●A班、準備開始
「……いないようですね」
細く扉を開き、中を確認して星野 瑠華(
ja0019)はそう囁いた。ミラーハウスの内部には、無数の彼女の像が慎重に中を覗き見る様が映るだけでバジリスクの姿はない。
「じゃあ紙貼ろう!」
その背に乗りかかるようにして中を覗きこむのは雪室 チルル(
ja0220)。
「落ち着いて参りましょう」
彼女をたしなめる様に、今回最年長の御堂・玲獅(
ja0388)がやんわりと釘を刺した。
「阻霊陣、張りました」
左手に阻霊陣を、右手に虫や魚取りに使う網……いわゆるタモを構え、若杉 英斗(
ja4230)。
「頑張りましょうっ」
風鳥 暦(
ja1672)が小声で、しかし元気良く拳を振り上げる。
「物資は任せてくれ」
そう言って大量の紙束とテープを抱えるのは、暦の友人でサポートを務める宇高 大智(
ja4262)。鏡に紙を貼って敵の武器を封じると共に、ミラーハウス内での戦闘をしやすくすると言うのが彼らが立てた作戦だ。とは言え、鏡の一枚一枚が大きい上に数が多い為紙と言えどもかなり嵩張る。その管理運搬を一手に大智が引き受けてくれるのはありがたい事だった。
チルルと暦が携帯のカメラを使いつつ、道をゆっくりと進んでいく。カメラ越しなら万一バジリスクと目が合っても石化はしないのではないか、という算段である。全員事前に見取り図を頭に叩き込んであるので、鏡の迷宮に多少戸惑いつつもその足取りには迷いが無い。
先行する二人が角の先の安全を確かめると、玲獅を加えて三人で紙を貼る作業に映る。瑠華の提案で紙の表面には番号を振り、迷い難くする用意の周到さだ。その光景を見守りながら、人一倍鋭い五感を持つ瑠華と英斗がじっと辺りを警戒する。
「……こんなもんでいいか」
敵を迎え撃ちやすそうな比較的広い空間を紙で覆ってしまうと、先程まで漂っていた幻想的な光景は鳴りを潜め、どことなくチープな雰囲気の漂う迷路の姿が浮き彫りになった。
「準備できたよ!」
早速、チルルが別働隊に電話をかけて報告する。
「早くこないかなー?あたい達は準備万端なのにね!」
周囲に笑顔を振りまき、いかにも楽しそうに彼女はそう言った。
●B班、出撃
「了解。それでは向かいますね」
チルルにそう受け答え、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)はスマートフォンをポケットにしまった。
「先に安全を確認してきますね」
「ええ…お任せするわぁ」
「うん、じゃあボクは敵が外に出ないように注意しておくね」
黒百合(
ja0422)と犬乃 さんぽ(
ja1272)の同意を得て、エイルズはするりと出口からミラーハウスの中にその身体を滑り込ませた。
「……大丈夫みたいです」
先行し、安全を確認して進むエイルズの後ろを、さんぽは敵の退路を断つように気をつけながら進んでいく。彼らの役割は、A班が準備した迷路の入り口側へ敵を追い込むことだ。出口の方から逃げられては目も当てられない。
こちらは紙を貼る事無く進んでいくが、鏡の迷宮の中でも斥候をその本分とする鬼道忍軍の三人は、澱みなく滑らかにするすると進んでいった。
と、ふとエイルズの足が止まる。
「……いる」
彼の鋭敏な感覚は、角の先にいる敵の存在を的確に捉えた。入り口にも、出口にもいなかった時点でおおよそ予測していたことではあったが、どうやら敵はミラーハウスの中央に陣取っているらしい。
「写すわねぇ……」
すっと携帯を角に突き出し、黒百合は撮影を試みる。仮に画面越しに石化させる能力を持っていたとしても、撮影した写真にまでは能力はないはず。撮影音をアプリで消した携帯で撮影をしようとし……黒百合は、固まった。といっても彼女の身体が石になったわけではない。
「わ。携帯って、生き物だったんだ」
目を丸くするさんぽの視線の先で、黒百合の構えた携帯は真っ白な石と化していた。
「いえ、違うと思いますが……来ます!」
鋭いエイルズの声に、二人は素早く散開する。同時に、エイルズは目を閉じながら一歩前に出た。すっと腕を伸ばし、空中にある壁を押すかのような仕草で手を開く。その手を閉じ、もう一度開くと指の間には色取り取りの球体が挟まっていた。
目を閉じたまま、エイルズは近づいてくる気配に向かってそれを投げ放った。V兵器どころか、武器の類ですらないそれは避けられることもなくバジリスクをすり抜け、カツンと鏡に当たって地面を転がった。己の脅威となるはずもないそれに、しかしバジリスクは興味を抱いたのか視線を向ける。
……と、やおら口をあけて咥え込み、ガリガリと音を立てて噛み砕き始めた。……エイルズの放ったそれは、安物の飴だったのだ。
飴に気を取られたバジリスクに向かってエイルズは目を開くと、軽く手を掲げた。その手の中に苦無が魔法の様に現れ、それを媒体として彼はアウルの力を放つ。同時に、驚くほどの素早さでバジリスクは身を翻した。
「くっ……!」
ピシピシと音を立て、エイルズの左肩から先が石化していく。それと引き換えに、バジリスクの瞳には霧がかかっていた。視界を失いながらも、バジリスクは逃げようと身体を反転させる。
「逃がさないわよぉ」
横道へと逸れるバジリスクの前に、黒百合が唐突に姿を現した。長大な斧槍を短く構えながら疾走する彼女は、しかし針が落ちるほどの音さえ立てない。完璧なる不意打ちの一撃が左目を貫き、バジリスクは絶叫を上げた。
「あははは、片目を失っただけじゃないのさぁ。ほら、もう一個も差し出しなさいよぉぉぉ!」
更に追撃を重ねる黒百合の斧槍を素早くかわし、バジリスクは奥へと逃げる。視界を失ってなお、不意打ちでなければ攻撃を当てるのは至難の業だった。
「うふふふ……面白いじゃなぁい……」
ニィ、と黒百合は顔を笑みの形に歪ませる。その唇がその形のまま灰に色をなくし、じわじわと広がる石化は彼女の顔の右半分へと広がっていく。
「えぇいっ!」
振り下ろされるさんぽの大剣を、バジリスクはひらりとかわして奥へと進む。攻撃は当たらなかったものの、それ自体はさんぽの狙い通り。剣を避け、バジリスクが進んだ方にはA班との合流地点へと向かう道しかない。さんぽは素早く携帯を取り出すと、A班にへと連絡する。
「こちらB班だよっ! 今、魔物がそっちに向かい中! こっちはエイルズ君と黒百合ちゃんがちょっと石化、黒百合ちゃんの携帯が完全に石になっちゃったよ! え? うん、そう! 携帯も生き物だったんだよ!」
●決戦
「……携帯が石になったそうです」
通話を切り、若干戸惑いつつ英斗は聞いたままを仲間に伝えた。
「物質でも石に出来るか…もしくは、受光部があれば生物無生物関係ない、という事かも知れませんね」
「あ、なるほど」
少し考え言う玲獅に、英斗は納得する。
「でもそれだと、携帯カメラで相手を捕捉する手が使えないですね」
「まあ、石化なんて当たらなければどうということはないわね!」
困ったように呟く暦に、チルルは胸を張って異次元の解決策を言い出した。
「そっか、避ければいいんですね」
「いや、鵜呑みにするなよ」
パン、と胸の前で手を合わせる瑠華に、英斗が突っ込む。と、その時、二人は同時に通路の奥へと視線を移した。
「来た…!」
英斗にこくりと頷き、瑠華は大太刀を構えすっと目を閉じる。
「ようやく来たわね!あたいが尻尾を切ってやるわ!」
チルルは叫ぶや否や、その手にショートソードを発現させると角に姿を現したバジリスクに向かって突っ込んだ。真正直に駆け寄ってくるチルルの瞳を、バジリスクは片方だけになった瞳で睨みつける。その目は赤く輝き、片方だけになった事によってかえって邪視の威力を高めたようだった。
「当たらなければ、どうという事はなーいっ!」
避けるどころか真っ向から睨み返し、チルルは大上段から剣を振り下ろした。まさか、己の邪視をこうも大胆に見返してくるものがいるとは思いもしなかったのだろう。直前でバジリスクは身をよじるが、避けきれずに宣言どおり尻尾が切り裂かれた。
「やった! あたいったら最強ね!」
「当たってる当たってる!」
腰に手を当て胸を張り、ふふんと勝ち誇るように言うチルルの頭は頭頂部からビシビシと石化していた。目に見えない範囲なので本人は気付いていないらしい。
「何とか間に合いました……」
その横で、玲獅はほっと胸を撫で下ろした。チルルが飛び出す寸前、彼女に各種状態異常への耐性を上げる聖なる刻印を刻むことに成功していたのだ。そうでなければ、いかに撃退士といえど真っ向から邪視を受け止めれば剣を振るう前に丸ごと石化していたに違いなかった。
「……追い詰めた」
両の手にそれぞれ刀を煌めかせ、追いついてきたさんぽたち三人と挟み込むようにして、暦はそう呟いた。その表情には先程までの快活さは微塵もなく、感情の読み取れない鋭い視線をバジリスクに投げかけ、彼女は二本の刀による流れるような連続攻撃を見舞った。
「……若杉さん」
「すばしっこい奴だぜ」
暦の攻撃はかわされるものの、それは計算の上。逃げるバジリスクの軌道上を、英斗のトンファーが打ち抜く。
「小さい頃、蝉取り名人として隣の小学校までその名を轟かせた俺を……舐めるなぁっ!」
虚を突いたはずのトンファーの一撃さえ、バジリスクは機敏な動きでかわす。しかし元より英斗の本命は二撃目。
「燕返し!」
トンファーの影に隠した、タモだった。三段構えの仕掛けにさしものバジリスクは避けきれず、網の中に捉えられる。網はV兵器ではないものの、短く持って30センチ程度の光纏の範囲内であれば透過能力を無効化できる。
とは言っても、所詮魚や虫取り用の網。小さいとは言えディアボロの力なら一瞬にして破り、抜け出すことが出来る。
「……犬乃さん」
しかし、暦の描く詰め将棋には、その一瞬こそが値千金にして十分な時間。
「夢の国を護る為、鬼ごっこはここで終わりにするよ。忍影招来、GOシャドー…忍法シャドウ☆バインド!」
そのほんの一瞬の隙を突き、さんぽの影がぐにゃりと蛇の様に伸びるとバジリスクの身体と影に絡みつき、身体を拘束した。
「……ラスト、星野さん」
暦の指示に、瑠華はカッと目を開き、構えた大太刀を一閃させた。極限まで集中した意識の中、時間が集中にあわせてゆっくりと引き延ばされてゆく。バジリスクの瞳がぎろりと睨みつけ、身体が石化していくのを瑠華は感じた。
(構いません……腕だけ無事なら!)
目を閉じたときから、瑠華はとっくにその覚悟を決めていた。この一撃で、屠る。しかし同時に、彼女はほんの僅か、己の刃がバジリスクに届かない事を悟った。足だ。足が、石にされている。
踏み込み無しの一撃である。足自体は動かなくされても問題はない。しかし、よりにもよって重心移動の要、間接部分を石にされていた。これでは体重が乗らず、十分な一撃を放てない。せめて……せめてもう数センチ、バジリスクが近ければ。
まるで瑠華のその想いに呼応するかのように、突然バジリスクの背後に壁が現れ、その身体がぐいと押された。
「逃がしません」
軽やかな笑みと共に、玲獅が盾を掲げてバジリスクを瑠華の方へと押し出す。バジリスクの身体が、瑠華の完全なる間合いに入った。瑠華はそのまま、一息に大太刀を振り下ろす。
断末魔の声を上げる暇さえなく。邪視を持った毒蜥蜴の王は、真っ二つに両断された。
●夢の国のアリス
「まあ、あたい達の敵ではなかったわね!」
しきりにそんな事を言いながら、チルルは上機嫌で鏡に張った紙を剥がしていく。
「元気ねぇ……あの子も結構石になったはずなのに」
大智の治療を受けながら、黒百合は羨ましげにその姿を眺めた。バジリスクを倒した時点で石化は治ったものの、一時的にとは言え体組織が石になっては完全に無事とはいかなかった。石化していた部分と無事だった部分が引き攣れて筋は傷んでいるし、一部内出血している部分もある。後遺症が残るほどの重大な傷ではないものの、念には念を入れて治療をお願いしていた。
「……尻拭いをさせちまって悪かったな」
しかしそんな彼らよりも更に重症なのが、バジリスクをここまで追い詰めた撃退士達だ。彼らもまた復帰出来ないほどの傷は無いが、さすがに石化が長時間に及んだせいでかなり辛そうだ。
「長時間お疲れ様でした、肩を貸しますよ。大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ」
頭を下げつつもよろける撃退士を、英斗が気遣う。それをやんわりと断り、撃退士の一人が口を開いた。
「せめてもの礼……といっちゃあなんなんだがな」
パチン、と彼が指を弾くと、まるで魔法の様に日の落ち始めた遊園地に一斉に灯りがともる。普段とは違い、人ひとり居ない遊園地に灯りがともり、動き出す様は実に幻想的だった。
「貸切!?」
「いや、さすがにそこまでは無理だ……開園をずっと待ってたお客さんはそう多くない。俺に出来るのは、そこに君達を紛れ込ませることくらいさ」
瞳を輝かせるチルルに苦笑しつつ、撃退士はフリーパスのチケットを渡してくれる。
「やったーぁ!」
諸手をあげるチルルに、瑠華、さんぽが互いに手を叩き合わせて喜ぶ。
「……普通に混じってるけど、あの子男の子なんだよな?」
「うん、そういってましたよ」
大智はさんぽを眺めつつ、暦の治療をしながらのんびりとそんなやり取りをかわす。
「うふふ……遊園地、楽しみねぇ……」
「そうですね。楽しみです」
妖しく笑う黒百合に、爽やかに笑みで返すエイルズ。比較的若い二人が笑いあうその光景は和やかそのもの。
「…な、ハズなのに不穏に見えるのは何故だろう」
うふふ、あはは、と笑いあう二人に近付きがたい物を感じ、英斗はううむと唸る。
「若杉さん、参りましょう」
その手を取り、玲獅は柔らかく微笑んだ。既にチルル達三人は絶叫マシンに突撃し、殆ど人の居ない遊園地を満喫しきっている。
「……はい、楽しみましょう!」
英斗は年上の美女に内心少しどきりとしつつも、それを誤魔化すように絶叫マシンへと手を振り
「おーい、俺も乗せてくれ!」
早くも二週目に突入しようとしている三人にそう叫ぶ。
その日若き撃退士達は、自分達が守った夢の国を存分に楽しんだのだった。