●三つ巴の戦い
荒れ狂う雨と風。そして、それを巻き起こす炎と水から少し離れた所に、8人の撃退士は手に手にその得物を構えながら並び立つ。
「ま、桜とかはあんまきょーみないけど出店がなくなんのはやだしね」
団子の串を加えつつ、短槍を担いで野崎 杏里(
ja0065)。
「頑張りましょー!」
ほんわかと語尾を延ばしつつもいう櫟 諏訪(
ja1215)の頭頂部では、ぴょこんと伸びた一房の毛……所謂あほ毛が、まるでレーダーの様にくるりくるりと回っていた。
「いざ、正義執行だ! 守護者の矜持に掛けて、必ず桜は護るぞ!」
気合を入れ、弓を握り締めて獅子堂虎鉄(
ja1375)。
それに答えるかのように、久瀬 千景(
ja4715)はすっとその手の平にリボルバーを発現させ、真野 恭哉(
ja6378)がピストルを構える。
「皆様に加護を…」
「…守り…ます…」
神城 朔耶(
ja5843)と華成 希沙良(
ja7204)が祈るかのように呟けば、彼らを透明のヴェールが包み込む。
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は無言で、その全身に纏った黒焔の如き力を両脚に集中させた。
最初に動き始めたのはマキナ。その脚に込めた力で風のように走ると、彼女は河に足を踏み入れ、ウンディーネの背後を取った。それとほぼ同時に虎鉄と杏里がウンディーネを挟み込むように走る。
それを冷静に見ながらずいと一歩前に出て、千景はその銃を無造作に構えた。流れるような動作で撃鉄を引き起こすとカチリと弾倉が回転し、引き金を引けばアウルの塊がサラマンダーを穿つ。ギャンと声を上げ、サラマンダーはぐるりと視線を巡らせると千景に向かって真っ直ぐに走った。
朔耶と希沙良が長大な弓を操り、サラマンダーに向けて矢を放つ。しかし小柄な獣は素早い動きでそれをかわすと、千景に齧りついた。
金属音が鳴り響き、サラマンダーの動きが一瞬止まる。千景の手にはリボルバーの代わりに炎の様に波打つ刀身を持った剣が握られ、サラマンダーの一撃を防いでいた。
「今回は、速攻で決めさせてもらうよッ!」
一匹千景に向かった分、火蜥蜴の包囲が一箇所空く。そこに、杏里は槍を構え一切の躊躇いなく真っ直ぐに突っ込んだ。
「王虎雷纏ッ!」
それと同時に、彼女と挟み込む形で山吹色の雷を纏い虎鉄は弓を構える。
「喰らいなッ!」
短槍を長く持ち、くるりと身体ごと回転させると光纏の炎が槍を包み込み、勢いそのままに杏里はウンディーネに一撃を叩き込む。
「その尾を戴くぞ!」
同時、その背後から虎鉄の放ったアウルの矢が尾に突き刺さる。……が。
「硬いじゃないか……」
体勢を崩してやるつもりで放った一撃は確かな手応えを返してくるものの、巨体を誇るサーバントは揺るぎもしない。ぐるりと首を巡らせて杏里を睨みつけるその凶相は、一般的な人魚のイメージからはかけ離れていた。鋭利な鉤爪での反撃を、杏里は辛うじてかわす。その爪が掠め、中ほどから綺麗に切断された団子の串を彼女はぷっと吐き捨てた。
「……行きます」
全身に黒焔を纏い、マキナは宣誓の如くそう呟いた。全身に巡らせ、練り上げたオーラを更に脚部に集中。一気に駆ける彼女の疾さは、下半身を水中に置いて尚、弾丸のそれを、越えた。
虚空を奔る黒焔の残影はあたかも迅雷の如く一直線に伸び、ウンディーネの体に突き刺さる。4mという巨体を誇る水の天魔が、一瞬ではあるが確かに浮き上がり、地上に向かって叩き出される。事が終わってようやく、どん、と音が響いた。ウンディーネが地面に落ちた音ではなく、音の速度を越えたマキナが放った衝撃波の吹きぬける音である。
しかし地上に打ち上げられて尚、ウンディーネはさほどの痛痒も感じた様子を見せぬままマキナに向けて腕を高く振り上げた。
パン、と音を立て、その腕がアウルの弾丸に貫かれ、ぼとりと地面に落ちる。
「さてどんどん行きますよー!」
その弾丸を放ったのは、ウンディーネの背後を取る諏訪だ。彼のアホ毛は伊達ではない。どういう原理かくるくると回るそれは、とらえどころの無いウンディーネの芯を的確に捉え、一撃の威力こそ低いものの正確無比な射撃を可能としていた。
一方で、千景はサラマンダーを突き放すと、そのフランベルジェを一気呵成に振り下ろした。その一撃を、サラマンダーは素早い身のこなしでかわす。
「…撃ち…落とします……」
「少々遠いですが…狙いは外しません…!」
が、かわしたその先で、二本の矢と一発の銃弾が突き刺さる。サラマンダーはぎゅっと短く鳴いて絶命した。
「……脆いな」
近付くだけで熱に晒され、全身を苛む痛みをぐっと堪えながら千景は呟く。
「……頑張り…ます…」
「一つ一つ確実に…焦ったところで逆効果ですから」
弓を構える希沙良の逸る気持ちを抑えるように言いながら、冷静に恭哉は銃に次弾となる力をこめた。
恭哉達が一匹目のサラマンダーを屠ったちょうどその頃、他のサラマンダー達はまるで計ったかのように揃って炎を吹き上げていた。
「チッ!」
「くっ!」
それに呻くのはマキナと杏里。サラマンダーはぐるりと囲むようにウンディーネを取り巻いている。その炎の殆どはウンディーネの体によって阻まれるが、すぐ隣にいる火蜥蜴のブレスは話が別だ。直接彼女たちを狙ったわけではないが、余波で十分彼女達の身体を焼き焦がすほどの熱量と範囲を持っていた。
更に悪い事に、その攻撃に高く声を上げながら、ウンディーネは先程撃ち落された方の腕を高々と振り上げた。水で出来た腕は瞬く間にその形を取り戻し、更に手の平に無数の水滴を作り上げると、周りに矢の様にばら撒く。
「ハッ、マジかよ……!」
「これは、まずいですね……」
無数の水の矢が、マキナと杏里の全身に叩きつけられた。その一発一発はまるで弾丸のようだ。アウルの衣に守られ多少は威力を減じさせたものの、全身に鈍い痛みが走り、衝撃で息がつまる。
その弾丸の雨の中、形を伴った死の気配をするりとすり抜け、ウンディーネに一気に肉薄する影が一つあった。弓を構えた虎鉄だ。
その身に纏った稲妻の様なオーラは、山吹色から白色に色を変じさせパチパチと唸りを上げる。ぐっと虎鉄が弓を引き絞れば、その動きに合わせるようにして白色のオーラは彼の右手に集まり、ぐんと前方に伸びて荒ぶる雷の矢となった。
「抉れろッ! そして感電しろォッ!」
雷霆。古来より神の放つ矢に例えられるそれは、轟音を立ててウンディーネの身体を抉った。バチバチと音を立てて火花が爆ぜ、水が蒸発する時特有の何ともいえない匂いが辺りに充満した。
辺りに立ち込める水蒸気の中から、ぬっとウンディーネの腕が突き出す。
「これでも、堪えないかッ!」
振りかぶられる一撃をかわし、虎鉄は後ろに飛んで距離を取った。
「出店の為に、とっとと消えなァ!」
痛みをおして突き出す杏里の槍を、ウンディーネはぐっと身体を曲げてかわす。それに乗じて放った諏訪の弾丸が、外れて遠い空の彼方へと消えた。
「こちらは引き受ける」
再び武器をリボルバーに持ちかえ、千景がまた一匹サラマンダーを釣り上げる。
「助かりますっ!」
炎の脅威が失せたスペースに踏み込み、マキナは拳をウンディーネに叩き込む。強烈なその一撃にウンディーネは水飛沫を飛び散らせ、僅かにぐらりとよろめいた。
「効いてますー! 少し、小さくなっていますよー!」
離れた場所からそれを見る諏訪には、一回り小さくなったウンディーネの姿が見えた。見た目の傷は治せても、その身を構成する水の量は水中を離れた今、取り戻せないのだ。
「すぐに回復するのでじっとしていてください!」
「いいって言ってるだろ?」
明らかに満身創痍ながら、委細構わず敵に突っ込もうとする杏里を半ば押さえつけるようにして、朔耶はアウルの力を彼女の身体に送り込んだ。白く小さな丸い光がまるで蛍の様に幾つも宙に浮かぶと、瞬く間に杏里の傷を癒していく。
「……ま、これでもっと戦えるか。一応、礼は言っとくよ」
「はいっ」
居丈高にそういう杏里に朔耶はにこりと微笑を返した。
「喰らいなッ!」
全快ではないが、傷の半分ほどを癒した杏里は獣の如く地を駆けたかと思うと、ウンディーネに向けてぶんと槍を振るった。
「隙あり、ですよー!」
無理な体勢で身体をよじり、それをかわすウンディーネの瞳に諏訪の弾丸が突き刺さった。吹き飛ばされた顔半分をじゅわじゅわと音を立てながら再生しつつ、ウンディーネはぎろりと諏訪を睨みつけると、手の平の先に巨大な水の槍を生み出して投げつける。
それはもはや、銃弾などと言う生易しいものではない。迫撃砲の如く放たれたその弾丸に、諏訪の身体はいとも容易く吹き飛ばされ、地面を2回、3回とバウンドしながら川縁を転がった。
「櫟殿ッ!」
まるで人形の様に転がる諏訪の姿に、思わず虎鉄は叫び声を上げた。
「だ……大丈夫、ですよー……」
そう答えはするものの、全身を貫く痛みに諏訪は立ち上がることさえままならない。痛みで吐き気を催すほどのその威力に、もう一度喰らえば命は無いだろう、という予感が背筋を抜けた。
「ぐっ……!」
他方、千景もその肩口にサラマンダーの牙を突き立てられて、呻き声を上げていた。物理的に肉を貫かれる痛みと、じりじりと熱が体内から苛む苦しみの両方を味わいながら、しかし彼が取った行動は、その手に波打つ大剣を顕現させることであった。
「喰らえッ!」
常に沈着冷静を保つ彼にしては珍しく、咆哮の様な叫びと共に振り下ろしたフランベルジェはサラマンダーの首を一刀の元に叩き落した。
「……回復…させて…頂き…ますね……」
とととと、と千景に近付き、希沙良が彼の身体に触れる。とその時、首を落としたサラマンダーの身体がびくりと痙攣し、その尾で希沙良を強かに打ち付けようとした。予期せぬその攻撃に希沙良は思わず身体を硬直させ、ぎゅっと目を瞑る。
しかし、彼女の予期した衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
「……させません」
硝煙を燻らせ、サラマンダーの尾を打ち抜いた恭哉が呟くように宣言する。一点に収束されたアウルはまるでレーザーの様に尾に穴を穿ち、その動きを止めていた。やがて力尽きたのか、サラマンダーは完全に動きを停止させる。
「これでもまだ……倒れないと、言うのですかっ!」
「マキナ様も、こちらに!」
ウンディーネに一撃叩き込んで荒く息を吐くマキナに、朔耶が回復の力を送る。マキナも杏里も諏訪も、かなりの傷を負っていて回復が間に合わない。ウンディーネはその身に絶えずサラマンダーの炎を浴びながら、いまだ倒れる気配がない。一度前衛が崩れれば、後はあっという間だ。
全滅。その言葉が、かすかに朔耶の胸中を過ぎった。
「させませんよ」
それを見透かすかのように。
灰銀の髪をなびかせ、“災禍を引き起こす機神”は奔る。徹底した客観故にその決意は揺るがず、動かず、黒焔を纏って彼女は駆けた。一筋の矢の様に飛び、放たれる一撃にウンディーネの身体が大きく揺らぎ、苦しげに咆哮を上げる。
咆哮は水の球となってふわりと宙に浮かぶと、無数に分かれて辺り一面に降り注いだ。無差別、広範囲、高威力の攻撃。その身の大半を削られ、ウンディーネも必死だった。最後の力を振り絞ったその攻撃が、杏里を、虎鉄を、マキナを容赦なく打ち据える。上空から降り注ぐ水滴は雨の様に多く、石の様に硬く、矢の様に速い。
「そう、こなくっちゃねェッ!」
全身から血を噴出し、ボロボロになりながらも杏里は笑った。嘲笑でも、強がりでもない、純粋に戦闘を楽しむ歓びの笑みだ。跳躍し、身体ごと当たりに行くかのような槍の一撃が、まるで燃え尽きる前の蝋燭の様に強く輝きながら、ウンディーネの身体を抉る。
「この一撃で、貫くッ!」
ぐらりと身体を揺らすウンディーネの額を、もてる全ての力を篭めた虎鉄の一撃が穿ち、貫く。ウンディーネの身体がぶるぶると震え、その輪郭が崩れていく。
……しかし、ギリギリで、持ちこたえた。
絶望が、撃退士達の心中を彩る。サラマンダーと戦っていた四人はギリギリの距離で攻撃していた事が災いし、ウンディーネには手が出せない。次の一撃で、誰かが死ぬ。全員が満身創痍だった。
パン、と。
軽い音と共に、突然ウンディーネの身体が水の塊になってその場に崩れ落ちた。己の目を疑う撃退士達の耳に、弱弱しい、しかししっかりとした声が響く。
「忘れてもらっちゃ……困るの、ですよー……」
くるり、くるりとアホ毛を回し。倒れ伏した状態から、上半身だけで銃を放った諏訪の声だ。地面に倒れた状態では本来、サラマンダーに阻まれてウンディーネには攻撃を当てることなど叶わない。しかし、遠巻きにずっとウンディーネの一挙一動を見て取り、索敵で敵の位置を正確に探り当て、何よりその卓越した銃撃の腕によってサラマンダーの間をすり抜け狙撃したのだ。
「油断は禁物ですよ」
地に落ちた巨体に、敵味方共に一瞬我を忘れた所から、真っ先に立ち直ったのは恭哉であった。彼の銃弾が、ウンディーネの最後の攻撃でダメージを受けたサラマンダーを一体屠る。その銃声を合図に、撃退士達は体勢を立て直した。
「――皆で作り上げた機、無駄にする物ですか…!」
マキナの叫びと共に、掃討戦が始まった。
●戦いを終えて
「……何とか…なった…の…でしょう…か……?」
掃討戦を終え、ぜえはあと息をつきながらも希沙良は辺りを見回した。サラマンダーとウンディーネの力が消え去り、巻き起こっていた嵐は影も形も無い。
「桜にほとんど被害がなくてよかったのですよ…」
晴れ渡る空に映える桃色の花びらを見上げ、ほっと胸を撫で下ろしながら朔耶は呟く。多少の被害はあったものの、桜の大部分は無事のままだ。
「リスクを負っただけのリターンはあった……という事ですね」
流石に疲れた身体を樹に持たれかけさせながら、マキナはふうと息をつく。
「これで出店も大丈夫だね。今から楽しみだ!」
花より団子を地で行く杏里は、マキナ以上に傷を負った筈なのに元気一杯だ。彼女は恐らく、朔耶の回復がなければ二回は死んでいる。
「うう、まだ身体が痛いのですよー……」
対して、治療を受けたものの諏訪はよろよろとしながらも、嵐でぐちゃぐちゃになった川辺を片付けていく。
「撃退士は正義の味方だからな!」
虎鉄は彼らに桜を守ってと懇願した少女に豪快に笑いかける。
千景はそんな彼らを少し距離を取った所で眺めながらも、口の端をかすかに上げて笑む。
「また来年も綺麗に咲けるといいですね」
桜を見上げ、恭哉がぽつりと呟いた。
ひらひらと舞い散る桜の花びらは儚く、しかしそれゆえに美しい。こうして守ったとしても、一、二週間もすれば全て散ってしまう事だろう。
しかしそこには撃退士達が守った物の証が、少女の笑顔と共に確かにあったのだった。