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突き刺すような冬の静寂。澄み切った夜空は哀しい程に深い藍。
凍て付く夜風と降りしきる宵の帳を割るように篝火が弾け散っていた。
「人質、か……よくよく趣味の悪い悪魔と当たるな……」
「けど、まぁ人質を取るような奴って大体小物なのよね。悪魔だのなんだの言ってるけれど彼奴も高が知れているわ」
アセリア・L・グレーデン(
jb2659)の呟きに六道 鈴音(
ja4192)が言葉を返す。
何だってそうだ。餌を用意せねば自分達を誘き寄せられないと思っているのならば、所詮はその程度なのだろう。
山道を登り、やがて見えた一の鳥居を潜る。朱色の春日灯籠が立ち並ぶ石段を踏み歩く足音が、静かな夜に乾いた音を立てた。
「お招き頂き光栄です、レーヴェさん」
社殿の上で胡座をかいて待ち構えていたレーヴェに、せくすぃいけめん等と緩む内心を押し殺し、恭しく一礼をしたのは嵯峨野 楓(
ja8257)。
折角のサーカス、舞台は神社に、演者は橋姫。撃退士達は折角ならばとそれぞれ用意した和服に身を包み、この戦いへと臨んでいた。
楓が身に纏うのも行灯袴。白衣に咲く桔梗の花にレーヴェは一瞬だけ懐かしむような表情を見せ、そして撃退士達を見渡す。
「ようこそ、Devil Circusへ。我の名はレーヴェ。今宵は我が宴への招きへと応えてくれて嬉しいよ。歓迎させて頂こう」
顎に手を掛けて、笑みを深くする。小さな仕草で銀色の髪が肩より零れ落ち、流れる。それだけならば思わず息を呑むほどのイケメン具合。
だけれど。
(ん、あれ? なんか、残念な感じが……)
楓は言葉に出来ない感覚を覚え、少しだけ首を傾げた。しかし。
「ばかもーん! おおばかさんのロリコンさんに物申したいことがあります!」
楓の思考を断ちきったのは田中恵子(
jb3915)の大きな声。びしぃっと悪魔を人差し指でさして物申す。
「何ですかそのお洋服の着方は! けーこさん激おこだよ!?」
「ゲキオコ?」
「あーもう、けーこさんはいーっぱい怒ってるのです! ぷんぷん丸なのです!」
叫ぶ恵子に今ひとつ要領が得られていないのかレーヴェは何やら小声で繰り返していた。またもや奇怪な人界の言葉、実に興味深い。
「とりあえず、ちゃんとお洋服を着なさーい! おねーさん命令です!」
「ふむ。とりあえず見様見真似で着てみたのだがな……しかし、布のようなワフクと紐のようなオビではこれが限界であったのだ」
でも、人に見せてはならぬという大切な場所は隠しているぞと何故か胸を張るレーヴェ。鈴音は思わず炎弾を飛ばしそうになったが堪えて。
「あ、あのねぇ……お世辞にも似合ってるとは言えないと思うし、着方も解んないのにどうして着ているの?」
「サヤが着ていたからだ! 真に愛した少女が身に纏っていたものと同じような服に焦がれても、おかしくは無いだろう?」
「サヤ……?」
爽やかに悪魔は言う。
「我がヴァニタスへとした少女だ――そうだな、其処の少女のような花の服を着ていたな」
視線を向けたのは楓の服。
「お前っ」
知っている名前。
ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)が思わず飛びかかりそうになるのを、彼の腕を掴み制止したのは陽波 飛鳥(
ja3599)。
(人質の為、今は堪えて。刺激してはいけないわ)
振り返ったロドルフォを黙したまま見つめる飛鳥の夜闇色の瞳が、そう告げていた。飛鳥はレーヴェに顔を向けて微笑む。
「そ、そうですわね……ひ、人質を無事に解放してくれたら、私たちが貴方に和服の着付け方を手取り足取り、 お、教えてさしあげてもよ、よくってよ?」
安物の甚平に身を包んだ飛鳥が笑顔で誘う。だが、言葉使いも何だかおかしく、その微笑みも引きつっている。
レーヴェは飛鳥の様子も無く、本当かと子どものように瞳を輝かせていた。ええ、本当ですわと応えた飛鳥の言葉は相変わらず引きつっている。
「ですから、悪戯しちゃ駄目ですからね! 絶対ですからね!」
「ふむ、勿論だとも。元より我からゲストに手を出すつもりは無い。お前達がこの『演目』を無事演じる切ることが出来れば解放すると誓おう――ロリコンの名に掛けてな」
飛鳥に続き地領院 夢(
jb0762)が念を推すように要求。あっさりと頷いたレーヴェは言い切った。清々しく。
「そうだな。少女愛好者であれ、趣味とする分には問題ない、他人や社会に迷惑を掛けなければいいだろう――そうだな、最近はこう言うらしいな」
島津 忍(
jb5776)は顎に手をあて思い出す。そう、確か。
「イエス! ロリコン! ノータッチ!」
瞬間、冬の夜風が一層冷たく吹き抜ける。恵子はさっと夢を引き離し、飛鳥とアセリアは呆れたような眼差しで見ていた。
「……ろ、ロリコン……意味解ってん、の……ぶはっ!」
「……む? なんだ、違うのか?」
楓は肩を震わせて必死に笑いを噛み殺してはいたが遂には噴き出しお腹を抱えた。皆の様子を見渡す忍の厳つい顔にも焦りが浮かぶ。
「そ…それは、ロリコンが言う台詞って聞いたのですがっ!」
「わ、私は決してそのような趣味はないぞ! て、訂正を要求する!」
鈴音の指摘に慌てた忍がそう返すが既に時遅し。しかし、なんだか嬉しそうな顔をしたのはレーヴェ。
「恥じることはないぞ! ロリコンは一途を貫き通し真に年若き娘を愛した者のみが名乗ることを許される名誉称号だ。我とともに胸を張ろうではないか!」
「む、胸を張ることなんですか! それはっ」
あけっぴろげにいっそ清々しく言い放つ悪魔に、夢は反射的に言葉を返したが自称ロリコン悪魔は満足げに頷くだけ。
ああ、もう。
(なんか、調子が狂うわ……)
飛鳥は額に手をあてる。なんてどうしようもない悪魔なのだろう、逆にやりづらい。
ところで。
「……んん? 何か大事な事忘れてる気が……」
「あの駒のことはいいのか?」
恵子に答えたアセリアの視線の先には鬼女の姿をしたディアボロ――橋姫。促されるように同じ方向を向いた恵子は一瞬沈黙。
「はっ! そうだったよ! わ、忘れてなんかいなかったよ?」
慌てたように言う恵子。楓は微笑み、告げた。
「開演の時間だよ、舞うように優雅に行こうじゃないですか」
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「……時間をかけるのも癪に障る。さっさと片付けよう」
駆けだしたアセリアは刹那懐に潜り込み術を放つ。橋姫の周囲を闇が包み視界を奪う。
しかし、我武者羅に放たれた炎。
「こんな炎で私と戦おうだなんて、笑わせるわね」
あえて防御を選んだ鈴音の顔に汗が落ちる。恵子の召喚獣の加護もあるが痛くないわけがない。しかし、弱さを見せず。
「見せてあげる――本物の炎!」
放たれるのは六道家に代々伝わる炎。閃熱の煌めきが呪火となって橋姫の身を苛む。
「火の輪くぐりと言うと、その中を通ると相場が決まっているだろうが――生憎、その手に乗るほど余裕が無いものでな。私のやり方にてやらせていただく」
その闇に紛れるように忍の放つ一撃が橋姫の意識を混濁させる。
攻防が続く、しかし橋姫の自由が効かない分、撃退士達の有利に場が進められていた。
「私は攻撃してくるのであれば敵と認識する性質でな……全力で打ち抜かせてもらう!」
放たれるのはパイルバンカー。アセリアの一撃を受け、ぐらりと体勢を崩した橋姫。
揺らぐ橋姫を恵子は抱きしめるように受け止めた。幼子に言い聞かせるかのような温もりを含めた口調で囁く。
「どんな言葉を紡いでも、私は貴女じゃないから。だけれどね」
優しさで貴女を包むことはきっと出来るはずだから。貴女の哀しみを本当の意味で理解することは出来ない。でも、せめてその哀しみを和らげてあげることなら、きっと。
「女の子は涙の数だけ綺麗になれるんだよ」
優しく包む恵子の温もりに。
――信じて、いたのに……。
聞こえない声が聞こえた気がして、鈴音はそちらに視線を向けた。
「……泣いてる、の?」
もう二度と剥がれ落ちはしない歪んでしまった想いの果て。こびりついたような憎悪の表情に似付かわしくない涙が伝いおちてゆく。
「大好きで、大好きでこんなになっちゃったのかな」
夢は苦しそうに橋姫を見る。ロドルフォは怒りを隠せないまま叫ぶ。
「男なら女を笑顔にしてなんぼだろうが……こんな表情のまま放っておくんじゃねえよ!」
「それはその女が望んだこと。我は望みを叶えたまで」
だから、何が悪いのだ。
訊ねるレーヴェの表情には邪悪なものなど一切無く、心からそう信じ込んでいるような様子だった。
「そうだな。もし、あの駒がその男と女に裏切られたという話が本当であるならば……」
アセリアはレーヴェを向き、言い放つ。
「そうだというのならレーヴェ、その二人を起こせ。自分たちの行為の結末を知るのも悪くないだろう」
「ふむ。よかろうて望み通りに」
悪魔は男女の身を軽く揺さぶる。ゲストは単に眠っていただけであっさりと起きた。
「君たちの行いの結末だ。見届ける義務があるはずだ」
アセリアはふたりに言う。
そして、傍らから飛び出した飛鳥の紅焔の髪が風に靡く。刃音も、風切り音も刹那に。
「こんな止め方しか出来なくて……ごめんなさい」
せめて出来ることはこれ以上罪を重ねないことだから――歯を食い縛り、刃を踊らせる。
薙ぎ払われた血斧。憎悪に歪んだ面を叩き割るかのように幽明の命へと終焉を告げた。
「……え?」
ゲストは橋姫の正体どころか、自らの置かれている状況すら理解出来ず、戸惑っている様子だった。
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「さぁ、演目は終了よ。ゲストを解放しなさい!」
「言われずとも。ロリコンは誓いを破らぬよ」
鈴音の言葉にそう返したレーヴェは震えるゲストを両脇に抱え、社殿より降り立った。
解放されたゲストは相変わらず何が何だか解らない様子。駆け寄った鈴音とアセリアがふたりを抱きかかえて、悪魔から引き離す。
「さて、と――ちょっと、こっち来なさい。女に二言は無いからね」
飛鳥は顔を逸らしながらもレーヴェに懇切丁寧に解説しながら着付けていくが半分も理解出来ていない様子だった。
必要以上の力を込めて帯を締めてやると
「そういえば、他にもアンタの仲間がいろいろやっているみたいじゃない。何が目的?」
「我には解らないな。誘われたから乗ったまで、それ以上の理由も目的も我には存在せぬし、知らぬよ」
符を構え、鋭い言葉を打ち付けた鈴音にレーヴェはそう返す。その言葉に嘘も偽りも見受けらない。
「……どこまでも女を幸せにしねえ奴だな」
「ヒトは永遠の命というものを求めるものではないのか? それで、幸せにはなれぬのか?」
橋姫の亡骸を抱え吐き捨てたロドルフォに、レーヴェは問いかける。
「んなわけあるか! 遊び半分で人を殺して、運命を狂わせて」
先程小声で夢に事情を説明されて、堪えきれず想いをぶつけたのは飛鳥。
「それでよく人が好きだの、感情が美しいだなんて言えたわね。バッカじゃないの?」
失恋だのなんだの言うのはいいけれど。
もし、『その子』の痛みを理解せず、気持ちを考えないもしないのなら。
「……あんたの言う愛なんて、偽物よ」
「では、その愛という物はなんだ。お前達は如何にその感情を心得るのだ?」
純粋なる疑問。しかし今度はロドルフォが怒鳴りつけるように叫ぶ。
「そんなん、聞くもんじゃねぇよ!」
脳裏に過ぎるのは泣きながらも微笑み、螢とともに命尽きようとも他人のことを想い続けた優しい少女の姿。
「あんたが愛し惚れたまんまの小夜ちゃんを手に入れたかったんなら自分の方から歩み寄るべきだったんだ。大切にしてやることこそが愛なんだよ!」
何も捨てずに、相手に全てを捨てさせるだなんて甲斐性の無い情けない男のすること、だから。
「そんなことも解らんねーようなら、小夜ちゃんの墓に参る資格すらねぇな」
「……我は、サヤを傷付けていたのか……?」
縋るようなレーヴェに少しだけか弱い笑みを浮かべた夢。
「とっても優しい女の子だった。死んじゃうのは勿体無かったんだよ? もっと、話がしたかったな」
レーヴェさんもそうでしょう? その言葉に悪魔は頷く。
「本当に…好きになったのだ。それを恋と呼ぶのだろう?」
自由意志なんて奪おうと思えば奪えた。だけれど、純粋にその心が好きだったから。
壊れそうな程に強く狂おしい感情。死にそうな程に苦しくもなお想い続けている。
如何すればと言った顔をしたレーヴェにロドルフォは甲斐性見せてみろとただ言った。未だよく意味は解らないような顔をし、再び俯く。
「レーヴェさんも次へ向かいましょ? これ、あげますから」
歩み寄った楓は項垂れる悪魔の髪に手を触れ、簪をさす。
「これで纏めて――ほら、素敵ですよ」
促されるように顔を上げたレーヴェの戸惑ったような表情の中には、ほんの少しだけ朱が混じっていた。
やがて悪魔が立ち去り、静まり帰った境内。
「話してみた感じ悪い子には思えなかったね。まるで、何も知らない子どもみたい」
しんみりと恵子が呟く。
「でもね、女の子を泣かせるのはよくないよ。反省して貰わないとー」
「あ、あの……此処は、あなた達は?」
恵子の言葉が途切れた隙に割り込むように入ったのはゲストの女性の声。
口を挟む余地も無く怯えながらずっと様子を伺っていたらしい。此処は何処か、状況が全く解らないゲストに応えたのは鈴音。
「悪魔のふざけた演目とやらにあなた達を巻き込んだようね。まぁ、あたし達撃退士が終わらせたけれど」
「聞きたいことがある。その悪魔はあの駒――ディアボロのことを婚約者と親友に裏切られた哀れな女と呼称していた、お前達……」
心当たりはあるのか。鈴音に続き訊ねようとしたアセリアの言葉を遮り言ったのは男性。
「わ、悪気は無かったんだ! 最初は遊びだったんだ……だが、それが本気になって!」
一夜限りの情事にするつもりだった。だが、燃え上がり広がる恋の炎は気付けば燃え広がり、誰にも止められなかった。
それを知った彼女は、心を病んでいった。そのことを知っていたはずなのに、更に自分達は恋に溺れていくだけで後悔すらしていなかった。
「……一晩中外に居たんだ、少しは頭が冷えただろう」
相変わらずの厳つい顔で、少しだけ呆れた様な響きを込めて忍が呟く。
「人ひとりの運命を歪め、命を奪ったのだ。その十字架を背負い生きていくのなら充分罰になろうて」
「……まぁ、とりあえず帰りましょう。こんな真冬に一晩中外に居たんですもの、風邪ひきます」
俯き黙す男女を一瞥し、鈴音は踵を返す。
冬の夜空は、気付けばぼんやりと薄らみかけていた。
燃えるような暁が、木々の隙間から差し込んで篝火の灯りを暈かし消し去ってゆく。
「あ、そういえばロリコンの意味教えるの忘れていましたね」
「面白いから暫く放っておけばいいんじゃない?」
思い出した夢の呟き。楓の顔には悪戯っぽい笑いが浮かんでいた。
段々と薄くなってゆく空。世界は何も変わらないような明日を迎えた。