「君達がアルバイトをしてくれる子達だね! 本当に助かったよ…今日は宜しくね!」
アルバイト当日、午前10時半。集合場所であるパティスリーヤマダの店舗で、山田は学生達にぺこぺこと頭を下げた。バイトのために集まったのは、常塚 咲月(
ja0156)、苑邑花月(
ja0830)、萬木 直(
ja3084)、六道修理(
ja3268)、相田 ヒメ(
ja3369)、七海 マナ(
ja3521)、鳳 静矢(
ja3856)、卯月 瑞花(
ja0623)の8名だ。
「この後更衣室で着替えてもらったら、売り場までケーキと一緒に車で送っていくからね。他に、何か質問とかあるかな?」
山田の言葉を受けて、常塚が淡々と口を開いた。
「ケーキ運搬用の車って、出して貰えるの…?」
「あ、ごめんねー、その説明忘れてたね。ケーキが少なくなったら、電話をもらえれば僕が補充に行きます。みんな、連絡お願いね! 他には?」
山田が促すと、常塚が再び尋ねた。常塚に続いて、苑邑も手を挙げる。
「ちらしを作ってきたのだけど…もし良かったら、印刷出来ないかな…。あと、インスタントカメラがあったら、貸して欲しいの…。販促に使えないかなって…」
「花月も、ちらしを作って参りましたの。こちらも、印刷してもらえたら…。それと、試食用にケーキを売っていただけましたら、嬉しいのですけど」
山田は、二人の言葉に大きく目を瞠った。まさか、臨時のアルバイトでそんなことまでしてもらえるとは予想だにしていなかったのだ。他にもポスターを作ってきた、販促用にキーホルダーを持ってきた、と次々声が上がると…山田は、感極まって目を潤ませた。
「…急なアルバイトに、集まってくれただけでも嬉しいのに…みんな、こんなに一生懸命になってくれるなんて…ありがとね、本当にありがと…。カメラは残念ながらないけど、ちらしは急いで印刷して、後で売り場まで持っていかせるよ! 試食用のケーキも、すぐ用意するからね! 勿論、君達が自腹で買う必要はないよ!」
己の胸をどん、と叩き、山田は学生達の頼みを請け負った。
「それじゃ制服を配るね。受け取ったら、あっちの部屋で着替えてここに戻ってきてね。みんな揃ったら出発するよ」
学生達は各々サンタ衣装を受け取ると、更衣室へ向かった。
商店街の中央付近、建物のない空き地に、通りに面する形で長机が1本設置されている。長机の後方には、販売用のケーキと保冷剤の入っている発泡スチロールの箱が山積みだ。その箱と机に挟まれる位置で、常塚は萬木に接客指導をしていた。
「んと、お客さんには、なるべく笑顔…。子供も居るし…ね? あ…クリスマスは、イエス・キリストの誕生日なんだよ…」
「諒解であります! 笑顔…笑顔…こ、こうでありますか!?」
几帳面にも小さなノートにメモを取りつつ、萬木は強張り気味な笑顔を作った。任務中に気を抜くなど言語道断、という時代錯誤な戦時の教えを受けて育った萬木にとって、アルバイトは戦闘ではなくとも任務である。長年染みついた慣習のせいで、自然な笑顔を作るのは至難の業なのであった。
「ん…ちょっと表情が固い、かな…。あと、ノートを取るのは凄くいいことだけど…忙しいときには、見てる暇がないと思うの…。そんなに難しいことじゃないから、なるべく…頭で憶えてて欲しいな」
ね?と小首を傾げて僅かに口の端を上げた常塚の、深い色合いの緑の眼差しに覗き込まれて、萬木は思わず硬直した。前に述べた生い立ちのせいで、萬木は女性に不慣れなのだ。しかも相手は妙齢の美女――緊張するなという方が無理なことなのかも知れなかった。
「りょ…諒解であります!! そっそれより常塚先輩、お寒くはありませんでしょうか!? 貼付式のカイロなど――」
「ありがとう。私も持ってきたし、大丈夫…。あったかい飲み物、あるから…萬木くんも、飲みたかったら声、かけてね。…あ…お客さん」
2メートルほど離れた街路上、通りがかった女性の買い物客の足許から、小さな男の子がこちらへ向かって駆けてくる。机の前で立ち止まると、母親だろう女性を振り返って呼んだ。
「ママー! ケーキ!! ケーキ!!」
「はいはい、今日はイブですものね」
はしゃぐ子供を追い、母親が笑顔で歩いてくる。二人の前で立ち止まると、子供の頭を撫でてから財布を取り出した。
「すみません、ケーキ1ついただけます?」
「はい…お買い上げありがとうございます。1箱、3千久遠です」
萬木が代金を受け取り、常塚が子供にケーキの箱を渡す。
「はい…落とさないように、気を付けてね…?」
「おねえちゃんありがとー! ケーキ♪ ケーキっ♪」
手を繋いで商店街の雑踏に消えてゆく、子供と母親の姿を見送る常塚の横顔は、平素よりもずっと柔らかく綻んでいる。それを見た萬木の顔も、先ほどの作り笑顔とは違う自然なものになっていた。
常塚と萬木が前半シフトでケーキを売っている頃、商店街の入り口では鳳と相田が道行く人々にチラシを配っていた。休憩時間は自由時間――なのだが、ケーキを完売させるため最大限の努力を払うと決めたのだ。寒い中でも街路に立ち、にこやかにチラシを差し出して声をかける。
「パティスリーヤマダのクリスマスケーキ、限定販売中です!」
平均よりも高い身長に艶やかな髪、きりりと整った怜悧な容貌――鳳がチラシを渡すと、受け取った女性客達は皆一様に頬を染めた。老いも若きも、彼の立ち姿に夢中である。
「ケーキは店舗の他、商店街の街頭特設売り場と、久遠ヶ原学園敷地内でも販売しています。試食も出来ますので、是非お立ち寄りください」
お仕着せのサンタ衣装ですら華麗に着こなした鳳が、微笑みながらケーキの販売場所を説明すると――女性達は一目散に売り場へと走っていった。
一方の相田は、不自由な片足立ちでぴょんぴょんと跳ねて移動しながら、元気にチラシを配っていた。その片足は植木鉢に埋まっているが、周囲の人間はあまり気にしていないようだ。――というのも、彼女がクリスマスツリーさながらの格好で跳ねるたび、揺れるミニスカートからうっかり下着が見えそうになるので、そちらにばかり気を取られてしまうのだった。
「パティスリーヤマダの美味しいクリスマスケーキ、販売中で〜す。ツリーの妖精さんのオススメだよ〜!」
緑の髪には大きな星形の髪留めを、耳にはベルのイヤリング。サンタ服は一般的な赤色だが、羽織った上着はこれまた鮮やかな緑色。しかも、キラキラ光るビジュー付き。片足は植木鉢。彼女はまさに『生けるクリスマスツリー』と化し、その服装と意図しないパンチラで往来の注目を集め、鳳に負けぬ勢いでチラシを配りまくったのだった。
チラシも残り少なくなった頃。携帯電話で時刻を確認した鳳が、相田に声をかける。
「そろそろ、交替の時間のようだ。移動しよう」
「そだね〜。お客さん、いっぱい買ってくれてるといいなぁ」
にこにこ笑いながら飛び跳ねる相田に己の腕を差し出し、鳳が言う。
「私の腕に捕まるかい? 多少は移動が楽になると思うが…」
「えっ、いいの? ありがと〜!」
恋人に知られたら拗ねられそうだが、仕方ないかな…などと考える鳳と、その腕に無邪気に縋る相田の二人は、交替のため常塚達の元へ向かった。
午前11時過ぎ。学園に到着した七海と卯月は、人通りの多い中庭の一角に商店街の売り場と同様長机を置き、積極的にケーキの販売を行っていた。二人は元々知人であるため、息もぴったりだった。
「…瑞花さん? あ、あーん♪」
試食用のケーキを使い、照れながらも『はい、あーん♪』をしてみせると、周囲のギャラリーからはどよめきと、生唾を飲み込む音が聞こえてきた。リア充に対する怨念めいた反応ではない理由――それは、男性であるはずの七海がどこからどう見ても女性であり、女性の売り子同士のパフォーマンスにしか見えないから、なのだった。
(うぅ…こ、この格好恥ずかしいけど、がががんばらなきゃ)
ミニスカートの下は白タイツだがそれでも女装には変わりなく、七海にとっては恥ずかしいことこのうえない。しかし一度やると決めた以上、ケーキを楽しみにしている人のためにも頑張ってやり遂げてみせる――先ほどの『はい、あーん♪』で口に入れたケーキを咀嚼してから、七海は顔を上げた。
「売ってる僕が言うのも何だけど、このケーキ、本当に美味しいんだよ! 試食もたくさんあるから…」
七海が試食用のケーキを差し出すと、ギャラリーが一瞬ざわめいた。「ボクっ娘か…!」などと小さく声があがる。因みにギャラリーの殆どは男子学生である。勇気ある男子生徒が一人、試食のケーキを受け取って口に運んだ。
「…美味い! 舌の上でとろける芳醇な生クリームと、苺の爽やかな酸味が織りなす絶妙のハーモニー…!! それでいて甘すぎず…病み付きになる味だ!! 是非ひとつ売ってくれ!!」
電撃に打たれたように男子生徒が叫ぶと、七海は初めてケーキが売れた嬉しさのあまり思わず相手に飛び付き、その腕に自分の腕を絡めていた。
「あ…ありがとう!! 本当にありがとう…!!」
男子生徒のケーキを食べた感想が効いたのか、それとも七海のスキンシップが目当てなのか――恐らくどちらもあるのだろうが、その後、ケーキは順調に売れていった。一時間半後ぐらいには女子生徒の姿もぽつぽつと散見されるようになり、七海は卯月と一緒に接客をしながら、休憩中の六道と苑邑が頑張ってくれているのだろうと思いを馳せた。
(そういえば、そろそろ交替の時間かぁ…お昼は瑞花さんのお弁当だ。楽しみだな)
『現在、学園敷地内中庭におきまして、商店街でも大人気! パティスリーヤマダのクリスマスケーキが販売されています。限定数ですのでお早めに! パティスリーヤマダですよー!』
校舎内外に設置されたスピーカーからケーキ販売のアナウンスが流れる中、六道と苑邑は学内の掲示板にポスターを貼り、チラシを配っていた。地味な作業だが、二人とも懸命だ。先ほど流れた校内放送も、彼らが学園に到着するや否や真っ先に放送関係のクラブに向かい、CM放送を打診した結果なのだった。
「クリスマスケーキだってさ? ちょっと気になるなー」
こんな台詞が聞こえようものなら。
「ほんと!? ねねね、今の時間はかわいい女の子二人が、ミニスカサンタ服で接客中だよ!」
六道はポスターを貼る手を止め、持ち前の気安さで話しかける。押せ押せな態度にお客が怯めば、すかさず苑邑がフォローに入る。
「花月もお勧めのケーキですわ。ふんわり、柔らかいスポンジに滑らかな生クリーム…。試食も行っておりますので、宜しければ足をお運びくださいね」
苑邑がおっとりと微笑みながらチラシを差し出すと、それだけで場が和む。なかなかどうしていいコンビな二人は、そうやって丹念に学園を回った。そして、あっという間に前半の休憩時間が終わり――
「ややや、クリスマスはやっぱりケーキだよね! ん? クリスマスは七面鳥? そんなの聞こえなーい!」
七海達と交替した六道は、サンタ衣装にヒーローのお面を被りつつ、やけっぱち気味の呼び込みをしていた。何故やけっぱちなのかといえば――彼の足下に、踏み台が設置されているからだ。参加メンバー中最も低身長な彼のために、山田さんがわざわざ用意してくれていたのだった。
「別にさ…踏み台なくても大丈夫なんだけどね? 雇い主の好意を無下には出来ないよね…」
そんな六道の姿をくすくす笑って眺めつつ、苑邑は得意なフラワーアレンジメントで作った花のケーキを、机上に飾り付けている。
「そうですわね。修理さまのお心遣い、素晴らしいと思いますわ。…いらっしゃいませ〜、パティスリーヤマダのクリスマス限定ケーキはいかがですか〜。試食もご用意しております、とーっても美味しいですよ〜」
苑邑がすらりと細い生足を寒風に晒して声をかけると、男子学生が立ち止まる。女子学生は、美しいフラワーアレンジメントに歓声をあげる。六道のもとには、いつの間にか初等部の子供たちが集まっている。賑やかなお客達を相手取り、二人は販売に精を出した。
午後5時。クリスマスケーキ500箱を見事に売り切り、仕事は予定の2時間前に終了となった。
「…みんな、ほんっっっとうにありがとうね!! 休憩時間を潰して働いてくれたなんて…そんな…そこまでしなくても大丈夫だったんだよ…うっ…」
パティスリーヤマダの建物内で、山田は感動に噎び泣いていた。ポケットからティッシュを取り出すと、ちーん!と鼻をかむ。
「お給料、多めに用意しておいたからね。あと、みんなに売ってもらったのと同じケーキも1箱ずつあるから、持って帰って食べてね。ささやかで申し訳ないけど、僕からのプレゼントだよ。寒い中、本当に本当にご苦労様でした!!」
挨拶をして、バイト代とケーキを受け取り解散!!…というところで、マイペースな常塚が山田に声をかける。
「…ケーキ、まだ、お店に残ってるかな…? あ、クリスマスケーキじゃなくて、一切れずつの…。んと、残ってるケーキ…1個ずつ全部…買いたいなって…」
甘党な常塚のために、山田はショーケースに残っていたケーキ全てを一切れずつ、箱に詰めてプレゼントしてくれた。箱詰めの際、鼻の下が伸びていたような気がするのは気のせいだ。…多分。
帰り道。アルバイトを共にした全員で、陽の落ちた商店街を歩く。吐く息は白く寒さが身に沁みるようだが、澄んだ空気が心地いい。点灯したイルミネーションの輝きと夜空に浮かぶ星々の瞬きを眺めていると、心が浮き立った。
「クリスマス…皆が幸せになれる日。一生懸命頑張りましたし、お客様に幸せを運べていたらいいのですけれど…」
苑邑の呟きに、萬木と七海が応じる。
「苑邑後輩、それは、きっと大丈夫でありましょう。ケーキを購入された方々は皆、幸せそうに笑っておりました」
「うん、そうだよ! きっと今夜は、素敵なイブになるよ」
頷いてみせる二人に、苑邑が微笑み返す。その斜め一歩後ろでは、六道がくしゃみをしていた。
「…っぷしゅ! …あー、人知れずふらっと消える予定だったのにさ、タイミングを逃しちゃったよ…」
誰にも聞こえないよう、ぽそりと小声で呟きを洩らす。と、そこに鼻唄を歌いながら、相田が並んだ。
「ん〜んん〜、るる〜るっる〜♪」
どことなく間延びしたクリスマスソングに、六道は思わず笑ってしまった。
「おっと、私はここでお別れだ。今日はありがとう、メリークリスマス!」
一人、別れの挨拶を残して鳳が角を曲がる。その手には、もらったクリスマスケーキの箱が大事そうに抱えられていた。
「さて…コレで、待ってるあいつの機嫌を取るか」
愛しい恋人の顔を思い浮かべ、鳳は足を速めて帰路を急いだ。