●戦いの始まり
ジャージ姿で髪を後ろに纏めたシェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は始まりとなる一冊の本を棚から抜き出した。
それを合図に仄(
jb4785)も脚立に乗って、一番上の図書を棚から次々と抜き出していく。
「図書、と、言うと、なかなか、心躍る、な」
読書が好きな事もあってか、仄は無表情ながら楽しそうな雰囲気を出していた。
「えーと……歴史本に、科学系専門書……外国語の講座書と海外小説っと……」
シェリアも高所の本を取る為に脚立に乗り、本をジャンルごとに分けて、事前に用意した台車に載せていく。
一方、紅葉 公(
ja2931)とシグリッド=リンドベリ(
jb5318)は依頼者から、蔵書リストを受け取っていた。リスト、と言っても一枚の紙ではなく、紙束……いや、紙の山であった。
しかし、二人は特に嫌そうな顔はせずに、そのリストの山を眺めた。
元々二人は楽観的でマイペースな部分があるからか、気楽な表情でリストを確認していく。
「それじゃあ、頑張りましょうか」
「はい、しっかりと行きましょう」
シグリッドの掛け声に、紅葉も応える様に声を出す。
リストを確認していた間に、シェリアと仄もある程度の図書を本棚から抜き出しており、台車にずらっと並べていた。
紅葉とシグリッドは二手に分かれて、リストと実際にある本を照らし合わせる。
紅葉は図書の確認を終えたら、リストにその旨の書き込みをし、シグリッドは事前に用意したラックに確認済みの図書を入れていく。
「さぁ、こっからはボクらの出番やな」
図書が次々と運ばれ、空となった本棚を見て、蛇蝎神 黒龍(
jb3200)は声を上げる。
体操着にマスクに手袋、それにたくさんのシートを持ってやる気は十分だ。
もう一人、瀬戸 入亜(
jb8232)もジャージに埃避けのマスク等、掃除に対する装備は万全に構えていた。
二人は同時に、空いた本棚に向かって清掃を始める。
この作業は一見地味だが、その作業量としては多く、一つの本棚を掃除するだけでかなりの時間がかかってしまう。
だが、瀬戸は持ち前の身長を活かして、一番上の棚でもすいすいとスムーズに洗剤を使って拭いていく。蛇蝎神も以前に本を扱っていた仕事に就いていたこともあってか、慣れた手つきで汚れた本棚を綺麗に仕上げていった。
「まっ、こんな所ね」
まずは一つの棚が仕上がった。洗剤拭き、乾拭き、カビ避けのアルコール拭きと三行程もしたにも関わらず、瀬戸はスムーズに仕上げたのだった。
清掃を終えた棚に瀬戸は清掃済みと書かれた付箋をペタリと貼り付ける。
「お、もう一個終えたんか。負けられへんな」
別の棚を清掃していた蛇蝎神が、一つ終えた瀬戸を見て、対抗意識を燃やして自分の仕事に集中し、少し遅れて棚を一つ、清掃しきった。
仄とシェリアが図書を下ろし、その図書を紅葉とシグリットがチェックし、空いた本棚を蛇蝎神と瀬戸が綺麗にしていく。この流れ作業がしっかりと機能していた。
●事務室
「よし、まずは上からですね」
ジャージにエプロンを纏い、髪をバンダナで覆う川知 真(
jb5501)が気合を入れて声をあげる。
川知は早速、光の翼を背中に現出させると、ふよふよと宙へと浮き上がる。
「窓と換気扇、やってきちゃいますね」
「はい、お願いします」
天井と一体となっている換気扇を丁寧に外し、そのパーツ一つ一つをソフィスティケ(
jb8219)に手渡していく。
ソフィスティケは、その受け取ったパーツを広げた新聞紙の上に置いていく。
どのパーツも油汚れや埃で汚れきっている。
「それじゃあ、僕は浸け置きしてきますね」
「その間に私は照明を片付けますね」
川知はそのまま浮遊して照明の掃除を、ソフィスティケは換気扇のパーツを洗剤水で満たしているバケツの中へ漬け込む。
よほど普段から掃除をしていなかったのか、換気扇の羽は特に汚れがひどく、少し浸けただけで、洗剤水の色が変わった。
「……これは酷いです」
思わずソフィスティケは呟く。
戻ると、川知は既に照明の半分は清掃を終えていたようだ。
ソフィスティケも袖を捲り上げて、川知と同じように背中に光の翼を広げた。
「さて、一気にやっちゃいましょう!」
宙へ浮かぶことが出来るのなら、高所での作業は人間が行うよりもずっと早く、効率的に作業を進める事が出来る。この午前中の内に、二人は事務室の照明、窓を全て磨き上げ、新品とおもってしまう程、光沢のある仕上がりにしてしまった。
●お昼休み
太陽も一番高い場所へと登り、冬の中でもまだ比較的暖かくなる時間がやってきた。
撃退士達は作業を一時中断し、ビニールシートを広げて昼食を取っていた。
「沢山持ってきたので皆で食べませんか」
シグリッドが言うとバスケットに入ったサンドイッチを披露した。
「あたしもおにぎりをいっぱい作ってきましたから、交換しましょう?」
ソフィスティケも梅や岩のりと言った様々なおにぎりと用意していた。他のメンバーもサンドイッチやおにぎりとサッと食べられる食事を用意していたようだ。
皆、食べ物を交換し合ったり、食べ合いっこをしたりと、彼らが撃退士である事を忘れてしまうような平和な日常の光景が移る。
「どうです? 美味しいですか?」
「……ん、美味い、な。 空腹は、最高、の、スパイス、と言う、が、それを、抜きにしても、美味い、ぞ」
仄は両手でもぐもぐとおにぎりを口の中へ入れ、まるでハムスターのように頬を膨らませながら食べていた。無表情で食べているからか、余計に母性本能が擽られるような可愛さであった。
「……ところでおにぎりにグミが入ってたんやけど、これ誰のや?」
蛇蝎神が余所外のおにぎりの具に抗議の声を出すが、犯人であるソフィスティケはもちろん、他の誰もがわいわいと賑っており、蛇蝎神の声は通らなかった。
「お茶が入りましたよ」
昼食も終わりが近づいたころ、シェリアがポットとカップが載ったトレイを持って現れる。
カップ一つ一つに丁寧に紅茶を注ぎ入れ、皆に配って行った。
「あ、良い香りがする……」
「産地から取り寄せた高級茶葉なんです。 さあ、冷めないうちにどうぞ?」
紅葉の呟きが聞こえたシャエリアは嬉しそうに答えた。やはり自分が淹れた茶を褒められるのは嬉しいのだろう。
和気藹々とした昼食も終わり、一同は気を引き締め直し、午後の作業にあたる。
●午後の清掃
事務室では川知とソフィスティケが昼食によってエネルギーも満タンになり、気合を入れ直していた。
「さぁ、ここからが勝負ですね」
ソフィスティケが背筋をぐっと伸ばして声を出し、
「最後まで頑張りましょう」
川知もバンダナをしっかりと締めて気合を入れる。
かくして、午後の作業は開始された。
川知は事務室のデスクを動かし、床を丸裸にさせた。床には凹み、デスクの足の後やコーヒーでも零した痕があり、お世辞にも綺麗とは言えないものであった。
自在箒を手に取って、川知は床に溜まった埃やゴミをかき集めていった。集めたゴミはちりとりで回収していく。これで、簡単なゴミの除去は出来た。
休む事無く、濡らした雑巾を手に取り、床を拭いていく。
一方、ソフィスティケは午前の作業の続きを行っていた。
午前中に浸け置きしておいた換気扇の仕上げをしていたのだった。
「よし、だいぶ汚れが落ちているね」
油だらけであった羽も洗剤水に浸けていたおかげで後は軽く拭くだけで綺麗に落ちそうだ。そのまま、ソフィスティケはスポンジでささっと汚れを拭いていく。
流れも乗って、羽以外の枠組みやフィルターなどの部分も綺麗に汚れを拭き取って行った。
乾拭きもしっかりとして、後は再び光の翼を展開させ、換気扇を元の位置へと戻していく。
「こっちは終わりましたよ」
ソフィスティケがすべての換気扇をつけ終えると、川知も既に雑巾がけも終わっていた。
「それじゃあ、後はワックスをして終わりね」
「はい、ラストスパートです」
二人はモップを持ち、ワックスを染みこませる。そして、二人が横一列に並び、モップを床に付けて、
「せーのっ!」
「せっ!」
一気に床の上を翔けた。モップがかかる後にはワックスがうっすらと残り、照明の光を強く反射させる。ワックスも乾けば、光の反射も落ち着き、光沢がある床に仕上がるだろう。
一方、シグリッドは午前中の作業と同様に図書の在庫チェックを続けていた。
リストと実物の図書を照らし合わせ、チェックし終えた物からラックに五十音順で並べていく。
「っと、これは……ちょっと酷いかな」
このように何冊もチェックをしていくと、状態の悪い図書も出てくる。表紙が破れていたり、背中が剥がれそうであったりと様々ではあるが、やはり見た目が悪い。
そんな痛みが酷い図書は別にして分けて置いた。
在庫リストの束ももう半分以上はチェック済みであり、この調子でいけば問題なく終わりそうだ。
しかし、紅葉が困った様に眉を寄せながら、リストと睨めっこをしていた。
「どうかしたの?」
「いや……リストに乗っている本がなくて……」
何度確認しても見つからない図書があった。誰かに貸したままといわけではなく、リスト上ではこの図書館に実在している事を示しているが……。
「お客さんがカウンターを通さないまま持って帰っちゃったかも知れないよ?」
シグリッドの言う事もあり得る。というよりも、それが可能性として一番高い。
「とりあえず、保留という事にして、作業を進めますね」
見つからない物は仕方がない。紅葉はリストにマークだけを付けて、作業進めた。結局は最後まで見つからず、紛失していると報告をする事になってしまったが……。
蛇蝎神もまた午前中と同様に空いた本棚の清掃を続けていた。ただ、午前中とは違うのはヒノキで出来た小物を作って、棚の隅に置いていたのだ。
「それはなに?」
隣にいた瀬戸が顔を覗き込ませて、蛇蝎神に問う。
「これはG様コロリや。ヒノキは虫が嫌う匂いを出すんやで」
「へぇ……」
これも前職で本を扱う仕事で得た知識なのだろうか。蛇蝎神が置いたヒノキの小物は、ほのかに匂いがするが、人間にとっては少し爽やかな、リラックスしてしまうような匂いである。
「もう終わったんか?」
「本棚はね。あとは床かな」
瀬戸の周りには既にピカピカとなって清掃済みテープが張られている本棚だらけであった。もう汚れたものはない。
「それじゃあ、ポリッシャーを取ってくる」
言うとすぐに瀬戸は床洗浄用のポリッシャーを準備し、起動させた。
ポリッシャーはモーター音をさせながら、床を磨き、張り付いた汚れを削り取っていく。
これで床にはゴミや汚れもなく、綺麗な状態に仕上がった。
「あとはワックスね」
ワックス用のモップを持って、早速ワックスがけを開始する瀬戸。
これも順調にワックスを床に伸ばしていく。もう、この作業が終わればほとんどが終わったようなものだ。
しかし、だからこそ、彼女は思い出してしまう。
(……あぁ、終わったらレポートを書かないと)
掃除の原動力は現実逃避である。さも、名言のような事を思いながら、瀬戸は心に悲しみを背負いながらワックスをかけて言った。その後ろ姿は何か哀愁が漂うものであった。
「おぉ、こんな本、が、此処にある、とは……」
無表情だが、感動が混じった声を出したのは、紅葉とシグリットが在庫をチェック済みの図書を片付けていた仄であった。
その図書の表紙は真っ黒で、ただ金色の文字で“グリモワール”と書かれているだけであった。
この怪しさこそがオカルトマニアでもある仄には魅力を感じるものであった。
「少し、だけ……」
ペラっと表紙を捲り、目次を確認する。目次に書かれている章のタイトルもまた、怪しい単語であった。
仄は止まらず、ぺらぺらとページを捲っていく。
「……えーと、仄さん?」
「おぉ、すまない……本、に、夢中、に、なって、いた」
様子を見に来たシェリアの声に、仄は本の虫から意識が戻る。
仄は読んでいた図書を頭の中で記憶し、本棚へと片付けていく。
(後で、また、借りよう)
次に来館した時にすぐに手に取れるように、棚に戻した図書の位置を覚えておく。
「さぁ、もうひと頑張りですわ」
シェリアも残りも少なった図書を持って、綺麗になった本棚へ戻していく。
ちゃんとジャンル別、著者名、五十音順にと戻しており、今後、職員も図書を探す際には楽になるだろう。
「事務室、終わりましたが手の足りないところありますか?」
事務室での作業を終えた、川知とソフィスティケが顔を出して、手伝いを買って出た。
これ幸いと、蛇蝎神は痛んだ机と椅子を指さして、
「あんがと。ほんなら、あそこの机と椅子を入り口付近に運んでおいてくれへん?」
「わかりました」
二人は蛇蝎神の指示を受けて、早速、足が折れかけていたり、ささくれが酷い机や椅子を持ち上げ、運び出していく。
その間、蛇蝎神は予めシグリットと紅葉が別で分けていた損傷の激しい図書を確認していた。一冊一冊、入念に確認をし、その状態を、全てメモをしていった。
「よし、こんなもんかな……」
蛇蝎神はカビが付いているものと損傷が酷い物を分ける。図書の修繕は自分が、カビについては知人の業者に任せるつもりだ。
「んー、終わった、終わったぁ」
「やっと終わりましたわ」
シグリッドは腕を伸ばし、シェリアは背筋を伸ばして、疲労がこもった息を吐く。
他のメンバーも次々と作業を終えて、集まり始めた。
図書館全体を見渡すと、埃もなく、窓から入る夕日を光沢のある床が反射させ、味のある雰囲気となっている。
疲れはしたものの、自らの手でキレイに仕上げた図書館を見ると、撃退士達も何とも言えない達成感を感じ、思わず笑みを零した。
(……あぁ、帰ったらレポートかぁ)
その中で、瀬戸は現実逃避からの帰還に心の涙を流していた。