●干渉
二台のジープが荒れ果てた街の中を駆けていた。
遠目からでもわかる巨大な生物。奴らは自らの欲望を満たす為に暴れ、徘徊し、シェルターの入り口をこじ開けんと破壊活動を行っている。
人間が得る情報のほとんどは視覚から取得されるものである。このシェルターへ逃げ込んだ人々の中にも襲い来る脅威を目の当たりにした者は少なくないだろう。
瞳に飛び込んだ情報は網膜から電気パルスへ。その信号は後頭葉へ。そして刺激された大脳辺縁系は人間の本能を呼び覚ます。
目の前にある確かな『死と言う名の恐怖』を。
「こいつはひでぇな」
右眼に眼帯をした悪魔の少女、宗方 露姫(
jb3641)はその光景を前に言葉を漏らす。数十メートルの怪物がたむろし、一つの建物に群がるその様は世界の終焉をも感じさせるアトモスフィアを放っている。
「そうだね。もっと車スピード出ない? 蒸気機関車ならもっとスピード出るよ。いや、ギアは人界でこれ以上騒ぎを起こされるのが嫌だから……って、別に人間の心配をしてるわけじゃないんだからなっ」
本心を隠せない物言いで顔を逸らしてみせるのは蒸姫 ギア(
jb4049)。
中性的で美しい外見を持ち、近寄り難くも感じる少年だが、困っている人を放っておけない性格が滲みでるその言動には心の温もりを憶える。
「冥魔が東北に、ね……ふうん……面白いね。せいぜい記録に相応しい展開を見せてね」
珠真 緑(
ja2428)が目を細めて言った。彼女は幼く見えるが複数の組織に身を置く者。その一つに歴史を記録し紡ぐ『記録者』というものがある。
今回の戦いも彼女においては興味の深い記録対象足り得るのだ。
「ウジャウジャとまぁ……うざってぇこった」
巨大生物を前に不敵な面構えをみせたライアー・ハングマン(
jb2704)は静かに目標を見据えた。
犬のような耳と尻尾を合わせ持ち、見ようによっては愛嬌が感じられるが、それは誇り高き狼のもの。狩るべき得物を前に鋭く光る眼光は普段大らかな彼からは想像が出来ない程に輝きを放っていた。
その目の前にある恐怖を取り除く者。
人々の安寧を脅かす非日常を打ち砕く者。
それが撃退士……ブレイカーと呼ばれる者たち。
彼らの闘志の灯火は消えることはない。
●出撃
慎重にジープが輸送用搬入口からシェルター内部へと帰還。
広間に出てみればそこには集まった市民の海が出来ていた。
恐怖に怯え、叫び、泣き、涙を流す。
正に哀しみの海が場を支配していた。撃退士の心もまたその哀しみの渦へと引き寄せられる。
「絶対に日常へ帰してみせる。一人残らず、だ」
平和な日常は守られて然るべきものだろう。正義感なんてご立派なものじゃないが、これまで自分が享受してきたそれを幸運などと言わせない。もうこれ以上何も奪わせてなるものか!
精悍な顔を更に引き締めた戸蔵 悠市(
jb5251)はそう胸に誓いを立てる。それはただの同情などではない。ましてや怒りに身を任せただけの前口上などでもない。
彼は読書好きの一般人だった。
それが高じて司書として図書館で働いていたこともあった。体力は平均的な成人男性に比べ乏しく、とても戦いに身を置くような存在ではなかった。
しかし、運命は彼を選んだ。
目覚めるアウルの力。
穏やかな日々を過ごすことを望む彼の、不条理な異邦の侵略者に対する公憤と他者を護りたいと言う心は、彼を一人の撃退士へと昇華させたのだ。
そんな自分が他の者を護る発言をする。彼の言葉には確かな重みがあった。
到着した撃退士たちへ藁にも縋るかのように押し寄せる市民。撃退士の中でも一際小さな身体をしている少女、緑もその対象であることに例外はない。
「あんた達はファミリーじゃないけど……一般市民を護るのはマフィアの務めだからね。だからいいよ、護ってあげる」
彼女の本名は『緑・ファルラーニ』。
いたいけな少女である見た目とは裏腹に記録者とは違うもう一つの顔。それはファルラーニファミリーというイタリアンマフィアでもあるということ。衰退したファミリーの復興を誓う彼女の胸には、決して潰えることのない誇り高き精神が宿っている。
努めだなどとは言っているが、一般市民を護ること。それが彼女の誇りでもある。
「何としてもシェルターは護り切りましょうね」
猫耳のような髪型に長く垂らした毛先をリボンで結んでいる、どう見ても女の子にしか見えない可愛らしい少年、鑑夜 翠月(
jb0681)が大きな盾を担いだ少女へと声を掛けた。
「ええ、『盾の一族』の名に賭けて……」
そう返事をした盾を持つ少女、夏野 雪(
ja6883)は、古来より受け継いできた一族の誇りを厳格に護り抜き現在に至っている末裔の一人。彼女の教訓の中には『盾で以て征し、容赦なく殲滅せよ』というものもあり、護るだけでなく、その一族が伝えた武技が攻撃性をも併せ持つものであることを示していた。
「それじゃあ、別れて迎撃に出るぞ。無線の用意はいいな」
年長者である矢野 古代(
jb1679)が指示を出す。
事前に用意しておいた無線機を全員に行き渡らせ、東西の割り振りを確認。ある者は砲撃で敵を向かい撃つためにシェルターの屋上部へ上がり、ある者は敵をシェルターへ近付かせないために出撃用ハッチから戦場へと身を躍らせる。
人々が戦いに征く撃退士たちの背中を見送る。何十万という命を護る未曽有の防衛戦線が今、展開されていったのだった。
●シェルター東部防衛戦線
「デケェな……だけど負けてやる訳にはいかねぇ!!」
ハッチから出た獅堂 武(
jb0906)は敵ディアボロのあまりの大きさに固唾を呑む。だが、気丈な彼はそれに気を遅らせることなく叫ぶ。
「増援が来た……! 負傷した者は内部へ戻れ!」
先に戦っていた増援第一陣の部隊は最早戦っているというより、耐え凌いでいるだけの状態に等しかった。中には命を落とした者もいるかも知れない。部隊の人間が負傷した仲間を抱えてハッチへ転がり込むように避難していく。
「後は任せておきな」
獅堂は山のようなディアボロに対し、足を進めた。
「尊きモノがある。命の輝きが、諦めぬ意思が、誰かを想う心が……それを奪わせなどしない」
避難していく部隊を背に、黒きフードを纏った隻腕の悪魔も獅堂と共に前線へと降り立つ。
永き時を重ねた悪魔であり、自らが『尊きもの』とするもののために戦う彼は、普段は皆を目に入れても痛くないとばかりに愛し、柔和な笑みを向ける者。だが、いざ戦線へ立てばその姿は皆から愛されるヒーローのものとなる。
一つ目を象る当て布を眼前へと装着し、黒兎を彷彿とさせる長い耳が二本、フードから生えている。
誰もが手を伸ばした空に在りし、この星を見守る存在。
その悪魔の名はインレ(
jb3056)。その名は『月』を意味するとされていた。
インレが眼下で闘気を立ち昇らせる中、翠月は副砲シュメイオトミスへと手を伸ばす。
「僕は前線で敵の攻撃を凌げる程の防御力はありません。ですけど、後衛からの攻撃なら」
自らの弱き部分を受け止め、自らの長所を生かす。
自分の弱さを受け入れられる者はそういない。そして、その弱さを受け入れた者こそが真の強者である。彼は自分が果たすべき役割を分かっている。
彼が内に持つアウルを吸い上げ、シュメイオトミスは咆哮を上げる。その叫びは先の部隊の一人が上げたものとは比較にならない程のものだった。
長身を持つ銃砲から次々に発射される楕円形のアウルエネルギーが獅堂とインレの前に聳える大蠍、デスストーカーの尻尾を難なく喰い千切った。
尻尾を切断され暴れるデスストーカーはシェルターへ向かって猛進してくる。それはまさに大自然の災害さながらに前線へ立つ撃退士を吹き飛ばしていく。
デスストーカーの大きな鋏がシェルターの壁を抉る。だが、その壁からは薄ら淡い鱗光が仄めき、その攻撃を受け流す。
その傍らには暗青の鱗を持ちし竜。
戸蔵が召喚したストレイシオンによる防御結界である。
吹き飛ばされた撃退士たちの身体は蒼き光に包まれ大きなダメージはない。
「ストレイシオン、少し無理をさせるぞ……!」
戸蔵はストレイシオンをシェルターの前へ配備。戸蔵の言葉を解するストレイシオンは一つ頷くとその場でシェルターを護るように鎮座する。
そのまま戸蔵は翠月と合流、空いているもう一基のシュメイオトミスで迎撃に回る。
「これ以上……好きにさせない!」
魔法書を片手に前線へと出たのは夏野だ。彼女は暴れるデスストーカーに狙いを定め、盾を構える。
「……捕捉しました。推して参ります!」
そこには普段淡々と感情の起伏なく話す少女の姿はなかった。
遥か昔、天狗と呼ばれた一族の末裔として武を揮う彼女は純粋な断罪者にして、執行者たるべく巨大な敵へと立ち向かう。
彼女が放つ魔法『審判(ジャッジメント)』。
敵の頭上に生み出された光球が一際激しい光と共に爆発。天高く伸びる光の帯が十字架を象るように軌跡を描く。
「まだだ!」
爆発に巻き込まれても尚その姿を場に残すデスストーカーに肉薄したインレは闘気と共に拳状のV兵器を振り抜き、下部から腹部を貫通させる。
そして、すぐに飛び退く。
それと入れ替わるようにデスストーカーの身体を駆け上がった獅堂は表皮を片刃の直刀で抉り、手を翳す。
「うおおおおおおおお!」
間髪入れずにデスストーカーの内部へと炎の滾りを流し込む。
「焼かれてろおおおお!」
獅堂の放った炎陣球がデスストーカーを沈黙させる。放たれた炎はその身を焼き尽くし、焦がし続け、上空へと噴煙を棚引かせた。
「グゥガァアアアアアオオオオ!!」
この世のものとは思えない叫声を上げ、次なるディアボロが襲い来る。
地を揺らし、脳を揺らし、視界を揺らしてうねりを引き起こす。
このうねりに呑まれれば全てが終わる。
獅堂は直ぐに次の戦闘態勢へ入った。
まだ、戦いは始まったばかりだった。
●シェルター西部防衛戦線
外部へ出る前にライアーは阻霊陣を管理する撃退士たちへ阻霊符を配布。
これで内部の撃退士にも少しは活躍を期待できる――そう思っていたが現実は甘くない。入れ替わり内部に転がり混んできた第一陣撃退士の治療、何万という市民のストレスからくる暴動の抑制、募り続ける疲労。
それらに手を回さなくてはいけない中で外に出撃に出られる撃退士はいなかった。
「くそっ、阻霊符も気休め程度か……ないよりはマシだろうが……動ける奴ぁ手伝ってくれ! 主砲の準備だ!」
対大型悪魔迎撃用設置型巨大固定砲V兵器『エダフォスケイズ砲』。
その絶大な威力と引き換えに体内エネルギーが消耗される悪魔の兵器。悪魔を斃すための兵器が悪魔だとは笑えない冗談だが、今こいつを使わない手はない。
屋上部へと向かうライアーだったが、その後ろに誰もついてこないことに気づく。
「す、すみません……私共ではとてもではないですがエダフォスケイズ砲を発動させられるだけの能力が……」
「ちっ、矢野さん! 二人で主砲の充填だ!」
「わかった。元よりそのつもりだ」
阻霊符を張っていた矢野もすぐにライアーを追って屋上部へ駆けた。
エダフォスケイズ砲は極めて取り扱いが難しく、並みの撃退士では起動もままならない。既に力あるものが戦い散っていったこのシェルター内部にはもうエダフォスケイズ砲を起動させられる者は残っていなかったのだ。
ライアーと矢野はエダフォスケイズ砲に取り付けられている操縦桿に似たレバーを握り込み、アウルの捻出を始める。
「持ち堪えてくれよ。みんな」
下を見下ろすとハッチから出撃していく緑とギア、前方へ目をやれば空を翔ける露姫が見える。
祈るように二人は体内のアウルを解放、エダフォスケイズ砲へと注入を開始した。
「おらおらおらぁ!! こっちで遊ぼうぜ、イソギンチャク共! 捕まえられるもんならやってみな!」
露姫が暴れ狂う巨大ディアボロの上空まで到達し敵を扇動する。敵を引き付けながら目前へ急降下、
「氷に凍えて眠りなっ!」
露姫の周辺が急速に低温になり、大気中の水分を凝固させていく。それは次々と侵食していくかのようにディアボロたちの身体を覆っていく。パキパキと音を立てながら伸びる凍てつく冷気。
しかし、それを意に介さずディアボロたちは猛威を振るう。激しい蠕動で氷を吹き飛ばしデビルキャリアーは露姫へと触手を伸した。
「くっ!」
なんとかそれを躱す露姫だが、元々今の技で眠りに就かせるのが目的だったのが失敗に終わったのは響いた。どうやら体の大きさに見合うだけの抵抗力を備えているようだ。
「ギアが奴らを止める……」
この激烈な闘争において、戦いの場へと身を晒すギアはなんと目を閉じて神経を集中させた。その心の内は一点の曇りもない鏡の如く……静かに湛えられた湖面の如く。
研ぎ澄まされた彼の神経は己の闘争心をその身に封じ込め、敵から悟られることのない動きを可能にし、引き上げられた魔力で攻撃へと転身する。
「シェルターにはこれ以上手出しはさせないよ。絡みつけ、歯車の鎖たち……ギアストリーム!」
ギアが放った結界は巨大な敵の動きを封じ込めようと対象に絡みついていく。
更に知能のないディアボロを誘導し互いの動きを遮らせる。
「側面に回り込むだけの知能がないというのなら、これで時間を稼がせて貰う」
次々結界は敵を覆っていく。だが、こちらも露姫の時と同じく結界を振り払われ、その動きを止めることはできない。
「なら、私に任せなよ」
緑が電撃を纏った魔法の刃をデスストーカーに打ち込んだ。麻痺させる毒を持つデスストーカーがお株を奪われたように痺れ、動きを止めた。
水神という異名を持つ彼女は水の扱いに長ける。そこへ電撃を流し込むとどうなるか。彼女は自分の特性を掴み、有効に攻撃へと事を運んだ。
「私たちの誇りに手を出すってなら、相応の代償は覚悟してもらうわよ」
更に彼女が打ち込もうとしているのは炎魔法。得意な水のみならず、様々な魔法を扱う彼女は天賦の才にも恵まれている。
「焼き切れな!」
燃え盛る炎が敵を包み、爆炎を撒き散らす。
「やった……」
そう思うのも束の間、爆炎の中から伸びたデスストーカーの鋏が緑を捉えた。
激しい衝撃と共に彼女はシェルターの壁へと背中から打ち付けられ、ずるりとその場に崩れ落ちる。
「そん……な……」
「くそっ! 離しやがれ!」
空に舞う露姫もデビルキャリアーの触手に捕まり、締め上げられる。
「ぐ……がぁあああ!」
その乾いた叫びを矢野とライアーは見詰め続けることしかできない。
(長い……たった数十秒がこれほど長いのか……!?)
矢野が額から大きな汗を滴らせる。口に出せば僅かに数十秒という数文字でしかないその言葉も、戦場では永遠に感じられる程に、長い。
西部増援第二陣が出撃してものの数十秒。
まだエダフォスケイズ砲の充填は終わらない。
「くっそたれが! まだなのか! さっさと俺のアウルを吸い上げろおお!」
ライアーが天に向かって叫ぶ。
「さぁ、ギアはこっちだ……」
ギアが少しでも敵の動きを止めるために抑えた気配を故意に振り撒き敵を撹乱させる。大型ディアボロ同士が揉み合う混沌が形成されていく。
(砲座、敵が邪魔し合っている今のうちに奴らを!)
ギアが速度を上げる。
掻き回せるだけ掻き回し、すぐに砲撃に巻き込まれないようにシェルター側へと身を寄せた。
そして、時は来る。
「……きた!」
充填の完了したエダフォスケイズ砲が暴れまわる大型ディアボロへと狙いを定める。
その砲口は深淵の闇へと誘われるかのように暗く口を広げている。
「待たせたな……吹き飛びやがれ、あの世までな!」
矢野とライアーはデスストーカーの群れへと照準を合わせたエダフォスケイズ砲を解き放つ。
収束する光の束。世界が真白に染まり、流動するアウルの波が飛沫を上げる。
その光に飲み込まれた大型ディアボロたちは跡形もなく消滅していた。
「これなら……いける!」
矢野はすぐに無線機で東部の迎撃班に主砲の有用性を伝えるため連絡を取る。どの程度の能力があればエダフォスケイズ砲が発動するか読み切ることはできなかったが、二人なら発動は難しいものではなく、その破壊力は絶大。これを上手く使えば戦いを有利に運ぶことができる!
「俺だ! 聞こえるか!?」
「…………」
「どうした!? 聞こえるなら返事を……うおっ!」
巨大ディアボロの攻撃にシェルターが揺れる。
消滅させたディアボロがいるとはいえ楽観できる状態ではなかった。
触手に捕まった露姫、壁に背を預け俯いたままの緑。取れぬ東との連絡。
「矢野さん! 俺は行くぜ!」
すぐにライアーが下へ降りて出撃ハッチへ向かう。
「くそっ!」
矢野もすぐに空いている副砲へと手を伸ばした。
「さて……藤谷さんがいるんだ、無様な姿は晒すわけには行くまい」
ハッチから出撃したライアーは戦場を一瞥し、顔を引き締めた。
●東部、経過
それは残酷な光景。
デビルキャリアーに触手で絡め取られ高々と持ち上げられた獅童と夏野の姿。片腕を地に着き、膝を折るインレ。
戸蔵の放つシュメイオトミスの弾丸はデスストーカーの硬い表皮に弾かれ、敵の脅威足り得る翠月は狙われ打ち据えられる。
それでも怪物どもの侵攻は止まらない。
●西部、経過
インフィルトレイターの腕の見せ所。
矢野は連絡の取れない東部に焦慮しながらも前へ出張るデスストーカーの部位を的確に射抜いていく。
「今、後ろには護る者が居る。取り零すわけにはいかないな」
インフィルトレイターが射撃において精彩を放たずしてはおられぬ。
そう奮起した矢野は副砲シュメイオトミスを手足のように扱い敵を穿っていった。
「ったく、あの兄ちゃんたちも無茶しやがるぜ」
矢野とライアーが主砲を放つ前、ディアボロと交戦していた第一陣の撃退士たちはそれを予期して前線を退いていた。
「俺たちに当たってたらどうする気だったんだか」
一人がそう言うと、観月はその男に対して言った。
「それはない……。彼は見ていた、私たちを。あの場面で私たちがどう動くかを読み切っていた……。彼は……スナイパーの眼を持っている……」
呆気に取られる男たちを観月が急かす。
「彼の意志を活かす……! 私は前に出る。あなたたちは負傷者をすぐに中へ。余裕のある者はそのまま前線へ」
図ったように倒れる緑の側まで来ていた撃退士たちは緑をシェルターの中へ輸送。アストラルヴァンガードの魔法ですぐに治療を行い前線へと戻る。そして、観月との連携で露姫を捕らえているデビルキャリアーの触手を掻き切った。
「目的の為には何でも利用させてもらうぞ……仮に恨まれようが、な」
撃退士たちが意図した動きに入ったのを確認しコートの中へ手を入れると、矢野は胸のボタンを一つ外した。
「やってくれたね……ここからは容赦しないよ……」
治療を終えた緑が戦場へと復帰。好戦的な緑だが、それでもここはぐっと堪えてシェルターを護るように陣取る。
「……人魚姫(シレーナ)よ……」
彼女は精神を研ぎ澄ませる。どこからともなく響いてくる美しくも儚い悲痛に満ちた女性よる三重奏の歌声。その声は彼女の魔力をどこまでも引き上げていく。
水龍にも似た光纏を噴き出させた彼女へディアボロが迫る。
「……いいよ、おいで。水に還してあげる」
構えるは宝刀・弥都波。
「水は全てを柔軟に受け止め、変化し、そして何よりも……強い」
水を纏う剣が対象を切り裂く。立て続けに魔法を詠唱し、地面からは無数に土の槍が出現。磔にされた相手に、中空に舞った彼女は霊符より生みし水刃を浴びせる。
「『水神』の力……見せてあげるよ」
もう動かなくなったデスストーカーを乗り越え、緑は戦場を駆けた。
自由を得た露姫は朋友である矢野の元へと翔んだ。
「矢野さん、無事か!?」
「まぁな。ん? 傷ついてるじゃないか。どれ」
矢野が露姫に拳骨をお見舞いする。
「痛っ……くない。治った。サンキュ、矢野さん」
矢野の放った拳には回復のアウルを乗せてあり、傷口に打ち込むことで修復を可能とするものだ。見た目はアレだがこれも立派な治療。彼はこれを『お父さんの鉄拳治療』と呼んでいる。
「無理だけはするなよ」
「ああ、もういっちょ行ってくるぜ!」
元気を取り戻した露姫は汚名返上とばかりにデビルキャリアーへ突っ込む。
「よう、もう一度遊ぼうぜ……今度は全開でな!」
彼女を中心に暗い闇が広がる。それは悪魔であるデビルキャリアーをも包み込みその視界を遮る。視界の奪われた怪物相手にライフルによる雨を降らせる。そして、
「本物の悪魔の力ってのを見せてやるよ」
そう言うと、竜を象る大剣を手にし、禍々しいまでの闇の力を腕に纏わせる。
オーラドレスを吹き荒らせ、一閃。
デビルキャリアーの触手と脚の大半を叩き切った。
「まぁ中に人がいるかも知んねぇからな。命拾いしたな」
大剣にへばりついたデビルキャリアーの体液を振り払い、彼女は空を制していった。
「石縛の風を孕み、石と成せ、蒸気の式よ! 八卦石縛風!」
その下ではギアが砂塵を舞い上げ、敵の侵攻を妨げる。が、やはり石化に至らしめることはできない。
彼の視線の先では観月が剣を振るい残りのディアボロを相手取っていた。
機械的に敵を捌く彼女にも疲労が見え始めている。
そこへデビルキャリアーの触手が伸びる。
「藤谷!」
「……!」
ギアが叫ぶが間に合わない。
触手が観月を捉えた、そう思われた瞬間。
「藤谷さんには指一本触れさせえねぇよ、この野郎が!」
飛び込んできたライアーが鎖鞭で触手を薙ぎ払った。
「いや、指じゃなくて触手一本だな」
言い直し、鞭をジャラリと嘶かせた。
彼の持つ得物はレヴィアタンの名を冠した鎖鞭。七大悪魔とされるレヴィアタンが持つ大罪は『嫉妬』。正に今の彼にはお似合いの得物だ。
ライアーが彼女をどう思っているか、彼女はそんなことを気にも留めず淡々と言ってのける。
「一人でも避けられた。私のことは気にしないでもいい……」
その言葉に心で苦虫を潰したような表情をするライアーだったが、次の言葉にそれは花開く。
「……でも、ありがとう」
観月は言うと、すぐに戦闘へ復帰。
(はっ……ははは、くっ……)
喜びが表情に出るのを抑えられずにライアーは僅かに顔を綻ばせる。
「おらぁ! テメェら大人しく手足削られてろや!」
そこからのライアーは水を得た魚のように勇躍した。
●東部、転換
時を同じくして東部では。
「これで、勝ったつもり……?」
触手に巻かれた夏野がそう問うと、彼女を取り巻いていた触手が引き千切られていく。
大地に降り立った彼女は改めて盾を構える。
「私が居る限り……自由にはさせない!」
夏野は敵陣へと真っ向から赴き、怪物どもの攻撃を受け止めていく。
「私は盾。決して砕けぬ秩序の盾!」
怪物どもは暴れに暴れ回るが、デスストーカーの重い一撃をもってしても夏野には傷一つ付けることはできない。
「一人にばっかり良い格好はさせないぜ?」
獅堂もデビキャリアーの触手から抜け出すと、魔法陣を展開。
「吹き飛びな!」
くんっと指を曲げる合図とともに陣の中にいたディアボロのあらゆる部分が爆ぜた。
戦いの中で無線機がやっと役割を果たす。
『内部のアストラルヴァンガードがデビルキャリアー内部生命体の有無を確認。未だ捉えられている者はゼロのようです!』
それを聞いた獅堂は目を輝かせる。
「安心したぜ。これで心おきなく戦える。ここからが本番だぜ!」
攻撃を刀で受け流し、霊符による氷の刃を打ち込む。
陰陽術を巧みに扱い、巨体をものともせずに押し込んでいく。
「どうした化け物! 私の盾はまだ砕けていないぞ!」
敵の中心へ踏み込み攻撃を捌く夏野が勇ましく声を上げた。彼女を中心に発動されている魔法陣に己の力を殺されていることも知らずディアボロたちは力押しを始める。
獅堂が傷ついてもすぐに夏野が回復魔法で対処。前線を二人が築きあげていく。
「いくら防御力が薄くともこれくらいは耐えられます」
翠月の身体を影が覆っていく。それは彼の傷を癒し、その存在を闇へと隠していく。ダークフィリア。闇の中でこそ輝きを放つナイトウォーカーの真骨頂である。
「ありがとうございます。戸蔵さん。あなたが居なければ僕たちは危なかった」
劣勢に立たされる撃退士たちの身体を護っていたのは、やはり戸蔵が召喚したストレイシオンの力だ。
「私の力なんかではないさ。礼なら……ストレイシオンに言ってくれ。この戦いが終わった後にな」
「……ええ!」
二人の副砲が息を吹き返す。
翠月はその莫大な魔力で次々とデスストーカーを駆逐していく。戸蔵はその翠月を狙うデビルキャリアーの触手を。二人のコンビネーションは大型ディアボロを翻弄していく。
翠月の砲撃がデスストーカーの鋏を落とす。
「まだ……」
翠月の砲撃がデスストーカーの胴体を抉る。
「まだ……!」
翠月の砲撃が弱った者を乗り越え迫り来る新たなデスストーカーの頭部を潰す。
「まだです!」
終わることのない翠月の速射砲。暗緑色のオーラを纏う翠月の攻撃は戦場を染め上げていく。自らだけでなく他者をも闇に包み込んでいくその攻撃を阻むことは、大型ディアボロですら対する術をもたなかった。
討ち漏れたデスストーカーの鋏がインレを直撃した。彼は大きく吹き飛ばされシェルターの前へと着地する。だが、インレに大きなダメージはない。ストレイシオンの防御結界のお陰もあるがそれだけではない。
弛まぬ鍛錬の果てに身に付けた中国武術における防御法の一つ、化勁によるいなし。拳法を主とする柔の妙。
インレはただ悪戯にやられているわけではなかった。
彼は背にした壁に手を這わす。少々押し込まれすぎたようだ。そして彼は気付く。度重なるデスストーカーの突進で壁にヒビが入っていることを。
そこへ後続のデスストーカーが押し寄せる。ここを退けば壁は破壊される。愛しき者たちが冥の手へ落ちる。そんなことはさせない。
インレは遠心力の乗った尻尾の一撃を受け止める。
彼の視界から空がなくなった。
壁を突き破りシェルター内部へと転がり込んだのだ。
沸き上がる悲鳴。壁に開いたのは僅かに人一人分の小さな穴。だが、シェルターの内部にいる人間にとって、それは絶望へ誘う死神の口。
インレは立ち上がる。その背は人々の視界から壁の穴を遮った。
「――大丈夫だ。僕らが必ず、護ってみせる」
その一言を気休めだと糾弾する者がいるかも知れない。強がりだなどと卑下する者がいるかも知れない。それでも彼は立ち上がる。
だが、実際にそんな彼を見てその姿を非難する者などいない。
一人の幼い少年が泣きながら彼の足に縋った。
「お願い……護ってよ……お兄さんは僕たちのヒーローなんだ……僕たちを、護ってよぉ……」
インレは少年の頭に手を乗せ、優しく手を滑らせる。それは我が孫のように慈しみ愛に溢れた動作だった。
「……わしに、任せておけ」
優しい声を響かせ、彼は壁の外へ。
――もう二度と、失わせるものか――
彼の心にも思うところがあるのだろう。『名も無き祈りと想いの墓標』と名付けられた大剣を掲げ、彼は大蠍へと対峙する。
「いくら僕に膝を突かせようとも、心を折ることはできない。この、燃えゆく我が心がある限り! おぉぉぉ! 我が斬撃! 受け止められるか!」
護るべき者を背に、インレは大剣を振るい続けた。
●決着
永い、永い戦い。
時間にすれば僅かに数分間だが、永い時を掛けた防衛戦は意外な形で結末を迎える。
巻き上げられた砂塵が天を覆う薄暗い空の下、生き残った大型ディアボロたちは一つ、また一つとその場を離れていく。
それは悪魔の気まぐれか、それとも戦略的な撤退か。
大いなる意志が魔物どもを導くように大型ディアボロが去っていく。それは大きな波が引いていくようにゆっくりと、ゆっくりと行われ、地を揺らす衝撃も少しずつ遠ざかっていく。
地域支配における侵攻が終熄の時を迎えたのだ。
「勝った……のか……?」
誰ともなく呟いた。
その瞬間。
『うおおおおおおおおおおお!!』
シェルターを揺るがす大歓声が木霊した。
人々の前に還ってくる撃退士を称える者が後を絶たない。
被害は小さなものではなかったが、少なくともこの大きな戦いにおいて一般市民の被害者を出さないことに成功したのだ。
皆に柔和な笑みを振り撒く、インレ、翠月。
豪快に喜びを表現する、獅堂、露姫。
静かにこの勝利に思いを馳せる、矢野、戸蔵、夏野。
照れ隠しに顔を背けるギアに、誰とも相容れずその場を離れる緑。
そして、ここにいるその他の撃退士たち。
皆が『英雄』と呼ばれるに相応しい。
盛り上がる広間の歓声を遠くに聞きながらライアーは目を覚ます。
ここは医務室か。
彼は力の限り戦い、数瞬の間だけ意識がなかった。
額のタオルを裏返した観月は彼が目を覚ましたのに気がつき、部屋を出ようと扉へと歩む。その後ろ姿にライアーは慌てて声を掛けた。
「藤谷さんが看病してくれてたのか……!?」
彼女は無表情でこう答える。
「怪我を、していたから……」
そして何事もなかったかのように医務室を出て行った。
それを見送り、ライアーは若干の間呆けるが、やんわりと微笑む。
「まぁ、いっか……」
この戦いもまだ東北大侵攻の氷山の一角に過ぎない。
これから熾烈を極めるこの戦いの渦中へと誰もが巻き込まれていくだろう。
それでもこの勝利で胸に芽生えた想いは誰の心からも消えることはない。
そして、時は次の段階へと移ろいを始める――