まるで、星が零れてきそうだった。
濃紺色の宵空。少しだけ潮の香りを含んだ風は頬を撫でて吹き抜けてゆく。
塗りたくられたように一面に広がる澄んだ濃紺色。散りばめられた星屑は、今にも夜空から溢れ、滴り墜ちてきそうな程に感じる。
「わぁ……」
漏れたのはユウ・ターナー(
jb5471)の声だった。
夜空のような色の瞳に沢山の星を映したユウは両腕を広げ、くるりと一回転。ふわりと金色の髪が夜の空気に踊った。
「凄いお星さまなのっ! ユウ、こんなに凄い数のお星さまを見たの、初めて☆」
「にーにー、お星様見ますにー♪」
ユウに続くように、大きな星座図鑑を抱えた輪廻(
jb9848)も駆けだしはしゃぎまわる。
「転ばないように気をつけて下さいね」
鷹司 律(
jb0791)の呼びかけに、ふたりは振り返ってただ手を振った。
「けれど、はしゃぎたがる気持ちも解らないでもないよ」
ダニエル・クラプトン(
jb8412)は、空に視線を向けた。
都会では見ることが無窮の煌めきが、空一面に広がっていた。
「私が生まれた頃は、灯りも少なく、今ほど建物も高くなかった。故に、星は常にそこにあるもので、美しいと感じることもなかったな……」
時代が経つにつれて、星空は段々と狭くなっていった。星空なんて気にすることもなく。ダニエルは、視線の先の
「だけれど、今見上げてみればこんなにも美しい……そう、気付かせてくれた子ども達には」
「ああ、故郷の星空と比べても遜色ないな、此処は」
「こうした自然のある島からなら、よく見えていいね」
千葉 真一(
ja0070)は頷く。その緋山 悠嗣(
jb5462)も同じようにソラを見上げた。
「こうして星をゆっくり見られるってのはいいもんだ」
決して安心して暮らせるとは言えない現状だからこそ、余計にのんびりとした時間が貴重に感じる。真一は、大きく息を吸う。
「……とても、いい所だよ……ね」
酒守 夜ヱ香(
jb6073)は、空を仰ぐ。
海から潮の香りを孕み流れくる風は、まるで宇宙から吹き抜けてきた風のよう。
「うん。学園と風が違う気がするな」
夜ヱ香に志塚 景文(
jb8652)は頷き、彼女の横顔を見た。そして、思わず言葉を失う。
潮風に揺られる闇に浸し染めたかのように艶やかな黒髪。白磁の肌は凄く、柔らかいのだろう。澄んだ黒瞳だって、細やかな星の輝きを映して、まるで小さな星空のようだった。
正直――すごく、可愛い。景文の胸は、経験のない高鳴りを覚えた。
「ミナト君と……ジュン君だよな? 素敵なパーティを企画してくれて有難う」
「えへー、げきたいしのおにーさん! ひーろーさん!」
思わず誤魔化すように、視線を子ども達の方へと逸らした景文。向けられたその視線にミナトは満面の笑みで答えた。
あれから四ヵ月。久しぶりに会った兄弟は前とは見違えるように明るい表情を浮かべている。
「ふたりとも、元気みたいで良かったです」
「あ、すなおちゃんだー!」
そんな様子に穂積 直(
jb8422)は、そっと息を吐きながら微笑みかけた。
呼びかけにぱっと興味を持って行かれたミナトは両手広げて直に抱き着く。
慌てて直は受け止めた直は驚きつつも、思わず微笑んだ。
「おい、こらミナト!」
「大丈夫! 元気そうで何よりって思っていたから」
慌てて追い掛けてきたジュンに、直は笑顔で答える。
ジュンは容赦無く叱ってくれても構わないのにとでも言いたげに不服そうな表情をしていた。
「久しぶり。今日は来て貰ってよかった」
「ああ、久しぶりだな。元気そうで何よりだよ。下の弟達と似通った年齢だったから、ずっと、気にかかっていたしな……しかし」
その傍ら、声を変えた音羽 紫苑(
ja0327)は、少し顎に手を当てて、考え口を開く。
「でも確か、君達一家は避難所生活じゃ……」
「ああ、未だ中種子町の避難所で暮らしてる。だからこんな場所で、簡単な物しか用意出来なかったんだけど……とーさんとかーさんも、ずっとお礼が言いたかったようだしさ」
それでも、元気に暮らしているということを伝えたかった。例え、故郷の南種子町をとられていても心までは屈しないという地元一般人のある種の意地だ。
それに、悪魔とヴァニタスが撃退士を人質に取る事件を起こしたとも聞いた。天使を引き摺りだす為に、サーバントが闊歩する南種子町にも乗り込んだとも聞いた。
自分達には想像出来ないくらいの危険な任務。この種子島だけではなく、世界中で天魔という脅威と戦っている撃退士達に何かをしたくて、何かを返したくて。
「ま、リフレッシュもイイかもしれないね。折角の機会なんだし、楽しませて貰うよ」
上手い酒でもあればサイコーなんだけどさ。そんな内心を己の内に秘めるのは長田・E・勇太(
jb9116)。
「ああ……お礼ってことになってるが、どちらかというと俺は子供達に楽しんでもらいたい、かな」
「あ、でもいやっ! いつも撃退士ののみんなには世話になってるし、本当にお礼したいから!」
和泉 大和(
jb9075)の言葉にジュンは少し慌てた様子をみせるけれど、大和はぽふりとジュンの頭に手をおいた。
「じゃあ、互いに楽しむということで。こういうことは全員楽しむべきことだ」
「にゃははー、楽しみですにゃーん!」
両手いっぱいのビニール袋を手に小躍りをするのは、真珠・ホワイトオデット(
jb9318)。
「あー。ところで、凄い手荷物のようだが……」
「すーぱーってなんでも売ってたにゃん! すごいにゃん!」
一体何を持ってるんだ――そう、真珠に訊ねようとしたロード・グングニル(
jb5282)の言葉を遮り、真珠は誇らしげに袋を開いた。
サンドイッチに、ジュース。フライドポテトに、エビフライやウインナー。
そして、何故か、ツナ缶まで。
「そうだな……それだったら、お好みサンドにでも作るか」
「そうだね、お好みサンドなら個人で好きなもの食べれるし」
音羽 聖歌(
jb5486)の呟きに神谷 託人(
jb5589)は頷く。
パーティーメニューならば野菜類が不足がちになるだろうと考えて、聖歌は持ち込んだ袋から用意してきたパンや、野菜達を手際よく並べていった。
「ユウもね、お手製のお菓子作ってきたの! お星様の形をしたクッキーと、苺のパイだよっ☆」
「俺も、パンケーキを作ってきたんだ」
「僕も、お母さん直伝の唐揚げ作ってきたんです」
ユウ、大和、直も続くようにそれぞれ机の上に、それぞれ置いていく。
「私も、お呼ばれの立場ですしチョコレートを差し入れようかなって持ってきたんですよー」
「……飲み物持ってきた」
シャロン・エンフィールド(
jb9057)は、手作りのチョコレートをミナトへ手渡す。満面の笑みで礼を言う
一方、佐々部 万碧(
jb8894)はジュンにペットボトルが入った袋を何処か押しつけるように渡す。
そうして、次々と追加されていく料理、手土産、差し入れの数々。気付けば机や子ども達の手の中には、沢山のもので溢れていた。
「みんな考えることは一緒だった……ということですね」
「わーい、食べ物いっぱいですにゃーん!」
律は微笑みながら並べられた料理達を食べやすく並び替えていけば、いただきますも無しに瞳を輝かせた真珠がクッキーを掴んで口へと放り込んだ。真珠は満面の笑みだ。
「真珠ちゃん、よっぽどお腹減ってたんだね。さ、みんな食べよ食べよー!」
ユウが微笑ましく手を叩き促す。真珠は遠慮無く料理を次から次へと口へ放り込んでいった。
●
「のわぁ! 手、手、手ェーーーっ!!」
一方その頃、剣崎・仁(
jb9224)は、慌てていた。
彼は夜道を駆けていた。というよりは、手を引っ張られ、そうせざるを得ない状況だった。
「のわぁ! ではないのじゃ! もっと、静かな所で視るのじゃ!」
彼の手を引っ張り急かす張本人――アヴニール(
jb8821)は、仁を軽く叱咤しどんどんと夜道を駆ける。
静かな所で見たいと願うのはいいだろう。しかし――。
「ど、何処まで行くんだ……」
「もっと綺麗に見えるとこじゃ!」
正直、女性免疫力なんて無い仁。手をひかれ駆けているなんて状況。その慌ては宵闇に遮られて、きっとアヴニールには欠片も見えないだろう。
夜の静けさを壊しながら進み続けた。歩を進め続け漸くアヴニールが満足する場所を見付けたのは、元居た場所からだいぶ離れた岬。
「まるで、星が落ちてきそうじゃ。仁の部室のぷらねたりうむも綺麗じゃが、本物も綺麗じゃな」
「ああ、星空がこんな綺麗に見える場所なんて今じゃ、稀少だからな」
今まで見過ごすばかりだった星。こうしてまじまじと眺めることなんてなかった。
思わず目を奪われてしまう程に美しい星が見られるこの場に居られることは幸せなのかもしれない。そう、思う心は仁もアヴニールも同じ。
「……のう、仁」
しんみりと呟かれたその声に、仁はアヴニールを眺めた。
アヴニールの星空を眺めるその視線はとても真剣で、そして星空以上に遠くを眺めているようなもの。そして、少しだけ寂しそうで。
「他の場所でもこの様に星は瞬いておるかのう?」
「ん? 他の場所、か……そうだな、街の明るさで見えないが、ちゃんと輝いている。いつだって、何処にだって、星はちゃんと其処にあるんだ」
「そうじゃの……彼らの上にも、この星空があるといいのじゃ」
アヴニールは、先程までの寂しそうな表情をぬぐい取るようにころりと明るく笑う。
「そういえば、流れ星というものがあるときいたのじゃが……」
もし、願うとするならば、我は家族の無事を祈るのじゃ。無邪気な笑顔のままで、アヴニールは訊ねた。
「仁は願うなら何を願うのかの?」
「……俺は」
何を願うかなんて、考えたこともなかった。
アヴニールの問いに、仁は暫く答えを返せないままでいた。
●
「……よし、私なりに、みんなを笑顔にして見せます!」
その頃のパーティー会場では、大きなキャンディをあしらったようなアイドル衣装に身を包んだ指宿 瑠璃(
jb5401)がぐっと両手を握りしめ気合いを入れていた。
「アイドルライブ楽しみだにー! 初めて見るのー!」
「あいどるー?」
輪廻の言葉にきょとりと首を傾げるミナト。
「えぇーっと……歌ったり踊ったりする人達のことだよ、ミナトくん」
「おゆうぎー? ぼくもおどれるよ! ねんしょうさんのときにはね、うさぎさんやったんだよ!」
一生懸命に言葉を選びながら真面目に解説した直。しかし、斜め上の解釈をしたミナトは自信満々に言い放った。
それは何か違うと声が飛ぶがミナトはまさに馬耳東風。瑠璃が用意し、律が配ったサイリウムをいじくり回していた。
「わー、ぴかぴか、きれー……けど、すなおちゃんのおみみー……」
「今日は出ないから! 出さないからね! ね、ミナトくん、そろそろ始まるから前見ようか」
じぃっと耳も出ていないのに直は慌てて髪を隠すように、頭を両手で抱え込む。
「みんなー! 今日は私のライブに着てくれてありがとう!」
律に一瞬だけアイコンタクト。彼は頷き、CDプレイヤーの再生ボタンを押した。
「アイドルライブ・スタートしちゃうよー!」
サイリウムと星だけが今宵のスポットライト。ゆらゆらと揺れる光の中で紡がれるのは、瑠璃の明朗な歌声。
少し前に流行ったJ-POP、少し古めのアニメソング。流れ出す音楽に、皆の心も少しずつ浮き立ってくる。
そして、曲が変わる。
星をテーマにしたラブバラード。
「ウィルちゃんと一緒にお出かけ……えへへ、嬉しっ」
「ああ……俺も」
スピネル・クリムゾン(
jb7168)とウィル・アッシュフィールド(
jb3048)は、肩を寄せ寄り添い合っていた。
それも歌い終われば瑠璃が選んだ曲目が終わる。
「何か、リクエストはあるかなー?」
「ねーねー、瑠璃ちゃーん! 最後はみんなで一緒に歌おうよー!」
歌いきった程良い疲労感と安堵感。だけれど笑顔を浮かべたまま訊ねた瑠璃にはいはーいと元気よく手を上げたのはユウだった。
瑠璃が例えば?と訊ねたそうに首を傾げた。
「ほら、きらきら星! きらきら星ならみんな歌えるんじゃないかなっ」
「ですが……きらきら星のトラックはありませんね。アカペラ……にしますか?」
どうしましょうか。考え込む律の元へ近寄った姿はアコースティックギターを持ったロードのもの。
「……歌うんだろ?」
少し斜に構えながらも、ロードはつま弾いた。
英語に、所々日本語が折り重なったきらきら星。明るく楽しげなその歌声達は夜空に立ち上り、何処までも響き渡るようだった。
●
「万碧さん、あんまり賑やかなのは駄目ですもんね?」
シャロンはくすりと笑う。
ライブが終わって、皆が思い思いの時間を過ごし始めた。騒がしくなってきた会場を早々と離脱した万碧を追い掛けて、辿り着いたのは人影のない海岸。
「慣れなくてな。パーティーの方に混じりたければ、そっちへ行ってもいいんだぞ」
「慣れてます。パーティーも勿論楽しいですけど、私は万碧さんと過ごす時間も好きですからっ」
シャロンは万碧の隣に腰を掛ける。ごつごつとした岩肌は夜風と同じくひんやりとしていた。
万碧の少し後ろを付いて歩くのには慣れていた。昔馴染みの関係。たまたま近所に住んでいて、兄のように万碧を慕っていたシャロン。
だから、互いのことはそれなりに解っていたつもりだった。
「でもホントに星、凄いですねぇ……」
「あれが乙女座のスピカ、牛飼い座のアークトゥルス、獅子座のデネボラだな。春の大三角」
空を見上げるシャロンの瞳まで、何だか輝く星のよう。
うっとりとした彼女の声。万碧は、なんとなく気が向いてたまたま知っていた星座の位置の彼女に教えた。
「そして、離れた所にぽつんと見えるだろう? あれがアルファード」
うみへび座の二等星。その周囲には星はなく、アルファードは夜空にぽつんと孤独に立ち尽くすようにも見えた。
そんな姿に、万碧は何だか己を重ねて少しだけ目を細めた。
「あ! 私も知ってます! 星座ってギリシャ神話の神様だったり、神様に認められた人や物だったりするんですよね?」
「ああ……」
頷いた万碧は、何処か生ぬるい返事を返す。
いや、直ぐに悟ったのだ。だから、聞き手にまわった。
「例えば乙女座は、デメテルやペルセポネだって話があって……」
また、アストライアという説もありますよね。またも瞳を輝かせたシャロンは永延と知る限りの知識を夢中で語る。
「……よく知っているな」
万碧は溜まらず欠伸を零す。しかし、万碧と話すこと自体を楽しく感じていたシャロンは全く気付く様子も無かった。
●
「お疲れ様でした。とても、盛り上がりましたね」
「いえ、鷹司さんもご協力、有難う御座いました」
ライブが終わり、直ぐにいつものジャージへと着替えた瑠璃。彼女に先ず話し掛けたのは律だった。
「レモネードです。喉にいいかと思いまして」
「あ……ありがとう、ございます」
か弱そうにほわりと笑う瑠璃。レモネードを啜りながら、言葉無きまま周囲を見渡す。
誰も、楽しそうにしていた。
「皆に喜んで貰えて、よかったです。私の歌が、此処に済むみんなの希望や、笑顔のお手伝いになったら、いいなと思います」
「ええ、大丈夫ですよ。音楽には、力がありますから」
律の言葉に瑠璃はまた微笑んだ。
パーティーの企画。真一は考えてきた一発芸を披露していた。
「チャージアップ!」
勢いよく飛び上がった真一は、そのまま空中で数回転し華麗に着地。
ミナトは真似して、ジャンプ。しかし、ほんの十数センチ飛び上がっただけで、直ぐに落ちてしまう。
上手く着地出来ず転びかけたミナトを真一は支えてあげた。
「ほら、危ないからな」
「んー、でもまさかずくんはできてたー。ひーろーみたいにかっこよかったのにー」
不満そうなミナトは、んーっと考えて。
「じゃあ、ぼくも、ひーろーみたいになれる?」
「ああ、ちゃんと良い子で大きくなれば出来るようになるさ」
ミナトの頭をくしゃりと撫でた真一は、ニィっと笑った。
一方、真珠は、食べていた。
ライブ中も、もっきゅもっきゅと食べていた。終わっても、まだ食べている。
「むにゃひゃー、おいひーでふなーん」
真珠は口にいっぱいものを。まるで、頬袋に沢山木の実を詰め込んだリス。
思いっきりごっくんと飲み込む。
「おぺこちゃん?っていうですにゃん? これおいしいですにゃん!」
「あ、ありがとうございます! 真珠さんもこれどうぞ!」
名前をさり気なく勘違いされていたが、宙は気付かず唐揚げを真珠の皿に入れた。
余りにも素敵な食べっぷりに思わず真珠の頭を撫でる大和。撫でられてご満悦の真珠は、まるでコロコロと喉を鳴らす子猫のようだった。
一方、ぽんっと氷が生まれた。
「開催のお礼ってな! 衛生面は問題無いから安心して食ってくれよ!」
双城 燈真(
ja3216)がミナトに差し出したのは己の能力を使用して作ったかき氷。
しかし、雪のようにまっしろだ。
「ごめんね……翔也がシロップかけ忘れて……。二重人格は本当に大変だから憧れないでね……」
あ、翔也っていうのは僕のもうひとつの人格でね。言いながら、まっしろだったかき氷に苺シロップをかけた。
すると、直ぐに表情が変わる。
「苺じゃシンプル過ぎだろ!もっと贅沢に色々かけろよ!」
「ぼくは、いちごすきだよー」
己自身に怒鳴り付ける燈真に、ミナトはえへーと笑うが、耳には届かなかった様子だ。
「それだとドンドン真っ黒になるよ……! そもそも苺しか持ってきてないよ……!」
「え? あ? とりあえず喧嘩はよくないと思うんだ」
一人喧嘩を始める燈真と翔也。止めるべきか眺めジュンは悩んでいた。
「ん、いちごのかきごおり、おいしー」
「ああ、ほら、慌てて食べると頭痛くなるからな。ゆっくり食べるんだぞ」
和泉の言葉に、ミナトは笑顔で返す。
「それにしても、見事な星空だな……」
紫苑はぼんやりと呟く。
「学園に転入して驚いた事の一つに、星が見え難いっていうのがあったけれど……」
「うん。なんだか、こんな空は懐かしくも感じるね」
聖歌は頷く。
「そのうち、こっちに俺達も参加する事になるのかな」
「そうだね……ここ、新人が多く行っているし」
託人は瞳を閉じて、頷く。いつかは、その時が来るだろう――戦わなければならない時が。
「今度来る時は、星をのんびり星を見るってわけにはいかないかもしれないけれど」
聖歌は同じように先を思う。だけれど。
「今宵の星の美しさだけは、忘れないでいたいな……」
紫苑は呟く。星は相変わらず美しく瞬いていた。
「ま、折角なら、星でも楽しもうと思ったが……星座なんてオリオン座くらいしか解らねえな」
「良い音色ですね。楽器を弾けるのって凄いなーって思います。私、小学校の頃にやったリコーダーくらいしか出来ないですから……何か、お探しですか?」
あてもなく星空を見上げながらアコースティックギターを鳴らしたロード。
ギターの音色に誘われるように、ロードの視界にひょっこりと飛び出してきたのは宙だった。覗き込むように眺めて、きょとりと首を傾げる。
「いや、練習のつもりだったし、正直星座とかオリオン座くらいしか分かんねえ……今の時期だと、どんな星座が見えっかな、て……」
「そうですねー。今の時期だとやはり綺麗に見えるのは春と夏の星座でしょうかー。オリオン座も、21時くらいまでなら西の空に見えるんですけど……」
んーっと考えながら素直に答える宙は、ぐるりと空を見渡す。そうして。
「ああ、ほら、あそこ! まだ西の空の低い場所にですが、ふたご座をはじめとした冬の星座が、まだちょっと見えるんです。双子座の間に見えるあの大きな輝きが木星なんですよ。望遠鏡で見ればちゃんと縞模様だって見えます」
「よく、知ってるな……」
感心したように呟くロードに宙は好きですからと微笑んだ。
「時間と場所を選べば案外季節外れの星座も見られたりするんです。真夏まっさかりの8月でも午前3時くらいならオリオン座だって見られますし、その間はさそり座は空に出ないんです」
そういえば、蠍とオリオンの話についてはご存じですか? 宙がそう口を開こうとした時だった。
「ねーねー、あの星座は何なのかに〜?」
「わわっ えっと、おとめ座ですよ。あの青白く輝く星が一等星のスピカです!」
不意打ちのように輪廻に手を引かれて、転びかけた宙はすぐに指をさす星を眺める。
「これなんだに!」
「はい。それです!」
宙に言われた星座を図鑑で見つけた輪廻は、得意げに微笑んで見せる。
そのまま地面に寝転がって、星座図鑑を広げ掲げた。
「えーと、おとめ座のスピカとうしかい座のアルクトゥルスはめおとぼし?って呼ばれてるって書いてあるんだに!」
「あ、メオトは夫婦って意味……だな」
「ふーふ……仲良しなお星様なんだに〜?」
付け足すように加えたのはふたりの近くで黙って話を聞いていたロードだった。
「はい! 実は今この瞬間にも、アルクトゥルスはおとめ座のスピカの方向に動いているんです。およそ5万年後には、隣同士で輝くと言われているんですよー」
途方も無い年月の先だけれど、何だか本当の夫婦のようで浪漫がありますよね。語る宙は微笑んでいた。
「輪廻もメオトボシのように仲良しな人見付けられるかに〜?」
「ええ、きっと」
その笑顔に余計嬉しくなった輪廻は更に笑った。ふたりの間にほわりと笑顔の花が咲く。
仲良く語り出したふたりから視線を逸らすように、少し離れた場所を眺めたロードの瞳に映ったのは、誰かを探している様子の景文の姿。
●
少しずつ更ける夜。軽食やライブが終えた今、皆は千々に散らばり思い思いの時間を過ごしていた。
星明かり以外に、頼りになる灯りはない。だから、其程遠くへは行っていないはずの彼女の姿を探すのにも少しだけ、骨が折れた。
そうして、その姿を見付けたのは直ぐ後のこと。彼女は宙の解説に耳を傾けながら、浜辺に寝そべっていた。
「こんばんは、隣、いい?」
「ん、いいよ。初めまして……だよね?」
突然視界を覆うように隣に立った景文に夜ヱ香は寝転がったまま、答える。
夜ヱ香の問いに、景文は頷きながら。
「俺は志塚 景文、君は?」
「夜ヱ香。よろしく……」
「綺麗な名前だな」
景文の問いに、よく解らないといった表情を浮かべる夜ヱ香。
あちらこちらで、立てられる話し声。だけれど、景文の耳に届くのは波の音に消え入りそうなか細い夜ヱ香の声と、少しだけノイズ混じりの小さなラジオの音。
夜ヱ香は余り語らなかった。
「星……好きなの、かな?」
「ああ」
黙していた景文は、まるで夜ヱ香の言葉を待っていたようだった。
●
「夜中の間食はあんまり良くないが、今日は特別って事で」
真一が差し出したのはチョコプレッツェル。
「ねー、どうして、おひるにはほしはみえないの?」
貰ったお菓子を食べながら、きょとりとミナトは首を傾げる。昼に見られたのなら、眠いのも気にせず見られるのに。
「明るさは、星の光を隠してしまうんですよ」
答えたのは律だった。
「闇と夜は私の隣人であり友人です。夜空に輝く星々も素敵ですが、それを引き立てる夜闇も私は結構気に入っているんですよ」
「そうだな。今日みたいな月明かりも街の灯りも少ない時が一番良い条件だ。でも、月があればあったで別の楽しみ方が出来るんだ」
律に続くように口を開いたのは悠嗣。ミナトはきょとりと首を傾げる。
「月の表面、そこにある10コの海は肉眼でも確認出来るんだ」
「つきにも、うみあるんだー! ここといっしょだねえ」
「ここの海とは、ちょっと違うけれどね」
ふたりとも、眠さを堪えていたのだろう。
「ちなみに、紅い月は夕焼けと同じように太陽光が影響……」
その言葉の先はなかった。ふと、律がそちらへを見てみれば、寄り添うように眠りこけている悠嗣とミナトの姿。
「風邪をひいてしまいますよ」
いつもならば、すっかりと夢の中で羊でも追い掛けているような時間だから仕方無い。やや困ったような笑いを浮かべながら、律はブランケットをかけた。
「ところで、ジュン殿よ。隣、良いかね?」
「ああ、うん……ダニエルさん、どうしたの?」
ミナトの寝顔を眺めていたジュンにかけられたのは、ダニエルの声。
きょとりと首を傾げたジュンの頭をいつかと同じように一撫でして、ダニエルは腰を下ろす。
「今、どうかなと思ってね」
「ああ、ミナトは予想通り寝ちゃったよ」
答えたジュンにダニエルは首を振った。その仕草でジュンは察する。
「……大丈夫。今は、母さんも父さんも元気だし……家族が揃って無事で要られるのが一番って、思うんだ」
決して、安心して暮らせているとは言えない状況だけれど。
「でも、撃退士ならなんとかしてくれるって信じてるから。あの時みたいにさ」
だから、大丈夫。そう告げたジュンはあの頃とは違う、
「……いかんな、年寄りになったからか要らん心配をしてしまったようだ」
「いいんだよ。あの時かけてくれた言葉とメモで、だいぶ支えられてたから…」
ダニエルとジュン一緒に、空を見上げた。
いつの日も変わらないような星空が、ただ其処にある。
●
ゆっくりと時を過ごした。景文と夜ヱ香の間には、余り言葉はない。
だけれど、同じものを見て、同じ空気を吸い、淡々と同じ刻を過ごした。それだけだったけれど、満天の星の下、充分過ぎる程に過ごしていた。
「……手、あったかい、ね」
いつの間にか繋いでいた手。夜ヱ香は小さく握り返して、呟く。
「俺達、友達になれるだろうか?」
「お話楽しかった、から……」
夜ヱ香の瞳を眺め、訊ねる景文。
答え微かに頷いた夜ヱ香の声は波に浚われてしまいそうな小さなもの。景文は勇気を出して、空を飛ぼうと、誘おうとした時だった。
「あ! 流れ星!」
辺りに響いたのは直の声。誘われるように顔を上げてみれば次々と零れ出すように落ちてくる流星群。
「シューティングスターがこんなに見えるなんてネ」
勇太は、双眼鏡越しに流れ星を眺めていた。
今は、骨を休めに此処にきた。だから、痛む傷は気にしないように心掛けて。
「……ナイトヴィジョン越しじゃない景色はイイモンネ」
そうして、勇太が回想したのは過去の夜戦のことだった。
「え、えーっと…願い、考える暇がありませんでした」
「大丈夫ダヨ、シューティングスターはまだまだ降ってくるカラネ」
しゅんと項垂れる直を勇太は励ました。
――流れる星は、希望を、願いをのせて流れゆく。
「皆が幸せになるお手伝いができますようにー!」
直の声は夜空に真っ直ぐに、響き渡った。
――流れる星は、涙のようにも見えた。
その頃、一ノ瀬・白夜(
jb9446)は、ひとり空を眺めていた。
「星……。遠くの、瞬き。遠く、昔の輝き。今、それを見られるって、何だか不思議だ……ね」
アメジストのような瞳には、満天の星空が映っている。
それは、信じられないほどに、美しい。凄すぎて、幻想だとも感じてしまう。だとしたら。
「人間は…死ぬ、と天に昇るって……聞いたことがある、気がする」
だとしたら、自分の母親も其処に居るのだろうか。
真砂のように無数に散らばる星々の中、そのどれかひとつが母だったりするのだろうか?
だけれど、そうだとしても――自分には、解らない。理解できないものを、信じられない。
だって、形ない不確かなものを信じて、そうして裏切られた時を考えたら自分はなんて、思うのだろう。
だから、何も、信じたくない。
星が、流れて逝った。
次々と光の線を残して、落ちてゆく。零れてゆく。
「……何だか、星が、空が……泣いてるみたい、だ」
その光景は、何だか凄く哀しくも感じた。
――流れる星は、今だけは時の流れも忘れさせてくれる。
「見て見て! また1つ流れたんだよ……ほらっ!」
「あぁ、俺にも見えた……願い事はできたか?」
子どものようにはしゃぎ指差したスピネルに、ウィルは言葉を返す。
星が零れ落ちる夜。耳に届くのは潮騒と互いの声だけのような気がしていた。
「えへへー、ないしょかなー。あのね、ウィルちゃん。あたしね、ほんと此処にきて、同じ星空を見ることが出来て、すっごく嬉しい!」
「ん、俺も。君と同じ時間を過ごせる。今はそれが、嬉しい」
笑顔のスピネルはこの星よりも輝いているように見えた。
だから、ウィルは。
「……この星空は、遠い未来でも今日と同じ。君に残す思い出ができて、良かった」
「ウィルちゃんとの思い出は宝物だもん! いつまでだって、忘れないよ……」
スピネルの声はゆるりと静かに宵の藍色へと解けてゆく。絡み合う指と指。確かめるような指の感触に、ふたりは仄かに微笑みを浮かべた。
明日のことなんて解らない。未来のことなんて、ずっともっと解らない。
だけれど、でも、それでも――そんな言葉を並べて、ただ祈ったのは、ずっと一緒に居られるように。そんな、当たり前のような願い事。
星は輝いていた。星は、流れ落ちていた。
雨粒のように降りしきる星達。唯々美しい流れに、目を奪われてしまうのは仕方無いかもしれないけれど――。
(お誘いしたのはあたしだけど――でも、あたしのことも見て欲しいなぁ……なんて、わがままだよね?)
スピネルの想う心は言葉にはしない。視線の先には星空を見上げているウィルの姿――と、思いきや、目があった。そのまま、瞳を逸らせない。其れが何だかおかしくてまた笑いが溢れた。
明日のことなんて解らなくても、未来のことなんてずっともっと解らなくても。時の流れが、想いを伝えることを邪魔していようと。
悠久の今この瞬間だけは、どんな時の流れでさえも、邪魔は出来ない。
星が零れ落ちた海と空の境界線から、朝が昇った。
新しい一日が始まる。祝福するように空は優しい紫色を湛えていた。