長男シンジの場合
屋敷のリビングで長男であるシンジと藍晶・紫蘭(
jb2559)は長いテーブルの上にノートを広げていた。
「さて、ではテレビでも見ましょうか」
「……え?」
紫蘭はテレビのリモコンを手に取り、大型テレビに向けて電源ボタンを押す。
テレビは鮮やかな映像を映し出した。昼という事もあり、主婦層をターゲットにしたサスペンスドラマが始まっていた。
「あ、あの……」
「少し見てみましょうか?」
シンジは何が行われるのか理解する事は出来ないが、紫蘭は微笑んで、テレビの視聴を薦める。
二人して並んでドラマを見る事、数十分。
「今、私達はこうしてテレビを見ていますけれど、テレビで話す内容を決めている『だれか』が居るのは、もう分かりますか?」
紫蘭の言葉にシンジは頷いた。
「プロデューサーとかでしょう?」
シンジの回答に紫蘭も満足そうに微笑んだ。そのまま紫蘭は話を続ける。
「ニュースの原稿を作る人、ドラマのストーリーを書く人。彼らは私たちに何かを伝える為に『言葉』を使っています」
「『言葉』……?」
シンジは紫蘭の言っている事に少し首を傾げた。
「しかし、自分にだけ分かる『感覚』や『思い』だけで『言葉』を使ったのでは、なかなか人には伝えられないものです」
「そりゃ……自分にだけ分かる『言葉』を使っても、それは独り善がりですよね?」
「はい、その通りですね」
シンジも紫蘭の言いたい事を察してきたのか。まだ触りの部分であるのに、授業方針が分かってきているようだ。
思っていたより理解力のあるシンジを見て、紫蘭は一層やる気が増した。
「『ことば』には、方法や順序という物があります。まずはその勉強から始めましょう」
「主語とか述語……では無いですよね?」
「えぇ。シンジ君が得意な……何を伝えたいかを理解するお勉強です」
元々感覚で『言葉』を理解していたシンジである。ここに思考を加える事で、自分がどう感覚で理解していたのかを把握する事が出来るようになる。紫蘭の教育方針はまさにシンジの得意分野を生かした弱点克服法でもあった。
シンジはテレビの中で溢れる台詞や役者の動作をノートにメモを取り、それをどういう意味があるのかを解析していった。
時より横から紫蘭もアドバイスを入れる事もあって、順調に授業は進んでいく。
「では、この教科書の『言葉』が伝えようとしている事は分かりますか?」
と、何の前振りもなく、シンジが苦手とする算数と理科の教科書を紫蘭は広げた。それを見た瞬間、シンジは露骨に嫌そうな顔をする。
「大丈夫、今は分かりづらくても、この言葉が伝えようとしている意味もきっと分かるようになりますよ」
「……本当ですか?」
「えぇ、教科書も『言葉』ですから」
しぶしぶとシンジは理科の教科書の文章をまたノートに写し、言葉の解析を始める。
先ほどのドラマ時ほどではないが、それでもゆっくりと苦手な理科の教科書の『言葉』を理解していっている。
「……これは、こういう事かな、先生?」
「はい、それで合っています」
紫蘭とシンジは答え合わせをしながら、一つずつ理解を深めていった。
次男ユウキの場合
屋敷の裏にある庭にユウキ、リネット・マリオン(
ja0184)と桜井・L・瑞穂(
ja0027)は居た。
三人は机と椅子、そして事前に用意していた鉢植えをその机の上に置き、デッサンの準備を行っていた。
「私自身もどちらかと言いますれば、効率や論理を重んじて思考する傾向はあります。故に思う事ではありますが…人の感情もまた、ある程度は論理…原因の先に結果がある、そう考えることで理解できるものです。そう考えれば、感情の機微を理解することは難しくありません…それと、学んで参りましょう」
「……わかりました」
リネットの言葉を真剣に受け止めるユウキ。
ユウキは少し離れた椅子に座り、鉛筆を取ってモデルの瑞穂と花を描き始めた。その後ろにリネットが付き、しっかりと見守っていた。
「……絵は苦手なんですよね」
ぼそっと不満を呟きながらも、ユウキは真面目に筆を進めていく。
「花と瑞穂先生との位置関係から奥行きを計算すると……」
ぶつぶつとユウキは頭の中で計算をしていると、そこにリネットが横から顔を出し、
「何を感じ、何を思って描いています?」
「え? えっと、写真のようにリアルに描こうとしています。縮図もミスがないように計算をして……」
「見たまま、感じたままに描いて下されば良いですよ」
「……見たまま、感じたまま、ですか?」
「はい。貴方が瑞穂お嬢様と花が並んでいるのを見て、どう感じましたか? 綺麗に見えていますか? それとも、萎れたように見えますか? 貴方が見て、感じたものを描いて下さい」
「……でも、それでは他の人の目から映る物とは違いますよ?」
「えぇ、それで構いません。だから、描いてみてください」
リネットからの助言を受け、ユウキは再び鉛筆を取ってデッサンを取り続ける。今度は、頭の中で計算を行わず、自分が描きたいように描いているのだろう。先程と比べて筆の進みが速い。
描き始めて、数時間。やっと絵が完成した。
「それでは、次はリネットがモデル役ですわね」
「はい、お嬢様」
休憩も少し取り、今度はリネットと瑞穂が入れ替わる。少し違うのは、瑞穂もユウキの横に並んで一緒にデッサンをする事である。
「それでは描いていきますわ。ふふふ……私より綺麗に描けますかしら?」
「リネット先生からアドバイスを貰ったので大丈夫です」
瑞穂の挑発に乗るという訳ではないが、ユウキも負けず嫌いなのだろう。気合いが入っている。
ユウキは先ほどと同様にリネットから言われた事を生かし、自分が感じたままのリネットと花の姿を一枚の紙に描き始めた。
しかし、暫くするとピタっとユウキの筆が止まる。その事に気付いた瑞穂は彼の背後から顔を出した。
「ほら、此処をこうすると…違いが解りますかしら?」
背後から瑞穂自らが彼の絵に筆を加えた。その結果、より立体的な絵となった。しかし、ユウキが気になるのは絵ではなく、
「あ、あの……瑞穂先生、胸が……」
「あら、ごめんなさい」
故意か事故か。それは瑞穂本人以外にはわからないが、ユウキの背中に胸が当たっていた事実は集中力を乱す。
日も落ちる時間になると、二人もデッサンを描き終え、その品評の時間となっていた。
「ユウキはどうでしたか? 自分の作品の感想は?」
「え? そうですね……瑞穂先生をモデルにした絵は、花も瑞穂さんも目立とうと前へ出ている気がします。リネット先生をモデルにした絵は花とリネットさんが溶け合って、一つになっているように思えます」
「それだけ、自分の絵を理解しているなら十分ですわね」
デッサンを通して、自分の受けた印象や感情を表現するという授業方針は狙い通り、成果があったようだ。自分が描いた絵で、これだけ自分の絵を評価できるのなら、十分である。
「人の心を知り、信頼する。其れはとても大事なことですわ…ねぇ、リネット♪」
一方、瑞穂が描いたリネットは表情こそは硬いままではあったが、凛としていて、芯が強い雰囲気が漂っていた。
「それにしても、ユウキが描いたリネット……少し美化しすぎではありませんこと?」
瑞穂の問いに、ユウキは答える事なく、頬を赤く染めて、顔をそむけた。
三男アキの場合
「アキさん、チェスはやった事は?」
突然のシェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)の提案にアキは茫然とした。
「えーと……ちょっとだけやった事がある程度です」
「十分ですわ。用意はしていますのでやりましょうか」
既にテーブルの上にはチェス一式と紅茶セットが置いてあり、準備は万端であった。
互いに向き合うように、シェリアは堂々と、アキはおどおどと座った。
そして勝負は始まった。シェリアは一手に一手に考える時間も少なく、反対にアキは自分の一手に自信がないのか、長考する傾向があった。
アキは頭は良いとはいえ、まだ幼い。英才教育を受けていたシェリアとは埋めるに埋められない差がある。
「はい、チェックメイト」
これが結果である。差は圧倒的であった。
「あら、その程度なの? これでは勝負になりませんわね」
シェリアは紅茶を一口味わい、アキに向けて挑発を行う。
「……もう一回、やってもいいですか?」
「えぇ、勿論」
挑発の効果があったのか。シェリアの狙い通り、アキがチェスを続ける事を希望した。
二人はもう一度、チェスをし始める。
初戦と同様、アキは長考する傾向があるが、その表情は真剣そのもので、最前の一手を模索しているようだ。
だが、それでもシェリアには遠い。
「また、わたくしの勝ち」
「…………」
二戦、三戦と続けたが、どれも結果はシェリアの勝利であった。しかし、内容を見れば、回数を重ねるほど差が詰まっている。
「……少し休憩いたしましょうか」
「あ、はい……わかりました」
チェスも勉強と同様に、脳に負担がかかるものだ。適度な休憩も必要だろう。
シェリアは席を立ち、ずっと黙って横についていた、九十九 遊紗(
ja1048)にウインクをし、合図を行う。シェリアはそのまま部屋を出て行った。
すると遊紗はシェリアと入れ替わるように、空いた席に座った。
「どうだった?」
「全然勝てなかったです。自分の手も自信がなくて……」
「うん、分かるよ。遊紗もね、最初はいろいろと自信がなかったんだ」
アキは自分の紅茶を口に付けて飲むが、その味も分かっていない様子であった。
「遊紗ね、初めての戦闘の時、自分の力が皆の役に立てるのか、足手纏いにならないか、そんな事ばかり考えてたの。でも、自分の出来る事をする事によって、成功に導く布石になったんだ」
「……遊紗先生」
遊紗の初めての戦闘の依頼を話。それをアキは口を挟む事なく、耳を傾けて聞いていた。
「それで、遊紗も皆の為に何か出来るんだって思ったの」
「何か出来る……ですか」
「そっ。お勉強だって自信を持ってやったらきっといい結果が出ると思うよ」
「自信なんて無いですよ」
「自信は……見直して間違いがないかを確認する事によって自信が生まれてくるんじゃないかな」
「見直す、ですか?」
「うん。何度も何度も確認して、間違いないって思うから自信になるの。だから、後はアキ君がもう一度、見直すだけだよ」
アキは目の前の、自分と年が変わらぬ女の子を見て、思う。この子は過去、僕と同じだったのだ。それなら、自分もこの子と同じようになれるはずだ、と。
「しっかり休憩は取りまして?」
いつの間にか部屋に戻って来ていたシェリアが二人に声をかける。
「あ、はい……あ、あのシェリア先生」
「はい、何ですの?」
「も、もう一度……チェスをしてくれませんか?」
このアキの言葉に、シェリアはアキの瞳を見る。その瞳は自信に満ちた目でも不安に満ちた目でもなく、ただ挑戦したい、やってみたいとするやる気の目であった。
「えぇ、かまいませんわ」
これを断る理由はない。シェリアは再び席に座り、アキとのチェスを開始した。
序盤こそはシェリアが優勢であったが、アキは今まで以上に慎重にかつ大胆な攻守を見せ、巻き返しを図っていた。
「……チェック、ですっ!」
そして、アキがシェリアのキングを詰める。
「……わたくしの負けですわね。貴方は今、自分自身の力でわたくしに勝ったのですわ。どう、自信はついたかしら?」
「……わかりません。だけど、自分がやれる事はやって行こうと思います」
シェリアの問いにアキは微笑み、答えた。その表情は前よりもずっと明るく、輝いて見えた。
三人一緒に課外授業
「さぁ、朝だよぉ!!」
歌音 テンペスト(
jb5186)の第一声に三人の兄弟は意識をうっすらと覚醒させる。
今、三人は最後のまとめ授業として、歌音と一緒に一日を送っている。その朝がやってきた。
「早く起きないと女子スクール水着着用の刑ね」
その容赦なき罰ゲームの声に、三人は文字通り飛び起きた。
「よし、起きたね。それじゃあ、顔を洗ったら10?ランニングね」
「……はい?」
「シンジ兄さん、先生は何を言っているのかな?」
「さすがにこれは自信を持って走るって言えないよ?」
歌音の死刑宣告に各々反応を示すが、やると言えばやるのが歌音である。
「さぁ、いくわよぉ!」
「ちょ、ちょっと待ってー!!」
洗顔も着替えも終え、さっそく歌音は三人の先頭を走り始める。それに続く形で三人は歌音の後を追った。
「ユウキ、アキ! 景色を見ながら走れ! その方が気分的に楽だ!」
「に、兄さんこそ……腕はなるべく大きく振った方が良いです!」
「ふ、二人とも……僕の事は気にしなくて、いいからね?」
「ア、アキー!? しっかりしろぉ!!」
地獄絵図である。早朝のランニングだけで、三人は自分が持つ本来の力を出し尽くしてしまっていた。
走り続ける事、2時間。やっとランニングが終えると、歌音が第二の死刑宣告が下った。
「おつかれ!じゃあ、次はサバイバルね」
「「「…………え?」」」
「山に行こうか」
まだまだ歌音の授業は続く。
四人はそのままの足で近くの山の中へ入り、サバイバル活動を行った。
「兄さん!魚がそっちに!」
「大丈夫、罠を仕掛けてある!」
「アキ!こっちも手伝ってくれ!」
魚を追いかけ、虫を捕まえ、野草を採取する。この一連の行動に三人は休む暇もなかった。
その一方で、歌音は怪我をしないように見守りつつも、三人兄弟が行っている事を一人で鮮やかな手つきでこなしていた。
その後、夕方にはスーパーへ行き、見切り品を巡って主婦達との戦いもあり、三人は身体的にも肉体的にも疲労の限界を突破していた。
夜、三人はもはや指一本も動かす事も出来ず、月明かりを浴びていた。
「ね? 生きるって大変でしょ?」
同じ一日を送ったはずの歌音は三人兄弟とは異なり、ピンピンとしており、笑顔で言う。
その笑顔に応えたくても応える事の出来ない三人は心の中で、
(ちゃんと勉強しなきゃ、大変なことになる)
(勉強や自信とかちっぽけな問題だと思わせる世界があった……)
(無茶振りだったけど三人で協力し合えば何とかなったかな)
と、各々呟いた。
結果報告
「息子達の顔付きが変わったようだ。ありがとう」
授業も終え、その事を報告に来ていた撃退士達に、父親は礼を述べる。
「これからも一杯一杯褒めてあげてください。親の褒め言葉が何よりうれしいのですから……」
「それに、お金に物を言わせるだけが、『父親』の務めではないのではなくて?」
シェリアと瑞穂の言葉に父親は、わずかだが微笑んだ。
「あぁ、それもそうだ。私にも授業をしてくれて、ありがとう……もう少ししたら仕事も落ち着き、時間も取れる。そしたら、旅行にでも行くとしよう」
父親は庭で遊んでいる三人の我が子達を窓から見下ろし、その頬を緩ませた。