●
撃退士たちがそこに辿り着いた時には夥しい数の蟲の群れが徘徊していた。人間大の蟲が木々を食い荒らす姿にはさしもの撃退士たちにも虫酸が走る。
緊急で駆けつけたため未だに正体のわからない天魔ではあるが悠長なことは言っていられない。そこへ真っ先に飛び込んだのは右目に傷をもつ忍び、鎖弦(
ja3426)だった。
「ディアボロであろうとサーバントであろうと、相手は天魔……天魔を滅するのが俺の存在意義……だが、今の俺は兵器ではなく撃退士。ならば護ろう……全てを」
鎖弦が手にしている太刀を一閃させる。それは木々を這っていた蟻――ガルバニールの一体を引き裂き、地へと落とす。
しかし、堅い外殻に覆われたその天魔の内部には刃は到達せず、起き上がったガルバニールは果実から撃退士たちへと標的を変えた。
「一筋縄ではいかんか……では、何度でも屠るのみ。二度と立ち上がれぬまで……」
そこから少し離れた場所。果実なる木々よりもその高み。
三対の光の翼を広げ、服の裾を翻したのは佐藤 七佳(
ja0030)。
空を舞う蜂のような天魔、モビー・ラッカは先の撃退士を探しているのか、それとも今日の餌を物色しているのか。宙を漂っているそこへ大型の機関砲で狙いを定める。
「人と関わらなければまだ生を謳歌できただろうに、人に牙を剥いたなら狩るべき敵ね」
けたたましい炸裂音が響き渡った。
機関砲から射出される無数のアウルによるエネルギー弾がモビー・ラッカを撃ち抜いていく。
「貴方たちが果実の命を搾取しているように、私が貴方たちの命を摘み取るのもまた真理。悔いも悦びもここに置いて行くことね」
皆が戦っている中、果樹園を疾駆する小柄な人影。
「さぁて、三人はどこかしらねェ……」
まるでかくれんぼをしているかのように軽く笑みを作った黒百合(
ja0422)は救難信号の正確な位置を読み取り、まずは救助者確保のため探索を行った。
スラスターを内蔵した漆黒の大鎌で舵を取る黒百合は流れるように木々を掻き分けていく。
「む、ここねェ……♪」
救助を待つ撃退士のすぐ側まで辿り着いた。しかし、そこでギチギチという耳障りな音が黒百合の鼓膜を揺さぶる。
「さぁて、それじゃ楽しい楽しい害虫退治の開幕ゥ♪」
そう口にすると黒百合はV兵器を換装、取り出したスナイパーライフルのスコープに目を通した。
それより南方、栽培ハウスなどに程近い辺りでの攻防。
黒百合同様、スナイパーライフルを手に敵を撃ち落としていくのは双羽 芽楼(
jb3773)。レティクルに入った獲物を彼女は逃すことはない。
「これだけの大群相手なら少しでも被弾を避け、一方的に攻撃できる機会を作るべきでしょう。このまま押し切れればいいのだけれど」
高火力を武器に芽楼は休む間もなく攻撃を続けた。
「この手が届くならば護り切ってみせる」
芽楼より平行に進んだ位置、日下部 司(
jb5638)は魔力の刃を形成する大剣でガルバニールへと一太刀を浴びせた。手応えはあったが、思うようなダメージは与えられない。
「くっ、俺の魔力では少しきついか」
そう言う間にも周りの天魔を呼び寄せ撃退士たちに肉薄する敵たち。その中の一体がこの戦いの緊迫感を忘れたように木に登り、枝を切り落としていく。どうやら知能の高くないこの使い魔たちは撃退士の払拭と果実の奪取との折り合いがついていないらしい。
すぐに司は木に登った天魔目掛けて先程より大型の剣で攻勢に出た。周りの天魔をも巻き込み目にも留まらぬ斬撃を繰り出す。
襲い来る敵、果実を狙う敵へと対応しながらカイン 大澤(
ja8514)は呟く。
「人命優先というは判断としては悪くないけど、他人の財産を足止めに使うのはどうなんだろうな」
それを聞いて司が答える。
「果樹園だって最小限の被害で食い止める。それが撃退士である俺たちの役目なんじゃないかな」
三人の撃退士を救うことが第一目標とはなっているものの、当然防衛対象の果樹園を蔑ろにしているわけではない。
人を護り、その生活を護る。撃退士としての重圧と責任が皆の肩には掛かっていた。
「とにかく防衛するにも殲滅するにも元を断たないとどうにもなんねえか。ここをすぐに片付けて原因を排除する」
そしてカインは自らの心を蝕むような殺戮衝動を内に秘め、天魔との戦いを激化させていく。そこには躊躇いや畏怖の念など感じられなかった。
「蟻に蜂……殺虫剤欲しいなぁ……」
天魔の群れとの戦いは終わることがないかのように延々と続けられた。敵の多さに龍炎(
ja8831)は殺虫剤など効かぬとわかっていながらもぽつりとそう呟き、弓を用いて天魔を狩っていく。
同じく遠距離から弓を射る九十九(
ja1149)は焦りなど微塵も見せず、正確に狙いを絞り天魔を貫いていく。
「ん……緊急要請とはいえこれまた厄介なお仕事だねぇ。孫子曰く拙速巧遅。万全が難しいならこれしかないさぁね」
例えどんなに泥臭い戦いになろうとも確かに今はすぐに戦いの場に身を置き、敵を殲滅させるしかないだろう。彼は兵法に秀でし儒学者の言葉を借りて目の前の現実をそう諭す。
「とにかく確実に倒して行くしかなさそうですね。引き受けた以上はしっかりと駆除したいところです」
果樹園防衛班並びに湧き場への出撃連絡を担当する龍炎は徐々に他のメンバーたちが担当する地域の中心側へ、九十九は要救助の三人を担当する撃退士たちのフォローのため移動を開始する。
九十九の言う通り、いくらでも数を増す天魔相手では如何に早く行動を完遂させることができるか、これに尽きる。
まずは人員の確保だ。
九十九が目を走らせた先には天ヶ瀬夫妻。
光の加護を受けた支援のスペシャリストである彼らはこの依頼における生命線と言っても過言ではなかった。
「黒百合さんが要救助者の元へ着いた。今なら回復に専念できるはずだ。急ごう」
位置の把握、連絡のやり取りにより広大な地域での活動を潤滑に促す天ヶ瀬 焔(
ja0449)が妻の天ヶ瀬 紗雪(
ja7147)を導く。
「今、助けます。もう少し耐えてくださいね」
二人はすぐに現場へと駆け込む。樹木へと寄り掛かり息を潜めていた三人を目にし、紗雪は回復魔法の準備に取り掛かった。
しかし、敵もただそれを見詰めているわけではない。魔法を展開する紗雪に襲い掛かろうと素早い動きで距離を詰める。
「お前等の相手はこっちだ!」
そこへすかさず焔が割って入る。空を裂き現れたアウルの奔流が天魔目掛けて降り注ぐ。
「紗雪にはその醜い歩脚一本触らせん」
普段は温厚な焔も、こと妻の紗雪の事となると話は別だ。
紗雪にはその背中がとても大きく見える。彼女は安心して回復魔法に専念する。
回復魔法を掛ける紗雪、それを護る焔と黒百合、そしてその二人をフォローするように駆けつけた九十九。
有利に戦える陣形を保ち、後に控える戦いへの準備を進めていく。
始まりにして最高潮。
幾多の天魔が襲い来るこの戦場はここが正念場だった。
●
数は時としてそれだけで暴力となる。
戦略を、力を、技術を凌駕し圧し潰そうと暴れ狂う。
「くっ……!」
まず捕まったのは七佳だった。
並外れた機動力と長距離射撃で空を縦横無尽に駆け巡る七佳だったが、先の依頼での傷が癒えきっていないことも影響したのか、どこへ陣を取ろうとも素早く間合いを詰めてくるモビー・ラッカによる攻撃を捌ききれなかった。
続いて鎖弦。符なども用いていたが刀での戦闘を得意とする彼は天魔に肉薄せざるを得ず、周りを囲まれた時には窮地に陥ることもしばしばあった。
「数だけじゃない……こいつらそれぞれが相当の力を持っている……」
鎖弦は分身を作り、少しでも攻撃を掻い潜ろうと動きを早めた。
一進一退の攻防が続いた。
各地で疲弊した撃退士たちの苦心の声が上がる。
「もう少しだけ、果樹園を……ご夫婦のささやかで大切な日常を守るため、一緒に頑張って貰えますか?」
戦いが激化する中、紗雪は傷付いた三人の撃退士たちへとアウルの力を送り込む。それは暖かな風となり三人を優しく包み込んだ。
「助かりました……勿論ご一緒に戦わせていただきます」
紗雪により回復の施術を受けた石動 才斗、オルクス、仁尾 樹々の三名はすぐに戦線へと復帰。
それを確認し、紗雪は焔と目配せし一つ大きく頷いた。
焔のフォローにより、紗雪は全くの無傷で回復を終えることができた。紗雪は寄り添うように焔の脇に立ち、感謝の言葉を贈る。
「無事でなによりだ。紗雪、頼りにしてるよ」
味方との連携を崩すことなく二人は攻撃に参加。果樹園の敵殲滅へと行動を開始した。
激しい戦いの中、負傷を強いられているのは七佳や鎖弦だけではなかった。
恐怖を感じず特攻を仕掛けるカイン、防衛線を死守せねばならぬ龍炎、回復のフォローに回っていた九十九など、その被害は確実に広がっていた。
その中でこの均衡を破る尋常ではない強さを発揮した者がいた。
「きゃはァ、羽虫の如く叩き落とされたい連中はあとどのくらいいるのかしらァ……♪」
黒百合だった。
熟練の撃退士たちでもてこずる堅さとタフさを持ち合わせているガルバニールを一撃のもとに滅する破壊力は脅威的以外の何物でもない。
三人の撃退士の回復を見届けた黒百合は悪魔の名を冠する大鎌を再度振るう。圧倒的攻撃力、圧倒的速度、加えて宙を自在に舞う彼女に群がる蟲たちは、彼女の速度について行けず、触れることすらままならない。
「ほらほら、ほらァ♪」
笑顔で嗜虐の限りを尽くすその姿。それはまさに死神の様相を呈していた。
だが、奮闘をしているのは黒百合だけではない。
要所を締め、確実に敵を葬っていくのは芽楼だ。
「このまま行けばなんとか乗り切れそうですね」
遠距離射撃だけではなく、接近戦にもつれ込んだ際に顕現させた超大型の剣は竜をも斬るという名剣。蟲などでは役不足と言わんばかりの斬撃は味方の背筋にすら冷ややかなものを吹き抜けさせる。
果樹園に蔓延っていた天魔が減り、余裕ができてきたところで焔と紗雪は負傷者を回復。万全の準備を進め、新たに現れる天魔も全員の協力で駆逐していく。
「ひとまず落ち着いた……かな? じゃあ、散開!」
タイミングを見計らい、龍炎がホイッスルを鳴らした。
いつまでもここに陣取っていては元を断つことができない。かと言って急いては事を仕損じる。ここぞという機を感じ取った龍炎は空高く抜けるような笛の音を響かせる。
「皆、敵が踞している場所は彼等にとって有効な地形の可能性が高い。くれぐれも気を付けて」
司の言葉を背に、手はず通り湧き場を押さえる班が果樹園を離れて移動を開始した。
湧き場には強力な個体が存在すると推測されているため、戦力は大きく割くことにした。
北東の洞窟には七佳、黒百合、紗雪、カインが。
北西の洞窟には焔、九十九、鎖弦、芽楼がそれぞれ進撃。
司、龍炎、石動、オルクス、樹々の五人で湧き出る天魔から果樹園を防衛という班分けでことに当たる。
過酷な乱戦を凌いだばかりだが、まだこれからが本番だった。
洞窟討伐班を送り出した五人は果樹園が途切れる境界で更に送り込まれてくる天魔から果樹園を防衛しなければならない。
特に此度の天魔の恐怖を知る石動、オルクス、樹々の三人には不安の表情が色濃く残る。
見送った撃退士たちの背中が見えなくなって数分、すぐに新たな天魔が姿を現した。
「皆が戻ってくるまで絶対にここを守りきろう」
「俺たちがやるしかないですからね。長期戦覚悟ですけど気を付けて戦いましょう」
各々が武器を構え、更なる防衛戦が開始された。
堅いガルバニール、速いモビー・ラッカ。
どちらも厄介ではあるものの、当たりさえすれば攻撃が通るだろう蜂型を皆に任せ、司はガルバニールに相対する。
「大切な人と人とを繋ぐこの果樹園。君たちの好きにはさせない」
己の魔力では力不足を感じた司は冷気を静かに放つ大剣をガルバニールへと向ける。
凍て付く空気の中を駆け、力と力の真っ向勝負を選択した。
炎龍は影手裏剣を飛ばしモビー・ラッカを牽制。距離に応じ、水遁や弓といった幅の広い戦闘で敵の目を撹乱する。
「おっと、させないよ」
果実を狙う天魔に対しては両の手に持った白色の騎士双剣を乱舞させ、樹木から引き剥がす。
全員の協力で散会後第一陣の増援を難なく切り抜ける。これならばこのまま護衛維持も大丈夫か、そう思われたが戦いというのは水物だ。今後戦況が傾いていくことに、この時の撃退士たちはまだ気が付いていなかった。
●
「ここが奴らの巣窟か」
果樹園より北東に位置する洞窟の前にやってきたカインたち一行。果樹園の護衛や北西洞窟への援護を考えれば速やかに踏破したいところだ。
「ご夫婦の果樹園、きっと守りますからね……息子さんへ、その味を届けないと……ですよね」
自分が夫婦となり間もないことも要因だろう。紗雪は夫妻で営む果樹園への想いも強く心に受け止めていた。
回復の柱として北西へ向かった焔のことを案じながら表情を引き締める。
「さぁ、行きましょう」
七佳が暗視装置を身に着け先導し、紗雪がライトで辺りを照らしながらカイン、黒百合と続く。
洞窟はそう深いものではなかった。どんどんと地下に降り、底冷えする冷気が肌を撫でる程度の深さまで潜ると、後は浅い分かれ道をいくつか通るのみ。
それまでの道とは異なり、一際開けた場へと出て皆は一息つく。
僅かに差し込む光に七佳は暗視装置を取り外す。
洞窟の暗さに目が慣れた撃退士たちが見たものは、それまでとは比べ物にならない大きさの蟻の天魔。
「お前が女王か。処理させてもらう」
言うが早いかカインは女王の脇に控える一般天魔へと狙いを定め、暗闇にも対応できるよう改造されたアサルトライフルを用いて先制する。
すぐに七佳が連携を仕掛けた。
安定感のある浮遊能力を活かし、床のみならず鍾乳石や天井といった地形をも足場として立体的な動きで天魔を攻め立てる。
「イっちまいなァ♪」
黒百合はフリーになっているもう一体のガルバニールへと禍々しい闇を纏った一撃を放ち沈黙させた。もう誰にも黒百合を止めることはできない。
「ふっ!」
カインが短い呼気と共に壁を駆け上がる。七佳とは逆サイドから多角的に動き、まだ息のあるガルバニールの頭部へと魔剣ルシフェリオンを叩きつける。動きを止めた二体の天魔の姿に怒りを覚えたのか定かではないが、クイーンは烈火の如く脚の先端で研ぎ澄まされた爪を振り回した。
「生きる為に必至なのね。最後まで生を諦めない、それは良い事よ。でも、あなたは人を襲う天魔であり、私は人を護る撃退士。否定されない正義がぶつかる時、どちらかは折られるしかないのよ」
空間を渡り歩く七佳にその爪は届かず、諭すように声を紡いだ七佳が取り出したのは、豊穣と戦いの女神の名を持つ魔具、フレイヤ。
放たれた刃は黄金の軌跡を棚引かせクイーンの外殻を削っていく。
悪魔と神のトップの名を冠する武器が出揃うことも珍しい事態だ。
クイーンが苦しむ中、カインが自身のアウルをより濃厚に具現化する。
黒夜天・亡霊兵士(ラグナレック・ゲシュペンストイェーガー)。
幼き頃より強要され培われた生きる力。黒く塗り潰された破壊と殺戮への衝動。
それらを内包した核を胸に刻み、放出される負の感情。まさに理性ある殺戮機械。
「戒めの鎖はその御身を……縛めの花はその魂魄を……」
カインが噴出するアウルに支配されると同時、紗雪が花の蔦を呼び出す。赤と白に彩られた花を咲かす蔦はクイーンを縛り上げ、咲き誇った花はその花びらを美しく舞わす。まるでその一瞬だけ薄暗い洞窟が幻想世界へと変貌を遂げたかのように。
その隙を突き、カインが火炎を放射しつつ接近。この時「ヒャッハー!」と叫び声が聞こえたが、これはテンションの上がった黒百合のものだ。
鼻先までクイーンに接近したカインがヒヒイロカネより具現した新たなる魔具、バトルシザースを外殻に突き立てた。
「ぐがぁあああ!」
静かなる凶戦士と化したカインが雄叫びを上げる。その咆哮は兵士として造り上げられた彼を自分自身が否定するかのような『生』の叫び。
しかし、例え身体が殺戮の衝動に駆られようと本心は人間の大事な部分に根を張っていた。
(例え命が救われても心を支えるものがなければ人間は壊れる。だからこそ奪わせる訳にはいかない。殺すだけの生き方しか出来ないならそれでいい、それえ誰かの生きる糧になるなら……希望を与えられるなら俺の全てをくれてやる)
そしてカインは強引に外殻をクイーンから抉るように引き剥がす。
この世のものとは思えない叫声を上げ、のたうつクイーンが力任せに七佳とカインを攻撃した。
七佳は大きな加護を宿した魔装でそのダメージを軽減。問題はカインだ。
その身体にクイーンの爪が深々と食い込む。だが、それを意に介することもなくカインは剥き出しになっているクイーンの内部目掛けてショットガンを打ち込む。
堪らず腹部からクイーンがぎらりと毒針を覗かせた。毒液を飛ばすことも可能な必殺の武器である。
ここで紗雪は先程の縛めの花が効果を得ていないことに気付く。クイーンを縛りつけることができていない。それならばと補佐役である自らが前線へと舞い降り、魔法陣を展開する。
「現し世と幽世の狭間に仁なる楔を!」
光がクイーンを包み、動きが止まる。前脚で捕らえたカインにこの毒針を直撃されればどんなにアウルで強化された撃退士と言えどひとたまりもない。その状況を前にしてもカインは攻撃の手を緩めることはない。
動きを止めたクイーンを確認し、すぐに紗雪はカインへとアウルを送り込み生命を息吹かせる。
「そういうの、堪んないわねェ……♪」
返り血ならぬ天魔の体液を飛び散らせた衣装の上で咲く笑顔。黒百合の常軌を逸したアウルの波動にクイーンが気圧される。最早、風格さえ感じられる黒百合の絶望へと誘う攻撃がクイーンを嵐となって襲い狂う。
一撃、また一撃と黒百合の攻撃が当たった部位がひしゃげ、四散し、クイーンを無へと還していく。
紗雪の生み出す花吹雪がクイーンの関節肢を捉え、七佳が上部から背板を削ぎ、カインが有翅体節内部へとひたすらに大剣を叩きつける。
幾度と無く続けられた攻撃にクイーンの生命の灯火が消えるまで、そう時間は掛からなかった。
●
ガルバニール・クイーンが没する少し前、北西洞窟班は洞窟内部へと侵入を開始していた。北東洞窟と比べ内部は明るく、山の腹部へと登って行くような道程のため冷気も少々と言ったところだ。
「もうすぐ最深部だ。油断せず行こう」
それでも外ほど明るいわけでもない洞窟内を焔が魔法で美しく照らしだす。更に安全に戦うため、九十九は四神風伯を統べるかの如く風のアウルを送り込むことで敵の動きを察知する。
決戦はもうすぐだった。
果樹園――
「くっそ! 洞窟班はまだ敵を倒せていないのか!? こっちももう耐えられないかもだぞ!」
龍炎が嘆きの声を上げていた。
回復役を欠く果樹園防衛班はいつまでも出現し続ける天魔にじりじりと押され始めていた。
「すみません……私たちにもう少し力があれば……」
石動、オルクスはその高い攻撃力にて敵殲滅の原動力とはなっていたものの、度重なる戦闘の末に樹々を含め満身創痍となっていた。
このまま敵が湧き続けたら……
撃退士たちの思考の中に暗雲が立ち込める。
その不安を吹き飛ばすように司が声を張った。
「皆、諦めるな。洞窟へ行った仲間がきっと元凶を叩いてくれる! それまで持ち堪えるんだ」
一人、大きな傷をつくることなく戦い続ける防衛の要。司は疲れなど見せず、紫電一閃の斬撃で持ってガルバニールを叩き斬る。
経験豊かな司の声に皆は目に力を戻らせた。
時期にガルバニールの増援が止む。それまで撃退士たちは振り絞るように果樹園を駆けた。
焔たちが深部へと到達した。
天井は見上げれば首が痛くなるほど高く、ところどころに空いた穴が不気味な模様のようにも見える。
異常を察したのか一際大きな穴からモビー・ラッカのクイーンが姿を現した。
「相手は機動性に優れ、且つ敵地故に細工の効かない戦場……こういのは面倒だ」
鎖弦は高機動を意識し、取り回しの良いクロスボウを構える。敵の注意を引き付け類稀なる速度を活かし撹乱する。
「どんなに速くともこの弓からは逃れられないさぁね」
鎖弦の動きに合わせ高速で宙を舞うモビー・ラッカに対し、九十九は弓の弦を引く手を震わせることは微塵もなかった。放たれたアウルの矢は吸い込まれるようにモビー・ラッカの腹部を貫く。
常に周りに気を遣い、仲間のフォローも九十九は忘れない。
「ここは私の出番かしらね」
いつもの芽楼とは雰囲気の違う妖女がそこには居た。身につけていた魔装のドレスは露出の多いものに代わり、縦に伸びた瞳孔、迫り出した翼、その姿はまさに悪魔のそれといったものだった。
「あれくらいじゃ、まだまだ暴れ足りないよ」
芽楼は愛鎌を取り出すと円を描くようにくるりと回してみせる。音もなく空を裂く静の姿から一転、瞬きをする間に纏われる漆黒の闇。動へと流れた荒々しいアウルが凝縮し、空気を震わせる。
東に黒百合あらば、西に芽楼あらん。
瞬時に間を詰めた芽楼は肩越しから大鎌を振り切ると一撃でモビー・ラッカを二つに切り裂いた。
「やっぱり戦いって言うのはこうでないと。あ、しばらくは『ガイスト』って呼んどいて」
芽楼は仲間を振り返るとそう付け加えた。
芽楼の中に複数存在している人格の一つであるガイストは奔放にして放逸。主人格である芽楼とも意思疎通ができることもあり、度々こうして顔を出すことがあるのだ。
撃退士たちが一般天魔を葬る間、クイーンも手をこまねいてだけではない。素早い身のこなしを得意とする鎖弦をも捉え、壁へと叩きつける。一目にはただの体当たりのようにも見えるが、魔力の波動を身体に纏わせている厄介な攻撃手段だ。
「あの速度は厄介だな。縛らせてもらうよ」
連携の中、クイーンのスピードを煩わしく感じた焔は自身を渦巻く赤い魔法陣を形成。似た者夫婦ということか、紗雪と同じく焔はまずクイーンの動きを封じるため聖なる鎖を発現させるとそれをクイーンへ巻きつかせていく。
盾を構え接近しハルバードで戦果を上げるその様は、聖を司るその行動と相まり、まさに聖騎士の如く。
クイーンの機動力を奪うため、微振動し続ける翅を狙っていく。
だが、その大きさに似合わずクイーンの速度は留まる所を知らない。聖なる鎖を引き千切り、焔の突きを躱わすと同時、反撃へと転じ再び空高く舞い上がる。
「くっ……これほどとは……。だけど俺たちは一人じゃない。それに、俺を待つ人もいる。負けられない理由がそこにはある」
焔のアウルは煌々とその色を強めていった。
四人の連携が功を奏し、常に有利な展開で先を制していく。
それでも楽観的に構えることができるほど甘い相手ではなかった。
特に執拗に狙われているのは鎖弦だ。果樹園の時からといい、此度の天魔の標的となっている。
「しつこいやつだ……」
幽幻の忍びとして教育された鎖弦は己の限界を超えた力を発揮するために、激しい過負荷を身に律していた。それが裏目に出ることになる。
九十九が紫紺の風を舞わせ、クイーンの攻撃を逸らすよう支援に当たっていたが捌き切れぬ攻撃を被弾。
背を壁に叩きつけられ崩れ落ちる。
「ぐっ……」
しかし、生体兵器として過酷な実験と教育を施された鎖弦にはこの程度のことに屈しない。常人なら気を失ってもおかしくない状況でその身を起こす。
「幽玄の理、然と身に刻め」
鎖弦が放った影手裏剣が弾け、無数の糸となる。それらは上昇しようと身を翻したクイーンを捕らえた。
「この時を待ってたよ!」
ガイストが昔好んで使っていた虐殺の斧槍。それを再現した嗜好であり至高の逸品を携え、ガイストはクイーンへ至極の一撃を放つ。
しかし、それに対しクイーンは最後の抵抗を見せる。交換し合うようにクイーンの針がガイストの半身を抉った。
「がはぁっ!」
それを見た焔は刹那の間逡巡した。どうするべきか。
普段の焔ならここで傷付いた仲間を助けに駆けただろう。だが、仲間が命掛けで作ったこのチャンスを逃していいのか。すぐに焔はハルバードを構える。
芽楼にも鎖弦にもまだ意識はある。仲間を信じ、一つの目的を遂行するために焔はクイーンの目へとハルバードを突き込んだ。
洞窟を揺さぶる金切り声が轟き、影の呪縛から逃れるクイーン。まだ絶命には至らない。
「お前たちの弱点はもう解っているからねぇ」
一歩前に九十九が出た。
果樹園での戦いで九十九は敵をつぶさに観察していた。驚異的な攻撃力を誇る黒百合・芽楼らの攻撃が有効だったことを鑑み、そうではないかと思ってはいたが焔による審判の鎖を引き千切ったことでそれは確信に変わっていた。此度の天魔が天界の性質を持っているということに。
傷付いた二人に回復魔法を掛ける焔。その三人を庇うように前へ出た九十九が弓を番える。
暴れ回る不規則な動きのクイーンへ狙いを定める九十九の腕を紫の風がアウルとなり吹き荒れていく。それは徐々に闇の色へと染まり噴出する霧を切り裂くように放たれた弓がクイーンを貫いていった。
最後のモビー・ラッカを龍炎の弓と石動の双剣が駆逐した。ガルバニールが現れることのなくなった果樹園ではぼろぼろになりながらも討伐の成功を感じ取り、最後まで希望の火を消すことはなかった。
北東洞窟班が北西洞窟班の救援に向かった時には既に全てが終わっており、無事討伐を終えた八人は果樹園へと凱旋したのだった。
●
「偶にはこういうのも良いよな」
暖かな日差しと風に木々が揺れる。
依頼を完遂し、無事を讃え合った撃退士たちは焔の呼び掛けに応じ果樹園の修復作業へと入っていた。被害は少ないとは言えないが、撃退士たちの働きのお陰で甚大なものにはならなかった。
脚立に乗り添え木などを当てる焔の足元ではさくらんぼを収穫してきた紗雪が小さく笑みを綻ばせる。
「摘みたての果実は宝石の様ですね」
そんな紗雪を見て、『俺の宝石がいつまでも輝けるよう弛まず精進しなくては』そう考え、焔は一緒に笑うのだった。
「この植物を食べて成長し、いずれ死に、土へ還り、それが植物を育てる……世界はこんなにも強く巡っていくのね」
純白のベレー帽を目深に被り直し、七佳は木々の間から差し込む木漏れ日に目を細めた。
「七佳ちゃん、なに黄昏れてるんですかァ…あ、これ酸っぱァ…。まだ秋の味覚は時期じゃないから仕方ないわねェ……でも学園に送ってきてくれたりしないかしらァ」
無邪気にそう騒ぐのは黒百合。はしゃいでいると戦闘時とは別人のように歳相応の少女に見える。まぁ、実年齢はもっと上ではあるのだが。
「あらあら、黒百合様、勝手に収穫物を口にしてはいけないのですよ」
戦闘を終え、今は芽楼の人格が表へと戻ってきていた。ガイストとは全く違う丁寧な物腰に黒百合もむぐぐ、と口を噤んだ。
三人は談笑しながらも高く空を舞い、手の届かぬ場所の修復へ。
「ふむ……『先人木を植え、後人その下で憩う』か……」
果樹園の夫妻から代々護ってきた果樹園だと聞かされ、九十九は想いを馳せる。願わくばこれからもこの自然が続くことを想い、流れる雲に目を移した。
「……」
カインは無言で手入れを進める。
『ま、給料分は働くよ』と言っていた依頼前からは想像のつかない所業ではあるが、彼の心は同年代の少年から見ても、より純粋でより真っ直ぐなものだった。
本来の腕ではない生体義手で新たな命を繋ぐこの行為に彼は平穏の一端を感じ取った。
「これが俺たちで護った果樹園なんですね。なんか感慨深いなぁ」
龍炎は長く苦しい戦いを思い返し、しみじみと作業に取り掛かる。その手に持った果実の重みが決して軽いものではないことを実感していた。
「本当に良かったです。もう誰かを護れないのは嫌なんです。この力が役に立つなら、俺はいつでも戦うって、そう決めましたから」
司は一緒に苦難を乗り越えた龍炎に静かに言った。その言葉には偽りのない確かな強さが込められていた。
「皆さんのようなすごい撃退士たちと戦えて光栄です。本当にありがとうございました」
石動、オルクス、樹々の三人も全員に礼を言って回り、精力的に修繕作業を行っていた。
少し離れたまだ青い果実が多く実る地帯では、一人ひっそりと鎖弦が作業に勤しんでいた。実は焔たちが開始する前から素早く事を起こしていた。さすが忍びである。
「任務外ではあるが、これくらいは許されよう……」
人一倍迅速に作業を進める鎖弦は大部分の修復を終えると、自らを労うために用意したおはぎを口に咥え、影のように姿を消したのだった。
●
後日、果樹園から一人の男性の元へ箱で一杯の果物が送られることとなった。
それは過去男が食べてきた物の中でも一番の物であると感じた。これからを、未来を、明日を生き抜く希望を感じることのできる果実。
今度、実家に顔を出そう。
それからあの時の話を聞きに行こう。
男はそう思った。
男は知っていた。
実家の果樹園に天魔が出没したことを。祈るしかできなかった。自分は無力だった。そんな中を生き抜いた果実が希望に溢れていてないわけがなかった。
実家帰省へのスケジュールを建てる前に男は筆をしたためる。
それは久遠ヶ原学園に向けての心からの一通だった。