転移の瞬間には、いつも違和感が訪れる。
時空を無視して、空間相対距離をゼロにしてしまうという、その強引さを思えば無理もない事だが。
それでも、この手の転移酔いには慣れる事はあっても馴染む事はない。
(……それでもいい加減、慣れなきゃね。いつまでも、愚痴なんか言ってられないし)
この先の人生を、撃退士として生きてゆくのならば。六道 鈴音(
ja4192)は密かに舌打ちをしながら、胸中でぼやいた。
胸のむかつきをどうにか堪え、周囲を見回す。と――
「ここは……寺の入り口、みたいっすね」
眼前にそびえる石階段を見つめ、虎牙 こうき(
ja0879)が呟く。
「てことは結局、パターンとしては寺・ディアボロ・俺達の方になるのか。あんまり歓迎できないな」
「ああ、だね。ま、しかし予定通りとはいかないが、予想通りではある。やることは変わらないさ」
名芝 晴太郎(
ja6469)のぼやきに、常木 黎(
ja0718)は軽く苦笑を浮かべ、
「――さて、突入前に最後のおさらいだ。まずA班の虎牙・アンネリーゼ・神鷹・六道の四名は、寺を背に陣地防衛をメインに戦闘補助を。B班の高峰・犬乃・名芝・常木の四名は、遊撃部隊として囮と主力を担う。特に鈴音ちゃんはこの作戦の要だ。祖霊陣を張り次第、最優先で護衛対象とするって事でOK?」
言いながら、ぐるりと一同を見回す。各々がそれぞれに頷いた。
「ああ、任せて貰おう」と、アンネリーゼ・カルナップ(ja5359)が頷く。
「怪我しても俺が治すっすよ」と、虎牙。
「了解だよ」と、高峰 彩香(
ja5000)が明るく言う。
「分かりました」と、六道。
「問題なし」と、名芝。
「オッケー!」と、犬乃 さんぽ(
ja1272)が笑みを浮かべ、
「おう、任せろ!くぅ〜、初戦だから緊張するぜ!」と、意気込む神鷹 鹿児(
ja6469)に、常木はくすりと微苦笑を漏らす。
「気合を入れるのは構わないが、気負いすぎないように。特に、ダアトの二人は、挟撃の時は自分の火線と対面の味方に要注意ね。いいかい?」
ちらりと視線を向けると、言われた二人が頷いた。それを見て、満足気に微笑む。
「ん。いい子だ。今回の作戦はなるほど、確かに人命こそかかっちゃいるが、やる事はなんてこたぁない。クソ忌々しい天魔をぶっとばすってだけだ」
「ま、確かに。言われてみりゃ、いつもとそんなに大差あるわけじゃないよね」
「村人の守護を含めて、な」
頷く名芝を牽制するように半眼を向け、アンネリーゼが念押しをする。高峰が、その後を続けた。
「立てこもってる人の為にも、早めに倒してしまわないよね」
罪には罪を。罰には罰を。そして。
命には、命を。
それがいずれ我が身に降りかかる事であっても。撃退士であるならば、迷う事ではない。
「じゃ、行こうか」
一同は揃って頷き、階段を駆け上がった。
最初にそれに気づいたのは犬乃だった。
「――いたぁ!」
幼児ほどもある体躯に、真っ白い毛並み。瞳の閉じられた白貌を持つ四足の獣は、遠目にも見間違いようがないほどに異形だった。
天魔を視界に捕らえた瞬間、一同の速度が自然速くなるが、中でも抜きん出て飛び出したのは名芝だった。同じ撃退士同士であれ、単純な体力や瞬発力では、さすがに男性の方が一歩先をゆく。加えて前衛で長重系の武器を持たない彼は、その分他のメンバーより身軽さで勝る。
駆け出してみれば、頂上は既に目前だった。古ぼけた山門を一気に駆け抜けると、速度を落とさないままに、地面に散らばる軽石を拾い上げた。
「――らぁっ!」
当てる必要はない。注意を引ければいい。さして狙いを絞らないまま、とりあえず一番手近にいた天魔へと投げつける。踏み出して、振りかぶって振りぬく!流れるような、淀みない動作。飛散した石は、礫のように天魔へと襲い掛かった。無論、それで大きなダメージを与えられるわけではない。
が。礫が直撃し一匹は、怒りを顕わに彼に向き直った。
(――よしっ! 引きつけた!)
内心で手ごたえを掴む間もなく。紅の唇が裂けるように広がり、その獣は唸りをあげた。
――キシャアアアアアアアッ!
威嚇のつもりか。顎を開き、汚らしく唾液を滴らせながら、名芝に飛び掛ってくる。毒の牙が彼に届く寸前、
両者の間に割り込んだ高峰が、苦無でその牙を受け止めた。天魔に圧し掛かられるような姿勢で、両者の力が拮抗し静止する。一拍の空隙。その隙をついて。
名芝の放った高速の蹴りが、天魔の腹を貫いた。吹っ飛んでいく獣を油断なく見据えながら、高峰が呟いた。
「勝手に一人で先走らないでよね」
「……悪ぃ。助かったわ。さんきゅ」
謝辞を述べ、素直に頭を下げながら周囲を見回す。
(残りの三匹は――?)
探すまでもなく、すぐに見つかった。四匹全てが、突然現れた高峰と名芝を遠巻きにするように――あるいは近くで値踏みするように――見据え、うち二匹ほどが、興味を失ったようにふい、と踵を返す。咄嗟に焦りを覚えるが。
「まてーっ! お前達の相手はここにいるボク達だよっ!」
響き渡った聞き覚えのある美少女ボイスが、間違いなくその場にいた全ての存在の注意を引きつけた。
二人揃って視線を向ければそこには、駆けつけてきた仲間達の姿と、その中央に立ち、びしっ、と人差し指をどこともなく突きつけながら、堂々と(ない)胸を張る、セーラー服を着た美少年の姿があった。
「……こういう状況で改めてみると、いろんな意味で凄い倒錯感だね。彼」
「言うな。気持ちは分かるが言うな」
天魔は撃退士のやりとりには頓着せずに、新たな敵に向き直った。あるいは単に、視界に移るものが全て己達の獲物だと思っているのか。山門近くにいた一匹が、もっとも身近にいた標的に――つまり六道に――狙いを定める。
一拍遅れて、ぎょっとしたような顔で彼女が身構えるが、その時にはもう、既に状況は動いていた。アンネリーゼの放ったショートスピアの穂先が、天魔の鼻先を掠める。獣特有の軽快な動きで、器用に空中でかわしてみせるが、その足が地に着く寸前、足元を狙って虎牙がハンドアックスを薙ぎ払う。
飛び退いて刃から逃れる天魔の姿に、常木の顔に苦笑が浮かんだ。
「こりゃまた不細工な猫で……標的を確認! A班は六道の保護を最優先に! B班で道を切り開く! 一気にいくぞ!」
「了解! 六道! 私の傍から離れるな!」
「はいぃっ!」
裏返ったような声で返事をかえし、神鷹・虎牙・アンネリーゼの三人は、そんな彼女を囲むように走り出す。
「おらぁっ! よくわっかんねぇ生物どもが! 道を開けやがれ!」
六道と同じくダアトである彼は、本来こういった接近戦には向いていない。が、その彼にしても、この作戦での彼女の重要性は十二分に理解していた。彼女の守りきる事こそが、これ以上の犠牲者を防ぐことになる。
(ようはこいつを守りきれれば、俺達の勝ちって事だろ。上等だ! 鈴音には、俺が指一本ふれさせねぇぜ!)
全力で駆け出す四人の撃退士達に、警戒心を覚えたのか、天魔もまた動きをみせていた。揃って不気味なダンスでも踊るかのように、ぴったりと同じ動作で、一斉に近づいてくる。
獣の咆哮が響き――
タンっ!――という音は、常木の拳銃の音だった。同じくして、名芝が地を蹴った音である。獣の跳躍には、音はなかった。寺へ駆け付ける四人へと飛び掛った獣は、アンネリーゼと虎牙に阻まれ、残る二匹は常木の銃声に怯み、名芝の攻撃に足を止めた。
その隙をつき、鈴音と神鷹の二人が、境内を全速力で駆け抜けた。敷地のきっかり中央に座する金堂に辿り着くと同時、鈴音は走りながらもずっと練り上げていたアウルを解き放つ!
祖霊陣とは。
陣の名を持ちつつ、その実態は寧ろ壁である。分け隔てるもの。境界を成すもの。此方と彼方を隔てる障壁。人類の盾。
展開された祖霊陣が、中に避難している村人ごと、障壁となって金堂全体を包み込む。その結果に、二人は一先ず安堵した。とりあえず、生き残った村人の安全は確保した。
「聞こえますか!? 私達は撃退士です! 皆さんを助けに来ました!」
「俺達が来たぞ! もう大丈夫だからな! なんも心配いらないぞ!」
二人の少年と少女は、世界を分かつ壁の向こう側へ、必死になって呼ばわった。
恐怖に怯える人々へ。少しでも気持ちが和らぐように。励ましの声を掛け続けた。
「なるほどね。そういう事か……」
まるで感情のない、その呟きは。常木の唇から漏れた。
眼前に対峙するのは四匹の天魔。が、彼女の視線は敵ではなく、四方に散らばる残骸に向けられていた。歴戦の戦士である彼女にとってそれは、本来ならば考えられない事ではあったが。
人。あるいは、かつて人であったもの。
恐らく、バリケードに逃げ込む前に襲われ、そして絶命するまでの間をずっと、天魔になぶられ続けていたのだ。まさしく、猫が獲物をいたぶるように。
天魔が透過能力を使い、生き残りの人々を襲わなかった理由。それは。
より身近なところに、別のオモチャがあったから。
「許せない」
怒りもあらわに、犬乃がうめく。常木はあくまで冷徹に魔具を構える。
「調子に乗って嬲ってるつもりだったんだろうけど……そのせいで隙が生まれたんだからね。せいぜい、利用させて貰うよ。後悔すればいい」
高峰が苦無を構え、 同時に、名芝が飛び出した。
敵の跳躍力は高い。空中戦は不利だった。地を這うように突進し、装備したナックルダスターで、ローアングルからの抉るような一撃。
しかしかわされる。空中に回避。助走もなしに軽々と、こちらの頭上を跳び越すように跳躍する。予想通りだ。名芝は勢いを殺さず、更に前方に身体を投げ出した。地面を転がって衝撃と速度を緩和し、即座に後ろに転身する。速度でいえば、間違いなく敵の方が速かった筈だが――
丁度獣が着地する場所に、犬乃が詰めていた。忍よろしく音もなく、握った刃を一閃し、天魔の身体を斬り伏せる。
手ごたえを得る間もなく、振り向きざまに腕を構える。背後から襲いかかってきた天魔の、鋭すぎる爪を、なんとか眼前で受け止めながら、下半身だけを忘れてくるような動きで、すっと上体を逸らす。
銃声。そして絶叫。正確無比な常木の狙撃が、天魔の眼球を綺麗に打ち抜いた。もんどりうって獣が転がる。その腹を名芝が踵で容赦なく踏み砕く!
一方、寺に近づく天魔に、アンネリーゼは鋭く武器を構えた。
「消えたい奴から前に出ろ。その穢れた存在、跡形もなく消滅させる」
宣言は即ち、宣告でもあった。半歩を踏み出し、半身を捻っての突き。スピアの穂先が獣を穿つ。が、獣は地面を蹴ると、冗談のような姿勢で回避した。再びアンネリーゼに飛び掛かかろうとするのを――高峰が横から、スピンブレイドで斬りつけた。飛び退いてさがる獣に、苦無で追撃をかける。
「好き放題した報い、受けて貰うよ」
高峰の呟きは、火傷するほどの熱い怒りに満ちていた。
「いゃあああ――」「×××」「 れか」「誰」「何なに何――」「スケテタスケテタスケてけて 」
(時間がないって――こういう事?)
壁越しに届く、悲鳴と混乱。そして恐怖の声を聞き。六道は胸中で歯噛みした。
命の危険に晒されるストレスというのは、尋常なものではない。一般人では耐え切れないのも無理はなかった。
「大丈夫! 全部、俺達が守るから! あんた達の命ごと、丸ごと全部!」
(声が――届かない)
正確には、言葉だ。先ほどから六道と神鷹が、必死の声をかけ続けているが、中からの反応は芳しくなかった。と、その時――
光が、生まれた。
音もなく。気配もなく。唐突に生まれた輝きが、彼らの視界を埋めつくす。どこか神々しくすらある輝きが、虎牙を包み込むように、周囲の空間を圧倒的な光で満たしていく。
「あの、聞こえますか? 俺達は、貴方達を救出に来た者です! 俺達を信じて、何があろうと落ち着いて、そこにいてください。あいつらは、俺らが片付けますから」
静かに告げる虎牙の声は、力強い決意に満ちている。その言葉か。あるいは美しい輝きにか。村人の恐慌が、一旦静まる。と。
「!? 鈴音! 危ねぇ!」
祖霊陣を張る為、無防備だった鈴音に、忍び寄ってきた一匹が襲い掛かる――寸前で、神鷹が彼女を庇って飛び出した。肉食獣の爪が、神鷹を薙ぎ払い。駆けつけた虎牙が、ハンドアックスを全力で振り下ろした!
「ぐっ――」
「させるもんか! 忍影招来、GOシャドー…忍法シャドウ☆バインド!」
犬乃のスキルだ。影縛り。彼の足元から伸びた影が、高峰と虎牙、二人の対峙する天魔の動きを束縛する。その隙を、六道は逃さなかった。
「チャンス! 大丈夫? 例のヤツ、いくよ…ダブル・エナジー・アローじゃないわよ。エナジー・アロー・エボリューション! ちゃんと叫んでよ」
「痛ってー! 礼もなしかよ、くそ!? 行くぜ、ダブル・エナジーアロー・エボリューション!」
やけっぱちのような神鷹の声と六道の声。二つが重なり、同時にスキルを放った。
なぜか時折、金貨が落ちるような音を響かせながら、天魔目掛けて光の矢が降り注ぐ。そして。
「烈火炎刃タツマキフレイム!」
重なった二つの獣の影を、犬乃のスキルが焼き払い――
同時に、常木のナイフと高峰の刃が天魔の命を刈り取った。
「大丈夫っすかー? 怪我してる人いたら、治療するんで教えてくださーい」
「ホラ、行ってきたら? さっき、敵にやられてたでしょ?」
「いや、誰のせいだよ……」
横から小突く六道に、神鷹が半眼でぼやく。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
紫暗の瞳に限りない優しさをたたえて、アンネリーゼは、村人達を安心させるようにそっと微笑んだ。