●突入
「ミコトちゃ〜ん!でておいで〜」
「象さーん!こっちだよー!出ておいでー!」
一行は象の名前を呼びながら、象が目撃されたという地点へと向かう。象の聴覚は凄まじく、数十キロ離れた場所の音でさえ聞き分けるという。
さらに駄目押しとばかりに、それぞれの撃退士は大量の果物を持ち、風に匂いを流すかのように高く掲げた。象は聴覚だけでなく嗅覚もまた同様に優れている。象を誘き寄せる為に撃退士達の取ったアプローチは万全と言ってよいものであった。
たった一つ、それ以外のものも呼び寄せてしまう、と言う点を除いて。
「やばっ、敵だ!」
それに最初に気付いたのは、極力サーバントを警戒しながら進んでいた久遠 栄(
ja2400)だった。
「避けられそうですか……?」
不安げに訪ねる藤堂 瑠奈(
ja2173)に、栄は首を横に振り、
「今回は俺の出番が無い方が良かったのだけれどね」
和弓に矢を番えた。
唸り声をあげ、襲い掛かる影は撃退士の数に合わせたようにちょうど八。
明るい灰色の毛並みを持つ、体長1メートルほどの小さな狼……グレイウルフの名で知られるサーバントだ。
「阿岳さん!」
初撃、弾丸の様に飛び掛ってくるグレイウルフをいなし、お返しとばかりに顕現させたトンファーで殴り飛ばしながら、鐘田将太郎(
ja0114)は叫んだ。彼の視界の片隅で、阿岳 恭司(
ja6451)は強烈な体当たりを受けて吹き飛ぶ。恭司の大柄な肉体が宙を舞い、繁みに頭から突っ込んだ。
しかし、それを助けに行く暇も無い。将太郎が気を取られた一瞬の隙を突き、グレイウルフの鋭い牙が彼の腕にがぶりと齧りついた。
「邪魔はさせないよ」
将太郎がそれを振り解くよりも早く、闇色の雷撃がグレイウルフに突き刺さった。無音、無動作で神喰 朔桜(
ja2099)が放ったそれは、一瞬にしてグレイウルフを吹き飛ばし、黒焦げにする。
「不協和音は、早めに潰しておく!」
剣を振るう君田 夢野(
ja0561)には先程までの線の細い穏やかな少年の面影はなく、果断なる戦士の一撃は一刀の元にグレイウルフの身体を両断した。これで、3匹。
「速いっ……!」
森林(
ja2378)の放った矢をかわし、グレイウルフは瑠奈へと飛び掛る。それを止めるように、その左目を矢が貫いた。栄の放った一矢。だが、しかし。
「しまった、浅い!?」
グレイウルフはその速度を緩める事無く、牙を剥き出し瑠奈を襲う。
それを、ぬっと突き出た太い腕が遮った。
「阿岳様……ありがとう、ござ」
「阿岳ではない」
瑠奈がほっと胸を撫で下ろし、後ろを振り返ると、そこには寸胴鍋の覆面を被り、上半身を剥き出しにした男の姿があった。
「!?」
「私の名は、チャンコマン! 悪と食生活の乱れを憎む、正義の味方だ!」
驚きに声が出ず、口をパクパクさせる瑠奈の前で『とうっ』と叫ぶと、チャンコマンはグレイウルフを殴りつけ、更にその首をがっしりと脇に抱え、
「D・D・C(デンジャラス・ドライバー・オブ・チャンコ)!!」
後方に倒れこんでその頭を地面に思い切り叩き付けた。栄の矢で負った傷に加えてのその一撃に、グレイウルフは溜まらず絶命する。……が、天魔はV兵器以外ではろくにダメージが通らない為、実は最初の打撃が死因である。
「……まだやる?」
半数を瞬く間に失い浮き足立つグレイウルフ達に向かい、朔桜は稲妻を纏う手の平を向ける。勝てぬと悟ったのか、グレイウルフはじりじりと後退りすると、一転、遠吠えをあげながら一目散に逃げ出した。
「ふぅっ……」
一先ず去った一難に息をつき、森林は緊張を解いた。
「……これを見ろ」
そこに、秋月 玄太郎(
ja3789)が声をかける。彼は冷静に戦況を判断し、グレイウルフとの戦闘の間も苦無での牽制を行いつつ、ずっと象の痕跡を探していた。その努力は実を結び、彼は象のものと思しき足跡を発見していた。
「足跡……ですか?」
それはよほど注意しなければ見落としてしまうほどのもの。しかし、巨大な円形のそれは見間違いようも無い。
「これを追っていけば……!」
撃退士達は互いに頷き、その跡を見失わないよう慎重に、しかし素早くその身を躍らせた。
●発見
「いた!」
その巨体を最初に見つけたのは森林だった。幸いにして大した怪我も無く、象は山に少し踏み入った森の中、木の枝をその鼻でバキバキと折り取っては口に入れていた。
「……大人数で近づくと、刺激しちゃうかもしれない。俺がいってみるよ」
軽く手を挙げ、夢野はそう提案した。反対するものは無く、夢野はゆっくりと、携帯音楽プレイヤーで密林の環境音を流しながら象に近づいていく。
「ほら……いい子だ。こっちへ」
すっと手を伸ばし、象に触れたその時。突然、象は雄叫びを上げ、彼に向かって突進した。象の走る速度は、時速40kmにも達する。無論、車やサーバントに比べればごく遅い速度。
しかし、その4トンを超える巨体が走る迫力は、撃退士をしてたじろがせるものがあった。慌てて夢野は横に飛び、象の体当たりをかわす。
「ぬぐおおおお!」
そのまま撃退士達を跳ね飛ばしていこうとする象の脚を、恭司が押さえつけた。ぐっと踏み下ろされる大木のようなその前足を、真っ向から受け止め、一瞬拮抗する。が、支えきれず、恭司は踏みつけられてしまう。
「そっちに行くな…!」
構わず突破しようとする象を、玄太郎は身体を張って止めようとする。しかし、その身は力ではなく、速さを持って敵を制する鬼道忍軍。象を押さえつける事など出来よう筈もない。だがそれでも彼は己の力を振り絞り、象を止めた。
「…頼むから俺達のいうことを聞いてくれ…!」
歯を食いしばり言う玄太郎に、怯えた象は足を振り上げる。
「あ、きれいな音〜」
そんな時。流れ出した旋律に、森林は思わずそう呟いた。
BWV147、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲『心と口と行いと生活で』第六曲、コラール合唱『イエスこそわが喜び』……俗に、『主よ、人の望みの喜びよ』の名で親しまれる、有名な曲。
瑠奈のヴァイオリンが奏でるその繊細でどこか物悲しい……そして同時に優しく暖かい音楽に、象はおろか撃退士達も思わず聞き惚れた。
普段の、どこかおどおどとした彼女からは考えられないほどの朗々とした声で、ドイツ語の詩が歌われる。象は勿論の事、撃退士達にさえどのような意味なのかわからないそれは、愛の歌だ。
いつも人々を見守り、慈しむ神の広大無辺の愛。そしてそれに応える、人の愛。見守るものと、見守られるもの。無限に続く、掛け値の無い愛情を歌った詩。
それが届いたのか、それとも突然の音に混乱したのか……理由は、誰にもわからない。しかし象はとにかく、足を下ろし、落ち着いたようにゆっくりと鼻を揺らした。
「……おさまったかな?」
恐る恐ると言った様子で夢野が果物を差し出せば、象はそれを鼻で取り、むしゃむしゃと咀嚼した。
「怖かったんじゃね〜。おーよしよし、もう大丈夫だよ〜」
その足の下から這い出し、恭司は象をなでながらそんな事を言った。
「……いや、阿岳の方が大丈夫じゃないんじゃない?」
「なあに、プロレスラーは身体が資本! この位、何でもないったい!」
栄の言葉に胸を張ってみせる恭司の膝はしかし、ガクガクと笑っていた。
「ま、後は俺達に任せておいてくれ。ミコトの誘導を頼むよ」
将太郎はそういうと、象の身体に触れて笑顔でもう大丈夫だ、と声をかけた。象に日本語は通じない。しかし、その声色、笑顔、そういったパターンの習得は可能なはずだ。心の形は、人も動物もそれほど変わらない。
「ミコト、怖かっただろう? 俺達が動物園に帰してやるから、もうちょっとだけ頑張ってくれ」
将太郎は殊更優しい声音でそういい、彼女に背を向けるとその両手にトンファーを顕現させた。その表情は打って変わって厳しく引き締められ、油断無く辺りを伺う。象を守り抜く。その意思が、彼を自然とそう変えていた。
「さて、じゃ、いこっか」
屈託無く、朔桜はぽんと象の足を叩く。
「大丈夫。どんな敵からも、護ってあげるからさ」
その言葉が通じたのか否か。象と撃退士達は、ゆっくりと結界の外を目指して歩き始めた。
●脱出
「おっ、見えてきた」
市街地の屋根を伝ってぴょんぴょんと飛び跳ねながら、栄は声をあげた。結界の切れ目……大型トレーラーが待っている場所だ。
「もう一息、頑張りなよ」
象を一撫で、夢野がバナナを差し出せば、それは一房丸ごと象の口の中に納まった。
「しっかし、象って本当に随分と食うんだなぁ……」
動物園を脱走した後、ロクな食事にありつけなかったのかもしれない。あれだけ大量に用意した果物の大半を、象はものの1、2時間で食い尽くしていた。
「っと、駄目だ、この先にサーバントがいる」
遠くに見える白い影に、栄は腕で大きくバツ印を作って合図した。迂回しようと向きを変えたその瞬間、変えた方角にひょっこりと白い影が現れる。
「駄目だ駄目だ、逆方向ー……って」
更に逆側にも、もう一匹。慌てて振り返れば、後ろにも一匹。完全に、包囲されていた。
「ちっ!」
舌打ちし、栄は素早く屋根から飛び降り象の元へと駆け寄る。
「駄目だ、囲まれてる!」
言うが早いか、四匹の白い影がぴょんぴょんと跳躍しながら彼らをぐるりと取り囲んだ。その姿は、一言で言うと、ウサギ。しかし、1メートルもの体長を持つ、巨大なウサギだ。一見可愛らしい外見とは裏腹にその足の先には切れ味鋭い爪が生えており、人の首程度なら容易に刎ね飛ばす。
グレイウルフに比べれば数が少ないとは言え、その戦闘力の高さ、何より象を守りながら戦わなければならないという事が何より厄介である。
「ASSERT CREATION(我此処に創造を宣言する)――」
す、とヴォーパルバニーに指をさす朔桜の周りに、五本の黒い雷の槍が浮かぶ。天賦の才を持つ彼女の『魔術』は無音無動作。相手を示す必要も、呪文を唱える必要もない。
「先に言っておくよ、退くなら撃たないって……」
それが示す意味は二つ。一つは、相手の士気を挫き恐れを与える示威行為。
「キミにかかずらっている暇はないの。来るなら容赦しないよ」
そしてもう一つは、彼女が本気で挑んでいる、という事の証左であった。
果たしてその返答は、跳躍であった。ウサギたちはその足の爪を構え、高く高く跳躍して撃退士達へと肉薄する。
「そう。なら死にたいって事だよね」
ウサギ達が跳躍するとほぼ同時、
「穿て――BRIONAC(轟き穿つ神威の雷槍)」
五本の雷槍が轟き、各々別の軌道を描いて狙い違わずウサギに突き刺さる。白い毛が燃え盛って黒い灰となり、肉の焼ける嫌な匂いがあたりに広がる。
「どう、これで――」
しかしそれを突っ切って駆けるウサギの姿に、朔桜は目を見開いた。
「こいつには絶対触れさせねぇ!」
一方、ウサギ達が跳躍したのとほぼ同時、背後に象を負ってトンファーを構え、将太郎が前に出た。空中のウサギを迎え撃つべく振るわれる旋棍の一撃を、ウサギは器用に空中で身をひねると、反対に将太郎の肩口に爪を突き立てた。
「ぐっ……!?」
光纏に守られた撃退士であれば一撃でやられるほどではない。しかし、浅くない傷が彼の体の一部を抉り取っていく。
「ミコトには手出しさせない!」
森林が矢を放ち、どすりとそれはウサギの背に突き刺さった。しかしさほどの痛痒も見せず、ウサギは再び跳躍する。皮が分厚く、森林の力ではそれを貫通できないのだ。
「くそっ!お前の相手は俺だっ」
サバイバルナイフを抜き放ち、栄はウサギの前に立ちはだかった。
「象すら守れず、何が撃退士だ、笑わせてくれる…!」
自嘲気味に言いつつ、玄太郎は苦無からアウルの力を投げ放つ。
「この先へ進みたいなら俺を倒してから行くんだなっ」
「名前の知れた天魔を倒すだけが撃退士じゃないんだ、それをわからせてやる…!」
知らず、二人は象を挟んで背中合わせにそう言い放ち、ウサギへと立ち向かった。
光に煌めく刃が、眼前に迫る。ダアト……自身を『魔術師』と称する朔桜の身体は脆弱である。プロの格闘家……その中でも、一流に片足を踏み入れたもの。『たかだかその程度』の頑強さしかない。しかしそれでも、目の前の死を見つめながら彼女は余裕を崩さず、微笑んだ。
「言ったでしょう」
その瞳と髪が黄金に揺らめき、彼女はただ一言呟く。
「容赦はしないと」
毛を焼き焦がされ、真っ黒に染まったウサギ。その身体は、五方向から飛来する闇の雷槍に貫かれ、今度こそその動きを永遠に、止めた。
「させる、もんか……!」
鬼気迫る表情で敵の攻撃を一手に引き受けるは将太郎。夢野、恭司の二人が象を宥める事で手一杯な今、前衛を張る事が出来るのは彼ただ一人。次々と飛来するウサギ達を殴りつけながらも、彼の身体はズタズタに切り刻まれていく。
「食らい、やがれ……!」
将太郎の練り上げたアウルがトンファーに集中し、カウンターとばかりにウサギを貫き、吹き飛ばす。
「どうだ……よ」
動かなくなったウサギを見送り、彼はばたりと地面に倒れた。
「鐘田っ!」
倒れ付す将太郎に声をあげながら、栄は冷静にもう一匹のウサギにトドメを刺した。残るは一匹、玄太郎の相手するウサギだ。彼の身体にも少なくない傷がついていたが、二匹を相手取っていた将太郎に比べればまだ浅い。対して敵は満身創痍だ。
このままでは埒が明かないとでも思ったのか。ウサギは今までに無く高く高く跳躍すると、その爪を象へと向けた。咄嗟に放った苦無の一撃は外れ、
「それを」
狙い済ました矢の一撃が、違わずその目を貫いた。
「待って、いました」
蹴りを入れるその瞬間、ウサギは必ず同じ姿勢をとる。それさえわかっていれば、インフィルトレイターの森林にとってそれを射抜くのはさほど難しいことではなかった。
●帰還
「鐘田、大丈夫か?」
「ああ……大分、楽になった」
下から声をかける栄に、将太郎はそう答えた。全身が酷く痛みはするが、瑠奈に簡単な手当てを受け、身体を休ませて貰ったお陰でどうにか動けそうではある。
「ありがとうな」
将太郎は呟き、己の背の下……彼を運ぶ、ミコトを撫でた。戦闘が終わり、彼女は倒れ伏す将太郎の傍に近づくと、その背に乗せろと言わんばかりに膝を折り、首を垂れたのだ。
将太郎を乗せたミコトと撃退士達は帰路を急ぎ、ついに結界を抜けた。今は急ピッチで、ミコトの搬送準備がされているところだ。
「象さんと子供たちがまた笑って動物園ですごせるように、俺たちも頑張んといけんね…」
「ええ。今度は、動物園で会いたいですね〜」
ミコト。美しき古都。彼女の戻る場所は、彼女の名の元となったその街にある。今度はそれを、なんとしてでも守らなければいけない。
一つの命を救えた充足感に浸りながらも、彼らは次の戦いへと思いを馳せたのだった。