●斜陽の今日
冬の夕暮れは余りにも短い。
曇り硝子に溶かし混んだかのようなオレンジ色。儚く優しい夕陽が作るのは淡く優しい影法師。
鴉が鳴いたら帰ろうだなんて、当たり前のように思ってはいたけれど、そもそも明日なんてもしかしたら、もう来ないかも知れないのに。
優しくも残酷な夕映え。切なくも優しい不思議な空。
「何だか、寂しい風景、だね……」
ルティス・バルト(
jb7567)の、ぽつりと吐き出されたかのような呟きは紅い陽に飲み込まれて逝く。
特に何の変哲もない公園。子ども達の声で溢れているはずのその場所は静寂に満ちて、そんな公園にひとりで佇む少女。
例えそれがディアボロだとしても、きっと少し哀しい光景だ。ただ、この場には公園へと向かう撃退士達のアスファルトを蹴る足音しか響かない。
音も無く、人影も無いのであれば。
「……だから、かごめかごめの輪に入りたかったのかな?」
聞いた話を思いだしながら幽樂 來鬼(
ja7445)は、少しだけ複雑な様子を見せていた。大体誰もが幼少期に遊んだ遊び。それを。その少女はどう思うのだろうと想像に
「かごめかごめ、か。少し苦手だな」
「懐かしいな……小さい頃は僕も遊んだよ。僕もちょっと苦手だった」
ウェル・ウィアードテイル(
jb7094)の呟きに、朗らかな清純 ひかる(
jb8844)の声が返る。彼の歩みに合わせて朱色の三つ編みが尻尾のように踊る。
「僕はピタリと後ろの人を当てるもんだから、結構嫌がられたりしたんだよね。今思うと、それは血のせいだったのかも知れない……けれど、きみはどうして?」
「上手く言えないのだけど、輪の中にいる筈なのに、何だかひとりぼっちのような気がして――なんだか、不思議だよね」
何故だろうね。ウェルは少しだけ首を傾げてみた。
(相手はディアボロ、戦わなくちゃいけない。けれど……)
傍らでそんな話を聞きながら、キスカ・F(
jb7918)は少し悩んでいた。
人型と聞いて、少しだけ迷う心。相手がディアボロだってのは解っている。やらなければいけないことも。
「行うことは何も変わらないわ。私がすることはただ死を与えることだけ」
そんなキスカの内心を読んだかのように口を開いたのは死(
jb6780)。ごく当たり前のことを言うような声に、弾かれたかのようにキスカは顔を上げる。
「さぁ、殺すわよ。普遍的に決定的に。圧倒的に絶対的に究極的に、思う存分息の音を止めて差し上げるわ」
「だけど、ボクは……!」
溜まらず叫び声を上げるキスカ。だけれど。
「だけど、どうしたの?」
死に改め訊ねられて、キスカは言葉を止める。
「真白き人形の姿だと言う話。人の形をしていても所詮は人形なのです……そんな姿で現に留まり続けるのは、とても悲しいことでしょうね」
百目鬼 揺籠(
jb8361)の声はふたりの遣り取りに返すのか否か。
改めて、今回の敵は人型のディアボロ。一度死んだ人間だって解っていても、納得は出来なくて穂積 直(
jb8422)はきゅうっと拳を握る。
「だけれど、僕にも、出来るのでしょうか? 冷たい決断を下すことが……」
「……それが、仕事であるならば。行きましょう」
紡がれた直のか細い声。だけれど、そんな少年にに言葉を返した揺籠は前を向く。
8人の撃退士の長い影。乾いたアスファルトを蹴る音が辺りに虚しく響いた。
●ゆうやけ
夕焼けの公園。風も凪いで木葉も歌うことを止めた。
ぽつんと、広場の中央に一つの影が大きく伸びていた。白い和服に白い髪。日本人形のようなディアボロの姿。
(少女にしては、整いすぎている……作られた美しさ、だね)
一目で人外の存在だと解った。なのに、その姿は人に余りにもそっくりでキスカは戸惑いを覚える。
その人形のようなディアボロの少女に戸惑いを覚えたのはキスカだけではない。
(……どうして)
だけれど、その姿が酷く寂しそうに見えてウェルは内心呟く。
倒さなければ、解っている。だけれど、少女のことを知りたくなった。
「あ、あの……ちょっとだけでいいんです! あの子と遊んでも、いいですか……?」
「勝手にしなさい。如何なる理由や事情があろうと私の役割は変わらない。その過程がどうであろうと、私は気にしないわ。結末は同じなのだから」
死の言葉にただありがとうございますと言って直はカゴメのもとへと駆け寄っていく。
直の背を來鬼が追い掛けてディアボロと接触するのを見送ってから、死達は一同は遊具や木陰へと隠れた。
「こんにちは、もしよかったら僕と一緒に遊んでくれませんか?」
そろりと顔をあげる少女。その様子は言葉というよりも音に反応しただけの様子に見えて差し出された直の手。だけれど、カゴメは握り返せなかった。
「えぇっとね、こうやってね……! はい、握手!」
両手で包み込むように、直はぎゅっと手を握る。その肌の冷たさに泣きそうになりながらも自分の体温を移すようにぎゅっと。
「そだね、一緒に遊ぼう」
「幽樂さん……! でも、ふたりだけですか……何して遊びましょう?」
後ろから掛かった声は來鬼のもの。だけれど、人数が少なすぎる。
「うち、折紙持ってるしそれでやらない?」
そうして、來鬼が広げた折紙を手に取って、丁寧に解説を入れながら折ってゆく。
來鬼や直のように満足に鶴さえ折れなかったけれど、ふたりに囲まれている何だか幸せそうにも見えた。
眺めながらウェルは思案する。如何してだかぬいぐるみを使役するヴァニタスのことを連想してしまう。
人形のようなディアボロ。そうして、凄く寂しそうな少女。
此れを生み出したのが、彼女の仕業だったとしたのらば。
「リコ、キミは私の敵だ」
何を想い、このディアボロを作ったのか本人に聞きたいと思う。だけれど、本人に今逢えない以上それは叶わず。
ただ、ウェルは寂しげなディアボロの姿を眺め続ける。
●生きていた証
其れを最初に気付いたのは、カゴメをじっと観察していたウェル。
「させないよ!」
カゴメが、始めて口を開こうとした。だけれど、口から漏れ出すのは言葉ではなく災いの唄。
鬼火のようにばっと浮かぶ焔は來鬼を目掛けて飛来する。慌て駆け寄ったウェルは來鬼を突き飛ばした。
「乱暴なこと、するんだね」
突き飛ばされた來鬼は、しかし直ぐに構え直しヴァルキリーナイフを放つ。一閃はカゴメの腰へと命中し白いその身に傷を付けた。
「全く……無茶をするね、レディ」
ルティスはやや困ったような笑いを浮かべながら、聖なる刻印を結びウェルへと飛ばした。ウェルが何かを言う前にレディー・ファーストだからねとルティスは穏やかに笑う。
「さぁ、小さなレディ。キミは何を望んで其処に居るんだい?」
そうして、ルティスは再び視線を前に戻し、じっとカゴメの様子を眺めてみる。
記憶や意志など残っては居ないはずなのに、何処か寂しげに見え未だに何かを求めているようにも見えるのはきっと、外見通り幼い少女だっただろうから。
「生きた証を、生きていた証を――せめて、俺達の中にだけでも……」
それくらいを願い叶えてから逝ってもいいと思う。
ルティスの言葉に勿論、カゴメからの言葉はない。だけれど、人を傷付ける歌を歌う。本能的に植え付けられてしまった行為。だけれど、何故か何かを訴えかけているようにも見えて。
「……そうですね、そういう遊びがお好みならそれも良いでしょう。気の済むまで踊りましょうか。ここで、共に」
揺籠は拳で強くカゴメを殴りつけた。激しい痛みに動きが止まるカゴメ。これほどにもない好機であっただろう。だけれど。
(やっぱり、ボクは自分の心に逆らえないよ――!)
キスカのその迷いが軌道を変えてしまったのか。彼の銃から打たれた弾丸は命中することはなく、空を切る。
「生は何よりも不平等よね」
死は木陰より小銃を構え、そんなことを呟いた。
あのディアボロはそうして人の身を失ったというのに、世界には何の苦労もせず生きる輩もいる。
其れは、なんという残酷で不平等な世界なのだろう。
「けど、安心なさい。死は現世唯一の平等……彼は誰時も、誰そ彼時も、等しく全てを迎え入れる――私こそが、貴方の死よ」
死はたったひとつの救済なのだから。
そうして、死は容赦無く引き金を引く。一寸の躊躇いも無く放たれたその弾丸はカゴメの腹部へと命中した。
悲鳴にも似た苛む歌が辺りを包む。
「仲間に心の痛みを背負わせるなら、せめて体の痛みは僕がこの身に受けよう!」
ひかるの黒いマントが翻る。ウェルへと向かうはずだった音の流れは清らかな空気に誘われるようにひかるへと向かった。
「……これくらい、なんともないよ!」
穿たれた傷。だけれど、直から放たれた優しい癒しの光がひかるの傷を包み癒した。
歌は流れて逝く。
音が揺らげば撃退士達が傷付き、撃退士達が武器を振るえばカゴメが傷付く。
緩やかに流れる戦闘。まるで頭を掻き乱すノイズのような唄に惑わされることはあっても、流れは撃退士達側にある。
「……友達を失くすような真似はするもんじゃないよ」
その時、ぽつりと呟かれたのはウェルの声。だけれど、それは何処か温もりを含んでいた。
カゴメの背後から語りかけたウェル。カゴメの肩越しに直の姿を認める。
「僕は、もっとキミのこと……知りたかったな」
だけれど、カゴメの胸に突き刺さる直の剣。
一瞬時が止まったかのように雲が動きを止める。その一撃は命を奪うには充分。
「だけれど……もし『次』があれば私のところに来なさい。キミがひとりぼっちにならないように、一緒に輪の中にいてあげよう」
倒れ込むカゴメの躰をまるで包み込むかのように受け止めて、祈るように瞳を閉じた。
最期の瞬間。寂しくないようにウェルは願う。
「うん、きっとその時は僕も一緒だって――約束するから」
出来るだけそっと剣を抜いた直は、そのまま地に剣を放り棄てる。そして、そっと抱きしめた。流れ出るのは血ではなく直の涙。
直とウェルに包み込まれるように。ふたりの間で息絶えたのは、孤独なディアボロでは無くひとりの想い報われた少女の安らかな寝顔だった。
狭間の時は揺らぎ、月のみえない夜が来る。
包み込むように伸びていた長い影はもう既に消え去り、空はすっかりと紫紺色へと染まっていた。
●明日
ぱちぱちと冬の夜空に火花の爆ぜる乾いた音が響く。
「おやすみなさい、カゴメさん」
せめて最期には弔いの送り火を。揺籠のそんな提案によりカゴメの躰は火で燃やされた。揺籠の言葉に応える如く火花は夜の闇を舞い上がる。
「……嗚呼、こんな小さな子どもまで。色々なことを経験出来たろう年頃なのに、ね」
「あの子は幸せやったんかな……」
ルティスの言葉にぽつりと、來鬼が呟きを返す。
独りぼっちのディアボロ。勿論。何か哀しすぎるよと月無し空
「生は何より不平等よね。だからこそ、」
繰り返すように死は呟く。それが、
「救うとか、どんな言い訳をしても、自己満足でしかないよね……けど、僕はあの子を幸せにしてあげられたのかな」
直の意は決まっているはずなのに、心は揺らぐ。少しだけ思い悩む様子を見せる直に揺籠は語りかける。
「現より天へ、そして転生するが人の子のさだめ」
しんみりと夜に溶ける揺籠の声。
「今生で届かなんだら、次へ託せばよいのです」
くるくる回るかごめ唄のように。輪廻の輪も巡り巡っていつかきっと願いに届く日が来ましょう。
歌うように言葉を紡いだ揺籠は、そして穏やかに笑う。
「貴方達の力で止まっていた刻と輪廻は動きだし、人の子は新たな未来へと向かうことが出来るのです」
それでも悔いるのであれば、袖振り合うも多生の縁という言葉の通り願えばよいのです。
揺籠は穏やかに笑い、火花の逝く末を見守るように空を仰いだ。
「……だから、泣かないでくださいね?」
その言葉は死した少女へか、少女を看取った少年へか。それとも、木陰で一人隠れ泣く青年へか。
「はい、僕は忘れません。辛くたって感じることも止めない……大切に毎日を、生きていく」
君が逝ってしまった今日を。きっと君が生きたかったであろう明日を。何一つ忘れない。
「……心を凍らせてしまったら、感じることが出来なくなってしまったのならそれが最期だって、思うんだ」
「そうだね、僕もそう思うよ。あの子に矛先を向ける時躊躇ってしまったのが自分でも解った――甘いなって思ったけど、それでいいんだ。ディアボロとはいえ、奪うことに慣れたくはない」
なんだか、それは凄く複雑で自分でも未だよく解らないけれど。ひかるは直にそんな言葉を返す。
パチパチと蛍のように冬夜空に舞い上がり消え逝く火の粉。ひかると直は、そのまま見上げ焔の逝く果てを眺める。
「……子どもだったもんねぇ」
それでも振り切れない想いと、來鬼は色々な想いを込めて呟く。
じんわりと重たい程に澄んだ夜空。その向こうに未来があるのならば。
(今度会う時は素敵なレディとして、逢おうね……)
そんな未来を、少しだけなら願ってもよいだろうか――寂しげに少しだけ息を吐いたルティスはタバコに火を付ける。
「かごめかごめ。籠の中の鳥はいついつ出やる――」
口ずさんだウェルは、しかし其処で唄を止めた。違うね。
「鳥籠の鍵は開けられたのだから、きっと素晴らしい世界を見付け飛び立って逝けるって、私は信じよう」
ただ、ただ。
願わくば――そんな優しい世界を。
心の中で祈るのは、誰もが同じだったかも知れない。
一同とは離れた木陰でキスカは枝葉越しの夜空を見上げていた。
(狂った行動だとは解ってはいた。だけれど、ボクは……)
解っている。あれはディアボロで既に死んでいる存在。倒すことが使命であり問題を先送りにすればこれ以上の被害が出てしまうことを。
だけれど、どうしても人の姿をしたディアボロが。まだ幼くして逝ったあの子を殺すことなんて余りに酷く難しい話だった。
「……ごめんね」
ただ、漏れるのはそんな言葉。助けられなくて、ごめん。届くはずもないのに止め処なく溢れてくるそんな悔悟の言葉。
何が正しいのか解らない。正しい解があるのかも知らない。
ただ、世界にもし、正解があるとするのならば何て残酷なのだろう。そんな世界が自分に求める戦闘という行為。
(……それも、正しいんだろうか?)
木々に覆い繁る葉の合間。零れ落ちるような星の光だけがキスカの涙を見ている。
弔うようにぼやけた輝く星の光は遥か過去の幻影。
時は流れて往く。人の営みを連れて流れて逝く。
誰かが生きてた今日。誰がが逝く明日。
どんなに願ったって変えられない時の流れは無情。それでも、きっと人々は星空の向こうにある明日を待っている。