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「ねぇ、センパイ。コレ、買って欲しいなぁ」
「……仕方ねえな。ほら、貸してみろ」
シノン=ルーセントハート(
jb7062)は、きらきらとロード・グングニル(
jb5282)に上目遣いでおねだり。
手にはうさぎのちりめんマスコットがついた可愛らしいデザインの簪。
何か諦めたかの様子でロードは手を差し出して、簪を受け取りレジへと向かった。
「やったー♪」
「よかったですね!」
喜ぶシノンにぐっと桜祈はぐっと拳を握りしめて、
(何か買ってあげないと後がうるさそうだしな……そのせいで、蛍に逃げられても困るし)
ロードははぁと溜息を吐きながら財布を開いた。
ゆらゆらと、灯篭の柔らかな明かりが照らす道を、走っていた。
「止まれ、走るな危ないだろ……!」
ロードはシノンに手を引かれ、走っている。
「ふにゃっ」
慌ててふたりを追い掛ける桜祈。べしゃん、と前のめりに転び、ロードの背中へと倒れ込む。
その様子を見て、仕方無くシノンは歩調を落とした。
辿り着けば、話通りに蛍が居た。佇む人々は皆静かに光を見上げている。
「7月なのに、蛍が見えるのか」
「はいですー。実家の方でも、ちょっとお出かけしたとこで見られるのですよ」
「天花寺の実家って……」
「関西なのですよー」
山奥へ行けば7月でも蛍が見られるのです、とこくんと頷いた。
シノンと桜祈は友人同士らしい。
こそこそとやがてふたりで話し込み始めたのを切欠にロードは物陰に座り込み、愛用のハーモニカを取り出す。
蛍。知ってるバンドが謡っていたことを思い出す。
だから、というのも変かもしれないけれど。
今の光景を、曲にしてみようと思った。表現してみるのは難しいかもしれないけれど、そうして取り出したハーモニカを奏で始める。
切ない音律は、溶けてゆくように、響き渡る。
「しのんさんと、ろーどさんはずいぶん仲良しのよーに見えたのですよー?」
「えー、別に恋人じゃなくて、ただの友達だよー?」
へにゃりとシノンは笑った。桜祈はなのですかー?と首を傾げている。
「だって、私の運命の王子様の理想像とは遠いからねー」
「なるほどなのです、王子様ー?」
桜祈の言葉にシノンはこくんと頷き、いつか現れるのかなーなんてぼやきながら空を見る。
「でも、センパイのことは……好きだよ♪」
「えへへー、仲良しなのは良いことなのですね。そーいえば、ろーどさんの姿が見えないのですが……」
「また、物陰ででも楽器弄ってるんじゃないかな。ほら、あの辺」
シノンが何気なく指差した方向に、まさに
「ねー、せんぱーい。こっちー。出てきてこっちで」
「大声を出すな。蛍が逃げたらどうする」
やれやれといった風勢でロードは出てきた。
「……蛍が、遠くへ飛んでいくまで、静かに見届けようか」
光の先を、じっと眺めていた。
●
「暗いですから、足元に注意してくださいね」
「……あっ、はいっ」
繋いだ手のぬくもり。手のひら越しに伝わる柔らかな互いの温度を感じながら鈴木千早(
ja0203)と苑邑花月(
ja0830)は進んでいく。
蛍は強い光を嫌う。
辺り一面の街灯は消され、。夜目は効くものの暗いことに変わりはない。
千早は花月を気遣い彼女の歩幅に合わせるが、花月もまた千早に合わせようとして少しだけ歩調が早くなる。
「慌てなくてもいいですよ。ゆっくり行きましょう」
「……ありがと、ございます」
そのことに気付いた千早が一旦立ち止まって、やや愛想笑い。頷いた花月は噛み締めるように一歩一歩進んでいった。
沢の水音が耳に届く。近付くに連れて大きくなる音とともに、ちらりちらりと蛍の数もまた増えてゆく。
「蛍の光は綺麗で、儚いですね……ほんの1、2週間しかない命。儚い分、その光は強く、心を打ちますね」
「はい……」
足を止めて、翳すように手のひらを空へと向ける千早。その横顔を、半歩後ろから花月は見ていた。
千早さんとこうしてふたりきり。一緒に居られることは、本当に幸せなこと。憧れていた光景。
(けれど……手が、届きそうで、届かない。蛍の光のような、千早さん)
すぐ傍に居るはずなのに、何故か凄く遠くのように感じて縋るように花月の手に力を籠もる。
「……花月さん」
だから、丁度間も良く振り返った彼に、花月は驚いてしまう。彼の蒼穹のような瞳は、真っ直ぐと自分を捕らえて放さない。
「これからも……いえ、これからずっと、一緒に居て下さいませんか?」
「ず、っと……一緒に? あ、あの……千早さ、ん……それって……」
千早の言葉の意味を、少し考えてみた。思考。理解。同時に花月の頬は紅く染まった。
気付けば、手は暖かい。彼は、いつもしているはずの手袋を外していた。そのことが示す意味を。真っ直ぐな彼の思いを。
「……その、花月、こそ……ですわ」
受け取って花月は微笑んだ。
暫く空を見ていた。天の川を挟んで織姫と彦星が精一杯燦めいている。互いを求め合うように。
(彼らのように一年に一度しか逢えない……そんなことはなくて、よかったと思います)
逢おうと思えば逢える。この距離が幸いであることを千早は知っている。そうして、ふと笹舟に願いを託して流そう、だなんて思い付いて、沢に小舟を浮かべる。
「花月さんは、何を願いますか?」
「願い、ですか? 秘密、です」
そっと微笑む花月。千早も返すように微笑んだ。
ずっと、一緒に居られますように。
ずっと、護り続けられますように。
ずっと、あなたが輝きを失いませんように。
願う心は、星だけが知っている。
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決して彼でなくてもよかったのだ。
お祭りにひとりきりだなんて、格好がつかない。誰かと一緒ならそれでいいだけなのだ。
(エスコート役として彼を誘っただけですの。別に英さんでなくてもいいんですからね……)
まぁ、来てくれるのならば嬉しいのだけれど。紫陽花柄の浴衣に身を包んだ紅華院麗菜(
ja1132)は、何処か落ち着かない様子で待ち合わせ場所に突っ立っていた。
現在、約束の時間の30分前。これは礼儀を護っているだけで、決して待ち合わせを楽しみにしているわけではないのだ。
そんな誰に対するかもよく解らない言い訳を心の中でぼやいて、暫く待つ。
人の往来を数えるのにも飽きた頃、漸く濃紺色の浴衣を身に纏った英 御郁(
ja0510)の姿を見付けて、振り掛けた手を慌てて下ろした。
べ、別に嬉しかったわけじゃない。いや、まぁ、ちょっとだけ嬉しかったのは認める。
誤魔化すように、麗菜はきりっと済まして言い放つ。
「私に待たせるとはどういうつもりなんですか?」
「はいはい、そうむくれんな。蛍が剣幕で逃げちまうぜ?」
だけれど、それが好意故の言動だと理解している御郁は笑って受け流す。ついでに、さりげなくほっぺもむにむに。
嬉しい。その感情が決して御郁の気のせいではないことはしっかりと示されている。麗菜の口元には隠せない嬉しさがこみ上げてほんのりと笑みが浮かんでいたのだから。
「……別に、英さんでなくても良かったのですわ」
「けど、誘って貰えて嬉しい」
なんて言いながら麗菜はちらりと御郁を見上げてみる。
こうして、寮の外で眺める彼の姿は何か、格好良く見える気がしないでもないような。
「こ、こうやって一緒に歩くことを許可してあげるのですからね」
「有難き幸せ、なーんてな」
「何ですのっ」
軽口を叩き合いながら、夜の道を歩く。人の往来は少なくはないが、不思議と静かに感じる。
まるで、互いの音しか聞こえないような空気の中。沢へと辿り着いた」
「蛍が見られる場所があるなんてな……綺麗なもんだ」
「この美しい風景を眺められたの私のお陰よ、感謝しなさい!」
「ああ」
麗菜の言葉に頷いた御郁はしかし、視線を蛍ではなく麗菜に向けた。
「……麗菜もな?」
「え、えっと……」
隠さないド直球の褒め言葉に、麗菜は正直どのような表情を浮かべていいのか迷ってしまう。
「ほたるも飽きたんで一緒に甘味食べに行くわよ!」
「はいはい。好きなもん選んでいーぜ、お姫様」
照れを隠そうと必死な麗菜に手をひかれて、ふたりは沢を後にした。
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「……誘ってくださって、有難う御座います」
「いや、こっちこそ」
夜の小路を歩くフィーネ・アイオーン(
jb5665)とロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)の間に交わされる言葉は少ない。
「蛍……綺麗っすね。昔の俺なら何の感慨もなく通り過ぎてたと思いますが」
まるで、夜の静寂に言葉が呑み込まれてしまうようだ。しかし、その暗闇に抗う。
蛍のか弱い灯りに照らされるフィーネの横顔。何よりも美しく感じながら、ロドルフォは勇気を出して言葉を紡ぐ。
そうだ、今日彼女を誘ったのはこの為。
伝えなければいけない言葉と、思いと。向き合わなければならない己の弱さと、醜さと。
だから、覚悟を決める。
「俺、お嬢に言わなくちゃなんねえことがあるんです」
「……何ですの?」
フィーネが振り向く。ロドルフォは自らを奮い立たせるように
「話、聞いて貰えますか?」
そして。
「最初に会った時の事……覚えてますか?」
語り出したのは、ほんの昔話。
命辛々に逃げ出してきた名もなき下っ端天使と、偶々最前線に視察に来ていた癒し手の天使。
本来ならば、斬り捨てられていたであろう命。だけれど、救いあげたのは。
それさえなければ『13番目』は、既に果てていたはずで。
「でもね、お嬢……俺は、愚かにもアンタを恨みました」
気付かなければよかった。気付きたくはなかった。
痛い、苦しい。そんな感情。自らが憐れで可哀想な――そんな、弱くて愚かな自分に。
フィーネは言葉を失って、ただロドルフォを見つめていた。
そんな風に思っていたなんて――動揺が隠しきれない。
「俺がお嬢を追っ掛けて堕ちたのは……」
全く格好いいことではなかった。声が震える。見せたくはない。けれど、見せなくてはいけない。
「アンタが無造作にその手で掬い上げた命を……アンタの目の前で突っ返してやりたかったから、だったんです……」
けれど、並び立つ為には必要なのだ。
堕天して、様々な人に出会った。
天界では絶対に手に入らなかった物を貰い、経験して、そうして――やっと。
「あの時のお嬢に、感謝を抱けるようになった」
彼女はただ黙って聞いている。彼はそっと目を伏せた。
「……幻滅しましたか? それも、当然だと思います」
こんな醜い自分を、受け入れろなんて我が侭過ぎるのかもしれない。
今だって、気持ちを押し付けているだけなのかもしれない。けれど。
「でも……もし、許されるなら」
握り絞める拳に力が籠もる。
「フィーネ、俺を貴女の隣に居させては貰えないでしょうか?」
精一杯の告白だった。懸命に想いを伝えた。
「……少し、考えさせてください」
それに対して、フィーネは絞り出すように俯いて答えた。
人を救いたい。そのことだけを考えて生きてきたのに、もっとも身近に居た人の心を救えてはいなかった。
何が、人を救う術なんだろう。
彼に幻滅などするはずがない。
それよりも余程気が付かなかった自分に腹が立つ。
(だから、即答は出来ませんわ……)
再び沈黙が降りる夜。生温い風が頬を撫でた。
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「星を……見にいきませんか?」
ぽつりと呟かれた誘いをインレ(
jb3056)に投げかけたのはViena・S・Tola(
jb2720)。
ヴィエナにしては少し意外な誘いだった。だけれど、インレは頷いて
満天の海の下。ゆらゆらと漂うように星彩が瞬いている。
「ほう、見事なものだ」
「ええ……」
インレの呟きに、ヴィエナは物静かに頷く。
「昔は、闇が今より濃かった時代はこれくらい見えるのが当たり前だったものだ……少しばかり、懐かしいのう」
ぼんやりと呟かれたその言葉に、ヴィエナの応えはない。ふと、インレが彼女の横顔を眺めてみると何か物思いに沈んだ様子を見せていた。
暫く様子を眺めてみるが、返る言葉はなくインレは口を開く。
「……何か、話したいことがあるのか? いや、ヴィエナは滅多に己から誘ったりはせんからな」
「……誘ったのは、迷惑を掛けたお詫び……肺に穴が開き、きちんとお礼を言えませんでしたので……」
ヴィエナの言葉にインレは頷く。彼女の言っていることは以前の依頼でのことだった。
それは理解出来た。だけれど、本当にそれだけ?と訊ねたそうにインレの深い色の瞳が揺れた。
「その他には、特に何も……何か、ともに見たい理由がなければいけませんか?」
「いや、いいよ。わしも美しいモノを見ながら共に過ごせることは嬉しいものだからのう」
インレは手を翳してみた。漂うようにあちらこちらへと揺れていた蛍が一匹止まって、インレの手の中で小さな光を立てた。
「インレこそ……わたくしに何か、聞きたいことがあるのでは……?」
死んだ例の使徒のことなど。ヴィエナの言葉の先は音にせずともインレに伝わった。
「……そうだのう、色々と思うところはあるが」
そうして、インレは静かに語り出す。
ヴィエナは愛おしく思う存在だ。当然心配もするし、何故、そのような無茶をしたのかと訊ねたくもなるけれど。
「だが、まあ、特に言うことはないよ。その無茶をするだけの理由が、おぬしにはあったのだろうしな」
そんなインレの言葉に、ヴィエナは瞳を閉じて使徒の顔を思い浮かべながら、詠うように語り出す。
「……私は、祈っていたのです」
死という終ではなく、別の生を歩み続いて欲しかった。
何処か、自分とあの使徒は似ていたのだ。
けれど、生まれながらに人間であった彼と悪魔の自分とは違い、幸せな道も選べたはずだったのだ。
だから、そうして。その幸せが叶わずとも、願われずとも。
「せめて、望んだ道へと向かえますように……と」
「少し、妬くな」
インレのぼそりとした呟きに、ヴィエナは少しだけ首を傾げた。
「妬いた、とは……? 一体、どういうことですか……?」
「おぬしに、それだけの無茶をさせる理由を作った、その使徒にな」
インレは月を見上げる。ぽっかりと夜空に穿ったように冴ゆる月。その月に手が届いたら――なんて、詮無いことも考える。
「出来れば、そういった無茶は止めて欲しいと思うが……わしも人の」
けれど、悲しいことにインレの手は余りにも足りない。尊きものと、愛しいものへと伸ばすので精一杯だ。
だから、インレはヴィエナをそっと抱き寄せた。伝わる温度。しかし、ヴィエナは目を伏せる。
「……わたくしからは、何も言うことはありません」
「若人に無茶をさせるわけには行かん。しかし、何……独りで無茶をしようとはもう思っておらんよ」
一呼吸。そうして、笑みを深くする。
「それに、おぬしの所に帰らねばならんしな」
そうして、月の光を浴びて静かに微笑むインレ。だけれど、ヴィエナは瞳を伏せたまま思うのだ。
生きてこそ、意味がある。か細い夜の光に照らされたインレの顔は、変わらず静かな笑みを浮かべていた。