●清掃開始
「…すごい教室の数だな。いや、為せば成る!!」
若杉 英斗(
ja4230)は箒を構え、小等部の教室へと足を踏み入れた。祝日で生徒の姿は無く、教室はがらんとしている。床の掃除をする為に、まずは机をどかさなければならない。英斗はひょいと机を持ち上げると、小石を積み上げるが如き気安さで彼は瞬く間に机の山を作り上げた。
それが終われば次は箒での掃き掃除だ。と言っても無論、それも尋常一様のものである筈が無い。それはさながら剣舞のような超人的な動きだった。教室内を風の如く駆け、埃一つ残さず箒で絡め取って行く様は汚れを侵略する火の如し。
そして、塵一つ残さずピカピカに磨き上げられた床は林の如き静謐さをみせた。
ここまでに要した時間は、僅か数分。その動きはまさに、風林火山と呼ぶに相応しい。ただの掃除をして、英斗は戦国武将の如き働きを実現してみせたのだ。
「窓拭きは俺に任せるッス!」
ワックスをかける前に窓を磨かねば、と英斗が近付いた窓から南村角 晃(
ja2538)がメイド服を翻し飛び出した。
「お、それはありがたい」
何せ教室の数は100や200では利かないのだ。
「窓を拭くのは新聞紙がいいらしいッスよ!」
ワックスをかける英斗の隣で豆知識を披露しながら、晃は手早く窓を拭いていく。手の届かない窓の縁まで、小柄な身体をぴょんぴょんと跳躍させ、枠に片手をかけて指の数本で自重を支えながらテキパキとガラスを輝かせていく手際はまさにメイドの鑑。
「頑張れよ! 裏側やるなら気をつけてな」
「だいじょぶだいじょぶ、落ちたりなんかしないッスよ!」
次の教室へと向かう英斗に別れを告げ、晃は窓の裏側に回ると命綱もなしに磨く。
「メイドだ…」
「メイドが壁を這ってる」
「スパイダーメイド…」
窓から窓へと飛び移る彼の姿を見て偶然校内にいた生徒達が口々に呟くが、晃は気付かず上機嫌で窓をどんどん磨いていく。しかし唐突にその手が止まった。
「こ、ここは…」
思わず声を漏らすその窓は、女子トイレのものだ。見た目はどう見ても女の子にしか見えない晃だが、内面は純情な少年である。中を覗き見るのには凄まじい抵抗があった。
メイドとしての葛藤の果て、彼が選んだのは『目を閉じながら掃除する』という物であった。窓枠の大きさを思い描き、心の目で汚れを見る。己のメイドとしての魂を信じたのだ。
当然の帰結として、彼は窓枠を掴み損ね落下した。しかしその身体は地面に叩きつけられる事無く、何か柔らかなものによって受け止められた。
「あれ、晃ちゃんだ」
まさか天国に直行したのだろうかと恐る恐る目を開くと、彼を抱えながら壁を垂直に走る下妻ユーカリ(
ja0593)の姿が目に飛び込んできた。彼女はモップを手に足元から黒百合の花を咲かせつつ壁を爆走していた。
「メイドが女の子に……」
「足元に黒百合が……」
「百合……」
やはりそれを見上げる生徒達が銘々に呟くがどこ吹く風で、ユーカリは彼を抱えたまま壁を縦横無尽に駆け巡る。
「あの、下妻様、下ろしてくれないッスか?」
「駄目駄目、これ止まったら落ちちゃうし」
おずおずと申し出る晃に、ユーカリは『それに』と続けた。
「大和撫子としてお掃除することで二倍、黒百合で更に二倍、そしてメイド服の美少女を抱える事によって更に二倍の……これが女子力8倍モップがけだぁー!」
「女子力ってそういう物なんスかー!?」
晃の絶叫が、ユーカリに抱えられたまま空高く舞い上がった。
「わあ、楽しそう」
それを屋上から眺めつつ、或瀬院 由真(
ja1687)はデッキブラシで給水塔を磨いていた。と言っても彼女の掃除もまた、ただ単純に磨いているだけではない。その背からは白い翼が生え、自由自在に空を飛びつつあらかじめ散布した洗剤によって浮いた汚れをゴシゴシと落としていく。
純白と真紅に彩られた装束に身を包み、白い羽を生やして宙を舞うその姿は何とも神秘的で、まるで、
「天使だ……」
「いやよく見ろ、巫女装束だぞ」
「あ、あの子知ってる。寺生まれだって言ってたぞ」
……とにかく、何らかの神聖なものだと思われた。
あっという間に給水塔をピカピカにし、由真は屋上の掃除へとうつった。その手にはデッキブラシに代わって箒を持ち、ぶんと振り回せば一陣の風が吹き、ゴミを浚って一所に巻き込む。
屋上全てのゴミを集めるとそれはかなりの量に達していたが、由真はそれをゴミ袋に入れ軽々とそれを抱えると、いきなり屋上から飛び降りた。そして地上の少し手前で再度背中から翼を生やすと、風を切りながらゴミ捨て場へと向かう。
「ゴミ捨て空挺部隊…これはきっと流行りますっ」
「いや…それは、どうでしょう」
小さく拳をぐっと握る由真に、思わず鳳月 威織(
ja0339)は突っ込む。
「きっ、聞かれてたんですか…っ!?」
まさか知り合いがいるとは思わず、由真はびくりと身体を震わせた。
「ええと…なんかすいません」
「いいいえ、お気になさらず」
ゴミ袋を抱えゴミ捨て場へとダッシュする彼女を見送り、悪いことしたかなあ、と頭をかきつつ威織は掃除を再開した。
金バサミで大まかなゴミを拾い、こびり付いたガムは丁寧にヘラで引き剥がし、舗装された道路を箒で掃き清める。他の撃退士達に比べるとあまりにも地味な作業を、威織は黙々とこなしていった。場所も、人の目に付く表立ったところではなく、校舎の影や裏庭など目立たない場所ばかりだ。
「楽しそうだな!」
不意に声がかけられ、顔を上げてみれば月居 愁也(
ja6837)が笑みを浮かべていた。各種掃除用具の入ったバケツをぶら下げ、『清掃中』と書かれた看板を背負っている。
「そう見えました?」
「ああ、英語だったけど今のあれだろ、お祖父さんの時計〜って奴」
どうやら無意識に歌っていたらしい事に気付き、威織は先程の由真の気持ちを心から理解した。
「ええと……お互い頑張りましょう」
「おう、また後でな!」
そそくさとその場を後にする威織に手を振り、愁也は次のトイレへと向かう。
「うおっ」
と、その目が大きく驚きに見開かれ、思わず感嘆の声が漏れた。威織が掃除をしていた道。そこは、ゴミどころか塵一つ転がっておらず、丁寧に磨き上げられ、まるで室内のように輝いていた。それが、地平の果てまで延々と続いているのだ。
「こりゃ、負けてられないな」
呟き、愁也は道を汚さないよう気をつけて、次のトイレへと向かった。
看板を入り口の前に置き、ゴム手袋をはめ愁也は汚れに挑みかかる。彼が睨んだとおり、外のトイレは校内のそれに比べ汚染度が高い。皆が雑に扱い、清掃もおざなりなせいで余計に汚れ、余計に雑に扱われるという悪循環だ。
愁也は光纏を発動させ、鬼神の如き動きでブラシを振るった。便器の詰まりをラバーカップで解消し、モップと雑巾で床を磨き、こびり付いた頑固な汚れもアウルを燃焼させ、加速したブラシの一撃であっさりと屠る。同時に微細な鏡や壁の破損、雨漏りなどを漏らさずチェックし、メモに書き付ける細やかさだ。
その働きはまさに八面六臂、阿修羅と呼ぶに相応しい。ただし手にする得物はブラシ・ラバーカップ・モップだが。
「おっ、頑張ってんな。俺ももう一頑張りと行くか!」
トイレが併設されている体育館を眺め、窓を拭く沙耶(
ja0630)を見て愁也は次のトイレへと向かった。
一方、沙耶は体育館の窓を一通り拭き終えると、塗装用具を取り出した。体育館内の掃除は既に終わり、後は塗装が剥げていた部分を修繕するのみだ。彼女は懐から針金を取り出すと、体育館入り口の鍵を開け、中に入り込んだ。
体育館の梁は金属製の物で、格子状に張り巡らされていて上を歩くようなことは出来ない。沙耶は身軽に跳躍すると、器用に梁に足をかけてぶら下がり、塗装の剥げた場所まで進んだ。
梁から逆さにぶら下がりながら銀髪長身の美女が剥げた塗装を直す様は中々にシュールだったが、入った際にキチンと鍵をかけなおしておいたので物見高い生徒達に見つかる恐れもない。沙耶は逆さになった体勢のまま、高速でハケを振るって見る間に修繕を終わらせると、空中で一回転しつつ地面に降り立った。
電話で進捗を確認すると皆大体自分の分担は終えたとの事で、沙耶は予め決めておいた集合場所へと向かう。すると、ちょうど加倉 一臣(
ja5823)が最後の仕上げにぽいぽいとゴミを投げているところだった。Tシャツにジーンズというラフな格好で前髪をヘアバンドで上げ、設置されたゴミ箱のゴミを取り出しぽいぽいと投げている。
ゴミ箱は一応燃えるごみと燃えないごみ、それに瓶や缶に分かれていたが、学生達はあまり守っていないようだった。一臣はそれを一つ一つ分別し、段ボール箱にセットしたゴミ袋に向かって投げる。と言っても、一つのゴミを投げてから次のゴミを手に取るまではほんの一瞬である為、まるで噴水の様にゴミが宙を舞う。その光景はいっそ幻想的ですらあった。
しかも、一見乱雑に投げているかのように見えるそれは、恐ろしい精確性を持ってそれぞれのゴミ袋に収まっていく。見る者が見れば、音ゲーの一種の様にも見えたかもしれない。ただし難易度はインフィニティだ。
チャラチャラとした印象には似合わず、割れ物や散らばりやすいものはキチンと別にして投げずに分類する念の入れ様に、沙耶は彼に対する認識を少し改めた。
「お、沙耶ちゃん、お疲れさん。皆も大体終わったみたいだな」
一臣の言葉に周りを見渡せば、三々五々と全員が集まってきていた。
「加倉さん、これなんだけど」
その時、ひょいと空き教室から英斗が顔を出す。
「使ってないみたいなんだけど、開かないんだ」
彼が指したのは古いロッカーだった。揺すってみるとガサガサ音がするが、鍵がかかっているのか開かない。
「貸してみな」
一臣は面倒見のいい調子で英斗の前に出て、針金で鍵穴に差し込む。単純な構造のロッカーの鍵はカチンと音を立てて簡単に開いた。
「さあて、何が入っているや……ら!?」
まるで霧の様に噴出する黒い塊を思わず飛び下がって一臣はかわす。一瞬の後、きゃあと二つの悲鳴が上がった。
「うわ、ゴキブリだ」
溢れ出す黒い悪魔達に嫌そうに呟きながらも、英斗は冷静にバンバンとゴキブリを叩き潰す。
「ワニワニパニックじゃ負け知らずの俺をなめんじゃねえ…!」
それとは対照的に、愁也は嬉々としてスリッパを手に、ゴキブリを上回る速度で回り込んで退治に燃える。
「…天魔だったら良かったのに」
それを眺めながら、威織は物騒な事をぼそりと呟いた。
「あー…大丈夫か?」
背後に女性陣を庇いつつ、一臣は振り返った。悲鳴は二つ、女性陣は三人。驚かなかった剛の者は誰かと見回してみると、
「あ、はい。ちょっとびっくりしましたけど」
意外と平気そうに由真はそう答えた。という事は沙耶が悲鳴を上げたのか、と見るとそちらも平然としている。計算が合わない、とよく見てみると
「び、びっくりしたぁ〜…」
「びっくりしたッス…」
ユーカリと互いに抱き合いながら、晃が半泣きになっていた。
「沙耶ちゃんは流石だな」
眉一つ動かさない沙耶を見て、一臣は感心したような声をあげる。
「はい」
答える彼女のスキル『ポーカーフェイス』の使用回数が物凄い速度で減少し続けていることを知るのは、彼女だけだった。
●一斉モップかけ
「さあて、じゃあラストと行きますか!」
「おー!」
二人で一組、全部で四組の肩車を作り、撃退士一行は一列に並んでモップを構えた。肩車の下になっている者が床を拭き、上が同時に天井を拭くという、パフォーマンスと清掃を兼ね備えた作戦である。
「よーし、月居様号、発進!」
各馬一斉に走り出し、まず抜きん出たのは愁也&晃ペア。愁也の馬力もさることながら、晃の軽さが功を奏した形だ。
「加倉さん!」
「おう!」
それに一歩ほど遅れて後を追うのは一臣&英斗ペア。
「重くありませんか」
「ええ、大丈夫ですよ」
そして本来の目的であるモップかけを丁寧に行う威織&沙耶ペアが続き、
「そりゃー!」
「あわわわわ!?下妻さん、そっちじゃありませんー!?」
最後尾、ユーカリ&由真ペアは安定しないのかあっちにいっては蛍光灯を割りそうになり、こっちにいっては窓から落ちそうになるなどフラフラしていきなり脱落していた。
そんな彼女達をよそに、一臣と愁也はデッドヒートを繰り広げていた。馬力に勝り圧倒的な直線速度で進む愁也に対し、一臣は的確なコーナリングで最短距離を狙い対抗する。
「うりゃりゃりゃー!」
「おりゃー!」
一方で上の晃と英斗もまた、戦いを繰り広げていた。モップで互いの馬の動きを的確にフォローすると同時に、天井の汚れを落としているのだ。直線の愁也か。コーナリングの一臣か。勝負の行方はそのどちらかに委ねられた。
…かに思われた、その時。
「そりゃそりゃそりゃそりゃーーーー♪」
後ろから鳴り響く轟音に、4人は思わず後ろを振り返った。彼らが目にしたものは、凄まじい速度で追いついてくるユーカリと、彼女の上で二本のモップをV字に構えた由真の姿だった。
「これぞ、禁断の最終兵器…ツインモップ!ふふり、我ながら良いアイデア。これならいけますよ、下妻さん!」
「お掃除で2倍、由真ちゃんを肩車する事で2倍、ツインモップで更に2倍!そして移動力上昇スキルでプラス2の、これが10倍女子力だぁー!」
「だから女子力ってそう言う計算じゃないッスよねー!?」
叫ぶ晃達4人をまるでボウリングの様に弾き飛ばし、ユーカリは一気にゴールまで駆け抜けた。
「あ、そこ汚れが」
「本当だ。ありがとうございます」
そして崩れ落ちる4人の横を、マイペースに掃除しながら威織&沙耶ペアが歩き去っていくのであった。
●屋上
「ほい、お疲れさん」
「お茶が入ったッスよ!」
掃除を終えた8人は屋上に集まり、一臣、愁也、沙耶、晃達が用意した飲み物で一息ついていた。
「…たまにゃ甘い物もいいねぇ」
「俺のイチゴオレぇえ!」
愁也が狙っていた好物を一臣があっさりと奪い、
「はー、お茶美味しい。晃ちゃんは良いお嫁さんになるね!」
「だから俺男ッスからね!?」
そんなやり取りをするユーカリと晃をほのぼのと眺める。和気藹々としたやり取りが、戦士達の戦いの疲れを癒していった。
久遠ヶ原学園は広い。撃退士の能力を持ってしても、その全てを掃除できた訳ではないし、またすぐに汚されてしまうのかもしれない。しかし、綺麗にすれば、使う時にも気を使ってもらえる。今回の清掃パフォーマンスで、自分も掃除しようと思ってくれる生徒もいるかもしれない。そう彼らは信じた。
それに。
例えいつか汚されてしまう運命だとしても、今日彼らが掃除し、夕日に照らされる校舎は、確かに美しかった。