其れはまるで、ひとつの死。
溢れ堕ちる薄紅は血か、それとも涙か。
しずしずと、さらさらと。緩やかに命を散らす桜の花びら。そんな寂しささえ覚える光景を、何故人は美しいと感じるのだろう。
その美しい花を遺しておきたくて、ぎゅっと花片を掴まえた手のひらを握りしめても、まるでするりと擦り抜ける。
どうして――そんな切なささえ覚える光景に、心は奪われてしまうのだろうか?
●
「ね、桜咲いてます! きれーですねっ! ですよねっ」
「まぁ、そうだね」
花よりもなお明るい笑顔を浮かべて桜を指差す青鹿 うみ(
ja1298)に白銀 抗(
jb8385)は何処か曖昧に相槌を打った。
「何だか、故郷を思い出します。故郷の桜も綺麗でしたからっ」
山間の小さな里がうみの故郷で、この種子島は周囲を海に囲まれた小さな島。囲むものは違えど自然豊かな環境は何処か故郷を思い出させる。
だからこそ、此処に暮らしていた人々の気持ちが何だか解るようで、うみは少しだけ目を伏せる。
「本当は、お花見とか出来たらいいのですけど、ねっ」
「それはまた今度でしょうか〜。出来ればこの綺麗な花が散ってしまう前に戦いを終えられたらいいのですけれど、ジャスミンドールさんさんにも解って貰えたらいいんですけれどねぇ」
「物事には例外はなく理由がある。何にせよ、まずは、何が起こっているのか、何が目的なのか……聞かないとな」
ただ、それは単独と限らないから厄介なのだが。アマリリス(
jb8169)の言葉に佐々部 万碧(
jb8894)は頷き呟く。
天と冥に揺らぐ種子島。如何してこんな小さな島がふたつに狙われているのか。
直接、今回はその目的や意志を天使に問い詰める為の大切な任務だと言う。勿論、緊張しないなんてことはない。だけれど。
「どんなお話が出来るんだろう。どんなひと、なのかな」
大丈夫。天春 翠(
jb9363)は、自分にそう言い聞かせて気合をいれるようにきゅっと手を握った。
彼女にとっては此れが初めての任務で、初めての戦い。そして――初めて"天使さま"に逢える機会。初めてだらけで不安を感じるはずなのに、不思議と浮かんでくるのは楽しみ、という気持ちで。
勿論、ジャスミンドールは敵だ、それは解っている。現実の世界に存在する天使は自分が夢観た絵本の中の其れとは違う。この世界を脅かす侵略者に過ぎないというのは解っている。
だけれど、それでも。
「逃したくないって、思うんです」
「全くだねぇ! 全くもって初陣にゃ不相応な戦場かもしれんなぁ!」
決して楽とは言えない任務だ。だけれど、拳を振り上げて勢いよく叫ぶ信太 樟葉(
jb9433)の様子には少しも怖じける表情の欠片もない。
「しっかし、やる時はやらねばならぬのだっ! さって、槍でも剣でも雨でもミサイルでも降ってくるといいさぁ! 全部あたしが受け止めてやるのだよ!」
「ええ――その前に、邪魔な輩には退散願いましょうか……」
此処は南種子町。天界に制圧された、かつて人が穏やかに住んでいたはずの小さな街。
自分達を取り囲む無機質な瞳の無数のサーバントにふっと目を細めた水城 要(
ja0355)の隣、ケイ・フレイザー(
jb6707)は笑みを口元に笑みを深くした。
●
「さて、いきなりの熱烈歓迎ってとこだぁねえ! 全くもって、ど派手な初陣になりそうだぁ!」
ロザリオを手に樟葉は威勢良く叫ぶ。緊迫に満ちた場に似つかぬ快活な声。
予測は出来ていた。悲観なんてするわけがない。浮かべるのは、いっそ清々しいまでの強気な笑み。
樟葉を始めとした撃退士8人を取り囲むサーバントは14体。やや離れた場所に取り囲むサーバントよりも大きな別のサーバントが居る。
なんとなく似た風貌のサーバント達はひとつの小隊を作っているような印象だった。
「合計15体ですか、数が多いですね……」
「……あら」
厄介そうに呟く要の言葉に誘われるように周囲を見渡したアマリリスは、やや離れたサーバントに気付いた。
「天馬に座する女性型サーバント、なんだかヴァルキュリアのようですね。あなた達は差し詰め戦乙女に導かれたエインフェリアといったところでしょうか?」
「呼び名がないというというのも不便だからな……。とりあえずはそう呼ばせて貰おう、行ってくる」
ヴァルキリー達を静謐の紅き瞳で眺めるアマリリス。先程までの、のんびりとした柔らかな雰囲気は消え失せて、強い光を宿している。
そのアマリリスに万碧は頷き、陰影の翼を広げ偵察の為に上空へと舞い上がった。
「来るのならば来なさい。騎士百合がお相手します!」
エインフェリア達の注目が万碧に行くのを感じ、アマリリスは女神の名を持つ金色の鎌を構えて勇ましく叫ぶ。
「さあて――こっちを無視しないでオレと遊んでってくれよ!」
エインフェリアの群れに真っ先に飛び出したのはケイ。自らに風の刻印を刻み、暴風を身に纏う。鋭い風切り音を立て疾風のように駆け抜けたケイはエインフェリアの間を潜り抜けて。素早く回り込む。
真っ先にケイに気付いた剣持ちのエインフェリア。今にも振り下ろされんと振りかざされた剣を持つ左手。しかし、振り下ろされることはなくその手首に無数の光線が突き刺さる。
「余所見はしてちゃいかんのだよ! エインフェリアさんとやらぁ! ちょっとばかし、そっちの数が多い分、あたしらは本気なんだぁ!」
光線の主はロザリオを手にした樟葉。彼女の声と姿に意識を向けてしまうエインフェリア。ほんの少しの隙。だけれど、それで充分だった。
「言われたばっかじゃないか。余所見しちゃいけない……ってさ」
エインフェリアが気付いた様子を見せた時にはもう遅い。双剣を構えたケイはエインフェリアを容赦無く切り捨てた。
「アマリリスさん、よろしくお願いします!」
翠はアマリリスに刻印を刻む。ケイのものとは違う柔らかな風の障壁。
その声にアマリリスは瞳で感謝を告げる。その瞳に少し顔を晴らして頷いた翠はそして、駆け出す。少しだけ目立つ行動。寄り集まったエインフェリア。
翠を追い掛けるようにアマリリスも駆けだす。その勢いのまま振るわれた金色の鎌が放つ衝撃波は、振り上げていた剣持ちの腕に命中し、その剣を弾き飛ばす。
「……くっ」
瞳の痛みに耐えながら大きく隙を見せたエインフェリア・ソードを狙い放つ万碧の銃撃はしかし、盾持ちによって阻まれてしまう。
しかし、一連の行動で取り囲むように散らばっていたエインフェリア達はある程度纏められた。
「数だけは多くて鬱陶しいなぁって思ってたんだよね。其処の盾持ちさんもうろちょろしてるしさ」
「防衛用サーバントということでしょうか……」
抗の言葉に要は答える。
余り攻撃を考えて作られてはいないようなサーバント。盾持ちのエインフェリアがそれなりにおり、それぞれが互いを補い活かすように動いている。
「非常に良く連携が組まれていますね。しかし、後衛の大きな個体以外は其程強くはないようですね……」
ということは、抗の武器を握る手に力が籠もる。
「なら、陣形崩しちゃえばいいよね」
瞳に雪のような静けさを宿す。鞘から氷刀の身を、一気に引き抜き衝撃波を生み出した。
光の波は何処か冷気を織り交ぜたかのような空気を纏い、並び立つサーバント達の意識を刈り取った。続く要の封砲も、幾ばくかのエインフェリア達を薙ぎ払い、その活動を停止させる。
その衝撃波はヴァルキュリアまで届いていたが、しかし命中した衝撃波は戦乙女の身に傷を付けようとも、エインフェリア達のように動きを止めるまでには叶わなかった。
反撃とばかりにケイ目掛けて撃ち出される十字架の光線。
「……下がってください!」
しかし、アマリリスが素早くケイの前へと踊り出て、亀甲柄のラウンド・シールドで受け止め防ぐ。
ケイは小さく礼を言い、近くに居たエインフェリア・ソードを狙いサンダーブレイド。剣を庇おうと寄ってきた盾持ちを、アマリリスが放つ魔法の衝撃波が弾き飛ばした。
ケイはそのままエインフェリア・ソードを斬り捨てるように振り払った。
その近く、少しだけ震える手で太刀を持つ翠の姿がアマリリスの瞳に映る。
「天春さんなら出来ますよ」
そんな、気遣うようなアマリリスの言葉に頷き、翠は気合を込める。
「……行きます!」
白い清らかな刀身に宿るのは雷鳴の轟き。
「あたしは、簡単に挫けたりしません!」
素早く翠は太刀を握り直し、正面を向く。そのまま突き立てるようにシールドの胸を刺す。
絶命とまでは行かずとも、行動の自由を奪うには充分すぎたサンダーブレード。しかし、油断することもなく直ぐに翠は太刀を握り直した。
動きを止めた盾持ちの影から飛び出してきたのはエインフェリアソード。無機質な瞳は樟葉に狙いを定めていた。
「ジャスミンドールさんとやら。あんさんとなぁ! 話をしなかならんのだ!」
エインフェリアの強打を受け止めるものの、大きく後ろへ弾き出される樟葉。受け止めようと踏ん張る足は地面を削って、春風に砂埃を巻き起こした。
バランスを崩しかけた体を手で支えて、直ぐに起き上がる樟葉。狐の耳を生やした少女の表情に怯えの一欠片も見えない。これくらいのことは、覚悟のうち。
「……その為には多少の無茶は、覚悟の上なのだよ!」
直ぐに樟葉はロザリオを握り直した。指差すように突き出したもう片方の指にまるで付き従うかのように、純粋な魔力の矢がエインフェリアを貫き、命を削げ落とした。
じわりじわりと互いの命を削る攻防戦。ばらまかれた攻撃は確実に互いに傷を作ってゆく。だけれど、ほんの僅かに優勢なのは、撃退士。
「お退きなさい」
要は大きく直刀を振るう。生み出された衝撃波がヴァルキュリア目掛けて一直線に迸る。
道を塞ぐように。一面薙ぎ払われ吹き飛ばされる。封砲の痕に出来た通り道、うみは勢いよく駆け抜けてヴァルキュリアと一気に距離を詰める。
「くらえ、ですよっ! 秘技・猫騙しですっ!」
蒼穹に跳躍する。軽やかにくるりと空中で舞ったうみは召還した武器でヴァルキュリアを殴りつけた。
――ぴこっ☆
武器は可愛らしい音を立てた、其れはヴァルキュリアの額にクリーンヒット。その瞬間に、ピコピコハンマーに描かれた猫が得意げな表情を浮かべた気がした。
だけれど、これは立派な瓦割り。迎え撃つ為に十字架を放とうとしていたヴァルキュリアの意識を掻き乱す。
「今ですっ!」
大きく揺らぎ、隙を見せたヴァルキュリア。うみは鋭い声で促す。うみに言葉無きまま頷いた要は抗の援護射撃を受けて流れにのるかのように、駆けだし跳躍する。
揺らぐヴァルキュリアの後頭部を目掛け振り落とされる要の直刀。体重を込めて繰り出された重い一撃はヴァルキュリアを天馬から転げ落とさせる。
地に堕ち、転がるヴァルキュリアと巻き起こる砂嵐。大きく体勢を崩すヴァルキュリア。隻眼は逃さない。
「……行けっ!」
万碧が放つ無数の水の矢がヴァルキュリアの身を穿つ。そのまま地に堕ちた戦乙女は再び目を覚ますことはなく、倒れ伏した。
「さて、これで貴女方のリーダーは倒せたようですが……おや」
振り返った要は気付く。いや、要だけではなく、その場にいた皆が気付いた。
ヴァルキュリアが倒れた、その瞬間だった。司令官と指示系統を失ったエインフェリア達は、連携を乱し合理的な動きも非合理的な行動へと代わっていた。
個の戦闘力は対したことはない。連携を束ねていた親玉が沈めば――流れは此方にある。
「まぁ、子分も親分失って、パニックってるわけなのかな」
抗は双剣へと持ち替えた。残りの敵は盾持ちが1体と剣が3体。
「さーって、さっさと残りも仕留めてしまおうじゃん」
抗は氷のように儚げな翼を真っ直ぐに広げて急降下。封砲の煽りを受けて弱っていた剣持ちにトドメを刺す。
ケイと翠の雷剣により、動きを止めていたたエインフェリア達はなんとか動きだそうとしたが、それよりも撃退士達の力が早かった。
そうして一人欠けることなく、任務を達成した。
「どんなもんってぇんだぁ!」
大声で笑った樟葉。撃退士達に安堵と、喜びの笑みが咲いた――その時。
●
「さて、漸くいらしたようですね……」
要は顔を上げる。見なくても解る程の噎せ返りそうに強い茉莉花の香り。
「これやから、人は下品で嫌なんやわ。うちの庭で騒ぎまわって、ほんまマナーというものがなっとらんわ……」
檀の雪のような色の髪より更に冷たく鋭い、氷柱のような色をした髪をふわりと舞わせた少女は、冷め切った表情で撃退士を見下ろしている。
「えー、サーバントへの攻撃のこと言ってんの? だって、主に取り次いでくれないんだもん、仕方無いじゃん」
全く、脳筋は困るよね。抗はわざとらしく肩をすくめる。皮肉がたっぷり籠もった動作に戦闘の意志は全く無い。
「で、君が噂の天使? 中々会いに来てくれないから、こっちからきちゃった♪ ちょっと疲れたからお茶でも出してくれると嬉しいんだけれどね。あ、ジャスミンティーは意外と好きだよ」
「……あんたら、死にたいの?」
弾む声で茶を要求する抗に対し、ジャスミンドールは翠玉の瞳を細め、睨み付ける。
一層濃く強くなっていく茉莉花の香り。いきなり現れた撃退士にサーバントを15体も倒されたのだ。内心穏やかで無いのは想像するに容易く。
「私は、アマリリスと申します〜」
だから、何処か殺伐とした雰囲気を流すように微笑んだのはアマリリス。両手を組んで少し首を傾げた赤き花の少女はほわりとした笑みを浮かべる。
「同じ花の名前を持つ天使さん、一度お会いしてみたかったんですよ〜。よろしくお願いしますね〜」
「あ、あたしも! 初めまして、天使さま。あたしは、天春 翠って言います」
アマリリスに続き口を開いたのは翠。幼い頃読んだ絵本に出てきたような天使の姿、少しだけ緊張も混じった翠は、場違いかもしれないけれどそれよりも大きな期待に胸をときめかせていた。
「やっぱりジャスミンって良い香りですよね。私、好きなんですよ」
元気よく口を開いたうみは、そうして有無を言わせない笑みを咲かせて。
「お話していただけますよねっ ジャスミンドールさん」
「……少しだけやからな」
うみの笑顔に、そんな呟きを返すジャスミンドール。何処か毒気を抜かれた様子ですたりと地表に降り立った。
「えっと、檀君の主である君は、先の非戦協定についてどう思ってるのかな」
「まぁ聞いとるし、見とるからあんたらのことも全部知っとる」
抗の問いにジャスミンドールは応え、真剣な表情を見せ言葉を続けた。
「非戦やら共闘は、構わんわ。互いの利害は一致するし合理的やとうちも判断する」
「そうだろうね。檀君もそのようなことを言っていたみたいだし」
一度言葉を切った天使に抗は相槌を打った。冥魔を追い出すまでの非戦協定と、一時的な共闘の申し出。それだけならば、人と天は利害は一致する。
だけれど、それが前回の交渉で決まらなかった理由、それは――。
「せやけど、あんたらは生意気や」
以前行われた天界への接触は、つまりは此処にあった。ジャスミンドールの種子島を求める意志は強い。
「うちは、うちのもんにする。それをあんたら人間にどうこう言われる筋合いも道理もないわ」
あんたらには関係の無いこと。そうして、閉ざそうとする天使の意志を解いたのはアマリリスの微笑みだった。
「ジャスミンドールさん、必死になることも必要ですけど、時にはのんびりと余裕を持つことも大切ですよ〜」
「ね、教えてくれませんか? 天使さんが頑張る理由。お互いの事情も知らないままじゃ擦れ違っちゃうから……」
アマリリスと翠の言葉に、ジャスミンドールは黙したまま何も答えない。口に扇を当てた要は流水のように静かな声でただ一言、問うた。
「そういえば、冥魔もあの場所を狙っていると聞きました……何か、あるのでしょう? あの場所に」
沈黙。
しかしこれ以上は隠し通せないと判断したのか。ただ一言ジャスミンドールは呟くように答えた。
「……この島には、うちらを強化してくれる力がある。あんた達人間には勿体ない場所や」
「だとしたら」
天使に口を開いたのは万碧。
それよりも、気になることがあった。いいや、今の話を聞いたからこそ、万碧の中の疑問は膨れあがった。
「ゲートを開かなかったのは、何故だ?」
さっさと開いてしまえばいいものを。万碧の問いに口を閉ざすジャスミンドール。だけれど、万碧の脳裏に浮かんだのはひとつの仮説。其れは、自分達が今此処にいることが何よりの証左。だから、口を閉ざした天使に、万碧は口を開く。
「開かなかったのではなく……開けなかったのではないか? そんな凄い場所がこの場所にあるというのに天使はジャスミンドールだけ。それに、本来天界連中が気にもしないであろう辺鄙な島。左遷とかされたのか?」
「……っ」
万碧の揺さぶりに、不機嫌そうな表情を浮かべていたジャスミンドールは顔を見開いた。図星か。動揺を隠そうと努力も見えるが内心確かな手応えを感じつつ、万碧は続ける。
「それに、幾ら多数あるサーバントのとはいえ、合計15体のサーバントを俺達人間に倒されたんだ……」
「……」
ふて腐れたようにジャスミンドールは瞳を逸らそうとする。しかし、万碧の隻眼は視線を逃がさず捕らえる。
「これが悪魔やヴァニタスだったら如何する? 警備というには不充分過ぎると思うがな……」
「……あんたに心配される筋合いはないわ」
さらりとジャスミンドールの言葉を受け流した万碧は、これまたサラリと言う。
「ああ……心配はしていない。ただ、俺は思ったことを言ったまで。何か?」
「なんも」
今度こそつい、と顔を逸らすジャスミンドール。何だか、その動作は極普通の年頃のただの拗ねた少女のようにも見えて。
その横顔が何だか可笑しい。あらかた話も聞き終えたかなと抗は言葉を投げかける。
「それでそうと君、檀君のこと結構気に入ってるんだね。僕は報告書でしか知らないけれど、たしかに良い男だよねぇ」
「……関係あるん?」
不快げに曲げられるジャスミンドールの眉。抗は気にせずニヤリと笑う。
「だって、結構自由にさせてるみたいだしねー。君からは想像出来ない」
正直、使徒である檀の行動は従順ではあるが時折使徒らしくない行動や表情さえ見せることもある。それが、任務に全く影響が出ないなんてことはきっと、無いだろう。
「だって、手っ取り早く自分のモノにしたいなら感情や記憶を奪っちゃえばいいじゃん? そーすれば、天使様の意志を一字一句見事に映し出す従順なお人形さんの出来上がり」
つらつらと流れるように言葉を並べる抗にジャスミンドールは相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「でも、君はそうしない。ねえ、君は檀君に惚れてるんじゃないの? けど、檀君は弟のことばかりで君に振り向こうともしない。ぶっちゃけムカついてるんじゃない?」
「だから、あんたに何の関係があんの?」
強気な発言の裏に不安が見えているような気がした。
「なあ、ジャスミンドール」
だから、雑談するような気軽さでケイはジャスミンドールに話し掛ける。
「檀ちゃんの心を手に入れる方法、教えてやろうか?」
「何を言っとるん」
唐突にそのようなことを言い出したケイに天使はじとりとした視線を向ける。
「簡単さ、全てを投げ捨てて縋りつけばいいだけさ。な? 簡単だろ?」
「は……?」
「楓、弟よりもアイツの心に入り込みたいなら、弟よりも救いを必要にする存在になればいい。檀ちゃんはあんたに恩がある分離れられない――気を向くのを待ってるだけじゃ手に入りやしないもんだぜ、恋の駆け引きってのはさ」
これでも人を見る目には自信があるんだよ。特に恋愛感情ってのはね。ごく当たり前のように言うケイの表情は、ずっと大人びた物で。だけれど。
「檀はうちのものや。せやから、うちのことを裏切らんし、離れていきもせんよ」
其程の意志もない。檀はずっと自分の感情や意志を殺し八塚の後継者としての面をかけ続け生きてきた人形のような青年だった。
今はその面がジャスミンドールのシュトラッサーに変わったというだけで、何も変わらない。
「それは、どうかな?」
ああいう自罰的なタイプはあんたが立派になればなる程離れていくと思うけどな。自分は傍にいる資格など無いと言って。そう前置きしたケイは続いて、
「勿論、檀ちゃんよりも天界の地位を選ぶってのもあんたの自由さ」
けれど、ケイに続き樟葉は突きつけるように言い放つ。
「何が一番大切なんだい? あんさんはさぁ! シュトラッサーか、島か――その為に、本気になってくれないのかい!」
「せやから、どっちを選ぶ必要もない言うとる。うちは、この島を手に入れる。檀はうちについてくる。ただ、それだけ。檀はうちのもんやもん。それの、何がおかしいの?」
八塚 檀という青年は、自分の人形だ。そうだ、檀のことは自分が一番知っている。檀が自分に付き慕う以上、それは絶対に変わらない。そう信じ込んでいるようにジャスミンドールの瞳は強く燦めいていた。
「でも、モノっていうのは違うんじゃないかな、って……」
だけれど、そんなジャスミンドールに口を開いたのはうみだった。哀しげに揺らぐうみの眼差し。何処か檀の蒼い瞳を思わせるように天使の瞳に映る。
「そうして一緒に居ることは出来ると思います。だけれどそれは支配することで、共に生きることは違うって思うんです」
抑圧し、意志を曲げて、従わせることだって出来るだろう。だけれど、それは本当の意味で添い遂げるということではなく。
「ジャスミンドールさんは、檀さんを支配したいのですか? それとも……一緒に、生きたいのですか?」
「貴女ならば、檀さんがどう願っているか……解るハズです。何が哀しむか、何を求めるか。その全てが」
そのうみと要の問いに関係無いと再び切り捨てようとした。だけれど、不思議と口が開かない。
自分が気紛れで力を渡しただけの弱い人間。だけれど、支配欲以上に強い執着心を抱いていてる。そんな自分が一番、
「バカバカしいわ」
吐き捨てるジャスミンドール。だけれど、その言葉を受け止めるように翠は微笑んだ。
「ねぇ……それは、恋、なのかな」
訊ねるように、優しい口ぶり。
「好きなんですね。その、彼の事が。あたし、すごく素敵だと思います」
「好き……? 恋? そんな、人間みたいなもん、うちが……」
檀に対して抱いていた感情は、近かったかも知れないけれど――改めて言葉にしてみると、何だかどう言えばいいのか解らなくなってくる。戸惑う彼女に。
「あらあら、言ったじゃないですか〜。のんびりと考えることも大切って。急かす女の子は嫌われちゃいますよ〜?」
殿方を立ててあげることもしないと良い恋人には慣れないのですよ。頬に手を当てたアマリリスはきょとりと首を傾げる。
「ここは女の子らしく、お花の言葉のお話をしましょうか〜。知ってますか? ジャスミンの花言葉は『あなたは私のもの』と『私はあなたについてゆく』というのがあるのですよ〜」
正反対の言葉のような気もするけれど、花言葉としては別に珍しくはないこと。
「はてさて、ジャスミンドールさんは、どちらを求めているのでしょう? 同じ花の名を冠する者としても、とっても気になっていたんですよ〜」
そのアマリリスの言葉に返る言葉は無い。答えられないのなら宿題ですね。アマリリスはのんびりと笑った。その様子にはぁと息を吐いた抗は。
「って、すっかり話が脱線してるけど――まぁ、今君が一番避けたいのは、檀君を弟君に討たれて、種子島も冥魔に奪われること、違う?」
その言葉にもジャスミンドールは言葉を返さない。だけれど、それは無言の肯定。要は押すように言葉を続け。
「その為に、私達人間も手は貸しましょう。それからのことは、それからです」
「解ったわぁ……うちやって、あの冥魔は鬱陶しゅーくて溜まらんとこやったから、利害は一致するのは確かや」
ジャスミンドールは観念したかのように息を吐いた。
「檀やサーバントは自由に使えばええ。サーバントは檀に言えばゆーこと聞くやろ」
「あんさんはどうするんだい?」
「うちは面倒やわ」
樟葉の問いに、さらりとジャスミンドールは告げる。
「あたしゃら不器用なもんでなぁ、一つの為に必死なんだ! 本気であんさんと話してるのだ! あんさんは戦ってはくれないのかい? 何か、ひとつ大切なものの為に必死にはなってくれないのかい! ジャスミンドールさん!」
「あんた達と逢うだけで面倒なんやわ。だから飽くまでも、あんたら人間に檀を貸すだけ。けど、うちのモノに手、出したらただじゃ済まさんから」
飽くまでもこの島を譲る気はない。そっから先はあんたらの判断次第。天使は言外に込めて濃厚な茉莉花の香りを撒き散らして、踵を返す。
島だって、使徒だって、なにひとつ譲る気はなく共闘を終えた、その後には――。
「解ってます。最終的に戦うことになるのは、仕方のないことです」
「……また、お話したいです。天使さま、ジャスミンドールさん」
だからこそ哀しそうに微笑むうみと、まるで敵対の意志がないような翠の様子にジャスミンドールは目を細める。
飛び立つ白い羽。
ケイは青空に消えてゆくその背中に向けて、にぃっと嗤う。
「――じきに意味が解るさ。ジャスミンドール」
その時、あんたがどんな踊りを見せてくれるのか――楽しみにしている。ケイは、仲間にくるりと振り向くと、いつもと変わらないような表情を彼らに返した。
●
雨のように、薄紅が降りしきっていた。
「ただいま戻りました」
使徒の顔には変わらず憂いに揺れている。だけれど、其れは新たな悩みを抱えているような表情。
だけれど、不思議と其れは鬱々とした物ではない。なんだか、其れは自分の知らない彼。
「檀、何かあったん?」
「いえ」
使徒はいつも通り短く答える。その表情からは、やはり深い憂い以外は何も読み取れない。
――あんたが立派になればなるほど、離れていくと思うけどな。
撃退士の声が蘇る。だけれど、その幻聴を振り払うようにかぶりを振るジャスミンドール。
自分は檀の全てを知っている。だって、檀は今自分の力で動いている人形にしか過ぎない。自分が居なければ生きることすら叶わないお人形。彼には自分が必要で、自分にも彼が――。
「檀、人間と一緒に悪魔の討伐してきて欲しいわぁ」
自分が正式に命じるのはこれが初めて。だからか、使徒は驚いたような表情を浮かべている。
「人と話付けてきたんよ。三つ巴を続けるよりは合理的やし、冥魔を倒せばこっちのもん。その後のことは……解っとるよな?」
檀の居ない間に自分が出てこざるを得ない程に追い詰められたのは口にはしない。いつもと変わらないようにジャスミンドールは使徒に微笑みかける。
「言っとくけど、勘違いせんでな。うちは人間を利用するだけや」
「ジャスミン様は?」
言わなくても解るやろ。檀の問いに。
「というか人間に会ったことすら、うちにとっては面倒臭くて仕方無かったんよ。解っとるやろ? 檀」
態々自分が人間とあっただけでも褒めてほしいわ等と冗談めかしてジャスミンドールは笑い、檀に近付く。少し高い彼の顔を、両手で包み込むように此方へと向けさせる。そして。
「かえでを討とうが、人と話そうが勝手にすればええわ。けど、人に心奪われるようなことだけは、許さんからな」
だけれど、これだけは覚えて置いて。天使は自分が染め変えた彼の蒼い瞳を真っ直ぐに眺め、言い放つ。
「――あんたは、うちのもんや」
「……ええ、私は、ジャスミン様の道具ですから」
応えた使徒は、いつものように憂いに濡れた表情だった。
そうして、手を離し再びディアボロ討伐へ向かう彼の背を見送る。その背中が何だか――桜の花びらのようだと感じてしまう。
桜の花びらは掴まえることは出来ない。つかんでも、手を開いた瞬間にはするりと擦り抜けるように風に浚われていってしまう。
きっと錯覚だ。違う。檀は自分の道具だ。だから、違う。離れていくことなど、風に浚われてしまうことなどない。道具が自分の手を離れるはずがない――だから。
「檀はうちのもん。この島だって――うちのもんにしてみせる」
だから、これは使徒にも秘密。
如何しても自分は中央に戻らなければならないのだ。
その為ならば生意気な人間を利用する。愛しい使徒を欺くことだって、してみせよう。
噎せ返る程のジャスミンの香りは、宇宙センターに充満し残り続けた。
●
逃げ出して、飛び降りたはずの能舞台は、また新たな舞台の始まりに過ぎず、
捨て去って、全てを投げ打ってまで願った誰かの為の本当の幸いさえも掻き消えて、
自ら選び掴み取ったと信じ込んでいた現在さえも――予め用意されていただけの台本でしかない。
いつだって悲劇は、誰にも手の届かない場所で役者達を嘲笑い続けている。
動き出した歯車。狂い続けた物語。廻る双乱の悪夢。
長き夜の果てに訪れるのは絶望の終焉か、それとも――。