●出陣
じゃり……
撃退士たちが舗装されていない山道を踏みしめる音が響いた。
件の鬼が出るという村へと派遣された、粒揃いの猛者たちである。
被害者である婦人の連絡と行き違いに既に村へと向かっていた撃退士たちは村人の話もそこそこに、すぐにその足で山へと向かった。
既に感情を搾取されている村人たちが大勢いるのだ。時間は掛けられなかった。
時刻はもう亥の刻を下る頃合。それでも空気の澄んだ山の中は星々と月の明かりで視界が十分に確保されていた。
「生贄っすか……、ロクな事要求しないっすね、全く。人の命を舐めるのも大概っすね」
鬼と呼ばれる怪物と渡り合ってみたい。そんな思いを胸に抱き依頼に参加した天羽 伊都(
jb2199)だったが、被害者が大勢いることを知り、憤懣遣る方ないといった様子だ。
「人の弱さにつけ込んで贄を差し出せなんて許せない」
「人喰らう悪鬼か……妖怪は浪曼だけど滅殺だね」
村人のために絶対に鬼を倒すと誓う蓮城 真緋呂(
jb6120)と、おちゃらけながらも鬼討伐に意欲をみせる嵯峨野 楓(
ja8257)。
「あんまり助けるってのは得意じゃないけど……まぁ、たまには……」
人間界での生活を経て、天魔や人間たちとの関係に少しずつ柔軟さを持つようになった悪魔の少女、鴉女 絢(
jb2708)も小さく頷く。
絢から少し離れたところには天使であるアサニエル(
jb5431)。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……まぁ、居るのは鬼なんだけどね」
その言葉に、
「鬼退治ですねぇ、ふふふ〜」
と、落月 咲(
jb3943)も相槌を打つ。
「我が武に憂なし」
「……護る」
中津 謳華(
ja4212)は静かに瞳を閉じ、対するように決意の眼差しを有する礼野 智美(
ja3600)は言葉少なに口を噤んだ。
眼前に迫る山奥の社。
その鳥居の傍らには今宵も人の精気を餌とする怪物が、静かに、静かに身を潜めていた。
●遭逢
『それ』はすぐに解った。
異様なまでの気配を纏い、闇に鈍く光る双眸が撃退士たちへと向けられる。
「いくぞ!」
誰ともなく叫ぶと撃退士たちは左右へ展開。両鬼を引き離し各個撃破する作戦だ。
咲、中津、礼野の阿修羅衆が闘気を解放し距離を詰め、各自戦闘の態勢を取り予定の対象を狙う。
闇に瞳の光を棚引かせ紅鬼がその躯を躍動させた。
間近に迫った礼野の腹部に爪を食い込ませ、アサニエルと絢へ目に見えぬ衝撃波を放ち二人を吹き飛ばす。更に止めを刺そうと礼野へ再び拳が振り下ろされた。
一瞬の出来事だった。
紅鬼に補足された瞬間に礼野と絢が地に伏した。意識を失いそうになりながらも二人はぎりぎりのところで意識を現実へと繋ぎ止める。
「こんな所で倒れてると風邪引くよ」
傷の浅いアサニエルはすぐに礼野へと軽口を叩きながらも回復魔法を飛ばす。
「やるね。鬼さんこーちら、っと」
態勢を整えるため、すぐに楓が紅鬼の気を引き時間を稼いだ。
一方、動きの鈍い蒼鬼に迫る天羽、中津、真緋呂。
「――怨、南牟……」
呪法によりその身に鬼神を宿すと言われる法を唱え、中津が蒼鬼に肉薄する。
「鬼を名乗るか……その所業、後悔させてやらねばな」
振り下ろされた豪腕を難なく躱し、中津荒神流『牙』穿葬之型を取る。蒼鬼の懐へ瞬時に潜り込み、渦巻くアウルが牙を彷彿とさせる膝蹴りを叩き込んだ。
真緋呂はその隙をついて銃による光の弾丸を打ち込む。
しかし、それらの攻撃をまともに喰らった蒼鬼にはまるで効いている様子はない。撃退士たちの間に不穏な空気が走る。
「そう簡単には崩せなさそうね……こっちよ! 付いて来なさい、木偶の坊!」
とにかく今は紅鬼と蒼鬼の分断が最善と、真緋呂は紅鬼から離れるように蒼鬼を誘導していく。
まだ、鬼との死闘は始まったばかりだった。
●死闘
中津と真緋呂が蒼鬼を抑え込んでいる間に天羽が意識を集中し、蒼鬼の力を探った。
「なるほど、そういうことっすか……」
天羽が鬼の正体を露呈した。
奴らは高位のサーバント。しかも、その身体能力からしても低級天使を凌ぐ程の強さを持っている。どんなに強かろうがサーバントは所詮消耗品と考える天使は少なくない。ゲートを廃棄し、用済みになった鬼共も一緒に打ち捨てたのだと推測できる。
幸か不幸か、今回の依頼には冥界寄りの力を持った者が多い。戦いはより激しさを増すだろう。
分断したとはいえ紅鬼と蒼鬼の距離は僅か数十メートル。天羽は声を上げ、皆に鬼の正体がサーバントであることを伝え、愛剣を握る手に力を込めると蒼鬼に正面から対峙した。
紅鬼の素早い動きに対処しきれない紅鬼班は手を拱いていた。どんなに攻撃を仕掛けようが当たらない。そして、紅鬼の正確無比な攻撃が皆を襲う。ジリ貧――そんな言葉が脳裏を過ぎる。
このままではマズイと冥府の風を纏い、力を高めた絢が紅鬼目掛けて深い闇を放った。それを避けた紅鬼に生まれた僅かな隙。
「楓ちゃん!」
「煩いのは黙らせるのみ」
絢の合図と共に後方に待機していた楓が魔術で呼び出した透明な糸を紅鬼目掛けて巻き付かせ拘束していく。ぎっちりと巻かれた糸。不可視のそれに動きを封じられた紅鬼はまるで金縛りにあっているかのように動けない。
すぐに周囲を包囲して息も吐かせぬ連続攻撃を叩き込む。だが、動きを封じてさえも紅鬼の抵抗は衰えない。力でもって糸に抗い、攻撃を避け反撃に転じてくる。
「鬼ごっこはこれで終わりですねぇ」
その背後に立ったのは咲。死神と見紛うオーラを放ち、月を背に大鎌をくるりと回転させる。紅鬼を追っていたその動きは体内のアウル燃焼と共に加速度的に飛躍する。
大鎌に月の光が反射して光沢を放った。
一閃されたその攻撃は縛られた糸ごと紅鬼の身体を引き裂いた。並みのサーバントなら一撃で生命を断たれるその攻撃に堪らず紅鬼は口を開く。
紅鬼の絶叫が山へと木霊した。
「下手な鉄砲もなんとやら打ち込ませてもらってたけど……今は外さないよ」
アサニエルは幾度となく打ち込んだアウルで生み出した無数のナイフを宙に浮かべ、紅鬼目掛け射出。紅鬼の体内組織を引き裂く音が弾む。
「散々やってくれたな……難しいとは思っていたがこれほどとはな。だが、子供は宝、未来そのもの。それを搾取されるのを黙って見ているなどできるものか!」
礼野が痛む身体を押して前に出る。
田舎の祭祀兼長の家系に生まれた礼野はその地域、そしてその未来を担う子らを護ろうという意識が強い。
紫焔を手にした獲物に纏わせ、紅鬼の躯へと這わせた。動きの早い紅鬼対策として用意したワイヤーが唸りを上げる。より冥の力を強めた目にも止まらぬ一撃は易々と紅鬼の四肢を切り刻む。
それでもまだ瞳から光を失わぬ紅鬼。その触れば切れるナイフのような細身にどれほどの生命力を有しているというのか。
ここぞとばかりに楓が間を詰めた。
「その紅い躯、更に緋色に染めてあげるよ」
楓が作り出した炎のエネルギー体がその姿を変え妖狐を象る。束縛との二重魔術を難なく操り、彼女が生み出した狐焔が紅鬼を包み込んだ。その炎に焼かれ、紅鬼を縛っていた糸が燃立つ。数々の攻撃に細切れにされた糸が揺ら揺らと宙に舞う様は、あたかも槭の葉が舞うが如き幻想を生んだ。
朽ちた槭が息吹くことは、もうなかった。
天羽により伝えられた鬼の正体、サーバント。それを耳にした絢はよりドス黒いオーラドレスを纏い、より冷徹なる眼差しで紅鬼との戦闘を行っていた。
紅鬼の初撃に膝を折った屈辱も今では彼女の糧となっている。二度目を喰らわぬようにと遠距離射撃に徹していた彼女は最後の最後に爛れた紅鬼の眼前へと立った。
ヒヒイロカネに収めていた血塗られた戦斧を取り出すと、冷酷に紅鬼を片目だけで見据える。
一瞬の静寂の後、『死刑執行人』を意味するその戦斧を紅鬼の躯幹へと薙ぎ、くの字に折れ垂れ下がってきた頭部へと天敵である悪魔の視線を合わせる。
刹那、絢の右目から目視不可の魔弾が放たれ紅鬼の頭部を消し飛ばした。
「さようなら。逢う前からあなたのことが嫌いだったよ」
薄々とはその肌で感じていたのだろう。この相手が天界に属するものということを。
学園生活で考えが変わってきているとはいえ、まだまだ彼女にとってそれは忌むべき相手。
断罪の業を背負う彼女には、微塵も容赦などは感じられなかった。
紅鬼が没する先刻――
「鬼なんてのは昔話に出てくるくらいでいいんすよ。人ばっかり食らってないでこれでも食らってください!」
天羽の一撃が確かに蒼鬼の動きを止めた。それでも蒼鬼は怯まない。すかさず蒼鬼が天羽の身体よりも大きな腕を彼に叩きつける。
だが、地面が抉れ大地に亀裂が走るその威力を、彼は一歩も引くことなく受けきっていた。
4メートルの巨体から振り下ろされる蒼鬼の剛腕は常軌を逸していたが、天羽は全く力負けしていない。彼が纏う黒獅子を模した甲冑が夜の空気よりも黒く光る。
「はぁっ!」
真緋呂がその蒼鬼の腕を足場とし、空に舞った。見上げる程の高さを誇る蒼鬼を眼下に収めると大剣を一気に振り下ろす。
ギンと硬質の物体が打ち鳴らされる音が響き、剣が弾かれた。
「くっ、銃や刃物が通じないなら……魔法はどうかしら」
真緋呂は雷を呼び起こし、一振りの剣を形成する。即座にそれを打ち込むが、剣が霧散した後には変わらぬ蒼鬼の姿。やはり有効打とは言い難い。
大きく振られた腕を掻い潜り、真緋呂は一度距離を取る。
「ふむ、硬いな……ならば、こいつだ!」
中津が『鑚勁』の構えを取る。中津が『御魂穿』と呼ぶ、三極の理から成る一打。外から内へ道勁を巡り、点穴を穿つ。その業、打撃に有りて打撃に非ず。
蒼鬼の躯へ流れるように添えられた部位、無から有へと転換されたエネルギーが蒼鬼の内部で爆発点を生み出す。
重い蒼鬼の躯が揺らいだ。僅かに効いている。
それも束の間、密着した状態からの反撃に防御が間に合わず、中津は大きく吹き飛ばされた。そこ目掛けて蒼鬼が肩口から体当たりを仕掛ける。それを危機一髪のところで避けるが傷は深い。
「ぐっ……」
中津が肩で息をする。
すぐに仕掛けた真緋呂も同じく強烈な一撃に辛酸を舐めた。
動きが鈍く、攻撃が必ず当たるものの効果は薄い。そして、反撃の一撃は必殺の威力を持つこの相手。攻略は至難である。
互角の力で渡り合う天羽も、サーバントと人間では体力に開きがあることに口を結ぶ。見やれば向こうの班が紅鬼を制したらしく、こちらに向かってきていた。
ここが勝負所と、天羽は剣に高濃度の闇のアウルを纏わせる。相手が魔の者ならば光を従え魔を滅し、天の者なら闇を制し天を滅ぼす。ルインズブレイドの真髄だ。
天羽の一撃が蒼鬼の腹部を大きく穿ち、鬼は膝をついた。
しかし、それが仇ともなった。その体勢から猛烈な勢いで体当たりを仕掛ける蒼鬼。シールドを構え受けきろうとする天羽だったが、冥界の影響を受けた身体は天界の従者であるサーバントの攻撃に耐え切れない。
地に投げ出された彼の身体は動くことはなかった。
そこからは総力戦が展開された。
咲が素早く接近。
「今度はこちらが鬼のようですねぇ」
その細い身体からは想像もつかない渾身の一撃が蒼鬼へと見舞われる。山のような蒼鬼の躯が傾いだ。戦いの中を生き抜いてきた包帯だらけの両腕には自負という名の覚悟が宿っている。
隙をみて倒れる真緋呂を保護する楓。真緋呂は「大丈夫です」と、静かに答え『覚醒の炎』を楓に楓へと付する。
その意を汲み、楓が魔術を展開。
真白な妖狐が高い声を上げ、蒼鬼を碧色へと誘う。雹白狐だ。蒼鬼の躯が凍てつく空間に支配される。
「どれほど傷つこうが『戦巫女』として、社の前で吐く弱音など持っておらん!」
すぐに礼野が追撃。燃え上がる槌頭をもつ戦槌を凍える蒼鬼へと叩き込んだ。徐々に蒼鬼の躯に綻びが生じ始める。
蒼鬼も反撃。
「ぐぅ……!」
礼野は衝撃を抑えきれず大木へと背中を打ち付けられ、その場に落ちる。
果敢に近接格闘を挑んでいた中津にも限界がくる。攻撃をいなし切れず、身を横たえた。
「まだだ! こんなところで終わりじゃないよ!」
皆が満身創痍の中、アサニエルがなんとかまだ動けそうな者に治癒を施す。しかし、それにも限界が見えている。動きの鈍った蒼鬼へとナイフと光の玉を放ち、場を凌ぐ。
「……!」
三日月の刃を飛ばそうとした絢が躊躇した。このままでは皆を巻き込んでしまう。すぐに銃へと持ち替え、一撃。それでも悪魔の絢の攻撃は蒼鬼を地獄の淵へと追いやる。
「う……」
その時、身を起こしたのは天羽だった。
アサニエルの治癒で意識を回復した天羽は自分の脚に喝を入れる。
今、蒼鬼の攻撃をもらえば誰一人立ち上がることはできないだろう。この中で唯一、蒼鬼の攻撃を受け切れるのは天羽だけだった。
「うぉおおおおおお!」
普段はお調子者の彼が吠えた。それはまさに覇者目指す獅子の咆哮。
咲へと向かって放たれた拳を天羽は受けきり、蒼鬼の御株を奪うカウンター一閃。
蒼鬼の両膝が地に落ちる。
「これでお遊びも終わりですねぇ、ふふふ〜」
天羽の背から飛び出した咲が放つ止めの一撃。
もつれた麻糸を引き裂くように、彼女の攻撃は大きな亀裂を生じていた蒼鬼の身体を両断。その笑みとは裏腹な凶悪なる斬撃をもって、一対の鬼による事件は幕を閉じたのであった。
●解決
村に戻った撃退士たちは鬼殲滅を報告。
村人の手厚い対応に身体の傷を癒す。すぐに捕らえられた人々を助けたいところではあるが、ゲートにまだサーバントがいる可能性も否めない。
連れて帰ることができたのは、まだゲートに連れ去られていない子供だけだった。
その姿に依頼をした婦人が言葉を発することもできず涙を流した。
その前に老翁が歩み出る。
「撃退士の方々よ……。この度は誠に忝ない。礼を言わせてもらおう。この村も……変わらねばならん時が来てるのかも知れんな」
その言葉に、戦闘の緊張に凝り固まった面々にもゆとりができる。
今回の一件、一歩間違えれば全滅もある熾烈な戦いだった。その戦いに思いを馳せ、翌日慎重にゲートを制圧。時間を掛けて感情を搾取しようとしていたためか、まだ命を失っている村人は居らず、撃退士たちは全員の帰還を達成するに至る。
久遠ヶ原へ凱旋の帰路、アサニエルが呟いた。
「財宝がないのは残念だけど、これで鬼退治終了さね」
「財宝なら、ほら。皆の心の中に……」
真緋呂が照れながら言った。読書好きの彼女らしい叙情的な言葉だ。
それをどう捉えるか。
皆、思い思いに今回の件を振り返る。
強さ、確執、愉悦、正義――
様々な思考が巡る中、撃退士たちは村のある山へと目を戻した。
山にある鬼ヶ島への遠征は、こうして幕を閉じたのだった。