●決別連盟レメゲトン
何をしても幸福を感じない。金を使う。娯楽に深ける。恋をする。およそ人生の楽しみであろう大半を試みたものの、それらに幸福を感じることはなかった。つまらない。くだらない。それでも生きていられるのは、ただただ食うことだけが満足感を得られたからだ。
食べている。食べている。あれもこれもと手にとって。手に取れぬものには覆いかぶさって。食べている。食べている。それはまさしく化物であった。怪物であった。本来、外敵であればどこかに潜めばいい。本拠地に伏せればいい。そこは自分の城なのだから。如何様であれ、そこが自分の有利となる。侵入さえ許さなければ、問題はない。だが、そのものもくるめて何もかも食いつくされるのであれば話は別だ。それは口にする。何でもかんでも口にする。食す。食している。それはまさしく化物であった。
要請を受け、現地に辿り着いた撃退士達。刻限が迫っているとはいえ、そのまま戦闘へと移行するなんてことはない。真っ向から戦って勝てる相手ではないのだから。作戦を展開する。展開していく。倒すために。救うために。その胸中、如何ばかりか。
●倦怠婚期サイリウム
ある時、味に関してさして意味を感じていない自分がいることに気づいた。食べる。食べている。それだけに満足していた。要は、なんでも良かったのだろう。だから食した。もっともっと食した。食することだけに特化していった。思えばそこから人間ではなくなったのだ。
「お腹空いてても流石に見境なく食べるのは嫌さー」
与那覇 アリサ(
ja0057)が、その怪物を前に素直な感想を漏らした。食料でも、瓦礫でも、ゴミでも、何でもかんでも。食べる。食べている。よほど腹が減っているのだろうか。だからと言って、どんなものでも腹に納めればいいわけではなかろうに。減っているからこそ、食というものに幸福と楽しみを感じられるものだろう。なにより。
「人の大切なものまで喰っていくのは許せないさ!」
強い敵と戦うこと。それは大澤 秀虎(
ja0206)の本分である。自分の望む地獄に立つこと。そこに至上の喜びを感じるのだから。その窮地は自分を高めてくれる。より高みへ。より深みへ。上り詰め、落とし込むことだろう。誰が食われるとか、何がなくなるとか。そういったことが意識の起点ではない。
「俺の目的は正義のヒーローじゃない、その手段と過程にこそ意味があるんでな」
それでも思うところはあるのだろう。表情は険しいものだった。
大喰らい。その一点だけに絞られた存在に、グラン(
ja1111)はある種感心すら覚えていた。ヴァニタス。その造形。ただただ食い尽くすための能力。欲望への忠実さを示すために発達したかのような、その全て。食べている。食べている。食べることだけに特化している。そういうふうであることを望み。望んだから、そういうふうであるのだろう。とはいえ。人間にとって凶悪で厄介なことには変わりない。早々にご退場頂くとしよう。
これもそれも。どれもあれも。なにもかも。みんな、みんな。食べるだろう。食べ尽くすだろう。これを放置すれば。これを放っておけば。止められなければ。その度に大きくなる。強大になる。手が、つけられなくなる。それは、南雲 輝瑠(
ja1738)にも容易に想像させた。
「……何もかも摂り込むというのは厄介だが。やり方次第……といったところか」
そう、なにも特攻しようというわけではないのだ。戦いようはあるだろう。
「食す度に脅威も増す……ね、羨ましい限りだやな」
やれやれ、と。麻生 遊夜(
ja1838)はため息をついた。まったく、もって。食べている。食べている。それだけて強大になる。脅威になる。食べるだけで、食べつくすだけで、強くなっていく。自分達とは大違いだ。鍛錬を欠かさず、死線をくぐり抜けて。そうやって強くなる。大切なものを守れるようになる。ただ、食すだけで強くなれるのなら。誰だってそうするだろう。
「雑食なんて言葉では収まりませんね、これは……自分たちがお腹に収まるなんてことにならないように、くれぐれも気を付けましょう」
牧野 穂鳥(
ja2029)は気を引き締める。何もかもを食べている。何でもかんでも食べている。だからきっと、人間だって食べるだろう。納めてしまうだろう。もしかしたら、もう。思う前に、首を振った。振り払った。無理矢理に、意識しないよう心の外へと吐き出してしまう。感傷は、戦った後でいい。
サイとかカバとか。それらを無茶苦茶に、出鱈目に掛け合わせて一匹の獣にしたような姿。ずんぐりむっくりしていて、鈍重さを容易に想像できる。それが、食べる。食べている。何もかもを何でもかんでもを食べている。ずっと。ずうっと。
「しかし何を食えばあんなに不細工に育つのやら。逆に聞いてみたくなるのう」
聴こえるように言ってやったつもりなのだが、反応はない。虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は首を振る。
「ま、人語は解しそうにないの」
食べる。食べている。あたり構わず、あたり選ばず食べている。美味しそうに、とは表現できない。目も鼻もない獣の無貌からは、どんな感情も読み取ることはできない。獣性のなにかに、感情の起伏を読み取ることができるのであればだが。日谷 月彦(
ja5877)が思わず腹を摩った。どうにも、あてられたか。
「なんでも食べる敵、食あたりとかしないのかな……少し腹減ったな。帰ったらなにか飯を食おう」
生唾を飲み込む音が、何処か遠く。
鍔鳴りの音が。開始のそれであった。準備が完了する。完了せずとも、これ以上時間をかけるわけにもいかなかった。敵は強大。それでも勝たねばならぬのだから。思いつく限り、策を講じるとしよう。走りだした。駆け出した。夜暗に光が舞う。尽き果てるまで。
●二重暴落アルカアド
美味しいってなんだろう。
大きな怪物の背後に回ると、月彦は手にした火炎瓶を投げつけた。透過性能自体は、仲間が無効化してくれていることを確認している。投擲されたいつつのそれ。だが、大きな誤算がそこにはあった。
破裂。炎上。しかし、敵は身動ぎひとつ起こさない。天魔の持つ透過性能。それを取り除いたところで、V兵器以外での攻撃が、奴らに通じることはない。どころか、それ以上の最悪を引き起こしていた。
破裂した火炎は、周囲に燃え広がる。それはあたりの建造物を巻き込んで赤いそれを猛らせた。熱い。熱い。燃えている。燃え広がっている。それでも化物は意に介さない。炎だろうが食い荒らしている。
着弾した表面上に、月彦が得物を叩きつけた。熱乾燥による表面の弱化。それを狙っての行動ではあったのだが。容姿として似ているとはいえ、こちらに在る法則と同じではないのだろう。それはそのまま大口を開けると、月彦にかぶりついた。嫌な音。肉も、骨も、何もかも。
穂鳥の広げた鳥避け用ネット。拘束を狙って投げつけられたそれは、大喰らいの巨体に絡みついた。その図体に、拮抗できるものだろうか。力を込め、強く引っ張るものの。問題は別のところにあった。今尚周囲には炎が荒れ狂っている。それらは新たな餌に飛びつくと、尚の事舞い踊った。ポリエチレンが燃え上がる。熱により溶け出し、それらは脆く崩れていった。
だが、そこで失意に深ける時間はない。気を取り直し、穂鳥はすぐさま攻撃へと意識を移す。
「大食らいの夜のあぎと。いくつ命を噛み砕いたか知りませんが、少々食べ過ぎですね。腹下しには、要注意ですよ」
直線状の雷撃。わらわらと伸びる歪な腕へと突き刺さった。感電したのだろう。痙攣する一本。畳み掛けられた追撃が、それをただの黒炭へと変える。悲鳴はあがらない。食べることに特化した口は、鳴き声をあげるそれすら取り払われているのだろうか。見るに耐えない醜悪。もうひとつ、電撃が駆ける。
輝瑠が駆ける。本当であれば、足止めに投網を用意しておきたいところではあったのだが。その体格に見合ったものを用意するには、時間も予算も足りなかったのだ。
脚に切りつけ、腕を払う。その巨体を支える四足だ。そうそうに効果の現れるものではないが、腕の方は脆いものだった。節くれだったそれ。付け根のあたりを狙い、飛びかかる。何度目かの攻防。裂帛の気合を持って繰り出された斬撃は、豆腐でも分けたかのごとく肉に吸い込まれ、その一本を切り飛ばした。切断。敵の攻撃に間隔が空く。その隙を、逃すほど未熟ではない。
「この好機、決して無駄にはしない……!」
練り上げられる体内の爆発機関。瞳が紅く染まり、黒竜をその身に纏う。牙を、剥いた。
アスファルトに罅が入るほどの震脚。打ち付ける。打ち抜ける。確かな手応え。走り去った重いそれが、大きな一撃を与えたことを自身に告げていた。
「いくら表面が硬くても内部への衝撃までは防げないだろう……!」
安物の双眼鏡を顔から離すと、グランは走りだした。目鼻の存在しない悪獣、しかし食事という直接的な行動に出ている以上は何らかの知覚部位を有しているのだろう。そう考えての見であったのだが、どうにも、外部を観察していて分かるものではないようだ。あるいは、こちらの法則にすら縛られていないのか。
魔力を編んで生み出した光球を、化物の口腔目掛けて放り込んだ。着弾。発光。次弾を撃ち込む前に半拍。反応を確かめるも、外皮に当てた時のそれと大差はない。通じてはいるようだが、弱点と呼べるほどではないようだ。一瞬、口内が見えた。悪臭。分かっていたことではあるが、どこまでもどこまでもただただ闇が深まるだけだった。
用意した爆竹を投げつける。破裂音。流石のヴァニタスも反応を見せたものの、一瞬そちらに目を向けた他の仲間と変わらない。どころか。刹那、仲間も停止してしまったことが仇となった。寸短の間。目前に巨体。喰らうあぎと。
虎綱が投げつけた短刀が、化物の口へと目掛けていく。刺さった、のだろう。微かにその巨体がぶれたのを確認できた。だが、反応は同じだ。やはり、ここがそれというわけではないのだろう。端から、ウィークポイントなど存在しないのかもしれないが。
「口内は弱点だと思ったが……」
思惑は外れたものの、意識を向けさせることには成功したらしい。怪物が、こちらへと身体を向けた。落とし穴のひとつでも用意出来ればよかったのだが、周囲の建造物に加え、アスファルトだ。準備の時間もない。それに、今や戦場は赤々と燃えている。この環境で仕掛けのひとつというのも難しい話であった。
伸ばされた腕を、手にした得物で切り落とす。数度の投擲で、間合いはある程度理解していた。それでも、大きな大きな顎に飲まれてしまえばひとたまりもないのだろうが。もう一本、と。迫るそれに向けて上段の構えをとる。込める烈気。声にして、力を吐き出した。
「喰らえぇぇぇ!」
大口開けたヴァニタスの横っ面目掛けて、アリサのドロップキックが炸裂した。この図体、この体重だ。ふっ飛ばすとまではいかなかったものの、いくらかぐらつかせることには成功していた。急ぎ体勢を立て直し、戦闘継続のための構えを取る。人のそれよりも、獣の何かに近い極端な前傾姿勢。
こちらに向いた顎を下から蹴りあげた。手応えはあるものの、一撃でどうこう出来る相手ではない。構わず、二度三度と蹴打を繰り返した。と、巨獣が身をひねる。けして素早くはないのだが、鈍重さを補って余りある巨体。誰かが叫んだ。それが回避を促すものだと脳が理解する前に、自慢の脚は自らを後方へと蹴り飛ばしている。
直前まで自分がいた場所を黒いそれが通り過ぎた。アスファルトが、壁が、柱が、某かが。根こそぎにされる。腹の中へと奪われる。退くのが遅ければ自分が、否。自分もああなっていたのだろう。ぞっとした気持ちを抱えながら、それでも脚を振り上げた。
「阻霊符の効力……試させてもらおうかね」
遊夜の投げつけたワイヤーが、巨獣の太い脚に絡みつく。透過の妨害。それには成功している。だが、すぐに手を離した。ひとりの力で繋ぎ止められるものではない。何かに結びつけでもしたいところだが、あたりは火の海だ。おいそれと近寄れるものでもない。
お世辞にも、いいとは言えない状況だ。それが分かるだけに遊夜の心中は穏やかなものではいられなかった。戦闘開始からこちら、赤々と猛る炎は自分達の動きを阻害するばかりだ。覆しようのいない地形の不利。場所を変えたくても、放っておけば人里ごと食い荒らされてしまうのだから。
手にした銃を撃ちこみ、その全身をくまなく狙う。弱点らしい弱点はないらしい。むしろ、強点自体が存在しないと言うべきか。
味方ごと食い散らかそうとしたその大顎に銃弾が飛来した。一瞬のタイムラグ。下がるには充分だ。
「喰われる所なんざ見たくもないんでな、勘弁してもらうぜよ」
腕をあらかた切り落としたことを確認すると、秀虎は目標を変えた。もとより、節くれだったそれらには一般的なヒト並の力しかない。絶やしてみせることは比較的容易といえる行為であった。狙うは、その図体を支える足だ。無論、安易な接近は危険を生む。それほどの相手だ。死角に回りこみたいところではあったのだが、眼球のひとつもないとくれば、それを探すこともできない。
切りつける。それでは弱いと見たか、斬撃から刺突へ大太刀の動きを切り替えた。関節を狙う。破壊するために。だが、足りない。この巨体を相手にして、その刀身では長さも広さも足りていない。ひねろうとも、その体重ごと肉を持ち上げる膂力は持ち合わせていなかった。攻撃から他の行動へと転じられぬ隙間。影が差す。熱のあるまま炎の消えたような違和感。振り向けば悪臭と、紫色の口腔。空白。何かの潰れる音。何かの砕かれる音。少しだけ遅れて。悲鳴。獣の慟哭にも似た。
●最終階段ピアニシモ
ごちそうさまでした。まだまだたりません。
「…………逃げるぞッ!!」
誰かが叫んだ。生存本能が脳に働きかける。限界だ。これ以上戦っていても、全滅以外の未来が見えてこない。倒れた仲間を引きずって、轟々と火花を散らす戦場から退く。退散する。振り返らない。自分の無力さに歯噛みし、耳に高音が鳴り響く。
息が切れるまで走って、振り向いた。追ってくるような様子はない。もとより鈍重。こちらに追いつけもしないのだろう。生きている。その実感に脱力した。喉が痛い。空気が欲しくてたまらない。待機していた車両に乗り込んで、その場を去った。帰路の最中。重い沈黙。悔しさと無力感を感じながら、そこから先の記憶はない。
経過を聴いたのは、病院の寝台でのことだ。何もかもが終わってから現れた増援の報告。敗戦結果。根こそぎであったそうだ。マチも、ヒトも。奇妙な点はひとつだけ。食い荒らされた痕。悪獣さえも、見当たらなかったのだと。
了。