●厨房班
温泉宿の厨房では着物を着た染井 桜花(
ja4386)とソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が料理長から仕事内容の説明を聞いていた。
二人とも、しっかりと聞き疑問点があれば、すぐに質問をして確認を行っている。
「以上になるが、何か質問は?」
「大丈夫だよ」
「……問題ない。分からなかったら、また聞く」
二人の頼もしい返答に、料理長は満足そうに、うんうん、と頷いた。
「それじゃあ、何かわからない事があれば、他の人に聞いてくれ」
それだけを言うと、料理長はその場を離れていく。
入れ替わる様に、別のスタッフが残された二人に近づく。
「早速二人には仕事を頼むね。まず、ソフィアさんは卵を割って溶いていって。染井さんは玉ねぎの皮むきをお願い」
「わかったよ」
「……了解した」
スタッフの指示に従い、二人は厨房の隅で、作業を開始する。
ソフィアはボウルに卵をいくつか入れ、菜箸でちゃかちゃかと音を鳴らす様に溶いていく。
ある程度、白身と黄身が混ざり、ムラがない事を確認すると、ソフィアは作成した物を近くの男性スタッフに見せにいった。
「こんな感じで良いかな?」
「ん〜……」
男性スタッフは、ソフィアからボウルを受け取り、じっと中身を確認する。
「うん、これぐらいでも問題はないかな。あえて言うなら、もうちょっと空気を混ぜる様にすれば良い」
「わかった」
スタッフから見ても、ソフィアが作った物は、普段作成している物と大差はなかった。
「そこの味っていうのはあるだろうから、その辺りはしっかりとしないとね」
ここまで完成度が高いのはソフィアの、この温泉宿の味を大切にしたいという気持ちが要因の一つであろう。
ソフィアは言われた通り、卵を溶く際に空気を混ぜる事を意識する。料理が趣味なだけに、飲み込みも早く、すぐにスタッフの希望通りの物が出来上がった。
「ソフィアさんは大丈夫かな……それじゃあ、染井さんは……と、おぉ!?」
染井の様子を見に行ったスタッフは、驚愕の声を上げる。
その声に染井は反応し、不思議そうな顔をしてスタッフの顔を見る。
「……何か?」
「あぁ、いや……早いね」
「……?」
既に染井の横には皮が綺麗に向かれた玉ねぎの山が出来上がっていた。その量は、毎日下ごしらえをしているスタッフから見ても、驚きの量であった。見れば、まだ皮が付いている玉ねぎも残りわずかである。
「え、えーと……それが終わったら、人参の皮も剥いてくれるかな?」
「……わかった」
染井もまた料理が得意という事もあり、この程度の下ごしらえは慣れたものである。
それを知ってか知らずか、スタッフは、
(……撃退士って料理でもプロ級なんだな)
と、妙な勘違いをしてしまっていた。
一方、雫(
ja1894)は料理長と共に市場へと来ていた。
料理長は雫なような小さな子を連れて歩くのは抵抗を感じているが、女将が大丈夫と太鼓判を押したのであれば、従うしかない。
まずは、今日上がったばかりの魚を見に行く。さすがに市場という事もあって、種類も豊富であり、選ぶのも一苦労である。
「さて……良さそうな物は、っと……」
料理長が並べられている魚を一つ一つ状態をチェックし始めると、横に立っていた雫が、すっと手を伸ばし、魚が入った発砲スチロールの箱を取る。
「これが良いです。鮮度はもちろんですし、身焼けもしていません」
「……ほう、どれどれ」
試しに、と料理長は雫から渡された魚の状態を確認する。確かに、それは料理長の目から見ても、文句の付けどころもない鮮度も状態も良い物であった。
「すげぇ、お嬢ちゃん。こういう事で撃退士云々は関係ねぇかと思っていたんだが……」
「観察力と経験ですね。サバイバル料理は好きですから」
「それは頼もしい。よし、どんどん行こう。嬢ちゃんも一緒に選んで行ってくれ」
「はい」
雫と一緒に状態の良い物を探しながら、料理長は先ほどの自分の考えは間違っていたと考えた。むしろ、撃退士がこれほどの能力なら、こちらからお願いしたいほどのレベルであった。
必要な物をあらかた買い終えると、その荷物は大量で、箱は大人の身長ほどになっており、それが二列もあった。
「さて、車まで運ぶか……三往復ぐらいする必要があるが……」
「はい? 何か言いましたか?」
言い終える前に、雫は右手に一列分、左手に一列分と、あの大量の荷物を一人で持ち上げていた。
「……お、重くないのか、嬢ちゃん」
「闘気解放を使っていますので、問題ありません」
「そ、そうか……」
料理長を苦笑しながら、一人の少女が大量の荷物を一人で運ぶシュールな光景を眺めていた。
●清掃班
影利(
jb4484)と白桃 佐賀野(
jb6761)の二人は、宿の大浴場の掃除を行っていた。温泉宿だけにあって、そのメインでもある大浴場は普通の旅館やホテルよりかも大きく作られている為、かなりの大労働になる。
「そうそう、そんな感じで溝部分を意識すれば綺麗になるよ」
ベテランスタッフから洗い方のコツを二人に伝授しながら、自分の仕事を行っていた。二人も聞いたコツを早速実践し、他の部分も見よう見まめで、清掃を進めていく。
「しかし、二人とも本当にしっかりと働いてくれて助かるわ」
「『旅館は清潔第一!』と教わりましたから。お客様に『また泊まりに来たい』と思って欲しいですもの」
影利の言葉に感動してか、ベテランスタッフは口元を手で押さえ、泣きそうな顔をして、
「もう、うちでずっと働いてくれればいいのにっ」
「あはは……ありがとうございます。でも、私にも自分の旅館がありますので……」
影利はその気持ちだけを受け取り、作業を再開する。
「あっ、白桃さん、もうちょっと右の方も」
「は〜い、わかりました〜」
白桃は闇の翼で宙を浮き、天井部分を清掃していた。普段、天井部分までの掃除は中々しないのだが、今回、空を飛べると人間では不可能な事も可能である為、折角なので白桃に天井の掃除を頼む事となった。
「こんな感じですか?」
「おー、ばっちりだ! じゃあ、次は反対側頼めるかー?」
「おまかせあれー♪」
二人の協力もあり、無事に予定通りの時刻に大浴場の清掃も終わらせる事が出来た。
最後に影利がヒリュウの視覚共有によって、全体のチェックも効率よくする事が出来、より細かい部分も清掃も出来て、普段よりも綺麗にする事が出来た。
「それじゃあ、影利さんは私と一緒に客間の掃除、白桃さんは玄関の掃除をお願いします」
スタッフの指示に従い、二人は与えられた仕事に向かっていく。
影利はスタッフと共に客室を流れ作業で清掃を行っていった。
ここでもヒリュウの視覚共有は活躍し、ゴミの見落とし等がないか効率よく確認する事が出来、結果として、時間の短縮にも繋がった。
「……ねぇ、本気でうちで働かない?」
「私はまだまだ未熟ですので……」
大浴場の時とは違い、真剣な目をして勧誘を受けたが、影利はやんわりとそれを断る。スタッフはしゅんと落ち込みを見せる。それほど影利の能力が魅力と思えたのだろう。
一方、白桃は玄関を竹ぼうきで掃き掃除を行っていた。季節も秋という事で、落ち葉が大量にあり、もう二つも枯葉の山が出来上がっていた。
「どうぞごゆっくり〜」
丁度、宿泊の客だろうか、二人の男性が白桃の前を通り、宿の中へ入っていく。それを白桃は笑顔で出迎えた。
二人の客は、フロントで受け付けを行っていると小声で、
「玄関に居た子、すっげぇ可愛くなかったか?」
「あぁ、ああいうのが看板娘って言うんだろうなぁ……俺、ナンパしてこようかな」
「やめとけ、どうせヤケ酒になるだけだ」
と、そんな会話が繰り広げられていた。
しかし、この二人は、白桃は確かに見た目は女性ではあるが男である事を知らない。
白桃はそんな会話を聞く事もなく、マイペースに玄関の掃除を行い続けた。
●接客班
「ちょっと、すみません」
「はい?」
たまたま廊下を歩いていた天ヶ瀬 紗雪(
ja7147)が、女性客に声をかけられ、振り向く。
「売店はどこにありますか?」
「はい。ここを真っ直ぐ進みまして、突き当りを右に行ってください。左手側に売店があります」
丁寧な口調で天ヶ瀬はしっかりと説明する。今朝のうちに館内地図などを頭に叩き込んだ甲斐があったようだ。
「本日は当旅館にお越しいただきありがとうございます」
フロントでは木嶋香里(
jb7748)が、新たな客を出迎えていた。4人家族のようで、荷物もかなりある。
「お荷物、お持ちいたします」
「え……えぇ!?」
木嶋は、忍法「夢幻毒想」で自身の身体能力を強化し、一般の人間では持てないであろう荷物を、たった一人で持ち上げ、運び始めた。
その曲芸とも言える動作に、客は驚きの声を上げる。
「お部屋までご案内いたしますね」
「は、はい……お願いします」
客は面を食らった顔をしているが、木嶋は特に気にする事なく、そのまま自分の仕事に従事した。
「いらっしゃいませ、どうぞごゆっくりとお寛ぎ下さい」
そうこうとしている内に、また一組の家族が来たようだ。
今度は丁度、手が空いた茜谷彩子(
jb7745)が対応し、前に出る。
「わぁ、お姉ちゃん、着物がとても似合ってる! 綺麗!!」
まだ小学生ぐらいの小さな女の子が目を輝かせて茜谷の傍に寄る。
綺麗と言われて嬉しく思わないわけもなく、茜谷も優しく微笑み、女の子の目線まで腰を下げて合わせた。
「ありがとう。でも、君も可愛くて、素敵だと思うよ」
この対応に女の子も嬉しくなってか、明るい笑顔で「ありがとう」と元気よく言った。
夕食時になると、途端に慌ただしくなっていく。今日は団体客も多く、宴会場は全て埋まっており、大変な賑いを見せていた。
三人はあっちやこっちやと忙しなく動き、お客からの注文と厨房から出来た料理を運び続けていく。
「なぁ、美人の嬢ちゃんも一緒に飲もうよ、なぁ……」
「申し訳ございません。私はまだ未成年で……」
「そう言うなって。お酒は美味しいよぉ〜」
完全に出来上がっている男性の客に、茜谷は絡まれていた。茜谷も嫌な顔は見せずに、笑顔でマニュアル通りにやんわりと対応しているが、どうもこの男性はぐいぐいと押してくる。
やむを得ない。茜谷もそれなりの対応をしようと思った瞬間、横からすっと天ヶ瀬の手は割入った。
「お客様、お酒足りていないのではないですかね? こちらの清酒は一級品なのですよ。どうです、私と飲み比べしませんか?」
一升瓶を持った天ヶ瀬が男性の横に座り、そのまま目で“ここは私に任せて”と、茜谷に合図を送った。
それに茜谷もこくりと頷き、天ヶ瀬に任せて、再び自分の仕事に戻った。
「よーし、いいぜ。お嬢ちゃんと勝負だ!」
男性も挑まれた勝負を逃げるような事もせず、天ヶ瀬の思い通りに勝負を受ける。
「ふふふ……お願いしますね?」
かくして、飲み比べが始まったわけだが、元から既に寄っている男性が不利な状況でもあり、天ヶ瀬は酒には強い。
負ける要素もなく、勝負が始まって、あっという間に男は酒に酔い溺れ、倒れてしまった。
「すぐにお水を持ってきますね」
清酒をハイペースで飲んだにも関わらず、顔色を一つも変えずに、平然としている天ヶ瀬の姿を見た、他の周りの男達は黙ってその様子を見守る事しか出来なかった。
「……あ、あぁ、介抱は俺らでやるのでいいですよ。気にしないでください」
「お手数おかけいたします」
酔いつぶれた男の連れの一人がなんとか声を出す。断る理由もなく、天ヶ瀬はその言葉に甘え、自分の仕事に戻って行った。
「はい! お待たせしましたー!」
一方、別の宴会場では木嶋が一種の見世物になっていた。
木嶋は時間短縮、仕事の効率化を図る為、出来上がった大量の料理を、たった一人で持って配膳をしていた。
しかも、忍法「高速機動」によって、素早く動いているにも関わらず、料理を零したりする事もなく、まさに曲芸とも言える技に、客達は彼女の行動に釘付けにされていた。
「お嬢ちゃん、ビール追加でー!」
「お任せあれー!」
さすがに自分の行動が目立っている事も気付いてはいるが、客が喜んでくれるなら単純に嬉しく、木嶋自身も楽しく、元気が溢れていた。
「きゃっ!?」
場所は変わって、一般客室。昼間に茜谷が案内した家族の部屋である。
「あら、大丈夫ですか?」
たまたま料理を運んでいた茜谷が覗き込むと、母親の洋服に赤いシミが広がっていた。どうやら赤ワインを零してしまったようだ。
茜谷は乾いたタオルで、零れたワインを拭き取る。しかし、洋服にまで染みたワインまでは拭き取った程度では取れなかった。
「よろしければ、お預かりして染み抜きを行いましょうか?」
「え、良いのですか?」
「昔から祖母の真似が好きで、良くやっていたので。どうかご安心くださいね」
茜谷はそう優しく微笑み、母親には浴衣に着替えてもらって、赤ワインで汚れた洋服を受け取る。
朝には返す事を告げ、茜谷は部屋を後にした。
●ご褒美温泉タイム
仕事も全て終わり、女将から温泉に入ってゆっくり休む様にと言われ、撃退士達はその言葉に甘えていた。
「色々やった後は流石に疲れるけど、その分温泉は気持ちいいよね」
ぐっと腕を伸ばしながら、ソフィアは上機嫌な声を出した。
「皆さん御疲れ様でした、とても楽しい一日でしたね」
茜谷も湯船にゆったりと浸かり、一日の疲労を流している。
「自分で掃除したお風呂に入る……頑張って綺麗にした甲斐がありました」
ヒリュウを頭の上に乗せながら、影利は鼻歌を歌い、優しく自分の肌を洗う。今日一日の事を思い出し、自分にとって良い経験であった。
「みなさんお疲れ様なのですよー♪」
さらに上機嫌な声を出したのは天ヶ瀬であった。その手には、酒の入った御猪口があり、温泉に酒と最高とも言える贅沢を満喫している。
「お酒を持ち込んで……酔ったりしないですか?」
「んぅー、平気なのですよー♪」
木嶋の心配を余所に、天ヶ瀬はくいっと酒を口に入れ、その風味を味わう。
浴槽の隅では雫が湯あみ着を着て、温泉を楽しんでいるが、一つ疑問があった。
(……あれ? 白桃さんは?)
何故、白桃がこの場にいないのか。確かに途中までは一緒であったが、いなくなった白桃が気になる雫であった。
その白桃と言えば、
「ん〜、流石に女湯じゃ駄目かな〜、残念」
誰もいない男湯で、貸切状態の大浴場を満喫していた。
温泉から上がると、待っていたのは染井が用意した夜食であった。オニギリに味噌汁と簡単なものではあるが、働き詰めであった一同には十分なご馳走であった。
撃退士だけではなく、宿のスタッフの分もあり、互いに今日の事を語りながら、労っていく。
「……良いお湯」
皆が寝静まった夜、染井は一人で温泉を楽しみ、仕事の疲れを癒していた。
心地もよく、彼女は微かに、うれしそうに微笑んだ。
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