショタ』ですかねー?」
「ふむ! なるほど、カエデ。ショタが何かは解らぬが、カエデは天才であるな!」
きらきらと楓を尊敬の眼差しで見つめるレーヴェ。その様子を眺めていたファウストは言葉を挟むかどうかを迷い、止めた。
「難しいな、こっちの金魚にする」
「ん、何? ランベ」
ついついと袖を引っ張られた楓が振り返ると変わらず真顔のランベルセと目があう。
「む、どれが食える金魚なのだ。女狐」
「だーかーらー、お腹空いてんなら、これでも食ってなさい」
口を開いたランベルセに楓は蜜柑飴を突っ込んだ。黙らせる(物理)。女子力(物理)。
――なんだその顔、褒めただろう?
ランベルセは少し不満そうに楓の瞳を眺めていた。
●
誰もが祈りを携えて、亡き人を想う夜だった。
水面に浮かび、流れる無数の灯籠達。そのひとつひとつが、哀しい色彩を孕み輝いているように見えた。
「蛍火もオツだったけど灯籠も綺麗だねー」
楓の何処かのんびりとした呟きは降りしきる追憶の空気の中に溶けてゆく。
「この間の蛍が迎え火だとすれば、こっちは送り火か」
「魂が帰るというような思想はなかったが、不思議だな」
ランベルセはちらりと楓の横顔を眺めた。灯籠を流すという人間界の風習も不思議だが、この場にいる友人の姿も些か意外だった。
てっきり、過ぎた事は顧みないタイプだと思っていたのに。
「ああ……そうだな。帰っていくんだろうな」
眞央の言葉は何処か虚空に投げかけるようだった。
生涯愛すると誓った女性はただ一人。
流れる灯籠を眺めていると思い出す。どうしても、愛した君を失って灯した祈りの。
其処に、君がいるような気がして。
(私はずっと……その世界に閉じこもっていたよ)
眞央の心の呟き。応える声はなかれど、揺らめく祈りの灯は何処か暖かい輝きを放っていた。
(……静かに、とか言わなくても大丈夫だね)
降りしきる追憶の空気の中、夢はちらりとレーヴェの表情を伺い見るが、レーヴェはじっと見つめている。
「人の世は、真に美しい。我はあの日から色々なものを見てきた……しかし、この輝きは何よりも尊く、とても哀しく見えるのであるよ」
そうして漏れたレーヴェの呟きに静かに頷きながら、夢はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「想いの灯、ですね。この川を流れる灯籠の数だけ誰かが誰かのことを想っているんです。お願い事とかじゃなくて」
「ふむ……」
「だから、こうやって手を合わせて私も小夜さんのことを想います」
神妙に頷くレーヴェは夢を真似して手を合わせて、瞳を閉じる。静かに
「私はまだ、誰か大切な人を亡くしたとか無いし死んだ人じゃないけれど、レーヴェさんの元居た世界の人達のこととか……私が願うのはちょっと違うかな」
「いや、ユメらしい。相変わらず、ユメは優しいのであるな。あの日のサヤに似ている。ユメが想うのであれば、届く気もするのである」
目を細め、懐かしそうに夢を見つめるレーヴェ。しかし、割りきらないといけないとずっと気にかかりながらも胸の奥底に仕舞い込んでいた幼い悪魔のこと。
「マオに任せておけば、大丈夫だとは思っているのだがな。彼奴を捨てた我に、何も言う資格は無いさ」
「その子のこと、今でも大切だと思いますか?」
誰のことかはなんとなく解った。その本人にこの前会ってきたばかりなのだから。夢の問いにレーヴェは静かに頷き。
「勿論、我にとっては妹のような存在であったからな」
初めて会った日のことは覚えている。親同士が付き合いだから名前を覚えていた。
自分がその名を呼んだだけなのに大層驚いた表情を見せた。とても寂しそうな瞳をしていて、家へ呼ぶようになったのは少しのお節介だったのかもしれない。
「しかし、我は自分の気持ちに嘘は吐けなかったのだ。人を犠牲にし続ける生き方ならば、我は死を選ぶ」
天魔として生きるということは、人間達を犠牲にし続ける生き方。何も知らないままで居たのなら当たり前のことだと何も感じられずに居たのかも知れない、けれど。
「それだけ強い想いもあることを彼奴が理解出来る日が来ると今は信じるしかない。もっとも……それも、逃げでしか無いのかもしれないがな」
自嘲気味に笑いながら、吐き出すように呟くレーヴェにいつもの脳天気さは見られない。
「逃げてなんかないんじゃないかな。レーヴェは逃げたんじゃなくて、選んだんだから」
話を静かに聴いていたカミーユが口を開いた。
獲物である人間を好きになってしまった時点で、悪魔としては狂い出してしまっていた。
罪を犯さなければ、せめて苦しむことはなかったのかもしれない。しかし無知であるばかりに、好きだった彼女を死なせてしまった。
そして、冥界を捨てたことで冥界側からも罪人として見られる。ひとつ何かを知識を身につける度に、彼の罪の意識は重くなっていく。
「……なんにも考えてないように見えて、度胸のある子だよね、レーヴェも」
「む、なんであるかー。我だって、それなりには考えておるのであるぞ」
カミーユの言葉に不満そうな声をあげるレーヴェ。
「しかし、その前向きさとか明るさとか、憎めない素直さとか……一応、褒め言葉なんだよ」
「とてもそうだとは聞こえないのであるよー」
まだ不満を漏らすレーヴェ。
「小夜ちゃんは幸せなのかな。きっと、小夜ちゃんだったら恨んだりは……しないんだろうなぁ」
漏れたのは楓の呟きだった。
楓は、本当にレーヴェは良い人だとは思った。純粋に愛する人の為を思えることを尊いとも思う。
彼女を死に追いやってしまった罪は消えやしないだろう。けれども、いつかは報われる日が来るのかもしれない。
(私は罪深い人間だから、地獄行きだろうけど……流れる灯にただ、誘われてみたくなるね)
また、なんだか寂しそうな様子の楓。少しだけ夢も気にかかり眺めて見るけれど、彼女はそのまま灯籠を見つめるだけだった。
皆で持ってきた灯籠を一斉に流して、手を合わせた。
天使が死んで、悪魔が死んで、そんな日常に嫌気がさして。
けれど、世界を渡ってもまだ戦いは続いていた。
(冥界にいた頃から思っていた。無駄な争いなど無くなればいい、と。──、貴様はどう思う?)
ファウストは心の中で未だに愛して止まない女性に尋ねるように呟いてみた。
彼女はなんと答えるのだろう。そうしないとあんたと会えなかったなんて言って、受け入れてしまうのだろうか。
灯籠を流したのは彼女の為。
(……悪魔の犠牲者という意味ではそう間違ってはいないだろうしな)
揺らめく炎にいつかの彼女の光り輝く金色の髪が見えた気がした。
(大丈夫、レーヴェさんは元気ですよ。沢山考えて、とても優しいです)
夢が心の中で呟いた言葉。宛てたのはかつての優しい少女だったのか、それとも父親のような慈愛の眼差しをしていた老執事だったのか。
(いつか、もう一度会わせられる世界になったらいいな……)
例え私が死んだ後の世界にそうなるとしても。
(その為に今は一生懸命頑張りますね……)
難しいことだけれど、きっと自分にも何か出来るはずと決意を深くした。
眞央は揺らめく炎を眺めながら、過去を思い出す。
(君がくれた宝物を傷付けてしまった私を、君は許してくれるだろうか)
君のいる世界から抜け出すことが出来た自分は、今度こそ君が哀しむようなことはないように。
だから、せめて。
(子ども達に残すべき、世界を守る為に戦うと誓うよ)
こんな戦いは、自分達の世代で終わらせることが出来るように。
いつか、君に再び会える日がきたのなら、胸を張れるように。どうか、見守っていて欲しいと願いを込めた。
祈るレーヴェの横顔を眺めながらカミーユはふと想う。
天魔の寿命は長い。人の10倍以上の時間を生きる。そんな時間を償い続けていくのはきっと辛いだろうから。
(これからもそっと、手を差し伸べられたら)
想うのはただ、大好きだった人達の為に。
祈るのはただ、誰も傷付かなくてもいい優しい世界。
また来年、逢いにきてください。
その時は、もっと強くなった自分を見せられると思うから。
灯籠はそれぞれの想いや祈り――誓いを乗せて静かに流れていった。