『曰く、災難は勇気を試す機会である』
さあ、鬼退治といこうじゃないか
◆ ◆ ◆
風が吹き抜ける。
西の端にとうに姿を消した太陽の名残を消し去るかのように、蒼暗の闇が広がっていく。薄暗さを増した空に、なんとなく肌寒さを覚えて、若杉 英斗(
ja4230)は、軽く身震いした。慣れ親しんだGジャンは、任務に触らぬよう選んだものだが、今の時期には若干薄手だったかもしれない。
黒目、黒髪――如何にも日本人然とした外見の少年だ。やや厚めの唇をしており、左目の下に、ほくろが四つあるのが、特徴といえるかもしれない。
眼鏡をかけた瞳に、僅かな緊張の色を滲ませて、彼は周囲を見回した。
(まるで廃墟のような……とでもいったら、さすがに言いすぎか?)
否、そんな事はないだろう。
街のそのものはこぎれいですらあった。道幅も適度に広く、歩道には植え込みがあり、車と歩行者を緑の垣根が隔てている。場所は聞いていた通り、閑静な住宅街で、駅前以外には店らしい店もほとんどなかったが。都内にありがちな極小の住宅ではなく、昔ながらの庭付き戸建ての中、ところどころに畑が広がる様は、下手な都心部よりよほど心地よさそうに見える。
(まあ、人が住んでればの話だけどな)
人の居ない街というものは、それだけで酷く寂れた印象を与えた。もとより、街が作られた経緯を思えば、当然の事かもしれないが。
「どうした、若杉」
先を歩く御巫 黎那(
ja6230)の声に、はっと振り向く。いつの間にか、距離が開いていたらしい。
「あ、スイマセン。ここまで無人の街っていうのも、ちょっと珍しくて」
「そうか」
ハンドアックスを片手にした少女が、前方を見すえたまま言葉少なく答える。赤い瞳には、無愛想とは違う、はっきりとした無関心の色があった。
「どうやら、住人の方の避難も無事済んでいるみたいですね」
「……ああ」
元より、返事を期待していたわけではないが。御巫の返答は、予想以上に短いものだった。すらりと伸びた四肢。均整の取れた身体。驚く程艶のある、腰まで伸びた黒髪が、彼女が歩く度、夜風のように揺れる。
その沈黙が気になったわけではないが、彼は努めて明るい声を出した。
「大丈夫! 俺、かなり運がいい方だから、今回の標的だってすぐ見つかりますよ!」
「そうか。勘違いじゃないといいな」
ぽつりと言い捨て。御巫はさっさと歩いていった。
「人を喰らう鬼、か……ちっ、忌まわしい!」
「ええ。真、グラウシードさんのおっしゃるとおり」
吐き捨てるようなラグナ・グラウシード(
ja3538)の言葉に、柳津 半奈(
ja0535)は静かに頷いた。
「求むが儘に命を貪る……その振る舞いの、なんと醜い事でしょう。悪鬼羅刹が現世を乱す道理なし。正道の剣を持って、そっ首叩き落して差し上げましょう」
粛とした口調。凛とした振る舞い。つまり彼女は、そんな人間だった。落ち着いた青の瞳には、静謐な怒りが灯っている。
「早々に遭遇出来るのが最善最良でしたが……さすがに、そう都合よくは参りませんね」
「標的に遭遇したら、前衛は私に任せてくれ。騎士として、女性を先陣に立たせるなど出来ん」
「了解致しました。如何様にも対応してみせます。私がカバー致しますので、どうぞ迷わず、踏み込んでください。……あら」
と、そこで。柳津が何かに気づいたように軽く眉根を動かした。手を伸ばし、ラグナの上着をそっと掴む。
「グラウシードさん。少し、こちらへ」
「お、おお?」
突然握られた手と、少女との距離を意識して、どもりながら頷く。
(じょ、女子の方から積極的に私に触れてきた……ついに私にも、噂のモテキが到来したのか!?)
非モテ騎士街道を歩んで十数年。人生初の出来事に動揺が走る。不意に滲んだ視界に、彼は泣きそうになっている自分を自覚して、そっと目頭を押さえる。涙を流すのは自制した。
えーと、初デートの場所はどこにしよう? 否、ここは騎士としてまずご両親に挨拶に伺うべきか、いやいやしかし、などと高速で思考を始める傍らで、そんなラグナの妄想など気にも留めず、柳津が彼の袖を引っ張った。
「そちらは車道です。人が歩いてはならぬ道ですよ。きちんと歩道を歩いて下さい」
「はっ!? えーっと、いやしかし、今この街は封鎖状態にあるわけでだな……」
車どころか人っ子一人歩いていない。が、柳津はふるふると首を振ると、
「それはそれ。これはこれです。騎士ともあろう方が、そのよーにワケの分からない事を言って、ワケの分からない事をしないで下さいまし」
「えええー」
褐色の騎士があげる、なんとなく不満そうな声を聞きながら。
二人の撃退士達は行儀よく歩道を歩き、探索を続けた。
「さーて、リアル鬼ごっこの始まりだね。まあ、今回は捕まると死んじゃうんだけど」
「うふふふふふぅ。捕まって死ぬのはぁ、こっち側とは限らないけどねぇ」
板垣・ナニガシ(
ja0146)と黒百合(
ja0422)が並んで歩きながら、相槌を打つ。
ふらふらと歩く黒百合は、年齢の割りにはすらりとした体躯をしているが、その隣をちまちまと歩く板垣は、その年齢にもまして小柄な方だ。結果として、この二人が並んでいると、小柄な少女が二人、揃って歩いているという、なんとも頼りない印象を受ける。
「うふふふふぅ、楽しい楽しい楽しい鬼殺しの時間よぉ……つい楽しみすぎて、楽しいを三回も繰り返しちゃったわぁ」
「うわーい、黒百合さん頼もしいなあ」
頼りなさげな外見のわりに、会話の内容は極めて物騒ではあったが。ペンライトをぐるぐると回しながら、板垣がぼやく。
「道、真っ暗だね」
予め知らされていた事ではあったが。閉鎖されても電気は通っているのか、街灯はついていたが、夜道全体を照らしきるには、如何にも心もとない。
と、不意に。
予感めいたものがあったわけではない。板垣はただなんとなく振り返り――そこに、いた。
真っ黒い人影。夜の闇を人型に切り裂いたら、こんなものになるのかもしれない。そのくらい、不自然で馬鹿げた存在だった。
そこにいた天魔は。
本能からの指示に従って、板垣は咄嗟に後ろに跳んだ。一瞬前まで彼女の立っていた空間を、天魔の拳が薙いでいく。避けれたのは単に幸運からだったが、二度も続くとは限らない。即座に迎撃の姿勢へと移る。
(遠い――)
離れた分の間合いを埋めるため、前かがみになって突進する。互いのリーチ差は歴然だったが、相手の次撃が彼女に襲い掛かる寸前、黒百合が手裏剣を放った。アウルで縛られた影の礫が、一瞬相手の気をそらす。
その一瞬で、充分だった。
「ふっ!!」
駿足の踏み込み。一歩を踏み出し、軸足に全加重を乗せ、捻転を加えた突きを放つ。常人であれば、内蔵が破裂するような、容赦のない一撃。が。
実際に彼女の手に残ったのは、分厚いゴムタイヤを殴ったような感触だった。事実、まるで応えた様子のない怪物を、睨みやる。
「ふーん……体格からいって無差別級ボクサー系ってとこかな。なら『私の方が速い』」
それは、疑うべくもない純然たる事実だった。自然、口の端に笑みが浮かぶ。
見ると、さすがに黒百合は手錬れと言うべきか、動揺もなくてきぱきと携帯を取り出し、仲間に連絡を取っていた。
「ええぇ。こっちで遭遇したわぁ。現在交戦中よぉ。予定通り、Cのへに誘導するから、現場環境の確保はよろしく頼むわねぇ」
走りながらの戦闘というのは、実のところ容易ではない。特に、逃亡しながらの戦いというのは。
相手からすれば、逃げ惑う獲物に好きなタイミングで仕掛ければいいだけだが、逃げる側としては、敵に背中をみせ、且つその攻撃を避けながら、互いの距離を保つ事が要求される。巷では魔法使いか何かのように言われる撃退士だが、実際のところそこまで万能なわけではない。遠距離攻撃の出来る黒百合がいなければ、難しかっただろう。
(けどぉ、これはちょっとヤバイわねぇ)
襲う側と守る側では、圧倒的に前者に分がある。その上、夜の闇が味方をしているため、相手との間合いが恐ろしく図り辛い。と、天魔が板垣に急接近した。
「くっ――」
本人はギリギリでかわしたつもりでも、隣の黒百合の目には、半歩足りないのが見えた。捻くれた鉤爪が迫るのを、一番鋭い形で――つまり正面から――見据え、
その爪が彼女を抉る寸前、旋棍によって防がれた。短い黒髪。ふちのない眼鏡。若杉だ。敵の勢いを流すように逸らし、残る一本で渾身の一撃を叩き込む!
ぐらりと傾ぐ天魔の横を。
すり抜けるように二つの影が、左右から揃って飛び出した。右から御巫が、左から黒百合が。共に同じ色の髪で体格も近い二人は、艶やかな黒髪を踊るようになびかせながら、それぞれの獲物で襲い掛かる。二人はハンドアックスとサバイバルナイフを、ほぼ同時に一閃した。一拍後、天魔の左右の手首から、闇と変わらない液体の塊が弾ける。
「ま、間に合った……」
「助かった〜」
それぞれの理由で安堵を漏らす若杉と板垣の奥で、黒百合が薄く笑みを浮かべる。
「予定よりぃ、ずいぶんと遅かったわねぇ」
「避難し遅れていた馬鹿な一般人を誘導していたら、予想外に時間を喰ってしまってね。だがおかげで、既に準備は万端だ」
告げる御巫に、板垣が頷いた。
「じゃ、いよいよ鬼退治の始まりだね」
人気のない夜の学校は、得体の知れない不気味さがあるが、人外の天魔に襲われている最中ともなれば、その程度の些細など気にもならない。
予め、地図上で確認していたポイントに一行が辿り着き。ガランとした校舎に向かって、若杉が大声で叫んだ。
「ÅC班、到着。状況を開始して下さい!」
聞こえてきた仲間の声に――
既に指定の場所で待ち構えていた二人は、速やかに行動を起こした。
「仕掛けは上々、細工は流々」
「後は仕掛けをご覧じろ、だっ!」
真昼のような輝きが――
若杉の声を合図に、一行のいる校庭を照らしだした。ナイターの設備に加えて、学校中の証明がついている。先に辿り着いていたラグナ・柳津の仕掛けだ。が。
光の中に突如放り込まれた鬼は、それでも怯む事はなかった。明るい中で見るその巨体は、常軌を逸する程にでかい。さざなみのように蠢く皮膚は地獄のように真っ黒で、思わず吐き気を催すほどに醜悪だった。
「うふふふふぅ……よぉやくマトモな殺し合いが出来るわぁ。さぁ、痛覚は生きてるぅ? 脊髄は繋がってるぅ? 眼球は零れ落ちてないぃ? ……そう、いい子ねぇ。息絶えるその瞬間まで、その脳髄に絶望を刻み込んであげるからねぇぇぇ!」
ショートソードを掲げた黒百合が、狂喜に満ちた歓声を上げる。
鬼はまず、手近にいた御巫に狙いをつけた。左右から挟みこむように手を打ち付けてくる。彼女は、斧を地に刺し大地を蹴った。柄から手を離した瞬間、その下の空間を鉤爪が薙いでいく。風圧だけで身体を持っていかれそうになりながら、頭を庇いつつ空中でバランスを取る。着地までに次の一撃が襲ってくるだろう。空中では回避のしようがないが。
その隙に、静かに鬼の背後に回った黒百合が、ショートソードを振るった。鋼の煌めきが鬼の肉を鋭く抉る。
地面に着地。その横を、板垣と若杉が駆けていった。しゃにむに腕をふるう鬼の攻撃をかいくぐりながら、一撃離脱を繰り返す。
徐々にダメージを与えているものの、どの攻撃も決定打とは言い難かった。力量というより、とにかく相手が頑丈すぎるのだ。と、そこへ。
地を駆ける音。視線を向けると、近づいてくる人影があった。人の丈ほどもある長剣を掲げた二人の剣士が、全速力で近づいてくる。ブラウンの髪の少女と、褐色の肌をした少年。二人の姿を視界に捉えた四人は、剣の間合いに届いた瞬間、示し合わせたかのように、揃って同時に標的からの距離を取った。
突然離れた獲物を求め、鬼が猛り狂った咆哮をあげる。幼児の頭ほどもある、巨大なその拳を振り下ろす先を求め――
その瞬間、鬼と触れる程に肉薄した二人の剣士が、必殺の剣を振るった。
「天誅……!」
「消え失せろっ! 邪なる者よっ!」
そして。
柳津の大剣が鬼の胸を切り裂き、ラグナの刃が鬼の頭を打ち砕いた。
灰は灰に。
塵は塵に。
「鬼は……そうだな。地獄にでも還るがいいさ」
武器をしまう一行の中で。
ぽつりと呟き、ラグナもまた剣を収めた。