薪の爆ぜる音、肉の焼ける香ばしい匂いにもくもくと空へ上がる煙。神社の駐車場というロケーションでさえなければ楽しいバーベキュー大会といった風情だが、肉を焼くイアン・J・アルビス(
ja0084)と神喰 茜(
ja0200)は周囲への警戒を怠らない。肉の焼き加減を気にしつつも、いつどこから現れるか解らない敵を迎え撃つため、常に神経を張り巡らせている。
「クマさーんクマさーん♪」
そんな密やかな緊張の中で無邪気な声をあげるのは、今回の討伐参加者中最年少のプルネリア ロマージュ(
ja0079)だ。早くクマさんと遊びたいな、とばかり、うきうきとした様子で焼き肉セットの周りをうろちょろしている。
「うーん、いい匂い。美味しそうだね〜」
神喰の言葉を受け、イアンが頷く。
「ええ。美味しく焼いたら、熊さんもきっと早く出てきてくれると思います」
屋台から借り受けた鉄板の上、じゅうじゅうと音を立てて肉が焼ける。柔らかそうな赤身、溢れ出る肉汁。鉄板だけでなく、肉も屋台で用意していたものをそのままもらった形だ。依頼主に事情を話したところ、討伐のためなら使ってもいいと許可が下りたのだ。
「あ、これはもういいかなー」
神喰が、焼けた肉を箸で拾ったその刹那。
『――来たぞ!! 林の方角から1体!!』
『ぁ…こ…こっちも来た……!! しかも、に、2体一緒…!!』
駐車場付近で見通しの悪い場所をカバーするよう潜んでいる笹鳴 十一(
ja0101)と九十市 鉄宇(
ja3050)の声が、繋ぎっぱなしになっているプルネリアのスマートフォンから聞こえると――全員が即座に戦闘態勢に入った。迎撃班のイアン・神喰・プルネリアは勿体ないと思いつつも焼き肉セットに水をかけて火を消し、ヒヒイロカネから各々の武器を展開して散開。待機班の笹鳴と九十市も武器を展開、奇襲のために林の中を移動し、息を潜める。一人遊撃のため離れた場所にいた虎綱・ガーフィールド(
ja3547)も、プルネリアからの連絡を受け駐車場へと走った。
「ここから先は通行止めです!」
ファルシオンを構え、林の方へ走りながらイアンが声を張り上げた。焼き肉の匂いを追っているのだろう、木々をすり抜けこちらへ向かって突進してくるディアボロの注意を引き付ける。ディアボロが林を抜けて駐車場に入り、イアンがその攻撃をファルシオンで受け止めた瞬間、スクロールによる九十市の魔法攻撃がディアボロの背中に命中した。ディアボロは大きな唸り声をあげ、背後を振り返る。
「……あ…当たっ、た……?」
木々の間から出て姿を覗かせ、呆けたように呟く九十市。
「――馬鹿野郎!! ボーッとしてんな…ッ!!」
九十市を庇う形で笹鳴が林から飛び出し、ディアボロの攻撃を受け止めようと試みた。鋭い爪から身を庇うように斧を翳す――が、しかし。
「ぐ…っ!!」
通常の熊のものよりも長い爪が、笹鳴の左上腕を抉った。ぱっ、と鮮血が散る。ディアボロは、追い打ちをかけるようにもう片方の腕を振り上げた。緊迫の一瞬―――だが、ディアボロの爪が笹鳴を襲うことはなく、イアンのファルシオンが閃光のようにディアボロの左手首を斬り落としていた。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ――僕の存在を忘れてもらっては、困りますね!!」
イアンは自ら囮となり、バックステップで激昂したディアボロとの距離を取る。イアンがディアボロの相手をしている隙に、九十市は恐怖で震える己を胸の裡で叱咤しながら、怪我をした笹鳴へと駆け寄った。
「ごめんなさい…ごめ、っなさい…!! ぼ、僕のせいで――!!」
「…なぁに、これぐらい掠り傷だ、どってことねぇよ。気にすんな」
笹鳴は痛みに顔を歪めつつも、相手を心配させぬようにっと笑ってみせた。だが、すぐに表情を引き締め、体勢を立て直しながら視線を投じて戦況を確認する。
「それより、とっとと片付けちまわねぇと――イアンが危ねぇ。それに、虎綱が合流したみてぇだが神喰達もヤバい。……なぁ、まだ、怖いか?」
笹鳴の問いに、九十市は息を飲んだ。怖いか、と問われれば―――怖いに決まっている。怪我をするのは怖い、死ぬかも知れないのは怖い、痛い目になんか遭いたくないし、たとえ相手が人間じゃないとしても同じ思いをさせるのは嫌だ―――だけど。
(か、変わらないと、いけない…僕も、臆病なだけじゃ…)
まだ足は震えている。まだ、殺し合う覚悟なんて出来ていない。それでも―――ただその場で足踏みしているだけでは、前に進めないのだ。一歩でも、たった一歩でもいいから、前に進む、勇気を。
「…ごめんね、笹鳴君…僕は、まだ、怖いよ…。だけど…が、頑張る、から……!!」
手にしたスクロールに力を込め、ぐっと強く握る。決然と上げられた九十市の面差しを目にすると笹鳴は笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「上出来だ。―――行くぞ!!」
「…うん!!」
笹鳴と九十市は、イアンの許を目指して地を蹴った。
一方その頃。
プルネリア、神喰、虎綱の三人は、二体のディアボロと対峙していた。単純な人数計算をすればイアンもこちらに加わるべきだが、ダアトである九十市の身を慮ったため、イアンは林側の一体と闘っている。こちらの三人の役目としては、なるべくダメージを負わぬよう攻撃よりも防御や回避を優先し、敵を連携させない立ち回りで時間を稼ぐこと――なのだが。
「クマさーん。せなかのーせーてー?」
プルネリアの無邪気な問いに答える知能を、ディアボロは持ち合わせていない。20センチはあろうかという牙を剥き出しにし、涎を垂らして咆吼を上げる。
「んー、やっぱだめー? じゃあしょーがないねっ!!」
ハンドアックス――その小柄な体躯からは想像も付かない重量の武器を片手で軽々と振り回し、少女は小首を傾げて笑った。
「せなかにのせてくれないなら――いっぱいいっぱい遊んでねっ♪」
台詞と同時に、疾駆。自身の防御にあまり頓着していないのか、ディアボロの足許に大胆に飛び込み跳躍して斬り上げる。相手が怯んだところで腕を切り落とそうと斧を叩き込んだが、体重不足か残念ながらそれは叶わなかった。
幼いプルネリアには、『時間稼ぎをする』つもりはなかった。ディアボロの爪が容赦なく頬を切り裂こうとも、一歩も退かず闘い続ける。だって――楽しいのだ。彼女がどんなに力一杯斧を振るおうとも、ディアボロは頑丈で、簡単には壊れない。遊び相手に最適だ。少女が攻撃するたび髪を結うピンクのリボンに返り血が飛び、その表面を斑模様に染め上げた。
「こっちだよクマさーん!」
少女は笑っている。朗らかに、軽やかに。楽しくて仕方がない、という様子で。
その合間にも神喰が刀を抜き、ディアボロ達が連携せぬようプルネリアが闘っているのとは違う一体を挑発した。光纏により漆黒の焔を足許から噴き上げて、神喰は嗤う。
「ふふ、あはははっ♪ しっかり狙わないと当たらないよ!」
フェンシングのように刺突する形で攻撃を繰り出し、二体の間の距離が空くよう徐々に後退って自分の方へ引き付ける。神喰の行動を後押しする形で虎綱は二体の間に割って入り、隙を狙ってダガーで斬り付けた。しかし―――、
「むっ…!」
甲高い音と同時に火花が散る。プルネリアの闘っている一体が鳴き声で危険を知らせたのか、虎綱の攻撃は爪で弾かれてしまった。虎綱は弾かれた勢いで蹈鞴を踏み、体勢を崩しそうになったが、生まれ持った長身のおかげでその場に踏み止まる。
「……っ!!」
脇腹を狙ったディアボロの一撃を、咄嗟に身を捩り紙一重で躱す。冷や汗がこめかみを伝った。
「もっと、距離を空けないと駄目なようで御座るな…。神喰殿!」
「解ってる!!」
時間をかけ、神喰とディアボロはじりじりとプルネリア達から遠ざかった。虎綱はプルネリアの方と神喰の方とを行き来しながら、その機動力を活かして彼女達の補助となるような攻撃を仕掛けている。十分に離れたと判断すると、神喰はそれまでの行動と打って変わり、反撃に転じることにした。
「…作戦とはいえ、思いっきり闘えなくて鬱憤が溜まってるんだよねー。そろそろいいよねっ!」
誰にともなく宣言し、刀を上段に構えてぴたり、と動きを止める。ふ、と小さく息を吐くと、こちらへ突進してくるディアボロの動きに合わせて弾丸のように飛び出した。唇は緩やかに弧を描き、眦は撓んでいる。深紅の髪を風に靡かせ疾走する姿は、それを見るものの目には一条の炎の矢のごとく映ったに相違ない。
「――イヤァァァァッ!!」
裂帛の気合いと共に、すれ違いざまに一閃。狙い違わず神喰の斬撃はディアボロの右の眼球を潰したが、大振りな攻撃は隙を生んだ。がら空きの胴を目がけ、ディアボロが牙を剥く。
(――やられるっ…!!)
だが、神喰の覚悟した衝撃はなく、ディアボロは地に響くような鳴き声をあげて痛みに四肢を捩っている。ディアボロの左の眼球には―――虎綱の放った魔法攻撃によるエネルギー体のダガーが、深々と突き刺さっていた。
「神喰殿、お怪我は!!?」
「ぁ…だ、大丈夫……!?」
林の方の一体を斃したのだろう、虎綱の後から九十市達も駆け付ける。合流した六人は、三人ずつに分かれて互いに連携しながら、再びディアボロと対峙した。
「ありがと、私は大丈夫! そんなことより、チャンスだよ! 敵は目が見えない――動きの予測はし辛いけど、その代わり隙が多く生まれるはず」
「左様で御座るな。某は神喰殿が仕掛けた隙を突き、急所と思われる箇所を狙うことに致しましょう」
「…僕が、遠距離から援護、します。…が、頑張り…ましょう…!!」
神喰が、再び刀を振るう。敵の動きを封じるように、九十市が光弾を撃ち込む。仲間の連携に助けられながら、虎綱はディアボロに肉薄した。
「大分お疲れのようですね、プルネリアさん」
息の上がったプルネリアを庇うように前に立ち、イアンが言う。イアンの言葉を引き継ぐように笹鳴りも頷き、
「ああ。虎綱もいたとはいえ、ちっこいのによく頑張ったな」
プルネリアの頭をぽん、と軽く撫でた。兄弟のいる笹鳴は、小さな子を見るとどうしても弟達の姿を重ねてしまうのだ。誉められたプルネリアも満更ではないらしく、えへへ、と笑っている。
「ここからは、僕達に任せてください――!!」
イアンのファルシオンが風を切り、突き出されたディアボロの腕を強かに打っていなす。
「――今です!!」
「――喰らえぇっっっ!!」
勢いのままに突進してくるディアボロを見事な跳躍で躱した笹鳴が、己の体重を載せたハンドアックスの一撃を首筋に叩き込んだ。肉を断つ感触が、斧の柄から直に笹鳴の腕に伝わる。手応えあり――血潮を噴き上げながらディアボロは苦しげな鳴き声をあげ、よろよろと二、三歩前に進んだ。
「大分弱ってきているようです。一気に畳みかけましょう!」
イアンの合図で、三人は一斉にディアボロへ飛びかかった。
「熊型ディアボロ三体、殲滅終了しました」
陽も暮れかかった午後の4時。イアンは、通信機を使って学園に討伐終了の連絡を入れた。
『ご苦労だったな。依頼主には、こちらから連絡を入れておく。すぐに帰投するか?』
「いえ、折角ですので、これから焼き肉の続きを――」
しようかと思います、と続くはずだったイアンの言を、通信相手の教師が遮った。
『待て。…お前達、熊肉を食べてみたいなー、とか、考えてはいないだろうな?』
イアンはぎくり、と背筋を強張らせた。何か、問題でもあるのか――? 相手の無言を肯定と受け取り、教師は深々と溜め息を吐く。
『…時々、お前達みたいなことを考える新入生がいるんだがな。いいか、お前達――お前達は忘れてしまっているかも知れないが、ディアボロの素材は魂を抜かれた人間だ。悪魔が跡形もなく作りかえてしまったがな。人肉を食う趣味があるなら、止めはしないが――』
イアンは、即座に熊肉パーティーを断念した。
「あ〜腹減った〜。肉食おうぜ、肉! んー…これが自腹じゃないってんだからいいよなぁ♪」
依頼に参加した面々は、何事もなかったかのように駐車場で焼き肉を再開した。とはいっても、討伐終了の連絡を受けた屋台の主が、神社に戻ってくるまでの時間制限付きだが。勿論焼いているのは熊肉ではなく、屋台からもらった豚肉である。
「運動の後のお肉は格別だよね〜。あーおいひっ!!」
「プリアにもおにく〜!!」
先程までの戦闘による緊迫した空気が嘘のように、和やかに肉を突付き合う神喰とプルネリア。これまた屋台から借りてきた醤油を垂らし、熱々の肉をはふはふと頬張っている。面倒見の良い笹鳴と虎綱は、焼き加減を見ながら肉をひっくり返す係と化していた。
「…こんなもんかねぇ。さて、俺さんも一口――」
「ああっ!? 狡いですぞ笹鳴殿!! 某の分も少しは残しておいてくだされ!」
わいわいと賑やかな鉄板周りから少し離れたところで、九十市は一人己の手を見つめていた。震えは既に止まっている。
(…僕は…僕は……少しは、変われただろうか…?)
心の中で自問する。だが、答えてくれる相手はいない。答えは、自分自身で見付けるしかないのだ――これから、長い時間をかけてでも。
「九十市殿も、御一緒に如何かー! 美味で御座るよー!!」
顔を上げれば、共に戦った仲間達が笑顔で手を振っている。九十市は我知らず笑みを返すと、己のあるべきところへと歩き出した。
完全に夜の帷が降りた神社の参道に沿って、吊されたいくつもの提灯が淡い光を投げかける。参拝客は押し合いへし合いしながら屋台の食べ物を買い求め、或いはおみくじを引き、思い思いに大晦日の夜を過ごしている。
任務を終えた撃退士達は厳かな気持ちでお参りを終えると、夜はこれから、とばかりに駆け出した。
「私、おみくじ引こーっと!」
「プリア、りんごあめ食べるーっ♪」
「それじゃ、俺は甘酒でも飲もっかねぇ」
「…あ…カステラ、美味しそう…」
「熊肉が駄目なら、羊肉で我慢しておきましょうかね…」
「某はイカ焼きでも…ああっ!? プルネリア殿待つで御座る!! こんな人混みで走っては――!!」
年が明けるまで、あと少し。賑わいを取り戻した境内に、明るい笑い声が響き渡った。