「お帰りなさいませ、ご主人様!」
執事&メイドカフェ『久遠舘』で1日だけアルバイトをすることになった七尾 みつね(
ja0616)、或瀬院 由真(
ja1687)、雨宮アカリ(
ja4010)、石田 神楽(
ja4485)、星杜 焔(
ja5378)、水無月小夜(
ja7056)の6人は、皆その度合いは違えどそれぞれに緊張していた。
開店から――つまりアルバイト開始から2時間半が経過した午後1時ちょっと前、とうとう個室パーティーのマダム達がやって来たのだ。因みに、バイトメンバーのうちの1人藤宮戒(jz0048)は、お昼休憩に入ったためバックヤードにいる。幸いにもこれまで目立ったトラブルはなかったが、いよいよ本番だ――入店してくる厚化粧のマダム達と、マダム達の勢いにちょっぴり押され気味の紳士達を前に、6人は気を引き締めた。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
椅子を引き、穏やかにマダムへ微笑みかける石田は、執事体験を楽しみにしていたこともあり万全のそつのなさだ。クロスタイに燕尾服の執事スタイルも、長髪を後ろで括った髪型とよく似合っていてスマートである。椅子を勧められたマダムは、石田の執事っぷりに黄色い歓声を上げた。
「あ〜らあらあら! まあまあ!! 格好いい子ねぇ〜!!」
「恐れ入ります。戻られたばかりでお疲れでございましょう、お席でごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
席に着かず立ったままきゃあきゃあ言いそうなマダムを、石田は実に優雅に着席させるよう誘導した。椅子の背へ白手袋の手を添え、恭しく腰を折る。間近で耳にするマダムの声量が予想以上に大きかったため、早々に静かにさせるための策だった。
「さあ、どうぞご主人様。メニューはこちらでございます」
マダムがいたくご機嫌な様子で腰を下ろすと、石田はテーブルの上のメニューを手で指し示した。思惑通り、マダムはすぐにメニューを広げて見入る。石田はすぐに別のマダムのために椅子を引き、同様にメニューを見せた。マダム達は暫しの間、石田の作戦のおかげで大人しくなった。
石田がマダム達の対応をこなす反対側では、雨宮が微妙に強張った面持ちで紳士のために椅子を引いていた。戦場生まれ戦場育ちの雨宮にとって砲撃の音は子守歌だが、メイド体験は初めてである。午前中はそれでも何とか凌いだが――まだ自信がつくまでには至っていないのが現状だ。
「ええっと…お席へどうぞ、上官! じゃなくて、ご主人様…」
敬語を喋ろうとすると身に染みついた軍隊式口調がうっかり出てしまう雨宮は、口をもごもごさせて言い直した。紳士は不思議そうな顔をしつつも、雨宮のメイド姿に鼻の下を伸ばす。
「可愛いメイドさんだねぇ〜。そこのオバサン達とは大違いだよ!」
「はッ、勿体ないお言葉でありま…じゃなかったわぁ。えぇっと、もう普通でいいわぁ。…敬語って苦手なのよねぇ、警護なら得意なのだけれど♪」
雨宮は仕方なく、敬語を使うのを諦めた。うるさい客ならば文句を言い出しそうなところだが、紳士は特に気にしていないようだ。悪気はないのだろうにこにこ笑顔で――言ってはならぬ一言を口にした。
「君、本当に可愛いねぇ。でも……ちょっとおっぱいが小さすぎるかなぁ〜」
その瞬間、雨宮の周囲の空気が凍り付いた。雨宮は、自身の胸が小さいことにコンプレックスを感じている女の子だ。表情は笑顔を保ったまま、こめかみには青筋が浮かぶ。
だが―――耐えた。健気にも彼女は耐えた。水なしで乾ききった砂漠に伏せる、兵士の忍耐力で耐えた。しかし、そんなことには微塵も気付いていない紳士は、更に追い打ちをかけた。
「おっぱいが小さいと、どう頑張ってもモテないよ〜。まあまだ若いんだし、将来にかけるしかないねぇ〜」
小さい、と更に言われて、雨宮はとうとうキレた。矢のような速さで、スカートの下に隠していた拳銃を抜く。
「このぉ……よくも、よくも…っ!!」
「…とこのように、ご主人様をお護りするため、メイドはいつも武器を隠し持っているのですよ」
雨宮が客に銃口を向けそうになったあわやというところで、石田が素早くフォローに入った。戦場生まれの彼女が何かしでかしやしないか、マダムの相手をしながらもずっと気を配っていたのだ。
「ただし、対天魔用のものなので、実弾は込められておりません。誤射の危険はございませんので、どうぞご安心ください」
雨宮に銃をしまうよう目配せしつつ柔らかな物腰で石田が一礼すると、紳士は怪しむ様子もなく感心したように頷いてみせた。石田のおかげで取り敢えずトラブルは回避され、マダムと紳士達は全員大人しく席に着いた。
「さて、それでは奥様。何かお召し上がりになりますか? ご用件がございましたら、僕に何なりとお申し付けください」
マダム達が着席したところで、変化の術を用いてショタ執事となった七尾が注文を取りに来た。豊かな胸は引っ込み髪型もショートカットになっているが、狐耳のカチューシャと付け尻尾は健在だ。声色は術で変えられないので、頑張って低めの声を出しているらしくボーイッシュに仕上がっていた。ネームプレートは「フタミ」、なかなかの凝りようである。
「あら〜可愛い男の子!! 目の保養だわぁ〜」
美少年好きのマダムが、目を輝かせて七尾を見た。手招きで呼ぶと、メニューを広げてあれこれと質問をぶつけてくる。
「紅茶だと何がオススメ? 軽食はどれが人気があるのかしら? ケーキセットもいいわねぇ〜」
七尾は矢継ぎ早に繰り出される質問に丁寧に答えながら、注文票に人数分の飲み物・食べ物を書き入れていく。だが、七尾を呼んだマダムは可愛い子に意地悪をするのが趣味らしく、わざと優柔不断な態度を装っているようだった。
(このままじゃ、なかなか注文が決まらなくて他のおばさま方がイライラし始めちゃうかも〜…)
七尾は、だらだらと会話を引き伸ばされることを危惧した。
「ん〜、ダージリンとアールグレイ、どっちがいいか迷うわぁ〜」
マダムの台詞を聞き、七尾は素早く考えた。どちらか一方を勧めても、相手がそれですぐに納得するとは考えにくい。ならば―――困ったな、という感じで可愛らしく首を傾げた後、七尾は口を開いた。
「そうですね〜…僕としては、今日のところはダージリン、次の機会はアールグレイという風に、何度でも素敵な奥様のお世話をさせていただけたらとても嬉しいですっ」
そう言って七尾が明るく笑うと、
「ああん、可愛いわぁ〜〜!! じゃあ今日はダージリンでいいわ!! また来るからっ!!」
マダムは感極まったように叫んで、七尾に頬擦りした。…香水臭かった。
石田と雨宮、七尾の三人が個室でマダム達の対応をしている頃、通常フロアでは或瀬院と水無月がそれぞれ忙しく働いていた。
「は、はじめまして、新人メイドの水無月小夜です。ご主人様おかえりなさいませ!」
小さな水無月がぴょこんと頭を下げると、若い女性客は和やかに目許を綻ばせた。
「可愛らしいメイドさんね。ケーキセットで、何かお勧めの飲み物はあるかしら?」
「えと、今日のおすすめのお飲み物は、こちらでございます」
慣れない敬語をたどたどしく操りながら水無月が手製の便箋メニュー表を渡せば、女性客はにこにこと笑った。小さい子が頑張っている姿を見ていると、微笑ましい気分になるのだ。
「アッサムのミルクティーか。じゃあ飲み物はそれで、ケーキはベリータルトでお願いね」
「かしこまりました!」
注文票にメモを取る水無月の傍らで、女性客は言葉を続けた。
「ところで可愛いメイドさん。このメニュー表は、私がもらってしまっても大丈夫かしら? とっても素敵なので気に入っちゃったの」
縁をレースのような形に切り抜かれた白い便箋は、昨日水無月が一生懸命時間をかけて作ったものだ。女性客の申し出に水無月は一瞬戸惑ったが、便箋は複数作ってあるので問題ないと判断し、はい、と笑顔で首を縦に振った。それでは失礼致します、と一礼し、メモを手に調理場へ。メニュー表、喜んでもらえたのかな、と思うと、嬉しくて胸がどきどきする。
「ケーキセット1、アッサムのミルクティーとベリータルトです!」
声を弾ませて注文内容をキッチンに伝えると、水無月は新たなテーブルへ向かった。
「へぇ〜、写真撮影も出来るんだ。じゃあ君、俺と一緒に写ってよ」
或瀬院は、一人で来店している若い男性客から写真撮影を申し込まれていた。にやにやと笑う男性客の表情からは良い印象を受けないが、それでも或瀬院は嫌な顔ひとつしない。
「はい! 写真撮影をご希望ですね。それでは、あちらでお願い出来ますでしょうか」
男性客と一緒にフロアの一角にある撮影用スペースへ移動した或瀬院は、アウルの力を用いてその背に白い翼を出現させた。小柄な或瀬院は床から10センチほど浮くと、男性と写真に収まるのに丁度いい高さになるのだ。
「ねえ、君って撃退士? 久遠ヶ原生? 俺は大学部に通ってるんだけど、君みたいな可愛い子もいるなんて知らなかったよ。あ、ほら、もっとこっち寄って」
男性客は馴れ馴れしく或瀬院の肩を抱き寄せ、セルフタイマーを設定したカメラのファインダーに収まった。フラッシュが焚かれ、撮影が終了する。
「撮影お疲れ様です。ありがとうございました!」
或瀬院が礼を述べて頭を下げると、男性客は相変わらずにやにやしたまま指を3本立てて言った。
「金は出すからさ、あと3枚撮ってよ」
2枚目の撮影で男性客は或瀬院の腰に手を回し、3枚目では見えない背後で或瀬院の尻を撫でた。完全なるセクハラ行為だが、或瀬院は柔和な笑みを絶やさない。おっとりと、諭すように男性客に語りかける。
「駄目ですよ、ご主人様?」
だが、男性客は聞く耳を持たない。下卑た笑みを口の端に刻んだまま、反省の色もなくのたまった。
「いいじゃんちょっとぐらいさ〜、こっちは金払うって言ってんだし?」
(そんな…どうしよう……)
笑顔こそ保ったままだが、或瀬院は内心困っていた。次の写真で最後だし、覚悟を決めるしかないのか――助けを求めるようにフロアを見渡したとき、小走りでこちらに駆け寄ってくる水無月の姿が視界に映った。
「撮影中に、大変申し訳ございません。えと、或瀬院さん、メイド長がお呼びです。撮影が終わってからで構わないので、使用人室にお願いします。後の作業は私が引き継ぎますので」
メイド長は店長の意味で、使用人室はバックヤードを指す。水無月はそのまま、カメラに写らないよう撮影用スペースの隅に控えた。男性客は突然闖入者が現れたおかげでそれ以上の悪さを出来ず、普通に撮影を終えるとそそくさと自分のテーブルに戻っていった。
「ありがとう水無月さん。とっても助かりました」
一旦フロアから消えた後、暫くして戻ってきた或瀬院が小声で礼を言うと、水無月ははにかむように笑んで事情を説明した。
「実は、あのお客様が教えてくれたんです。或瀬院さんが困っているみたいだから、助けてあげたらいいよ、って」
水無月の視線を追った先では、先ほど水無月の手作りメニューを受け取った女性客が手を振って笑っていた。
個室でパーティーが始まってからおよそ1時間。通常フロアに漏れ聞こえる声が、大分大きくなってきていた。
(…そろそろ、どうにか手を打った方がいいかな…)
星杜は手が空くと、マダム達が歓談中の個室内へ入っていった。
「ご主人様方。もしよろしければ、私とひとつゲームなどいかがでしょう?」
語尾を伸ばした普段の語り口からは想像も付かないはきはきとした口調で、星杜はゲームで遊ぶことを提案した。興味を持ったマダム達が、会話をやめて星杜に注目する。
「筆談王様ゲーム、というのはいかがでしょう? 私が声を出さずに質問やお話を致しますので、皆様にも同じように、筆談や身振り手振りで答えていただきます。私も含め、うっかり声を出してしまった場合に失点となります。ゲーム終了後、失点の一番少ない勝者が、他の皆様に何でも命令出来るというゲームです。勿論、何でもと言いましても良識の範囲内のことになりますが…」
あら面白そうねえ、などという声が上がる。かくして、星杜の提案による筆談王様ゲームが個室内で始まった。
星杜がマダムの手を取り恭しくその甲に口付けすると、マダムはきゃあ、などと娘のようにはしゃいだ。緩く笑んだ星杜が『失点1』の意味で人差し指を立ててみせれば、しまった、という顔をする。しかし、思わず声を出してしまったことにも悔いはないらしい。嬉しそうに頬を染めるマダムに対して、他のマダムからズルい!という声が上がった。星杜が失点ですよ、と身振りで示すと、マダムも身振りでそれに返した。うるさかった個室内は今やすっかり静まり返り、通常フロアの客からの苦情もない。ゲームの効果は明白だった。
だが、飽きやすそうな客に対してあまり長く続けられるものでもない――星杜は、適当なところでゲームを切り上げることにした。
「どうやら、私が勝者のようですね。ですが…気品溢れる紳士淑女なご主人様達のお姿を見られるだけで、私は幸せにございます」
胸に手を宛て、優雅に一礼。そうして星杜が個室を出ると、休憩を終えてフロアに戻っていた藤宮が、星杜にこそっと耳打ちした。
「ゲームに勝ったのでしたら、『会話するときはひそひそ声で』って、命令をしても良かったんじゃないですかね…?」
なるほどそれも一理ある、と星杜は思ったが、後から命令をするわけにもいかない。幸いにもその後、個室の喧噪はそれほど酷くならずに済んだので、星杜はほっと胸を撫で下ろした。
3時間ほどのパーティーを終えたマダムと紳士達は、会計時に気に入った、また来るわなどと言い残して、満足そうに帰っていった。
「ご主人様、お出かけですか? お気を付けて行ってらっしゃいませ! ご主人様のお帰りを、いつでもお待ちしております!」
ショタ執事からメイド服に着替えた七尾が、帰っていく客を笑顔で見送る。小柄な彼女に見上げられた男性客は、豊かな胸元に視線を釘付けにされながらも、名残惜しく去っていった。
ふう、とひとつ息を吐き、七尾は再度気合いを入れる。閉店まで、まだ1時間ある。最後まで頑張ろう――そう自分に言い聞かせて、七尾はくるりと踵を返した。