まるで、落ちてきそうな程に美しい星々。
凛と澄み切った空気の中。濃紺色に散らばる星屑は、まるでいつかの螢火を思い出させるかのように儚く幽玄。
「……変わらず、ヒトの世は美しいのだな」
溶ける。彼女が生きていた人界、彼女が愛していた世界――だからこそ、目を伏せる。
降ろされた視線。うつるのは螢飛び交う自らの衣。変わらない。今でもずっと自分は彼女の面影を追い続けている。
「やっほー、レーヴェさん。お元気してました?」
「お久しぶりですっ!」
だがレーヴェの思考を割ったのは嵯峨野 楓(
ja8257)と地領院 夢(
jb0762)の声。
まるで友人に語りかけるような気楽さで掛けられた言葉に顔を上げ振り向けば、桔梗柄の着物に身を包みひょいと手を上げている楓の背から、ひょこりと顔を覗かせる夢。
「ヒトの子達よ! 今宵も我の誘いに応えてくれて嬉しいのである!」
「何だか元気ないみたいですけど……」
笑顔で振り返り答えたレーヴェにきょとりと、首を傾げる夢。
「……手紙を出したが正直、どんな顔で会えばいいのか解らなかったのである。人の子よ、我はどうすればよいのであろうかぁぁ!」
「いや、いきなり野郎に答えを求められても困る……つーか、涙拭けおい!」
無くレーヴェにロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)は即座に言葉を入れた。怒鳴られたレーヴェはしょんぼりと項垂れている。
「我には、もうロリコンと名乗る資格は無いのであろうか……」
そう、何だかとても思い詰めている様子のレーヴェ。
「相変わらずロリコンって言っているんだ。というか、凄く深刻そうな顔をして言うことなのかな」
「ロリコンは名誉称号であるゆえ……サヤを傷付けていた我には、もう」
微笑みとともに呟いた楓。その笑みが何処か生暖かいものであるのに気付かないレーヴェは相変わらず項垂れている。
「ロリコン、だと……?」
ファウスト(
jb8866)は愕然としていた。それは堂々と名乗ってはいけない事ではないのか。
どうやら、何か意味を盛大に意味を勘違いしているようだが、果たして教えてやるべきなのか。そうでないべきなのか。悩ましい。
「君はそのロリコンを名誉称号と名乗る程にその少女を愛していた。そういうことだね? ロリコンはまぁ、名乗っていればいいと思うけれど」
Camille(
jb3612)の言葉に頷くレーヴェ。
「だが、真の愛って何なのであろうか? 我はサヤを傷付けてしまっていた。我にはヒトの感情が解らぬ……」
「だから、はぐれではない悪魔が人の愛を知りたいと……」
「でも、突然きかれてもお姉さんだって答えに詰まっちゃうよねぇ。でも、お姉さんとして適当に答えるわけにはいかないから……」
姫路 眞央(
ja8399)は、田中恵子(
jb3915)は、んーっとほっぺに指を当てて考え込む。
「というわけで、みんなで色々考えて今晩は人の世界の『愛』にまつわる物語のお芝居をしようってなったんです。はいっ」
シャロン・エンフィールド(
jb9057)はレーヴェに台本を手渡す。受け取った悪魔はきょとんと首を傾げる。
「ロミオとジュリエットってラブストーリーなんですけど、ロミオ役をレーヴェさんにやって貰えないかなって」
「我にであるか? けれど、この話は知らぬし経験も無いのである」
「ロミオ役が決まらなかっただけなんですけど、折角ですし!」
微笑むシャロン。
レーヴェが少し視線を逸らすとロドルフォがやるだけやってみろと瞳で告げていたから頷く。
「では、決まりですね!」
「私は折角だから笛を吹こうか。劇に音楽が無いというのも寂しいからな」
嬉しそうに笑ったシャロンの傍ら、眞央は鞄から神楽笛を取り出す。
眞央の手の中の漆黒色の笛を見つめて懐かしそうな表情を浮かべるレーヴェ。眞央もまた、羨望を込めた視線で返す。
「じゃあ一緒に考えてみましょうか。レーヴェさんのその好きって気持ち、私も興味出てきましたし」
楓は人差し指を唇にあてて言った。
さて。
「……ロリコンと言うのは」
一方、迷い迷っていたファウストが漸く意を決して口を開いたその時には、誰もが劇の準備に夢中。
残念ながら、迷い過ぎた彼は完全に言うタイミングを逃してしまっていた。
●
「オニ、だな」
「うむ、オニであるな」
ロドルフォとレーヴェはその物体を覗き込んで呟いた。
「和の雰囲気を出したいという主旨は解るのだが……」
「やっぱりー? 私もなんとなくそうだーって思ってたんだけど」
冷静に眺める眞央と、頭に指を当ててうーんと考え込む恵子。
ふたりの出会いは舞踏会。仮面を掛けてジュリエットであるシャロンと出会うシーン。
「……ちょっと、怖いかなー?」
政敵が主催する舞踏会に仮面をして潜り込むロミオ。だけれど用意された仮面は紛う事なき般若面。
「いやー、レーヴェさん和風が好きだからこういう方が喜ぶかなって」
てへぺろ。文字にするならそんな表情を浮かべ悪びれもなく楓は開けっ広げに言うものだから。
「ふむ! よいのであるぞ! オニと成り果てるまで相手を思えばいいのであるな! ハシヒメのように!」
親友役に扮したロドルフォは丸めた台本でレーヴェを叩いた。
般若面でジュリエット役のシャロンと出会う舞踏会は終わり、劇は進み窓辺で語らう場。
普段着だと少し寂しいけれど、でも本格的な和服も劇の為にというのは些か大げさ。だから、羽織を羽織ったシャロン。
ちょっと動きづらそうにしていた彼女を乳母役として付き添っていた夢が大丈夫ですよと小声で励ました。
「ねぇ、如何して貴方は敵なの? 私を連れ出してくれるのならその名を棄てて私の手を取って」
シャロンはそうして手を差し出した。極力簡素化し余りにも幼い恋を描いた物語。
「では、ただ、一言。僕を恋人と呼んで下さい。さすれば僕は生まれ変わり、今日からロミオではなくなります」
名を、今までの世界を棄てる覚悟の台詞。其れは、ロドルフォが伝えたいことによく似ている。応援し見守る彼の握る手に力が籠もる。
そして結婚式。僧侶役に自ら手を挙げた恵子は何処か浮かれていた。
秘密の結婚式とか、ドキドキのラブロマンスですよね。萌え萌えですよね! そんな内心を隠す気微塵も無く。
「愛し合ってるならちゅーしてくださーい! いえーい!」
ハイテンションに恵子は促す。シャロンと視線が絡み合う。
「ふむ、キスか。ロドルフォ、どうすればいい?」
「いや、そういうのは聞くなって。とりあえず、跪いときゃいいんじゃねーか?」
ロドルフォの言葉に、頷いたレーヴェは跪き、シャロンの手の甲を取り。白い手袋越しに口付けを交わす振りをしてみた。
そして、物語は佳境へ。
たった、少しの擦れ違いが二人の命を奪う凶器になった。
ただ純粋に相手を想い合っていただけなのに――そあの日の悪魔と少女のようだった。
●
「哀しい話であったな」
「お疲れ様でした!」
劇を終え、翳りの表情を見せたレーヴェ。わざと楓は明るい調子ではいっと箱を手渡した。
その中には、淡いパステルカラーをした小さな丸っこいものがいくつか転がっている。
「ウメ、それにウグイスであるか?」
「よく解りましたね! ねりきりって言う和菓子ですよ。ねぇ、折角だから皆で食べよー」
「あ、じゃあ私お茶入れますね!」
興味津々に楓の手の中の夢はお湯を入れた水筒とティーバッグを取り出して手際よくお茶を淹れていく。
「あれ? お茶が一つ多いようですけれど……」
「これは、小夜さんの分。きっと空から見ていてくれているって思うから」
素敵な夜だもの。シャロンの問いに夢は微かに笑いながら空を仰いだ。
「サヤ……」
レーヴェは未だ年若い悪魔。長くはない時の中で幾度も人間は自分にヴァニタスになりたいと求めてきた。理由はそれぞれあったけれど漠然とヒトは力や不死を求めるものだと思った。
「私もだよ」
眞央の声にレーヴェは驚いたように顔を上げた。月を見上げていた眞央はそっと瞳を閉じて過去に思いを馳せる。
「12年か……悪魔にとっては瞬く間に過ぎんだろうが、私も亡くした妻を想い続けている。それだけ、ずっと間違い続けていたのだ」
それは赤子が。愛しい彼女が愛した存在を傷付け続けていた。
「愛は道をも誤らせるもの。理性を奪い、在ったはずの世界を奪ったことさえ気付かずに。そうして、踏み外し振り返った時にはもう全て遅い」
「レーヴェさんは本当に小夜ちゃんが好きなんですね?」
眞央の言葉に黙ったレーヴェ。沈黙が支配しそうな場を割った楓の声に悪魔は頷く。
「人間だってたいして変わらないんですよー。好きだから、不安になったり傷付いたり、傷付けたり。取り返しの付かないことになっちゃったり……」
例え相手のことを思ってしたことだとしても愛故に傷付いて苦しんで苦しめて。悩んで嫌になったとしても、それでも想うことを止められなくて。
「だから、誰かを想う感情って、結構面倒臭いですよね」
楓は柔らかな笑みを浮かべた。自ら少しだけ覚えがあるから
「好きになって、苦しんで……人も天魔も心の形は一緒なのかな。そう、考えると不思議だよねえ」
「だから、もうわかってるんじゃないかなぁって思うんだよ」
恵子の言葉に夢は続ける。
「愛って感情について……私にも、実はよく解ってないの。戸惑うくらいに難しい感情なんだよね」
「愛はねぇ言葉にするだなんてとっても難しい。お芝居中もずーっと考えてたけど、やっぱり答えは出なかったよー」
恵子が思い出すのは病弱だった幼き日。ごちゃ混ぜになった世界。
「そんな世界とお別れしそうになって、始めて好きって気付けた。失いかけてようやく」
だから。
「余計ロリコンさんには辛いかもしれないけど小夜ちゃんは愛を知ってくれただけで笑ってくれると思う」
「小夜ちゃん、とっても優しい女の子だったもの。私達にした最期の我が侭だって、極普通で当たり前の優しい我が侭だったよね……」
夢は瞳を閉じて思い返す。
――強くて優しいあなた達が此方側へと来ませんように。そして、ずっと幸せでありますように。
脳裏をよぎるのは、泣きながらも微笑んだ小夜の最期の声。それだけで幸せだなんて思い紡いだ優しすぎた彼女。
「小夜ちゃんの、最期の我が侭。ヴァニタスにする前にその我が侭を聞いて、理解出来たとしたら違っていたのかもしれないね」
そんな夢の言葉にレーヴェは返す言葉も無く俯く。
其れは、もう遅すぎるもしも。残酷なもしかして。命とは儚く脆く、そして尊いもの。失われたらどれほど祈っても戻らない。
「……運命とは、残酷なものだね。愛し方を知らなかった子どものような悪魔。其処にあった気持ちは本物だと言うのに」
ほんの少しの擦れ違いが命まで奪ってしまったのは悲劇の話に似ている。カミーユは静かに息を吐く。
「愛と恋は違う」
恋は見返りを求め、愛は相手に尽くしたいと願う真心。
「人に恋して其れを押しつけても受け入れられるはずないんだよ」
酷だけれど、彼女の大切な物や人生の全てを奪ったというのに、償いたい等と言うのも結局は自己愛でしかない。
「もう、俺達に出来ることは何一つ無い。後追いしようがお前の勝手だ」
愛。その言葉で思い出すのは傷付いた身に当てられた治癒の光。そして、スープと寝床の暖かさ。だからこそ。
「でも、あんたは生きてていいと思う。少なくても俺はそれで救われたから……まぁ、そんな天使の考えでもよければだが」
「天使? 天使であるのか? 天使なのに、人間界の中で暮らしているのか?」
何気なくロドルフォが発した一言にレーヴェは驚いたような表情を見せた。
もしかして。
「お前、知らなかったのか?」
逆に驚いたロドルフォの言葉にレーヴェは頷く。
「お前、相当な世間知らずなんだな……」
呆れたように呟く堕天使に続きファウストが口を開く。
「我が輩は冥界を離れ500年ほどになる。離れてから冥界が暗く陰鬱な世界だと思うようになった――貴様もそうだっただろう?」
「……うむ」
人界は美しい。しかし、小夜の望む世界はどうだったのだろう。
「人の世界には輪廻転生なる考え方があるのだが」
死んだとしても、また生まれ変わるという考え方。ファウストは顎に手をあてて。
「彼女は死んでしまった。だが、もう一度、ここに生まれたいと思える世界を作ることも。ひとつの償い方なのかも……な」
「哀しい結末のお話をやっちゃいましたけど、私はこのお話には愛があったって思ってます! それも愛なのではないでしょうか?」
死が切欠だったとしても、二つの家は和解した。それは愛があるからと信じるシャロンは陰影の翼を顕現する。
「私は人間と悪魔のハーフです。そして、お母さんはそんな私が生きられるようにって私の周りの世界を変えてくれました。そして、お父さんが暮らせるようにってたった、ひとりで。だから、世界を変えるのは別に大きいことじゃなくてもいいと思うんです」
「……そうだな。我は間違いを起こした。取り返しようもない程に愚かな行為だ。償いたい、赦されたいなどと言うのはカミーユの言うように傲慢なのであろう」
取り返しの付かないことをしてしまったのだから。自分が報われるだなんてならないこと。
だけれど、せめてを償うことが赦されるのならば。
「人を、愛すのだ。この美しき世とともに……我にも、ヒトを恋ではなく――愛せるだろうか?」
変わらず無垢な悪魔。同じく道を間違えた者でも此程に違うのかと内心で思う眞央。しかし、言葉には出さず、ただ。
「とても辛い事実に向き合おうと決意した。その心を、私は信じる」
「そうだね、ヒトは誰しも過ちを犯す。だからこそ悔い改めるって気持ちも尊い。小夜ちゃんの記憶とともに、その気持ちを忘れずに居ればそんなに難しいことでは無いと思うよ」
カミーユと眞央の言葉を大事そうに受け止めたレーヴェは顔をあげた。
「では、我は一度冥界に戻る――決意を、告げてこようと思う」
執事に。好奇心旺盛な少女に。そして、同じ"人の子"を愛した友に。
父上の為でもなく、冥界の為でなくただ愛すべき存在へ剣を捧ぐ、そのことを。
「訊かせねばならぬからな。友に別れを告げてこようと思う」
「解った。ちゃんとケジメ付けたら訊ねて来い。その時は、まあ酒飲みながら思い出話くらいには付き合ってやってもいいぜ」
「……うむ、その時は」
まるで、友人に語りかけるようなロドルフォの言葉。レーヴェは静かに頷いた。
そして、夜は明ける。
「ねぇ、小夜さん。空から見てくれてる?」
月を眺める夢の瞳。冬の澄んだ空気に寒月の光は真っ直ぐに降り注いでいた。
この瞳いっぱいに映る夜空はあの日と同じように切なく寂しく、美しい。声なき世界の其の欠けを埋めようと精一杯に輝く星屑達。
「……ううん、見てくれているといいな」
夢の言葉に応えるかの如く流れ星がひとつ流れてゆく。まるで、微笑むかのように優しい名残をとどめて。