葉擦れの音が不気味な程に響き渡る。頬撫でる山中の空気はひやりと冷たく、心を凍らせるようだった。
光さえ届かなさそうな深き森。しかし、撃退士達は躊躇うことなく只管突き進む。
「言うなれば、譲れないもの同士の戦い……ということだろうか」
「む?」
狩野 峰雪(
ja0345)の呟きに、微かに首を傾げたのは緋色の髪が目を引くロード・グングニル(
jb5282)だった。
「我々は増援をリネリアと戦っている仲間の元へ届けなければならない。しかし、少年はリネリアを守る為に我々を阻止せねばならない」
それらは互いに譲れず、混じり合うことは無いことだ。究極の対角線。
峰雪の言葉にロードは頷いた。守りたいものがある。ただ、その一点だけは天使も人間もきっと変わらないのだろう。
その言葉に、ロードも頷く。
「敵でも、護りたいものはあるんだよな……だからって、敵に情けを掛けるつもりも無いぜ」
「はい。人の絆の力、見せてあげましょうー」
澄野・絣(
ja1044)も頷き、休むことなく歩を進める。
「あれ、か」
ロードの言葉に皆が前を向く。いよいよ見えてきた。紫髪の少年天使と、岩亀のような外見の上位サーバント。少年の風貌は未だ中学生くらいだろうか。
そして、なんだか青鹿 うみ(
ja1298)にとっては見覚えのあるもの。
(あれって……リネリアさんのサーバントですよね)
幾度か相対した天使リネリアのサーバントに酷似していた。そして、彼女のものなのだという不思議な確信がある。
大切にしている彼女のサーバントを、傷付けるのは心が痛む。しかし、それよりもまた彼女のサーバントと戦えることが楽しみで。意を決し、踏み出したうみが、口を開く。
「お名前はなんですかっ?」
「リュクス、といいます。姓はありません」
うみの問いにリュクスは答えた。
「あの、亀さんの方も教えていただけると……」
沈黙。五秒。そして、気付いたリュクスが慌てて頭を下げる。曲がりそうな程に。
「僕の考えが至らず申し訳ありません! そうですよね、僕などのではなく、リネリア様が大切にされているサーバントの名を知りたいのですよね。当たり前ですよねっ!」
「え、あ……いえっ! リュクスさんの名前を知りたくなかったとかそんなんじゃないですから!」
天使は、超低姿勢だった。何だか逆にうみまで焦ってしまう。だけれど、リュクスは深呼吸。気分を落ち着かせて再び口を開いた。
「ウーくん、というそうです」
「ウーくんですか、可愛い名前だ。由来をお聞きしても?」
「あ、いえっ! 僕が付けたわけではありませんから……」
幸広 瑛理(
jb7150)の問いに、解りませんと素直に答えるリュクス。
どうやら、借りているに過ぎないらしいサーバント。気を取り直して、リュクスは問う。
「あなた方は撃退士ですよね。此方としても、なるべく手荒な真似はしたくはないので退いて下さると助かるのですが」
「しかし、こっちも譲れないものはあるんだ。お互いが譲れないもののために戦う」
たった、それだけのこと。峰雪の言葉。
「これは、随分と気合の入った少年剣士ですね。此方も、気合を入れていかなければ――どうぞ、お手柔らかに」
瑛理も皆も頷き、武器を執る。
それでも、戦う。
生きる為、守りたいものの為に、譲れないものの為に。誇りと、信念を抱いて。
矜持を胸に――戦いの火蓋が切って落とされた。
●
(獲物は同じ、相手にとって不足なし……と言いたい所だけど)
ケイ・フレイザー(
jb6707)の言葉の双剣を握る手に力が籠もる。此度の相手は天使。其れも騎士団と呼ばれるエリート集団の一員。
見習いの立場だろうが、その力量は決して軽視は出来ないだろう。
しかし、それで退くことは無い。ニィとケイの口角が上がる。逆に、燃え上がるような気持ちの高ぶり。
「天使サマと同じ獲物とは光栄だ! その腕見せてくれよ!」
風を纏うケイが選んだのは、真正面。盾など持たず、双剣のみで挑んでいった。
同時に左右に展開する仲間達。駆けながら、和弓を構えた絣はケイの背を押すように援護射撃を放つ。リュクスは防ぐが、しかし、それが狙い。
絣の攻撃で出来たほんの少しの隙。逃さず、双剣を振るったケイは、叫んだ。
「思う存分遊んでくれよ!」
一方、影野 恭弥(
ja0018)は仲間達との戦闘が始まって直ぐにひとり離れた木々の影に身を隠している。
身を潜めながら背後に回るのは少し時間が掛かった。遠くに聞こえる戦闘の音。
金色の瞳で、天使の姿を認め標的とする。ライフルに持ち替え構えた恭弥の髪が黒色に染まって行く。その表情に迷いもない。
皆の素早い行動を眺め、瑛理は思わず少し感心する。
(仕事慣れした方が多いですね、今回も勉強させて頂きましょう)
瑛理が鎌を振るう。意識を刈り取る一撃。玄武の動きを止めた。その隙に峰雪が、素早く弾丸を撃ち込む。ロードは祝詞を口ずさみながら、前を向くと意識を取り戻した玄武が甲羅に身を隠し、ロードと瑛理に襲い掛かる。
汗が滲みながらも、なんとか三人で玄武を押さえ込んでいた。
「大将首が1人でのこのこ出てきてくれたんだ、こんな絶好の機会逃すわけがないだろ?」
ケイの言葉に心なしかリュクスの一撃は重くなる。
それにさ。
「見えてるだけがオレ達の全てじゃないぜ?」
予兆めいたケイの言葉。リュクスがその意味を理解するよりも早く飛来したのは恭弥が放った弾丸。
幹を掠り、葉を貫く。一撃。リュクスの鳩尾に命中する。しかし、天使は顔色を変えない。
「まず一発か……」
確かに命中したのを確認した恭弥。しかし、顔色を変えず。武器を持ち替えて、更に距離を詰めようとした時だった。
「ええ、ですからっ!」
「擦り抜けている……しまった、阻霊符か!」
切羽詰まった声は峰雪のものだった。弾かれたように皆の視線がリュクスの方向に集まる。
鳩尾に傷を受けながらも、リュクスは退く様子はなかった。
恭弥の一弾は、大きな一撃。そして、隠れているという事実。足止め目的にとって、このまま潜んだままリネリアのもとへ行かれでもしたら溜まったものではない――そう、断定したのだろう。
しかし、障害物となる木々が遮る山中。擦り抜け移動する天使に追いつけず、そして。
声をあげる間も無かった。
リュクスの刃が恭弥を襲う。防御も何もかも捨てた天使の一撃は恭弥の身。鮮血が噴き出す。
そして、そのまま、倒れ伏した。
「行かせないよ」
「こっちだって別に、軽い気持ちで戦ってるわけじゃないんだ」
峰雪は玄武の足を目掛けて発砲する。玄武の速度が緩む。
すぐさま玄武の正面へと回り込んだロードはワイヤーを握り操る。ひゅん、と甲高い風切り音を立てて、玄武に絡む鋼糸は鮮血を撒き散らして玄武の頭を絡め取った。
続けざまに瑛理の一撃が襲う。アウルの蝶が飛ぶ。ともすれば、幻想的な光景。
「これで、分断は出来た……ということかな」
峰雪の呟き。リュクスが恭弥を攻撃し、移動した。其れが、玄武とリュクスを分断させる切欠にもなった。
味方の護りを強化する効果は働いているものの、あの距離では天使を庇うことは出来ないだろう。
「玄武はとにかく固そうだと思ったけれど、流石に目をやられては、その痛みも耐えきれないのではないかな」
峰雪は、駆ける。木々に身を潜めながら様子を伺う。奇襲のタイミング。
双頭獣の名を冠する銃を握った。そして、瑛理の一撃で隙を見せた瞬間を狙い素早い銃弾を浴びせた。動きを止めた玄武の片目に命中する。
「柔らかいし、視界を奪える……狙いはうまく言ったようだね」
峰雪の銃弾を受けたサーバント。痛みに悶え苦しむ玄武は石化の黒い煙を吐く。
「護る為に、こっちも退けないんでな!」
襲い掛かる黒煙にロードは四神結界を展開する。四神の加護は三人を護る。気力で石化を耐えきった。
互いが振るいあう力は互いの身に真新しい傷を刻む。
「もうあんたの御主人サマのとこに着いた奴らも居るかもな! さっさとしねえと手柄獲られちまう」
ケイの言葉に対して、リュクスは思い一撃を返す。舞い狂うふたつの剣閃。銀の一閃を空中に刻み、微かな残光を描く。
ケイの軽やかな風の切っ先。反するリュクスの剣閃は一撃一撃が重たい。弾き、いなすが互いに互いを完全に防ぎ切れている様子はなかた。ケイの顔に汗が滲むが、しかし余裕ある表情を崩さない。
「アンタの御主人サマ、本調子でもないのに単独で出てきてくれたんだろ」
ケイの問いにリュクスの返答はない。無言の肯定。
「這い蹲らせたら気持ちいいだろうな」
その言葉にリュクスの眉が不快そうに歪められた。
「僕がさせませんから!」
「何を根拠にそんなこと断言出来るのか、」
「貴方こそ、どうしてそんなことが言えるのです。貴方には、どんな覚悟や根拠を持ってそのようなことを言えるのですか!」
鉄がぶつかりあう音が響く。火花が散る。リュクスの問いかけにケイが返すのはただ変わらない薄ら笑いで。
言葉が返ってこないのを確認したリュクスは、続けざまに言葉を浴びせかける。
「僕は、その為ならば、命さえ棄てられます。貴方には、それだけの覚悟があると?」
「面白い。俺、そういうの大っ嫌いだ」
ケイの表情に焦りは微塵も無かった。口角を釣り上げて、ニヤリと笑う。
リュクスは何、といった表情を浮かべていた。
「貴方は――矜持も、覚悟も無いのですか!」
「あんたがご主人サマの為に命を棄てられるのが矜持であるのなら、自由であることが俺の矜持。何かに縛られ生きるのは真っ平ごめんだな!」
強い言葉とともに振るわれたケイの片剣。それを、片剣で受け止めたリュクス。ケイが強く薙げば、ふたりの剣が弾き飛ばされていった。
続けざまに片剣で相手を斬りつけようとする。それも互いに受け止めあい、鍔迫り合いで押し合う。
「絆、見せますよー」
硬直しているふたりに投げかけられた何処か間の抜けた言葉。和弓を構えた絣が、其処に居た。
「……糸の半分で絆。ひとりでは紡げぬ糸だから」
うみは前を向く。放つのは、冥界の鳥の羽のような絆の一撃。瞳や言葉を交わさずとも、通い合う想い達。
「絣という文字は糸を併せると書きます。絆の糸を併せた私たちの一撃、受け切れますかー?」
絣が放つ一矢。其れは光射の雨となって、うみの冥羽と混じり合う。確実な一矢。いや、二矢。日月の双弓は確実の身に傷を付ける。ゆらりとリュクスが揺らぐ。
しかし、天使は刃を握り直ぐさまに双剣を振り薙ぎケイとうみを巻き混む一撃。
天使を前衛で抑えていたふたり。ケイもうみは今にも倒れそうだ。しかし、それを気力だけで乗り切っている。
そんな友人の姿。気付けば、絣は和弓を投げ捨てて、駆けていた。うみの目の前に立ち、両手を一杯に広げ――天使の攻撃から友人を守った。
「絣さん?!」
ケイと絣が倒れる。その光景には天使すら驚いた眼差しをしていて。
「……ご無事、でしたかー」
絣はよろつく意志でうみの安否を確認しようとして、そのまま意識を手放した。
――残りの撃退士戦力は、4人。
玄武の身を瑛理の妖蝶が襲う。サーバントの意識を混濁とさせ、その隙を峰雪が銃撃を撃ち込む。
後、もう一歩。しかし、それよりも味方の疲弊が強く、瑛理の額に焦りが滲む。
欠けた戦力は、確実に響いていた。幾度の攻撃の応酬。天使やサーバントの身にも傷が刻まれていたが押されていたは、明らかに撃退士側だった。
このままでは――瑛理の瞳に、大怪我を負い倒れた仲間達が映る。
「少年、僕らと戦う理由は?」
「それが、僕の使命です。主を守り、意志に殉ずるのが騎士道であり、僕の信じる全てです。理由も理屈も理想もありません」
瑛理の問い。翡翠色の瞳に、光が宿る。其れは恋や憧れではなく唯々単純な――。
(献身、なのかな)
違う。うみは絣を介抱しながらリュクスの眼差しを見た。真剣な眼差し。しかし、必死すぎるようにも見える。
それは、ただの自己犠牲にも見えて。
「そうですか……その真っ直ぐさは僕には無いものですね。どうぞ、そのままの貴方で」
少年のただ想う志しに瑛理は微笑み答えた。そして。
「では、君の尊敬する人の所へ行かせないだけなら引くと約束します」
「僕も、貴方がたが退いて下さるのであれば戦う理由はありません」
瑛理の言葉に、確かに反応を返すリュクス。しかし、此処から先はなんとしても通せません。あどけなさを残す顔立ちに真剣な色を宿し、撃退士達を見つめている。
「まー、何かの物語っぽく、大切な人が居るから戦うとかって理由はねーんだけど、でも一緒の世界に住む人達を護らないつもりはない。だから、俺は戦ってる」
これまでも、何気ない平凡な日常を過ごしてきた。そして、これからもそんな何気ない日常を護ってゆけるように。
「なぁ、ひとつ訊かせてくれ。お前は何で、戦うんだ。いや、そりゃ騎士だからだろうけど……それよりも、其程に一生懸命になってお前が護りたいものは何だ」
「……それは、勿論」
問いかけたロードの若葉色の瞳を見つめ、言葉を止めた天使。
「ねぇ、貴方にとって、リネリアさんは、ただの主人なんですか? リュクスさんが、凄く一生懸命なように見えたのでっ」
「それは……リネリア様が居なければ、今頃僕は……。だから、僕は」
うみの言葉に、口を開きかけたリュクス。しかし、首を振る。今はそんなことはどうでもいい。そんなことを言ってどうするのだ。もう、個人的な感情を抱いては駄目だと解っているのに。
「すみません。なんでもありません。騎士として護るべきものは護る。それだけのことですよ」
だから、リュクスは微笑む。翠玉色の瞳は何処か哀しげだった。
●
重体者を抱えて、山を下る。
突破は出来なかった。しかし、天使を撤退させることは出来た。
空も見えない深い森の中、時の流れを感じることも出来ないが未だ暗くないからきっと日は暮れていない。
「ごめん、ね」
「……いいえー。うみさんが、無事でよかった、ですー」
日が暮れる前に山を下らねば。足を急いでいたうみは、背負った絣に声をかけた。
絣の姿は、背負い歩くうみには見えない。だけれど、返答とともに首を振った。いつも通りの友人で。
「……次は、絶対、私が護りますからっ」
きっと、いつかは守れるように強くなるから。冷たい山中の風はふたりを撫でるように吹き抜けていった。